役小角と真言密教の関係
役小角は、聖徳太子の死後十数年目に、奈良の葛城というところに生まれました。葛城の賀茂族と言います。
またこれが、話すと長くなりますけども、役小角の一族、賀茂族のご先祖さんは素戔嗚尊と言われております。その賀茂族が下賀茂神社、上賀茂神社をつくったわけでありまして、賀茂族のいるあたりにはお寺が一切ない。神社だけです。そういう賀茂族というのは素戔鳴尊から始まっていると。その賀茂族の一末裔が役小角だったわけです。
役小角は十一歳ぐらいのときから、夜な夜な森へ行って神霊と話をしていたのですが、大阪の箕面山の大滝に打たれながら、密教を開いた。
龍猛、龍智、金剛智、不空、善無畏三蔵、一行禅師、恵果阿闍梨、空海と続く真言密教。
その最初の龍猛が、箕面山で滝に打たれている役小角のところに、直接降りてきて密教を開いた。基となる龍猛が役小角に密教を直伝したわけです。これが日本の山岳宗教の始まりであり、山伏の始まりであり、修験道の始まりであります。密教を開いた龍猛の霊が、直接、役小角に来て教えたわけです。
それくらいの霊能力があったのです、役小角には。それだけではありません。御魂を清純化して、自分の念力で自分の体を動かすだけの能力があったとされています。龍猛が、直接降りてきて、滝に打たれていた役小角に教えたというふうに、歴史には残っております。
それが大阪の箕面山。私も一回、行ったことがあります。あのモミジの天ぷらを売っているところです。いまでも、役小角が滝に打たれた跡が残っております。その役小角が聖徳太子の死後十数年目に生まれたということは、聖徳太子が導いたのでしょうが、箕面山の滝に打たれていたときに龍猛がやって来たということは、龍猛の生まれ変わりということです。
密教をつくった基の龍猛が、役小角に生まれ変わった。前世霊との出会いだったんでしょう。それが日本の山岳宗教の始まりとなり、修験道の始まりとなったわけですが、その役小角と合体して活動していたのが、行基です。そして、行基の行った霊跡のすべてを訪ねて行ったのが、空海です。
だから、空海の背後では行基が守り、行基の後ろには役小角が守り、ということで、この三代が関連づいております。
救霊に活躍する役小角、行基、空海
救霊師の皆さんは、救霊師になったときに、役小角、行基菩薩、空海に守護霊として守っていただけるわけですが、空海が一番すごい霊能力を発揮したときというのは、行基、役小角に守られた空海なのです。ですから、皆さんは弘法大師さんに匹敵するような、あるいはそれ以上の働きが十二分に可能です。
救霊師になったならば、単なる救霊の活動だけではなく、日常生活あらゆるところで、役小角、行基、空海が守護霊さんとして守ってくださいます。したがって、日常生活のすべてに仏様を動かしてお取り次ぎをする救霊師ですから、霊を救うという最初のレベルから範囲が大きく広がっております。それをしっかりと自覚していただかなければいけません。
北極免因超修法も、今年から大きく変わりました。すなわち、皆々様の家とか、個人の因縁を祓うだけではなく、日本および世界の劫を祓うような働きになってきたわけです。
「中国やアメリカの劫は祓うのに、日本の劫は祓わないんですか」という質問がありましたが、祓わないはずがありません。けれども、破竹の勢いになっておりますので、とりあえずは、中国、アメリカの劫を祓おうということです。
もちろん、日本の劫も完全に消えているわけではありません。しかし、バブル崩壊後、十年間にわたって苦しんだことで、終戦からバブル期までに積み重ねた約五十年間の祓いは、一応済んでおります。
本当は火山が爆発して地盤沈下するとか、大きな地震で首都が壊滅的な打撃を受けるといった、最悪の事態が待ち受けていたのですが、十年間の不況という形の祓いに振り替えていただいて、助けられているのです。一九九九年のご神業を受けた人なら、わかるのではないかと思います。
話が横道にそれ過ぎて申しわけないですが、要するに、今年から北極免因超修法も次元が変わります。だから一層強くなっていくし、範囲が広くなっていきます。
それに、救霊師は一昨年の位上げ救霊師」から働きが変わりましたね。(註:平成十五年に募集された救霊師から「位上げ救霊師」と命名され、働きが大きく変わりました)
いま申し上げたような霊が、その時代をつくった仕組を背負っていた方々なので空海のことは知っていても、行基のことはあまり知らないし、役小角も知らない人が多いわけですけれども、はっきり言わせていただけば、皆さん、あまりにも勉強不足です。
私は、二十五歳からずっと板挟み状態が続き、自己実現ができないまま齢を重ねてまいりましたが、その間、何に打ち込んだかと言いますと、読書です。
安らかな、満たされた、幸せな時間は、ほとんどありませんでしたから。もちろん、ご神業は喜びなのですが、責任を果たすだけの毎日ですから、渇いた心をすため、一心不乱に本を読みました。というより、本が読めました。「無門関講話」をはじめ、あらゆる語録を読破しました。
役小角さんの伝記とか、行基に関する本も、だいたい読破しました。二十代後半から三十代にかけては、それしか喜びがなかったと言っても決して過言ではありません。
それにしても、板挟みのときほど、本が読めるときはないです。板挟みされなくなると、モチベーションが下がって、本を読むこともできなくなります。
大自在天の位を超えている役小角、行基、空海
ということで、この役小角、行基、空海というのは、仕組に出ている神様であると同時に、仕組に生きようとする救霊師にいくらでも力を貸すことができます。自在天の位を持っていますから、いくらでも、同時に、いろんな人に姿を現すことができます。
役小角は「役小角明王大自在天」、弘法大師は「南無大師遍照金剛」ですけれど、それ以外の名前も持っていらっしゃいます。行基もそうです。皆さん、自在天の位に達していますので、分身の術のようにいくらでも姿を現すことができます。
たとえば、宇佐八幡宮の神様は一体だけれども、四万八百社の八幡さんがあるように、四万八百のそれぞれの社で、「八幡さーん!」と一斉に祈ったら、同時に四万八百体の八幡さんが出てくるわけです。
同様に、菅原道真公は一体だけれども、お亡くなりになったあと、「天満大自在天神」という大自在の位を持った天神になったので、全国津々浦々、何千社とある天神様で「菅原道真公さーん!」と祈ったらば、何千体という菅原道真公が出てきます。
「人格というものは、第七識、第八識ぐらいまでいって、悟りを開けば開くほど多重である。多くの人格を持っている。だから、自分を一人だと思っているうちは、まだまだ悟りを開いたなどとは言えないんだ」
なんていうことを、グルジェフというロシアの超能力者が言っております。仏典ではもっと前から言われていますが、そのように第八識以上のレベルになって、大自在天の位を授かるようなレベルまで悟りが開かれると、自分の分身がたくさん出てきます。
役小角、行基菩薩、空海は大自在天の位を超えていますから、救霊師が何千人になろうと何万人になろうと、同時に出てくることができます。
たとえば、十万人の救霊師が一斉に「弘法大師さーん!」と祈ったら、「はい」と言って、十万人の空海が出てくる。「役小角さーん!」と三千人の救霊師が祈ったら、瞬時に三千人の役小角が三千ヵ所に出てくる。大自在天の位に達すると、時間、空間を、そして過去、現在、未来を超越して、自分自身を出せるわけです。
このメカニズムを説明しようと思えば、いくらでも詳しく説明できますし、前にも説明いたしました。機会があれば、また説明しますけれども、要するに大自在天の位までくると、八幡さんのように天神さんのように、あるいは役小角、行基、空海のように、何万人が祈ろうと、いくつもお姿が出せるのです。
しかも、それぞれに人格があります。八万体出たら、八万体それぞれに人格を持って現れるのです。最近入会した人にとっては、「え、え、え、え!?」と戸惑う話ばかりかもしれません。おそらく頭がこんがらがっているのではないかと思いますが、何回かお聞きになればわかるようになります。
古い会員さんも、何度も何度も聞いているうちに理解できるようになったわけですから、「そういう世界もあるんだなあ」ぐらいの気持ちで、今日はお聞きになっていただきたいと思います。
大日如来と曼荼羅
このルーツはどこにあるのかというと、胎蔵界の仏様と金剛界の仏様です。
胎蔵界には四百十四体、金剛界は約千四百六十一体の仏様がいます。曼荼羅みたいな形で出ていますでしょう。その上にあるのは大日如来。胎蔵界に出てくる大日如来と、金剛界に出てくる大日如来は、お姿も印も違います。手に結ぶ印形が違うわけです。大日如来は一体なんだけれども、胎蔵界と金剛界それぞれ別の大日如来となって出てくる。
しかも、さっき言ったように、胎蔵界に四百十四体、金剛界に千四百六十一体、合わせて千八百以上の仏様がいらっしゃるわけですが、この仏様は全部、大日如来の化身。大日如来様が仏様に化身しているのです。その千八百いくつかの仏様はそれぞれに個別の性格と、仏格と、お姿形を持っている。だからこのときは、観音様も大日如来の化身になっております。
大日如来の化身プラス、
のチョンがあるわけ。
本当をいうと、観音様は大日如来の霊体の化身ですけれど、神がその姿になっています。詳しく言えばそういうことです。基本的教理では、胎蔵界、金剛界の大日如来は一体とされているのですけれど。
大日如来とは何かといいますと、先ほども申したように、自然界、宇宙界、神霊界、あらゆる世界を包含した法界を主宰する宇宙の本仏、毘盧遮那仏。この毘盧遮那仏が、金剛薩埵の質問に答える形で自ら言葉を発し、宇宙法界の真理をお説きになった。その自ら言葉を発して説明される毘盧遮那仏のことを、「毘盧遮那法性大「日如来」と言います。これが大日如来さんです。
ですから、いっぱいお言葉が出てくるわけ。法界の根源の主宰神が、胎蔵界、金剛界に現れて、宇宙の真理をお説きになる。この千八百何体の仏様はみな、大日如来の化身なのですが、それぞれが仏格を持って、曼荼羅にあるように整理整頓され胎蔵界と金剛界におられる。
同時に、そのトップに胎蔵界の大日如来、金剛界の大日如来がいるわけです。三次元の頭で考えたらぐちゃぐちゃになるかもしれませんが、これが曼荼羅の原則、理論です。
それはちょうど、火のついた何本かのロウソクを束ねると一つの炎になるのに似ています。ロウソクは一つだけれど、百本でも千本でも一万本でも、ロウソクに火を灯していくと、炎は百、千、一万になりますが、束ねれば一つの炎。分散すれば百、千、一万の炎になる。最初は一本のロウソクの火から移っていったわけです。
まあ、これを三次元の頭で完璧に理解するのは、百パーセント無理だと思いますけれど、だいたいそういうことです。
四次元というのは、時間と空間のない、意識の世界です。ですから、同時に家のことも、会社のことも、目前のことも考えられる。つまり、四カ所なら四カ所、同時に意識を向けることができます。しかも、その四カ所には自分の意識だけでなく、自分の体も行きます。これが分魂です。
普通の人間は、右手と左手一本ずつしかありません。意識も一つです。しかし、ピアノを弾く人間は、左手と右手をばらばらに動かすことができます。一人の人間でありながら、左手でリズムを取り、右手でメロディーを弾いて、右の足でペダルを踏んで音をサステインしていると。
さらに、エレクトーンになってくると、左手でコードを弾いて、右手でメロディ弾いて、右足と左足で、ボンボン、ボンボン、ボンボンと打楽器みたいに低い音を奏でながら、ときどき、何かスイッチを押すと、音色がころころと変わる。エレクトーン奏者の忙しいことと言ったらないですね。右手も、左手も、右足も、左足も、絶えず動かしていますでしょう。手足だけではありません。全身を動かしています。
一人の人間でありながら、四カ所にも五カ所にも意識を向けて、一つの曲を奏でているわけです。ピアノを弾けない人間、エレクトーンを弾けない人は、「あんな神業みたいなこと、よくできるな」と感心しますが、大自在天の位に達した方々と現実界に生きている私たちの差は、その差だと思っていいのです。
ピアノを弾けない人間は、右手と左手、同じことしかできないけれども、訓練するとバラバラに動くようになります。エレクトーンも、訓練するとバラバラに動くようになるのです。
そのように、悟りが深くなって霊覚が向上してくると、三つ、四つのことが同時にできる。五カ所、六カ所に同時に気を配りながら仕事ができるようになります。会社の社長さんは、そうやって仕事をこなしています。新入社員とか下のほうの社員は、目の前の一つの仕事しかできません。
それすらできない人もいますが、上のほうになればなるほど、同時に五つ、六つのことをやりこなせるし、同時に五つ、六つのことに意識を向けることができる。
意識を向けると、向けた先の部署の責任者が、「あっ、いま社長の顔が浮かんできた!」と。そういうこともあります。五カ所、六カ所に意識を向けると、五カ所、六カ所の部署に社長の顔が浮かんでくる。
大企業、中小企業を問わず、世の中の社長さんは、同時に五カ所、六カ所の部署に意識を向けながら、目の前の仕事をしております。資料に目を通しながら、「経理部はきちんとやっているかなあ。大丈夫かなあ。営業部はどうなんだろう。セールスマン、さぼってなんかいないだろうな」と、あちこちに意識を向けています。
会社に入りたての人、下のほうの人は、目の前の一つの仕事しかできません。しかし、仕事に慣れ、能力が秀でてくると、人間は五つのこと、六つのことが同時にできるようになるし、五カ所、六カ所に同時に意識を向けられるようになる。意識も体も一つではなくなるわけです。だいたい、こんな感じです。
このように、大日如来さんは一体でありながら、胎蔵界では四百十四体、金剛界では千四百六十一体の仏格を同時に持ちながら、また、大日如来は大日如来として同時並行で存在しているのです。
宇佐八幡さんは一体だけども、全国四万八百カ所に出てくるし、天神様も三千カ所に出てくるし、役小角、行基、空海も同じように出てきます。人間でありながら、そこまで悟りを開いていくと、百人いようと千人いようと一万人いようと、まったく関係ない。どこにでも自在に出ていくことができます。
ですから、二千人の救霊師が「お取り次ぎいたしますから」とお願いしたら、二千体の空海、二千体の役小角、二千体の行基菩薩が出てきます。神霊界にいるこの方たちが二千人に同時に意識を向けたら、そのお顔が、お姿が、人格が、別個に活動して守ってくださると考えていいでしょう。
救霊師として霊力テストに合格すると、一生このご三体が守護霊となって守ってくださいます。それだけでなく、あの世に行っても守ってくださいます。だから、救霊師は一生ものではない。一生ブラスあの世でもずっと守ってくださるのです。
