第一章 ご奉仕を喜びとする人が最上の人である~全国たまがき会にて 1990年6月3日~
神試しのジャンプ
支部を運営していくなかでは、さまざまな問題点が出てきます。困難な問題にぶつかったとき、どうやってそれを乗り越えていけばいいのでしょうか。
たとえば、「弥栄の儀」を毎日支部で一時と七時にやることに決めたけれど、なかなか人が集まらない。それぞれ仕事があったり、学校に行っていれば、昼間の一時に支部に集まることは確かに難しいかもしれません。
ですから、最初のひと月は、週に二回ぐらいでも仕方ない。しかし、そう決めたのですから、七月一日からは何が何でも毎日やるように考えてみてください。
どうしたら、毎日一時に支部で「弥栄の儀」ができるようになるのか。
ただ、「集まってください」と言っても、お勤めをされている方は現実問題として難しいでしょう。しかし、子育てが一段落した主婦で、ご神業に熱心な方が何人かいれば、毎日一時に「弥栄の儀」を行うことができるはずです。では、そういう会員さんが支部にいない場合はどうすればいいか。
十八歳以上で、救霊を受けた人が、三人しかいないといった場合(笑)。
今現在、支部にいなくても、子育てを一段落した主婦の方が一人もいない地域はありません。どこでも探せば必ずいるはずです。あるいは男性でも、定年退職をされた年配の方なら、昼の時間帯も比較的自由に動けます。
そういう人材を発掘して、支部に来ていただくようにすれば、毎日「弥栄の儀」を行うことができるでしょう。ですから、まず、そういう会員さんが来るように力を尽くしていく。人材発掘の行脚をすることです。
そのうえで産土神社にお力添えをお願いする。たとえば仙台でしたら、今日帰ったら、早速、鹽竈の神様(宮城県・鹽竈神社)に、皆で熱誠祈願に行くといいですね。
「七月一日から、毎日、弥栄の儀ができますように、子育てが一段落した主婦の会員さんを、五~六人連れて来てください。あるいは、年配の男性でも比較的時間に余裕があって、喜んでやっていただける人が集まって、毎日毎日、一時と七時に弥栄の儀が支部でやれますように。何とぞ、ご手配をよろしくお願いいたします」
支部を運営していくなかでいろいろ問題が出てきますが、皆で発願をして、「一丸となってやるんだ」ということがないと、なかなか動かないものです。大きな壁を越えていくジャンプの神試しと受けとめて、ぜひ、皆で一丸となって乗り越えていっていただきたい。
各支部あるいは青山塾で、皆で産土神社にお百度を踏んだり、二十一日祈願をしているところもかなりあるようです。そうして、熱心に祈願していたら、私が忽然と現れると言われているらしい。何か伝説上の人物みたいだけど(笑)。
忽然と私が現れて、皆さんと一緒に盛り上がって、プレゼントを配って、また忽然と帰っていく。サンタクロースみたいですね(笑)。皆で頑張って盛り上がっていこうということで、祈願を達成した方には、色紙を差し上げています。「ご苦労だったね」って、その労をねぎらってあげようということです。
ただ、そうなってくると、「二日ぐらいしか参加できなかった場合、その人は色紙をいただけるんでしょうか」とか、いろいろ出てきます。先ほども、そ 1ういう質問がありましたが、その場合は「なし」です。というのは、色紙を目当てに頑張ろうというのは、本来の意味からズレてしまっているからです。
私が来るのを当てにするというのは、動機が不純です(笑)。不純というのはちょっと言い過ぎかもしれません。私も、まだ人気があるというのは有り難いことなので感謝しなければいけないのですが、でも、「いつまでもあると思うな親と金」ということ、ありますでしょう?
神様は永遠にいらっしゃるわけですけども、いつまでもあると思うな、親と金と深見先生(笑)。
私が行くのは、頑張っている人を応援してあげよう、ねぎらってあげたいという心からなので、「先生が来るから頑張る」というのは、やはり、お百度参りの意味、ご奉仕の意味ということからいえば、主客が逆になってしまっています。そういうことで考えると、やはり、色紙というのは主ではなくて客です。
初めのうちはそれでもいいのかもしれないけど、それではいつまでも大人にならないでしょう。ご神業の上における大人とはどういうことか、ちょっと考
えていただきたいと思います。
ご神業における大人とは?
神様と自分というものが、深く強く正しいものにきわまっていくことが「神人合一の道」の基礎です。本当にご神霊が動いている場合というのは、もう何をしていても神様のほうからやってきます。
皆が頑張っている様子が、浮かんでくるのです。それで神様に、「あそこに行きなさい」と言われます。
けれども、私も忙しいので、「あのう、今回は遠慮いたします」とか、「またの機会にさせていただきます」とか言う場合もあります。神様が来ていても、できないときはできないのです。
しかし、「どうしても行きなさい」ということもあります。
◎の神様がじきじきに動かれてくる場合は、忙しい中でも自然に時間も取れて、「どうしても行かなきゃ」という気持ちになってきます。それは、やはり、皆さんの誠がきわまっているからですね。その真心に対して、神様がすでに報いてくださっているということです。
「ご奉仕」というのは、無償の行為、無私の行為、無私無欲の行為です。神様のお役に立てることが、何よりもうれしい。そういう気持ちで、神業奉仕を喜びとして、黙々と自分自身と神様とみんなのためにやっていく。自分自身の「御魂磨き」をしているということを喜びとしてやるというのが、いわば大人です。これが、ご神業の上における大人です。
ご神業の上における子どもは、「先生が来てくれるからやる」「来てくれたから頑張ろう」と。そういう気持ちはわかりますし、別に悪い心ではありません。ですが、子どもと大人の違いを設けるのであれば、まだ子どもです。成熟していないわけです。
たまがき会とは何か。ご奉仕をすることを喜びとする人の集まりが、たまがき会です。
皆が、「神様のお役に立てることがうれしい」という気持ちでやっていますから、御魂が輝いて、真っ白の輝く玉垣ができている。ですから、そこへ行くとすがすがしくて、幸せで、ほのぼのとした気持ちになってきます。本当に、もう何とも言えない、いいものなんですね。
そういう人たちと一緒に過ごせるということは、この人生の中において非常に素晴らしい貴重なひとときです。普通に世の中で暮らしているなかでは、なかなかそういう気持ちにはなれません。
ですから、もう、そのこと自体が尊いのです。本当は、何の報いも要らない。
神様から、愛と歓喜と功徳をいただいているのですから、そのこと自体ですべて報われているわけです。
ご奉仕を喜びとする心がもっとも尊い
ご神業とか神様ということを離れて、もう少し一般的な意味で、ご奉仕といった場合も同じことです。社会奉仕の活動も、基本的に無償の行為、無私の行為、無私無欲の行為です。
そうでなければ、ご奉仕になりません。実在の神様がいないところでの喜びは何かといったら、自分の良心が満たされることです。
何らかの有形の報酬を当てにするということは、たとえ、それがささやかなものであっても、少しずつ動機が不純になっていきます。まだ、初めのうちは、励みとか報いという意味で、形のあるものが必要な場合もあるでしょう。
それは悪いことではありません。しかし、純なるものから、少しずつずれていってしまう。受ける側の心として何が一番尊いかといったら、ご奉仕をすること自体を喜びとする心が尊いわけです。
なぜ、ご奉仕をすることを喜びと感じるのでしょうか。
それは、皆さんの御魂が喜んでいるからです。皆さんの守護霊さんも喜んでいます。土地の神様もめでたく思い、◎の大神様も、めでたく尊く思う。ご奉仕をすることで、それ自体、すでに神様に報いていただいているわけです。これが原点ですね。
だから、たまがき会というのは素晴らしいのです。
師弟関係という面から考えますと、直弟子のナンバーワンはスタッフということになります。いつも寝食を共にし、生活を共にして、神様のことばかりやっているスタッフ。そして救霊師、九頭龍師、薬寿師という順序でしょう。
それから、たまがき会と青山塾が並列しています(編集部注 一九九〇年当時。現在では青山塾はエンゼル会に合流し、エンゼル会の一部になっています)。
なぜ、こういう順序があるのかというと、やはり、目に見えない霊的な世界を継承させていこうと思ったら、あまり大勢ではできないからです。来なかったり来たりという人には、そんな奥深いものを伝授できません。
それなりの困難を乗り越えて、「お取り次ぎの心」をきわめた人でないと、なかなかマンツーマンで奥深いものを伝えていくことはできないのです。そこで、段階を設けて、そのなかで秀でた心、秀でた精進、捨て身の心でやっている人に絞り込んでいく必要があります。
そういうことで、直弟子という面から見たら、スタッフ、救霊師、九頭龍師…という順序があることは確かです。これは、そうならざるを得ないのです。しかし、ご神業という客観的な面から見て、一番高い位にあるのは何かというと、たまがき会です。ご奉仕すること自体を喜びとする人の集まりというのが、一番尊い。
もちろん、スタッフも救霊師も九頭龍師も薬寿師も、ご奉仕すること自体を喜びとしています。私自身も、神様に対して常にそういう気持ちでいます。
ただ、そのご奉仕が、救霊のお取り次ぎを通してやるご奉仕か、九頭龍さんを通してやるご奉仕か、薬寿龍王さんを通してやるご奉仕か、いろいろなご奉仕の形があるわけです。
この「何々を通して」ということを分類していえば、ご奉仕というのは体施、物施、法施ということになります。
たまがき会は、体施を通してご奉仕をする人のグループです。ですから、その神業の原点から考えたら、たまがき会が最高位にあるわけです。ご奉仕をすること自体を喜びとするという純粋な心が、一番尊い。それが始まりであり、それで終わりで、それ以外の何ものもないわけです。
ですから、ご奉仕をする喜びと誇りというものがある。ご奉仕をすることの誇りというのは御魂の誇りであるし、神に対する栄誉なのです。
善人と悪人が仲良くするためには
ここで一つ、皆さんに気をつけていただきたいことがあります。
聖徳太子は、「和を以って貴しとなす」ということを言いました。これは、善人と悪人は仲良くしたほうがいいという考え方です。面白い分類の仕方ですけど、善人は悪人とも仲良くしたほうがいいと聖徳太子は言っております。
どうして、善人と悪人は仲良くなれないのでしょうか。
悪人は、「もうどのみち、自分は悪人だから」と言って開き直っています。「はいはい。私はもう悪人でございます、金を盗むのが好きで、万引きするのが得意です。どのみち、もう私は悪人でございますから」
そんなふうに、すねて、ひねて、ひがんで、悪人であることに開き直っているというのが悪人の心情です。
これに対して、善人はどう思うか。「ああ、もうどうしようもないね、ああいう悪人は。何とかならないものなのかね」
そんなふうに思っています。
善人は、自分は善をしているんだという自負があり、善をしているということを誇りに思っている。だから、悪人をみると、いろいろと問題を感じて、「ああいう人と一緒にされたくない」と思ってしまうのです。自分が、善をしているということに対する誇りとプライドがあるのが、善人の特徴です。
これに対して悪人は、自分が悪人であることに開き直っているし、ひねています。だから、善人と悪人は互いに相容れることがなく、仲が悪いわけです。しかし、聖徳太子は、善人と悪人も「和を以って貴しとなす」ことが大切だと言います。
善人と悪人が仲良くしていくためには、どちらかが歩み寄っていかなければなりません。つまり、善人のほうから悪人に歩み寄りなさいということです。
善人が、自分は善をしているという誇りを捨てて、悪人に対する慈しみを持って歩み寄っていけば、悪人も心を開きます。
悪人も、決して心の底から自分が悪人であることをいいとは思っていません。だから、すねたり、開き直ったり、ひがんだりせずに、素直に悪人であることを改めるようにしていけばいいわけです。
ただ、そのためには善人のほうから歩み寄って、悪人に近づいていく必要があります。
これは、聖徳太子自身の修養から出た言葉です。
聖徳太子は、神様仏様のために、人々のために、何とかよい世の中にしていきたいと思っていました。しかし、蘇我氏およびその他の豪族たちは、それぞれ自分の家の都合で動いていたので、なかなか国づくりは進んでいかなかった。それぞれの、家門の繁栄のための権力闘争に明け暮れていたわけです。
それで、聖徳太子は、「どうしたら、みんなが仲良くしてこの日本の国をよくできるのだろう」と悩んだわけです。
そうした末に気づいたのは、「自分に善をしているという自負がある」ということです。善をしているという誇りがあるから、自分たちのことしか考えない豪族たちに対して隔たりを感じて、話し合いができなかった。そこを反省して、ひざを七重八重に折って、蘇我氏やその他の豪族たちに自ら近づいていきました。
誇りや自負を捨てることで、何とか政を素晴らしくしていこうと考えた。「和を以って貴しとなす」というのは、そうした聖徳太子の大変な努力の足跡が感じられる言葉です。
支部活動のプロセスの中にご神業がある
実は、これは、たまがき会の皆さんにとっても大切な要素なのです。
自分が、ご奉仕をしていること自体が喜びというのがご神業の原点です。奉仕をする喜びと、誇りというものがある。しかし、そこからさらに一歩進んで、ご奉仕をしない人に対してどういう思いを持って、どのような接し方をするのか。そこを、皆さんに考えていただきたいのです。
せっかく、たまがき会に入ったのだけれど、最初は来たのに来なくなったとか、たまに来てもサボって何もしないという人が、どこにでもいるものです。そういう人たちに対して、どのように感じているのでしょうか。
「私たちは一生懸命やっているのだから、あんな人なんかにご奉仕に来てもらったら迷惑だ。中途半端なものはもうやめていただきたい」
もし、そういうふうに思ったとしたら、それは自分がご奉仕をしているということに自負を持って、誇りに感じているからでしょう。だから、ご奉仕をしていない人を、どこか軽蔑するようなところが出てきてしまうのです。
そうすると、当然、相手はこれに反発します。
「私はいろいろ忙しいし、そんなあなたみたいに神様のためにというわけにいきません。ご奉仕、ご奉仕という気にもなかなかなれません。どのみち私は因縁が深いんです。だから、運も悪いし、もう自分のことで精いっぱいですから」そういうふうに、すねたり、開き直ったり、ひがんだりしているわけです。
つまり、善人と悪人の構図と同じことです。
別にご奉仕しない人は、悪人ということではありません。しかし、ご奉仕という事柄から考えたら、「良き人」というのが一生懸命に支部で活動している皆さんで、言ってもなかなかやらない人は「悪ろき人」ということになるでしょう。
何度も言うようですけども、運営は前向きで、より素晴らしくしていかなければいけません。
たまがき会は、皆さんが支部の活動をしていくプロセスの中に、ご神業があるのです。みんなの修養があるわけです。
そこが、運営をしているみんなのご神業であり、御魂を錬磨するところなんです。
今すぐできるご神業とは
運営とはどういうものかというと、問題点の塊なんです。問題点のないような運営というのは地上にありません。運営がうまくいけばうまくいくほど、次から次へと問題点がいっぱい出てきます。
組織を運営していく限り、永遠無窮に問題点の山が大きく、強く、深く、根強くなっていくものです。組織が小さければ、何をするのでも人が集まらず、予算も少ないから大変だと言います。
ある程度、形が大きくなってくると、今度はどうも中途半端だと。
「人数が少なかったら小さくてもまとまりがあっていいし、大きければもっといろいろなことができるのだけど、中途半端なものだからどっちつかずになって困ります」と言う。
そして、大きな組織は、逆に「大きい」ということが問題になってきます。「小さな組織のような細やかさがないし、中規模なら中規模なりにそれなりにまとまりがあるのだけど、大きくなってしまったものだから、まとめていくのが大変です。
もう、軍隊みたいに十把ひとからげになって、細やかさというのがなくなってしまいました」と。
運営というのは、そういうものです。組織が小さいときも問題、中ぐらいのときも問題、大きくなっても問題。全部、問題の塊です。
たまがき会も、一つひとつの支部が組織として、それぞれの問題点を抱えていることでしょう。
ご奉仕自体を、喜びとしている人が集まるのが「たまがき会」なのですが、実際は、そうじゃない人もいるわけです。
では、そういう人たちに対して、どういうふうに接していくのか。
たとえば、今まで支部に来ていた人が、最近姿を見せなくなったという場合、どうして来なくなったのか考えてみてください。どうしてなんだろうと。
その人に何か問題があったとしても、先ほどの聖徳太子の話を踏まえて、果たして自分の接し方はどうであったのか。思い当たるところがあれば、反省して自分のほうから折れていくことが大切です。
「あなた、最近支部で見かけないけど、何かあったの?私たちに至らないところがあって、気がつかなかったらごめんなさいね。みんな心配して待っているから、元気を奮い立たせて、また一緒にご神業を続けましょうよ」
そういうふうに切々と言えば、相手の方も心を開きます。ご奉仕の喜びというのは、信仰生活の基礎なのです。最高位なのです。
ですから、いかにご奉仕をする喜びというものが感じられるのか、ということを考えて率先して実行していけば、みんなが「ご奉仕したい」と思いますね。
それができたら、心はもう菩薩様になっています。
新しい会員さんをお導きしていくことはもちろん大切ですし、道は広めていかなければなりません。ただ、無形の道はどこから広まっていくのでしょうか。今いる会員さん、ご奉仕の仲間。昔来ていて、最近来なくなった人。
あまり熱心ではない人でも、多少やりにくい相手でも、まず、その人たちに心を向けていくというところから、無形のご神業が広がっていくわけでしょう。
これは、今すぐできるご神業です。
たまがき会でご奉仕をされている皆さんは、たまがき会の活動を通して一人ひとりの神業があるのです。九頭龍師さんも薬寿師さんも、救霊師さんも、スタッフも私も、自分の「何々を通して」という活動範囲の中で、一人ずつのご神業がまたある。御魂磨きがあるわけです。これが原点です。
誰に対してやるわけではありません。
それは、全部、神様がご照覧あそばしている。全部、守護霊様がごらんになっておられることでございます。二十四時間、真実なるものは、神様や守護霊様たちが、皆、見ておられます。
合言葉は「何とかやってみようじゃないか」
運営とは、問題点の塊です。
では、どうすればその運営がうまくいくのかというと、「何とかやってみよう」というところから始まるわけです。それ以外にありません。その問題点を乗り越えていくプロセスが、「御魂磨き」です。
ですから、合言葉は、「何とかやってみようじゃないか」です。
それが、たまがき会のテーマです。今月のテーマではなくて、永遠のテーマです。
「何とかやってみようよ」
この一言を胸の中に刻み込んでください。
永遠にこれを叫び続けることです。
運営というのは問題の塊ですから、個々の問題点というのは問題ではありません。
どんな問題であっても、それを乗り越えていくためには、
「何とかやってみようじゃないか」
「何とか皆さんやってみましょうよ」
「何とかやってみようじゃありませんか」
と。そして、とにかく、ああでもない、こうでもないと、いろいろなことを
自分たちで考え出すことです。
しかし、「この問題をどうすればいいか、先生に聞いてみよう」というのは、非常に簡単です。「これだけ考えたんですけれど、先生どう思いますか」と言ったら、神様が感動します。
いつまでもあると思うな、金と親と深見先生。
しかし、神様はいつも永遠にいるし、自分の魂は永遠にあるわけですから、これを相手にして、「何とかやってみようじゃないか」「何とかやってみましょうよ」と言って捻出することです。
もちろん、それですぐに解決策が見つかるものではありません。しばらくは、「どうなるんだろう」「本当にやれるんだろうか」という混沌状態が続きます。その混沌をぐっと辛抱して、混沌の中でも、前向きに考え続ける。
私は、いつもそれです。妙策とか妙案とか解決策というのは、いつもその心の叫びの後にやってくる。混沌の中からばっと出てくる神様がいるのです。
海月なす漂える国、混沌として海月なす漂えるところに、独神が現れたもうた。その神を天之御中主神と申し上げる。この神は独神なりき。
天の真ん中の主。天之御中主神様はどこで出ていらっしゃったかというと、海月なす漂える混沌状態から出てきたわけです。
混沌とした状態を、前向きに続けているときにぱっと神様が出てくる。その神なるものというのは、悟りであったり、叡智であったり、打開策であったり、助っ人さんが現れたりするわけです。すべて、そうした神なるものというのは、混沌状態から逃げないで、やめないで続けていくというところに現れる。
これが、『古事記』に書かれている「神出す秘訣」です。
支部運営の基本公式
運営は永遠に問題が尽きません。やればやるほど、死ぬまで問題が出てきます。
ですから
「何とかやってみよう」
「何とかやってみましょうよ」
「絶対なんとかなるからやってみよう」
そう言って前向きに受けとめて、解決策を絞り出していく。そうすると混沌が出てきます。その混沌の中で、さらに、「何とかやってみよう。絶対何とかなるはずだ」
と頑張り続ける。そうすると混沌状態の中にパッと答えが出てきます。
この積み重ねが、支部の運営の一つの基本公式です。皆さんの運営のなかの基本公式であり、ご神業の基本姿勢です。
これができて、初めてご神業が堂に入ってきます。
たまがき会の運営も、ご奉仕も、みんなご神業でやってるわけですね。ご神業って意味深いけれども、一人ずつのご神業ということについても、今言ったとおりです。
ですから、完全無欠なものなどは、少しも期待しておりません。
小さい組織は、小さいよさと小さいという問題点、中ぐらいの組織は、中規模のよさと中途半端な問題点、組織が大きくなれば、大きいなりの問題点。問題点は永遠にあるわけですから、その問題点を乗り越えていくプロセスを前向きに受けとめ、神業奉仕をすることを喜びと感じ続けることが大切です。
そうでないと心が苦しくて、ご奉仕するということが負担になってきます。悲壮感と大変さがにじみ出てくると、頑張った割に成果が上がらず、逆に周囲に煙たがられることになりかねません。一生懸命に頑張っているのだけれど、支部の運営の魅力が少なくなっていく。そういう逆説的な構図になってしまいます。
たまがき会は、ご奉仕を喜びとする人の集まりです。皆さんが、本当にご奉仕することを喜びとしてやっていれば、何か知らないけども楽しそうだからと、みんな集まってきます。
ところが、皆、気持ちで負けてしまうんですね。悩んで、葛藤して、そして、苦しんでしまう。でも、悩みや葛藤がないような世の中ってあるでしょうか。そういうものがないような運営があるのか。そういうものは、ありません。運営というのは、問題点の塊です。
だとすれば、その問題点を乗り越えていくプロセスの中に、喜びと幸せと満足というものを刻々に成就しなければ、悟りではないわけでしょう。問題にぶつかって葛藤するのは仕方ありませんが、いちいち心まで苦しむことはありません。
御魂返しの生きた教材
私も、いつも何かしらの問題を抱えて葛藤しています。頑張れば頑張るほど、問題点というのは増えていきますが、大事なことは、明るく前向きに受けとめて、それを乗り越えていくことです。
何事もなく、平穏無事に物事が進んでいる状態が普通だと思っている人は、何か問題が起こると、「ああ、こんな問題が起きてる。どうしたらいいんだろう」とか言ってドギマギしてしまいます。
物事がうまくスイスイ行っている状態がナチュラルと考えたら、何かあったとき、「これは大変だ。どうしたらい「いんだろう」と思って、苦しくなったり、悲壮感が起きたりするでしょう。
私などは、この十数年間、いや、子どものころから、平穏無事でスイスイ行ったことなんか、ただの一日もありません。毎日が、責任と負担と義務感と寝不足で、追い詰められたような状態です。そういうなかで日々幸せに生きているという自分を確立しなかったら、毎日が地獄のようなものでしょう。いい霊界へ行けません。
日々、問題を抱えて葛藤する中で、幸せな自己を確立しようと思ったら、どうすればいいのでしょうか。
世の中はそんなものだと平然と受けとめることです。
問題点があって悩んで葛藤しているのがナチュラルな状態であって、その大変さをどうするのかというのが毎日なんです。
ですから、葛藤することを楽しむようにしたらいいわけです。すると何か問題が起きるとうれしくなります。
だから、私は、何も問題が起きず平穏であるかのような状態が続くと、逆に不安になります(笑)。何か問題があるんじゃないか、陰でひたひたと大きな問題が進行しているんじゃないか、何か落とし穴があるぞ、と思うわけです。
そうすると、やはり、「秘書の○○君大変なミスをしました」とか、「青山塾でこんな問題が起きました」「たまがき会で、またこんなことがありまし「て」というふうなことが飛び込んできます。
周囲の人間が血相を変えて「先生、大変なことが起きました」と言ってくるのですが、そこで私は、「あ、そうか、そうか」と言って、ニコッと笑います。
問題が起きれば、そのことを解決していけばいいんだということがハッキリします。だから、ホッとして、大きな問題点が出てくるとうれしいのです。「神様、今は、この問題を大事にして解決していけばいいんですね」と。
その問題点というものの捉え方ですが、私の場合は、問題点というふうには考えないで、すべてを「御魂返しのチャンス」と考えています。
問題点が起きたら、問題点を起こしている人に御魂返しをする。その問題に関与している人間、巻き込まれた人間に対して、「君たち、それをどう考えるんだ」と言って、一人ずつ、御魂返しをして教育していくわけです。
日常起きてくるような小さなこと、ささいなこと、あるいは大きなこと、深刻なこと、すべての問題、難題、大変な事柄、問題点という問題点が、私にとっては全部教育材料です。
「さて、君はそれをどういうふうにするつもりなのかな」
そう言って、その問題点を生きた教材にして、御魂の教育、人間の教育をしていくわけです。具体的な問題を通して解決能力が研ぎ澄まされていきます。
そうして人材の育成ができますから、問題が起きるということは、我が喜びとするとこなんです。浮き浮き、ニコニコして、「ああ、そうか、そうか」と。私はそういう人生観です。だから、明るく元気でしょう?追い詰められたような状況になればなるほど、そういう意味での透徹した明るさが出てくるわけです。
「たまがき会」における最上の人とは?
たまがき会のキャッチフレーズを、いくつか決めましょうね。メモしていただけますか。支部に貼っておきましょう。
一、ご奉仕をすることを喜びとする人が最上の人である。
二、最上の人は腰低く、どんな人にも優しい。
三、優しさとは、気配りと温かい言葉で表現するものである。
これが、たまがき会の人のキャラクターでなければいけません。それが最上の人です。
そして、今度は四項目、
四、内に向かっては内に向かっての叫び。
何とかやってみようじゃないか。何とかやってみようじゃないか。何とかやってみようじゃないかーと、棒を引いて。三回連続で内なる叫び。それから、仲間に対する叫び。何とかやってみようよ。何とかやってみようよ。何とかやってみようよー。これも三回連続です。それしかないわけですね。これが四番目の項目です。
五番目は、
五、問題点と悩みの山にこそ、発展と御魂の修業の糸口がある。
括弧して、別な言葉で言いますと、運営とは、問題点と悩みと難題を抱えるということである。これは同じ意味です。「運営なんかに負けるか!」という深い意味があるわけです。これで中心が立ったでしょう。
ちょっと、この五項目を復唱してみてください。
≪たまがき会(エンゼル会)のキャッチフレーズ≫
一、ご奉仕をすることを喜びとする人が最上の人である。
二、最上の人は腰低く、どんな人にも優しい。
三、優しさとは、気配りと温かい言葉で表現するものである。
四、内に向かっては内に向かっての叫び。
「何とかやってみようじゃないか。
何とかやってみようじゃないか。
何とかやってみようじゃないかー」仲間に対する叫び。
「何とかやってみようよ。
何とかやってみようよ。何とかやってみようよー」
五、問題点と悩みの山にこそ、発展と御魂の修業の糸口がある。
(運営とは、問題点と悩みと難題を抱えるということである。「運営なんかに負けるか!」)
皆さん、支部にご奉仕に来たら、最初にこれを言ってみましょう。
世話人さんとか誰かが言わなくても、私の言葉ですから毎日これをつぶやき続けてください。今月のたまがき会へのメッセージです。今日、とりあえず五項目つくりましたが、だんだん増えていったら、壁中メッセージだらけですね。読み終わると、もうほとんど講習の時間が終わっていたりとか(笑)。
でも、この五つのことがあったら、だいたい、皆さんの抱えていた問題点というのはなくなるはずです。それでも問題は永遠に起き続きますから、混沌の中で、個々にそれぞれの解決策を捻出して、乗り越えていくことが大事です。
