日本に「大日経』を伝えた善無畏三蔵
そういうことで、真言密教のベースになるものとして、胎蔵界は「大日経」、金剛界は「金剛頂経」の二大テキストがありますが、なぜ久米寺に「大日経」があったのかというと、仏様のお導きによって、「大日経」を編纂した善無畏三蔵が日本にやってきた、という説があります。
「大日経」を会得してマスターする人材が日本から現れるというので、善無三蔵が日本へ渡ってきて、久米寺に「大日経」を置いていったんだ、というのです。
本当かどうかわかりません。しかし私が思うに、使者が来たというのはおそらく本当でしょう。「大日経』を日本へ持っていけという仏様のお告げを受けた善無畏三蔵の意向を受けて、その使者となるものが日本に来て「大日経」をこの久米寺の中に納めたのではないかと思われます。
久米寺になぜ「大日経」があったのかということに関しては、いろいろな説がありますけれども、多分、使者が来て、置いていったのだと思います。
だいぶ話が長くなりましたが、結論として何が言いたいかと申しますと、龍猛、龍智、金剛智、不空、善無畏三蔵、一行禅師、恵果阿闍梨、空海と続いてきた密教の系譜は、やっぱり神様、仏様によってちゃんと仕組まれたものであり、みなそれぞれ互いに神様のお告げと、霊告を受けた者同士だったのだ、ということであり恵果阿闍梨と空海の関係を見ましても、恵果阿闍梨は「もうじき空海が来るな」ということがわかっていたし、空海は空海で「ああ、この人から密教の奥義が伝授されるんだな」ということがわかっていたのです。
お互いが神様のお告げと霊告で、そろそろ来るな、伝授するなというのがわかって、ちゃんと伝授し、継承されているわけです。
笛吹き童子がやってくる
植松先生と私の関係も同じです。
私と出会う前、植松先生は神様から「若い笛吹き童子がやってくる。お前に与えた神法の一厘を、その若い笛吹き童子に伝授しなさい。そうすれば、その人が全部やってくれる」というお告げを受けていらっしゃいました。
私と会う前の年の、私と会う二週間前のことです。走湯権現を祀っている熱海の伊豆山神社へ植松先生がいらっしゃったとき、熱海の海に七福神を乗せた船が入ってくるのが見えて、そのときに「笛吹き童子がやってくる」という御神示を植松先生がお受けになったのです。
「波静かにして亀は遊ぶ恵方の海 波静亀遊恵方海」
「七人の乗合 蓬莱に棹さす 七人乗合棹蓬莱」
「弁天 音曲 神々舞ひ 弁天音曲神神舞」
「一夜 春風 夢に入りて来たる 一夜春風入夢來」
というお告げを書きとめ、それを詩吟の節で、ずっと歌っていらっしゃったということです。
これをスタッフのYさん、みすず学苑の漢文の先生ですが、彼が整理すると、ちゃんと韻を踏んでいる見事な七言絶句になったのです。植松先生、漢文もよくわからず、神様から受けたものをそのままノートに書き留めただけだったのですが、見事な七言絶句になっていたことが十何年後にわかったのです。植松先生と私との出会いを、天神菅原道真公が七言絶句の御神示として植松先生に教えたわけです。
その御神示を受けられたとき、「笛吹き童子がやってくる」という御神示が同時にあったのです。
「一人の若者が来る。その人に、神様から受けたものを渡しなさい。伝授しなさい。その人が全部やってくれるから」と言われていたそうです。
それで植松先生、その若者とは誰なんだ、どの人がその若者なんだと、八年間ずっと探していたのですが、ものすごい霊能者が何人か来たけれど、みんな偽物ばっかりで、真心をもってやってくれる本物がいない。
それで、そんな人はもう現れない、そんな人はもういないんだ、とすっかり諦めかけたとき、「天の時来たれり、急げ」という御神示が植松先生に下った。「天の時来たれり、急げ」と言ったって、どう急いでいいかわからない。
このように、何もかも仕組まれていたわけですけれども、わからない人は全然わからないでしょうね。でも、アニメ「深見青山物語」を見ればわかります。実際あったことです。
そういうことで、植松先生はずっと前から、「神様から与えられた神人合一の神法を、若い男の人に渡しなさい。その人が全部やってくれるから」という御神示を受けていて、誰なんだ誰なんだ、どの人に渡したらいいのだと、ずっと待っていた。
ところが、植松先生に偉大な神様が降りていることを察知した霊能者が何人かやってはきたものの、みんな後脚で砂をかけていくような偽物ばかりだった。そして、偽物が去っていって、もうそんな人はいないんだと思ったときに、「真打ちはあとから登場」ということを神様から言われたらしい。
けれど、「真打ちはあとから登場」と言われたところで、いつ登場するのかわからない。わからないけれど、ずっと待つしかない。しかし、いつまでたっても現れないので、そんな人はもういないんだと、すっかり諦めていたそうです。
一方、私のほうは、大学を卒業して建築会社に就職したのですが、私は私で、「お前を待っている人がいる。その人と出会ってからがお前の永遠の仕事が始まる。お前の本当の職場はそこだ。いまの建築の仕事は仮の修業だ。
だから思いっきり仕事しろ。やがてお前を迎えにくる人がいるから、それまでここで修業しておれ」ということを神様からずっと言われておりました。
そうしていよいよ、「天の時来たれり」ということで、植松先生と私が出会うことになるのですが、「あなたが真打ちです」と言われても、私は落語家ではないし、漫才師でもない。本当に自分なんだろうか、という気持ちもなくはありませんでした。
しかし、「笛吹き童子がやってくる」という植松先生への御神示と、「お前を迎え「にくる人がいる」という私への御神示がピタリと符合が一致したので、これは間違いないと。
私が二十五歳のときのことです。そのときから、神に対する生き方や気持ちはたりとも変わることがありません。
ということで、ご神業が今日にまで進んでくる間には、そういう仕組があり、ドラマがあったわけです。あれから二十九年。あと三ヶ月で五十五歳になりますけれども、二十九年前の一月五日。明日ですね。明日、植松先生と私の出会いの二十九周年です。足かけ三十周年ですか。この三月十八日で五十五歳になりますから、来年の一月五日で三十周年になります。(平成十八年現在)
玉照彦と玉照姫。私が玉照彦で、植松先生が玉照姫。玉が照っている彦と、玉が照っている姫です。
出口王仁三郎『霊界物語」の中で、六歳か七歳の少年と少女として予言しておりますけれど、植松先生は「私は青心童女、青い心の童の女。あなたは笛吹き童「子」とおっしゃった。「ああ、私が笛吹き童子ですか」と。まあ、「霊界物語」では六歳か七歳の、ちっちゃい男の子と女の子に描かれておりますけれども、そういう内面性をいっているのでしょう。
来年(平成十九年)の一月五日で三十年目です。明日で二十九年目になるんですね。二十九年たってもまったく変わっておりません、そのときの心構えと生き方は。
抜群の法性力を誇る役小角
空海もそのように悩み、葛藤した末に恵果阿闍梨と出会ったわけですけれど、あの出会いも、ものすごくドラマチックです。ドラマといえば、これほどすごいドラマはありません。行基の一生もまた、すごくドラマチックです。
役小角については、機会があったらまたゆっくりお話ししたいと思いますが、役小角はあるとき、弟子の韓国連広足という男から「術を教えてくれない」ということで讒訴されます。
そして、お母さんを人質で取られたうえ、本人も伊豆の大島に島流しにされるのですが、そのとき、自分が暴れたら人質の母親が危ないからというので、これをいかに超えるかということで「絶対完読してねセット」にありますけども夜な夜な伊豆の牢屋から富士山へ飛んでいった、という伝説が残っております。
役小角が流された伊豆の大島にはいまでも桜の木がありますが、あれは役小角が植えたものとされています。役小角は行く先々で桜を植えており、大島の桜も役小角が植え、吉野の桜もそうであると伝えられています。
その桜の木で仏様を彫ったりしています。桜の霊徳とは、すなわち仏様なのです。梅は神様、桜は仏様。役小角が修業したところには全部、桜が植えられています。
その桜の木で仏様を彫ったりするのですが、お護摩を焚く場合も、本当は桜の木が一番いいとされております。ただ、なかなか手に入らないので、ほかの木でもいいのですが、一番いいのはやっぱり桜の木です。
神界の教えを象徴するのは梅。それに対して、バッと咲いてパッと散る桜は、人の心を表す仏界の木。桜は仏様の悟り、心の有り様を表しております。だから、瞬間に開いて瞬間に散っていくでしょう。春、暖かいときに咲くのが桜。神界の梅は寒いときに咲きます。
梅は神の教え。厳しい現実界の中で会得、体得したものが、神の教え。これが梅の意味です。桜は春のような悟りを開いた心の状態、阿耨多羅三藐三菩提と言えるような恍惚とした内的悟りの状態を表します。桜はたしかに暖かい季節に咲きますからね。桜と梅には、それぞれ違う意味が込められているのです。
話を役小角さんに戻しますが、役小角も試練を受けて、最終的に島流しにされた先で首を斬られることになった。
いまや首を斬られるかという刹那、役小角は首斬り役人に申し出ます。
「死ぬ前にお願いがあるんだけど、聞いてくれるか」
「何だ」
「その刀をなめさせてほしいんだけど。最後の願いだから聞いてほしい。刀をなめさせてくれ」
「刀、なめる?」
「今生最後のお願いだから、なめさせてくれ」
「まあ、わかった。じゃあ、これ、なめろ」
と言って、役人の差し出した刀を役小角がペロペロとなめたら、刀がぐにゃぐにゃになった。それを見た役人は、腰を抜かして、「ああーっ、刀なめたら刀がぐにゃぐにゃになっちゃった」と、都に報告したところ、都では上を下への大騒ぎになって、最終的に天皇の耳にまで達したわけです。
「何?刀をなめたら、刀がぐにゃぐにゃになった?その人はきっと尊い聖人に違いない。神様のような方を島流しにするなどもってのほかである」
ということで、天皇のほうから、申しわけないことをしたと許されて、役小角と人質になっていたお母さんは助かったのです。
それにしても、ものすごい霊力です。役小角は日本の修験道の始まりですから、やはりそれだけのものがあります。
役小角は霧島神宮の奥宮があった山に葬られていて、肉体に非常に近い次元に降りてこられます。
ですから、救霊師が霊的に苦しくて辛いときに役小角を呼ぶと回復します。霊的に疲労困憊のときに役小角が来ると、シャキーンと回復します。それだけの法性力を持っているわけです。役小角はその法性力でもって邪気を祓ったり、疲労困憊のときに蘇生するだけの御魂の力を与えてくれます。これを法性力というわけです。救霊師の霊力テストのときに説明しましたけれども、役小角はそれだけの力を与えてくれるのです。
役小角、行基、空海の悲願を背負う救霊師
このように、役小角の生涯もドラマチックですごいです。役小角は抜群の法性力を持っていただけでなく、天界からのパイプを開けた人です。それに対して行基は、巷のレベルに降りてきて、人々を救いました。そのふたりの要素を兼ね備えて、真言八祖になったのが空海です。
そして、役小角、行基、空海の三人が救霊師の守護霊になっているのですから、そのお三方がいかに偉大な方なのかということを頭に入れておくと、その働きを継承して素晴らしいお取り次ぎができます。と同時に、ご神業の大いなる荷い手として活躍すべく、救霊のとき以外でも、いつでもどこでもずっと守ってくださいます。
今年(平成十八年)誕生する救霊師は、カシオペア救霊師といいますが、その前々回あたりの位上げ救霊師になったころから変わってきました。位上げ救霊師、マックホルツ彗星救霊師から、今度、カシオペア救霊師になりましたね。前々回あたりから変わってきましたけれど、一期、二期、三期の初期からの救霊師もそうなんですよ。そのことを自覚すると、そのように動けます。
ですから、初期のころからの救霊師は、年々進化していくのを楽しみにしていただきたい。どのように進化してもすべて吸収でき、自覚と認識さえあれば、そのお力を授かることができます。そのための勉強をして、どこがどういうふうに変わったのか理解していないと、十分に使いこなせませんけれど。
今日は、役小角や行基、空海の実際に動かれた歴史をお話ししておりますが、これを聞いているだけでも、すごいと思うでしょう。
カシオペア救霊師の応募者が、二千人を超えましたが救霊師の申し込みをしたら、そのときから守ってくださいます。カシオペア救霊師の場合はカシオペアの菊理姫様が守ってくれるのですが、菊理姫様だけではなくて、このご三体にも導かれていると思っていただきたい。
救霊の霊力テストがあるまで、いろいろ邪魔が入ったりするかもしれませんけれども、こんなすごい方が守ってくださるのです。霊力テストが終わったら、正式に皆さんの一生涯を守り導き、さらにあの世へ行ってからも守ってくれますが、霊力テストが終わるまでも、導いてくれていると考えてよろしいでしょう。
だから、時間的にも霊的にも財政的にもいろいろ大変なことがあるかもしれませんが、何とかやり繰りすれば必ずやれると信じて、神様にお祈りし、人間としてのあらゆる努力を惜しまず、頑張っていただきたい。
そうすれば、必ずできるようになります。このたびカシオペア救霊師を発願された方は、いま申し上げたようなことをしっかりと自覚し、自信と誇りを持って、謙虚に祈り続けていただきたいと思います。
そういうように、私たちはその方たちの系譜を踏まえて学び、実践しているのですが、同時に、その方たちの悲願を背中に背負っているわけです。
もちろん、その方たちからずーっと続く出口ナオ、出口王仁三郎、日出磨さんをはじめとして、もちろん天理教の中山みき、その前の如来教の一尊如来きの、黒住教の黒宗忠、等々の皆さんも、みろくの世の実現という悲願を胸に一生涯を貫きました。
日蓮は、みろくの世のことを甘露台の世と言い、弘法大師は密厳国土と言いましたが、みなそれぞれにみろくの世の実現という悲願を果たそうとされたわけです。
