【第五章】こんな時、どうすればいいのか~項目別・創運のテクニック~
【ビジネスで成功を得るには?】
遠い昔、人類がこの世に生まれた頃の世界を天眼通力で見てみる。そこには、広い自然と、その自然にへばりつくように生きている人間の姿がある。
ある者は、海や川で物を取り、またある者は、山に入り動物を追いかけ、木の実を拾う。その生活の知恵は未熟であったが、ほどほどに生きていける程度の自然の恵みがあり、人々は等しく善人であった。おそらく神も身近にあられ、ほほえみながら、人々の生業を見ておられたのであろう。
ところが、時代が進むにつれ、人々は知恵を身につけていく。より豊かに暮らすにはどうしたらいいかを考え、財の蓄積とその交換を思いつく。良き知恵とともに悪知恵が芽ばえ、人の犠牲の上に、己れの幸福を築くことを考えはじめる。その頃から、神は、人々から遠ざかりはじめたのであろう…。
ひるがえって今の世の中。
人々は豊かな物質文明の中に生まれる。生きるためにほどほどの物を必要とした時代から。財を得るための経済活動が世界を支配する時代になっている。そこには善悪の判断はない。いや、豊かなることが善であるとみなされる。魂の善などは、経済活動の妨げであるかのように言われるのが、今日なのだ。
はたして、このような世が、正しいのか。追って神は沙汰を下されるだろうが、とにもかくにも、私たちはこの世に生きている。
生きている以上、幸せな現世を想い、それを目的としなければならない。幸せを得る手段として、仕事をする。せめてその仕事の中で善なる魂を持ち続けることが、今や遠く離れた世界におられる神の寵愛の光を浴びる、数少ないチャンスなのである。
ここで、善なる魂を持ちつつビジネスに成功する方法について述べてみよう。
あなたの仕事のポジションを確認せよ
現在の産業構造は、実に複雑に絡み合っている。東芝のココム違反事件でもわかるように、先端技術が、人類同士の殺し合いに利用されることもままある。経済界の支配的立場にある銀行も、表向きの顔とは別に、悪評高いサラ金に融資をする。
「まったく、なんという世の中だ」というはやさしい。しかし、だからといって、今ある職を失うわけにはいかない。
あなたにとって、正義を貫くことが、あなたの妻や子の不幸をもたらすことになってしまっては、なんの正義かということになる。
さて、どうしたものだろうか。ビジネスマンの多くは、相反する悩みの中に身を置いているはずである。
この悩みから逃れるには二つの方法がある。
ひとつは、余計なことは考えないという生き方だ。今ある目の前のことを解決しさえすればいいという生き方である。
世間的に優秀といわれるビジネスマンにこの類が多い。仕事はバリバリ消化するし決断も早い。「切れる」「使える」という評価を得るのは当然のことである。
だが、この人の将来はどうかといえば、?マークがつく。大局を見る目を要求された時、目先しか見ていなかったことのツケがくる。この人の魂のいる霊界を霊視すれば、先は闇の壁。後ろには、彼の力によってはね飛ばされた人々が死屍累々というありさまである。
エリート社員がある日突然、自殺する。
なぜあの人がと周辺の人たちは呆然とするが、死者にはその理由がわかっている。目先に追われた行動が、いかに多くの犠牲をもたらしたかを知り、絶望したからである。もちろん、単なるノイローゼで発作的なものもあるが、潜在する内面の魂が、それをよく知っていて、自爆したものだといえるだろう。たたり霊はその追い打ちをするだけである。
さて、もうひとつの方法は、まず自分の置かれた立場を知り、同時に将来によく目を向けることである。また、自分の人生というものを遠望して、仕事ではなく、仕事を通して自分を磨き、進歩させようというところに、その努力の主眼を置けば、困難や苦境をバネにして、明るく伸びやかに長生きすることができるのである。
「キミ、某国へ軍需物資を輸出する方策を考えてみてくれんか」
そんなことはできません、と言いたい。だが言えない。組織にとどまるかぎり、拒否はできない。心が揺れ動き、胸が痛む。
だが、なぜ、このような要請が自分のところに舞い込んできたかを考えれば、あなたの取るべき態度は定まるであろう。
あなたには、その要請を受ける宿命が負わされているのだ。前世からのカルマが、あなたの立場を定めているのである。とすれば、その宿命の求めることを実行に移すことがあなたの仕事なのである。
ただし、この時、未来を見ることが必要である。今、あなたはマイナスのカルマに従っている。だが、いずれ、このカルマを刈り取る時がくる。あなたが自分の行為をいかなるものであるかをしかととらえ、そこにあるマイナスをはっきりと認識し、将来、みずからの責任において刈り取ることを誓えば、神は執行猶予を与えてくれる。
また、それなりの自らの立場で「相手よしわれよし」の心で仕事のベストを尽くせば、神様は決してとがめることはない。それを、自分から進んで、欲心からなそうとするところに、本当の悪因縁が発生するのである。
このようにベストを尽くし、あなたは仕事をし、責任ある立場に昇進する。力を得、蓄えたエネルギーをついに発揮できる時に、客観的な公約といえるマイナスのカルマを刈り取る、もしくは差し引き勘定でプラスのカルマが多くなるようにすればいいのである。
たとえば、それが「わが社は一切、軍需物資の製造、販売にかかわらない」と宣言することであったとしよう。
「何をいっているのだ。あなた自身は、軍需物資の輸出に手を染めたではないか」と非難されるだろう。だが、そんな非難は気にすることはない。人々は分に応じた仕事しかできないのである。したがって分の中で、善悪の判断力を磨き続ける。
いつか、己れの責任で善悪の判断を下すことができる時がくるまで、耐え続ける。これが修業というものなのである。
「君子豹変」という言葉がある。今はコロコロと心を変える信用ならざる人間という風に解釈されているが、もとは、豹の斑紋が季節ごとに著しく変化することを指す。
つまり高貴な人はその成長によって、変貌するといっているのだ。常に心の中で善悪の判断を磨く人間は、高貴な存在である。あなたの変貌をとがめられる理由はない。
コンプレックスを活用する
最近の若い女性が嫌う男のタイプは「チビ、ハゲ、デブ」だという。
デブは、おおむね、その人の不摂生の結果であるから、自己抑制できない、意志薄弱人間として軽蔑の対象にされるのは、やむを得ない。しかし、チビ、ハゲは、本人とは関わりのない体質の問題であるから、それを軽蔑するのは、明らかな差別である。
とはいえ好き嫌いは本人の勝手だから、要はそのような意識をもつ女性とつき合わなければいいというわけだ。また、それらに勝る、すばらしい男の魅力をもてばいい訳である。
ところで、政財界で成功した人間を見ると、長身痩躯というタイプは極めて少ない。統計をとったわけではないが、企業トップの座に座った人たちの身長は、同世代の人たちの平均身長を大幅に下回るはずである。
政界を見れば、竹下さんも宮沢さんも小柄である。大柄な人で総裁の座についたのは、最近では中曽根さんぐらいのものである。なぜ小柄な人が、成功を収めやすいか、その最大の原因は、コンプレックスからくる反撥心である。背が低ければ、通常腕力にも自信がないから、幼少時には、いじめられる側に立たされる場合が多い。
「あいつらを見返すためには、どうすればいいか」ひたすら、勉強をし、修養を積み、胆力をつける他はない。
小柄な人間は、いつしか人の上に立つ存在になるというわけだ。
体型上のことだけでなく、人の持つコンプレックスは多様であって、他人にはうかがい知れない部分もある。しかし、コンプレックスを克服する努力を積んだ人間は、強魂を持つことができ、成功への道を歩むのである。
田中角栄さんを成功者といえるかどうかについては若干問題なしとはいえないが、氏は浪曲好きで知られている。これはご自身の吃音症を治すために浪曲を唸り続けた結果だそうだ。
「艱難汝を玉にす」という言葉がある。芥川龍之介は「侏儒の言葉」の中で何やら理屈をこねているが、それはともかく、艱難を与えられるのは前世からの宿命である。それをみずからの努力で跳ね返した人間は、神の称讃を得ることができるのだ。
私の中学時代の知人に、ほとんど無知の塊のような人間がいた。ある時「太宰治」という名を見て「ダザイジ」と読んだところから、級友の笑いものにされたが、これで一念発起した彼は、図書館にある、あらゆる書物を読破し、いまや、某大学の教授として広く知られる人物となった。
人間のコンプレックス、劣等感は、成功のエネルギー源と考えることが、あなたの人生を切り開かせるのである。
我の強さがチャンスを逃す
現在の企業戦略は、いわば総力戦である。
昔の戦では「ヤアヤア、遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にもみよ」といったスターが活躍する時代であったが、今は個人プレーは通用しない。かつて企業の形であったモーレツ社員が影をひそめたのも、組織力による企業戦略が優先されていることと、無関係ではない。
このような状況の中で、みずからを生かすにはどうすればいいか。
組織の利益、幸福のためを第一に考えることである。一人ひとり、それぞれにやりたい仕事がある。「この仕事は、ほくに任せてほしい」という自負心もある。しかし、一方、自分以上にその仕事に向いている人間がいるかも知れない。
組織を優先するならば、最大の効果をあげるために、みずからの我と欲を絶ち切らなければならないのである。「やる気」が問題にされるが、やる気とは、「オレがオレが」と猪突猛進することではない。
完成した暁を夢に見、それに至るプロセスに充実感をもつことである。
だから、たえず周囲とのバランスを考えながら行動することだ。わがまま、ゴリ押しは組織の害であり、ひいてはみずからを危うくするものなのである。
時代を読む予知能力
組織の害であり、ひいてはみずからを危うくするものなのである。
すでに述べてきたように、神霊界にあらせられる存在は、常に我々人間界に通信を送ってきているが、その通信を感知できるかどうかは、人それぞれの能力と感性の問題である。知性と感性の研ぎすまされていない愚鈍なる人は、せっかくの神からの通信も聞き逃してしまう。
一方、知性と感性にみち、我執、我見を持たず、常に心をクリーンにしている人々は、神霊界からの通信が受信できるのである。
日に日に、目まぐるしく変わる経済状況の中で、道を誤らずに進むためには、将来を読む能力がなければならないが、そのヒントは神の通信の中に含まれている。
つまり、神は、人々に対し「このように生きるのがよい、こうすれば互いにベターだ」といった将来の指針を与えてくれているのである。
たとえば、私は今、原稿を書いている時点で次のような通信を受けている。
「日本の将来は茨の道である。しかし、近い将来には明るい展望が開けよう」
茨の道とは何か。経済問題に限っていえば国内の経済不況、外に対しては日米経済摩擦であろう。バブル経済崩壊後の日本はどのような道を歩くべきか、暗中模索の状態である。しかし、戦後日本の経済復活をもたらした知恵を発揮すれば、明るい将来がある神はこのようにおっしゃっているのだ。
この通信を受け、自分の知性で考え、対応策を考えるのが、優れたビジネスマンというものなのである。実際は、私にはもっと明確であり、一般の方々にはもっと漠然としたものであると思う。しかし、方向性と結論が同じならば、それで十分正しい通信であるといえるのである。
