第4章 世の中なんか変だと思っているあなたへ
ラビン首相が暗殺されたとき神様は守っていなかったのか
世の中や人の役に立つ人は、神様や高級霊に守護されるといいますが、先日ラビン首相が暗殺されたときは、神様は守ってくださらなかったのかと残念に思います。
古くは、坂本龍馬やキング牧師など、長生きしていればもっと人々のためになったと思われる人はたくさんいます。こういった人たちが短命で終わってしまう理由がよくわかりません。なにとぞ御指導お願いします。(MY/男)
短命に終わることが人々に感動を残す場合もある
深見:短命に終わってしまうという理由は、いくつかあります。暗殺という形で人生の幕を閉じる人というのは、前世で誰かを暗殺している場合が多いのです。
今世では改心して、目標を持って世のため人のために仕事をするのですが、前世のカルマを解消するために、最後は暗殺という形で死ぬ場合もあります。
また、一見立派な人生に見えても、立派になるプロセスでたくさん業を積んでいる場合は、晩年になって運が落ちた時期にいっぺんに返ってくるということもあります。
確かにラビン首相やキング牧師、あるいは坂本龍馬のように、大きな仕事をしている最中に突然命を絶たれたら、本人は憤懣やる方ないかも知れません。もっと生きて、世の中のために役立ちたいと思ったことでしょう。
しかし、短命に終わることはマイナスとは限らないのです。若い頃はよかったけれど、中年あたりから堕落していき、晩節を汚すということもあります。
もう、そろそろこのあたりであの世に行ったほうがいいんじゃないの、ということもあるのです。豊臣秀吉などは、秀頼が生まれる少し前に死んでいたら、もう少し美しい人生だったような気がします。
たとえば、坂本龍馬が長寿を全うしていたら、どういう晩年を送ることになったでしょうか。確かに新しい世の中の役に立つ仕事をしたでしょうが、今でも多くの人の憧れとなっているような生き様を貫くことができたかどうかはわかりません。
楠木正成公が長生きをしたら、それなりにその時代で活躍したでしょうが、歴史の中の正成像は、現在とは違うものになっていたでしょう。
源義経は三十数歳で亡くなりましたが、長寿を全うして鎌倉幕府に貢献していたら、歌舞伎や演劇やドラマの中に残ったでしょうか。
楠木正成にしても源義経にしても坂本龍馬にしても、長生きをしたら、確かにその時代の役に立ったかもしれませんが、ああいう死に方をしたがゆえに、人々に感動を残したのです。
楠木正成は義のために自ら死を選んだからこそ、その誉れが「太平記』の中に書きとどめられたのです。源義経は、悲運の最後を遂げたが故に、歴史の読み物に残り、ドラマに残ったのです。
短命で終わったことがより多くの影響を後世に残すこともあるし、長寿を全うすることで生涯に渡る人生の評価を下げてしまう場合もあるのです。
死んでも志は引き継がれる
天台宗の開祖、伝教大師最澄は、比叡山に大乗仏教の僧侶になる資格を得られる戒壇をつくるために南都六宗を敵に回して頑張りました。
しかし、志半ばにして五十数歳で亡くなられ、結局、戒壇は空海が動いて、最澄の死後一週間たってから設立されました。おそらく、最澄の霊が空海に働きかけたのでしょう。
最澄の死後、天台宗を支えていったのは、最澄の弟子たちです。円仁、円珍、円澄など、優秀な弟子がどんどん比叡山で育っていきました。師匠が志半ばで亡くなったからこそ、弟子たちが後を継いで頑張って教えを広めていったのです。
弘法大師空海は、六十二歳まで生きました。その当時としては長生きをした方です。十大弟子と呼ばれる弟子はいましたが、結局真言密教では、空海に匹敵するような人は出ていません。
近世では松下村塾の吉田松陰が、若くして亡くなり、世の中に大きな影響を与えた人物として挙げられます。吉田松陰は、三十歳で牢屋の中で獄死しました。
生きている間は、自分の藩主に談判状を出そうとしたり、国外に脱出しようとしたりしましたが、結局自分の人生においては、何一つ成功しませんでした。松下村塾にしても実際に講義をしていた期間というのは、わずか一年半です。
しかし、その松陰の残していった言葉や足跡、学問の厚みは、多くの人に影響を与えました。伊藤博文、久坂玄瑞をはじめ幕末の志士たちが松陰の影響を受けて、維新の立て役者となっていきました。三十歳で獄死した松陰の志は、立派に受け継がれたのです。
ラビン首相もあのように亡くなられたことによって、後に残った者が平和を成就させるために頑張れば、その志は引き継がれたことになります。これはしばらく時間がたってみなければわからないことなのです。

①業… カルマは一般に業と訳されている。カルマとはまた、人間が背負わされている悪い宿命と解釈されているが、これは正しくない。前世で、他人を苦しめたり、悲しませた場合は悪いマイナスのカルマを負うが、逆に人々のために善根を施した時は、善=プラスのカルマとして引き継がれる。
したがって、業に苦しむということがあるとすれば、善悪のカルマの差し引き勘定をした結果、マイナスが残った場合なのである。
マイナスのカルマを負った人間は、どうすれば悪い宿命を断ち切ることができるのか?カルマは自分でまいた種が成長したものだから、自分の手で刈り取らなければならない。
刈り取るには二つの方法がある。ひとつはカルマと正面きって対決する方法である。もうひとつは、徳を積む=プラスのカルマを増やすことによって、差し引き勘定をプラスにする方法である。
どちらがよい方法なのかは断言できないが、前者は消極的な方法であるのに対し、後者はより積極的であるということはいえよう。より詳しくは「大除霊」、「大天運」(深見東州著・たちばな出版刊)をご参照下さい。
②天台宗… 最澄が興した現在の日本仏教の母体となる宗派。最澄は唐に渡り、天台教学のほかに密教、禅、戒の四宗を学んで帰国し、その四宗を融合した天台宗を興した。総本山は延暦寺。
③比叡山… 延暦寺のこと。天台宗の総本山。最澄が創建した。長く日本仏教の中心として君臨し、親鸞、道元、日蓮など、現在の日本の代表的仏教宗派の開祖の多くはここで学んだ。所在地は滋賀県大津市。
④戒壇… 授戒(仏門に入るために戒律を授けること)を行う場所。
中国では3世紀半ばにはじめてつくられたと伝えられる。日本では、七五四年に中国僧鑑真が東大寺大仏殿前に築壇したのが最初と言われる。その後、八二二年に、最澄が生前から提唱していた円頓戒を受けるための戒壇が築かれた。
⑤南都六宗… 奈良時代に南都(奈良)にあった六つの代表的な仏教宗派。三論宗、成実宗、倶舎宗、華厳宗、法相宗、律宗。
⑥真言密教… 空海が唐に渡って授かった密教。空海は仏教は大きく顕教と密教に分かれ、顕教は顕らかに説かれた教え〟で、広く一般の人々に、それぞれの能力にあわせてお釈迦さまが説いた教えであり、密教は奥深い秘密の教え〟であると説いた。
そして、顕教による成仏の時間は極めて長いのに対し、密教によれば、この現生に成仏できるとされている。
なぜ何の罪もないアザラシが苦しまなければならないのか
Q 先日、バイカル湖のアザラシの悲しい現状をNHKテレビで見ました。神様は人間のためにこの地球を用意していたといいますが、他の生命が人間のために辛い立場に追いこまれるのは、しかたないと思うしかないのですか。
もちろん、すぐに環境に配慮した行動が取れたら問題はないのですが、何の罪もないアザラシが苦しみを受けなくてはならないなんて不条理です。地球上において起こることだから仕方がないのですか。(T.Y/女)
不条理を乗り越えるところに人類の進歩発展がある
深見:自然のバランスが崩れると、生態系が変化して、地球上の生物に様々な影響を与えます。私たちの子孫が、「昔はアザラシっていう変な動物がいたんだよね」なんて話をするようになるのは寂しいことです。地球の環境を守っていくことはとても大切な課題です。
確かに、何の罪もないアザラシが苦しむのを見るのは辛いことです。しかし、苦しんでいる人間もいっぱいいます。
ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争では毎日人が死んでいるし、アフリカやインドでは、飢餓で死ぬ子どもたちもたくさんいます。薬害エイズで亡くなっていく人もいます。世の中に不条理なことはたくさんあります。
私の弟子の西谷泰人さんが書いた『ミラクルシャワー」(たちばな出版刊)の中に、イギリス児童白血病基金の創設者エディ・ゴーマン氏の話が出てきます。
ゴーマン氏は自分の息子さんを小さいときに白血病で亡くし、その半年後に今度はお嬢さんをガンで亡くしました。ゴーマン氏が感じた不条理はどれほど大きかったことでしょう。
しかし、ゴーマン氏は、その悲しみから立ち上がり、自分の財産を投げ打って、白血病の子どもたちのための病棟を建てる運動をはじめたのです。この運動は、多くの人の賛同を得て、たくさんの寄付が寄せられました。
また、いろいろな人が様々な催し物でチャリティーを行いました。その結果、年間何百人という白血病の子ども達の命が救われるようになったのです。
この基金には、フィル・コリンズやポール・ヤングなどのアーティストも名前を連ねています。私もフレンドとして、機会があるごとに寄付をしています。
世の中には不条理がたくさんあります。解決しなければならない問題というのは山ほどあります。問題は問題として、私たちは真剣にとらえなければなりません。
人々の努力と情熱によって、一つひとつその不条理を解決していくところに、人類の進歩、文化の発というのがあるのです。
そういう不条理がなければ、誰が福祉を考え、文化の発展に情熱を燃やすでしょうか。それが神様の大御心なのです。
神様は全智全能の可能性を持っておられますが、いまだ全智全能を発揮されたことはありません。なぜならば、この三次元は、私たち人間が神様の代行者として、万物の霊長として、神様の御心を成就する責任があるからです。
だから、人間が頑張らなければ、この世の中はよくならないわけです。そのために私たちは生まれてきて、使命感を燃やして生きているのです。
不条理を解決するために頑張っている人に、神様は、力と智恵と運と勇気を与えてくださるのです。
世の中に不条理はたくさんあります。それを見出したときには、その問題を解決するために行動しなければ本物ではありません。自分が切にそう思うのだったら、そのために出来ることをはじめることです。
それがアザラシでも構いません。あるいは、目の見えない人や耳の聞こえない人たちのために何かをすることでも、それぞれの場において、感じるものがあるならば、不条理を解決するために行動をすることです。

①万物の霊長… 霊妙不思議な力を持つ優れたものという意味。すなわち、人類のこと。
祈りによって災害は回避できるか
Q 祈りによって災いが強化される(大難が小難、小難が無難に祭りかえられる)ということについて質問があります。
神様はそれなりのわけがあって自然災害を起こすと思うのですが、ごく一部の人が真心を込めてお祈りをしただけで、それを変更するなら、最初から起こそうなどと考えなければよいのではないでしょうか。
その災害に巻き込まれた人は、それによって何かに気づき、理解しなければならなかったことが分かるようになるのでしょうか。(東京都 M・N/女)
災害は人類が生み出した
深見:天災も人災も含めて、災刧というものは、神様が人間を裁くために起こすものではなく、人が自ら生み出したものなのです。
私たち一人ひとりには、みな劫というものがあります。前世で積んだ劫や今まで生きてきた中で積んで来た劫というものを、私たちは生きていく中で解消していかなければなりません。それと同じように、人類全体が積み重ねてきた劫というものがあります。
それが形となって現れたのが、自然気象の異変、戦争、社会の動乱、経済の危機などの災害なのです。つまり、自分たちが行ったことの結果を自分たちが引き受けるわけです。
しかし、神様は大愛の持ち主です。
たとえば、子どもが何かの罪を犯した場合、その子のお母さんが、「どうかお許しください。この子になりかわってお詫びいたします。バカな子どもを産んだのは私の責任でもあります。罰を受けるのはいたしかたありませんが、どうかお慈悲で最小限度にとどめてくださるようにお願いします」と言えば、愛情のある人ならば、
「わかりました。本来ならばもっと重く罰せられなければならないところですが、あなたがそうおっしゃるなら、その気持ちに免じて軽くしてあげましょう」と言うでしょう。
おまわりさんでも、交通違反をしたときなど、「こういう事情がありまして」と誠心誠意事情を説明すれば、「うん。まぁいいでしょう。これから気をつけてください」ということで許してもらえる場合もあります。
それはともかく、そういうわけで、神様も過ちを詫びて誠意を尽くせば、大難を小難に小難を無難に祭りかえてくださるのです。これは人間関係と同じです。なぜ許してくれるのかといえば、神様に愛があるからです。
第5章 死後の世界が気になるあなたへ
源義経はどんな霊界へ行ったか
Q 源義経が悲運のうちに人生の幕を閉じざるを得なかったのは、やはりその生き方に多少まずい点があったからなのでしょう。しかし、それでも私は、彼の人生は立派だったと思います。義経の霊は、死んでからどのような霊界へ行ったのでしょうか。(Y・N/二十四歳/男)
義経は豊臣秀吉に生まれ変わった
深見:源義経が実力も才能も神通力も持っていながら、悲運の最後を遂げたのは、まだ若くて現実的な知恵がなかったからです。
後白河法皇や都人に煽てられて、お兄さんの頼朝を差し置いて宮中から位をもらってしまったことが、彼の運命を狂わせました。
兄弟の順序礼節ということを踏まえて、お兄さんを立てていれば、歴史はまた変わっていたでしょう。しかし、頼朝は身内を全部殺していますから、遅かれ早かれ同じ運命だったのかも知れません。
義経の霊は、死んでから三十年間は霊界で悶々としていましたが、その後猛烈な勢いで修業に励みました。そして、これは最近神様に教えてもらったのですが、その後何回か生まれ変わった後、豊臣秀吉になっているのです。
義経のときは、源氏という身分のある家に生まれ、一族のために戦ったのですが、本当の力を発揮することができませんでした。今度は、全くゼロから実力だけで勝負するのだと決めて、裸一貫から出発したわけです。
そして、ご存知のように織田信長の家臣として出世を続け、天下を治めるまでになりました。しかし、それは長くは続きませんでした。秀吉は何百人という女性と関係を持ちましたが、子どもが出来たのは淀君との間だけです。
ですから、その子どもは本当は秀吉の子どもではないという説もあります。いずれにしても、秀頼が出来た頃から秀吉の運が傾いてきたようです。
先日渡部昇一さんとお会いしたとき、秀吉のツキはいつから落ちたかという話になりました。渡部さんは、二条城で外国の使節を迎える花見の席を設けたとき、前日に雨が降って一晩で花が全部落ちてしまったのが、ツキの落ちはじめだとおっしゃっていました。
秀吉は天下を統一するという志は遂げることはできましたが、それを後継者に引き継がせることには失敗しました。おそらく、一代限りという神様との約束があったのでしょう。
来世また生まれ変わるには、今世どのような生活を送ればよいか
Q 死んでも第二天国以上に行かないと来世に生まれ変わってこれないと聞きましたが、具体的にどのような生活を送っていけばよいのか教えて下さい。(FE/男)
上の霊界へ行けば希望するところに生まれ変わることができる
深見:これは大変な誤解です。
私たちが死んでから行く霊界は、おおまかに言えば、下から地獄界、中有霊界、天国界の三層に分かれています。この世で、特に良いことも悪いこともしなかったという普通の人は中有霊界に行きます。
天国に行けるのは、この世で善行を積んで、世のため人のために尽くした人です。天国は、上から第一天国、第二天国、第三天国の三層に分かれています。
地獄もまた、おおまかに三層に分かれています。それぞれの霊界の実態については、私の「神界からの神通力」(たちばな出版刊)に詳しく書いてあります。
ただ、どの霊界からでも生まれ変わることはできるのです。第三天国からでも生まれ変われるし、中有霊界からでも生まれ変われるし、地獄界からでも生まれ変われます。
しかし、どんな環境に生まれ変わるかというのはそれぞれ異なります。
これは会社の人事異動と同じだと考えていただいたら、分かりやすいと思います。会社の社長や人事課から、頑張って会社によく貢献をしたという評価を受けた人は、どこへ行きたいかを言えば、だいたい希望した所に行くことができます。
これと同じように霊界の上のほうにいる人は、どんな所に生まれたいかという希望があれば、神様はそれを聞いてくださるわけです。
ところが、もっと優秀な人になると、「希望も分かるけれども、君は会社の将来を背負って立つ人間だから、大変かもしれないけれど、一年間ドイツの支店へ行ってくれないか。
その次はニューヨーク支店へ行って、それから大阪へ行ってくれ。大変だろうけど、それだけの経験を積んで、本社の取締役になってほしいんだ。
希望もあるとは思うが、ここはひとつ、自分の将来に大きなビジョンを持って、まずドイツへ支店長で行ってきなさい」と言われることもあるでしょう。
ドイツが好きではなくても、それが将来、重役や社長になるために必要ならば、勉強のために行かされることになるわけです。
あるいは、財務関係のことが分からなければ、会社の経営はできませんから、一時的に経理のような部署に回されることもあるでしょう。その仕事があまり好きではなくても、会社から説得されれば、本人は理解し納得して、そこで頑張るわけです。
これと同じように、特に優秀な人というのは、本人の希望よりも神様の判断で生まれる所が決定される場合もあります。神様の御心に合うような使命をまっとうするために、生まれ変わってくる所が決められるのです。
逆にどうしようもないような社員もいます。
出勤状態は悪い、業績は上がらない、協調性はない、本当は会社にいてほしくないというような人間が「私は本社の総務に行きたいんですが」と言っても「総務に行きたい?じゃあ、網走出張所の総務部に行って、北海道の天候と人間の労働意欲についてレポートを報告しなさい」ということになるでしょう。
成績や勤務態度の良くない人間は、いくら希望を言っても聞いてもらえません。そこでずーっと頑張りたいと思っても、左遷されたり、命令で子会社の方へ行かされることもあります。
霊界でも、一般的に下の方に行けば行くほど、次に生まれ変わるところの条件は悪くなります。しかし、たとえ地獄に落ちても、本人が心から反省し、改心すれば、生まれ変わってくることはできます。
改心というのは、心を改めると書きますが、ただ単に、気持ちを入れ替えただけでは改心とは言いません。口と心と行いが変わって、はじめて本当に改心したことになるのです。
本当に改心したら、神様が地獄にいる期間を短くしてくださって、生まれ変わって来ることができるのです。
一番上と一番下というのは、本人の希望通りのところに生まれ変わることができませんが、思い通りにいかない種類が違います。
会社でいえば、一番下は左遷、一番上は栄転です。真ん中以上であれば、上に行けば行くほど願いを聞いてもらえます。
そして、希望と条件が出されます。それが、生まれて来るときに神様と交わした約束になるわけです。が聞いてもらえる代わりに、神様の方からも、じゃあこれだけのことをしてくださいね、と条件が出されます。それが生まれてくる時に神様と交わした約束になるわけです。
