鹿島 ~日本霊界風土記~(Vol.4)

第二章 建国に果たした鹿島の神の神力 ~関東定例セミナーより抜粋 平成2年2月11日~

神武天皇の東征

本日は建国記念の日でございます。建国記念の日、昔は「紀元節」といいました。

今年は皇紀何年になるのでしょうか、二千六百五十年ですか。

さて、今から二千六百五十年前、日本の国を初めて統括されたのは、神倭伊波礼毘古命、すなわち神武天皇でございます。

神武天皇様は皆様もご存じのように、日向の国から上ってきたのですけれど、一説には岡山、あるいは浪速のほうを通って大和の国に行こうと思ったものの、那賀須毘古というのが邪魔をして、なかなか入れなかったといわれております。

神武天皇様、大和の近くまでやってきました。ところが、もうちょっとというところで那賀須泥毘古が邪魔をして、それ以上、兵が進まない。脛が長かったからそういう名前がついたのではないでしょうが、那賀須泥毘古に行く手を遮られたわけです。

で、天孫降臨といえば誰もが思い浮かべるのが瓊瓊杵尊様。その瓊瓊杵尊様から少し時代が下りまして神武天皇のときに東征が行われたのですが、ところが、その時代にもう一人、天孫がおりまして、その御印として剣、あるいは神様からいただいた矢を持っていた。それが饒速日命ですね。

同じく天孫を名乗る饒速日命が、大和の国に住んでいたのです。ちなみに、その饒速日命を祀っているのが石上神宮です。

石上神宮は饒速日命の子孫といわれる物部氏が管轄していた神社でございます。

その物部氏は「武士」や「物の怪」という言葉から推察されるとおり、本来は武力あるいは霊的な物事を治めていた一族です。昔は、民族がまつろいます、つまり服従いたしますという証に、ご神体を捧げたんですね。

たとえば、八幡様を信じている部族が降参するときには、八幡様のご神体を差し出す。そういうふうに、自分たちが信仰しているご神体を捧げることによって、服従の証にしたわけです。

というのは、そのころはもう、各部族では神様によってすべてが決せられて、団結していたからですが、それらを統括していたのが物部氏である、と。そういうふうにいわれております。

その物部氏の先祖といわれている饒速日命が、高天原から降臨するときに持ってきたのが「十種の神宝」。「十種」は「とくさ」、「神宝」は「かむだから」と読みますが、それは具体的にどういうものであったかというと、「沖都鏡、辺都鏡、八握剣、生玉、死反玉、足玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品物比礼」でありました。

これからも推察できるとおり、饒速日命は霊的な物事を司った、言わばヨハネのような存在だったということができます。それに対してイエスのような存在だったのが神武天皇です。

そして、那賀須泥毘古というのは饒速日命の部下でありまして、神武天皇が大和の近くまでやってきたとき、「私たちは、この大和の国の天孫である。なのに神倭伊波礼毘古命、すなわち神武天皇はなぜ日向の国からやってきたのか」ということで徹底抗戦していた。

しかも、那賀須泥毘古はいま言ったような霊的なものを持っておりましたので、非常に強かった。

そのため、神武天皇は非常に苦戦しておりまして、最終的に神武天皇と饒速日命が、互いに、「私も天孫だ」「いや、私も天孫」だということで、証を見せ合ったのです。

そうしたところ、「神倭伊波礼毘古命はたしかに天孫だ」と饒速日命が納得し、大和に迎え入れるように那賀須泥毘古に言うのですが、那賀須泥毘古が言うことを聞かなかったので、これを殺したといわれております。

ところが、実際はそうではない、という説もあります。それによると、那賀須泥毘古はその後、北に逃れ、青森に落ち着いたんだ、というのです。

それはともかく、神武天皇と饒速日命と、二人の天孫が降りていたわけです。

「黙示録」を書いたヨハネのように、天照大御神から非常に霊的なものを受けていた饒速日命。そして、陽の世界、外の世界を統率する役割を持った神武天皇。

この二人の天孫を比べた場合、どうしても霊的な物事を司るほうが陰で、懐刀みたいな存在になります。実際、饒速日命は神武天皇のそばにお仕えし、その饒速日命の助力によって神武天皇はこの日本の国を建国した、と。こういうふうになっております。

今日は、その建国記念の日なのですが、神武天皇は建国する直前、那賀須泥毘古の徹底抗戦に遭って非常に苦しんでおられた。前に進もうと思ってもまるで進めない。おそらく兵が疲弊しきっていて、とても戦えるような状態ではなかったのでしょう。

それにプラスして、神武天皇の兵たちは邪気・邪霊で徹底的に苦しめられていたんですね。那賀須泥毘古の邪気と邪霊にやられて、神武天皇以下、すべての兵がバターッと倒れて、身動きできなかったわけです。

そのとき、神武天皇が一生懸命ご祈願しましたら、一柱の神様が夢枕に立たれた。それが武甕槌神様、鹿島神宮のご祭神です。

天孫降臨に貢献した武甕槌神

皆さん、ご存じのことと思いますが、瓊瓊杵尊様の天孫降臨に先立って、高天原から出雲に遣わされたのが天穂日命です。ところが、この天穂日命、大国主に懐柔されて三年たっても帰ってこない。

その次の使者として遣わされたのは天若日子命といいますが、この天若日子命にいたっては、大国主の美しい娘、下照姫と結婚してしまう有り様で、八年たっても何一つ報告がない。

これではしようがないということで、最後に遣わされたのが武甕槌神様だったわけです。

武甕槌神様、出雲の国に降りてくると、すぐさま大国主に国を譲るよう談判します。海の上に刀を逆さまに立てて、切っ先の上にパッとあぐらをかいて、国を譲るように迫るのです。

それに対する大国主の返事は、「それを私に言われても困る。私はもう引退して、国の政治は息子の事代主に任せているので、そういう話は事代主に言ってくれ」というものでした。

そこで、事代主に迫ったところ、事代主は「ああ、わかりました。「譲りましょう」と、意外なほどあっさりと承諾したんですね。

これで国譲りの交渉は成功と思われたのですが、実はそうではなかった。大国主の息子の事代主は、いうなれば衆議院議長の権限を持った存在で、最高権力者である内閣総理大臣に相当する権限を持った存在が別にいたのです。

それが、もう一人の息子、建御名方神です。

この建御名方がなかなか「うん」と言わない。現在の日本の国の政治状況を見てもわかりますように、いったん政権を握ったらなかなか譲ろうとしません。

ああだこうだと言い逃れしたり、外遊したり、足の引っ張り合いをしたりして、何とかして政権を引き延ばそうとします。それと同じように、建御名方神もすぐには「うん」と言わなかったのです。

じゃあ、力比べをして決めようということになり、武甕槌が建御名方に手をつかませたら、武甕槌の手が氷になってしまった。氷になった手をへし折ってやろうと建御名方神がもう一度つかみ直すと、今度は鋭い剣の刃に変わった。

これはすごい術だ、恐ろしいとばかりに建御名方神は逃げ出すのですが、信州の諏訪まで逃げてきたところで追い詰められ、武甕槌に殺されそうになります。そのとき建御名方神が言った。

「この葦原の中津国は、天照大御神様の御子に差し上げます。私はこの地以外、どこにも行きませんから殺さないでください」

それで、建御名方神は諏訪の地にお鎮まりになり、諏訪大社に祀られることになるわけですけれども、実は、諏訪周辺にはそれ以前から洩矢の神というのがいて、洩矢信仰というのがあったのです。

諏訪まで来て、その洩矢の神様を屈伏させたのが建御名方神。そして、武甕槌に追い詰められて、殺されそうになったとき、「言うとおりにします。ここ以外どこにも行きませんから」と言って鎮まったのが諏訪大社です。

かくして、大国主の二人の息子から「国を譲りますから、どうぞ」と言質を取ることに成功した武甕槌は、出雲に戻って、もう一度、「あなたの二人の息子さんは降伏しました。あなた、どうなんですか」と大国主に尋ねます。

すると大国主は、「息子がそう言うんなら、私ももう引退いたします。これからは幽界を治める神と「して働きます」と約束し、自殺したわけです。

そうしてつくられたのが杵築大社です。明治のころまでは出雲大社のことを出雲大社とはいわず、杵築大社と呼んでおりました。

武甕槌神様に、「目に見えない世界、幽界を治める神として私は鎮まります」と約束した大国主命は、自殺したあと杵築大神となられたのですが、その御魂を祀ったのが杵築大社、すなわち出雲大社です。

鹿島神宮と香取神宮の関係

神武天皇の建国の話に戻しますと、那賀須泥毘古の徹底抗戦に遭って苦しんでいるとき、天孫降臨の際に活躍した武甕槌神様が高倉下の夢枕に現れて、こうおっしゃったんです。

「しっかりせよ。このたびのことは私がわざわざ行くほどのことでもない。だから、私の息子の経津主命を授けよう」

武甕槌神様は夢枕に立ちはしたものの、実際にはいらっしゃらなくて、応援にかけつけたのは息子の経津主神様。すなわち、香取神宮のご祭神です。

ですから、鹿島・香取というのはセットなのです。が、どちらかといいますと、香取の神様が斎主。

文献を見るとややこしくなりますが、香取の神様は斎主とされておりまして、香取神宮から利根川を隔てて対岸の鹿島を見ると島に見えるから「かの島」と呼ばれ、そこから鹿島になったとか、あるいは、香取は「舵取り」のことなんだとか、いろいろ説があります。

けれど、文献によりますと、香取神宮から鹿島の神様がお祀りされるようになったというふうにいわれております。

ところで、今年は午年でございます。この十二年に一度の午の年に、鹿島では特別祭、「御船祭」がございます。伊勢のご遷宮は二十年に一度ですが、鹿島神宮は十二年に一度、午年の今年、九月の二日にあります。

その御船祭では、鹿島の神様が船に乗って経津主の神様とご対面をなさるわけで、いわば、牽牛・織女の十二年版ですね。武甕槌と経津主の場合は親子ですから、男女のご対面ではなく、親子同士のご対面です。

午年とはどんな年か

午年は、鹿島の神様が出てくる年です。ですから、今年の建国記念の日は単なる記念日ではなく、鹿島の大神様がその霊威をウワーッとお出しになる年なのです。十二年に一度のことです。

では、なぜ午年なのか。鹿島神宮の関係者の方々にも、「理由はよくわからないんですが、昔から午年なんですよ」とおっしゃるだけで、はっきりしたことはよくわかっていないようです。

しかし、私にいわせれば簡単です。十二支の中で最も陽が極まるのが午年だからです。午は南子は北です。地球の南北を結ぶ線を子午線といいますけれど、子は陰の極まり、午は陽の極まりです。

鹿島の大神様というのは、鹿の角に象徴される気力、霊力、権力を浮き立たせ、ウワーッと霊威を奮い立たせる神様。手を握られたら瞬間に手を凍らせてしまうほどの、とにかくパワーの極致の神様。

まさしく、高天原随一の武の神様といわれるにふさわしいパワーを秘めていらっしゃる神様といっていいでしょう。だから午年なのです。

子のパワーと午のパワー。どちらが強いかというと、午のパワーのほうが強い。午は離、陽の極まりとされている。十二支の中で最も陽の極まった、輝きの極まった年、それが午年です。

干支でいいますと、午年というのはそれまで努力してきたことが一気に花開く年。十二年間、苦労しながらも一生懸命に努力した人は、ものすごい発展力でもって、権力と栄光を掌中に収める。

とにかく、駆け抜けるがごとく突き進んでいって、結果うまくいくわけです。

ところが、努力してなかった人は、同じくウワーッと突き進んでいくんですけれども、どこか歪みがあるものだから、どうしても右にフックしたり左にスライスしたりして、うまくいかない。

おまけに鹿まで出てきますと、文字どおり馬鹿になってきます(笑)。「よーし、頑張るぞー!」と威勢だけはいい。しかし、基礎力がないから失敗して、周りから馬鹿者扱いされます。誰でも拝めば成功するというわけではないのです。

ここ一番で活躍される鹿島の神

瓊瓊杵尊が降臨したとき、誰が出雲に行ってもダメだったのに、ここ一番というときにビシッと押さえて結論を出したのも鹿島の神様だったし、あと少しで大和朝廷ができるというとき、もうダメかというほど苦しんでいた神武天皇に「大丈夫だ、頑張れ」と励ましたのも鹿島の神様でした。

「私が行くほどのことでもない」ということで、実際には息子の経津主を応援に行かせましたけれど、ここ一番というときに大いなる働きをされるのは、いつも鹿島の神様です。

息子の経津主というのは、ふつふつと湧いてくる主ということで、剣の霊威を象徴します。あるいは、剣そのものでもあります。つまり、剣とは、気力と意志力と権力の象徴であるわけです。

熱田神宮とか宗像大社の須佐之男の剣になってきましたら、経済とか言霊の象徴なのですけれど、鹿島の剣の意味は気力と意志力と権力の象徴。

それだけの武の神様であり、霊威というものを顕現される神様であられまして、この経津主と武甕槌神様がいらっしゃらなかったら日本の建国もなかったでしょう。

天孫降臨のみぎり、一番苦しかったときに力を発揮してくれたのは鹿島・香取の神様。神武天皇様が日本の国を建国するにあたって、一番苦しかったときに助けてくれたのも鹿島・香取の神様。武甕槌、まるでマイク・タイソンみたいな感じですね。

何か、ビシッとした感じがするでしょう。これ、鹿島の神様です。神武天皇の霊と鹿島の神様です。今年、午年は、大いに動かれる年です。

実は今日、最初に祝詞を上げようかと思っていたのですが、太鼓をドンドコドンドコドンドコ打っていたら、鹿島の神、香取の神が神武天皇様の霊とともに降りてこられました。

だから、祝詞はあとにしたのですが、どうですか、皆さん、体がシャキーンとしてくるでしょう。

そういうことで、鹿島・香取の神様のお力なくしては、神武天皇様の建国もなかったわけです。

この夢枕に出て励ましたという話は、ギリシア神話にもありますね。ゼウスの息子の何とかというのが危なかったときに、楯の中に神様がワーッと出てきて教えてくれた、と。そこからヒントにしているのかどうかわかりませんが、神霊界では同じような要素があります。

それをとらえて学者さんの中には、ギリシア神話が伝わって、それが日本の神話に影響を与えたんだろう、というような見方をする人がいます。

たしかに、現実的にはそういう面があったかもしれません。しかし、目に見えない世界の神々様が動いて、そういうものを残したという解釈、言葉を替えて言うなら、神様のご意思の奥を読み解くという「神霊的な目」で見なかったら、永遠に真実はわかりません。

文献に残されている歴史、その奥に動いている神意というものを読み解いていく目。

これを養わないことには、神様のことはよくわかりません。学術的には理解できても、目に見えざる神様の世界、妙の世界は会得できません。

今日は、鹿島の神様に関して、いっぱい皆さんに言いたいことがあるのですが、鹿島の神様はどのようなお姿なのか、皆さん、興味ありませんか。実は、金髪です。鹿島の神様って金髪なんですよ。神武天皇様も金髪です。背が高くて、美しい金髪です。

神武天皇の建国の歴史から学ぶもの

紀元節のこの日、日本の国が建国されたわけですけれども、神武天皇様にしましても、天孫降臨の際に活躍された武甕槌神様にしましても、そう簡単に成就したわけではありません。

やはり、今日の祝詞にもありましたように、いいものを残そうとすると必ずその前に魔が入ります。その魔や困難を乗り越えたとき、大きな喜びがあるわけです。

あまりにも簡単に、あまりにも楽に、あまりにもスーッと物事が運ぶと、喜びと満足がない。何でもそうですけれど、とくに神仕組となると、一層、さまざまな困難があったほうが楽しいし、喜びがある。

神仕組というのはドラマであり、お芝居です。あるいは、お芝居の台本です。ですから、日本の国の建国にしても、台本どおりに進んでいったのでは面白くない。

途中で、那賀須泥毘古だ何だかんだと、いろいろあったほうが面白いし、感動があります。もうギリギリの危機一髪のところを乗り越えていく。そこに醍醐味があり、ハラハラドキドキする感動があるわけです。

神武天皇の建国の歴史を見ても、天孫降臨の瓊瓊杵尊の歴史を見ても、そういう醍醐味、感動があります。

私たちでもそうです。困難があるから面白いし、己が鍛えられる。

ただし、そのときどうやって乗り越えるか、これが問題です。信仰を持たない一般の人は、ただがむしゃらに頑張ったり、あるいは逆に諦めたりするのでしょうけれど、私たちはそうではありません。

まず、期限を決めて日にちをビシーッと切って発願し、「必ず応えたまえ」と祈る。神様に誠の心をボーンとぶつける。と同時に、とりあえずの目標に向かって一心不乱に精進努力する。

二十一日祈願というのがありまして、非常に古典的、伝統的な神様に対するお願いのやり方です。深山幽谷に籠もる、行者さんみたいなやり方ではなく、一般庶民でもできる、いうなれば非常にポピュラーなやり方でございます。

それぐらいのことなら誰でもできるでしょう。それでも面倒くさくて嫌だという人はもう論外ですけれど、七日祈願、二十一日祈願をやって、困難、試練をポーンと越えるだけのものを身につける。そうでなければ、「自分自身の建国」ができません。

会社の経営だとか結婚だとか、「自分の国づくり」をしていくときには必ず困難があります。

そのときにダメになってしまう人は、何もできないまま人生を終えてしまう。逆に、必ず越えられるんだと信じて、見事に越えた体験を持っている人、換言すれば、越えるクセを身につけた人は、次々と困難を越えていきます。

大切なのは、ですから、そういう習慣づくりです。それが、神武天皇様の建国の歴史が教えていることです。

待ち受ける国家レベルの艱難・試練

武甕槌神様、今年(編集部注平成二年当時)お出ましということは、日本の国にも同じような命運が待ち受けている、ということです。

今は、神武天皇様のお話や個人のレベルの心構えについて語っておりますが、こういうところへ武甕槌神様が出ていらっしゃるということは、国家レベルの困難があるということです。

改革と激変。もうちょっとで建国が成るというときの艱難、試練。これをいかに乗り越えるかということが私たちのテーマになるわけですが、鹿島の神様が午年に出てきたことから見て、日本の国の前途に大変なことが待ち受けているのはまず間違いありません。

危機一髪というときにまた鹿島の神様が出てこられて、ふつふつと湧いてくる経津主の神様とともにこれを盛り返していく。

日本の経済、政治はいつもそうですよ。自民党政権だけではない。あらゆる局面でこういうことが起きてきます。政治、経済、社会問題…。

今は冬神業の真っ只中です。ですから、今日、武甕槌神様ならびに神武天皇の霊が降りてきたということは、いずれ近い将来、建国のときの苦しみ、産みの苦しみが日本の国中に敷衍されていくだろう、世界中がそうなっていくでしょう。

もちろん、私たち一人ひとりにも、建国のときのような艱難、試練が待ち受けているでしょう。

けれど、それをどう越えていったらいいのか、越え方、凌ぎ方のヒントが神話の歴史に示されておりますので、何ら恐れることはありません。

とりあえずは、簡単な二十一日祈願から始め、激変と改革を見事に越えましょう。一身上の建国に関しても、やはり鹿島の神様が示してくださったような方法でやっていきましょう。

それが、神武天皇の建国の意義でございますが、こういう話を聞いたら、鹿島の神様のイメージがふつふつと湧いてきて、いますぐにでも鹿島神宮に行きたくなったのではありませんか。

そこで、いまから鹿島の神様の活用の仕方について、諏訪の神様(諏訪大社・長野県)、箱根の神様(箱根神社・神奈川県)の場合と比較しながらお話ししたいと思います。

鹿島、諏訪、箱根の三つの神様の三つの使い分けです。使い分けといったら神様に失礼ですね。活用の仕方、応援のいただき方について説明いたしましょう。

ゼロからスタートするときは諏訪の神様

さて、諏訪、箱根、鹿島の三つの神様をどういうふうに活用するか。これについてお話ししますと、まずゼロからスタートするときは諏訪の神様。そう考えていいでしょう。

諏訪には「御柱祭」という有名な祭りがあります。何にもないところにバッと柱を立てる祭りですね。それから、諏訪は龍神信仰が盛んですが、龍というのは立てるから龍。無から有を生み出し、パッと柱を立てる。

ですから、経営者なら会社を創業するとき、政治家志望でしたら初めて市議会議員、県会議員、都議会議員に立候補するとき、あるいは作家志望の人だったら、何かの賞に初めて応募するときには、諏訪大社にお参りしたらいいでしょう。

役者なんかでも、初めて主役をもらったとか、初めて演劇で発表します、なんていうゼロからスタートするとき、柱を立てるときは諏訪の神様。「スワッ、一大事」のときには諏訪に行くといいです。

真心込めて諏訪大社にお参りすれば、大きく道が開けるでしょう。

それから、会社が倒産したときも諏訪。「ああ、一からまたやり直すしかない」と、人生をやり直すときも諏訪がお勧めです。

先ほど言いましたが、建御名方神は、武甕槌神にやられたんです。

「すみません。ここにとどまって、どこにも行きませんから」と、許しを乞うた神様ですから、敗者の気持ちが痛いほどよくわかる。だから、負けた人間に味方するわけです。

「大変でしょう。私も武甕槌にやられましたから、その気持ち、よくわかりますよ」と言って、倒産したり、失恋したり、ゼロからスタートしなければならない人に味方するんです。

諏訪はゼロからのスタートですから、1から10のうちだいたい4ぐらいまではフフォローしてくれます。ゼロから1、2、3、4ぐらいまでは諏訪の神様。

5から8ぐらいまでは箱根の神様です。祈願の成就力ということでは、諏訪よりも箱根のほうが強いです。

オールマイティーに力を発揮される箱根の神様

スタートであろうと真ん中であろうと、ご祈願したことがすぐ成就するかどうかを決めるのは、ご神霊の性質もさることながら、ご眷属の数なのです。龍王とか天狗とか、白蛇、赤蛇、ピンク蛇、黄金蛇…..。

ヘビー級チャンピオンもいます(笑)。そういうご眷属の数に比例して、霊力も強くなるわけです。

ぐじゃぐじゃした蛇みたいなことを祈っていたら蛇が来て、「叶えてやろう」と。「天下一の人間にしてください」と祈ったり、「俺ほど偉いやつはどこにもいないんだ」と思っていると天狗が来て、「叶えてやろう」と。「どうぞ日本のために」と祈っていたら龍が来て、「叶えてろうと」と。人々の幸せのためにと祈っていると、ご祭神がやってくる。

もちろん、正神界の神様ですから真心と精進がなければいけませんが、どんなことでも叶えてくださいます。要するに、眷属がたくさんいる箱根の神様はオールマイティーなのです。

だから、祈願の成就力に関しては箱根が一番。私が箱根を強く勧めている理由はそこにあります。ただし、まったくのゼロからスタートするときは、諏訪のほうが上です。竜巻のように、ウワーッと巻き上げるパワーがありますから。

そういうことで、ゼロからスタートしたり、ほどほどの人生を送っている、ごくごく一般の人には諏訪と箱根、この両用がお勧めです。ゼロからの諏訪と成就力の箱根の二つがあれば、ほとんどのことはカバーできます。

真ん中ぐらいの人、あるいはゼロからの人の願いごとを叶えてくださるのが箱根と諏訪の神様。オールマイティーです。そういう意味で、誰にでも勧めることができます。

権力の維持に力を貸してくれる鹿島の神様

鹿島は、8ないしは9にまで到達した人に向いております。

さっき言ったように8、9、10、このあたりまで極めた人は、たとえば日本の国を建国した神武天皇、あるいは天孫降臨の瓊瓊杵尊のように、困難を乗り越えております。

鹿島の神様というのは中臣氏が崇敬していた神様ですけれど、中臣氏はその後、藤原氏になります。そして、平安時代に入ると藤原政権が誕生し、八六六年、良房のときに摂政になりまして、八八四年には基経が関白になっております。

それまではずっと藤原政権が続いていたわけで、とりわけ良房から道長までの約二百年間はまさに藤原文化の時代で、そのころ、中世の日記文学が非常に盛り上がりを見せておりました。

その藤原氏の元は中臣氏。中臣氏は茨城県の鹿島のところから出て、そして、中央で藤原氏が政権を取ったときに、鹿島の神様をお祀りしたいということで祀ったのが春日大社なのです。

春日大社のご祭神は武甕槌神。そして、白い鹿の上に鹿島のご神霊を乗せてお祀りをしたので鹿公園ができた。

鹿島の鹿をそのまま奈良へ持っていったわけです。藤原政権、あれだけの政権を保つことができたのは鹿島の神様をお祀りしたお蔭である、といっても過言ではありません。

中臣氏から興った藤原氏の守護神が鹿島神宮。それが奈良の春日大社になった。鹿のいる奈良公園のできた理由はだいたいそういうことです。

そのように、八分どおり九分どおりのところまで来た人たち、いわば天皇様や藤原氏のような上層階級の人たちが政権を奪取するとき、あるいは維持していくときには鹿島の神様が一番。気力、霊力、体力、権力を授ける神様ですから。

だから、何か賞を取ったり優勝したりした人が、いかに名誉と地位と位と名声とパワーベースを維持していくのか、というときには鹿島がお勧めです。年に一回でもいいから必ず参拝するようにしたらいいでしょう。

必ず参拝に来ていたのが佐藤栄作さん。忙しくて本人が来られないときには、秘書さんが来ておりました。それまでは一番の長期政権は佐藤栄作さんです。

ノーベル平和賞なんかをもらいましたね。佐藤栄作さんは神仏に対する信仰が深くて、必ず鹿島へ来ておりました。そうやって政権を長く維持していこうというときには、鹿島が一番。

諏訪でゼロから起こし、その後は箱根の力。だけど、「トップを狙うぞ、奪取するぞ」という、ここ一番のときは鹿島。

そして、いったん奪取したトップの座や政権を維持していくときも鹿島。これはもう、私自身体験し、ご神霊にもお聞きし、神霊界の神様にも確認済みのことでございます。

鹿島はそのように、8、9、10のレベルの人に向いているわけで、たとえば、政治家でしたら初めて選挙に出るときは諏訪と箱根。二度目、三度目となりますと鹿島と箱根。こういうふうな組み合わせになります。

諏訪、箱根、鹿島三神の活用の仕方

こういうふうに説明すると、わかりやすいでしょう。こんなこと、神社関係の本を見ても、どこも出ておりません。

体験と実践をして、神霊と交流した結果わかったことでありまして、私自身、実際にそのようにしているわけですけれど、鹿島の神様が出てくるということは、危うくなった日本の経済をぐっと持ちこたえ、さらに維持していこう、ということです。

チャンピオンに挑戦するときには諏訪で、チャンピオンになって防衛するときには鹿島です。

使い分け、わかりますか。

初めてのことに挑戦して、得るまでは諏訪。そこから防衛・維持になってきたら鹿島。長く維持するということのほうが難しいでしょう。その角度の違い、大きさの違いなんです、神社の神様の働きの違いは。

それぞれの神様の歴史を見て、動いておられる有り様を明確に理解したら、そのことがわかります。単に神霊のことだけではなく、そのご祭神のご神徳が歴史に顕現する有り様を見ていく。そうやってご神霊の奥の働きをよく読まなければ、正しいとはいえません。

そういうことで、創業期から売り上げの柱をつくるまでは諏訪の神、箱根の神。そこからある程度、成長し、二代目、三代目になったら鹿島の神。

あるいは、後継者を誰にしたらいいんだろうか、会社をどういうふうに運営していったらいいんだろうか、ということで、社長さん、迷ったときは、鹿島へ行くべきです。関東では鹿島しかありません。鹿島がダントツ日本一です。

延喜式による神社の神名帳では、伊勢神宮と鹿島、香取だけが神宮と名乗ってよいとされておりました。その当時は伊勢、鹿島、香取しか許されなかったんです。神宮というのは、昔は三つしかなかった。

それだけ、やはり、皇室と伊勢に匹敵するだけの次元の高い動きをしているわけです。為政者、体制側、権力を奪取した人がどうやって維持し、永らえていくのかということですからね。

これは単に会社とか皇室、貴族だけではない。それぞれの分野でいかにトップの座を維持していくか、成績を落とさないか。これは本当に難しいことです。

ある程度、成功を収めると、そのうち、気力、意志力が萎えていくものだから、グラッとくる。誘惑にフラフラしたり、足元をすくわれたり、争いとか戦いがあったりして、なかなか維持できないものです。創業するより永らえるほうがもっと難しい。

徳川家康も鹿島神宮に参拝しておりますし、藤原政権の元、平安時代の基礎をつくったのは、霊的背景からいうと、みんな鹿島です。春日大社の元になった鹿島。

これを考えれば、鹿島の神様のことがよく理解できるはずです。

箱根は真ん中。1、2、3は諏訪。8、9、10が鹿島です。しかし、諏訪の神様にお願いするにしても、鹿島の神様にお願いするにしても、箱根の神様にもお働きいただくことで、どんなケースにでも適合するのではないかと思います。

これが、関東の三つの神社の応用編、活用編。初めてお聞きになったでしょう。前にも少しお話ししましたけれど、今日はビシッと整理できました。

「古事記」の歴史から神霊の歴史、神社の社史を見ておりますと、どういうふうに動いているのかが、もう明確に理解できます。

諏訪はゼロからのスタート。箱根は何でも叶う。万願成就。マージャンではありません。リーチをかけて成就するのは「満貫」です(笑)。そして、トップに立ったら鹿島、と。

もちろん、ご神霊ですから何でも聞いてはくれますけれど、とくに政権、気力、実力の保持では際立った働きをしてくださるのが鹿島・香取。政権、気力、実力。

一般の皆さんは、実力の保持。実力を落とさないために鹿島に行く。すると、気力が凝結して頑張れるから実力がますます充実する。だから、地位が維持される、ということです。

そういう働きを、一言でいうと「剣」です。

剣が鹿島のすべての働きを象徴しているわけです。


※追記
ところで、この鹿島の神が海に出ずる時、わが国を守る剣の神としての働きが、表に現れる。そこで、毎年陽の極まる六月の夏至の頃、私は鹿島灘において「海原びらき大神事」というものを行う。

本物の真剣に鹿島の神のご神霊を招き、わが国の国運の長久たらんことを祈って、神剣を振り続けるのである。六千人を超える会員で埋めつくされた海岸に、およそ三千人ぐらいの神剣を振ることを許された人たちが揃う。

身体にビリビリ来るご神霊の霊威に打たれながら、剣を振る姿は圧巻。

この時、会員のみならず、一般の方々のためにも強運人形・形代(自分の名前と住所を書き、息をかける人形や車、会社形の半紙のこと)の大通力によるお祓いの受付も行っている。三百円から申し込めるので、お気軽に申し込まれたい。

「神社で奇跡の開運」より