【第二章】白山、三峯の緊急ご神示 関東エンゼル会にて(2001年6月14日)
支部の役割
一人ひとりの会員さんに、少しでも気持ちと真心と、心配りが行き届くようにと思うんですが、会員数が増えてきたら、やはり支部の人にお任せするしかないわけです。
私の本を読んで、「神様~」と思って、皆さんいらっしゃるわけだから、本来は私が全部お預かりして、お話しして、救霊もして、相談にも乗るというのが本当なんだと思います。しかし、それが無理なので、そのかわりに皆さんにやっていただくわけです。要するに私のかわりにお取り次ぎをしていただくわけでしょ。
そういうことを考えたら、やはり、お部屋は、いつもきれいに清々しくしていただかないといけない。
「強運」(たちばな出版刊)の「ツキを呼び込む四つの原則」でも、「清潔にする」「整理整頓する」というのがあります。よくね、スタッフでも、散らかしっぱなしにしているんですよ。
そのときには、私も、
「おい、見てみろ、これ。君、「強運」という本を読んだことあるか?」
「はい」
「「ツキを呼び込む四つの原則」って書いてあったの、知ってるか?」と質問をする。
「整理整頓というのが書いてあっただろう。もし会員の人が来て、これを見たら、「先生、本で言っておられる主張と、ご本部でやっておられる営みには、随分と矛盾がありますね」って言われると思わないか」
「言われると思います」
「そう思うんだったら片づけたらどうだ」という具合に注意しています。
だから、支部の皆さんも、やはり、いつも整理整頓して、きれいにして、清潔にして、来た人が清々しいと思うようにしていないと、「強運」と矛盾しているなと思いますよね。支部が散らかしっぱなしだったらね。「強運」を読んで来る人が多いですから、小さいなら小さいなりに、それなりの清潔さというものが要るわけです。
菊理姫様が大切にされる人とは
私は、何でも平等にものごとを考えて、「一生懸命やる人」「適当にやる人」「自分だけのことを思う人」というように、それぞれ自由なんですが、一生懸命やる人や、はじめからワールドメイトの会員で、長い間ずっと、ご神業と仕組とこのワールドメイトの会を支えてきて、頑張ってきた人を、いつも優先したいというように言っております。
そして、それをどこまでも貫き通したいと思っています。
もちろん、内面的な無形のものが大事ですが、無形のものだけでは、また新しい良い無形も出てこない。やっぱり有形なもの、人を集め、来た会員さんも、あるいはご奉仕の人たちも、円滑に物が動いていくような活動も必要なわけですね。
原点というものを見忘れがちですが、原点だけを考えていても、末に広がりません。その原点を見忘れる宗教の教祖さんとかが多いわけですから、見忘れないようにしているんだけれども、原点をよく踏まえて活動しなければならないことも間違いのない事実なわけです。そうじゃなければ、世の中に弘まりませんから。
よくあるの宗教でも、普通の信者さんというのが、一生懸命、神様のためにさせていただきたいということで、いちばん純粋ですね。そして、上に行くほど、もう腐敗していて、堕落しています。
ワールドメイトは逆ですね、上に行くほど清らかで清々しく、下に行くほど偉そうにしてると(笑)。このことは、ほかの宗教を回ってきた人はわかるわけですね。
私も、めぐってきた中で、といいましても、めぐっているというほどは、めぐっておりませんが、その中でいろいろ見聞して、神様ならどうするだろうかということを常に思ってきました。
そして、純粋な真心を持って一生懸命やっている一般会員さんとか信者さんは、どう思っているんだろうか、といつも思っているんですよね。
神様、特に白山菊理姫様は、そういう人をいちばん大切にする。清らかな心でやっている一般の会員さんというのを、いちばん尊重するわけです。菊理姫様ってそういう存在です、御魂の神様だから。
良き伝統をつくろう
だから、なるべく、その人たちの心を踏みにじったり、組織組織という形で、ごく当たり前のごとく、それを当然のごとくするような態度だけは、お互い、厳に戒めたいと思っているわけです。
神様は、そういう一般の、純粋に一生懸命している信者さんのことを、いちばん尊ばれているわけです。
しかし、その宗教の幹部とか中堅幹部とか、役員になってしまえば、もうそれが職業になってしまって、その中で派閥闘争だとか、あるいはライバル意識だとか起きてくるわけです。やっぱり人間ですから。
そういうのが、ごく普通の人情なんだけれども、それをいかに道心と高い学問と教養と、内的な奥深い咀嚼力で、神様の御心に限りなく近づいていくことができるのかどうなのかということが、私たちが努力しなければならない方向です。
それを内的な世界の伝統にし、その足跡と伝統というものを残していかないと、後から来る人は、やはり、はじめがどんなにすばらしくても、後から来た人は、そういった宗教と同じような組織、同じようなやり方というものになっていくわけです。
組織でやることですから矛盾も起きてくるでしょうが、それでも、本当に良い伝統をつくっていくということで、いちばんよくできた良心的な運営というものができていくと思うわけです。
それはもう、本当に肝に銘じておくべきだと思うわけで、それが間違ってきたら、神様を拝んでいても、功徳がなくなるわけです。救霊師が救霊しても、あまり救霊できないし、九頭龍師がやっても、九頭龍のほうも嫌になっちゃって、もう箱根に帰っちゃう。
もう、「ひと、ふた、み…」と言ったって見向きもしてくれない、ということになってしまうんです。
型どおりにしておりましても、やはり、正神界の神々の御心に合うような運営の心構えというものをやっておかないと、神様に見放されてしまうんです。
神様に見放されたら、功徳が出ないようになってしまう。御心から離れてしまえば、組織の運営だけが残っていって、魂がないわけでしょう、神の神魂が。
そんなグループに縁あって来た会員さんは、かわいそうですね。
生意気で横柄で態度がでかくて、要領がよくて自分本位だという会員も多いですけど、同時に御魂を持っているわけです。すばらしき良き御魂と良心も持っているわけです。
人というのは両方ありますからね。善ばかりでもないし悪ばかりでもないわけです。両方あって、玉虫色なんです。だから善を引き出して、悪なるものが出ないように、こっちが導いてあげることによって、その人の良い面が出てくるわけでしょう。
そういう組織運営の伝統づくりというものを、私たちが本当に立派なご神業をいつもしていて、ゆっくり、じっくり、着実に伸ばしていけばいいわけです。びゅーっと伸びてもやっぱりそこができていなければ、やがてスライスするか、フックしますよね(笑)。
まず自らが立派になる努力を
そういう意味でエンゼル会の皆さんは、自分自身が本質的なものを見ていく、人生観とか生きざまというものを立派にしていくということが、先々のことを考えたら支部運営の近道ですね。
それがあってから、現実的な目標なのです。ここは、本殿とか神殿だけをばかでかくするような、やり方じゃありませんから。
あくまで、生きている人間の御魂というものを大切にしていく。もうその人が途中でどうなるかわかりませんけどね、突然、魔物が入って、別派へ行ってみたり、ほかの宗教へ行ってみたり、深見東州は魔物がついているなんて言いだすかもわからない。
可能性は大いにありますけども、それでもいいと。それでも、建物や何よりも、生きている人間の御魂というものの育成に、時間も費用もかけたいわけです。
建物だ、何だということではなくて、そういうところをバックアップする費用にお金を使う。「ご神業のために」という人材のために、費用を使いたいわけです。
ですから、支部に籍を置いている会員が、二名ずつでもいいんです。支部の代表者として、何らかの形で支部を預かって、毎日お祈りをして、「弥栄の儀」をして、その属している二、三名でもいいから、会員さんのことをお祈りしている。
そこへ来ると、守護霊メッセージのビデオがちょっとずつ見られたり、お掃除をしたり、お祈りをしたりというところがあれば、四畳半や六畳でもいいんですよ。そうすれば、そこの霊域がすばらしくなるわけでしょう。
少なくとも、二人でも三人でも会員のいる支部であれば、その代表者は、その二人のために祈りますからね。それで、支部を預かる人が成長するわけですよ。
各支部の代表者には、「支部というのは、運営をするプロセスこそが、 神人合一の勉強なんだ」と、いつも言っています。だから神様に発願をして、「何とかなりますように」とお祈りしてやっていく。会議なんかしちゃいけないんです。
まず産土さんにご祈願して、紅茶とかコーヒーを飲みながら、なんとなく話をしていると、お互いが、ああしようこうしようという形で盛り上がってくる。
そういうときに、その人たちが合霊状態になり、天の御柱が立ち、神なるものの答えが来る。
こうして、神と人とが合一して運営していくわけだから、運営しているプロセスも、御魂磨きであり、神人合一の勉強でなければいけないわけです。人為と人知で進めていくというやり方は、もうどこの組織や宗教で もやっていることですから。
支部の運営は、そのプロセスが神人合一の勉強ですから、二人の会員と二人の代表者でもいいわけですね。
しかし、その二人の代表者の真心が神へ通り、そのプロセスも神人合一しながらやっていくという練習をすると、責任感が生まれ、自主性というものが出てきて、「何とかその人たちを幸せにしなきゃならない」と思うから、ご神業に身が入っていく。
本でも私の講義でも、もう食 い入るように読んだり聞いたりして、それをその会員さんに話さなきゃいけないと必死になる。
そして、悩み事や相談事を持ちかけられたときに、どう答えたらいいんだろうかという気持ちに自然となってきますね。そうやって、支部を運営しようと発願した人が立派になっていくんですよ。いわば会員さんは、そういったら失礼になるかもしれないけど、教材のようなものなんです。
やはり神様の目は、どこにあるのかということなのですよ。
「神様のお取り次ぎをし、神様の御心を少しでも成就して、立派な神様の使者になりたい」
「神仕組のお役に立ちたい」と思って発願をし、実行している人、こういう御魂こそが立派になってほしい、幸せになってほしいというのが神心なんですね。
その地域の神柱たれ
だから、支部に来た会員さんに、少しずつ役割を与えてあげて、一緒に活動していってほしいわけです。
たとえば、「弥栄の儀で、先達を」とお願いしたり、「一週間に一回ぐらい来たら、支部の神気を受けられますよ。いつも先生が支部のことを祈っておられて、ここには神様がいらっしゃいますからね。
そして、一週間に一回ぐらい来て、お掃除なされば、徳が積めますよ」と言って一緒にお掃除をしたり、「人形・形代というのが年に二度ありますが、少しでもやりましょうよ」と言って、一緒に書いてあげる。
そういうふうにしていくことで、その地域に神柱が立つ。そうやって支部ができたところや、特にご神業をしたところでは、必ず、そこの経済や社会事象に、証が出てきます。
だから、一つの支部をつくって、奉鎮祭をして神様をお祭りし、たとえ一人でもお祈りをし、弥栄の儀を行うということは、偉大なることなんですよ。
そうして、支部の代表者や副代表の人たちをしっかり教育し、立派な御魂になるように、しっかりと良いご神業をしていく。少人数ならできますからね。「こういうふうに来たときには、こう答えるんだよ」
「こういうふうな人間には、こういうふうに対応するんだよ」
「こういうときには、こういうふうにお詫びをして」
「人間というものは、こういう気持ちでいるから、こうなんだよ」ということを、折に触れて、時間をかけて育成していく。
その人たちをしっかり育成していったら、そこの支部に属する人たちは、本当にすばらしいご神業ができる。上に立つ人間がすばらしかったら、その人たちというのはうれしいでしょう。
直接、私えできなくなってきたんだったら、小さく支部ごとに区切ってやっていくしかない。その代表者が立派だったら、新しく入ってきた会員さんも、ご神業というものを正しく理解できるわけです。
たとえ一人か二人しかいなくてもいいんです。支部を発願してやろうかという御魂様が出てくるということが大事なんです。
二人が代表者で、二人が会員という支部で、そのうちの一人、はじめに支部をつくった人は問題が多いからということで、いろいろともめにもめて、結果、本当にいい人がその後に出てきて、はじめの人はもう来なくなっちゃった、ということになってもいいわけです。
右に左にと揺さぶられながら、本当にすばらしい、純粋な真心でご神業をやっていくという人が、上に立っていけば、後から来た人は苦杯をなめなくてもいいわけですからね。ご神業の中において、尊敬できる人であれば、皆ついてきます。
僕も肉体が一つですから、やはり一般の会員さんの幸せとご神業を考えたら、支部で、小さな単位の斎庭(一般には、神を祭るために斎み浄めた場所のこと。ワールドメイトでいう斎庭は、植松愛子先生、深見東州先生に降臨しておられる
の神様がお出ましになるご神業の場のこと。
また、ご神業や神事によって実在の神様が降臨された神霊空間のことでもある)をつくり、巣をつくっていく。そうして、そこの巣に集まる人たちが、それなりに行き届いたご神業をしていくというのが、やはり一番だと思うわけですね。
各支部の代表者を、きちっと育成し、教育したら、会員の隅々まで、ご神業が行き渡る。やはり人と人との触れ合いによって、道というものを感じますからね。育成が大事なわけです。
トラブルこそ勉強材料
ですから、皆さんのように、ご奉仕をしている人たちの中から、「支部を預かってやってみよう」「できないながらもやってみよう」と、発願してほしいわけです。
そうしてやっていて、後から優れた人が来たら、その優れた人にお役をお願いする。自分に足りないところは、謙虚に一歩引いて、支部の元老院みたいになればいいんです。
うるさ型ではなく、「頑張りましょうねえ」と言って、優秀で頑張ろうと思う人に、なるべく役を与えるようにしてあげれば、活躍の場が出てくるわけですね。
そうしていかないと、良い人材とか良い御魂様が来ててもね、活躍の場所がないわけですよ。ただ来ているだけになってしまう。若い人でも、中年の人でも、あらゆる人たちが「ご神業のために」「神様のご用のために」と思っているわけで、そのご用をする役割と縁をつくってあげなきゃいけないわけでしょう。
やりたいなあと思っていても、具体的にどのように役に立ったらいいのか、どのようにご奉仕していいのかと思う人が、やっぱりいるわけなんです。
それでも、実際にそういう場になったら、もめ事ももちろん起きるでしょうけどね。もめるだろうし、いろんな厄介なことが起きてくるでしょうが、厄介なことというのが、神人合一をしていき、自分を磨いていく勉強教材ですから、厄介なこと大歓迎です。
その体験を踏まえたもの、事実にあったことが、これから来る人たちの何よりの勉強教材ですね。「こんなことがありまして」とか、「これはどう考えるべきなのか」という、実際の運営の中で出てきたものが、教材として残っていくわけです。
皆さんは、そういう意味で、神業歴史ドラマの中の配役であるのです。主人公であったり、端役であったり、脇役であったりして、そのドラマを演じる劇団の一員になっていくわけです。そのことをよく自覚してほしいですね。
だから、そうして少しでも、発願をして、支部を預かっていただきたい。私は、その人たちから大事にしていこうと思っています。数は一人、二人でもいいんです。
その発願をし、やり続けるということで、自覚と責任が生まれ、ご神業というドラマの中に入っていくのですから、もめ事も大歓迎です。それは、私にとっても、御魂返しのチャンスなんですね。こういったことも、何かのところで選ばないとできないわけです。
竹林となれ
もちろん、皆さんだけでなくて、これからは、ご神業の場で知り合った人の中で、本当に神様のことに熱心で、これはという人がいたら、もっとお誘いかけをしてほしいです。
竹林は、根が張っているからお互いを守れるし、山崩れや地崩れも防げますね。水害も防ぐし、山崩れも防ぎます。突風が吹いたり風が吹いても、地下に根が張っているから、嵐が来てもみんなで辛抱できる。
竹は、一本だけなら、もうポキンと折れちゃうんだけれども、群生することによって、竹林はずっと生き長らえる。新しいたけのこが出てきたり、水害、山崩れから人々を守り、山を守っているわけですね。
「若竹の」といって、竹というのは若人の象徴です。だから、竹は、そういうふうに群生することによって、社会的寿命が長くなっているわけです。
一人だったら、ああだろうかこうだろうかと、思い悩んでしまう。お仲間がいると、「頑張ろうよ」「ああしようよ」と言うからね、つい友達に言われて、「そうだなあ」と思いながら頑張ってきた―となるわけです。
支部を預かる人もそうです。一人だけ、ぽつんと支部を預かると不安ですが、お互いに、いろんな問題点を抱えながら、「お互いにいいところもあり、問題点も抱えながらやってるわけだから、頑張りましょう」と言って、群生して、頑張ってたら続くんですよ。
それから、縁のある人は、自然と、ご神業の場で会って親しくなる。何だか知らないけども、最初から、息が合って、何だか知らないけども、よく話をする、なんて人がいます。
それは前世の縁か、神霊界の縁で近づけられている人だから、遠慮なく、大いにお誘いをして、「お互いに群生しましょうよ」と言って竹林をつくっていけばいい。そうすると続くんですよ。
縁の尊さ
どんなにすぐれた御魂であっても、世の中っていうのは悪魔がはびこっているし、「世の中の価値観」と「神業的な価値観」は、合うところもあれば、合わないところもある。
だから、合わないところは傷ついてしまうわけだけど、群生していると大丈夫なんです。そうして社会に雄々しく立ち向かっていったらいいのです。竹林ならね、嵐が来ても雪が降っても干ばつでも、生き延びるでしょう。
そういうふうに、支部を預かり、支部を運営することで、自分を練っていこうということなんです。
自分たちが立派になったら、立派になった分だけ、その縁の人が、不思議と会員になるんですよ。支部を預かる人の、前世の子分だったり、親分だったり、家族、親戚だったり、また、敵同士だったりする人が来るんですよ、本当に。
その一つの実例がね、秋田と青森なんです。
秋田はBさんという人ね。秋田で、ぜひ支部をつくって運営したいと言ってきたとき、一人ですよ。お母さんがバックアップしておりましたので、二人ね。それでも二人ですよ。
この間、東北へ行って、見てきたんですが、驚きました、あまりにも大きな支部で。建坪が七十坪ぐらいの家で、二階建て。御殿というのは言いすぎですけどね。庭も広く、部屋数が十二~十三あったかな。そこに一人ですよ。大丈夫なんだろうかと思っていたんです。
それでも、「まだ秋田支部は人が少ないですから」ということで、毎日、一生懸命お祈りしていました。一人ですからね。
そのときに、秋田に会員が七名いました。秋田にワールドメイトの会員が七人ですよ。それで、支部が一人です。それで部屋数が十一も十二もあるようなところで、神様を祭っていた。
「会員は、少ないのがいいんだよ。大きくなったら大きくなった喜びと、良さもあるけど、悪さもある。少ないときは少ないときの問題点もあるけど、少ないという良さもあるんだからね。少ないときの良さというのは、少ないときにしか味わえないんだから、焦らなくていいですよ。
たった一人でもBさんが立派になったら、もう十二分に神様は喜んでいるんだからね。人は来ても来なくてもいいんだよ。ただ、来るべく努力さえしとけばいいんだよ」
「はい」
なんて言ってた。
そう言っていて、一年たったら、どうなったと思いますか。支部のご奉仕が、二十三名になった。それも、不思議と、男の営業マンが多いのです。
北海道のエンゼル会は、どういうわけか経理をしている人が多いですね。「経理事務所です」とか、「○○で経理をしております」ということで、十人いたら半分ぐらいが経理をしている人。おもしろいなと思ってね。
たった一年で、支部のご奉仕が、男性ばかり二十三人です。そして、秋田の会員が、五十何名に増えた。私たちも驚きましたし、本人も驚いただろうし、神様も驚いているでしょう。
そして、やはり前世およびご先祖さまに貸し借りがあったりする、縁があった人が来ているんですね。そしてまた、次に来た人の前世やご先祖様に縁ある人が、また来るわけです。やっぱり守護霊団が動きますからね。偉大なものです。
たった一人の発願のともしびがね、最初は建物だけが大きくてどうなるのかと思っていましたけど、「その人の心が一生懸命だったから、いいんじゃないですか」と言ってたら、今度は入り切れなくなるほど集まってきた。
それから青森もそうです。二LDKのマンションで、女性が一人ですよ。そのときは、青森の会員が四名か五名で、支部が一人。一人だから、二LDKでも、もう広くて広くて。
それでまた同じように、会員が四名だから、「まだ少ないです」と言いながらでも、一生懸命毎日お祈りしてたら、縁ある人が来た。
「岩木山神社に、ご縁のある人が来ますように、とご祈願してみたら」と私が言って、実際、ご祈願に行ったら、「二人来ました」とか、「今月は、もう三人来ました」というように言っていました。
「まあ、少しずつ前向きで、コンスタントならいいんですよ。 Aさんたちが、一生懸命、真心で頑張り、支部をやっていくことで、あなたが立派になればいいんですよ。
神様のためにやりたいという真心がね、真実なるものなら、たった一人、立派な御魂を磨かんがためにね、2LDKの建物を借りてもいいんだよ」と、私もはっきりと言いました。
「はあ、申しわけありません、頑張ります」というふうに本人も言っていたんです。
そうやって、一年たって蓋をあけてみたらね、今度は、ご奉仕する人が十八人になった。なんと十八倍ですよ。
ところが、青森の場合は来る人が全部女性なんですね、男性はちょっとなの。男性が少しで、ほとんどが女性が集まってきたんです。
やっぱり支部によって特色があるんですね。最初は、「今月は一人」「今月は二人」なんて言っていたんですよ。これも、支部が発展するというよりも、その人たちのお心が輝き、神様が受けていたからなんですね。
法のともしび
どこもそうなんですよ。
「たった一人の発願という、神業に対する「ともしび」というものが、どれだけ多くの人の心に、「法のともしび」をともせるのか、ということがわかったか」と神様が言っていました。
「私みたいな人間が、たった一人か二人しかいないような支部なんかしていて」ということで、組織の効率から見たら悪いですよ。経費倒れになるような感じがしますけどね、「この経費が賄えるぐらいだけは何とかしてください」と神様に発願をすると、不思議と神様が何とかしてくださるんです。
それをしてくれなければ、神様がいないということだから。
「本当に神なるものがいるんなら、こうやって発願してやっている私の、『神様のため、仕組のために、一人でも多くの人たちに法のともしびを。ご神業のともしびを」という心をお受け取りになるならば、神よ、動きたまえ」と発願する。
そうすると、何だか知らないけれども、ああでもないこうでもないと思って話をしているうちに、いろいろなアイデアが浮かんできて、その人に縁のある人がまず来て、次に来た人に縁のある人がまた来て、というようになってくるんですね。
こうやって神様や守護霊というのは、人の縁を通してでなければ、人間の発願という「ともしび」がなければ動けないということを、神様が教えてくださった。
「ご神業というものは、人というものの真心と、発願のともしびによって、道というものが弘まり、道が弘まることによって功徳が高くなり、神の心というものが成就されるんだよ」ということを教えてくださったのです。
そうした一年間の、支部運営のすばらしい結果を見てね、私も感動しましたよ。
東北がそうでしたね。九州のKさんもそうです。たった一人の女性の発願が、それだけの支部になったわけです。だから、永遠に残る功労者ですよ、神仕組の。ゼロからつくったんだからね。
寂しかったでしょうし、孤独だったでしょうし、不安だったでしょう。自信がなかったでしょうし、どうなるものともわからなかったでしょう。それでも、「やってみたい、やります」と発願したわけです。
だから、私がそうやって、全国エンゼル会で、毎月毎月励ましていた。ふと気がついたら、一年でそれですからね。
今はいろんな人たちが役割分担をして支えてくれるから、いろんな人が来て、にぎわっていますよ。本当にうれしいですね。
その感動と喜びというのは、みんな実話なのです。
だから、たとえ一人でも二人でも、発願してやるんだという「ご神業に対す真心」と「法のともしび」というものをともしてきたら、神様は見捨てないわけです。
その人の心と行動に、神様が懸かって、本当に縁ある人との御魂を結んでくださる。菊理姫様が行って結んでくださるのです。前世の縁がある人、先祖の縁がある人、来た人のまた縁がある人が来てということで、道が弘まっていくのです。これしかないんだなということを神様に教えられたわけです。
ご神業の位置
結果、どうなったか。
本当にすばらしいしっかりとした信仰力と、「神様のために絶対に」というと自信が出てきて、当初の人が立派になっていますね。
それぞれ支部が、「人がいない」とか「若い人がいない」とか「お昼に来る人がいない」という悩みを抱えています。そうした悩みを神様にぶつけたら、ほっと「奇跡的に、お昼に来てくれる人が来まして」と言って喜んでいる。そういうところを開拓して基礎をつくった人のことを、「ご神業の位置ができる」というのです。
年功序列でもないし、それから能力主義でもない。ご神業の功、実績をつくった人というのが、「ご神業の位置」があるわけで、たとえ能力が足りない人であろうと、そうやってご神業の何もないところから基礎を築いた人というのは、功があるから、大切にするわけです。
だから、少しでもそういう人と時間をとって、そういう人といい神業をしようと思うわけです。神様の御心がそうだから。
この功というものは、ご神業の位置、実績というものは、何もないところから開拓して築いた人ほど尊いし、偉大なわけで、それを神様もご存じなんです。
正しい発達とは
その増えていくプロセスがご神業だから、どの程度増えたかという数は問題じゃなくて、それなりに前向きに数字が上がっていったらいいのです。
人間が立派になったら、立派になった器の分、神様が人材を与え、その人材でその人もまた立派にし、立派にした分だけ人を与える。これが正しい発達。
御魂が立派じゃないのに人が来たら、分解しますからね。磨けた分だけ来たら、許容力で育成できるから、御魂も育つ。これがご神業を進めていくルールだということです。
だから、焦らないでじっくり、その発願と育成を待って、その分だけの会員が来て、その分だけ、その人の質とレベルに合った会員がそこに来るんです、不思議なことに、縁というものは。
だから焦らなくていいし、卑屈にならなくてもいいし、自分がやれる分で精いっぱいやっていれば、神様が動いて、時間的にも、費用的にも、労力的にも無理かもしれないけども、時間的、労力的、費用的にバックアップしてくれる人を与えてくださるんです、神様が。不思議です。
そういうことを私は、二十五年間、経験しています。自分でね。ご神業も何もなかった、ゼロからですから。
植松愛子先生と、植松先生のお兄さんと、私の三人で始めて、途中でお兄さんが忙しくなったので、植松先生のお兄さんのお友達だった拇村先生が来たんです、弁理士のね。それからです。今日まで十数年来て、このように道が開いてきたわけです。
私も、十五のとき、世界救世教で学生部をゼロからつくって、一生懸命、「僕が、朝から晩まで一人でも頑張るんだ」と言ってやっていました。
私は、兵庫県立鳴尾高校でしたが、私より一つ年上だった尼崎北高校のFさんという人が、「ああ、あんな子が一生懸命頑張っているから、私はどういうことがあっても協力するから」と言って、来てくださった。
その人が、すごく魅力あるチャーミングな人でね、きれいな人でした。あんまり色気はなかったんだけども、ものすごくきれいで、いい人だったから、「Fさん」「Fさん」と言って、男の子が何人か来てくれた。私じゃなくて、「Fさん」て(笑)。
もちろん、私にも、来てくれましけどね。
一生懸命頑張っているからということで、一人また一人と増えていって、一年間で十八人になった。私の学生部が、一年で、いろんな支部の中で、いちばん大きくなっちゃったんです。
私も、何もないところからそうでしたから。それだけの経験を神様にさせられている。だから、Bさんやみんなの気持ちも、よくわかるわけです。
温かみのある支部づくり
たった一人の発願と、ご神業と神に生きる情熱と、神霊界の輝きというものに、神が動き、縁が動き、人々の神なるものの御魂に、ご神業という「法のともしび」、新しい「神のともしび」をともすことができるんだということを東北の人たちが証明したわけですね。
私は、そんな「増やせ、増やせ」とか、「組織、組織」とか、「人、人」なんて言っていませんよ。エンゼル会へ行ったら、「「人、人、人」よりも、おのれを磨くことだ」「一人また一人と、少しずつ増えていったらいいんだ。焦ることはないよ」と、いつもいつも言っています。
「やりすぎないように」ということをいつも言っていて、そんなになっちゃったんですから、これはもう「神様が動いた」としか言いようがないでしょう。
「本質を忘れちゃいかん」「おのれを磨け」とか、「お祈りだけしてなさい」とか、「楽しくいこうや」ということしか言っていません。
まあ、やっぱり、縁が増えるチャンスをつくるということで、神書流布の活動はしているけれども、そんなに言ってないし、やってません。
いかに神様が活発に動いておられるかということです、仕組の神と産土の神様が。エンゼル会で、いつもそのように言っているんですから。それが、十八倍とか二十五倍でしょう。
仙台もそうです。小さな支部ほどまとまりがあって、巣がつくりやすいみたいですね。温かいアットホームな感じがあっていいと思うんです。
大きな組織で団体行動なんていうと、軍隊みたいだから。ハチの巣が幾つも幾つもあるような状態で、自主性を持って、それが固まってたら楽しいですね。家庭的で、心が行き渡ってて、いいんじゃないかと思うんです。
あんまり支部が大きくなりすぎたら、また、小さく区切ればいいんです。そうじゃないと、軍隊みたいになっちゃってね。
家庭的な支部で、ご神業をしていくというのがいいと思うんです。名古屋なんかも、小さいのが幾つもあって、そして名古屋というブロックをつくっていけばいい。楽しいですよね、自分が勉強するチャンスが出てくるわけですから。
そんなに私は、組織とか人の数を言い立てたことはないです。けれども、自然にそうなっていくんですよね、神が動いて、そうさせているんですよ。
ま、だから、皆さんも、そういうふうに支部を持って、ご神業をなされば、全国のエンゼル会へ来てね、いろんな支部の人がいて、おもしろいですよ。それぞれに特色があってね。
最低のルールと秩序は要るけども、見ていて楽しいですよ。なるべく、往復の交通費を出すようにしているから、それは膨大な費用ですけど、それでもいいと。それに、ちゃんと見合うように神様がしてくださるから。
そのかわり、各支部の人たちが、地方の特産物を持ってきてくれるんです。
稲庭うどんは毎月いただいているし、それから加島屋の鮭茶漬けや、もういろいろな、からし明太子も、それから熊本のからしレンコンとか、鹿児島のかるかん饅頭とか、私は好きなものが多いから(笑)。
皆さんが持ってきてくれたものを、お互いに回しながら食べてね。もう、それが、エンゼル会の喜びですよ。また、朝までやっているんだけれど、それが喜びなんですよね。
みんなでつくっていくご神業
だから、皆さんも、全国に、たくさんの御魂が集まっているわけだから、縁のある人に正しい神業と真実なるものをいかに伝えていくのか。
その器ができていたら、会員さんも、そろりそろりと、そちらへ寄ってきますよね。
やはり、だれかが先頭切ってリードしていかなければできないわけだから。私のかわりに、神業的にきらっと光る人が、いいお取り次ぎをするという立場ができて、徐々に発達していけばいいわけでしょう。
そうしてある程度の人と、ある程度の組織と、ある程度の財力ができたら、社会福祉にしてみても、一歩また一歩と、一つの足跡というものをつくっていけるんです。すばらしい芸術の成就や社会福祉といった、世の中に有意義なことが、幾らでもできるわけです。
財政は、そんなに豊かじゃありません。それでも、無いながらも盲人ゴルフをしたり、無いながらもスカラーシップをしたり、無いながらも芸術的なことに費用を費やしていこうと思っています。
こういうものは、「お金ができたら、お金ができたら」と言っていたら、永遠にできません。次々と、次の目標があってね、無いなら無いなりに、あったらあったなりにできますから。
みんながつくっていくご神業ですからね。今まで、そういうふうにしかしてないはずです、私は。
ま、そういうことで、支部を今預かっている人たちというのは、自分たちが、今、どこに、どういうふうに置かれているのかということを認識していただきたいということが、今日の大事なお話です。
