神仙界に行く三つの方法(Vol.9)

第三章 役小角行基空海に守護される人とは?

聖徳太子と最澄の関係

聖徳太子はなぜ「法華経」を選んだのか。「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の仏教では、すべてこの世の執着を離れ、永遠なる涅槃寂静を見なければいけないと教えておりますが、聖徳太子の選ばれた「法華経」は、唯一この地上と現実界が甘露台の世となる、弥勒の世となる、現実のこの世が仏様のような理想の国になるのだと教えています。そう言っているのは、「法華経」だけです。

汚濁に満ちた泥田のような現世。その泥田の中にしっかり根を張って、木の上では見事な蓮華の花を咲かせるのが蓮。泥の中に根を張って、見事な花を咲かせる。だから、現世を離れているわけではない。この現世に根差して、この現世を理想の社会にすると教えているのが、『法華経』なのです。

その、現実界をよくする、理想の社会にするという教えは、日本の神道、ひいては古来日本人が持ち続けてきた文化性、精神性に非常にマッチします。だから、聖徳太子は数あるお経の中から「法華経」を選ばれたのです。

聖徳太子の亡くなるその前後ぐらいに、この「法華経」を体系づけたのが、天台宗の智頭です。そして、聖徳太子をこのうえなく愛し、聖徳太子にあこがれ、聖徳太子を敬い、聖徳太子を恋人のごとく敬っていたのが、最澄です。最澄が「法華経」の原点となる天台山に命を懸けて行って、天台宗を日本に弘めようとしたのは、そこに最大の理由があります。

最澄も、空海と同じ遣唐使船で中国に渡り、わき目もふらずに天台山に行きました。そして、智頭の残した天台法華、すなわち「法華文句」「法華玄義」「摩訶止「観」という三大経書をはじめとするお経を招来して、日本の天台宗を開いたわけです。

天台宗では法華を原点にして、禅、律、密教を四大柱としております。禅というのは座禅の禅です。律というのはまあ、倫理ですね。法華、禅、律、密教を四つの柱としている比叡山の天台宗。しかし、その基礎は法華です。

「日本第一の智恵者となさしめたまえ」と祈った日蓮

それに疑問を抱いたのが日蓮です。

お釈迦様は一人なのに、なぜこんなにもたくさんの宗派があるんだ、何でこんなに幾つも幾つも仏教があるんだと。どの教えが本当なのだ。本当の教えはどれなのか、それを極めたいと発願して、出家したのです。

出家先の小湊、清澄寺に祀られていたのは、虚空蔵菩薩です。虚空から智恵を与える虚空蔵菩薩。これは国常立大神の化身ですけれども、虚空蔵菩薩に日蓮は発願しました。

「願わくば、日本第一の智恵者となさしめたまえ」

日本第一の智恵者でありますように。日本第一の智恵者となって、いったいどの宗派が、どのお経が本当の仏様の御心を表すものなのか、それを勉強させてください、というのが日蓮の発願です。

虚空蔵菩薩に何日間もお祈りしたのですが、満願の日に虚空蔵菩薩が現れて、手にした珠、宝珠の珠を日蓮に授けたといわれています。日蓮と名乗る前、蓮長と言っていたころの話です。

それから、仏教を極めようということで、比叡山で十数年間勉強しました。高野山にも籠って勉強しました。一切経を二回ぐらい読むなど、あらゆる勉強をしました。

その結果、「法華経」にこそ真実がある、「法華経」こそ仏法の真髄であると言ったのですが、私にいわせれば、日蓮は龍神界のほうにちょっと行き過ぎています。

お経という、形に残された経文に偏っているところがあります。ですから、日蓮の言っていることは必ずしも正しいわけではない。全部が全部、正しいわけではありませんが、国常立大神様がまだ前面に出てこられていない時代のことですから、それも仕方のないことでしょう。

高野山に現れた三宝荒神

「三千世界、一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。梅で開いて松で治める弥勒の世といたすぞよ。須弥仙山に腰を懸け、艮の金神、ますかけならすぞよ」という大宣言をもって、出口ナオの筆先に落として、国常立大神が与党に返り咲いたのが明治二十五年。

国常立大神様は、それまでは野党でありました。だから、全面的に活動できない分だけ仏教を通して衆生済度し、庶民を救い国を救うために動かれたのです。

鎌倉仏教の一番最後に出てきた日蓮のときには、八大龍王となって動かれており空海のときもやはり仏教の時代でしたから、国常立大神様は三宝荒神の姿となっ空海を導いておられます。

空海が高野山を開山したことは誰でもご存じのことと思いますが、空海は高野山を開くに当たって大変な苦労をしました。

ものすごい雨と嵐で、なかなか工事が進まなかったのです。そこで、これは何か障りでもあるのかもしれないというので、護摩壇を設けてお護摩を焚いたら、ドドドーンと地震が起きて、異形の神が姿を現した。

なんと、顔が三つに手が六本あります。それにびっくりした空海が、「あなたはどなた様ですか」と尋ねると、「三宝荒神じゃ。わが姿を知りたくば、この高野山の九つの山と九つの川、これが私の本体だ。われを祀れば大願成就する」と言ったのです。

三宝荒神とは要するに金神様です。大地のエネルギーの塊です。この三宝荒神が雨、風、嵐を呼んで、工事ができないようにしていたわけです。そして、空海が言われたとおりに三宝荒神を祀ったところ、無事に工事が完成したと言われておりますが、お鎮まりになって祀ったのが立里荒神です。

その後、空海は月に必ず一回はこの立里荒神にお参りしております。あれだけ仏様と一体となった空海。胎蔵界、金剛界の仏と自由に交流し、真言八祖を受けた大霊能者である空海が、高野山の経営に関して苦しいときには、必ずこの立里荒神にお参りをして、教えを請うていたわけです。ということは、高野山の経営に関しては、胎蔵界、金剛界の仏様よりも、立里荒神さんのほうが上、ということです。

そういう歴史があることを知っておりましたので、その立里荒神に私も行きました。しかし、皆さんにはあまり推薦できません。

そのときに驚いたことがありました。何に驚いたかというと、寄附の金額です。

神社だったら三千円からでも名前が書かれますけれど、高野山に行くと三千万円からです。三千万円のお墓ですよ。一番安い石の塔で三百万円。高いのになると三億円。高野山には会社のお墓もあります。

一方、高野山の端のほうにある立里荒神では、三千円から名前があるのです。神社は三千円から名前を書いてくれる。高野山は三百万から。一桁どころか二桁、三桁違います。自分のご先祖が行き、骨を納めるところにはいっぱいお金を出しても、神様には三千円とか五千円しか出さないんですね、人間って。

立里荒神に行ったとき、そんなふうに思ったことを覚えておりますが、そのとき、「立里荒神さん、いったいあなた様はどなた様なんですか」と尋ねたのです。そうしたら、瞬間にワーッと出てこられたのが国常立神様だっ

た。由井正雪みたいにきれいな黒髪で、目がぱっちりしていて清々しく、優しい国常立神様が出てこられて、「ああ、国常立神様だったんだ。国祖国常立大神様が立里荒神となって、空海の高野山の経営、運営を守り導いておられたんだな」と思いました。

そのときは、まだ国常立大神様にとって野党の時代です。明治二十五年に、「三千世界、一度に開く梅の花。梅で開いて松で治める仕組」という大宣言が出て初めて与党になったわけで、それまではまだ野党の時代ですから、陰から動くしかなかった。だから、空海のときは立里荒神さんとなって導いておられたのです。

空海が遣唐使船で日本に帰ってくるときには、波切不動明王となって守りました。

遣唐使船というのはだいたい五〇パーセントが遭難しているのです。五〇パーセントに近い遣唐使が、行きと帰りのどちらかで遭難して亡くなっています。遣唐使というのは、半数近くの人間が死ぬということがわかったうえで行ったのです。

それだけ、お国のために中国の文化を吸収しようという気持ちが強かったわけです。空海が中国から帰ってくるときもすごい嵐が吹き荒れ、命より大切な経典や法具を何としても守らなければいけない。

そして、いまにも船が沈没しそうなったとき、「ノーマクサーマンダ バーザラダンセンダ マカロシャーダ ソワタヤ ウンタラ タカンマン」

と、空海が不動明王の真言を唱えたところ、不動明王が現れ出て、手に持つ宝剣で逆巻く波頭を切り裂いて船を安全に導いた、といわれております。

この不動明王が波切不動明王で、高野山に祀られています。それにしてもすごい法力です。波切不動明王がガーッと出てきて、波を切り裂いて嵐で荒れ狂う海を鎮めてしまうのですから。

明治二十五年のそのときまでは、国常立大神様は正式に表に出てこられない。だから、三宝荒神となり立里荒神となって空海を守った。一口に高野山を経営するといっても、お金のやり繰りはさぞや大変だったでしょう。そのお金のやり繰りに関しては、胎蔵界、金剛界のどの仏様よりも三宝荒神のほうが上だった、ということでしょう。

この歴史の事実を見たら、それがわかります。空海も高野山の経営に関しては、立里荒神に月に一回は必ず行ったというのですから。やはり、胎蔵界、金剛界の仏様よりも上なのです。三宝荒神、いまなお多くの人の信仰の対象になっているのは、そういうところに理由があります。

大峯山に現れた三宝荒神

三宝荒神が出てきたのは、空海のときが最初ではありません。空海のときは二度目です。歴史に最初に登場するのは、役小角のときです。

役小角がずっと祈りを込めていたときに、上空に紫の雲がたなびいて、ドーンというすごい地震が起きた。震度いくつかなんて書いてありませんけれど、ものすごい地震で、紫の雲まで出ている。一体何だろう。いぶかしく思った役小角が、その紫の雲が出ているほうに行ったらば、そこにウワーンと現れ出てきたのが異形の神だった。

顔が三つに手が六本、足が二本。足が六本では躓きますからね(笑)。

空海のときと同じです。

その異形の神に役小角が、「あなたはどなた様ですか」と尋ねたら、「われは三宝荒神。わが姿を知りたくば・・・・・・」「この大半の山の九血九州、これがわが本体なり」

大峯山の九つの山と九つの川がすべて、私のご本体だと、要するに大地の金神、艮の金神様だということです。そして、艮の金神様は続けて言います。

「忍耐を持ち、精進する人間をわれは守る」

人間の貪瞋痴というのがあります。この貪瞋痴にどの人間も苦しむのですが、それを精進努力し、一生懸命、苦修練行して克服し、忍耐をして研鑽する者をわしは守ると。つまり、忍耐を持ち、精進努力する人間が少ないことを嘆いていたわけですけれども、

「お前は今まで本当によく忍耐し精進をした。だから、お前を守るために来たのだ。われは人間の貪瞋痴というものを徹底的に叩き、貪瞋痴を克服し精進する者に財徳を与え、これを守る者なり」

そういう仏だとおっしゃって出てきた。これが日本で初めて出てきた三宝荒神の始まりです。

この三宝荒神をお祀りするためにつくられたのが、大柴燈護摩です。大柴燈護摩というのは実は仏教ではなく、修験道で始まったものであって、役小角が三宝荒神をあらわすためにやったものなのです。

命を懸けて精進努力する人間の少ないことを嘆いていた三宝荒神は、人間の貪瞋痴を克服して、一生懸命努力する人間のその努力をことごとく財徳に変えてあげると言ったのですが、役小角は大峯山で苦修練行し、世のため人のために生きていた。世のため人のため、皇室のため、常に修業していた。

修業は、己の能力とか霊能力を磨くためのものではない。国を思い、民を思い、皇室を思うがゆえに、役小角は修業していたのです。修業するときの原点が違います。

霊能力を得たいなんていうのは我欲です。本当の神様、仏様が守っているので、霊能力を得たいと思っても、修業が満願成就できないのです。役小角の伝統を知るならば、わがことを離れて、国を思い、民を思い、皇室を思い、これを守らせたまえと祈り向かうのが本当の行者、本当の修験者であり、本当の山伏です。

ところが、霊能力を得たい、ご利益を得たいという修験者、山伏があまりにも多い。山というのは他界ですから、その山という他界において霊気を得たい、という思いで邪のほうにいくから、三文の霊能者、三文の行者、三文の山伏にしかならないのです。

その山岳宗教の山伏のルーツ、修験者のルーツ、行者のルーツは、役小角です。その役小角はどのようにして修業をしていたのか。己のことなんか捨てて、皇室を思い、国を思い、民を思う。そのために、ずっと苦修練行してこられた。だからこそ、天地の神が守るわけです。

救霊師も、そのような気持ちを持たなければなりません。皇室のため、日本民族の長のため、日本民族のため、国のため、民のために一生懸命祈って努力するときに、本当の役小角の御心に合うことができる。だから、本当のご守護が受けられる。「役小角さん、役小角さん、守ってください。守護してください」と言っても、聞いてはくれるでしょう。しかし、本当には守ってくれません。小角と同じき心の人間を守るのです。

三宝荒神も、もちろんそうです。小角は皇室を思い、国を思い、民を思うがゆえに、苦修練行の日々を送り、結果として霊覚を得ていったわけですから、そういう救霊師、そういう祈りをした者が本当のご守護を受けるに値するわけです。

だから、役小角を守護霊につけてもらって、「わーい、うれしいな」なんて喜んでいる場合じゃない。喜んでお祈りすれば守ってくれるけれども、それだけでは本当のご守護はいただけません。小角の心に合ったとき、本当のご守護と本当の霊力を与えてくださる。一体となって導いてくださるのです。

役小角はそのような心で祈り向かったからこそ、あれだけのシャーマンの道を極めた。修験道、山伏、山岳宗教のルーツになった。このルーツを皆さんが知ったら、どのようにすれば守ってくれるか、どのようにすれば一体となるのかがわかるはずです。