(11)風難…急ぐこと・焦ること~「考える間」をもとう
雲雷鼓掣電 降雹澍大雨 念彼観音力 応時得消散
雷鳴とどろき 雨あられ 降りしきるとも
観音を念ずれば ただちに鎮まるのである
~庭の雑草を一本抜くことが、心の雑草を一本抜くことに通じる。
「魔がさす」とは卑怯な言い逃れだ
私は、今でも雷が嫌いというよりも怖いのです。雷の鳴る日は、朝からお腹がシクシクして予感できるほどの動物的神経を持ちあわせています。このごろは雷雨情報も発達しましたが、それでも突如やってきて、大音で鳴りわたり大雨を降らして、さあっとどこかへ去ってしまいます。
私たちの悩みもまた同じです。明朗な心中に、突然一点の雲があらわれると、理性はまったく曇って”あの人が?”というように意外な言動に接することがあります。それはけっして人ごとではありません。“魔がさす〟とよく言いますが、それは卑怯な言い逃れです。
最近は雷も少なく、めったに「ごろごろ」に出遭わないので助かります。しかし、不愉快な目にあったり、自分でも短気を起こして周囲に雷を落とす悪い癖はなくなりません。ただ気がついたとき、一つずつ修正してゆこうという願いを持って、この世の旅をつづけるつもりです。
一本の雑草が青年の人生を変えた・・・・・・
福井県に永平寺という曹洞宗の大本山があります。先年、家内とつれだって参詣しました。ちょうど、東京のどこかの会社の女子社員と思われる団体に、若い雲水さんが説明しているのが聞こえてきました。最後に、「坐っていて、足が痛くなった人があったら手をあげてください」と聞くと、全員が挙手をしました。
それを見て雲水さんは、にっこりとほほえんで、「それがここのお土産です。東京へ帰宅されても、一日に一度は足が痛くなるまで坐ってください。現代人に一番欠けているのは、坐って自分を見る時間を持たないということです」と告げます。さらに、「私ははじめからプロの坊さんではない。数年前にはあなた方と同じサラリーマンだった。いつも会社の昼休みの時間には、近くのお寺の縁側で寝ころんで週刊誌を読むことにしていた。
ある日、そこの年をとったお坊さんが私に“そんな暇があるのなら、前庭の草を取ってくれ”と言うのです。私が(失敬な奴だ)と内心怒りながら草むしりをしていると、お坊さんは、“止めろ、そんな草の取り方をすると後で困る。わしは、君に庭の草とりを命じたが、雑草を一本抜くことが、君の心中の雑草を除くことに通じることを知ってもらおうと思ったからだ。
君ならわかると思ったが、わしの見込み違いだった”といって奥へ引っ込んでしまったのです。
私の胸に、この一言が突きささりました。そして、この一言に導かれてここへ来たのでと、しみじみと告げます。
若い女子社員の顔には、あきらかに感動の色が現われました。それまで後ろのほうで寝ころんで聞いていた中年の男性までが起き上がって、坐りなおしたくらいです。彼が草取りを命じられたときの内心の怒りの雷も、老僧の一言でおさまったのです。
雲水さんにとっては、人生の一大転機となった老僧の一言は、まさしく観音の説法に違いありません。
現代は、個性尊重の教育が行きとどいた結果、かえって自己意識が強くなりすぎて、みんな怒りっぽくなったようです。
怒雷や他の心を傷つける稲妻がひらめきすぎます。雷雲が催しかけたら、ただ一言「南無大慈悲観世音」と念じようではありませんか。それは、自分をとりもどす大きな力となって、怒りからあなたを救わずにはおかないでしょう。
(12)「忍耐」の意味~どう生きればよい、失意と傷心のとき
衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦
ひとびとよ 災いにあい 苦悩に堪えかねても
観音の知恵は必ず世間の苦を救う
~から松の林の奥もわが通る路はありけりきりさめのかかる路なり
声を出して泣ける人はしあわせだ…
私は「般若心経」を継母から、「観音経」を師匠でもある父から教わりました。いずれも小学校へ入る前でした。そのころの寺の小僧さんは、みな小さいときにお経を習いました。それも机の前に坐るわけではなく、掃除を手伝いながら、口うつしに習い覚えて暗記するのです。その日も、庭の草取りをしている師父のそばで習ったのが、冒頭の一節です。
そのときは、漢文の棒読みです。私が暗記できたので、師父もホッとして、ひとりごとのように「「観音経』の中で、わしはとくに、いま教えたところが大切だと思う」と、草べらを地につきさして、泥だらけの手を合わせたのが、いまだ記憶に残っています。
「お前も成長したら、学問もし、地位や財産もできよう。それで、しあわせだと思いこむかもしれんが、そんなものが何の役にも立たぬときに、必ず出あうぞ。そのとき、今日の一節の意味がよくわかろう。しかし、ほんとうにわかるのは、わしが死んでからだろうな J といいました。
実にそのとおりでした。すぐにわかるものは底の浅いものです。師父の死後に思いあたることばかりです。世間を生きていく人間が、世間の災難にあうのはとうぜんとしても、すべが、学力や財力で解決できるほど甘くないのもまた世間でした。
私は、「世間」とは「人世と人間」の意味と受けとれます。つまり「人の世」と「人の間のことです。世とは、人が生きていく時間の上で遭遇する災難や苦悩…生・老・病・死の四苦です。
間とは、人が生きていく空間の中で出会う人や物に関する諸問題です。対人関係では、愛する者との別れ「愛別離苦」、憎しみあいながら離れられない「怨憎会苦」があり、対物質関係では、欲求が満たされない「求不得苦」、持てる者の悩み「五蘊盛苦」の四苦です。
これらの苦悩については、「般若心経入門」で解説したので、ここでは省略しますが、どれも予見できず、自分の思うように展開できないものばかりです。世間の苦しみとは、そうした性質のものです。
世間は、甘くない”といいました。型にはまった知識ではどうにもならぬ苦さがあるのです。また世間は狭い”とも申します。道幅が狭いと事故を起こすように、血縁とか親類は身近な関係だけにトラブルが多いのです。地位や、肩書で解決できない問題が潜んでいます。
生まれる老いる・病む・死ぬといった問題に対しても同じで、いざというときには、習い覚えた知識が音を立てて崩れてしまうのです。
この狭くて、苦しい世間を広く楽しく渡ってゆけるはたらきが「観音の知恵」です。
から松の 林の奥も わが通る路はありけり
きりさめのかかる路なり まつかぜの通う路なり(『水墨集」)
私は、北原白秋のこの詩が好きです。から松の林は人生に通じます。茂った暗い林の奥にも通る路があるのです。迷いやすい路を歩き悩む白秋の姿は、とりもなおさず私たちの姿ではありませんか。から松の林には、きりさめもかかります。それは佐渡に流された日蓮聖人の、”鳥と虫とは鳴けども涙落ちず 日蓮は泣かねども涙隙なし 此の涙世間の事にはあらず 但偏に法華経の故なり”の述懐にも通じましょう。
「鳥と虫とは鳴けども涙落ちず」で、声を出して泣ける人はしあわせです。声を聞きつけて誰かが慰めてくれます。しかし、いくら大声をあげて泣いても、飛んで来てくれる人がないことがわかっていれば、声は出しません。音をのんで泣く人は、ひとしおあわれです。親も身よりもない孤児は、泣くとき声を出さないといいます。
日蓮聖人の「泣かねども涙隙なし」にこのことを感じます。ただそれがいわゆる「世間事」でなく「法華経の故なり」とあるのを、心にとどめねばなりません。
「法華経」の教えの温かさ、深さ、そして、その導きゆえに「泣かねど涙隙なし」と喜ばれるのです。大声を張りあげて嬉し泣きに泣きたいのだが、この教えがわかる人の少ない悲しさに声を殺して、ただ涙のみ流されたのでしょう。ここに、常識的「世間」から「法華経」の「世間」への跳躍があるのです。
「憂き世」を明るく生きる秘訣
白秋の詩で思い出すのが、「荊棘中一条の路」という禅語です。荊棘林とは、ぱらやいばらの生い茂った荒れ地で、困難や難局を意味します。そこにも「わが通る路はありけり」が「一条の路」です。
しかし、一条の路といっても、まっすぐな舗装道路ではありません。曲がりくねった迷路に違いないのです。「世間の路」とはそういう路です。よく、“この路をまっすぐに行きなさい”と教えられることがありますが、だからといって文字どおり直進する人はないでしょう。
まっすぐにとは、直情径行(相手のことなど考えずに、自分の思ったとおりに言ったり行なったりする)でなく、目的地を忘れずに、曲がった道は、曲がったままに歩くことではありませんか。
それが曲がった道をまっすぐに歩く知恵ではありませんか。この知恵が「忍耐」の知恵です。観音さまのお知恵です。この知恵だけが、よく「世間」の苦しみを救い、世間を明るく照らすのです。
私たちの先祖は「世間」を仏教的な生活感情と体験から「憂き世」と受けとりました。また、浮き沈みが多い世の中だから「浮き世」とも考えました。ともに〈狭くて、苦しくて住みにくいところ〉の語感にあふれています。
しかし「苦しさ」と「狭さ」に徹すると、かえってひろびろと楽しく、不安なくわたってゆけるのが「世間」の正体でもあります。
誰しも経験することですが、狭い路で車を走らせているとき、対向車に出会います。すると、どちらかがバックして、スレ違いができる地点まで徐行します。隘路でも、どこかに交換できる場所はあるものです。「争えば狭く、譲れば広し」という忍耐の知恵が自然に働く部のです。これが観音さまのお知恵です。
前もって考えていたのではなく、そのとき、どちらかのドライヴァーの頭に直観的にひらめくのですから、理屈をこえた妙智力です。
悲しみを昇華する方法
狭い人生でも同じです。正面衝突の危険に出会ったとき、相手の苦痛を認めあい、許しあえる交換地点“愛の広場”を見つける知恵が大切です。しかし、現代人は、この点の学習が不十分なため「速断病」にかかって、この知恵が昏まされています。そして、やたらにあせるのです。
観音さまが、「三十三に身を変化させる」とは、三十三という限られた数ではなく、自分に出会う多くの対者の身になって考え、悩み、悲しみ、許しあえる“愛の広場”を見つける慈悲の作用です。
この知恵は、私たちの身にもそなわっているのですが、身びいき、身がっての「我見」と「速断病」のために、おおいかくされています。観音さまを念ずると、自然に「速断病」も治り、我見もうすらいで「妙智力」が輝きます。そして、自分も他人も、ともにしあわせになれるのです。
私が幼少のときから、たいへんかわいがってくれた、おせきさんというおばあさんがありました。私の幼名を最後まで覚えていてくれて、「ヤッチャン、ヤッチャン」と呼んでくれたものです。
すなおよいおばあさんですが、戦争で実子夫婦を亡くしたので、他から養子夫婦を迎えました。これもよい若夫婦ですが、五十年からの年代の差から来る「生き方」の相違は両者には苦痛です。
おせきさんは、よく私のところへ、愚痴をこぼしに来ます。私はただ黙って拝聴”します。よく聞いてあげることが、大きな救いとなるものです。
ある日、おせきばあさんは、一枚の懐紙に「一字だけ書いてほしい。その字を拝むと胸がスーッとなる字を書いてくれ」とせがむのです。私は思いあまって「忍」と書きました。
ところが、おせきばあさんは不満です。そこで私は、狭い路上で対向車に出会ったときの話をしました。
おせきばあさんは、はじめてにっこりと笑うと、涙をふきながら、「ヤッチャン、ありがと。よくわかったよ。わたしは、今日から“うきよのバスの運転手さん”になって、上手にバスのハンドルを握るよ。そりゃ、わたしのほうが若い人より長生きしているから狭い路にくわしいよ。みんなが地獄の谷に落ちないように運転するよ、もうヤッチャンに心配をかけないよ!」と、元気に帰ってゆきました。
私は、はっとしました。「忍」を、あれこれと、説明したのに、おせきばあさんは、いとも簡単に“うきよのバスの運転手さん”と、長い人生の苦労の知恵で受けとめたのです。
学問も少ないおばあさんですから、知識でわかったのではありません。観音さまのお知恵がおばあさんのこころを開いたのです。私もまた、おばあさんのおかげで、六十年前に師父から「観音経」を教わったときの、あの一言を思い出しました。
うきよのバスの運転手さんになるよ”との清らかな一言を、私は忘れられません。おせきばあさんは、りっぱな人生の運転免許証を手に入れたのに、私は今もなお「仮免許証」すら、手に入らないのですから。
苦悩の上手な受けとめ方
この点を「観音経」は、さらに、
無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間
汚れのない清らかな知恵は 暗い心に光をともし
すべての災いをふせぎ 普く世間を明るく照らす
「観音経」偈文 598 文字を読む第二部
と説きます。「汚れのない清らかな知恵」とは、不浄に対する清浄というのではなく、汚ないから捨て、きれいだから拾うというようなよりごのみをしない、おおらかさです。幸福に出会うと有頂天になり、不幸に出くわすとシュンとなるようなもろさは、このよりごのみ、すききらいの偏食から生まれるのです。
偏食が人間を弱くするように、自分のいまの境遇にすききらいの観念を持つと、精神も病んで、ますます不健康になります。雨の日には雨の日の趣があるのです。逆境のときに順境のよき時代を空想するから、現時点が苦痛になるのです。
こんなときに観音さまの前に坐って「南無観世音菩薩」と、観音さまをよく見つめて念じてごらんなさい。観音さまを見つめるとは、観音さまに見まもられているあなた自身を発見することです。すると、あなたの中にある観音さまのこころが、あなたを救ってくださいます。暗いあなたの心中がぱあっと明るくなってきます。それが「暗い心に光をともし(慧日破諸闇)」です。
心が暗いと、一身の内外に事故を起こしやすいものです。しかし、事故というものは、どんなに気をつけていても完全に防げるものではありません。人間の力には限度がありますから。できるだけ事故防止につとめるとともに、すんなりと事故を受けとめる知恵が大切です。
じょうずに事故に出会う柔軟なこころを常に養うのが、現代を楽しく生きる方法だと思います。「すべての災いをふせぎく世間を明るく照らす(能伏災風火普明照世間)」を、私はこのように受けとめています。
住友銀行の重鎮であった堀田庄三さんは、いつも、若い社員に”おこるな、いばるな、あせるな、くさるな、まけるな”の五点を、訓示しました。社員は、さらに覚えやすいようその頭文字をとって“お・い・あ・く・ま〟と、座右の銘にしているそうです。
現代人は、とくに“あせるな”と自分自身に言い聞かせたほうがいいでしょう。横断歩道でも青信号を待ちかねていらいらしています。あせりが外へ露われるとおこる・いばるとなり、内攻すると、くさる(自分に)まけることになります。事故もここから起こります。
「忍耐」とは「待つこと考えること」だ
あせるなをひっくりかえすと“待つことができる”となります。ゆっくりと「信号待ち」ができるのです。それについて、ドイツの有名な作家ヘルマン・ヘッセの「シッダルタ」を紹介しましょう。
この作品は「インドの詩」という副題を持ち、第一部と第二部から成り立つ長編です。文学者の森川俊夫氏は「ここに盛られた思想は、ひっきょうヘッセ自身のものであり、ヘッセ自身の生活理想である。主人公シッダルタの遍歴と二重うつしに彼の遍歴が浮かんでくるのは偶然ではない」と解説されます。
主人公のシッダルタは、バラモンの家に生まれた聡明な若者で、釈尊とも出会いながら弟子とならずに遍歴をつづけるのです。そして、ある日、豪商カーマスワミーを訪ねて、次のように対話を交わします。
まずカーマスワミーが、シッダルタに「商人は無代でひとの所有物を受け取りはしない。商人はその代償に、ひとに商品をあたえます」というのに対して、シッダルタは、「おっしゃるとおりだと思われます。人はだれも他から受け、他にあたえます。これが人生です」と答えます。
「しかし、失礼ながら、無一物でおられるあなたは、何をひとにあたえようとなさるのですか」との豪商の反問に、彼は、「わたしは考えることができます。わたしは待つことができます。わたしは断食することができます」と、いいきります。
すると豪商は、「それですべてですか」と念をおします。「それで、すべてだとわたしは信じます」
カーマスワミーは、さらにシッダルタに紙と筆をわたして「何か書いてほしい」と頼みます。彼はすらすらと筆を運んで、紙を豪商に返します。
「書くことはよし、考うることはさらによし、賢きはよし、忍ぶことはさらによし」
豪商は、彼の言葉に驚嘆するのですが、私は「忍」とは、歯をくいしばってあきらめようとしたり、「ならぬ堪忍するが堪忍」という悲壮な覚悟ではなく、この「待つこと・考えること・断食すること」のできる能力が、「忍耐」のすがただと思います。
私は、拙著「般若心経入門」でも、ヘッセの言葉を展開して「考えることは愛すること」であると述べましたが、あせらずに「因縁の熟するのを待つ」ことができるのが、観音の知恵であると申したい。横断信号が、黄から赤に、そして青になるように、時間の経過と周囲の変化を観察しながら、じっと待つ知恵が大切です。
また、相手の身になって考えるのも「忍耐」の知恵です。自分の善意が通らなかったときなど、心中は空しさでやりきれませんが、それに耐えるのが「断食できる知恵」で、あわせて、「観音の妙智(恵)力」とたたえられるゆえんです。
(13)人間の業~あなたを滅ぼす精神の”毒”とは?
種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅
さまざまな悪趣 地獄 餓鬼 畜生
さらに誕生 老衰 病い
そして死の苦しみは(観音を念ずれば)しだいに消えてゆく
~南無地獄大菩薩・南無飢餓仏・如是畜生発菩提心と念ずるこころが、苦難の熱湯の中に冷処を開発する。
梅原猛氏の大胆な「地獄の思想」
さまざまな悪趣とは、くわしくは六つの悪趣六趣のことで、趣は〈おもむく行く〉ということです。人間が、身と口と心で作ってゆく自分自身の歴史の集積(これを業という)のまにまに、人間が運ばれてゆく、迷いの六つの世界の景観であり、そのときの心の状態の表象でもあります。六趣は、また「六道」ともいい、業のために人間が行く道を指向します。
六趣の中でも、とくに落ちこみやすい地獄・餓鬼・畜生を「三悪趣(道)」といいます。怒りを心中に持ち、言動に表わした人の行くところは「地獄」です。
鬼は自分の怒りの幻影で、自分に責められます。怒りが憎しみと直結すると、地獄の「血の池」となります。“血で血を洗う”とは、仲をよくしていかなければならぬはずの血縁者が争うときに使われる言葉ですが、そのものズバリが「血の池地獄」です。
六趣については、恵心僧都源信(一〇一七没、七十六歳)の『往生要集」によく説かれていて、ダンテの「神曲』とともに地獄思想の代表作とされます(源信は、叡山内横川の恵心院に住したので、「源氏物語」の横川僧都のモデルといわれる)。
源信の「往生要集」は、多くの経典から地獄を整理し、深い思索を経て労作したのですから、たんなる空想ではありません。実感をもって訴えます。
最近、梅原猛氏は「地獄の思想」という自著で、「地獄の思想は、もとより釈迦本来の思想ではない。
しかし、彼は地獄の思想を、彼の説を説く方便(方法)として用いたかのように見える」としながらも、なお、「私は大胆な仮説をここにたてる。日本の思想を流れるのは、三つの原理ではないか。生命の思想と、心の思想と、地獄の思想。この三つの原理で、日本の思想史と文化史を大きく総括する試みをしてみようではないか」と、問題を提起しますが、現代人の多くは地獄といえば「交通地獄」か「入試地獄」程度の関心しか持ち合わさぬようです。
源信以前の平安時代の日本人たちも、「やはり地獄を異土と捉える考え方は薄かったようだ。いま、この歩いている道がそのまま地獄に通ずる道であり、あるいはそのまま地獄に変わる現在性がうかがわれる。
それは今日いわれるような、交通地獄・試験地獄などといった比喩的な捉え方とは異なって、地獄そのものの実在を現実のこの場にまで引き込んでくる受け取り方である」(石田瑞麿「悲しき者の救い往生要集」)
これについて、私は地獄は存在すると確信します。ただ目に見える存在でないから感受するか、しないかの差があるだけです。自分に忠実であるなら、どうしても、地獄を感受せずにはおれません。自分に不忠実だと地獄を感受せずにすませます。この地獄の感受性が稀薄になったところに、現代の思想の混乱の原因があります。梅原氏のいわれる三本柱の一本が折れかけたのです。
むしろ、現代人が、現実に受けている苦悩こそ、彼らが軽蔑している地獄にほかならないこと、その苦しみがいかに苛烈であるか、容易に逃れられないのは、明らかに彼らが自分でつくったものであるということ、「容易に逃れられない」といったものの、現代に生きる限り絶対に脱出できぬ問題を孕んでいるということ、逃れられるものなら地獄ではないことを、徹底的に思い知ったら、「地獄」の思想がよく理解されましょう。
地獄の感受性の有無と、地獄の存在の有無の議論とは別です。地獄の有無の論争に熱をあげること自体が、すでに地獄の一つの景観であるからです。
三遊亭円朝(一九〇〇没、六十一歳)は、近代落語の口演の名人であるだけでなく、史実をあさって多くの名作を書き、自演もし、講演落語速記をはじめたりして、近代文学へ影響を与えました。また山岡鉄舟から禅も修めた異色の人ですが、彼が使った話の「枕」に、「ごく大昔に「断見の論」というのがあって、眼に見えない物はないにちがいない、と説きました。
すると、そこへ釈迦が出て、お前のいうのはまちがいだ。ないというほうが迷っているのだといい出したから分らなくなりました」(桑原武夫編「一日一言」)
というのがあります。「ないというのも迷い、あるというのも迷い」とは、目に見えないものの存在の有無にこだわると、大きな間違いを起こすことを注意しているのです。地獄の有無に執われている限り、地獄を感受できないでしょう。
獅子がわが子を谷底に落とすのも「地獄の愛」
地獄の不感症、つまり、自分自身に忠実でない者が、地獄の有無を問うのは無意味です。しかし、何とかして感受させたいとの古人の親切は、きわめて濃やかです。
本書でたびたびおなじみの白隠禅師に、若侍が、地獄の有無を質問すると、「見うけるところ、りっぱな武士だが、地獄の有無がわからんようではたいしたもんではないな!あんたのような武士を刀架けの糞ぶくろというのだ!」と口をきわめて罵ります。はじめは耐えていた若侍も、ついに怒って抜刀しました。白隠は勝手を知った自分の寺です。巧みに逃げながらも、なお、罵言を浴びせるのです。若侍はついに禅師を本堂の一隅に追いつめ、「動くな!」と、切り下ろそうとした刹那、禅師の裂帛の一言が飛びました。「そこが地獄だ!」
若侍は頭から冷水を浴びたように気づきました。一瞬の怒りから、名だたる高僧白隠を殺傷したら、家族や自分はどうなる。主君に対しても不忠の臣となるではないか、ああ、怒りこそ恐ろしい地獄であったと気づいたので、「わかりました!」と刀を投げすて、両手をついて詫びると、それに応ずるかのごとくに春風のように和やかな禅師の声が彼を包みました。
「そこが極楽だ!」――。
この逸話を軽く処理してはなりません。聞く若侍も命がけなら、答える禅師は、なおさらです。生きるか死ぬか、知るか死ぬかの絶体絶命の境に立たぬ限り実感されぬ問題です。
この白隠に「地獄大菩薩」という雄渾な墨蹟(高僧の筆跡)が、静岡県沼津市原の松蔭寺に所蔵されています。一点一画に白隠の素晴らしい禅の力量を感じ、いかにも「地獄」の呻きが伝わって来て、見る者もまた呻かずにはおれぬほどの神品です。
白隠は、少年時代から地獄を恐れました。母と入浴中に、燃え上がる炎とたぎる熱湯に「地獄草紙」を連想して泣き出してやまなかったほどです。これが縁で後に大悟した白隠です。この白隠の逸話であり墨蹟ですから、人に迫るものがあるのは当然です。
人生を、要領よく渡る限り、地獄は感受されません。真剣に生きれば必ず地獄を感受します。感受したらじたばたせずに対決するのです。床の間の白隠の墨蹟に対するがごとくに、じっと凝視するのです。
観世音菩薩は、いつも私たちが期待するような形で、私たちを救済してくださると考えた甘すぎます。私たちを奮い立たせるために、私たちを苦しめ、憎むという思いもよらぬコースから向かって来られます。
いつも頭をなでてやさしい言葉で親は愛してくれるとは限りますまい。ときには烈しく叱外へも追い出すのです。獅子は、わが子を谷底へ蹴おとすといわれるではありませんか。それが「地獄の愛情」です。
逆境もまた観音さまから恵まれた慈悲です。観音さまは、三十三身に変化して説法されます。それは、いつ・どこ・誰もの中にも(みんなをしあわせにしたい)との誓願となって埋みこめられているという事実にほかなりません。だから、地獄と化して救済されるのは当然です。
地獄という様相で私を救ってくださるのだと目をあけ、恐ろしさ・口惜しさ・悲しさが、そのまま救いだと「南無地獄菩薩」と大声で何度も唱えてごらんなさい。地獄をも観音さまの浄土だと感受できたら、あなたの逆境の意味するところが必ず納得できます。
観音の「思惟」とは「深く考えよ」の意味
地獄の有無を論ずる暇に、いつかは出会う地獄をも「南無(信ず)」する心根を養うほうが賢明です。それが地獄の存在をあげつらうあなたに明確な解答となります。また、多くの意味で地獄の苦難を脱する力ともなり、よろこびともなります。ここを観音さまは「印相」で私たちにブロック・サインを出しておられるのです。
如意輪観音さまの右の第一手は、頬にあてて首を少しかしげておられます(8ページ写真参照)。人間でも右手がいちばん忙しい動きをします。この多忙な手を頬にあてて思考する時間を持ちなさいとのお指図です。
人間は葦のように弱いものだが、考える葦である”とは、よくいわれるパスカルの言です部が、今は”弱い”どころか、人間に“不可能はない、強いのだ〟と自信過剰になり、考える第能力を放棄してすぐに行動に訴えるのです。また、「自分の感情を大切にしなければいけない」といいますが、他人の感情を思いやろうとしないから、人間関係が愛でなく、憎しみを 960 よりどころにするようになりました。
観音さまの「思惟」のサインは、“よく考えを高め、思いを深くせよ、思うが上にも思え〟です。
老人を見たら、自分の未来をそこに思え、幼き者に会ったら、自分の過去をそこにみよ、他者の中に自己を感じよ、人世には文法でいう第二人称も第三人称もない。現在進行形の第一人称の自分の問題として受けとめよ、いま・ここ・自己として考えよ!とのサインです。「観音経」の「爾時」は、そのときがそのまま「このとき」で、あなたの現時点なのです。
このように、人間は思考するときを持つのが大切です。このためには、観音さまに限らず、久遠なるもの、目に見えぬものに、有限で有形の自己を見すえてもらう心の用意が必要です。
教育評論家の金沢嘉市先生と対談したおり、「こんな話があるんです」と先生から紹介されたお話があります。
「算数の時間に、先生が「リンゴが四個ある。これを三人で分けるにはどうするか」と問題を出した。一人の子が手をあげて「一人一個ずつ分けて、もう一つはほとけさまにおそなえする」という。先生は「だめ!」とやっちゃったんです。残念なんです。
算数の時間だから、先生は一ヶ三分ノ一ずつという答えを要求したのはわかるが、そこで「おまえは、いいことをいうなあ」となぜ言ってくれなかったか。あるいは「ほとけさまにそなえてから、もう一度持ってきて四個になった。それを三人でわけたら」というようにいって欲しかったですね」(全青協「おしえの泉」956号)
金沢先生が嘆じられるように、こうした心情教育は学校ではできないようです。家庭こそその場なのに、家庭にもそのコーナーを見ないようになりました。人間が人間とだけしか交れないのはお寒い限りです。人間は目に見えないものとの交りをもって、はじめて人間同士が楽しくつきあえるのです。
この点を忘れた心の隙間が、地獄へのけもの道となりました。この点に気づいたあなたは、いますぐに、この心の隙間をふさいでください。
地獄の苦を「しだいに消滅する以漸悉令滅)」ということです。
「餓鬼」とは永遠の欲求不満のこと
次の「鬼」つまり「餓鬼」も六道の一つで、福徳の乏しいものがいるところで、いつも飢と渇きに悩まされています。たまたま食を得ても、口の傍まで持ってゆくと、たちまち火炎を発して食べることも飲むこともできないのです。
六道は六趣ともいうことは、すでに述べましたが、また住むところの意味で「六界」といいます。私たちの心の好まぬ状態の世界ではありますが、観念的に流してはなりません。なぜなら人生の実景なのですから―――。
源信の「往生要集』には「物おしみをし、貪り、嫉み、妬くものが堕ちる」とされ、五百年間にわたって苦しまなくてはならぬと記されています。いろいろの意味で今日こそ『往生要集」を読む必要があります。
「鬼」は人間が死後に供養されないときになるものだと古代インドでは考えられましたが、仏教の経典では、地獄の番人の鬼や夜叉や羅刹などの凶暴性のものを餓鬼同様に「鬼」と総称しています。
また、鬼は外界にだけでなく、私たちの心中に住んでいて、ときどき私たちを内面から迷わせます。あるお寺の掲示伝道板で「ほんものの鬼は、人の面をかぶっている」と教えられたことがあります。鬼はまた、永遠に生きのびます。
「誠ニ知ンヌ、悲シキカナ親鸞、愛欲ノ広海二沈没シ」「教行信証』信の巻)は、現代人の嘆きそのものです。
餓鬼は、飢渇で悩むとともに、飢渇が満たされても、なお満足できぬ欲求不満をいいます。それどころか、十分に満たされていることに言いようのないいらだたしさを持つ人のことで、現代語のガメツイ・イライラ・ギスギス・カラカラといった一連のカタカナで象徴される心情が「餓鬼」です。
「地獄草紙」に見る餓鬼の表情は、これらを明らかに示しています。怒りのために毛髪は逆立ち、眼は血走り、爪は長くのびて、掴んだら放さない猛烈さが図柄になっているのは、見るのも恐ろしいくらいです。
またノドは極端に細いのに腹はずばぬけて大きく、しかも空っぽです。ノドが細すぎて腹が大きすぎるとは、永遠に満腹することのない欲求不満の象徴です。かたはしから掴みとっても、なお満足しようとしないのが餓鬼です。
さらに、餓鬼は飲食物を口のあたりに持ってゆくと、みな炎となって口に入れることができない悲しみと苦しみに責められます。これはけっして荒唐無稽のつくり話でなく、人の好部意を好意として受けとれず、すべてを悪意と解して自分も苦しみ、他者をも苦しめる自我意第識の強い人のことです。
釈尊の教えに登場する怪獣は、現代のマンガと違い、いずれも苦悩と思想を持っていま 20 す。しかも、ショー的存在ではなく、いずれも自分自身の投影なのです。餓鬼のすがたと心情を学んで、よそごとでない、わが姿にほかならぬとの痛みを実感できたら、餓鬼道に住みながらも安らぎが保てるのです。
ということは、まず自分だけが「脱餓鬼」をして楽になろうとのエゴ的なガメツサを反省します。すると、他の苦悩に同化し、呻吟しながらその重荷を少しでも担ってあげようとの利他心が生まれます。それが苦の海の中にあって苦に沈まないということです。
「飢餓仏」は私たちの姿人間の原点
餓鬼は「足ることを知らない」心情です。すると、餓鬼の苦を救うには「足ることを知る」英知を身につけることです。欲望に流される現代人は、欲望とは、終止符も読めず、停止信号も無視する暴走車であることを知らないのです。
たしかに、人間の欲望の満足を追求するところから文明は発達しました。しかし、欲望の性格としてブレーキを持たないから文明は暴走をはじめて、すでに車止めも突破してしまいました。人間が作った文明が、今では食人鬼になっています。この文明にブレーキをかける術を学ぶのが何よりの急務です。欲望追求は文明を生みましたが、足ることを知る英知は文化を生みます。
私たちが、観音を信心するのは、この英知の目ざめを願うのです。文明と文化の協力がなければ、人間は正しい幸福な生活はできません。人間の貪婪な知識を、みずから制御する高次の人間のはたらきが知恵の力です。観音を念ずれば、自然に欲望に「待った」をかけることができるのです。
さきごろ、タイ国から帰った人が、かの地で拝んだ「飢餓仏」の印象を話してくれました。等身大のブロンズ像で、やせほそった身体に露出する肋骨が一本一本すけて見えるいたいたしさが、きわめてリアルに表わされていたそうです。
とくに、その口は空に向けて悲しげにあけっぴろげておられるのを見たときの苛烈な感動を、身ぶるいしながら語ってくれました。
飢餓仏なんという厳かな名でしょう。現代の日本人は食物には飢えていません。しかし、ただ食べて自動的に生存しているだけで、胸中を空しく風が吹きぬけているのではないでしょうか。
飢餓仏… それは、私たちの姿です。仏像は人間的な苦悩を離れずに、しかも人間を超えた悲しみと美しさをたたえた人間の原点を表わされたものです。心がうつろになると、肋骨がすけて見えるように、胸中の醜い考えが外からまる見えになります。
観音さまは、ここでブロック・サインで救いを指示されます。右の第二の手に「如意宝珠」という宝玉を持たれるのがそれです。
如意は、もとはインド人の持つ孫の手(背中をかく道具)で、”思うように”の象徴です。欲しいものを何でも取り出して願いを適える宝の珠です。右の第一手は思惟のサインを、そして第二手の宝珠の印契のブロック・サインは、私たちに何を教えられるのでしょうか。
欲の深い人は、施すことを嫌います。施すのは、損をすると思うのでしょうが、それは誤りです。「呼吸」とは、呼くこと・吸うことですが、「呼く」字が先行します。坐禅のはじめには、体内の空気を全部呼き出します。まず呼くことを覚えるのです。
同様に、しがみつくことよりも手から放すことをさきに学ぶのです。死んで持ってゆけるものは何一つないのだ、おちついて腹をすえよ、ということです。ここに与えよ、与えることが与えられることだよと、観音さまはその人を凝視されています。
観音さまを念ずるなら、観音さまのこころを読まねばなりません。でないと、ブロック・サインを読みそこないます。観音さまのこころは、いつでも「人々よ、しあわせであれ!早くめざめよ!」と念じつづけられるのです。
如意とは、思うように背中がかける孫の手だと申しました。そのように、かゆいところに手の届くように人に親切にしなさいということです。
この尊いこころを貯えている宝珠こそ、ほとけに願望を求めているあなた自身のこころではないか-との指示です。いうなれば如意宝珠とは、自由心・自在心です。観世音の別名「観自在」を象徴するのもこの宝珠です。
「毎日が悲しく、毎日が楽しい・・・・・・」
昭和十二年のことです。私は、故人となられた先輩にあたる中野東英師とともに、東北管区の国鉄従業員に講演に行き、天童温泉に一泊したことがあります。そのとき、私たちの受持ちの女中さんの態度が素晴らしく、それはサービスというようなものでなく、心からの接待ぶりに旅の疲れもとれて、「苦労を重ねた女性だ」ということを私たちは痛感しました。
翌朝、お茶を持って来てくれました。ふと見ると、二人の客なのに三つの茶わんにお茶をいれ、二つを茶托に載せて私たちにすすめ、一つをそのまま火鉢の側において、そっと合掌第するのです。中野さんも不思議に思ったのでしょう。理由を聞くのですが、恥ずかしげにうつむき、首を左右にして真相を明かしません。
ようやく、彼女が、当時まだ「支那事変」といっていましたが、その遺族だということがわかりました。覚悟はしていたが、遺骨を前にしたときは、幼い女児を抱えて目のくらむ思いだったといいます。
その後、すすめられて旅館づとめをします。つとめは苦しくないが、「亡夫はお茶ずきでした。しかし、奉公の身では仏壇を女中部屋にまつることもできず、墓参も怠りがちで、自由にお茶が供えられないのが悲しいのです。私は観音さまを信心しますので、お客さまにお茶をさしあげるときは、心に観音さまを念じて、お茶をつがしていただきます。火鉢の傍らのは亡夫へ供えるお茶でございます。失礼お許しください」と両手をついて詫びる彼女の双眼にあふれるものを見て、私たちはぐっと胸にこみあげるものを感じました。
私たちは、こもごも慰めつつも教えられたのです。観音さまにお茶を献じるこころで、一夜の旅人にお茶をすすめ、亡夫にお茶を供えるこころで客に接するまごころが、彼女の人生を支えているのです。なまやさしい奉仕でない理由が判明しました。
私は「観音の行は無数のほとけに侍えて、清らかな願いをたてた」と紹介しましたが、彼女は毎日のお客に仕えてこの清らかな願いを実行しているのです。奉仕ではなくて「供養」です。客に供めつつ自他のこころを養っているのです。中野さんと私はこもごも申しました。
「人間は、運命につくられつつ運命をつくってゆくもので、それが業です。あなたの身のこなし、言葉の調べ、心のかまえ方で、これからのあなたの運命が展開してゆくのです。あなたは悲しい業を担っているが、あなたのおかげで、私たちは昨夜からずっとしあわせです」と手を合わせていうと、彼女も合掌して大きくうなずきながら答えてくれました。
「ありがとうございます。私は、毎日が悲しいのですが、毎日が楽しいのです」と。毎日が悲しいが、毎日が楽しい、とは矛盾のようだが、実はこれが人生を真剣に生きる者の実感でしょう。自分の経験した業苦を縁として、自分の出会う身近の人によくしてあげようとのつきせぬ願いが如意宝珠です。
このブロック・サインをこころで読めると、欲しい、惜しい、つかみたいとの生活をしながら、しかも人間性にめざめた生き方ができるのです。
「畜生」とは尊厳な生命に無自覚のこと
三悪趣の第三が「畜生」です。梵語でティルヤンチといい、傍生・横生とも訳されます。人間の傍芽のように横に派生する意味です。畜生の字義は〈人に畜われて生きるもの〉ですが、源信は「往生要集」で「悪業をつくり、愚痴の多いものが死後に生まれるもの」と教えます。
私たちは、よく「万物の霊長」といいますが、釈尊は「人間は万物の霊長でなく、万物の中の一物」と教えます。従属関係でなく、同朋関係にあるのです。私たちは、また「犬猫」とか「畜生」といいますが、彼らも本来は人間にほかならぬものです。他者ではけっしてなく、ある日、あるときの自分のすがたにほかなりません。
この点、他の宗教が人間と動物間に絶対的段落を設けているのと違います。万物の霊長と自選するのでなく「一切衆生生きとし生けるものみなすべて」と同列に人間を置くのです。
したがって「動物愛護」という恵む立場ではなく、いわゆる畜生を「悉有仏性」の「信」で敬愛するのです。
「悉有仏性」は、釈尊のさとりの内容で、仏教の世界観です。この「観音経」が収録されている「法華経」につづく「涅槃経」に、「一切衆生は悉く仏性を有す。如来は常住にして変易あることなし」。つまり、「すべて生あるものは、みなほとけのいのちを持つ。ことごとく、ほとけとなるべき本質をつぶさに持っている。このゆえに如来に等しい。如来に等しいから常住にして変易(かわることはない」という教えに基づくのです。
行基菩薩(奈良時代の高僧、橋をかけたり池を掘ったりして世につくした。七四九没、八十二歳)の歌といわれる「ほろほろと鳴く山どりの声聞けば父かとぞおもう母かとぞ思う」にこの真義がこめられています。
また、最近まで念仏行と窮民救済に一生をささげた浄土宗の颯田本真尼(一九二八没、八十四歳)は弟子たちに、「路傍で、犬や猫や牛や馬に出会ったら、次の世はよい人間に生まれられるようにお念仏を唱えなさい」と教えられたのも、この道理からです。
石田瑞麿博士は、「人間と畜生とは、たまたま、いまこの生において、そのような姿をとって異なっているだけで、実は大差はない」(同氏著「悲しき者の救い」と意味深い極めをつけておられます。人間と畜生は共同祖先を持っているから傍生・横生と漢訳されたのです。
以上の仏教の教義を人間の生活に接点を求めるなら「互いに他を餌食(犠牲)とし、害しあわなければ生存できないと思いこみ、真のいのちの尊さを自覚していない状態」にあたります。
したがって、人間と犬猫との別なく「いのちあるものが、それぞれほとけのこころを保有しているのに気づかずに、ただ「生存」している」無自覚状態を指向しているのです。さしあたり“人間じゃない”という言葉がこれにあたるでしょう。
人間じゃないそれは人間であって、人間らしからぬものを内包しているまた、それであるから人間と名づけられるのですが点に気づかず、したがって、痛みも悲しみも感じないのです。
本能のままに、何の反省もなく動きまわるのが畜生です。彼らは性本能のままに行動しますが、「交尾期」以外はあまり衝動的行動に出ないのも、すぐれた本能でしょう。しかるに、人間は性本能は持っていますが、制圧本能をどこかへ置き忘れています。自我を満足させ、本能を充足させるだけに一生を動きまわったら、心の安らぎもなく、厳密な意味での満足はけっして得られないでしょう。
ここに、永遠なるもの、今の場合、観音さまに念じて、畜生心をセーブするのです。自分で自分を抑制できない恥じらいと悲しみを持って念じつづけるなら、「しだいに消滅する以漸滅)」のです。
傷つけあわねば生きられないか?
源信は、さらに畜生の特徴に、愚痴と恥知らずをあげます。愚痴とは「知らなければならぬことを知ろうとせず、知らなくてもよいことは、教わらなくてもよく知っている」ということです。その意味での無知です。
いわゆる畜類は「自分が生きているとはどういうことであるか、何によって生かされているのか、いのちとは何か、生きるとは、久遠の願いによって生かされている事実を、知らないし、また知ろうとの意欲を持たない」のです。
現代人は、とかく、どうでもいいことはよく知っています。しかし、大切なことを知ろうとはしません。ただ「空しく生きている」に過ぎないので、この「現代のような生き方」を「畜生」というのです。
畜類は、害しあい、傷つけあい、殺しあわなければ生きられない。ときには、共食いをしても恥と思わず、そのつぐないをしようともしないのは、永遠のいのちを知らず、生かされ生きる大切な事実に無知だからです。この点は、遺憾ながら、現代の人間社会にも明らかに見られる現象です。
今は、個人だけが地獄に堕ちているのではありません。政党も、組織も、マスコミも、宗団もそれぞれ害しあい、傷つけあっている地獄図絵です。「観音経」を読むとき、つくづく 20 このことを思い知らされます。みんながしあわせになるために正しい生き方にもどるように、個人だけでなく、社会全体が、国ぐるみ救われるように、畜生を脱皮して人間に帰らなければなりません。
観音さまは、このとき次のブロックサインで教えを説かれます。
如意輪観音の右第一手の「思惟」のサインは前と同じです。この思惟のサインは、いつでも出されているのですが、目先のことばかりに気をとられると、つい見落としますから注意が肝要です。「常によく考え、深く思うこと」と、絶えず自分に呼びかけるのです。
つぎに、観音さまは、右第三手は、数珠でサインをしていらっしゃいます。数珠(ずず・念珠ともいう)は、私たちが、ほとけを礼拝するとき手にかける、念仏の数を数える用具です。珠の数は、百八(無数の意)の煩悩を静める意味で百八個が原則です。“心を静めよ。おちつけ”のサインです。
命の重さは風でも人間と同じ
念仏といえば「南無阿弥陀仏」と唱えることだけのように思われますが、それに限りません。真理を心に念ずること、この真理を表象した仏の名を念ずること、さらに口に出して唱える(称名・唱名という)ことをいいます。要するに、あなたが信心する仏・菩薩を念じたらいいのです。
本書の場合は、「観音さま」を念ずるのです。何べんでも数珠を手にかけて念じつづけると、心がだんだん静けさを取りもどします。かくて畜生の苦しみが、しだいに薄らぐのを、この経文は「以悉滅」と証明します。
私が戦後、巣鴨プリズンに戦犯の人々を訪ねたことを記しましたが、そのとき、手製の素朴な数珠を持っている旧軍人に会いました。若々しい青年ですが、ときおり食事に配られる梅ぼしの種を隠し持ち、ひそかに穴をあけ、作業のときに拾ったヒモをつなぎあわせてそれに通してつくったのです。
「心が荒れてどうにもならぬときに、これをつまぐりながら、念仏を唱えます」と静かに語ってくれました。「わがこころおじゅずのまろさとおぼえけり」とは、そのとき彼が口ずさんだ句です。「わがこころおじゅずのまろさ」と覚え、覚めたとき畜生のような心は昇華するのです。
私たちは、犬猫を葬るとき「如是畜生発菩提心」と唱えます。「このような畜生でも、どうぞ菩提心(さとりを求める心)をおこすように」との願いです。それは、そのまま私たちの畜生心が正しいこころに生まれかわるように―との切なる願いにほかなりません。畜類と人間は、ともに万物中の同朋であり友人です。
いや、行基菩薩は「父とも母とも「思う」のです。現代人でも、戦争中の軍歌の“取った手綱に血が通う”に共感が持てるでしょう。とかく、畜生に堕ちやすい私たちは、畜類を心から愛護する以上に、「同じほとけのいのちを持っているのだ」と敬愛してゆけば、人間に宿る畜生心はだんだん高められてゆくのです。
とくに、悲痛にうちのめされた人間は、畜類の中に大きないのちが拝めるようになるものです。小林一茶(一八二七没、六十四歳)は、わずかの間に妻と四人の幼児を亡くします。
すると、今まであまり関心を持たなかった、周囲の生きものを見る眼が変わってくるのです。
「生きとし活けるもの、蛍虱にいたる迄、命惜しきは、人に同じからん」(一茶『おらが春』)
生きとし活けるもの、それは仏教でいう「衆生」です。命惜しきは人に同じ…という万物中の同朋友人として愛と悲しみをともにすることができるのです。颯田本真尼は、道ゆく牛馬にも念仏を唱えよと教えましたが、禅者も「鳥類畜類に至るまで、合掌礼拝の心で「愛護せよ」といいます。
いずれも観音さまの右第一手を頬にあて、右第三手に数珠を持った「思惟」と「念仏」のブロック・サインどおりに生きてゆくなら「畜生」に堕ちることなく人生を歩めるのです。
昔は、亡き人の冥福を祈って観音さまやお地蔵さまを石に刻ませて、街道や墓地に建てたのも、生き残った人も畜生や地獄や餓鬼道に堕ちないようにとの願いにほかならないのです。
馬頭観音さまもそうです。「馬の病気と安全を祈る」ために信じられたともいわれますが、畜類の馬をも観音さまと拝む心情が、人間の畜生心を昇華するのです。この素朴な信心の中に、深い人間性を感じます。
選ぶ自由のない関係「親と子」
「種種諸悪趣地獄鬼畜生」―さまざまな悪趣、地獄・餓鬼・畜生と、三悪趣の難を説く「観音経」は「生老病死苦」誕生・老衰・病気、そして死のいわゆる四苦と対決します。
昔から、四苦のうちの老病死については詳しく説かれますが、生の誕生苦があまり見られ 20 ないのは、どういうわけでしょうか。釈尊も居城を脱出して出家された直接の原因は、老人病・死人にめぐりあい、最後に修行者の粛然とした姿に魅入られたとの説話がありますが、「生苦」は表面に出ていません。
もっとも、釈尊は生後七日にして生母と死別された悲しみは、いつも胸中に黒い影となっていたに違いないのですが、やはり生苦より死苦が先行したのではないでしょうか。釈尊が、「生苦」をはじめて取り上げられたのが、処女説法(初転法輪という)の地、鹿野苑と思われます。
私は、「生まれる苦」とは、親を選ぶ自由のない子と、子を選ぶ自由のない親との出会いを、不思議な事実とも、厳粛な事実とも考えないところに生じるものだと思います。親を選ぶ自由がない、との厳粛な出会いを痛感したときに、親への謝念が生まれます。
子を選ぶ自由がないとの不思議な出会いをかみしめると、子への謝念が生まれます。親の恩はわかっても、子の恩はわかりにくい。なぜなら、親は子どもへの恵みを意識するときはあっても、子は無意識で親にふれあっているからです。
それだけに、子どもの恩は尊いのです。とくに早世した子ほど、親に生きることの尊さ、人生の意味を教えてくれます。子どもの恩がわかるときが、本当の親になれたときです。親自身が、自分たちの親の恩に目ざめたときですから。
私の母校の御田小学校は、近く、創立百周年を迎えます。先日もその準備会で、一人の同窓生が、「義務教育は、原則として入学校を選べないから、とくに厳粛感を持つ。上級学校は選択できるが、小学校は原則としてそれが許されないから、僕はとくに関心を持つ」といいましたが、出会いの不思議を痛感しなければ、こうした発言はできないでしょう。
親子ともに選びあえぬ厳粛にして不思議な出会いだから、昔の親は神仏に「子を授けてく「ださい」とか「安産させてくださいますように」と祈念したのです。出会いは、人間のはからいを越えるものであるから、人間を超える大いなるものからの凝視と、加護を願わずにはおれないのです。純粋感情がほとばしらずにはおれないのです。
私とは「空じられた存在」である
私事ですみませんが、私も両親が観音さまに念じて生まれさせてもらったのです。私の住職するこの龍源寺は、「江戸砂子」や、「江戸名勝記」のような古い書物に「龍翔院(龍第源寺の旧称)に水月観音堂あり」とあり、享保年間(一七一六~一七三五)には、江戸三十三所霊場の第二十四番に列し、延享二年(一七四五)には二十番札所だったようで、当時の札所標識の石柱も現存しています。
この観音さまは如意輪観音で、いつのころからか安産観音・せ観音といわれてきました。この観音さまに父母が祈念して私は生まれさせてもらいました。
私を育ててくれた継母は、私が小学校へ入るころになると、私にお仏飯(ほとけさまにお供えするご飯)を供える役をさせました。弁当を持って登校するようになると、弁当のまん中の梅ぼしのそばに、お仏飯の幾粒かを入れて、「お前がたっしゃで学校へ行かれるのは、のの(ほとけさまのおかげなのですよ」と、毎日私に告げたものです。今でも、そのときの声が耳に残っています。
私は、何か一身上に問題が起きると、継母の声に引かれるように観音さまに手を合わせます。さきごろも『般若心経入門」を書きながら行きづまると、観音さまと師父と生母、継母、夭折した孫の霊に合掌して加護を訴えます。
すると、不思議と道が開けてくるのです。ちょっと考えると意気地がないようですが、実は、「おれがした」「誰の世話にもならん。おれが一人でやったのだ」という自我心の強さや自信過剰を根こそぎ奪い去ってくれるのです。目に見えぬ大いなる力と、死んだ親たちから赤ん坊までが協力してくれたおかげで、小さな「私」など影も形もないのです。
私というものは、「心経」でいうところの「空じられた存在」だから、こだわる何ものもなく、ふわっとして、みんなにお礼がいえて楽しいのです。
「上手に歳をとってゆきたい」
次は、老苦と対決する人々への観音の救いです。文明と医学の進歩は、はからずも今までに経験したことのない大きな社会問題として「老人対策」を取りあげなければならなくなりました。しかし、まだ十分な解決策は講じられていません。この点でも新しい性格を持つ「老苦」に、当の老人層はもとより、社会も、国も対決しなければならないのです。
人間が生きているということは、大いなる力に生かされて生きているのです。同様に、人間は、大いなる力に老いさせられ老いてゆくのです。他人が老いるのではなく、自分が老いるのです。ここに、自分で自分を大切にして歳を重ねる学習が大切となります。
妙心寺の前管長で九十八歳の長命で、亡くなる数日前まで布教の旅をつづけられた古川大航老師は、多くの弟子はあっても、家族は一人も持たない方でした。それだけに「老」の事実をよく凝視して、私にも「老人にあったらなぁ、上手に歳をとるようにと告げてくれ」といわれたものです。
「上手に歳をとるように–」とは、実に含みのある願いです。良寛さまは「病気のときは、病気になるがよろしく候」といわれたそうですが、その意味を展開すると、「老人になるがよろしく候」となります。老境になっても「わしの若いときは……」という言葉が出たまだ老人になっていないのです。この心のズレが悩みを招くのです。
古川管長は、その後、私に「わしも、上手に歳をとるようにと自分に言い聞かせているが、上手に歳をとることが、どんなにむつかしいかを、このごろやっとわかったなあ。人間は死ぬまで学ばなければならんなぁ」と、しみじみいわれたときは、私も胸がしまりました。百歳に手が届く高齢になり、一宗派の管長という最高職にあって、なおこの述懐があるのです。
この「学び」は学問的なものではないでしょう。身のこなし・言葉の調べ・心の構えを学ぶことでしょう。観音さまは、どのように「老い方」を教えてくださるでしょうか。観音像をご覧ください。
如意輪観音の右第一手の「思惟せよ」のサインは不変不動です。左の第一手にご注目ください。このお手は、大地を静かに押さえておられます。大地のように揺らぐな、ということです。
あなたが言わなくても大地は何でも知っています。大地は、人に踏まれながら人を育てます。人は生きて、ついに土に帰る、ということです。
この左第一手だけではありません。これまで述べてきたすべてのサイン、さらにこれからも学ぶサインのどれもこれも、あなたの現在に引きあててごらんなさい。あなたの過去の人生が複雑であればあるほど、複雑なブロック・サインが生き生きとあなたの心に呼びかけます。そしてあなたの心中にも、それに応えるものがもくもくと起きてきます。
このサインを自分の身に引きあてながら、社会、政治の問題に取り組むのです。他を責めるだけだったり、反対に卑屈に過ぎることは、ともに上手に歳をとることにはなりません。下手な歳のとり方です。
大切な自覚人間とは病む者である
苦につづいて病苦と死苦との対決です。病苦は生命あるものは、すべて負わねばならぬ苦しみです。たんなる肉体苦のほかに、人間には精神苦が重なるから、二重の負担となります。
私も若いときから、いろいろな病気をしました。一通りの病気をやってきただけに、なまじっかの医学知識を覚えて、ますます病気が長引くのです。学生時代に腎臓炎を患ったと 20 きなど、病床で自分で尿を試験管に入れて蛋白の分量を計っては、一喜一憂したほどです。これでは治りがおそいのは当然です。
ついに、お医者さんが私に、「どうだ君、一つ分業で君の治療にあたろうじゃないか。僕は専門の医師だから君の内臓の病気は引き受けるから僕に任せろ。しかし、君の神経は僕には手術ができんから、その処理は君に任せる。さあ、二人して手分けしよう」と持ちかけたのです。
この一言は応えました。良寛さまの「病気のときは病気になるがよろしく候」が、さえざえと私の心によみがえったのです。
それからは、病気になるたびに、この「病める者の知恵」を発揮できるようになりました。たまたま病床で、鎌倉円覚寺の管長だった釈宗演老師(一九一九没、六十一歳)の『観音経講話』を読んでいると、陸奥宗光(一八九七没)のお嬢さんが話題になっているのを知りました。
陸奥宗光は、日清戦争(一八九四~九五)後の馬関条約に外務大臣・全権大使として伊藤博文とともに調印した人で、剃刀大臣といわれたほどの大政治家です。この会議中に、かねてから病床にしていた娘さんが重体になります。調印式をすませて急いで帰ると、娘さんが苦しい息の中から、「お父さん、私は死んだらどうなりますか?」と聞くので、剃刀大臣といわれた陸奥さんも答弁ができないのです。
やっと、「お父さんにもわからぬ。ただ君も知っているように、お母さんが君の病気以来、観音さまにお参りして、君の生き死にを観音さまにお任せしている。私たちは、それで安心している。それよりほかにしようがない」とありのままを答えるのです。娘さんは、この答えにホッとして観音さまを念ずるのですが、まもなく亡くなります。
私もこれを読んで気は楽になりました。同時に、このことは健康なときに十分考えなければならないことだったと思い知らされました。病気のときは病気になるがよろしく候は、健康時には知られぬ病中の人生の風光を学ぶとともに、健康時に、健康を誇ってはならぬ。
人間は病む者であるとの自覚を曇らせてはならない、ということでしょう。「おれは、どこも悪くはない!」と思い上がる人間は、病んでもけっして病人にはなりきれないのです。あわてて「命ごい」をするぶざまなことになるのです。
「こわがらずに老いよ、恐れずに行け……」
作家の若杉氏は、そこをふんまえて、
「多くの人たちは、長生きがどうぞできるようにと祈るけれども、終点の死というものは、どのように解決しようにも、事実としては絶対に避けることはできないのだ。如来さまでもどうにもならぬ。むしろ、どうともできないとわかるのが仏の知恵ではないのか……」(「眉間の光」在家仏教一〇八号所載)
この絶体絶命のとき、観音さまがあなたをみつめる目と、あなたが観音さまをみつめる目が出会うのです。「凝視」は、最高の安らぎを与えます。たよりないようですが、ぎりぎりのところは凝視以外にないのです。
人生は、重大なときはいつも孤独です。生老病死はもとより、入学試験でも入社試験でも孤独で対決しなければなりません。そんなとき、どこか遠くで見守っている「視線」を感じたら心が安らぐのです。
試験場で見うける風景ですが、「お母さんはここまでです。あちらの控室であなたを見守っているから、元気で行っていらっしゃい」と見送って、わが子をみつめるでしょう。この視線を背中に感じ、母子の凝視の出会うところに安らぎがあるのです。
数年前の毎日新聞の歌壇賞を得た照井親資氏の歌が「豊かなる念いに通う母の笑み言葉なくして見守られつつ」でした。故窪田空穂先生は、「豊かなる念いは宗教に生きる人の心境であり、また理想としている仏法の境地と思われる。作者は『母の笑み」に現世でのほとけを観ているのであろう。
下旬の『言葉なくして見守られつつ』に、この境地がしっかりとつきとめられている。母が子に対する甘さではなく、高いものに観られている自己を自覚している。宗教の心であろうか」と評しておられます。「高いものに観られている自己を自覚する」の一言の含みの深さ。この凝視がないと人間は不安なのです。
唐木順三氏が「先生に見られているということが、一方では恐ろしく、他方では励ましになった」といわれましたが、誰しも経験のあることです。観音さまに凝視されていると自覚できると、老いるままに静かに老い、縁のままに、静かに別れのときが迎えられるのです。「以漸悉令滅」の「観音経」の五字が、大きな安定感をもつゆえんです。
観音さまが「思惟」のサインをされるとともに、左手を胸のあたりにあげて「無印」のサインをあわせて示されます。
そして、じっと凝視されるのです。
「こわがらずに老いよ、恐れずに行けよ!恐れはしだいに薄らぐぞ……」
(14)厳しいこと・美しいこと~どんな心構えが必要なのか
悲体戒雷震 慈意妙大雲 澍甘露法雨 滅除煩悩談
あわれみの体である戒は 雷のごとく 慈しみのこころは 美しい雲にも似る
教えの雨を降らせて 悩みの火を鎮める
~厳しさが厳しさのままだったら、人は遠のいてゆく。
厳しさの中にも“美しさ”がなければならぬ。
厳しさに美があってこそ、人は近づく
同じ雷でも、ここには「あわれみの体である戒は雷のごとく(悲体戒雷震)」となりますから、前の「雲雷」とは少し違います。
ここでは慈悲を身体と心の二つに分け「悲体と慈意」として説かれます。「慈」は梵語マイトレーヤの訳で〈最高の友情〉の意味です。最高の友情とは、一定の人でなく、すべての人々に友情を抱くことです。この「慈」を中心として求道者が団体生活をするのが、まことの「教えを求める者の集い」です。
「同行(禅門では、どうあんとも読む)」「同朋」は、みなこの最高の友情の慈心で結ばれます。この慈しみを、美しい雲(妙雲)にたとえます。観音さまはこの慈心を持っておられます。
次に、「悲」は梵語カルナーで、原意は〈うめき〉です。他の苦悩に同感して少しでも和らげたいとの思いやりの意味での「あわれみ」です。産婦が出産するとき、医師がともに「うーん、うーん」とうなって元気づけるのもカルナーです。
このあわれみを観音菩薩が、体で表わされます。これを「悲体」といいます。このあわれみを実現するために「戒」を実践するのですが、その励行を「雷のごとく(悲体戒雷震)」とたとえられます。雲雷も怖ろしいが、雷震も厳しい存在です。
このように観音菩薩を悲体と慈心(意)の二つにわけたのは、説明の便法上だけで慈と悲を身体に止揚して象徴されます。そして、この「慈悲」の身体を包む衣服に「戒」が表象されます。
観音像をご覧ください。頭の冠から首や胸にかけるペンダントやネックレス、さては耳のイヤリングまで装身具(これを瓔珞という)でいっぱいでしょう。この瓔珞は人間のアクセサリーではありません。身体を「戒」で飾る意味を表わしているのです。
釈尊の教えを実践するには、必ず修めなければならない三つの基本点があります。それを戒・定・慧の三学といいます。「定」は心を静めること、「慧」は知恵(智慧)、自分に内在するものを学ぶのです。
第一の「戒」は、悪をおさえて善を修めることで、五戒十戒から、二百五十戒までありますが、つづまるところ、一切の悪を止める(摂律儀戒)すべての善を行なう(摂善法戒)みんなのためにつくす(摂衆生戒)の三つの戒(三聚浄戒という)に帰着します。私は、この三聚浄戒をだれにもわかるように、
小さいことでも少しでも
悪いことは 避けて 善いことは 勤めて
他には 好くしてあげよう
これが みほとけさまの 誓願です
とすすめています。
このように、戒は悪を止め善を修める(止悪修善)のを目的とするから、第一に「いましめつつしみ」の性格があるのは申すまでもありません。この厳しさを美しさとして観音さまの瓔珞に表わします。
厳しさが厳しいままだったら窮屈で、人は遠のいてよりつけません。厳しさが美しく見えてこそ人は近よって来ます。今は、人を使うのがきわめてむずかしい時代ですが、“美しい厳しさ”とはどんなものであるかを、観音さまのお像に接して実感してください。
「人は悪を犯さなければ生きられない」
戒は、第二に「おしえ」の性格を持っています。止悪修善で人間が人間になれるのなら、世の中は道徳と法律で十分なはずです。
悪をしてはならぬ、善はしなくてはならぬということは、子どもでも知っている。しかし、それを実行するのはむずかしい。自分でも困難なのだから、あいつができないのは、まあ仕方がないという同感同苦を味わうことです。戒が厳しさの中にも、あわれみ(悲)を宿す点がここにあります。
また、人間は知らずに悪を行ないます。悪を行なって悪とも意識しない場合もあります。この無意識悪に気づいて、人間コースの過ちを修正するのが戒ですから、「おしえ」の性格を持ちます。
さらに、人間は生きるためには何らかの悪を犯さねばなりません。いわゆる生きるための必要悪です。生命を大切にしなければならぬことはよく知っていても、他者を犠牲にして、はじめて私たちの生命が保たれるのです。魚や鳥を殺すだけが殺生ではありません。小麦も水も野菜もみな生きているのです。
必要悪の中には、政治の貧困や社会の組織からくるものも確かにあります。だからといって、他を厳しく責めるだけでは解決になりません。
「生きるとは悪を犯すことだ。悪を犯さなければ生きられないのだ。悪を犯すのが罪になるとともに、生きることも罪を重ねることだ。しかもなお生きねばならないのだ」という胸の痛みを感じて、他者だけを責めきれぬところに、厳しさの中に悲しみを感じます。
人間は、法律や道徳など、他律的な働きかけだけではしあわせになれません。安らぎがないからです。悪と知りつつ悪をしなければ生きてゆけないのだから、どういう生き方をしたらいいのかとの教えが恋しくなります。戒に「おしえ」の性格のあるゆえんです(この生き方の教えが五戒・十戒と展開されますが、ここでは触れる余裕がありません)。
他者の苦を、自分の悲苦として・・・・・・
戒は、第三に「具わる」の性格を持ちます。私は、人間は他律的命令や規範だけでは、しあわせになれぬと申しました。やはり、人間の内側から起きる誓いと願いがないと安らぎが得られないのです。他の悪を自分の悪とし、他の苦しみを自分の苦しみとして受けとれる「慈」という名の深い友情によらないと、救いとはなりません。
一滴の涙もないと思われる恐ろしい殺人犯人でも、目前に子どもが何かの危難に瀕したら必ず手をさしのべる「友情」は持ちあわせています。
島秋人は、殺人強盗罪として先年刑死しました。重罪犯人でしたが、罪を悔いてからの模範囚ぶりと、歌作にさんげの生活をうちこんでの精進に、「獄窓の歌人」として世間から愛され、外国人からも同情をうけて減刑嘆願もされたが、許されませんでした。彼の遺詠に「手のひらの小さき虫がくすぐりて死刑囚われに愛を悟らしむ」があります。
万物の霊長としての人間ではなく、命短き友として小さな虫との共感があるのです。自分を愛しむそのままに虫を愛するこの慈悲心は、けっして他から教えられたものではありません。
誰にも、死刑囚の心にも生まれながらに具わっていたのです。心の深層に埋みこめられているのです。島秋人も、もっと早くこのことに気づいたら罪を犯さなくてすんだでしょうに…。
いや、他人ごとではありません。本来具備され、埋みこめられている、この慈愛の大慈悲のこころを早く自覚しないと、私たちは重大犯人となる可能性を十二分に、これまた具備しているのです。片時も早く、よい教えに触れねばなりません。
この戒が埋みこめられている身体という意味でも「戒体」というのです。そして、すべてを愛さずにはおれぬ友情と、他の悲苦を自分の悲苦として呻くあわれみを合わせて「大慈悲心」といいます。大とは大小の大ではなく、人間と否とを問わず、すべてをひっくるめた平等の意味です。
この大慈悲心が、ほとけのこころであり、ほとけのいのちです。観音菩薩のこころ・観音菩薩のいのちです。この戒体の厳しさと美しさと、慈悲心の深さとを、それぞれ「雷のごとく・妙雲のごとく」と表わされ、さらに観音さまの瓔珞に表現されるのです。人間のぐうたらの生活は醜いが、規律ある生活は美しい。しあわせもまた規律ある生活がもたらすのです。
「わが物であって、わが物でない」
さる戦時中のことです。私のいとこであり、おとうと弟子でもある葛谷醇一は、国学院大学を卒えてから岐阜市瑞龍寺僧堂で修行中に召集を受けて、当時の名古屋師団に衛生兵として入隊しました。
夏の暑い日、ひょっこり彼は私を訪ねてくれました。聞けば、いよい出征するらしいので外泊許可をもらって来たといいます。ところが、途中で爆撃を二回も受けたので、名古屋から二十時間もかかって、やっと東京へ着いたほどだ。これでは、一泊すると帰りが心配だから、すぐに帰る、と汗をふきふきいいます。
とっさのことなので、何も土産物がありません。ただ彼は私に似て煎茶が好きです。彼がご本堂へおまいりをしている間に非常袋から、取って置きの宇治の玉露を彼に分け与えるとともに、別れのお茶を飲みあいました。
そして、帰りの車中で彼が飲むようにと、彼の水筒を引きよせると、彼はこれを断わって、「せっかくなら兄さん、台所のお湯か番茶をください」といいます。私は思わず、「この場になって遠慮するなんて、水くさいぞ」と鼻白んでいったものです。
「いや、遠慮じゃないんです。自分が飲むのなら、ビールでも入手してくださいと頼みますよ。自分たち衛生兵の水筒は、看護のために持っているので、戦傷兵や重傷兵の戦友に飲ませるためなのです。みんなの預かりものです。少量の湯や水でも元気を回復してくれるし、一滴でも瀕死の将兵の唇を、故郷のご家族に代わって湿すこともできるのです」
彼は、私の好意を無にするのをいかにも申しわけなさそうに、「戦場に限りません。今も途中の爆撃で、多くの地方人(一般国民をさす軍隊用語)が負傷したので、自分の水筒が役立ちました。帰りにも空襲があるでしょう。
病人や怪我人には濃いお茶や冷水は避けるほうがいいのです」と、台所に立って冷えた番茶を水筒に入れて、そのまま出かけましたが、彼はついに帰りませんでした。「昭和十九年七月十八日、サイパン島で玉砕戦死」との公報を受けただけです。
番茶の入った水筒を肩にかけて、「お兄さん、ながい間お世話になってありがとう。さよなら」と挙手の礼をして去った葛谷醇一の後ろ姿がまだまぶたに残っています。私は、彼の遺骨を収集していないのを、すまないと思います。サイパンに置いたままではかわいそうです。
今の私にできることは、たとい旅をしていても毎月十八日の命日に、出先で彼の好きな 30 お茶を供え、読経することだけです。
“わが物であって、わがものでない、みんなのものである”との預かりものという「戒」を守り通した彼に、厳しさの中にある美しさを感じます。それは、すべての人にふわっと覆いかかる慈悲の雲だから、経に「慈しみのこころは、美しい雲にも似る(慈意妙大雲)」と述べられるのです。私は、やはり戦災死して頭蓋骨しか残らなかった継母の法号にも「慈雲院」とおくりました。
葛谷醇一は若くして孤島で死にました。しかし、“みんなの預かりものです”との一言は、今日の豊富な経済生活をしている者には、とくに記憶すべき言葉だと思います。
(15)失意と悲しみのとき~ただ一人だけで生きられるか
真観清浄観 広大智慧観 悲観及慈観 常願常瞻仰
妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念
清らかな眼 慈しみの眼 理性と知恵の明らかな眼
あわれみの眼 汚れなき眼は 世の闇を照らす
妙なる音 世を観ずる音 浄き音 潮のごとき音 世に勝れたるみ声かな
~私たちの周囲にも、だまって私たちをみつめ、元気づけてくれる声と姿がある。
観るとは思うこと、つかむこと
すでに記しましたように「観音」とは「音を観る」という熟字です。そして、この異様な表現を必要とする観世音菩薩の思想については、不完全ではありましたが、以上で一応の学習を終わったことになります。
ここでは、普門品偈の第二十番、「真観清浄観広大智慧観悲観及慈観常願常瞻仰」の「五観」と、同第二十四番「妙音観世音梵音海潮音勝彼世間音是故須常念」の「五「音」を対比して「観音経」のまとめに近づきたいと思います。
まず普門品偈の第二十番の漢訳を和文に読み下すと「「真観・清浄観・広大なる智慧観・悲観及び慈観」の五つの観を常に願い、常に瞻仰せよ」となります。いわば、人生観であり世界観です。
真観は、般若の空観。清浄観は、浄不浄に執われない観察。広大なる智慧観は、空しさや虚無観の見方に落ちこまぬ中道観。悲観と慈観は、人の苦悩をわが苦悩と観じ、すべての人を友人と観じてゆく平等観です。
このように普門品偈をクモラジュウは漢訳していますが、その原典の梵文からの訳文(坂本幸男岩本裕訳註「法華経」下・岩波文庫)には、「輝かしい眼の持主よ、慈眼の持主よ、理智と智慧の顕著な眼の持主よ。
憐れみの眼をもち、清浄な眼の持主よ。美しい顔と美しい眼を持つ愛らしい者よ」と観音さまを、素晴らしい「五つの眼の持ち主」とたたえる美しい詩になっています。
また普門品偈第二十四番の漢訳を読み下すと「妙音・観世音、梵音・海潮音は、彼の世間音に勝る。この故に須らく常に念ずべし」となりますが、梵文からの現代語訳には「雷鳴や太鼓のように轟き、大海のように轟きわたる彼は、ブラフマン(婆羅門)のごとき好き音声をもつ。アヴァローキテーシュヴァラ(観音)は、音楽の奥儀を極めており、常に心に念ずべき者である」(上掲書・岩波文庫)となっています。
そして、これらの音について仏教学者は緻密な考証をしています。
しかし、本書は「入門書」ですから、なるべく身近に引きあてて、観音のこころを消化したいと思います。
「観」は見るですが、向こうから見えてくるものを観るはたらきを含めます。自分が見るだけでなく、見せしめられるものを、はっきりと観るのです。だから、観ることは思うことであり、つかむことであるから、音を観るといっても不思議はありません。
前にもご紹介した故宮城道雄先生は、すぐれた盲目の音楽家であるとともに、随想にも素晴らしい作品があります。
「庭の植木の葉にあたる雨の音で、ああ、あれはいちじくの葉だ、あれは、の葉だとわかる」と語られたことがあります。
音で木の葉の色彩まで「観えてくる」ともいわれます。やはり、音を聞くというよりも音を見る、音が観えてくるというほうが正しいでしょう。
目で聞き、耳で観よ―五観五音の考え方
音はまた「声」でもあります。そこで普門品偈の上記の「眼」と「音」とを組み合わせる
①真観―妙音
②清浄観梵音
③広大智慧観-觀世音
④悲観海潮音
⑤慈観世間音
の五組のパターンとなります。さらに展開すると、①真観は、「般若経」の「空」の観方です。すべての現象は空であると観察できる眼は、執われの汚れに染まない眼です。
この眼で周囲の声を聞くなら「妙音」でないものは何一つない。すべてが真理のささやきです。この妙音の人格化が「弁財天(辯天)」で、音楽や辯才、財福の徳のある天女で表徴されます。無心に啼く鳥の声も、水の流れも、みな真理の象徴でないものは何一つないのです。
白隠が、コオロギの声を聞いて、「法華経」の真義をさとっのがそうです。それは観音の知恵ですが、この知恵にめざめることをすすめるのです。
②清浄観は、常識でいう清らかさです。空観は否定の知恵ですが、清浄観で周囲の声を観察するなら、みな梵音(無垢の音の響きを持っているのがわかるのです。梵音の代表的なのが、鐘や太鼓の音です。
森田悟由禅師(一九一五没、八十一歳)は、小僧として、総持寺に入寺したその夕に、鐘をつかせられます。
彼のつく鐘声を聞いていた変堂禅師が、彼を呼んで鐘をついたときの心構えを問うと、彼はありのままに、「国を出るとき、師匠が鐘をつくときは、鐘をほとけさまと心得て、ほとけさまに侍える心でつくように、このつつしみを忘れるなと戒められたので、心の中でほとけを礼拝しつつ、つきました」と答えます。
変堂は、心から悟由の心がけをたたえたといいます。梵音と清浄観がいみじくも溶けあっているではありませんか。
③「広大智慧観」は、「理智と智慧の明らかな眼」で、空観と常識観(仮観)とを止揚した中道観です。この眼で周囲の声を観察するのが、観音さまの観音さまたるゆえんで、空観にかたよらず、常識的な仮観に囚われず、ありのままに聞きとれて同化できるのです。
それが悲観(あわれみの眼)と慈観(いつくしみの眼)の「双眼の持主」とたたえられるのです。ここで思い出すのが、謡曲『三井寺」です。駿河国(静岡県)清見が関に生まれた干満は、幼くして人買いにさらわれます。
母は、わが子を訪ねて京都の清水寺にこもりつづけ、「南無や大慈大悲の観世音さしも草 さしもかしこき誓いの末 一称一念なお頼みあり(中略) 憐み給え思い子の 行末なにとなりぬらん 枯れたる木にだにも 花咲くべくはおのずから 未だ若木のみどり子に 再びなどか逢わざらん」と再会を祈念するのです。
ある夜、夢告(夢のおつげ)を受けて三井寺へ向かいますが、心痛のあまり途中で発狂してしまいます。たまたま八月十五日にあたり、寺僧は客の干満をつれて月見をしていると、狂乱の母は月光に酔うたように鐘をつき鳴らして、寺僧に咎められます。
狂える母は、「許し給えや人々よ煩悩の夢をさますや法の声も静かにまず初夜の鐘を撞く時は下略)」と鳴らしつづけます。やがて母子の対面が適えられて、狂える母は気も清々と、「常の契りには別れの鐘と厭いしに親子のための契りには鐘故に逢う夜なり嬉しき鐘の声かな」と舞い納めます。
世阿弥の作といわれますが、本曲の中心は母子再会でなく、観音さまと鐘声です。鐘声の梵音を聞いて狂人が真人に立ちなおるのは、煩悩に狂う人間が、忽然と尊厳な人間性を自覚するのを暗示しています。常人が悲嘆のために狂人となる無常観は、梵音を聞くことによって常人に立ち返るところに、空観・仮観・中道観を表わしています。目による観、耳による音でなく、目で聞き、耳で観よ、と五観と五音は示しています。
体得すべき「聞く者と聞かれる者の同化」
私たちがよく経験することですが、ぽつりといわれた一言が、こちらの胸に静かな爆発を起こすことがあります。このときの一言は、たとい世間話的なものでも、慈しみいっぱいの音です。海の潮が満ち干きするように、私たちの心にひたひたと共感を寄せてくれたら、それが④と⑤、つまり「悲観海潮音」と「慈観世間音」のパターンに相当します。
私が学生時代に悪性の腎臓炎を患ったことは述べましたが、卒業まぎわだったので出席日数や卒論のことで、気持ちはいらいらする一方で、両親も持てあましていたようです。
そこへ、ひょっこり北海道から伯父が訪ねてくれました。伯父も病身で病歴にも富んでいると思い、私は、あれこれと治療方法や医師の批判をするのですが、伯父はなぜか、にやにやするだけで一言も吐きません。私は自分の病気の永引くのを愚痴ると、「腎臓病?いい病気になったなあ、痛くもかゆくもないしなあ、牛乳をうんと飲めば治るんだから、安いもんだよ!」と、言ったきり「大切にしろ」とも言わずに帰って行きました。
北海道から東京まで、ただこれだけを言うために伯父が来たのかと思うと、私はあきれました。同時に不思議と身体中のしこりが抜けたように楽になったのです。こういうのが、世間音が慈観にこめられたのだと、今でもありがたく思っています。
また、私が師父にとつぜん死なれてションボリしていると、親友の二人が、通夜から葬式にかけて私の傍に何もいわずに黙って坐って、私の手を握ってくれるのです。ただそれだけです。一言もくやみもいわないのです。彼らは二人とも早く父に別れているので、私の心中がよくわかるのです。
私は、そのとき「涙の先輩!」を感じました。涙の先輩にしてみれば、後輩を慰めようと言葉に出せば出すほど、うつろに響くのを知りつくしているのです。だからものがいえないのです。黙って手を握ってくれる以外に方法はないのです。他の悲しみが自分の悲しみとしてうめくあわれみ、友情とは、こういうものであるか、と味わったことです。彼らは私にとって観音さまでした。
私は、五つのパターンを記しましたが、それは別個の存在であってはならないのです。「観」と「音」と、つまり観る者と観られる音、聞く者と聞かれる音の二者が対立の状態では「音を観る」観音さまの働きはできません。
鐘をほとけと心得、ほとけに侍える心で鐘をつけば、鐘はゴーンと鳴ります。この鐘が鳴るとは、鐘をうつ人もともにゴーンと鳴っているということです。これが妙音というものです。
他が悲しんで泣くときは、自分も他の悲しみを悲しみとして泣けたときが観世音です。他の音声もまた同じです。ゆえに、古人が「妙音観世音」を「妙音を世音に観ず」と受けとると、意義がさらに深まるといいます。
世の人の声に真実なものを聞きとるには、聞く者と聞かれる者とが同化した状態でなければなりません。
(16)不安におそわれるとき~いかなる願いをささえとするか
念念勿生疑 観世音浄聖 於苦悩死厄 能為作依怙
念ずるがよい 常に念ずるがよい 念じつづければ疑う余地はなくなる
観世音菩薩こそ苦悩のよるべである
~疑うのなら、自分を疑うがよい。
“なぜ?”を人に問うより、自分に問え
観音さまを信ずるとは、自分を信ずることに通じます。観音のこころを思うとは、自分の中にも流れている観音のこころを思い出すことです。前に「鏡を見ることは自分を整えることであり、自分に会うことである。
ほとけを拝むのは、わがこころを調えることであり、わがこころをみつめることである」(9ページ)と申しましたことを重ねて思い出して、信じてください。疑うな、というのは、いうまでもなく疑う余地のないことです。
「法句経」に、「おのれこそおのれのよるべおのれをおきて誰によるべぞよく調えしおのれにこまこと得がたきよるべをぞ得ん」(第一六〇番・友松円諦師訳)とありますが、「観音経」からいえば「観音さまとは、自分のことである」と気づいて自分の身のこなし、言葉のしらべ、心の構え方を調えて、はじめて「この世の苦悩のよるべ」となるのです。
「観音さまとは、自分のことである」と気づいて信ずると申しましたが、それは自分の思いあがりでなく、「気づいておくれ、わかっておくれ」との、私たちを包む久遠の大きな願いに気づくことなのです。願うことが願われていることであり、信ずることが信じられていることなのです。ここがわかれば「疑う」という余地はありません。
それでも、なお疑念を持つ人は「久遠の大きないのちから願われ、信じられているのが、なぜ自分にはわからないのだろうか」――と、自分自身に疑いをぶっつけたらどうですか?
他を疑うことに急なあまり、とかく、自分を疑うことを忘れがちです。
あるとき、私は著名な知識人から「なぜ、信心が大切なのか?」と聞かれました。私は、ただ「あなたの言う“なぜ”を、私に問わずに、ご自身に聞いてごらんなさい」と申したことです。「なぜ、念仏を唱えるのか、なぜ、坐禅をしたり、読経するのか?」と問われたこともあります。このときも、「みんなができるのに、なぜ、自分だけができないのか、このなぜ?”をご自分に問いつめなさい」と、やはり答えたことです。
「はい」の返事は、もう一人の自分への呼びかけ
拝むことは拝まれているのです。いや、あなたが拝まなくても、あなたが信じなくても、そんなことにおかまいなく、あなたは拝まれ、あなたは信じられているのです。あなたは、ただそれに気づかず、忘れているだけです。あなたが拝めば、あなたが信じたら、このふれあいが、すぐにわかるのです―この道理を「観音経」は、
具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼
すべてのよき働きを身にそなえてもろびとを凝視したもう
しあわせは海の如く無量であるこの故につつしみて礼拝するがよい
と説きます。
他から拝まれ、他から信じられていることが、はっきりと感受できたら「しあわせは海のごとく無量なりかるが故につつしみて礼拝すべし(福聚海無量是故応頂礼)」は、さらりと了解されましょう。
「南無観世音菩薩」と唱えて、お辞儀をするだけが礼拝ではありません。他のしあわせを念じ、そのこころのめざめを願っての言葉なら「お早う!」も、「今日は!」も、「さよなら」もみなお念仏です。
このように、他を礼拝することは、自分自身を礼拝し、自分を大切にすることになるのです。「はい」という返事は他にするだけではありません。自分の中にいるもう一人の、真実の自分に呼びかけるのです。そして、自分と、自分の中の、もう一人の自分にめざめるのです。自分がほんとうの自分になるのです。返事は人に呼ばれて応えるとともに、真実の自分を呼び起こすのです。これを「唯仏与仏」といいます。
「ただ、ほとけとほとけの出会い」です。「ただ」とは少しの隙もない、それ自体ということです。
「爾時」とは「いま、このとき」永遠の現在
爾時持地菩 薩即従座起 前白仏言 世尊 若有衆生 聞是観世音菩薩品
自在之業 普門示現 神通力者 当知是人 功徳不少 仏説是普門品時 衆中
八万四千衆生 皆発無等等 阿耨多羅三藐三菩提心
そのとき、持地菩薩は釈尊にお礼を述べた。
「ほとけよ、この観音自在の働きと神通力を聞く者は、その功徳はけっして少なくありません」と。釈尊が、この法を説かれたとき、座にある者はみな、無上の菩提心を起こしたのである。
「そのとき(時)」。この経の冒頭にも出てきた「爾時」です。それは「このとき」と同義で「いま・このとき」の永遠の現在です。また爾は「なんじ」とも読むと申しました。「あなた自身」です。ということは「私自身」でもあります。大勢で聞くのではない「あなた一部人」「私一人」が聞くのです。
教えを聞くときは、この心構えが大切です。みんなが聞くの第だと思うと、聞く内容が水増しになって稀薄になります。そうではなく「あなた一人」「私一人」の「この一人」だけが、いま・ここで聞くところに内容は濃縮され、密度の深い言葉が聞けるのです。
この意味での、そのとき、持地菩薩おなじみの地蔵菩薩、お地蔵さまで、史上の実在者ではありません。釈尊のさとりの内容と誓願を表象された象徴人格です。
その象徴の内容は、釈尊が亡くなられてから、次のほとけ、弥勒仏が世に出られるまでの真理の空白時代を、多くの人々の救済の任にあたる誓願です。地上に伝えられてゆく釈尊の教えです。
「地蔵」とは、大地の蔵です。それは無尽蔵の意味もあります。しかし、さらに深く味わえば、大地は、浄穢(清浄なものと、汚いものと)を差別することなく包含します。浄よりも穢が多いでしょう。
しかし、それであればこそ、一度大地の懐を通過すると、地上のものみを生かしてゆく働きをします。ほとけのいのちとなります。そこに釈尊の教えの誓願が表わされています。古歌に「生みなさぬものとては無し土の徳今日ひとしおに仰がるるかな」とありますが、この歌そのままの象徴が地蔵菩薩です。
この「観音経」の説法のきっかけとなったのは、無尽意菩薩ですが、この菩薩も抽象人格者でありました。この経の結びの発言をする地蔵菩薩も、そのとおりです。
「法華経」の舞台のスケールの大きさが感じられます。持地菩薩(地蔵菩薩)は、そういう存在のお方です。抽象的人格ですから、特定人の代表でなく、だれもの代表です。持地菩薩は余人ではありません。「あなた」であり「私」です。「私」が釈尊にお礼を申すのです。
「愚かな身の、愚かな願いを・・」
「観音経」は、無尽意菩薩の質問から始まって、釈尊がお答えになる。そして持地菩薩が会衆を代表して謝辞を述べて終わるのです。最後の「釈尊がこの法を説かれたとき座にある者はみな無上の菩提心(さとりを求めるこころ)を起こした」とあるのは、多くの経典を結集編纂した釈尊のいとこのアーナンダ(阿難尊者の証明です。さとりを求める菩提心は、またみんなをしあわせにしたい、との願いとなります。
今までは、自分だけが幸福であればいいとの偏見が、いつの間にか大きな菩提心にまで高められたのです。ほんとうの災難、ほんとうの幸福とは何であるかが、よくわかったのです。
このように、アーナンダ尊者から私たちは証明されたのです。これ以上の大きな利益が、またとあるでしょうか。それでも、私たちのこころにかげりがさしたら観音さまのサインをうかがいましょう。「こう生きるんだよ」と、お目と、お手で、にこやかに黙って指示してくださる、もう一人の自分である観音さまがそばにいらっしゃるから、何も心配はいりません。
終わりに、坂村真民先生の次の詩は今の私の心境にそっくりですので、引用させていただきます。
あゝ 衆中八万四千衆生
皆発無等等
阿耨多羅三藐三菩提心
世尊よあなたのお話を聞き勇躍歓喜して退いた
その一人にわたくしも加えて下さい
愚かな身の愚かな願いをいつの日かかなえさせて下さい(「自選・坂村真民詩集』)
各ページ
観音経入門(VOL.5)
