熊野 ~日本霊界風土記~(Vol.2)

第一章 熊野の神のお働きとは ~ 東西合同鼎倶楽部の熊野神業より 昭和63年11月18日~

熊野の神の三つの役割

熊野本宮大社(和歌山県田辺市)のご祭神は素盞鳴尊様と言われております。神社の解説書を見ますとわかります。

奇霊御木野神と言って樹木の神様であるとか、それで紀国という名前が出たとか、あるいはまた舟玉の神であるとか、いろいろ解説があります。それは、神社の歴史から出ていることで、決して嘘ではありませんけれど、神様とは、要するに素盞鳴尊様でございます。

実は、熊野に向かう飛行機の中で、私は一時間四十分間、ずっとお祈りをしておりました。

何をお祈りしていたかと言いますと、「終戦後、神仕組が変わってから、熊野の神様のお役割はどのように変化したんですか」ということを聞いていたのですけれど、それに対する答えをいただきました。

その答えをご紹介する前に、熊野の神様と三輪(大神神社、奈良県)の神様を比較しますと、三輪の七に対して熊野は十であり、その五十倍強いのが伊勢の大神様である、と神様がおっしゃっていました。

それくらい、伊勢には圧倒的なパワーがあるわけですが、役割が違うんですね。

「熊野の神様はどういう働きがあるのか」

私は飛行機の中でずっと熊野の神様に聞いておりました。そうしましたら、仕組が変化してからの熊野の大神様のお役割についてということで、答えが三つ出てきました。

一つは、熊野の神様は、「芸術の道を成就させる神であると同時に、出版の神である」ということ。

いまにして思えば、私の「強運』をはじめとする著作がベストセラーになったのは、熊野に参拝した直後のことです。

「神界からの神通力」を出したあと、熊野神社に参拝し、出版の成功を祈願したら、「強運』「大金運」の大ヒットがあったわけです。

そういうことで、芸術の道を成就させ、出版に力を与える、ということが、まず重要な役割として挙げられます。

その次に、「公益に関する物事を全部、成就させる」。つまり、公益法人をつくるとか、公共のために益することを全部、成就させる、というのが二番目の役割である、ということでございます。

三番目としては、「反逆児を正臣に変える働きがある」と。たとえば、自分の会社に反逆児がいる場合、熊野の神様にお願いすると正しくなついてくる、ということです。

熊野の神様は神の左腕

話がちょっと横道にそれますが、今回、熊野に来ることになった一つの大きな理由は、前回の宗像大社(福岡県)のご神業なんですね。

二ヵ月前に宗像へ行きましたら、宗像の神とは神(編集部注 これは主神とも書きますが、宇宙創造神のことです)の右腕であり、人材を結集する神である、というご神示をいただきました。

ということは、宗像の神様にお願いすれば、自分の右腕になってくれるような人材、自分の代わりになって働いてくれる人材が与えられる、ということです。

実際、宗像大社に参拝してから、私達にも有能な女性が三人、メンバーに加わりましたし、あのとき一緒に宗像に参拝した会員さんにも、同じような証がいっぱい出ております。

とくに宗像大社の場合、中津宮、沖津宮、辺津宮という三つのお社がありますから、現場の人と中間管理職と幹部、そういう種類の人材が集まります。とにかく、宗像には人材を結集するための力があり、そのためのあらゆる財力も集まる、ということです。

しかも、その人材とは、天皇様にとっての右腕のような人材でありまして、宗像にお願いすると、天皇様の旨とする方向に人材が結集して、聖業が成っていくわけです。

それで、あのときのご神示では、「宗像は神の右腕で、左腕は熊野だ」というのが出たんです。

宗像は右腕だけど、熊野は左腕である、と。では、左腕とは何なのか。「あなたは私の右腕だ」とは言っても、「あなたは私の左腕だ」とは言いませんね。左腕とはどんな腕だと思いますか。

左の「ひ」というのは「霊」と書きます。「だり」は「足り」。すなわち、左とは「霊が足りる」という意味なのです。

それに対して、右にはどんな意味があるかと言いますと、右の「み」は「水」、あるいは「美」とも書きます。そして、右の「ぎ」は伊邪那岐の「岐」。つまり、右には「物質的な方向性を整える」という意味があるわけです。

左の「霊が足りる」ということは、霊的な物事を正していくということです。ですから、芸術の道が成就するとか、神様がお考えになるような公共公益の道を成就する。

それから、人間として欠落している内面性が正される。「霊足り(ひだり)」の部分が不足しますと、内面性が歪んでくるし、霊的におかしくなります。だから、反逆するわけでしょう。

そういう反逆者がいても、熊野の神様にお願いすると、正しく道が伝わって正臣に返る、ということです。

皆様の会社の中にも一言居士のような、やりにくい人がいるでしょう。どこの会社にも一人や二人、必ずいるものです。前向きに頑張っているかと思ったら、突然、反逆したりする人がいます。

そういう人がいると、神様の道を成就するのはなかなか難しいです。そういうとき、の神様の左腕である熊野にお願いすると、隅々ま霊を足してくださって、反逆者が正しい臣に変わるわけです。

この三つが熊野の新たなる働きであるということを、一分も休まずに一時間四十分、祈り続けていた中で、熊野の神様が教えてくださいました。

そうすることで神の右腕と左腕ができるわけですけれど、人によりましては、右腕で描くと我が入るからということで、わざと左腕に筆を持って絵を描く人もいます。書家でも、左腕で書いたほうが我が入らなくていい作品ができると言う人がいますね。

左腕というのは、そういう霊的な物事を司っておりまして、神様からのものを受けて降ろしていく役割があります。右腕は、現実界に役に立って動いていく。いわゆる右腕でありまして、右腕の宗像と左腕の熊野は陰陽の対になっている。

それを宗像に行ったときに教わって、それじゃあ、次は熊野に行きましょう、ということになった。そのときには、左腕とは何なのかということは知らされておりませんでしたが、ここに来るまでの飛行機の中で教えていただいたわけです。

熊野の神様は、「芸術を広く解釈せよ」とおっしゃっています。

皆様の中に建築設計のお仕事をされている方がいらっしゃいますが、それも芸術的な仕事ですね。それから、洋服の仕立屋さんも芸術的なお仕事です。

あるいはまた、調理師も芸術的ですね。この熊野は芸術の道を完成・成就させるということですから、どんなお仕事をしている人にとっても大事なわけです。

それから、「公共公益に関する事柄を完成・成就する」ということでは、私たちがやっているご神業も、公共・公益に関することでありまして、その意味でも熊野の神様は大事です。

三輪の神様(大神神社、奈良県)は大物主の神様ですから、魔をグーッと押さえる働きがあります。大物の「モノ」というのはモノノケのモノ。霊的に怪しげなのをモノと言います。それをビシッと押さえる。

三輪の神様は資金繰りの神様でもありますが、資金繰りなんていうのは情け容赦なしでなければできません。情だけでは割り切れません。そういうところをギューッと取り仕切っていく。こういう一面がないと、会社の経営はできません。

その意味で、会社の経営者にとっては三輪の神様のほうがありがたく感じるでしょう。資金繰りとか魔物を押さえるとか男女問題のトラブルとか、そういうことを解決してくれますからね。

しかし、もっと大きくご神業が展開されて、公共公益に関することのために、広く社会のためにというふうに私たちが志して向かおうとする場合は、やはり熊野の神様のテリトリーに入ってくる。

そういう事柄に関してはビシッと襟が正されていくわけです。

これが三つのポイントです。それを教えられて、「なるほどなあ」と思いましてね。左と右、両方できればいい、と。

熊野の働きということでは、いまお話ししたとおりです。これを「霊的解義」と言いますが、どの解説書を読んでも出ておりません。

やはり、私たちはたとえ小さくても、仕組という大きなものに対して霊的な雛形を出しておりますので、神様が教えてくださるわけです。

ですから、熊野に来たら、そういう事柄を祈らなければいけません。そうでなければ、お祈りしても的外れます。

たとえば、日本の国が社会主義、共産主義の国であった場合、みんなで熊野に参拝すると自由主義の国に変わる。

変な例ですけれど、三つの法則がわかるとそういうふうに応用できるわけです。ですから、従業員の問題で悩んでいたり、労働争議が起きたときには熊野がいいんです。

もちろん、それだけでなく、さまざまな役割、働きがあります。しかし、仕組が移り変わったいま、宗像と熊野がそういう役割で出ている、ということでございます。

熊野に降りている神とは

出雲にも、同じように素盞鳴尊をお祀りしている熊野神社があり、紀国と出雲、両方に熊野神社がございます。そして、両方ともにご本家だと言っております。

出雲と紀国、どちらに本当の素盞嗚大神様が祀られているのか、と。私は、出雲にも紀国にも行きましたけれど、素盞嗚大神様というご神霊がいらっしゃるのは出雲のほうです。

対して、この紀国の熊野の神様は、単なる素盞鳴尊ではなくて、大地との間にパイプがあるんですよ、地軸が。

日本の国体は龍神様の姿をしていて、琵琶湖は龍神の羊水、京都は子宮に当たると言われておりますが、ここがどこに当たるのかわかりません。

胎盤か尾骨、ヒップのお肉か。腰というのは血が鬱血するところです。とにかく腰のあたりに当たるのではないかと思います。もう一回、地図を見て確認をいたしますが、男性の大切なところかもしれません。

男性の○○は淡路島なんですね。ちょうど興奮している姿でございまして、それに流れていく虫の根源。この熊野の地形から考えると、おそらく虫を製造するところ、ホルモンの出るところ、あたりではないかと思うんですね。

「強運」をお読みになった方はご存じだと思いますが、太陽神界を主宰しているのは天照大霊女貴の神様と天常立、国治立の神様でありまして、太陽の働きを総称して天照大御神と言います。

その天照大御神に銀河系を主宰する菊理姫様が合体いたしますと、天照皇大御神ということになります。これを天照皇大神宮と呼んでいるわけです。

一方、地球を主宰している神様はどなたなのか、と。地球の美しさ、自然の美しさ。一木一草にいたるまでの自然の美。それを過去、あらゆる音楽家、詩人、書家、絵描きさんが、音楽に表し、詩に謳い、絵に表現してきました。この大自然の美しさに問答無用で感動しております。

その地球の美を生み出したのが素盞鳴尊。要するに、地球の御魂が素盞嗚尊様なのでありまして、地球を地球たらしめている働きを総称しまして、素盞嗚大神というわけです。

本当のことを言いますと、地球を主宰している神様は五柱あります。天界の秘密だから明かしてはならないと言われておりますが、その五柱の神様の最高位にあるのが国常立尊なのです。

国常立神様が地球を凝結している。地球を球体化せしめている。この大地の地面を引力でギューッと凝結している。だから、地球は丸いのです。重力と引力がなくなったらどうなりますか。もうバラバラになりますね。

重力と引力で地球を球体として存続させておりまして、その凝結している力のことを国常立尊と言うわけです。

ですから、国常立尊というのは地球の一部でありまして、エネルギー、力の存在なのです。そして、それは龍体となって現れてくる。

これが艮の金神、国常立大神様と言って、大本教のお筆先には「地球を三角にでも四角にでも、自由にできる神であるぞよ」とあります。それはそうです、この神様が動くと、一発で天変地変なんかが起きるんですから。

世間一般では、なまずが地震の神様だなんて言いますでしょう。何となく龍体を思い浮かべているんですね、あれは。大本のお筆先にも「このものの本体は長物であるぞよ」と。艮の金神、国常立大神は長物だと言っております。

そういうふうにご龍体として現れ出てくるのですが、ご神魂は宇宙の神からのものでして、地球を修理固成して凝結させた神様。この地球を球体にし、マグマと火山と地震で海をつくり、山をつくった神様です。

富士山をつくったのはどなたかと言いますと、国常立尊様です。その働きを総称して素盞鳴尊様と申し上げるわけでして、修理固成した主宰神のことを国常立尊と言います。

ですから、国常立尊は素盞鳴尊に包含されます。大本教では、出口王仁三郎は素盞鳴尊の御魂であり、出口ナオは国常立尊だと言われております。素盞嗚尊のほうが大きいわけです。

もっと大きいのは、もちろん菊理姫様です。銀河系を美しくしておられる存在が菊理姫でございますので、圧倒的に大きい。天照大御神も太陽をあのようにしておられますので圧倒的に大きい。その神魂を天照大霊女貴と申し上げます。

そうやって、一つの地球でも中心になるものを言う場合と、総称して言う場合とがあり、また、いろいろな星や宇宙から来ている神々様や働きを総合的に言う場合があるわけです。

芸術の神・熊野

いずれにしても、地球の働きを総称する場合には、素盞鳴尊と申し上げるのですが、素盞鳴尊と申しますと芸術の神様です。

「古事記」を見ますと、大和歌の起こりは素盞鳴尊とされております。(編集部注「古事記」では須佐之男命と書かれていますが、本書では素盞鳴尊と表記を統一しています)

八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣をという歌がありまして、これは、素盞嗚尊様が初めて詠んだ歌です。

ですから、和歌の起こり、和歌の始まりというのは素盞鳴尊様でございます。それで、ここは和歌山というわけですね(笑)。

和歌の始まり、大和歌の起こりは素盞鳴尊。和歌の神であるし、絵でも音楽でもすべての芸術の神様というのは、素盞鳴尊なんです。

ですから、芸術全般のことはみんな素盞鳴尊。もっと細かく、テクニックとか美の感覚となりますと、素盞鳴尊の分身、分魂が違う名前でまたそれぞれの細かい働きで出てきますが、芸術に関する仏様、神様はすべて素盞鳴尊の系統と考えて間違いありません。

先ほど言いましたように、素盞嗚尊の神魂は出雲の熊野にあります。この紀国の熊野も素盞鳴尊ではありますけれども、単なる素盞鳴尊ではありません。艮の金神、国常立神がいらっしゃるのが、この紀国の熊野なのです。

地球の大地の下までズボーッと貫いたエネルギーの磁場があります。皆様は明日、熊野本宮大社に参拝されますが、熊野に向かえば向かうほど、足の下からものすごいパワーが湧き上がってきます。

私たち全員、鉄腕アトムになった感じがしますよ。足の裏から十万馬力のジェット噴射が、ブワーッと噴き出してくるような感じがいたします。ものすごいマグマのエネルギーのようなものが大地からグワーッと上がってくるのが感じられます。

霊力ということに関しましては、これほど強烈な神様はございません。とくに、「地に顕現する力」は随一です。

ですから、この神様がいらっしゃると、宇宙からのさまざまなひらめき、波動が得られます。そして、芸術の道というものを地に成らす。それはみな、この熊野の神様の働きです。

熊野の神様は芸術の神、すなわち音楽の神であり、絵の神であり、出版の神なのですが、たとえば画家として現実界でやっていける、音楽家として現実界でやっていける、文筆家として現実界でやっていけるように導いてくださるわけです。

ひらめきは天界から来ます。しかし、ひらめきだけでは芸術家にはなれません。粘り強く、根気強くやっていって、さらには人のつながりがあって初めて世に出られるわけで、そういうすべての事柄を成らしてくれるのが熊野の神様。

その熊野には大地とのパイプ口ができておりまして、この大地のエネルギーを熊野の神域全体で受けているのです。

神社参拝の正しい方法

明日、皆さんは熊野本宮大社に参拝しますけれど、そのつもりでお参りしてください。

今日のお話を噛みしめ、いかに足の裏が鉄腕アトムになっているか、いかに山の峰々、一木一草、山の襞から大地のエネルギーが噴き出て、それが凝結しているかということを味わいながら参拝してください。そうでなければ、神域の参拝になりません。

私が、毎回申し上げているように、参拝というのは神社にお参りするのではありません。ご神霊にお参りに行く。その前にご神域に参らせていただくのが神社参拝です。

まず神域がありまして、次にご神霊があって、その神域とご神霊を大切にするためにお社があるわけです。

ですから、お社にお参りするのではなく、ご神霊にお参りするのであり、ご神域に踏み込んだときから神様に対するお参りは始まっているわけです。

そう思えば、神霊と神域に感応します。しかし、神社へ行くんだと思うと、建物が応えてくれるだけでございまして、に「おはようさん」「さよなら」と挨拶し、お札をもらって帰る。

いわゆる月並みの神社参拝で終わりでございます。神霊の道に生きる人間はそんなことはしません。いま申し上げたようなことを踏まえてお参りしなければ、神社参拝にならないわけです。

ああ、熱くなってきました。もう、この会場が温泉みたいになってきましたね。温泉の出るところはやはり、神域であることが多いですからね。

明治二十二年でしたか、熊野に大洪水があって熊野神社が水に流されたのですが、

明治二十四年に、ご神体だけ上に持っていって、いまのお社になったのです。その翌年です、出口ナオが神懸かりになったのは。明治二十五年、艮の金神、国常立大神が大本教の出口ナオに神懸かかりました。

その前に、熊野のご本殿が水に流されて、いまの場所に移ったんですね。

そういうことで、大本教と熊野は非常に密接な関係にあって、大本教の祭式はすべて九鬼神道に則っております。

当時、熊野のご神霊が大本教に出張しておりまして、またこちらに帰ってきた。帰ってからまたあちらへ行ったりしております。

大本教は要するに九鬼神道であります。その九鬼神道の祭式がみんな大本教に取り入れられただけでなく、ここの九鬼さんが出口王仁三郎をバックアップしました。

そういうことを知りまして、世界救世教も、最初は熊野のご神体を、ご神体にしておりました。それで、この神様が全国の産土神のさきがけとなりましてから、国常立尊様出現のそのときに、日本全国の産土様にお触れを回したという神様です。

その国常立のパターンが今度、宇宙規模になり、私の師匠である植松愛子先生の菊理姫の段に移り変わっているわけです。

熊野で霊能が開けたら……

私たちは今日、熊野の神様には芸術の道を成就する、公共公益に関することを成就する反逆者を正臣に返らせる、という三つの役割があることを知りました。ですから、その道に沿ってお祈りすればよろしい。

だいたい熊野のお社には、「蟻の熊野詣」と言うくらいにたくさんの人が詣で「蟻の熊野詣」の前は吉野でした。役小角のころ、たくさんの人が吉野に行ったんですね。当時の人はみんな、吉野へ、吉野へと行っていたわけですね。

その吉野詣から次に、熊野詣になった。蟻の熊野詣。それから伊勢神宮になったわけでして、伊勢の御師という霊能者さんみたいな人達がいて、伊勢の講をつくっていたわけです。それでみんな伊勢へ伊勢へということで発展したらしいです。

ここはそういうことで、清らかな無私の心でお願いするようにしてください。

そうするとご神霊が感応し、大地の底からウワーッと湧き上がってくるような顕現力が得られます。

それというのも、天常立神様と国常立神がいらっしゃるからでして、ここには地球の中心の軸から、マグマの中心から霊的な磁場がバーンと降りているわけです。

それが熊野権現となって出てきているのでありまして、ご本体は青龍神です。

日本第二の青龍神だと言っておりました。第一の龍はどこにいるのか、ちょっとわかりませんが、とにかく青龍神、青龍王がいわゆる熊野権現となって出てくる。ですから、権現パワーは青龍神なのです。

それぞれの土地には国魂がある

今日は熊野のお話をいたしましたが、それぞれの土地にはそれぞれの意味があり
ます。「国魂」と言って、北海道には北海道の関東には関東、関西は関西、広島は広島、岡山は岡山出雲は出雲、鳥取は鳥取という具合に、それぞれの地域にはそれぞれの神様が祀られていると言いますか、神域があるでしょう。

それがやはり、それぞれ意味を持っていて、それらが合わさって日本という国のひとつの国体になるわけですけれど、それぞれの土地にはすべて国魂があります。

神霊界というのは要するに、その土地の風土、神域に降りているわけですから、その神霊界に足を踏み入れて、中心的なエネルギーのポイントを拝すると、そこの神様が清々しくお出ましになり、清々しくお働きなさるわけです。

要するに、私たちが正しく参拝することで、宇宙から地球に波動とかエネルギーを送っているパイプ口、その接点が開かれるのです。

すると、日本の国の神域が開かれると同時に、宇宙空間からそこへ降りている働きが出てきますので、その働きが私たちのご神業にも、あるいは日本や世界の政治経済にも大きく影響していきます。

ということをよく理解したうえで、熊野の神様にお参りしていただきたいと思います。