支部にしのび寄る魔にやられてつぶれる支部にならないように ~神柱になれるシリーズ7~(Vol.3)

夢を語り合うことの意味

支部というのは御魂の世界の出城であり、確かにユートピアなのだけども、しかし、現実から逃れるための場所ではない。現実に負けないで、雄々しく頑張っていくんだという気持ちでないと、魂がだめになって軟弱な人間ばかり出てきますから、これは神様の御心に合いません。

やはり、「高い文化レベルを保ちながら、現実の中にも雄々しく立ち向かっていく」というのが理想像です。支部の中で、いろんなことが言われるかもしれませんけども、原則はこれです。それが、この神仕組で出されている神人合一の像であり、ワールドメイトの会員やご奉仕する人たちの、共通するビジョンであり、理想像ですね。

現実は見なければならないのだけれど、奴隷になることはない。現実の奴隷になってしまってはいけません。現実を超えていかなければいけないわけです。

そのためには、夢を語り合う、理想を語り合う。

A支部もいろいろと夢を語り合っているらしいですね。夢を語り合うというのは素晴らしいことです。「夢を語り合う」という世界が、本当に御魂の世界に入っていく入り口で、そうでなければ現実の奴隷になってしまいます。

夢を語り合い、理想を語り合うと、神仙の世界と神霊界が膨らんで、大きくなっていきます。やがて、それが現実に具現化されていくわけです。

大脳コントールだとかイメージコントロールだとか、そんな大げさなものじゃなく、お互い夢を語り合っていくと、それが現実化していく。というのは、霊界が広がっていくからです。

ですから、大勢の人が夢を語り合っている支部は、ますます発展していきます。支部の皆が、「たくさんの人が、きっと来てくれるんだ」と確信して疑わないと、夢と理想は濃く強く大きくなる。霊界が強力になっていきますから、いっそう成就していく。現実界の顕現パワーも強くなるわけです。

これは、前回ここで申し上げましたね。年月を区切って、人の数をおいて、一丸となってどこの神社に行ってもそれを祈ろうと。

そうやって一つ一つ共通の目標を持って、理想を持って、夢と希望を語り合いながら、ワールドメイトというものがあり、この神業というものがあって、私たちは日々そこで勉強しているわけです。

そういうのが広がっていけばいい。年月と人数を一応設定して、そのとおりにならなくてもいいわけですが、共通の目標で霊界を盛り上げて動かそうということです。

さらに、「ああいうのもしてみたいね」「こういうのもしてみたいね」と、いろんな夢をどんどん広げていけばいいですね。たとえば、比叡山悟得会を開催して、比叡山の上で日蓮上人のモノマネをしてみようとか。比叡山から追い出されるかもしれないけども、そのときは皆で一斉に手を挙げて、「ヒエー山」と言って帰ってこようとか(笑)。

言うだけはただだから、税金はかかりません。そういう話をいろいろするのは、御魂の神霊界が広がっていくから楽しいよね。

そんな中から、「瓢箪から駒」が出る。「ああしましょうか」「こうしましょうか」と言っていく中からイメージが広がり、それが実現するんです。

だから、現実はこうだからといって、絶対に現実だけを見ていてはダメなのです。全く現実と関係なく、夢というのは「ところで人類の発生はこうだったから」というようなところから始まっていく。荒唐無稽であればあるほど、夢っていうのは楽しいわけですからね。

理想というのは、どっちかというと、夢からちょっと現実に近くなっていきます。荒唐無稽なことから、次に現実性を帯びた荒唐無稽なこと。そういうことを、なるべく口にして話す努力をする。そうすると、支部の霊界がいい面で弥栄に栄え広がっていくわけです。

そうしていると何だか知らないけれど、ここに来た人は御魂がワーッと喜ぶし発動する。皆が発動してるのを見て自分も発動する。そういう場に支部がなったら、これはもうご神業は楽しいし、人生は楽しいし、神様も守護霊様も喜んで、御魂も輝きっぱなしですね。

観念を超えた発想の素晴らしさ

こういうことが本当の信仰であり、宗教の原点なんです。

活字というのは、非常に大きい力があって、それも必要なんですけども、活字ばかりだと頭の勉強会になってしまいます。宗教理念とか宗教観念というもので、「神はかくあるべきだ」というような宗教討論に入っていくわけです。

そういう討論も勉強なのかもしれないけれど、御魂は縛りつけられています。ある程度、活字の教えも要るんだけれど、原点は夢と理想を語り合っていくことです。宗教観念とか宗教理念に拘泥されずに、「愛と真心があり、社会と協調ができて、みんなが盛り上がって幸せならいい」と。

あまり「ねばならな「い」という世界に入っていかないようにすることです。

宗教理念や教理の中を云々するということは、神霊界との交流の原点、神と人との原点、宗教の原点というものから少しずつ観念信仰のほうに入っていくわけです。私なんか、もうグチャグチャです。宗教家か実業家か芸術家かアホかわかりませんものね(笑)。しかし、観念に縛られていませんから、ものすごく柔軟です。

織田信長も楠木正成も、あの当時、全く観念破りですよね。

楠木正成の千早城にしても二重壁ですから。鎌倉武士が攻めてきて、ようやく城壁を乗り越えたと思ったら、上からダダダーッと石を落とされて、もう一枚壁があるんです。よくあんな戦いの仕方を思いつきますよね。

鎌倉武士というのは観念に縛られています。先祖代々の伝統を持っていますから、武士というのは鎧兜を着て、槍と刀で戦わなければならないと思っているわけです。

しかし楠木正成は、武器は必ずしも刀とか槍じゃなくってもいいという発想です。それで、攻めてきた相手に、上から肥えをかけたわけです。鎌倉武士たちは、「う!何だこれは。臭い臭い臭い」って、もう戦意喪失です。

さらに、ものすごく長い柄杓で上からジュッと熱湯をかけた。しかも相手は鎧でしょう。煮えたぎった熱湯を浴びせられて、「熱い!」といってもすぐ脱げない。中に浸透してくるから、全身大やけどでみんなバタバタ落ちてきます。それでほとんど死んでしまった。

上から岩石を落としたり、大木を落としたり、それから熱湯と排泄物。使えるものは、全部活用したわけです。それで何万という大軍が、千早城を攻め落とせなかったんです。こんなことは誰も考えつきません。「戦はこうでなけれ「ばならない」という観念を全く外していますから、そういうところは織田信長もそっくりです。

だから、神様の世界でも、「こうであらねばならない」という観念を超えて素晴らしいものを出そうと思ったら、みんなが和気藹々として愛と誠で盛り上がって、神なるものを追求する気持ちが続いていけば、いろんな結果が出ていいわけですね。夢と希望を語り合っていく。現実離れした夢と、少し現実味を帯びた理想を語り合って、いろんなことをしてみようと。

輪切り方式と短冊切り

青山塾生にいつも言い続けてるのは、「軽犯罪法、重犯罪法に触れないで社会の顰蹙さえ買わなければ、何やってもいいんじゃないか(笑)」ということです。観念に捉われず、みんな盛り上がって喜んでやることには創造があるわけです。宗教文化の創造、神霊文化の創造があるわけでしょう。

それは生きているわけです。組織が生きている。人が生きている。これが原点です。

ただ、一つの宗教団体という組織の面を考えたら、みんなグチャグチャなことを言いますから運営は非常にやりにくいでしょう。だから、普通は、組織ができ上がってきましたら、本部や組織の上部から見て、全体をシュポーッと輪切りにしてしまうんですね。

これを私は「上からの輪切り方式」と呼んでいます。確かに、このほうが運営的な効率はいいわけです。

しかし、ここで私が言っているのは、「下からの短冊切り」です。

いろいろな事情があって、それぞれ違うわけですから、一つ一つみんなの気持ちを考えて、個々に対応して問題点を一個ずつ解決していくのが、下からの短冊切り。そううまく行かない場合でも、「しかじかの理由がありまして、誠に申しわけありません。

こういうふうにしようと思うんですけど、このような形にならざるをえないので、ご理解ください」というように、一つ一つ短冊切りで丁寧に理由を説明すれば、こういう神様の道に生きようという人は、基本的には悪い人はいませんから、だいたい分かるんです。

ところが、上から輪切り方式でスポーンと結論だけ押し付けられると、下のほうは、「私たちは、一生懸命こんなに葛藤して頑張ってるのに」と本部に対して腹が立つ。あるいは、人に対しても腹が立つ。

人間は、感情がありますから、上からの輪切り方式というのは、本当に腹が立つのです。いろんな宗教の歴史を私も見ていますけれど、本当に真心のある一生懸命な人が、腹を立てて教団を辞めていったり造反するのは、上からの輪切り方式に対して反旗を翻すわけです。

みんなのことを考えて、一つ一つ対応を丁寧にしている教団もあります。仏教系統では、妙智会が非常に評判がいいところですね。そういうところは、みんなの意見を考えて下からの短冊切りでやっています。

金光教も歴史のある教団で大本教よりも古いですが、教理に照らし合わせて時代と合わないところ、教祖や幹部の間違ってるところを正そうというので、新しい試みをやり続けている。これも下からの短冊切りです。

欧米企業と日本企業の違い

欧米のやり方というのは、組織が大きくなってきますと、だいたい輪切り方式です。

たとえば、アメリカでも四十歳代で社長になる人が多いのです。これは学校教育のシステムとも関連してきますが、その人の得意分野を伸ばして一芸に秀でた人間を育成しているからです。

社会に出たら、その分野で培った専門能力を生かして活躍することができます。そして、その中から優秀な人間が抜擢されて社長になる。

ですから、たとえば財務とか、コンピューターだとか、文章とか得意な人が、四十五歳でかなり大きな会社の社長になるというような現象が起きてくるわけです。新進気鋭だと思うでしょう。

ところが、ある分野でスペシャリストであっても、自分の専門外の人たちの気持ちとか、それぞれの部署の持っている問題点、それぞれの葛藤や悩みということが全然わからないから、全体を見てこうだからと上からの輪切りでスパッと切ってしまう。会社の業績が赤字だからといって、レイオフしてそのままです。

日本の場合は、大きな企業であれば、たとえば子会社をこまめに分けて、「あなたは適性がちょっとあれだから、この会社に行って」とか、「あなたは頑張ったから、定年退職したら少し給料多めにしてこっちに行きますか」とか、あるいは「もうちょっと窓際で、日当たりのいいとこに行きますか」とか(笑)、一人ひとりに対して人事は細やかに対応します。

会社の業績が悪いときでも「赤字なのでご理解ください」ということで、組合とも話し合いを重ねて一人ひとりの身の施し方をそれなりに考えますよね。

そういう細やかさはどこから出てくるかというと、日本の企業の場合には、勉強のために、だいたいいろんな部署へ回されます。阪急電鉄なんかも、一年二年は切符切りからやります。

東大を出ようが、一橋を出ようが、京大を出ようが、どんな一流大学を出て優秀な頭脳の人でも、阪急電鉄に就職したら全部切符切りからです。小林一三のフィロソフィー、哲学です。

切符切りから始めて、受付だとか、経理だとか、最低十年間はいろんな部署を回っていって経験を積んで、それで上へ上がっていきます。だから、管理職になって一つの会社の決定をする場合にも、工場の人たちの気持ちだとか、切符切りの人たちの気持ちだとか、いろんなことを考えて一つの決定をする。

全体から見た決定をしても、それを浸透させていくときには、痛いところ、痒いところ、辛いところまで配慮してできます。だから、日本の企業のほうがまとまりがいいわけです。

日本の企業のよさはそれなんです。これが、私が「下からの短冊切り」と呼んでいるやり方です。下からずっと上がってきた人が、個々に問題点に対応していく、そういう日本企業のよさというものを大切にしていきたいですね。

日本のよさを見直そう

日本の教育の今までのやり方は、決して悪いことはないと私は思っています。悪い面もあるけども、決して全部悪くない。いい面もいっぱいあるんですね。ブッシュ大統領もそれを認めています。「どうしてこんなに日本企業は優秀で、日本人が経済で勝つんだ」と。

これはEC(現・EU)の発表ですが、世界の十五大銀行を挙げてみたら、一位から十五位までのうち十行が日本の銀行なんです。世界企業ベストテンを挙げてみたら、そのうち六社が日本企業なのですから(一九九一年当時)。

先ほど少し触れたように、欧米の場合は才能教育です。その人間の得意な分野を伸ばして一芸に秀でた人間をつくりますから、本人が自分の適性に気づいて方向を決めていくまでは、基本的にあまり勉強をしません。

ヨーロッパでも、先ごろ私はスウェーデンに行ってきましたけれど、小学校には通知表って全然ないのです。中二ぐらいから、初めて通知表が出てきます。

それを日教組はやろうとしてるわけです。「通知表をなくそう」という運動、小学校は伸び伸びと才能教育。

ところが、逆にアメリカでは、「小さいころ遊ばせすぎた。このままでは国力がどんどん落ちてしまう」ということで、ブッシュ大統領が肝入りで小学校、中学校に行って、カリキュラムを増やしてもっと勉強しろと言っているわけです。

スウェーデンにしても、福祉国家というものの世界的な企業はSAABかV OLVOぐらいですね。それも千四百人、二千人レイオフです。製薬会社でアメリカの特許をとった薬が出て、株が三百倍くらい上がったところがありますが、それぐらいでしょう。

ですから、国庫にも地方にもお金がありません。それでお金がないものだから、「給食代は自費負担でお願いします」ということになったのですが、そうするとスウェーデンのお母さんたちは、全部ボイコットです。「いまだかつてそんなことは聞いたことがない」と言って、子どもを小学校に行かせない。

いったん豊かになってしまうと、経済が大変な状態になっても、なかなか厳しいほうへ戻れない。だから、スウェーデンも、やり方の転換を余儀なくされているわけです。

あまり小さいうちから勉強ばかりやりすぎるのも、確かに創造性は伸びていかないけれどね。しかし、使命がある子、天命がある子というのは、「勉強せい、勉強せい」と言っても絶対に勉強しません。ポーッとして、どんなにやっても型にはめられない子というのがいるんですね。

私がそうでした。どんなに勉強してもポーッとして、興味の向かないことは全然覚えられません。その代わり、「へえー」と好奇心を刺激したことは、もうどこまでも一言一句間違うことなく全部バシッと覚えますから、どういう頭なのかね(笑)。赤ちゃんと同じですよ。

学校の勉強は宿題以外はしたことがありません。だから、 33 (サンサン)と輝くという太陽の成績でした。霊界の案内である4(死)というのもないし、親の因縁の5(劫)もないし、経済の負担の2 (荷)もないし、バーゲンみたいに1(市)も立たないと(笑)。

五段階評価でそういう成績でした。だから、受験では苦しみました。しかし、その苦しみの経験が全部生きて、苦しんだ分だけ、今、予備校で生かしています。

ともあれ、少なくとも欧米は日本に注目して、「どうしてあんなに成功しているんだろうか」と思って、教育制度なども真似しようとしています。ところが、向こうがそう思っているのに、日本は行き詰まってる欧米を見習おうとしている。おもしろいなと思ってね。

日本のほうの行きすぎも多いですけれども、だからといって、無批判に欧米を入れることはないです。いっぱい長所があるんですからね。

一人ひとりの御魂を生かす組織の運営

だから、日本の社会のいいところは、一つ一つきめ細かな対応をしていく下からの短冊切り。ただし、これは手間がかかります。それで、ついつい上からの輪切り方式になってしまうわけですね。どこの宗教でも、「上からのお達しでこうですから」と。

やはり、組織を運営し、支部を運営し、体制と形を整えていこうと思ったら、みんなの意見ばかりも聞けないわけです。みんなの意見というのは、イコールとは限りませんからね。ヒットラーが言うみたいに、国民の半分の意見を聞こうと思えば、もう半分の意見を無視せざるをえない。みんなそれぞれ都合があるわけで、全部の意見は取り入れられませんよね。

ですから、最終的には、一番多い意見を採用するという決断も必要になってきます。

それから、やはり先々のことを考えて、「今、こうしなければならない」ということがあるわけです。しかし、それもゴルバチョフさんみたいに、討論を徹底的にして、丁寧に「こういう事情ですから」ということを、下の気持ちの人たちを考えて短冊切りで一つ一つ説明していけば、みんな「なるほどなあ」とわかります。

そうせずに、一気に上から輪切りでやってしまうものだから、不満と怒りとボイコットが起きるわけです。それはやはり、思いやりが欠如しています。独断と偏見と我が強いわけです。

もう少し組織というものを考え、人の心というものを捉えていかなければいけない。組織というと機能的な面にばかり目が行ってしまいますが、それは知性の中での実質ですね。しかし、組織といっても実体は人がいるだけなんです。

人間というものは、組織を預かるようになると、ついつい上からの輪切り方式をやってしまいがちです。そうではなくて、どこまでも下からの短冊切り。それが日本企業のいいところ。天皇制のいいところ。下からの短冊切りのやり方を私も心がけておりますし、幹部の人たちにもいつもそういうふうに言っています。

北欧スウェーデンに行ってきて、スウェーデンボルグの霊にも会って、いっそうそういう思いが強くなりました。スウェーデンボルグの霊が教えてくれているのは、福祉社会の三十年後の未来です。良くも悪くも三十年後は、こうなっていくことを見せている。

そういうことで、私もいろいろ勉強しているわけですけれど、絶えずやはりこれでいいということはないわけです。よりよい組織の運営方法、あまりみんなの意見を聞きすぎてもいけないし、福祉が行きすぎてもこういう問題があるんだなと。日本のほうの行きすぎも多いですけれども、よいところもたくさんあります。

少なくとも私たちのグループは、スウェーデンとか欧米みたいに、上からの輪切りではなく、下からの短冊切りです。みんなの意見を聞いて、一つ一つ個々に対応していきます。

組織を預かる人間にすれば、十把一絡げでやったほうが手っ取り早いし、運営をやりやすいです。上に立つ人間から見たらやりやすいですが、会員のみんなにとってみれば角切りにされたようなもので、もう御魂が切られてしまうわけです。

個性が死んでいくわけです。それは、惟神の道のやり方じゃないし、アテネの民主主義でもない。

神人合一、神と人とが同じきごとく行くという新しい時代、すなわち太古の神のあり方ということを考えたら、天が下、平らけく、安らけくの「下からの短冊切り」が、一番みんなが満足する民主的ないい運営です。

だから、くれぐれも上に立つ人間がやりやすいように、輪切りをするというやり方はやめましょう。百点満点の運営はないわけですから、丁寧に言葉を足して一つ一つの事情を踏まえて言ってあげれば、みんなわかりますよ。

組織が急に膨張すると、そこをはしょってしまう。だから、ゆっくり膨張していけばいいわけで…・・・・なんて、それをまた信用しちゃいけません。「ゆっくりすればいいんだ」と思えば永遠に落ちていきますからね(笑)。

みんなは発展を考えていたらいいのです。私がそうやって抑制しますから。