御神業をしてお金をもらえるなんて!
ところで当時の私が、何に感動したかと言って、新聞配達をしてお金をもらえたことほど感動したことはない。
私にとっては新聞配達もクラブ活動も、等しく修業のつもりでやっていた。ところがクラブのときには自分の方からお金を出して、月に二十万円ぐらい要る。
八回も合宿へ行くのだから、お金がかかるのである。自分の方からお金を持ち出しした上に、先輩から文句言われ、同輩から小突かれ、下から突き上げられて、それに耐えて頑張ってきたのだ。
それに比べて、こちらはお金がもらえる。お勤めって何ていいんだろう。自分の修業になって、それで給料がもらえるのだ。
「いいんですか。課長。こんなのもらって、いいんですか」
「おまえ、変わったやつだなあ」
自分は全部御神業のつもりだから、お勤めって何ていいんだろうと思って感動していたものだ。
京都「月ヶ瀬」の世界一のクリームあんみつ
そして、卒業後の会社勤めも、すべて御神業のつもりで行って、自らの糧にしてきた。
その間の様子についてはまたの機会に譲るが、こうして二十五歳で植松先生に弟子入りするまでに、高度の審神力(人の真の霊格や前世、背後の霊の正邪などを見破る力)や、さまざまな霊能力を磨かされたのである。
横道にそれたが、そういう青春時代を大学で送っていたので、京都に行くと思い出してしまうのだ。
横道ついでに、皆さんが京都に行った時に、ぜひ寄って頂きたい場所をご紹介しよう。
ある時、植松先生と伊勢神宮の式年遷宮に行く前に、京都に立ち寄ったことがある。その夜は京都泊だったので、夜に、「月ヶ瀬」のクリームあんみつを食べに行った。
二十二年前に初めて入り、以後ことあるごとに通っている甘味処だが、この店のは世界一のクリームあんみつだ。
クリームあんみつというのは日本しかないから、日本一は、とにかく世界一だ。
この店のお抹茶アイスクリームやぜんざいも宇治金時も、やはり世界一だ。お抹茶宇治金時は、シロップなんかかけないで、その場でお抹茶を立てて、立てたお抹茶を上にかける。
小豆も白玉も全部自家製のすぐれものだ。この食べ物についても、思い出がある。
私が大学の二年生のとき、例のKさんという先輩に連れて行かれたのである。
「いや、僕は甘党じゃなくて辛党ですから、ワサビ漬けとか、辛しナスが好きなんですよ」
「いや、ガタガタ言わずに、わしについて来い。これを食べてから好きか嫌いかを言え。俺もそうだったんだから。騙されたと思って食べてみろ」
そう言って、先輩が嬉しそうに、「クリームぜんざいとクリームあんみつね!」なん注文していたときには、失礼だが先輩がバカっぽく見えたものだ。
もちろん、実際には英語は良くできるし、大学でもトップの人だ。
その先輩が言った。
「うーん、バカっぽく見えるかも知れんが、わしも今までは辛党だったのが、この店で甘党に開眼したんだ。
とにかく君も、クリームあんみつとクリームぜんざいと二つ頼むんだ」と言うので私も頼んだ。
それで一口食べたら、あっと観念がブチ破られた。これが本当の甘党だったのかあと心の底から思ったほどだ。
そのクリームあんみつの、甘過ぎずに、口に入れると、寒天がおのずから自主的に舌の先に溶けてくれる舌ざわり。
それはもう、身も打ち振るわんばかりのおいしさだ。それから、私は二十二年、そこへ通っている。そのおばさんが六十何歳だったのが、八十三で亡くなって、息子さんが後を継いだのだが、味は全然落ちていない。
秋の京都で寂寥感にとらわれる
話を戻そう。とにかく植松先生と、その「月ヶ瀬」のクリームあんみつを食べに行ったのである。
「植松先生、これがわが青春の味ですよ」と言いながら。
そして、京都御所の話題になった時にも、私の大学は京都御所の真向かいだったので、「御所は今日、拝観日ですよ。御所は僕の大学のキャンパスのようなものです。あそこの道一本隔てて御所ですから、大学のキャンパスみたいにしてあそこを使っていたんですよ」と言った途端に、またキューンとなった。
京都に行くと、先のような思い出がいっぱいあるから、涙が出そうになるのだ。胸がキューンとなってしまう。
確かに、そういう話をするのは楽しい。しかし私は、その当時の友達とはほとんど連絡を断ってしまったし、その当時の友達と話していたら、懐かしいよりももう苦しさと葛藤と、胸にとげ刺すことばかりだ。
二十歳以降は神様に全部捧げた人生で、それでいいと思ってはいるが、旅行をしたことも一度もないし、授業はぴしっと出て、最後の最後までクラブに命を懸けていただけだ。
普通の大学生が過ごすような大学生活ではなかった。
もちろん、それも楽しかったわけだが、青春時代に置き忘れてきたものがいっぱいある。
あれもしたかった、これもしたかったと。特に、感動で胸が震えるようなラブロマンスというものは、御神業のために全部自分から芽を摘み取ったし、守護霊に邪魔されたりした。
能楽部も二年生までやっていた。こちらの合宿は五泊六日、一日十二時間、板場の上に正座で座るのだ。
二日目ぐらいまではいいが、三日目になったら、みんなぐわーっと腹が立ってくるのである。
最初は、痺れる、感覚がなくなる。その次に、痛くなる。それからずきずきする。夜寝ても、ずきんずきんずきんずきんしているのだ。
その次にどうなるかというと、とにかく全てのものに腹が立ってくる。あまりに痛いからだ。先輩とも、ちょっと何かあると喧嘩だ。板場の上に十二時間も座っているのだから無理もない。
こうした中に、束の間の喜びがあったわけで、とにかく一日も怠ることなく修業してきた毎日だった。
それで良かったのだが、置き忘れてきた青春時代のことを思うと、懐かしいよりも、寂寥感にとらわれる。心の中に、レトロのような感じでふわっと浮かんでくるのである。
映像の周辺が消されて、修正した映画みたいな、昭和初期の写真展みたいなのが浮かんでくる。
それから伊勢神宮へ行ったのだが、どうも気が沈んでしまい、調子が冴えなくなってしまった。
五十以上の人はもっとひどい青春だった
その時は、自分でどうもおかしいと思いながら、一人でいると涙が出そうになってくるのだ。ああ、こんなに年をとってしまった、いつか知らないうちに年をとってしまった。
白髪も増えて、あの頃みたいに粘りがないし、語学を習得しようといっても元気もやる気も前より落ちた。
輝けるようなああいうような時というのは、もう再び人生にはやって来ないんだなという思いが、後からわいてきたのだ。
その時に、あっ、私の五十上セミナーに来る人はみんなこういう思い出を持っているんだと気が付いた。
私もこうやって二十歳から自分の人生を神様に全部捧げたつもりできたが、戦争中を生きていた人はどうだっただろうか。
ラブロマンスもなく、戦争の中で何年もの間、空襲で逃げまどったりしていたわけである。そして戦後の復興期、焼け跡の中で一生懸命家族を探し、家を建て、いかに御飯を確保するか苦労されてきた。
そして子育てだ。そうやって戦争中、それから戦後を乗り越えた人が、今や五十以上になっている。
その人たちにとって青春時代ってどうだったんだろうかと、思いを巡らせたのだ。
写真を見たら、女の子はみんなもんぺだ。こんな女の子を見ながら、学徒出陣や工場に行く。青春時代の思い出は竹槍だったかもしれない。
兄弟家族と離ればなれになって、お兄さんは戦死、お父さんも戦死、というような時代を乗り越えた人にとってみたら、どうだろうかと考えた。
その人達もみんな自分の青春時代は無かったのだ。あんな青春時代だから、国会議事堂の前で「青春を返せー!」と言ってみたくなるんじゃないかと考えたのだ。
私も、時々神様に、後悔はしていないけれども、「青春を返せ」と言う。それで「おまえが選んだ道じゃないか」と言われて「そうです、済みません」とすぐ謝る。
しかし、そう思うようになったら、自分がもう最後だなと気が付いた。
五十歳以上の人は、青春時代を振り返ってみたら、同じ時代を過ごした人たちがいっぱいいる。
その人たちが、その焼け跡の話とか、闇市の話とか、その当時の話題にちょっと触れると、やっぱり横隔膜からうわーっと突き上げて、懐かしいなと思うと同時に、再び青春は返って来ないと痛感する。
鏡を見たら、白髪、しわ、しみそばかすがある。ああ、これでこの世を終わっていくのかなあ、今の若い人はうらやましいなあ、とつい意地悪ばあさんみたいにいじめたくなったりする。
戦争時代や終戦直後に青春を送ってきた人、仕事ばかりでやってきた人、一生懸命子育てした人、そういう人は後悔はしていないだろうが、失った青春時代と人生の過去を振り返ってみたときに、もの寂しさや悲しさが当然出てくるだろう。
そこで皆どうするか。同世代に生きていた人たちとお話をする。老人ホームなどで、大体同じ世代の人たちがその当時の思い出を語り合うと共通項があるから楽しいという。
その時代を懐かしみながら、ああだったねえ、こうだったねえ、と言い合うことで、結局、懐かしいねえという結論の、楽しい一時になる。
しかしそれは考えてみたら、恐ろしいことなのだ。
昔を懐かしむということは一見いいようだが神霊界の実情から見たら、絶対してはいけないことだと断言できるのである。
伊勢神宮で改めて気付いた
伊勢神宮へ行って、自分のおかしな状態の理由を突き詰めた上で、「心外悟道なし」でぱっと切り替えたので、それがわかったのだ。
違う、自分は何のために生まれてきたか。御魂の修業をするために生まれてきた。二十歳の頃に神様にそう約束したからそれでいいじゃないかと。
今は今で充実した日々を送っているじゃないか、と。十代、二十代だけが青春となぜ決めたんだ、と。
今だって青春なんだ。しなきゃならないこと、今日と明日と未来のことだけを思って、来週はこれをして、次にはこんなことをしよう、
来年はこうで十年後はこうで・・・というふうに、神様にずうーっと祈り続ける。一時間、二時間、三時間、四時間、未来のビジョンを神様に語り、祈るのだ。
若い人に人気のあった、ちょっと昔の「聖闘士星矢」という漫画に、「おまえのコスモを上げろ」という名セリフがある。
自分の中にコスモ、宇宙があるから、自分の宇宙を大きく、高く、燃え上がるように熱く広げていくことで、パワーが出てくる。だから「コスモを上げろ」と言うのだ。
明日は二十年に一度の伊勢神宮の御遷御だから、最高の状況で行かなきゃいけない。目いっぱいコスモを上げて、神様の前に出なきゃいけない。
そうやってずうーっと祈りを捧げていたら、コスモがぎゅーんと上がってきたのだ。
翌朝、別人のようにやる気に満ちて、顔を洗ってさあ行くぞと思ったときに、洗面所の鏡の前で自分の顔を見て、何だ、そうだったのかとわかったことがある。
気を付けよう結婚式場の地縛霊
要するに、京都で地縛霊をもらっていたのだ。それで、一人、二人と除霊(救霊)していたら、面白いことに、ふわーっと浮かんできたのが、ウェディングドレスを着た女性だった。
それからもう一人の男性は、短い髪の、職人さんみたいな感じで、ブルーのタキシードを着ている。
おそらく結婚式をした後、帰りに交通事故か何かで死んだのだろう。私京都で泊まったホテルで披露宴を挙げていたので、懐かしんでそこにいたのだろう。どうやら、そこから悪いてきたようだ。
なぜか結婚式場というのは本当に地縛霊が多い。楽しかった思い出、華やかだった思い出がそこにはある。そんな人が、事故で死んだりすると、ああ、懐かしかったなあと思い出して、ぱっとそこへ行く。
だから、結婚式場は地縛霊が多い。
言いたくないけど悪霊のたまり場はここ
ディズニーランドも、浮遊霊のかたまりだ。世界で子供たちにどこへ行きたいかと聞いたら、まずディズニーランドと言う。
アメリカでも日本でも、子供たちの憧れだ。だから一回ディズニーランドに行った子供が水死したり、事故死したり、病死したりすると、ディズニーランドは良かったなあ、
もう一度行ってみたいなあと思うので、浮遊霊になって飛んでいく。そういう死んだ子供たちがディズニーランドをうろうろしているから、霊的に敏感な人がディズニーランドへ行ったら、本当に具合が悪くなる。
それから、Y温泉などもそうだ。神様は、「魔境なり、行くな」とおっしゃる。あそこは最果ての地で海がきれいだから、砂風呂に入って、それからドボンと身投げする人が多いようだ。
最期の地にふさわしいところだと思うのだろうか。
一度、他に宿がなくてやむなくY温泉に泊まったら、次から次へと霊が訪問してきて、夜中じゅう除霊をするはめになってしまった。
ああいう観光地には、懐かしかったなあ、良かったなあと死んだ霊が追憶して集まりたがる。だから、ディズニーランドとか結婚式場、Y温泉に限らず、有名で風光明媚な観光地というのは要注意なのだ。どうしても行かねばならない時は、最初に不動明王さんとか毘沙門天とか、強そうな神仏に良くお願いして、身を守りながら行くことだ。
あまり気にしすぎると、霊に感応するからかえって良くない。
もしもこうした観光地や結婚式場に行ったりして具合が悪くなったり、それから気分が沈むとか事故が続くとかいう場合は、まず間違いなく霊をもらっているから、早目に救霊(除霊)を受けた方がいいだろう。
「昔は良かった」が恐怖なのだ
京都の思い出の地で、私が不覚にも思い出に浸って一瞬キューンとなったときに、ああ、再び返って来ないんだなんて、もの悲しい思いの浮遊霊、地縛霊が、瞬間に感応してばあーんと憑霊したのだ。
だから、「恐怖の青春時代の追憶」と言うのである。
私は自分で除霊したけれども、胸がすかっとしてみると、何であんなことを思っていたんだろうかなと思った。
そして、自分のコスモを上げて、未来の夢と希望とビジョンと、今日と明日のことだけ考えて、過去を考えないことが本当に大切なことだと改めて思った。
霊界は、過去、現在、未来の区別が無い世界だ。時間と空間を超越している。
現在の人が、過去を思い出せば過去の思い出の霊界に感応する。未来をイメージすれば未来の霊界に感応する。只今の心次第で、過去にも現在にも未来にも行けるわけだ。
だから、良かった過去のことを思い出すと、その霊界に心が行くから楽しい思い出で心がいっぱいになる。
しかし、それは済んでしまって現実界にはもう無いわけで、霊界にだけあるものだ。年をとった人が昔の追憶をするということは、霊界を楽しんでいるわけだ。
ところが追憶をしている者同士の話というのは、前向きで発展的かどうか。前向きで明るくて発展的な意欲に満ちて、楽天的なビジョンに満ちて、エネルギーに満ちているかと言うと、決してそうじゃない。
やっぱり、マイナス的で、後ろを振り返っているし、それからああいうところもあって大変だったねえ、ああだったねえなんて言いながら、時々涙ぐんだりする。
すると霊界の、それこそ未来などひとかけらも持ちようのない地縛霊なんかに、憑かれてしまうという訳だ。霊的波長が一致してしまうからである。
『高校三年生』にも気を付けよ!
舟木一夫さんと言えば、「高校三年生』、『高校三年生』と言えば舟木一夫さんだ。私はラジオ番組のDJもやっているが、ゲストで来られた舟木さんにいろいろうかがったことがある。
何回も自殺未遂をなさった方だ。私達は『高校三年生』『学園広場」というと舟木一夫の歌だ、と思ってしまうものだ。
でも、そうじゃない、聞いているみんなのものなんだということをその時知ったのだ。
一つの時代を作った歌だから、今でもコンサートでは舟木一夫は、どんな歌を歌っても最後は「高校三年生」「学園広場」になる。
それで、今でもコンサートをすると、その当時の人たちが来るんだそうだ。みんな、もう四十代後半から五十代だ。そして、最後に「高校三年生」「学園広場」を、「学園~広場~」と歌うと、九九%の男性が泣くという。
女性は違うという。「あの時ああだったわ、こうだったわ」と明るく元気に目がキラ キラ、まつげパチパチ。
「私は人気者だったわ」なんて言うんだけれども、男はみんな泣く。
「赤い夕日が〜」、グシュグシュグシュと。何回コンサートをやっても、「高校三年生」を歌い、「学園広場」を歌うと、そこで男性の観客は、まず間違いなく泣くというのである。五十代の男達がだ。
やっぱり、その当時の自分を思い出しているのだ。そうすると、ああ、俺も若かったのに、もうこんなにはげてしまった。
昔は腹も出てなかった…という後ろ向きでやるせない思いに、同じような波調の霊がヒュッと感応する。
想い出霊界は想念の魔窟ヶ原
確かに私にとって、京都には懐かしい青春時代の思い出がある。修業して、苦しいこともあった。しかし、その中にも楽しみ、喜びがあったからだ。
けれど京都ほど地縛霊の多いところはないから、すぐにぱっと感応してくる。しまった、やられたと思った。そういう時には、霊を除霊して、自分がまた未来の霊界へトリップするといい。
未来のことを想像して、未来は明るいぞ、明日はああやって、来月はああして、来年はこうしてとイメージするのだ。
そうすると、自分が未来の霊界に感応するわけである。過去の追憶の霊界に感応した御魂が、そこからすうーっと移動して現在に来、未来に至る。
その時、私の霊眼には、こんな景色が見える。真っ暗な洞窟の中から、私の奇魂が出てきて、ふあ~あっと背伸びして、にこにこしながら洞窟から出ていくのだ。
それで、そうか、今まで私はあの真っ暗な洞窟の中にいたんだな、とわかった。その洞窟というのは想念の魔窟ヶ原だ。
魔窟ヶ原というのは魔窟の奥にまた原っぱがあるからだ。そういう霊界に自分がいて、涙ぼろぼろ流していたというわけだ。
発端は他愛もない学生時代への追憶だった。それが、次から次へと思い出と寂しさをひっぱり出し、自分で選んだ道だからしょうがない・・・・・・けども、寂しいなあ、残念だったなあ、もう一回生まれ変わってきたときには別の人生を送ろうかなあ・・・なんてとりとめもなくのめり込んで行く。
そこからその魔窟ヶ原に入っていったのだ。自分の作った過去の追憶の魔窟ヶ原に入ってしまい、それに感応する霊がぱっと憑霊して、そこからなかなか抜け出せなかったのである。
これが養老院とか、老人クラブとか、同じ共通体験を持つ者同士ならば、なおさらこうなる。
思い出の追憶で話をするのは楽しいことだけれど、みんなこうなんだな、危険だぞ、ということが審神できたのである。
