とりあえずの目標を立てよ
私はよく、「目標がわからないときは、とりあえず目標を立てなさい」と言います。目標がないからブラブラしている人が多いのです。
そういう人にかぎって、「どういうふうに目標を立てたらいいのかわからない」と言うのですが、ボケーッとしていて目標のほうから「ごめんください、目標です」って来るものではありません。
では、どうしたらいいのかと言うと、とりあえずの目標を立てたらいいのです。とりあえず一週間は皿洗いをやってみよう。その次は庭掃除をやってみよう。
とりあえず会社に六時に出勤してみようなど、一週間、一ヶ月のとりあえずの目標を立てて、その目標に向かって努力を続けていると、守護霊が動き神霊が動き、御魂が効く。
守護霊を動かす方法
すると、今度はこれだ、今度はこれだと、暫定的な目標が出てきて、それをぎりぎりまで極めていくと、ついに「これだ!」という究極の目標が発見できます。
余曲折があっても、とりあえずの目標が絶えず立っている人は魂が発動している
から、守護霊の導きを受けることができ、それによっていい方向、いい方向へと人生が回転していきます。
守護霊は本人の魂が発動して初めて守護することができ、魂の発動していない人間は守護してはならないことになっています。なぜかと言うと、魂が発動しないのに守護ばかりすると魂が進歩しないからです。
守護霊は魂が発動するぎりぎりのところまで見守っています。
そして、「とりあえずの目標だけど、やるだけやってみよう」と思って行動に移すと、パッと守ってくれる。だから守護霊なのです。
悪霊は魂の成長など全然関係ありません。自分が肉体を持っていないので、人の肉体を占領して思うがままに操りたいと思っている。
人間を占領して、肉体をほしいままにしたい。だから魂の錬磨があろうと関係ない。すべてが自分本位です。涼しいのが来ていますね、頭の上から。神気が降りてきていますね。ありがとうございます。
自分本位、自分勝手に生きているのが悪霊です。対して高級神霊界の守護霊は、「魂が発動しなかったら絶対に動いてはいけない」という法則を守って働いていらっしゃる。
だから、守護霊を動かそうと思ったら、とりあえずでもいいから目標を設定して魂を発動させなければいけない。その発動の極まりの典型が親鸞上人の百日間の参籠であり、弘法大師や白隠禅師の逸話です。みんな共通しています。
とりあえず目標がない人は一週間、一ヵ月、つまらないことでもいいからとりあえずの目標を立てて、その目標を達すべく真剣にやってみることです。
そして、どうしても迷いが払拭できなかったり、進むべき道がどうしてもわからなかったら、親鸞上人が百日間のお籠りをしたように神明に祈りを捧げて、己をぎりぎりのところまで追い詰めることです。
そうすれば必ずや答えが出るはずです。親鸞上人を始めとする先人たちはそうやって得がたい道を得、極めがたい道を極め、得られないものまで得るような、素晴らしい足跡を残されたのです。
親鸞上人の生きざまに学ぶ
これは親鸞上人だけではありませんが、百日間のお籠りのあとの親鸞上人の徹底求道ぶりをみると、それまでどれだけ悩んでどれだけ苦しんで葛藤していたかがわかります。
親鸞上人は六角堂でのお籠りのあと、聖徳太子の霊告どおり妻を娶りました。しかし、妻帯をした僧侶は過去、一人もいなかったので、比叡山からも攻撃され、鎌倉幕府からも当初は攻撃されて、何回も島流しに遭っています。
九十歳まで生命を全うされましたが、百日の参籠以降の人生は迫害に次ぐ迫害です。
兄弟弟子なんかは、六条河原で処刑されましたから。「自分の兄弟弟子を処刑することはないじゃないか」という怒りは、想像を絶するものがあったはずです。比叡山からも攻撃され、迫害に次ぐ迫害の生涯です。
しかも、一番苦しんでいる巷のなかに身を置いて、九十歳まで貫き通したのです。そこまでの求道心を支えていたものは何だったのか。
親鸞上人が目指した道というものがいかなるものだったのか。想像して余りあるわけです。それだけ真剣に悩んで、それだけ真剣に極めたからこそ、百日間のお籠りで彼の人生が決定したのでしょう。もちろん、その後も求道したでしょう。
日本の風土に合った禅と浄土の教え
ちょっと横道にそれましたが、先ほどお話ししたとおり、親鸞上人は六角堂で聖徳太子に化身した救世観音から、「玉女の姿となって汝を終生守らん。法然上人の
「ところへ行け」と告げられました。
その法然という人は、比叡山でも非常に優秀な方で、天台座主、天台宗で一番偉い座主になれると言われたほどの学問と人望も備えていた人です。
ところが法然は、自分は比叡山の座主になるよりも、「いかにしたら衆生を救済することができるのか」と、救済という二字にすべてを絞って考えていました。
比叡山での十二年間、絶えず救いということを考え、最終的に南無阿弥陀仏の六字に帰結することがいいと、中国の浄土の伝統を踏まえたわけです。
「教行信証」のなかで親鸞上人は、「阿弥陀如来とは自然界の法則をたとえて言っているのだ。自然界の法則とは、すなわち阿弥陀如来だ」と語っております。
南無阿弥陀仏の「南無」は帰依するという意味ですから、南無阿弥陀仏というのは「阿弥陀仏に帰依し奉る」という意味です。
そして阿弥陀仏とは天地自然だから、南無阿弥陀仏とは要するに、「自然のまにまに帰依し奉ります」ということになります。
これ、日本の「惟神たまちはへませ… 神様の御心のまにまに御魂が幸せでありますように」と同じですね。「教行信証」を見ておりますと、「南無阿弥陀仏」と「惟神たまちはへませ」はまったく同じだということができます。
もちろん、それだけではありませんが、「自然のまにまに任せていく」老荘思想が、「本来の自分どおりにいく、本来の自分に目覚めていく」という禅宗に発展し、一方では浄土宗へと進展していったのです。
中国の老荘思想のベース上に、禅と浄土の思想が発展していった。中国の仏教史を見ますと、禅と浄土の教えが長く主流を占めており、それは宋の時代でも変わりません。
日本の神道も、老荘思想の大きな影響を受けております。神道、惟神の道は文字や言葉ではなく、感覚の世界ですから。理屈じゃない、感覚だ、と。だから思想が根づき、その老荘思想のうえに、もともと共通項の多い禅宗と南無阿弥陀仏の思想が根づいたわけです。そして、浄土の教えが中国でもそうであったように、日本では法然上人、親鸞上人により日本的にもっと大きく開花している。
禅宗と浄土の教えは、両方とも信者の数が多いです。流布のスピードも速い。それだけ日本人の魂の土壌に合っているのです。
ですから、これだけの長い歴史を経ても、親鸞の教えはいまなお輝きを失うことがないわけです。禅宗の教えも、茶道、華道、柔道、剣道など、いろいろな「道」という形で残っています。
浄土と禅の教え、これが日本文化の一つの大きな根源になっています。それと言うのも、その奥に惟神の神道の風土に根ざした感覚の世界があるからで、神道理論ではありません。惟神の魂の、感覚の風土があるのです。
ですから、同じ浄土宗でも、中国の浄土宗に比べまして日本の浄土宗は少し色合いが違います。
法然上人、親鸞上人、とくに親鸞上人は日本の惟神の魂をベースにしながら、中国の浄土の教えを日本流に開花させて、日本人に根づかせた。だから、日本の浄土宗と中国の浄土宗とでは少し違います。
親鸞の言葉はものすごくやさしく平易です。身分の低い無学文盲の人たちに説いたので、平たい言葉を使っています。白隠禅師の言葉も平たくやさしい。だけどもその奥にあるものはかぎりなく深い。
なぜなら、平たい言葉で言えるということは、それだけ深く勉強しているからにほかならず、深く勉強していなければ平たい言葉ではとても表現できません。
親鸞上人様は、日本の魂と惟神の精神、大和魂を持って生き貫かれた。日蓮上人の場合はもっと大和魂を発揮され、不可能を可能にするという荒魂が素晴らしいです。
日蓮上人さんの話をするとこれまた何日もかかるくらい話が尽きません。今日は親鸞上人がテーマですので割愛しますが、日蓮上人も親鸞上人とともに鎌倉時代の人。やはり、鎌倉時代に日本の魂が顕現しています。
聖徳太子に対して絶対的信頼を寄せていた親鸞上人
またまた話が横道にそれましたが、聖徳太子の霊告に従って親鸞上人は、救いというものを研究していた法然のところに入門しました。日本の魂をもって衆生済度したいと願を発し、百日間のお籠りをして「これだ!」と決心し親鸞上人は入門した。
法然上人と親鸞上人の関係はどのようなものであったかというと、親鸞上人は絶えず法然上人を立てています。
「私は法然上人様の道を継承するだけで、偉いのは法然上人でございます」と法然上人を必ず立てています。けれど、親鸞上人がいなかったら日本仏教界のなかであそこまで法然上人の名前が残ることはなかったでしょう。
私が親鸞さんの大好きなところは、「たとえ法然上人様にすかされまいらせて、念仏して地獄に落ちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」ということを言っているところです。
「南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土へ行けますよ、と言っている法然上人様に騙されてもいい。法然上人様の教えを信じて、南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土へ行けるなと思って行ったところ、地獄であったとしてもいい」
「そう思って死んでみたら極楽じゃなかったとしても、いささかも私は後悔いたしません」ということを親鸞上人は言っているのです。
これ、ものすごいことですね。果たして、こういうふうに言える人が皆さんのなかに何人いるでしょうか。
法然さんを信じて自分が地獄に落ちても、みじんも後悔しません、と。この言葉について浄土真宗とか仏教学では、「法然上人に対する親鸞の師弟の愛は、これほどまでに絶対的なものであった」と解説されています。
あれ、菊姫大吟醸の地酒の匂いがしますね。すみません。突然変なことを言いますけれど、私、神霊家ですから。
お話に乗って神様や仏様が降りてきたのです。感じませんか。日本酒の匂いがしませんか。する人、ちょっと手を挙げて。
ああ、皆さんも日本酒の匂いを感じていらっしゃるようですね。お話が乗ってきたから、ご神霊が降りてきたのです。「そうだそうだ」とご神霊が言っています。まあ、私もあまり頭で考えて話さないものですから……。
たしかに、浄土真宗の皆様がおっしゃるように、法然上人に絶対的な信頼があったのでしょうが、私は神霊家として見ておりまして、果たしてそれだけだろうかと思うのです。
親鸞上人の言行録を見てみますと、法然上人に対する絶対的な師弟愛、絶対的な信頼があったという理由だけで、あの言葉を残したとはどうしても思えないのです。
浄土真宗では聖徳太子様を大事にいたします。浄土宗、浄土真宗、とくに親鸞さんの浄土真宗のお寺では、聖徳太子の像を安置していらっしゃいます。また、親鸞上人ご自身も聖徳太子を褒めたたる歌をたくさん作っていらっしゃいます。聖徳太子の偉大なる働きということを言っております。
なぜかと言いますと、親鸞上人が法然上人のところに行ったのは、法然さんが立派だからではないのです。
法然という人間を素晴らしいと思って、惚れたから行ったのでもないのです。いろいろ研究して、法然の教えがベストだと思って行ったわけでもない。
先ほど申し上げましたように、法然上人のところに行った理由、原因、経緯は、六角堂での百日間のお籠りにあります。
「我が行く道を知らしめたまえ。妻帯もせず、巷の苦しみのなかに入らずして、どうして苦しんでいる下層民を救うことができるのだ。そんなことで本当の衆生済度ができるのか」と、百日間も祈りつづけ念じつづけ、求道していた親鸞。その親鸞に対する答えを、救世観音様が聖徳太子の姿となって教えたわけです。
聖徳太子に対して絶対的信頼を寄せていた親鸞上人
「お前の願いはことごとく聞き入れた。法然のところへ行け。法然のところにお前の道があるぞ」と言われたから法然のところに行ったわけです。
ですから、親鸞上人にとりまして、自分を導いてきた本当のお師匠さんは法然ではないのです。聖徳太子なのです。
あるいは、聖徳太子の姿になられた救世観音様が、親鸞上人を真に導いた無形のお師匠さんだったのです。だから、最後まで聖徳太子と救世観音を本当に恋人のように親鸞上人様は慕っていたし、尊敬していました。
聖徳太子を讃える歌をたくさん作っているように、日本国の教主、仏教の盟主と尊敬しておりました。聖徳太子を絶賛しております。
だけど、有形の世界ではやはり、法然上人の口を通し、法然上人の教えを通し、法然上人のお姿と行いを通して親鸞上人は浄土の勉強ができたのです。
聖徳太子様、救世観音様が「行け」とおっしゃった尊いお師匠さんなのだ、と。だから法然上人をこよなく尊敬し崇敬し、大切に扱われました。
世の礼節、神様が導かれた方向。これを見てみないと、親鸞上人の求道者としての内面的な世界、神霊的な世界はわかりません。
=修行して南無阿弥陀仏の真実をある程度極めたうえで、法然の門下に入った。目に見えない無形の師である聖徳太子の導きを絶対的に信じて、法然上人のところに行きました。
それゆえ、「たとえ法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄に落ちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」とまでおっしゃった。
そこまで言いきった背景には、これだけの神霊的なベースと法然上人に会うまでの親鸞上人の修行があったからです。
法然上人に会えたのは、いうなれば修行の賜物です。そうでなければ、これだけのことは明言できないと思います。
我が師、植松先生への絶対的信頼
私がここで何を感じたかと申しますと、私が植松先生のところに弟子入りしてから今日まで十数年(註・昭和六十二年現在)やっていますが、私が植松先生のところに参りました理由、原因、経緯も親鸞上人の場合とまったく一緒でした。
植松先生はそのころ、「笛吹き童子がやってくる」という啓示を神様から受けていらっしゃいました。童子というくらいですから、いまでも若いですけれど、当時はもっと若かったわけです(笑)。
その一方で私は、「お前を迎えに来る人がいるから、その人のところへ行きなさい。そこにお前が終生、取り組まなければならない仕事がある。いまの仕事は暫定的なものである」という啓示を神様から受けておりました。私が二十五歳のときのことです。
それまで私は、霊能者と易者にだけは死んでもなるまいと決心して、一生懸命セールスの仕事に励んでおりました。営業マンであったわけです。
汗をかきながら、一生懸命に飛込みセールスをやっておりました。そういう日々を送りながら神様に祈っていたら、「お前を迎えに来る人がいる」という啓示を受けたのです。迎えに来る人っていったいどんな人なんだろう、と。
植松先生は、私と出会う八年も前から、「あなたが修得した神法をある若い人に渡せば、みんな伝えてくれますよ。その若い人とは笛吹き童子だ」と神様から言われてきたそうです。
しかし、この現代の世の中に笛吹き童子なんかいるのかと思っていらっしゃった。
そんな折り、たまたま植松先生とお会いすることになったのですが、そのとき植松先生は天神様の七言絶句のご神歌を詩吟で歌われました。
それを聴きながら、「ああ、いい歌だなあ。これに笛が入ったらもっと素晴らしくなるんじゃないか」と思い、カバンから笛を取り出して吹いたところ、それがまあ、証になったわけです。
大学時代からずっと私は能楽をやっていたので、営業マンになってからもいつも営業カバンに笛を入れて、暇を見つけては練習をしていました。そのときも、軽い気持ちで笛を吹いたのが、結局、笛吹き童子の証になったわけです。
顔も名前も知らない、まるで知らない者同士です。だから、証があったといってもすぐに信じられるはずもなく、本当に神様が言う人なのかどうなのか、植松先生も二ヶ月、三ヶ月、必死に祈ったそうです。
私も、教えの面から、内面的な面から、あるいは波動と気から、あらゆる角度から「本当にこの人が、神様がおっしゃった人なのだろうか」と、何カ月もかけて祈りつづけました。
親鸞上人様と同じく「我が行く道を知らしめたまえ。本当にこの人なのですか」と祈ったら、「汝はいま、世の中で二番目に頑張っている」
「二番目?じゃあ一番は?」と言ったら、「植松先生だ」
何度、神様に訊いても同じ答えが返ってきました。いろいろな神様に訊きました。一つの神様だけではわからないからと複数の神様、あるいは神社の神様にもお訊きしましたが、いずれもみんな同じ答えでした。
だったら間違いないと思って会社をスパッと辞め、植松先生のお宅での修業生活が始まったのです。
最初は、皿洗いと庭掃除から始まり、そのあと私の大学時代の後輩たちがやってきて、アッと言う間に二十五人という大家族になりました。みんな、皿洗いや庭掃除をやりながら植松先生から神様のお話を聞いたりして一年、二年と修業生活を送っていました。
神様の道を極めるにはやはり生活実践が必要だ、神様ごとだけして社会常識から外れるのはよくない、と事業を始めようという話になった。
その際、一つは勉強したことを社会で実践し生活を安定させること。もう一つは世のために有為なる仕事事業をすること。
この条件を設定して、何が一番ふさわしいだろうかと検討した結果、じゃあ教育事業がいいだろうと、予備校をつくることとなった次第です。
親鸞上人は、妻帯という革命的な行動に出ることでの苦しみをともにしました。対して私の場合は、会社の経営ということを通して、巷の人たちの苦しみをともに味わうことになったのです。
かくして、事業に取り組みながらご神業を進めるという仕組が始まったのですが、今日にいたるまでの間、天界の魔物がやってきて「植松先生はニセモノだ」と耳元で囁くことも何度もありました。
そういうとき、いつも思うのはこれです。「たとえ植松先生にすかされまいらせて、自分が滅亡することがあっても、いささかも悔やむまじきことのそうろう」
いつもそう思っています。なぜなら、植松先生が素晴らしいから、人間的に惚れて来たのでも、植松先生の教えが素晴らしいからここへ来たのでもありませんし、植松先生にご縁があって来たから仕方なくやっているわけでもないからです。
小さい頃からずっと極めておりました神様が「それがお前の道だ」とおっしゃった。その一言を信じているからなのです。
植松先生も、「たとえ深見東州にすかされまいらせて、ひどい目に遭わされても、いささかも悔やむまじきことのそうろう」。
私、深見東州のことが立派だから、有能だから、可愛いから… どうかわかりませんが(笑)、そんな理由で一緒にご神業を進めてこられたわけではありません。
私と出会う八年前に「笛吹き童子が来るから」と言われて、いくつもの証を見て間違いない、とやってきたのです。その神様をお互い信じています。同じ神様だったのです。
人間の目から見た運不運と、神様の目から見た運不運
ですから、絶対的な信頼を置いているわけで、植松先生がどのようなお方でもそれはいい。そこに降りている神界の経綸が大事で、そういう道と道で結びついておりますので、人間不信とか、そういうのは一切関係ありません。生身の人間にとっ不信があるのは当然ですし、葛藤があるのが普通です。
「私の本を読んで感動したから」と、定例セミナーに参加いただく会員さんが多くいらっしゃいます。その方のなかに、時には「私の講義を聞いたら、本よりもよく「なかった」と言ってやめていく人もいます。それは本人の自由ですけれど、どれだけの求道心なのか……。
それに対して、神縁に導かれていろいろな宗教団体、霊能者さん、神様を真剣に求め求めてきたものの、どれも本当じゃない、と。
そういうプロセスを経てやってきた人。つまり道とはどんなものなのか、ある程度わかっている人は、求め求めて「これに間違いない」と思うものがあるから続きます。
そうでない方は、ちょっとしたことで一喜一憂なさって、なかなか長続きしません。それも無理のないことなのでしょうが…..。
以前、天中殺で悩んでいる人が相談に来て、天中殺で何をやってもダメだと思っているのです。
「先生、必殺天中殺切り”というのはないですか。”秘伝天中殺返し”というのはありませんか」と、そればっかり心配しているのです。
まあ、大殺界や空亡とか天中殺といった、いわゆる衰運期というのは、人間の目から見た衰運期で、神様の目から見たら内面的な進歩の時期です。
内面的に進歩すべきとき、それが衰運期です。それから、外へ向かって活動すべきときを盛運。「青雲」というお線香もありますけれど(笑)、盛運とか上昇運とか言うわけです。
外へ出るべきときに内へ入ったらうまくいきませんが、自然に外へ出なければならない必然性が巡ってきます。
逆に、内面的なものを勉強し、実力を養成しなければならない衰運期に外へ出ようとしたら失敗します。衰運のときはじっくり己を養い、出るべきときは出る。それが中。ツボにはまる、ということです。
神様の目から見たら、内面の進歩と外面の進歩、どちらにしても進歩しかありません。ところが、人間は外から見ていますから内面的進歩のときは何か運が落ちている、ツキがないと感じ、これを衰運期と呼ぶのです。
おそらく親鸞上人も、六角堂でお籠りしたとき、それから磯長の廟で「お前の寿命は何年だ」と言われたときは天中殺だったのではないでしょうか。
天中殺でお参りしたときに死の宣言を受けて、おそらく空亡期か大殺界のときに六角堂に行ったのでしょう。百日間、死ぬようなひどい思いをしてから法然のところへ。これもやっぱり苦しい。
それ以後、さらに一層、苦難の道を歩まれたのも衰運期にあったと言えば衰運期にあったのでしょう。多分そうだと思います。
内面的な葛藤のときは、外から見たら本当に運がないし、ツキがない。だけれども、あとから見たら、「あの苦難のときがあったから親鸞がある、あのときがあったから道が極まったのだ」と言えるはずで、神様の目から見たら一番よかったときなのです。
ですから、運と不運という問題は人間的尺度で見るべきではないのです。
少し余談になりますが……それでも、相談に来たその人はやたらと気にしているから、何とか木火土金水の星を差し替えることができないかと、私も研究しました。
星を差し替えるのです。十干十二支をつくったのが宇宙創造の神なら、十干十二を変えることぐらい簡単じゃないかと思って、私もいろいろと研究しました。
人間はオギャーと生まれたときに、木火土金水の惑星の気を受けています。それを霊的に見たら、白金色と黒が交互に体についています。オギャーと生まれたときにそういうソフトウェアができて、そのとおりに運勢が巡ります。
その前提として前世のカルマがあるから、いいカルマと悪いカルマに合わせて、プラスとマイナスの配合がコンピュータと同じようにできて、オギャーと生まれてきます。
だから、遺伝子の組み換えのように、災いをもたらすその黒い点を取って、新しい点に切り替えたらいいのではないか。
新しいフロッピーを入れればいいのではないか。コンピュータのハードは同じでも、ソフトのフロッピーが替わればコンピュータの動きが変わるのではないか、と考えたわけです。
それはともかく、木火土金水の星を瞬間に差し替えることで、空亡期に幸せになり、盛運期のなかに空亡期の災いを少しずつ散らすシステムを考えました。
「ちら「し寿司システム」なんていう名前をつけましたけれども(笑)、その人は顔がふっくらしましてね。
ただし、あまりこれをやりすぎると神様に叱られるので、お護摩を焚いてよくなる代わりに、許される範囲のなかで、黒い星を白金に差し替えるだけにとどめております。
これが、木火土金水の星差し替え神法でありまして、お護摩を焚く代わりに、コンピュータと臓器移植のやり方を、運勢のほうへ応用しただけのことです。
神様の道に入ると起こる三つの変化
それをやりましたら、その人は一週間微熱が出ていました。それを見てわかったわけですが、神様が動き始めて、目に見えない運勢が変わっていくとき、人はどうなるか。
星ツアー(人間の御魂を、高次元の星神界に飛ばして、その神界を見たり体験したりできる秘儀。
星の波動を受けて、大きな開運が始まるなどの「証」がある。)に参加した人も、そのあと運勢がよくなるとどうなるのか。
星ツアーが終わったときにいつも皆さんに申し上げることですが、「開運効果はまずどこから現れるか、神様の功徳というのはどういうふうに出るか」と言うと、一番顕著に出てくるのは人間関係。その人を取り巻く人間関係がガラッと変化します。
たとえば、それまで働いていた従業員がわけもなく突然辞めた、と。そのときは、なぜ辞めたのかとガッカリするけれども、しばらくしたら素晴らしい人が来て、その人が会社を守り立ててくれるとか。
あるいは、それまで親しくしていた友人と疎遠になり、代わりに親しくなった友達が素晴らしい人で、その人が教えてくれた情報、人間関係、実力で自分の運勢が開運される、と。こうなります。
植松先生は、「日本の言霊で言うと、宝物は他からやってくるから宝と言うんですよ」とおっしゃいますが、他から来るような自分をいかにつくるかが大事です。
他からやってくる場合、だいたい人を通してきます。ですから星ツアーに行ったりしますと、対人関係がガラッと変わります。
いっとき、「有能な社員が辞めまして」とか「友達がどんどん離れていきまして」などと悲壮な顔をして言います。「もうじきいい人が来ますから心配しないで」と言うと、本当にいいお友達、いい社員が来て、運勢がどんどんよくなります。
短期的に見たら、「ああ、お友達がいなくなっちゃった」「ああ、社員が辞めちゃった」なんて思うわけです。けれど、しばらく辛抱しているとよくなります。これが開運するときにまず変化するところです。
もう一つは微熱がつづく、下痢をする、発熱をする、風邪を引いてこじらせて病気になる。それほど深刻な病気ではありませんが、とくに熱が出るとか下痢をするとか、風邪を引くといった体調変化が起きてきます。
しかし、そういうものが出たら、そのあとは何とも言えない爽快な気分になります。意識の奥が変わるので、全体的に人間関係も仕事もうまくいくという場合があります。
けれども、一時的ではあっても微熱がつづくとか、どんどん下痢をするとなると、どうしたんだろうと不審感を抱きます。しばらくして、それがわかったらよくなります。
そして三番目の変化。神様の道に行きますと前世のカルマが出てきます。「大天運」(たちばな出版刊)にも書いたように、前世のカルマは神様を信じたからといってなくなりはしません。
前世のカルマを消すには、自ら苦しんでなくすか、カルマに匹敵する徳を積むか、それしか方法がないのです。どんなに篤い信仰心でお護摩を焚いても、あまり変わりません。
けれど体施物施、法施をすることで百あるカルマを九十か八十か七十かに、神様の大愛で縮小してくださいます。
いわゆる大難を小難にしてくださることなのですけれど、縮小してくださるだけではないのです。なるべく若くて元気なとき、なるべく早い機会にその因縁というものを解消させようと導かれます。因縁を小さくして体験させるのです。
星ツアーに行ったりすると、たとえばお金が入ってきたり、仕事運がよくなったり、人間関係がよくなるから、「わあ、神様って本当にいるんだあ」「神霊界って、あるんだあ」「守護霊って、本当にいるんだあ」という気分になって、より強く神様を信じるようになります。
しかし、お蔭があるから信じるということは、お蔭がなくなったら信じないということでしょう。これ、冷静に考えたらお蔭信仰です。
神様を信じるレベルがお蔭のレベルであって、お蔭があるから信じるわけです。
そこから進歩しなかったら、御魂の修業をしたいと思っても伸びません。お蔭さえいただければそれでいい、という人はそれだけでもいいかもしれませんが、真実なる道を求めて清らかな魂を成就したい、神霊とも近づき、人様にも取り次げるような人間になりたいと発願すると、前世のカルマ、家のカルマ、これを小さくして、若くて元気なときに決済しようとなさる。
神様の大愛の働きがあるのです。
ですから、いっときお蔭が出て、よかったと思っても、しばらくしたら今度は悪いことが起きることがあります。
そのときに、「何だ、最初はよかったのに……」と思ったら、その人はそれ以上伸びない。最初の基礎の関門で折れて、永遠に神人合一の道も、求道の道も成就できません。
これは法則です。親鸞上人でも法然上人でも葛藤と苦しみ、あるいは法難といった、ある程度、個人のカルマとの戦いがありました。私もそうです。小さいときかカルマで苦しんできましたが、元気な若いうちに散々やらされております。
そういう体験があるから、皆さまにこういうお話ができるのです。
皆さまも同じで、どんなに神様を信仰してもすぐには消えません。何百年、何千年もかけて積み重ねてきたカルマが、パンパンと神様を拝んだだけでゼロになったら不平等です。
善因善果、悪因悪果の法則をつくったのは神様ですから、拝んだだけでゼロになったりしたら自己矛盾です。法則をつくった本人が矛盾するのです。
だから、ゼロにすることは無理として、情状酌量の余地ありで、縮小するしかないのです。
ですから、最初のうちはお蔭がどんどんあっても、道を極めれば極めるほど、途中からよくないことが起きるケースも多々あります。じゃあ一生懸命やるのをやめようと思ったら、ずっとお蔭があるかもしれませんが、それではお蔭信仰の域から脱しきれません。
そういうときにはどうしたらいいのか。災いが起きたら、神様、前世と家の大きなカルマを、大難を小難にまつり変えてくださって、ありがとうございます。
こんなに因縁を小さく軽くしてくださって、ありがとうございます。苦しみを最小限にしてくれて、ありがとうございます」と、感謝の気持ちで乗り越えていけばいいのです。
そうすれば、「よしよし。我が心を得たり」と、神様も仏様もそのようにお考えなさいます。
そして、「百あるやつを九十に縮めたけれど、八十くらいにしてやろうかな」と、より小さくしてくださいます。次にまた災いが起きたら、「今回もまた、本当によくお導きをいただき、ありがとうございます。大難を小難にまつり変えてくださいまして、ありがとうございます」と、苦しめば苦しむほど感謝する。
すると、「そんなに言うならまあ、七十五くらいにしてやろうかな」と。これを「神様のゴマすり方式」と言いますが(笑)、七十五か六十五かに徐々に縮小してくれます。
そうして薄紙をはぐようにカルマが取れていきますと、どうなるか。一念を願えばすぐ成就です。
水晶のような魂であるから、「人々の病気が治りますように」とか「よくなりますように」とお願いしたら即、神霊に感応して結果が出ます。
逆に、自分の魂が擦りガラスとか十年くらい使ってるサラダボウルみたいに不透明だったり、因縁とかカルマがいっぱいのまま魂が磨かれていないと、お願いしても、なかなか神霊に感応しません。
十年間祈って一つ病気が改善されるくらいです。自分の霊層が上がり、魂が極まったら、一分願えば百人くらいの病気がよくなる。神霊世界に近づけば近づくほど、澄み切れば澄み切るほど神仏のご加護と神力、霊力は強くなります。
典型的な例が日蓮上人様です。龍ノ口のご法難で、いまや首を斬られようというときに、南無妙法蓮華経と唱えた。
ビカビカビカッと雷が剣に落ちた。あるいは、江ノ島から玉が飛んできたという説もありますが、そんな奇蹟があり、恐れをなした幕府の役人は日蓮上人さんをもう処刑できなかった。まさに「念彼観音力、刀尋段段壊」です。
それから伊豆へ島流しに遭ったとき、満潮時には水没する岩にちょんと置かれて船は帰っていった。時間がたつにつれ海水がどんどん上昇して、いよいよダメかというときに南無妙法蓮華経と唱えたら、漁師が船に乗ってきて、「あら、お困りですね、お坊さん。さっきまで坊主めくりをしておりましたが、お元気ですか(笑)」と言って、日蓮上人様をお救いになった。
この歴史をみておりますと、日蓮上人の南無妙法蓮華経は、雷が剣に落ちるだけのものすごいものを持っています。
不可能を可能にするだけの力があったのです、南無妙法蓮華経は。それを見て、お弟子たちも心強く感じ、日蓮の直弟子が幕府に捕まって、いよいよ処刑されるというとき、お弟子たちは「ピカピカが来るぞ」と、にんまり笑いました(笑)。
ところが、まったく来ることなく、みんな首を斬られてしまった。
やはり、同じ南無妙法蓮華経でも日蓮上人が唱えるのと、お弟子が唱えるのとでは中身が違います。形は同じ南無妙法蓮華経でも、唱える人の中身が違うから、日蓮上人のときにはピカピカが来て救われたけれども、弟子のときには何も来ず処刑された。
このように同じく祈っても、その人の魂が研ぎ澄まされれば研ぎ澄まされるほど、祈ったことがすぐに結実成就するようになります。
魂が曇っている人は二週間、三週間祈ってもなかなか難しい。だけど、どんなに曇りが多い人でも真剣に祈れば、必ずや神明の加護があります。
