植松先生とのテレパシーでの会話
植松先生といると、板挟みにならないときはありません。しかし、どういうときに板が迫ってくるかという、技の見切りができてからは、どこからかかってきても凌げるようになりました。
神様と一つになったら、会話をしなくても植松先生のおっしゃりたいことの中身がわかるとか、言葉が出てくる前に意思をキャッチできるようになったわけです。
もちろんいまでもそうですけれど、離れていましても会話ができます。
たとえば、植松先生が、「深見さん。これ、どうするつもりなのよ、あなたは」と言いながら、お座布団を持ってきたり、靴を持ってきたり、バッグを持ってきたりと、言っていることと全然関係ないことをすることがあります。
そういうとき、植松先生の顔の奥を見ると、(深見さん。しっかりゴルフをして、体を鍛えなきゃダメよ)と言っているんですね。それで、(わかりました。しっかりやります)と心の中で返事をすると、(ね、わかればいいのよ)と、ニコニコされる。
ところが、同じようにお座布団を持ってきたり、靴を持ってきたりしても、そのときどきによって、伝わってくる意味は全然違っていて、「深見さん。わかってるの、あなたは」と言いながら、(深見さん。わかっているの?若い人材を積極的に責任ある役につけて、経験させなきゃダメでしょ。そうしなければ人は育たないのよ)
(はい、わかりました)(わかればいいのよ)というようなキャッチボールをすることもあります。
ふたりの会話は、第三者には絶対にわかりません。植松先生は、靴を持ってきたり、ハンドバッグを手にしたり、あるいはただ笑っているだけですからね。
そういうときでも私は、植松先生の御魂の奥から出てくる言葉をテレパシーでキャッチするわけですけれど、その間、零コンマ一秒です。というか、その前から反応して、(何なのよ、あなたは。バカね)
(まあ、ほんとにいい人ね、あなたは)などという植松先生の意識を、言葉が出てくる前にパッとキャッチする。二十八年前からずっとこれをやっています。もう少し、現実的に意味のある会話もありましたが、いまはもう、これ一本です。その分、ますます研ぎ澄まされています。
植松先生の御魂が発動されるときには、やはり植松先生と同じような姿形をされた菊理姫様も出てこられます。もちろん、もっと大きくなったり、少し顔が変わったりしますけれど、基本的には、そのときの植松先生と同じ声、同じ顔です。
菊理姫様は、純白のドレスというよりマントですね。真っ白なマントを着て、もう、ピカピカに光り輝いている。植松先生の顔をもっと完成度を高めたような、というと失礼ですけれども、明るい世界の、さらに明るい世界の中で金色に輝くお姿をしておられます。
まさに女王の気風に溢れていて、純白のマントをサッとまとっスーッと出てこられます。
そのお姿が植松先生と一体になったり、離れたりするのです。初めて目にしたとき、いったい誰なのだろうと思いましたが、ハトシェプスト女王、それが菊理姫様だったのです。
二十九年前から何度も何度もそのお姿を見ていますが、それがいまや、宇宙を包み込むくらいの、とてつもなく大きなお姿となり、姿もまた進化していますけれども、原形になるのはそれだったわけです。
神人合一の道は「火の鳥への道」
その当時から、私は常に板挟み状態にあります。そして、私にはもう神様しかない、神様だけだという気持ちで、絶えず「神様、どうすればいいんだ」と絶叫しております。
現実界で板挟みの状態になると、身も心も魂も「神さまあ!!」と叫びますよね。
そのときの姿を霊的に見ると、「火の鳥」になっているのです。誰からも理解されない孤独の中で、神様だけを頼って絶叫する瞬間、人は火の鳥になるのです。
それを思えば、神様とか菊理姫様とか背後霊様が、どのように御魂の育成をするのかよくわかります。そうです、神様は板挟みの状況をいくつもおつくりになって、私たちを育ててくださっているのです。
こういう話をすると、「白山みろく宮」のお社を授かって支部にお供えすると、あちらでもこちらでも板挟み状態が起きるのではないか、などと心配する人がいるかもしれません。(註:白山みろく宮とは、二〇〇五年伊勢岩戸びらき大神事の「白山みろく宮・一人ひとりに授かり神事」で下賜されたお社)まあ、そのとおりになりますが、問題は、そのときどう受け止めるのかです。
単に「ああ、板挟みで嫌になっちゃった」と愚痴をこぼして終わってしまうのか。それとも火の鳥になるのか。それが問われているのです。むろん、神様の道に生きる私たちは火の鳥を目指して、神様を求める気持ちをより一層強くしなければなりません。
左右両側から板で挟まれたら、トコロテンやこんにゃくは神仙界にツルンと伸びていきますよね。糸こんにゃくになっていくのかどうかわかりませんが、そのように私たちも、上へ上へと伸びていかなければいけません。
板挟みになるのは、一見したところ苦しい辛いことのように思えますが、「神人合一の道」とか「火の鳥の道」ということを考えたら、本当に素晴らしいことであって、神仙界へ行くための基本形といっていいでしょう。
それがわからないから、板挟みが単なる板挟み、単なる悩みごとで終わってしまうのです。「板挟み状態で悩んでいます」という人がいるとしたら、その人は俗界の人、並の常識人です。もう少し進化すると、「板挟み状態が解決しますように。そして、右の板も左の板も幸せになりますように」と、愛の心で祈りますね。
同時に、人形・形代に「板挟み状態が解決しますように」と書くかもしれません。そういう人、皆さんの中にもいらっしゃるのではないかと思いますが、それではまだまだレベルが低い。
高いレベルでご神業を進めていく人間は、板挟み状態になったら、「いまこそ神仙界に行く絶好のチャンスなのだ」と、むしろ喜びます。そうすると、本当に神仙界の道が開かれます。これからは、ぜひともそういう心構えでご神業に励んでいただきたいと思います。私はご神業が始まったときから、ずっとそれで貫いています。
萬美大神が降りられて、第六神界が開かれたときのことは、いまでもよく覚えています。もうどうしたらいいんだというときに、おトイレに入って泣き叫ぶような気持ちで神様に向かったとき、萬美大神が美しい音色とともに降りてきた。
もちろん、普段でも祈っておりますが、両方から挟まれて挟まれて、どうしようもなくなったときの、魂の底から振り絞るような祈り。魂が極まった祈り。その祈りを捧げた瞬間、神様に通じるし、自分の御魂が火の鳥になるのです。
ですから、ご神業に生きる人間は、板挟みの状態に置かれたときこそ感謝しなければいけません。いままでは愚痴をこぼしたり、あるいは「神様、どうぞ板挟み状態を解決してください」と祈っていたかもしれませんが、今日、この話を聞いたら、「神さまあ!!」と絶叫せざるを得ないですね。そのときこそが、神仙界の道が御魂に開かれて、神様にパシーンと通じる黄金のときなのです。
皆さん、板挟みを喜びましょう。板挟みを感謝しましょう。板挟みを積極的に利用して、神仙界の道を極めていきましょう。
板挟みになるのは、神仙界へ飛び立たせようという神様のお導きがあってこそのことですからね。それを頭に入れているか、入れていないか、それが俗人として生きていくか、神仙の人となるかの分かれ道であるわけです。
神仙界に生きることのできる人というのは、そこが違うのです。ご神業に生きる皆さんは神仙界を目指しているわけですから、しっかりとその違いをわきまえていただきたいと思います。
神仏に発願して神仙界へ
それから、神仙界へ行くもう一つの方法として、こういう話があります。ある産土神社の御祭神に関して、いろいろと霊験あらたかなる体験をした人の話を、いわゆる霊徳奇談という形でまとめた本があります。その中の一つの話に、江戸時代の話ですが、その産土神社の宮司さんにまつわる話が載っております。
小さな神社の宮司さんだったのですが、神様の功徳とか、神様の偉大さとか、神様の御働きとか、御心とか、ご神徳とかを、神社に来られる人々にいろいろとお話ししていたらしい。
ところが、その宮司さんは一度も神様に会ったことがないし、神様を見たこともないし、神様の証というのか、そういうものも体験したことがなかった。
神様を見たことがないし、証を感じたこともないし、神様の声も聞いたことがないのに、人々に産土神社の神様の素晴らしさや偉大さとか、そういうお話をするのは、「本当に申しわけないな。神職として寂しいな。一生に一度でもいいから神様にお会いしたい。
神様の声を聞きたい。神様がいらっしゃることを証として体験したい。このまま老いていくのは悲しい。ぜひ神様を体験したい」と、そういうふうに思っていたのですね。
そこでその宮司さんは発願をして、神社の神様に毎日お祈りをしたのです。二十一日間ではないですね。もっと長い。百日間か二百日間か三百日間か忘れましたけども、毎日、毎日、毎日、御神前に額づいてお祈りした。
「この産土神社の崇敬者の皆さんに神様の霊験とか、ご神徳とか、恵みとか、偉大さとか、尊さをいつも話すんですけれど、私には何の証も体験もないし、神様のお姿を見たこともないし、お声を聞いたこともありません。神仙界のこともわかりません。世の中には、仙人とか霊能者さんと呼ばれる人がたくさんいるようですけれど、私には何の体験もないのです。どうぞ産土様、崇敬者の皆さんに語り聞かせるような体験と証、実感をお与えくださいませ」と、その宮司さんは、毎日毎日、神様に一生懸命お願いしたのです。
そして、百日目だったか、満願の日だったか、最後の日を迎えたのですが、神様からの返事らしい返事がありません。ああ、ダメかもしれない。
結局、神様は祈りを聞いてくれなかったのかもしれないと思いながら、宮司さんが満願の夜、床に就いたところ、夢の中に見たこともないような神様、ピカピカと光り輝く神様が現れたのです。そして、宮司さんは尋ねました。
「あなたはどなた様ですか」
「私は日の神様の命令で参った者です。あなたがずっと祈り続けておられたことを、産土の神様がお受け取りになり、産土の神様が日の神様、太陽神にご報告されました。それをお受け取りになった日の神様が、あなたを太陽神界にお連れすべく私を御使者として差し向けられました。どうぞ、私と一緒に太陽神界へ参りましょう」
「へえ、そうですか。ありがとうございます」ということで、その使者に連れられて太陽神界の日の神様の御下に行き、「これが太陽神界のありさまでございます。
ここが神様のおられるところでございます。太陽神界はこのようになっております。神様のおられる世界はこういう世界ですよ」と、案内されたあと、またこの世に連れ戻してもらったわけです。
それで、その宮司さんは大感激して、「ありがとうございました。これで長年の宿願が果たせました。それにしても、神様の世界って何と素晴らしいんでしょう」
と、お礼を言ったところでハッと目が覚めた。
「ああ、いまのは夢だったんだ。夢だけど、はっきり覚えている。満願の日に願いが実現した。産土の神様が聞き入れてくださり、産土の神様から日の神様に報告され、日の神様が御使者を遣わして、自分の魂を太陽神界にお連れくださった」神々様のお姿や、神々様の住む世界を垣間見て、涙、涙の大感激。
産土様に頭を下げて、「お蔭で長年の悲願、宿願が叶えられました。ありがとうございます。ありがと「うございます」と何度もお礼を言ったわけです。号泣して、泣いて感謝をした。
それから、自分が見てきたこと・・・・・・神様の世界はこういうふうになっていて、神々様のお姿は本当に素晴らしかったといった話を、産土神社の崇敬者に話し続けたらしい。それを聞いた崇敬者の誰もが、「ああ、ここの神社の神様は願いを聞いてくださるんだ」と感激し、産土様への信仰がますます揺るぎないものになっただけでなく、多くの信者が来るようになったと。
そういう話が『産土神社霊験記」だったか「霊談記」だったか、実際にあった話を収録した本に載っております。それを私は二十八年ぐらい前に読みました。
産土の神様、鎮守様というのは、そのように自分の能力や職掌を超えた願いについては、日の神様に申し上げるのです。そして、日の神様がその願いを受け入れたら、使者を遣わして願いを成就させるわけです。
守護霊との最初の出会い
昔、つのだじろうの「うしろの百太郎」というマンガがあったのを覚えていらっしゃいますか。私も大学生だった二十三歳のころに読みましたけれど、その中に、こうすれば自分の守護霊の姿を見ることができる、というのがありましてね。
ほんまかいな、そうかいな。そんなことって本当にあるのかいな。まあ、あまり信じられない話だけれど、ちょっと試しにやってみようか。でも、何か怖いな。あまり変なことをやると狐にだまされるし、低級霊にだまされるし、邪気に襲われるし、金毛九尾にやられるし、そうなったら大変だしなあ。
まあ、怖い気持ちも半分ありましたが、ある晩、床に就いたときに守護霊さんにお祈りしました。
「守護霊さん、守護霊さん。私を守り導いてくれる守護霊さん。つのだじろうのマンガ「うしろの百太郎」にこんなことが書いてありました。本当かどうかわかりませんが、守護霊さんの目からご覧になって、守護霊さんの顔が見えて、姿が見えることが私にとってプラスになるとお思いでしたら、ぜひ見せてください。見せないほうがいいと、姿を見たらかえっておかしな人間になって、邪気や邪霊に襲われそうだとお思いでしたら、見せないでください。見せる、見せないは守護霊さんの判断にお任せします。それでも、もし見えたほうが私にとってプラスになるとお思いでしたら、ぜひ見せてください」
興味本位でやるとおかしい霊にやられますから。邪霊が化かして出てくることもありますし、最悪の場合、金毛九尾がいかにも守護霊という顔をして出てくることもあります。
ですから、姿が見えたからといって、それが本当の守護霊とはかぎらないわけで、騙されている場合が少なくありません。
とくに狐憑きの人は、騙されやすいから注意しなければなりません。姿が見えたからてっきり守護霊だ、と。本人はそう思っても、実は狐が化かして「アッハッハッ」と笑っていたりします。
審神力がない人は往々にして化かされやすいので、必ずしもお勧めできません。狐憑き系統の皆さんはやめておいたほうがいいと思います。自分が狐憑き系統かどうなのか、自分ではわからないかもしれませんが、お父さんやお母さん、あるいはご先祖さんが熱心にお稲荷さんを信仰していた場合は、やめておいたほうが無難です。
それはともかく、私は二十三歳のとき、寝る前にお祈りしました。お祈りしながらいつの間にか眠りかけて、その寝入り端に、うとうととした刹那、人の行列がパノラマのように見えたのです。
阪神タイガースの優勝セールのとき、阪神デパートの前に何千人もの人が並ぶような、あんな感じで一列に並んでいるのです。
それが真っ直ぐではなく、蛇行しながらどこまでも並んでいるわけです。
みんな民族衣装を着ておりまして、平安時代の貴族のような人もいれば、平安時代のお姫様のような人もいれば、髭を生やしたアラブ系の人もいる。
さらには、金髪の西洋人もいれば、中国服を着ている人もいれば、十二単のお姫様もいれば、尼さんのような人もいれば、お坊さんもいれば、鎧甲を身につけた武士もいて、それこそ世界中の人々が一堂に会した感じでした。
私から数えて三番目ぐらいに、織田信長にそっくりな人がおりました。裃を身につけ、神経質そうな青白い顔が紫色に光っておりました。紫色のオーラを発して、その後ろは水色や金色に光っていました。
そういう行列が、一瞬のうちにぶわっと見えたのです。どれぐらいの数でしょう。何十人という数ではないですね。何百人もの人が列をつくり、蛇行しながら並んでいる。そして、いろいろな時代の衣装、いろいろな民族衣装、いろいろな職業の衣服を身にまとっている。
そんな光景が一瞬のうちに見えたものですから、うわっと驚いて飛び上がって起き、「ああ、これが守護霊さんか。守護霊さんて一人かと思っていたけれど、こんなにもたくさんいたのかあ」と、心底びっくりしました。
いまでも、ときどきそのシーンが浮かんできますが、あらゆる時代の人が背後にいる。そのうちの何人か、まあ、何十パーセントかは自分の前世や前々世の姿も入っているのでしょう。
織田信長の顔にそっくりな人はよく覚えていますが、そのほかお坊さんもたくさんいたし、白い光のオーラを発する仏様のような人もいたし、金色のオーラを発す 42 る人もいました。武士はだいたい水色でした、オーラがね。後ろの光背輪が気持ちの悪いブルーではなく、清々しいブルーでした。
ああ、僕の後ろには、こんなにもたくさんの人たちがいたんだ。蛇行しながらも、行列をつくって並んでおられたんだ。そんなふうに守っているとは思いもしませんでした。
デパートのバーゲンセールだとか、チケットの発売時だとか、人がいっぱい並びますよね。ああいうふうにたくさんの人が並んでいたのです。
それにしても、こんなにもたくさん並んでいるとは思いませんでした。しかし、そうやって背後霊が見えたのは、私が謙虚に、恐る恐るお願いしたからだと思います。
だから、一瞬のうちに見えて、ものすごい衝撃と、ものすごい驚きと、ものすごい感動を受けたわけです。これだけ多くの霊に守られているのだと思ったら、誰だって感激します。
それで、驚いて飛び起きまして、
「ありがとうございました。驚きました。一回見させていただきましたので満足です。もう結構です」と、背後霊団の皆さんにお礼を言いました。こんなにたくさんいると思っていませんでしたし、毎日、毎日、目一杯に生きていましたし、何回も何回も見ると変なものにやられますから「もう結構です」と、お礼を兼ねてお断り申し上げたわけです。
そうしたところ、そのうちの一人の武士が目の前に現れました。おそらく、ご先祖さんだと思いますが、鎧を身に着けた戦国武将のようなその武士がこう言ったのです。
「あなたが二十五歳になったときに、もっと素晴らしい守護霊さん、もっと立派な守護霊さんに交替するよ」
二十五歳というと、そのときは二十三歳でしたから、あと二年後です。それで私は聞き返しました。「もっと素晴らしい守護霊に交替するって、どんな人ですか」
そうしたら、ニコニコと笑っているのです。笑っている顔は見えないですが、笑っている気配がする。行列の皆さんがニコニコ、ニコニコと笑っている気配がするわけです。でも、ニコニコ笑っている気配がするだけで、何の返事もありません。そこで再び、尋ねたところ、「弘法大師のような人である」との返事が返ってきました。
弘法大師のような、と言うのだから弘法大師ではありません。けれど、弘法大師級の人と交替すると言うのです。
こんなにたくさんの背後霊がいるわけだから、全部が全部、弘法大師級の人に交替するわけではないでしょうが、メインになって私を守り導く守護霊さんは、二十五歳で弘法大師級の人に交替する、というお告げがあったのです。
「へえ、二十五歳のときに交替するんだ。じゃあ、そのとき僕の周りで何か起こるのかな。どういうことが待ち受けているんだろう」
まだ大学生でしたからね。二十五歳になるのが楽しみではあるけれど、何か怖いような気もしましてね。
まあ、二十五歳で東京に出てきたわけですから、たしかに環境は変わりました。
しかし、植松先生という方にお会いすることになるとは、まったく考えてもいませんでした。植松先生にお会いしたのが、二十五歳の年の一月五日。
守護霊団の構成が変わったわけですけれども、それは二十三歳のそのときに守護霊さんが予言してくれていたことだった。ものすごく衝撃的な驚きと感動でしたから、そのときの出来事はいまでもはっきり覚えております。
皆さん、これが神仙界への行き方の一つの答えです。
産土神社の宮司さんのように、そして二十三歳のときの私のように、本当に謙虚に、純粋に、真摯に神仙界の方たちに呼びかけて発願をし、祈り続ければ神仙界に行けるはずです。
