支部発展の原則は清荒神方式にあり ~神柱になれるシリーズ1~(Vol.2)

【第一章】支部発展の原点とは 全国支部代表者連絡会にて(1997年1月15日)

「議事運営」とはいかなるものか

「支部の原点」という話を、今からしたいと思うんです。

どういうものかというと、何年か前、最初のころに支部をつくったときの話です。

たとえば、青森県全体で、会員が五人か七人しかいなかったところに、支部を借りました。月々のお家賃と光熱費と水道代と電気代、それに、敷金・礼金、機材……と、何百万もかかるわけです。また、秋田県も、会員さんが三人四人ぐらいだったときに、実験で、一回やってみようということで支部をつくったわけです。

大阪に最初の支部ができて、それから福岡に支部をつくったんです。

それから、私が高松にしようと言ってたんですけれども、「コンサートなんかは松山ですよ」ということで、松山に支部をつくったわけですけれど、やっぱり、高松には、金刀比羅の神様がいらっしゃるから、まあ、それに準ずる形で支部を つくりました。

大きなメインなところには、もちろん、大きな支部があるんですけれども、青森や秋田は、人口も少ないし、会員も一ケタなんです。そういうところに、敷金・礼金を払って、場所を借りて、支部をやると言いましても、まあ採算面を考えてみても、無駄じゃないかと。

けれども、たとえ五人や七人でも、しばらく一年ぐらい様子を見て、だめならだめで、また帰ってきたらいいし……ということで、実験のつもりで、青森秋田に出したわけです。

そのときに、青森支部では、AさんとAさんのお母さん。秋田は、Bさんと Bさんのお母さん。まあ、青森も秋田も、お嬢さんが熱心にやっていて、お母さんがそれをバックアップするというように、母と娘というのが共通しておりました。

それで、このような月一回の総会で、「どうなんだ」と聞いたら、「はい、今、青森に会員が五人か七人ぐらいいまして」

「秋田にもそれくらいです」と言っていました。

そこで、どちらもお嬢さんとお母さんから始まったわけなんですが、実際の運営は女性一人でやっていました。

そして、支部の神様をおさめて、「少しでもご縁のある人が、ここに来ていただいて、ご神業が弘まりますように。少しでも多くの人に、神様の教えを弘めて、御魂を救済できますように。

また、悩める人、苦しむ人があったら、そういうご縁のある人を救済できますように」と、毎日毎日、お祈りしなさいと言っておりました。

一、ご縁が結ばれますように

二、ご神業が弘まりますように

三、人が救えますように

ということを、毎日毎日、青森のAさんと、秋田のBさんは、お祈りしていたのです。

そうして、毎月毎月、青森のAさんに、「どうだった?」と聞いてみると、「おととい、また一人来ました」「ああ、そう。よかったねェ」

Bさんのほうも、「先月、一人また来ました」「ああ、そう。よかったねェ」と励ましていました。

そして、「土地の産土様にお祈りすれば、産土様が、ご縁をひらいてくださるからね、産土様にお祈りしてごらんなさい」と言いましたら、お母さんとお嬢さんが、岩木山に行った。

「岩木山に行ってきたの?」

「行ってきました」「どうだった?」

「三人ぐらい来ました」「ああ、そう」

そのころは、東北の書店さんに本を配りに行ったんですけども、本を読んで来たとか、知り合いが来たということで増えてきました。

秋田のほうも、太平山三吉神社に行ってきなさいと言ったから、お母さんとお嬢さんで神社に行き、二人、三人と増えてきた。

毎日毎日、支部のご神前で、「ご神縁が弘がりますように」「神様のご神業が弘がりますように」

「一人でも救済ができますように」と、ご神業の発展と、ご神縁が結ばれますようにということと、また人が幸せになりますようにということを、毎日毎日、お祈りした。何もしなくても、まず、お祈りだけをしていた。

そうして一年たったらどうなったかというと、一年でエンゼル会員が三十二~三十三人に増えたのかな。一年たって、三十人ちょっとになったんです。青森支部も、秋田支部も。ですから、三十倍ぐらい伸びたわけです。

実際、女性一人で支部をまかなっていたわけですが、エンゼル会員が、二十人か三十人来たら、今度は、みんなで別のことができるわけです。

たった一年の間、一人の女性が、まあ、お母さんがバックアップしていたんですけれども、朝な夕なお祈りしていると、ほんとに一年で、こんなになるものなんだということがわかりました。

エンゼル会員が、三十数名になったわけですから、青森全体で、会員さんが六十名とか七十名になった。秋田でも、だいたい五十$301C六十名になってきて、二年ぐらいたってきたら、百人、二百人になってきました。

最初は、青森も秋田も、会員数が一ケタだったんです。それが、ゼロから始まって、一年でこれだけ伸びるものなんだということがわかったわけです。

そして、お祈りする人が、一人増えたら、二人でお祈りする。もう一人増えたら、三人でお祈りする…そうやっていると、人のご縁というのは、ねずみ算的に増えていくものなんですね。

おそらく、ご先祖さまが一生懸命はたらいて連れてきたのかもしれませんが、最初に来たAさんやBさんのご先祖さまにご縁のある人と、前世に縁がある人、次に来た人のご先祖さまおよび前世に縁がある人、Aさんと次に来た人と、その次に来た人の前世にご縁がある人、その三人のご先祖に縁がある人という形で、つながりからまたつながりへと弘がっていった。

こういうことが、実際、過去にあったわけです。

営業所づくりの法則

また、これは、ものの本で読んだのか、雑誌で読んだのか、人の話を聞いたのか忘れましたが、会社で営業所を出す場合の法則について、次のような話がありました。

営業所が一カ所しかないとか、あるいは営業所が全然なくて本店だけという会社と、次々と全国に営業所をつくっていき、すべて成功している会社というのは、どこが違うのだろうかというお話。

やはり、営業所を次々に出して成功している会社のオーナーというのは、営業所をつくるという法則を知っているわけです。

営業所をつくる場合、お家賃や人件費がかかるわけですが、こんなところに営業所をつくって採算が取れるのだろうかと考えたり、こんな狭いマーケットでどれだけできるかわからないし、お金のやりくりが大変だからということで、本店だけでいいやとか、人口の多い大阪とか東京だけでいいやと思って、そのまま終わってしまう会社もあります。

しかし、営業所づくりの法則を知っているオーナーの場合は、次々、次々と営業所を出す。

もちろんそれは吉方位にこしたことはないんでしょうけれども、そこには別に吉方位とは書いてないわけで、敷金、礼金、お家賃を払って事務所を構え、そして、ある程度有能で、情熱と熱意があって、一生懸命やる人が営業所長として単身赴任で行くと、だいたい給料の三倍が会社の経費としてかかるというのが一応の指標です。

「これぐらいかかっているんだぞ。これをとにかく上回るだけの売り上げと粗利を上げて頑張らないといかんのだ」ということでハッパをかけられて、「頑張ります」「行ってきなさい」ということで、営業所長がたった一人でそこへ行く。

一生懸命、必死で、とくにお祈りするとか、産土様に行くということはないわけだけれども、そういう情熱のある熱心な人が営業所長になって、単身で田舎に行ったり、外国に支店をつくったりして、一生懸命、必死の思いで開拓をし、商品を売り込んでいくと、三年ぐらいしたらだいたい黒字になる。

情熱がない人間、やる気がない人間で、能力がまったくない人間はだめでしょうけれども、ある程度仕事がちゃんとできていて、情熱とやる気のある人間が行って頑張ったならば、三年ぐらいで地方に営業所を出しても採算が取れるようになるというのが、一つの法則です。

実際の会社の経営をしている人間の体験から割り出した、営業所づくりの方程式がわかると、固定費やだいたいの粗利益を考えて、「月商をこれぐらいの目標でやらないといかん。そのためにはこれぐらい飛び込んで、これだけの仕事しなきゃいけない」

「君の給料はこれだから、その三倍の経費がかかっているから、これぐらいを目標にしてやらないといかんよ」という指標を与え、

「君ならやれるから、頑張ってきなさい」

「わかりました」ということで、必死に頑張ったら、三年で採算が取れるようになっていくものなんです。

もちろん、売る商品が何もないとできないですが、ちゃんと仕事になるようなものがあれば、営業所づくりというのは、そういう形で成功する。保険会社でも、自動車のディーラーでも、こういうことがわかっている経営者がいると、どんどん営業所ができていく。支店ができていく。

たとえば、居酒屋でも、一店舗だけで終わるところもありますが、全国チェーンでやっているところは、だいたいこれぐらいの投下資本で、こういう人間が行って、何年ぐらいやると、だいたい採算が取れるなという、大まかな一つの指標がわかっているわけです。

それがわかっているところは次々と店舗ができる。外部の人を雇ってやれるということがわかっている人はそこまで行くのです。

支部づくりの原則

この営業所づくりの法則を読んだときに、「そうだ、これが支部づくりの原則だ」と思いました。

能力の優劣ももちろんあるけれども、それよりもぜひ支部をつくってやりたいという情熱と熱意を持っている人がいたならば、支部をつくろう。

そして、青森の支部のAさん親子のように、秋田支部のBさん親子のように、ほかの支部もそうやってつくって「どうぞご縁のある人が一人でも来て、ここのご神業を支えていき、少しでも神様のご神業がこの地域の隅々まで行き渡り、そして、少しでも多くの人の苦しみや悩みを解消して、救済できますように」と、朝な夕な、一生懸命、熱心にお祈りしていると、一人来て、二人来て……………。

今度はその二人や三人が一緒にお祈りして、四人来て、五人来て、六人来て……。一年たったら、だいたい三十人ぐらいになっている。

ですから、熱心な支部はだいたい一年で三十人ぐらいのエンゼル会というか、お仲間が来ているはずです。一年頑張って、三十名のお仲間が来るというのが指標で、会員数はもっと増えて、その十倍以上になっていますが、三十倍の伸びがあるわけです。

能力の優劣は別にして、支部をつくり、毎日毎日、朝な夕なに代表者が、一生懸命、真心を込めて、熱烈に神様に向かっていると、その情熱と志に、機が動き、神が動いて、縁が動くわけです。

情熱と祈りによって、機が動き、神が動き、そして、縁が動いて、人が来るんです。同じようにまた祈ろうよと言うと、機が動き、神が動き、縁が動いて、また来る。こうして支部というのは繁栄していくのです。

「清荒神の方式」とは

もう一つ、支部の繁栄という話とともに、「清荒神の方式」という話をしたことがあると思うんですけれども。

清荒神というのは関西にある荒神さんです。平安時代にできた古いお社ですけれども、戦後、全然参詣者が来なくなった。そこで、先代の九十四でお亡くなりになった管長は、とにかくお祭りをいろいろ考えてみた。お札とか、縁日とか、イベントとか、いろいろなものを考えた。

おみくじとか、出店とか、あらゆる方法を考えて、宣伝、広告などもして、とにかくお寺の繁栄のために努力した。ところが、どれもあまり成功しなかった。

そこで、管長は考えた。清荒神は神仏習合しているところなので、神社の形式も取っているんですが、真言宗の系統のお寺さんだから、やっぱりお勤めがいちばん大事だということで、そういうような小手先のこの世的なアプローチをやめて普通にした。

何をしたかというと、日四時間、必ずお勤めをするようにしたのです。管長は、やっぱりここはお寺だから、祈りがすべての原点なんだということで、護摩を焚いて、歓喜天修法を新しく始めて、ご祈祷を一日四時間始めました。

宝塚にありますので、東京のほうで仏教会とかがあって、会合にでかけなければならないときがあります。

もし、二日空けるとするなら、そういうときは、一日四時間として、二日分の八時間のご祈祷ができないわけですから、四日前ぐらいから二時間ずつに分けて、出かける前の四日間は、一日六時間ずつに増やす。一日六時間のご祈祷を四日続けることによって、二日空けた分の八時間、ご祈祷できない分を補う。

こうやって、どんなことがあっても一日四時間のご祈祷をするというように発願をして、朝な夕なお祈りをし、護摩を焚き、ご祈祷をし、歓喜天修法をし・・・・・・、と毎日毎日やり続けた。それを励行し始めた。

そうすると、どうなったかというと、「清荒神さんへ行って、こんなおかげがあった」

「清荒神さんへ行って、こんなご利益があった」

「私も行ってこんなご利益があったの」

「いや、私もそうなのよ」

「じゃあ、また行こうか」と一回来た人は、またもう一回来る。それから、次に人を連れてくる。人を紹介する。

「あそこへ行ったらご利益があって、てきめんだから、すごいよ」

「ああ、そう。じゃあ、私も行きたいわ」

そういうことで、じわじわと参詣者が増えてきた。それから評判が人から人へと伝わっていって、結局、今や清荒神さんの縁日などになりますと、もう黒山の人だかりで、駅から清荒神さんのところまで人の列ができて、市が立っています。

小高い丘にあるんですが、下から上までずっとお店が並んで、押すな押すなの大盛況です。

五十何年前から、おじいさんが来て、息子が来て、孫が来て、親子三代、荒神さん一本で信仰が続いている人たちがいる。私が行ったときにも「もう五十「年来ています」と言っている人がいました。

報徳学園から近鉄に入った金村義明という選手もそうです。あのお母さんが熱心な清荒神信仰です。ピッチャーで入ったけれども、バッターとして活躍した。

本当に報徳学園のトップバッターで、プロに入ってからも大活躍していた。試合のときは必ずお母さんは清荒神へ行く。

へんてこりんな球を打ったり、ボークとか何かで必ず出塁して、結局、打率が上がるし、ここ一番でホームランを打ったり、ヒットを打ったりするわけです。金村選手のお母さんは熱心な清荒神信仰で有名なので、「ああ、そうなのか、息子さんの活躍も清荒神さんのおかげで・・・・・・」ということで、また人が行くわけです。

そうやって、九十四歳まで生きた先代の管長さんが、お祈りを絶やさないということを続けたことで、有名な清荒神というふうになったわけです。

一日四時間のご祈祷を絶やさない。二日空けるときには、八時間祈れない分だけ、四日前から二時間ずつ足して六時間のご祈祷をする。

そこまで祈りに徹し、ご祈祷に徹して、ご神力というのか、法力がいつも出るような状態にするのがやっぱり本質なんだということで、それをやり始めて、いま大繁栄しているのです。

毎日捧げる祈りの偉大さ

私も毎日、会員さんの幸せと、道が弘がり、ご縁が弘がり、そして、来た人がみんな幸せになって、ご神業が弥栄えていきますようにと、一生懸命、一生懸命祈りを捧げています。毎日毎日、祈っています。

祈らない日はないです。

一日祈ったことは、プラスのアルファでちょっと出るだけかもしれない。それが十日、二十日、百日、二百日と、プラスのアルファが積み重なっていくと、ものすごいアルファになるわけです。それがだんだんと加速度的になっていくのです。

今日、たくさんの支部ができて、これだけのエンゼル会員がきて、支部の代表者が来ているのも、こういったはじめの一歩からなんです。

青森、秋田のそれほど人口の多くない、スタッフがいない支部でも、熱心な人がしていたら、一年でだいたい三十人ぐらいまで来て、会員数が十倍、二十倍と増えていく。これが支部の運営の原則なんです。

営業所づくりの基本というのを何かで見たとき、そういうAさん親子、Bさん親子の一年間の実績と中身があったものですから、「間違いない。これが支部づくりの方程式なんだ」ということで、それから、どんどん支部を増やし始めたのです。

正しい支部の運営方法とは

支部の代表者およびみんなが、Bさん親子とかAさん親子のように、朝な夕な、そこで人がいなかったら、一人、支部長だけが行って祈っていたらいいんです。二時間、三時間祈り続ければいい。

人間関係とか、運営とかに終始してしまうことなく、その基本となる祈りの行を続けて、七時と一時に決めております「弥栄の儀」で、昼か夜かに集まって、そのことを祈ることによって、必ず神様は聞いてくださる。

生きている神様が降りていますから、生ける実在の神がね。情熱を持って、熱烈に祈りの行と祈りの道に徹して、純粋に真心を込めて、情熱を持って、支部で神様に祈り向かえば、必ず発展するわけです。ご縁というものも掘り起こされるし、どうやったらご縁が出てくるんだろうかという知恵も、後からわいてくるわけです。

支部が発展しない理由というのは、すべからく、代表者をはじめとする誰かが、朝な夕な、そのこと一筋に情熱を持って祈り続けないで、あっちに興味がわき、こっちに興味がわき・・・・・となってしまうからなんです。

あるいは三人が交代して、お互いがああやっていくか、こうやっていくかというふうになってきて、この世的なチームワークとか、この世的にああやってこうやって、今度はこういうふうにやって、あんなふうにやっていくというような、こんな作戦、あんな作戦という、作戦はあっていいわけだけれども、人知と作戦と戦略が先に立ってしまったら、人為が先に立つからね。結局、ご神業が弘まったことにならないのです。

これは「引っかけ戻しの神仕組」といって、結局は、神様に元へガーンと引っかけ戻されてしまって、ゼロからまたやり直し。

やっぱりご神業が進むということは、本当に愛と真心を傾けて、一歩進んだ分だけ仕組は進んだ。また、愛と真心を一生懸命傾けて、進んだ分だけ、また二歩進んだ。

ゆるぎない進歩、発展というのは、純粋に愛と真心を神に捧げて向かい、一生懸命、誠心誠意努力した分だけ、そのことがらはあまりうまくいかなくても、別なことがらでちゃんと神様が報いてくださる。

人為と人知、人間のおもんぱかりが先に来たら、ご神業というのは曇ってくるし、人間の我力で「こうあるべきだ」「こうあらねば本当じゃない」「こうするんだ」「これを守りたまえ」というような形になってくると、だんだんずれてくるわけです。

これが支部を運営していく、支部をつくっていく、支部を発展させていくというときの原則なのであって、これが支部づくりの原則なんです。支部というものをつくる基本なんです。

ご神業が進んだというのは、そういうことなのです。みんな知らないうちに、いろいろ話し合い、いろいろ合議制でし、いろいろ、ああでもない、こうでもないと考えているうちに、そこの原則、その原点を忘れる。

だから、いろいろやっているんだけれども、なんとなく発展しない。なんとなくじり貧になっていく。なんとなく頑張ってはいるんだけれども、盛り上がってはいるんだけれども、ふと気がついたら目減りしている。

やはりご神業ではない、人知が先に立った、人間のおもんぱかりが先に立った、作戦とか戦略が先に立ったというのは、何かご神業の中心を見忘れているわけです。

まず奇跡を体験しよう

ご神業の基本に立ち戻って救済をしていくということで、とにかく悩みを聞き、相談を聞いてあげる。魂の救済、心の救済、体の救済、悩みの救済ということが、やはり先に立ってきて、一生懸命それを祈ることによって奇跡が現れて出てくる。そして、揺るぎない信仰心ができていく。

神いますことを本当に実感して、一生懸命お取り次ぎをしていただく人が増えていくことがよろしいわけです。まずそれをしていただいて、救霊活動も、九頭龍のお取り次ぎも、「どうぞ救霊をすることによって人を救わせたまえ」

九頭龍師も「九頭龍の神法によって少しでも救わせたまえ」というと、病で苦しむ人とか、霊障で前から苦しんでいる人にご縁ができて、救霊のお取り次ぎや、九頭龍のお取り次ぎのチャンスが出てくる。

薬寿のお取り次ぎとか、神伝密教のお取り次ぎを求めていたら、やはり吸い寄せられるんです。何もせずにボーッとしていたら、絶対、人って来ないものなんです。

魚釣りと同じなんです。「絶対に釣るんだ」と思うと、魚がハーッと吸い寄せられてパクンと来るんだけれども、「一匹でも二匹でも釣れれば」なんて思っていると、絶対にかからないんです。

同じ船に乗っていても、どんどん釣れる人と釣れない人がいます。もちろんエサが古かったり、棚が間違っていたり、合わせのタイミングがずれている場合もあるんでしょうけれども、やっぱり「釣るんだ」という思いに、魚というのは吸い寄せられる。

だから、やはりそういう思いを、朝な夕な、思っているところに寄ってくるわけです。求めている人がいても出会いがないんです。

いま申し上げた最初の原則がわかって、実践していく。そして人が増えてきて、悩みとか苦しみとかができてくる。また、救霊でも、九頭龍の活動でも、本当によくなったという証をいっぱい持つ人が増えてくる。

各支部で、いつも奇跡が起こり、いつも奇跡を体験し、いつもそれで喜ぶ人がどんどん増えていったら、やはり喜んで人形・形代をする人も増えるし、救霊がよかったよと勧める人も増える。

神書流布をする場合でも、「この教えを少しでも人に知ってもらわなければ」ということで、一生懸命、喜んで、感謝して、自腹を切ってする人が増えてくる。

それでまた、またいいことが起きましたという形で、CさんやDさんのように、一生懸命、神書流布を自腹を切ってやっている人には何倍にもなって、また次から次へと来るわけです。

ところが、はじめの一歩の体験がない人は、神書流布となってくるとパタッとやらなくなる。潮干狩りも、本当に身銭を切ってやり、朝な夕なに祈っていたならば、証というものは起きてくるんです。

しかし、何も祈らない、何も情熱を傾けない、神に向かわない。そして、あれでお金もいるし、これでもいるということで、身銭を切ってやらなかったら、そういうすばらしいという証を体験ができないものだから、ますますそういう情熱がなくなっていってしまう。

最初に祈りありきで、一日三時間でも四時間でも、清荒神さんの管長みたいに、朝な夕なに祈り続ければ、その支部から奇跡が続出し、奇跡の体験者が出てきて、人がたくさん集まってくる。しかもみんな喜んで、その奇跡とご利益と神なるものの体験に感動して、「またやりましょう」ということになる。

さらに、神書流布をするときでも、「どうぞ、このように身銭を切って、神様に捧げますから、この本によって、たくさんの人が導かれ、たくさんの人が幸せになり、たくさんの人が喜んで、永遠に幸せになれる人が、一人でも二人でも増えますように」と祈りを込めたら、必ずその分は神様がお受け取りくださいます。

支部で祈りを捧げると同時に、神書流布をするときでも祈れば、必ず受け取ってくださり、その本を読んで入会ということになるわけです。

「何々書店で買ったんですけど」

(あっ、その本屋さんは私が行って置いてもらった本屋さんだ)

「何々書店で買った本で入会しました。求め求めていたんですが、ようやくめぐり合いました」と涙ながらに言っている人がいる。

(あっ、それは私が「お願いします」と置いた本だ)

「○○美容院でどうぞと言われて、本を見たんですけど」

(あっ、それは私が置いた本だ)

神様は、「神様のために」と思って身銭を切ったら、必ず身銭で返してくださるんです。人の縁を一生懸命結んでいたら、自分も縁を結んでもらえる。九州では、潮干狩りの隊長をしていた人が、三代続けて、みんな結婚したという話があります。縁を結ぶから、縁を結んでいただけるわけですね。

それから、手相鑑定などで、一生懸命頑張って、鑑定をやったなんていう人は、やはり鑑定をしていろんな縁を結んだから、みんな結婚する。縁を結ぶから、神様は結び返してくれる。

だから、そうやって一つ一つの支部での活動を大切にして、そういうふうに祈りを込めて、そういうことがわかった上で、神様に向かってやると、神様は必ずお受け取りくださる。自分と神様との勝負だからね。一つの方程式です。

もちろん、こういったおかげが出るのに、遅い早いはあります。人によって、すぐ出る人と、じわじわと出てくるという人、またなかなかよくわからないという人がいます。

しかし、「おかげというのは遅ければ遅いほど大きい」というふうに言われています。すぐ出てくるおかげは小さい。時間がたって、後から来るおかげほど大きいと言われています。

やった分は必ず神様がお受け取りくださって、やったらやったことの形で必ず返ってくるんだというふうに確信したら、必ず大きなものとなってきます。おかげが遅いから、きっと大きいのが来るんだと思ったら、本当にドーンと来ます。

そういう体験をした人は、いっぱいいるんだけれども、はじめの一歩がなかなか難しい。難しいというよりも、体験と経験がないものだから、意識の中で確信ができないわけです。

人の話を聞いて、「へぇー、そうなったの」「私もそうなのかな」と思って、意識の中で、そうなんだと思ったならば、呼び寄せて、やっぱりそういう証がすぐ出やすい。

だから、証とか体験談をなるべく読むようにすればするほど、証が出やすくなる。体験談を読んで、「僕もきっと」と思うと、必ず呼び寄せて、その人も、そうなるわけです。

だから、「おかげは、遅ければ遅いほど大きいんだ」と思う。

早く証があったら、「ありがとう」と感謝する。

「ありがとう。こんなに早く。ちょっと小さくなったかもしれないけれども、おかげが遅いときは、「きっと大きいのが来るんだな」と思って、楽しみに待っていたらいいんです。

今世で来なかったら来世だと思うくらいでいいかもしれません。それぐらいのものです。功徳とかおかげというのは、今世でなかったら来世でいいというぐらいに腹を据えていたら、一週間後に来たりするんです。

だから、うんと腹を据えて、吹っ切って徹した人は、その感覚がわかるものだから、また次から次とおかげが出てくる。そして、また喜んでやるものだから、また次から次と証が出てくるという、いい循環に入るわけです。

「はじめの一歩」はただ信じてやるしかないですね。そういう人たちにも初めてはあったわけだから。

神書流布についても、潮干狩りでも、手相鑑定でも、一人ひとりが一生懸命やれば、必ずそうなります。そういうものなんだと信じて、そう祈りながらすることによって、本当に神徳とか功徳とかいうものになってくるわけです。

「そういうふうに言われたからする」とか、「しなければならないみたいだからやる」とか、「そういうふうにするみたいよ」なんていうことでやるというのは、やる意味とか背景が咀嚼できていないから、まったくだめです。

支部の代表者の皆さんから、エンゼル会員の皆さんや一般会員さんに、そこの大事な部分をよく言ってあげないと、本当のご神業と功徳につながらないと思うわけです。

これが支部づくりの原則、支部を運営する原則なのです。だから、たとえ支部の会員が少なくても、小さいところから始まっても、この青森のAさん親子、秋田のBさん親子をはじめとしまして、支部を初めてつくった人、それから、支部がいまいちのところは、その原点を忘れているからなので、あまり人為的にあれこれ考えすぎない。

みんなの意見を出し合ってもいいし、みんなで頑張ろうと言ってもいいわけですが、原則となるものは支部長の清荒神の方式。毎日祈りを絶やさないということなのです。

「神のお取り次ぎとして、人の縁が本当に結ばれて弘がりますように」

「有形無形のご神業が、本当に弥栄えて弘がりますように」

「ここを通してたくさんの人が救済できますように」

「心の悩み、霊的な悩み、肉体の悩み、対人関係の悩み、いろいろな悩みをかかえている人、みんなここへ来て、幸せな人がいっぱい増えますように」

「そういうお取り次ぎのチャンスをぜひくださいませ」と祈っていれば、必ず神様は聞いてくれます。

具体的に祈れば、具体的に叶う

それから、いままでの支部づくりでよくあったことというか、必ずあることなんですが、青森のAさんの支部はどういうわけか女性が多い。

それから、秋 田のBさんのところは、どういうわけか男性が多い。特にセールスマンが多かった。北海道の支部はどういうわけか経理の人が多いんです。なぜか経理をやっている人ばかり集まる。

熊本支部も、最初は男が三人でした。 E君とF君とG君の男三人。そこで、「女性が来ますように。とりあえず女性ならいいです。でも、なるべくなら若くて、かわいくて、気がきいて、いい人で・・・・・・」という形でお祈りしてきたら、そういう人がやはり来るわけです。

それから、高知のHさんのところは、若い女性も年取った男性も若い男性もいるんだけれども、とくに支部のセミナーのときに荷物を持ち運びする三十代半ばぐらいの人がなかなかいなかった。

そこで、支部で毎日、「三十代半ばで、荷物を快く運んでくれるような、男性のエンゼル会員とか会員さんをどうぞお与えください」と、朝な夕な、Hさんが祈っていたら、Ⅰ君やJさんがやってきた。だいたいそのとおりの、三十代の半ばで、荷物を運ぶのが得意という人が来るんです。

青森支部では、どういうわけか女性ばかりが来て、秋田のBさんのところはどういうわけか男性の営業マンばかりが来るというように、不思議と支部長によって集まってくる人が違うんです。

そこで発願するわけです。青森支部で、「どうぞ男性がもっと来ますように」と祈り始めたら、男性がどんどん来た。

秋田のBさんも、「どうぞ女性もちゃんと来ますように」といった具合に、年代とか、性別とか、こんな職業の人も来ますように、どうぞお与えくださいと言ったら、必ず来るんです。

これはどこの支部の人も経験していることです。

支部には、生ける神がいらっしゃるんです。だから、そうやって、朝な夕な、情熱を持って、真心を込めて、自分のことじゃない、支部のみんなのために祈り願えば、必ず聞いてくださるのです。

財政面のことにしてもみても、人間のことにしてみても、神書流布のことにしてみても。どんなことでも、目標を定め、発願して祈れば、必ず神様は聞いてくださるんです。今までの活動の中で学びとり、悟ったものは、どんなものでも応用できるわけです。

ああでもない、こうでもないわという形で話し合って、今の支部の問題点なんて考えている間があったら、原則に返って、祈りの行に徹すべきです。

ほかの支部のそういう体験を聞いているわけですから、下手の考え休むに似たりというか、下手な考えも休むのは無駄なんで、ただひたすら愛と真心でお祈りを捧げていく。

「ご神縁がどんどん弘がり、たくさんのご縁が結ばれますように」

「有形無形のご神業がとにかく弘がりますように」

「発展しますように」

「ここでたくさんの人が精神的にも、肉体的にも、霊的にも救われますように。

たとえばこんな救済、こんな救済を…………」といったように祈る。

救霊師がいなかったら、「どうぞ救霊師を与えたまえ」

九頭龍師がいなければ、「九頭龍師を与えたまえ」

そして、薬寿師とか、神伝密教がしたいというなら、「どうぞ神伝密教ができますように」と、朝な夕な情熱を持って祈れば、全部揃いますよ。

「救霊師と九頭龍師と薬寿師と神伝密教師が、すべて揃いました。でも、それをお取り次ぎする相手がいません。どうぞ、そういう会員さんが来ますように」と言ったら、それを必要とする人が来ますよ。そうして、片っ端から救済していったらいいわけです。

やはり、願った分だけしか神様というのは動かない。純粋な愛と真心で、情熱と真心の祈りです。

具体的に祈れば具体的に神様は出てくるし、抽象的に祈れば抽象的に出る。この原則に立ち戻るならば、あらゆる今の支部の問題点というものは、みんな解決できるはずなんです。生きている神様がいらっしゃるのですから。

ここはあまりにもすばらしい神様がいらっしゃる、あまりにすばらしすぎて、あまりに民主的すぎるから、こちらがいい加減な状態でぶらんとしたら、いい加減なかたちでしか証が出ないから、わからないだけです。そこまで向かったところは必ずそこまでの成果が出ています。

最高級の神が降りていらっしゃっていて、そういった自由なる意思を許されているところなるがゆえに、自由の気風というのがあるわけです。それをいいことにしてあぐらをかいてはだめです。

絶対に銘記しなければならない第一のポイントはここです。

支部づくり、支部運営の原点、なんで支部がこんなに増えてきたのか。最初に三~四人いたら十分なんです。そこからどんどん増えていくのですから。

一厘の軸ができたら、そこから回転が始まるわけです。軸というのはたった一人でもいいんです。

情熱と真心を持って、朝な夕な清荒神の管長のように祈り続ける人が軸になってきて、そこから回転の渦が始まるんです。

一厘の軸になる人がいない支部というのは、ああでもない、こうでもないわということで、あっちが整えばこっちが足りない、こっちが整えばあっちが足りないというふうになってしまうわけです。九〇%以上の問題は、今日の私のこの話で解決ができるはずです。