あなたのしらない幸福論(Vol.4)

第三章 どうしたら幸せになれるか!?

まず自分の幸せから始める

人を幸せにしてあげたい、自分の幸せを犠牲にしてでも…というのは、実に美しい心根である。しかしまた、大変に難しいことでもある。

だが、人の幸せももちろんだが、あなた自身はどうだろうか。自分を幸せにできない人が、人を幸せにはできないのではないだろうか。

まず手はじめに、自分自身の幸せということを考えなければならない。なぜこんなことを言うかといえば、人のことばかりやっていて、自分が不幸になり自暴自棄になってしまう人が、残念ながら少なくないからだ。

それでは、神様の本当の心には沿えないのだ。

まず、自分の幸せのために一生懸命努力して、なおかつ自分の人格を大いに高めること。

そして、世のため、人のためになるように、自分の実力を上げる努力をして生きていく。

このようにすれば、神様も大変喜ばれるし、本当の幸せというものを手に入れることができる。そういう人はまた、他の人の幸せのためにも真に尽くせるのだ。

しかし、自分の幸せのためには他人はどうなってもいい、他人を不幸にしても自分が幸せになりたい、というのはエゴイズムだ。これは、先の話とは似て非なるものである。

自分が幸せになるためなら、平気で他人を傷つけてしまう。このエゴイズムに比べたら、ナルシシズムの方が、まだましだ。

ナルシシズムは、自己のなかに留まっているか閉鎖的で、他人を傷つけることがないからだ。

だから人間というのは、他人のことよりもまず自分を幸せにすることを考え、人格を高め、能力を高める努力をするべきなのだ。

しかし、それは他人を傷つけたり、不幸にすることではない。

そして、自分が幸せになったら、それを家族、兄弟、親類、友人、職場にと少しずつ広げていくことだ。自分を起点にして幸せの輪を広げていく、それが道でもある。

「世に益すること、人に益すること、これが善なり」ということが「陰鷲録」に書かれている。

何が善で何が悪か、その基本は人々に益することが善。世に益しようと思って生きているのが本当の善である、という意味だ。

気持ちはないのに形だけ善ということを偽善という。心と行動の両方が揃っていなければ本当の善とはいえない。

なぜ世の中に戦争があるのか

ところで、神様の目で見た善悪というのは、私たち人間が判断するそれとは違っていることもある。

神様は、神界、霊界、現実界、過去、現在、未来にわたる、とても大きく高いところから見ておられるから、私たち人間の水準からは、一見矛盾しているように思えるところもでてくるのだ。

殺人などは、私たちの価値基準でも神様の基準でも最悪の部類に入る。だが、こんな場合はどうか。

悪性のガンで七転八倒の苦しみをしている患者に、安楽死を与えることは悪なのだろうか?完治することなく、一日毎に衰弱し痛みが増し、鎮痛剤もモルヒネも効かなくなり、ただ死を苦しみながら待っている人を、無理に生かし続けることは、はたして善だろうか。誰しも迷うところであろう。

教団のような愚かな殺人行為は論外である。しかし先の例のように、何が善で何が悪か、簡単には判断できない場合もあることはお分かりだろう。

角度を変えてみよう。

皆さんは、こんなことを考えたことがないだろうか。どうして神様は今日まで、人間と人間の争い、部族間や民族間、あるいは国家の間での戦争を許してきたのか?

なかでも、第一次、第二次世界大戦は、地球的な規模での大戦争となり、数百、数千万人もの人が殺されていった。こんな殺人行為を、なぜ神様は黙認されたのか?

もちろん神様は大いに悲しんでおられるのだ。ところが一方で、戦争という悲劇によって私たちは、いろいろな文明や文化を進歩させてきた、という事実がある。

飛行機、船、機械や通信技術だけでなく、国際連合を作って互いにルールを守ることで平和を守ろう、ということになったのも、二度にわたる世界大戦という体験に対する強烈な反省があったからだ。

例えば、ナイフで指を切って血だらけになって痛いから、はじめてケガをする痛みがわかる。

ところが最近の子供たちは、親が危険だからというので、ナイフやカミソリといった刃物を使わせないようにしたから、痛みがわからなくなってしまっている。そのために猫に火をつけて、熱さにギャーッともがき苦しむ猫を見て、手を叩いて喜ぶよう

子供が育ってくることになってしまった。

自分が痛みを体験しないから、他人の痛みがわからず、かえって残酷なことを平然とやるようになる。それこそ大変に恐いことではないか。

戦争というものは、決して善ではない。だが、その悪が人類全体への教訓としてどうしても必要だったから、神様が涙をのんで目をつむっておられた、という面があるのだ。

反対に、私たち人間の基準では善だと思ってしたことが、結果的には相手を傷つけてしまうことがある。

しかし、それは「人のために」という善き思いでされたことの結果だから、少々の失敗があっても神様は許してくれるし、さらにもっといい徳を積むチャンスを与えてくれる。

だから、結果が吉でなく凶であったとしても、少しも恐れる必要はない。自分なりのベストを尽くし、間違ったことに気づいたら、反省すればいいのだ。

“あやまちを改むるに、はばかることなかれ”

本当の神様は、罪を憎んで人を憎まずだから、努力の結果のミスは許してくれるが、ミスをすることを恐れて、善いことさえもしようとしない人たちには、厳しく評価をなさる。

悪いことをしてはいけないのはあたり前だ。しかし、結果が悪になってしまうことを恐れて、何に対しても消極的になり、世のため人のために益するような生き方をしなくなることを、とがめられるのだ。

私達は何のためにこの世の中に生まれてきたのか、それが問われているのである。

結果が失敗であっても、経験は残るから魂は成長する。逆に、失敗をおそれて何もしなければ、魂には何の成長もないのだ。私たちは、御魂の修業(成長)のために、この世に生まれてきている。

それを常に考えて、たとえ結果が悪や凶になろうとも、おそれず積極的に行動するべきなのだ。

善因善果、悪因悪果霊界法則の基本

私たちの日常生活では、すぐにはあらわれにくい、肉体のない精神だけの世界(霊界)では、善因善果、悪因悪果という法則が的確に働く。

よくないことをして霊界に入ると、人によって様々だが、まあ地獄に行く。地獄の中でも無間地獄という永遠無窮の無期懲役がある。

私は実際に、神霊に見せてもらったのだが、ここでは冷蔵庫にカン詰めにされるなど、よくもまあこれだけあるものだと感心するくらい、沢山の責め方がある。

その人の罪業によって、色々ふり分けられて責め苦にあうのだ。

苦しいとか痛いとかいう感情は、現実界ではしばらくすると慣れてしまう。ところが地獄の責め苦は、どんなマゾヒストでも、もう二度と責められたくないと泣いて頼むほどだ。

なぜか?それが地獄界では何度も再現され、繰り返されて八〇〇年も続くから、その辛さというのは言葉では表わせないものがある。

歯医者で歯の神経に触れられた時の痛さというのは、経験した人も多いはずだ。

霊界では、肉体がなくて全身が神経だけという感じなので、地獄の痛みの感覚は、何倍にも増幅されて響いてくる。

あの歯神経の痛みが、一瞬でなく永遠に、歯の一本だけでなく全身全霊を貫くと考えたら想像しやすいかも知れない。実際はもっと何百倍もすごいのだが。

この地獄における八〇〇年の滞在年数を、例えば三〇〇年くらいに縮めることもできる。それは、自分の子孫が徳を積むことだ。

神仏に寄付をしたり、神社を修復したり、人を沢山助けたり、一身を神様の前に捧げる、といった行ないだ。子孫のそういう功績が地獄に届けられると、苦役が縮められることになる。

つまり、子孫が徳を積めば、その徳に応じて恩赦があるわけだ。もっとも、この世で悪事をはたらかず、徳高く生きて、地獄など行かない方がいいに決まっているのだが。

善悪の基準をはっきり教える

アメリカ人は、小さい時からキリスト教の持つ博愛主義というものを、徹底して教えこまれる。

小さい時から、人のためになるようにしなさい。これが善でこれが悪、良いことと悪いこととの倫理感覚が、ピシッと躾られているのである。

ところが東洋の場合は、清濁併せ呑む”と言われるように、玉虫色ではっきりしない。まるで定規で測ったように、きっちりと分けてしまうのも窮屈だが、玉虫色というのも、社会という視点から考えると、やや困りものという点もある。

社会福祉にしても、アメリカやヨーロッパの国々は非常に進んでいる。お互いの思いやりとか、お互いの理解のしあいによって、ハンディキャップのある人たちに対しても、積極的に理解していこうとしている。

現代の黒死病といわれるエイズにしても、エイズの人と結婚しようとか、エイズの人の子供を生もうという人がいる。

これはキリスト教の精神に根ざした社会ルールが、うんと進んでいるからだ。隣人への愛、不変の愛といったものに対して、強い信仰を持っている現れである。

日本の場合、そういう信仰がないわけではないが、多分に玉虫色的であって、社会に対する絶対の善というものが、なかなかできてこなかったことは事実なのだ。

神道の惟神の道にしても、不浄なものを嫌っていくという姿勢はあっても、キリスト教精神を生かした社会のような、隣人愛や他人への思いやり、社会性といったものが欠落している、といった欠点をもっている。

このため日本の社会では、社会基準としての、社会のルールとしての善と悪を子供の頃から教えて、しっかりとして身につけさせるということができていない。特に昨今は顕著である。

しかし、これからは社会規範として、最低限の善悪のルールを設定することが必要となってきている。子供の世界のいじめの問題が、その必要を最も強く問うている。

情けは人のためならず

今から十数年も前に東京富士見中学の鹿川君が自殺したあと、文部省は通達を出した。それが近年愛知県の大河原君がほとんど同じようにいじめから自殺すると、十年前とまったく同じ通達を出しているという始末だ。

政府のお役人をはじめとして、善悪をはっきりさせないことの弊害がこのように現われている。

昔は、電車の中で子供が騒いでも、その子の親が叱らないと、きちんと叱ってくれる年寄りとかがいたものだ。自分の子供にきちんと善悪のしつけをできない親は、今ほどではないが昔もいた。

けれど、そういう社会全体の中では修正する力も強かった。今の私達としては、そうできない親達が多い分だけ、善悪のルールをしっかりさせる行ないをやり通すことが大切になっている。

もちろん、注意してあげることで、相手が本当の善を知ったなら、それは大きな功徳、徳積みとなって返ってくるのだから。

社会福祉を神霊的にみると、自己実現のお手伝いをするのが、本当の福祉だということになる。

自己を実現したいというものにお手伝いするのが、本当の福祉だというわけだ。

現状では、ヨーロッパやアメリカの方が福祉面では日本をリードしており、社会性の善悪の基準もある。社会の良心なんていうものもある。

けれど、日本にも江戸時代の会津藩主の保科正之のように、ヨーロッパやアメリカに劣らない社会福祉、児童福祉、老人福祉といった政治をおこなった人もいるのだ。

日本史でいえば行基菩薩が、小川に橋をかけたり、治水かんがい事業をしたり、食べ物のない人たちに食料をあげたりしていた。

その次が光明皇后さんだ。悲田院に施楽院を造った。

そして先に紹介した、徳川三代将軍家光の弟さんで、会津若松藩主であった保科正之という人は、世界に誇れる人でもある。

保科正之公は、当時、吉川惟足という人が教えていた吉川神道を学び、免許皆伝を受けた。この吉川神道は宋学をベースにして神道と結びついた神道学派であるが、それを学び、そして、それを政治のなかで生かした。

社会福祉、老人福祉児童福祉に力を入れて、じつに見事な福祉システムを作り上げた。

例えば、もしも飢饉になった時のために貯えておこうというので、毎年の収穫米のなかから、必ず何年蔵という形で残した。

そして、本当に飢饉になった時に、この貯蔵していたお米を皆に与えたそうである。

当時は、現代と違ってお米の出来不出来は天気次第だっただけに、しばしば飢饉に襲われて、多くの人たちが死亡するなど、沢山の悲劇の原因となった。

それだけに、こ保科正之公の行いは大変に秀れたものであったと言える。近年、たった一夏の冷夏のおかげで、国産米がなくなって大騒ぎになってしまった今日の日本の農政より、三百年前の保科正之公の治政の方がれていたとは、情けない話だ。

もちろん、こうした他人のための思いやりは、子供たちの躾、教育のなかで徹底されていたから、ある時、幕府が日本の藩の中でどこの藩に親孝行な子供が多いのかを調べたところ、会津藩が一番多かったそうだ。

会津藩は明治維新の時も、最後まで、幕府と朝廷とが平和に話し合い、政権を譲るようにと奔走したために、朝敵の汚名をきて、ついには白虎隊のような悲惨な戦いを行うことになった。

あの徹底した藩に殉ずるという精神は、こうした背景があったためにつちかわれたのだ。

魂を磨くとカルマが変わる

世の中に完全無欠な人間は一人もいない。たとえば、

・胃腸が弱い
・もう少し頭が良かったら…
・積極性が欲しい
・ヤセたい
・血圧を下げたい
・お金が欲しい
・地位が欲しい
・身長が欲しい
・両親が欲しい
・美男美女で生まれたかった

等々、あげればキリがない。隣りの芝生はキレイに見え、他人のお菓子はおいしくみえるように、人間の欲望には限りがない。

さして肥ってもいないのに、ヤセたいという欲望が強くなると、やがて拒食症になってしまう。

無理に身長を伸ばそうとして、首を吊ってしまった少年もいる。

権力の魔力、お金の魔力にとりつかれて、転落していった人は数知れない。

もちろん、このような欲望だけでなく、交通事故で親兄弟を亡くしたり、生まれつき、心臓や肝臓が悪かったり、あるいは、四肢に障害を持って生まれてきたりする人たちもいる。

このように、人によって様々なハンディキャップがあるのは、人がそれぞれ違った前世のカルマを背負って生まれてきているからだ。

過去世のなかで、自分自身が蒔いた種や、あるいは先祖が蒔いた種の結果として、現実界(現状)がある。

「どうして、こんな悪い運命を背負って生まれてきたんだ」と、世を呪い、神様を呪うのは、見当はずれというものなのだ。

また、福祉はもちろん必要だが、自分はハンディキャップを背負っているのだから、自分よりも健常な人たちや社会が、救いの手を差し伸べてくれるのは当然である、といった考え方も誤っている。

全ての人が、形や現われ方は違っていても、いろいろなカルマを背負って生きている以上、そのカルマをどのように受けとめて生きていくのか、ということが大切なのだ。

カルマに背を向け、消極的に根暗に、世の中やご先祖様を恨みながら生きたのでは、次に転生再生した時には、もっと醜いところに生まれてくることになる。

カルマや人生から逃げないで、前向きに、魂の錬磨に励み、自分のやれる範囲の世界で努力することで、自分の未来を変え、晩年を変え、来世を変えることができるようになっていく。

社会福祉といえば、誰もが国の問題だと考えてしまうが、そうした国の問題と同時に、ハンディキャップを背負った私たちの一人一人の、強い意志と忍耐力、自立心もまた大切なのだ。

“臭いものにはフタをする”といった、日本の権力者や庶民の生活の知恵は、長い間、大きくて重いカルマとしてのハンディキャップを背負った、社会的弱者と呼ばれる人を、社会から隔離してきた。

それはあたかも、自分が目を閉じさえすれば、今まで自分が見ていた世界、生きてい世界が全て見えない以上、虚構の世界になってしまう、と考えるのと同じことだ。

人は、永遠に目を閉じ続けることはできないから、いずれ目を開けば元の、少しも変わら ぬ世界が待っているだけである。

このような考え方は捨て去って、健常者と非健常者が、一緒に社会生活を送れるような方法を選ぶべきだろう。

そのような社会になって、初めて私たちは、自分のカルマを静かに見つめるようになれるし、大きなハンディキャップを背負った人たちの自助努力に、協力の手をさしのべることができるようになり、自分自身の魂を錬磨し、徳を積み、来世を変えることができるようになってくるのである。

陰録講話にみる徳の積み方

明の時代に袁了凡という人がいた。

お母さんの実家が医者だったため、家業を継ごうとして、医学の勉強をしていたという。

ある時、仙人のように思える白髪のおじいさんがやってきて、了凡にこう言った。

「私は、中国で当代随一といわれる易の大家です。

百発百中、あなたの未来を占ってごらんにいれましょう」と、了凡の年令、母親の年令、父親の年令から家族の人数までピタリと当て、さらには病気をした時の年令や、細かなクセまで当ててしまった。

そこで袁了凡が医学を志していることを話したところ、その老人は、「それは、やめなさい。本来あなたは官吏に向いている。今すぐ医学の勉強はやめて、官吏の勉強をしなさい」

「しかし、私の家は医者ですから、志を変えるには母の承諾が必要です。それほどまでに言うのでしたら、どうか母を説得して下さい」

そこで老人が母親を説得し、「それほどおっしゃるのなら、息子の天命を信じて官吏の勉強をさせましょう」と、母親も納得、袁了凡は官吏を志望することになった。

当時の中国では、科挙という厳しい試験によって官吏に採用され、昇進するしくみになっていたが、その仙人は袁了凡が試験で何点をとり、何番になり、給料はいくら貰うかまで予言し、さらに次の試験の点数から、一生の全てまで…、おまけに残念ながら子供はできず五七才で死ぬことまで予言したのであった。

一度目の試験も、二度目の試験も仙人の予言通りになったものだから、衰丁凡はすっかり運命論者になってしまった。

人の運命はもう決まっている。あの老人のいう通りにしかならないんだと、あきらめてしまったのだ。

そんなある日、袁了凡が廟で禅をしていると、雲谷禅師という有名な禅のお坊さんがやってきた。この高僧が一緒に参禅しようということで、三日間ともに座禅を組むことになったのだった。

その一緒に座禅を組んだ三日間、袁了凡の心には、よけいな雑念、妄想、人生の迷いというものがおよそない。

静寂そのものであることに雲谷禅師は感嘆して、了凡を讃えた。

「私も長く禅坊主をやっていますが、あなたのように何の雑念もなく、妄想もなく、捨てきた心のもち主は初めてです。

どこで、そのような修業をされたのですか」得たり、とばかりに袁了凡はこう打ち明けた。

「じつは、これこれといったわけがあって、私の一生はもう決定しているのですから、いまさら悩むことは何もないのです。ですから、私は満足しています」と言い放った。

すると、雲谷禅師はいよいよ感心すると思いきや、カラカラと笑って、「この愚か者め。それでは何のために生きているか、わからんじゃないか!」

そして昔の聖賢、仁者、仏門に仕えた人たちの例を上げて、徳を積むことで天の命数を変えるということの大切さについて、教えさとしたのである。

“そうか、これではいかん。徳を積めば、自分の運命はいくらでも変えられるのだ”と悟った袁了凡は、雲谷禅師にいわれたオリジナルの”得点表”を作った。

仮に、死にそうな人を救えば一五〇点、壊れかかった神社の修理をすれば八〇点、寺院をなおせば七八点、死にそうな動物を救えば一五点、というようにあらゆる善根功徳を分類して点数化したのである。

そして、それを手がかりにして、今日は何点、次の日は何点、といったように毎日毎日思う限りの徳を積むことを楽しんで、過ごすようになったのである。

そうしたところ、仙人の予言は次第にはずれるようになっていった。給料も増え、子供も生まれ、人生はより幸せになっていき、そして袁了凡は八六才まで長生きすることができたのである。

本来の寿命より三〇才近く長生きしたわけだ。

この袁了凡の一生は徳を積むことで運命を改善し、造命することができた見本といえる。

清水次郎長の生命を救ったもの

徳を積んで運命を改善したのは、何も袁了凡だけではない。日本にも、有名な人がいる。その人こそ、誰あろう、清水の次郎長。講談や浪曲でも有名な、大親分である。

明治維新の後は山岡鉄舟の頼みを聞いて、富士の裾野の荒地を開墾したことで名高い。

この次郎長が、まだ名も知られていない、単なる町内の暴れん坊にすぎなかった若い頃のことだ。

あるお坊さんが、清水港を通りかかって次郎長の顔を見て、「私は、長年にわたっていろいろな人の人相を見てきましたが、一度もはずれたことがありません。

特に、人の死相については自信があります。お気を悪くされるかもしれませんが、あなたには死相がでています。

それも、この一年以内に亡くなるものです」と言って、立ち去った。失敬な坊主もいたものである。

若くて血気さかんな次郎長は、”何をクソ坊主が、いいかげんなことを言いやがって”と思った。無理もない。一年以内に死ぬ相がでているなどと言われたら、考えれば考えるほど薄気味悪く胸に残る。

気が短くて、言葉よりも手を出す方が早かったくらいの暴れ者であっても、死相が出ていると言われると、どうしても気になる。

それまでは、死ぬことなど何とも思わずにケンカをしていたのが、死相のことを考えると、何となくそれまでのように生命がけのケンカはできなくなって、無意識のうちに安全なものを選ぶようになっていった。

「そうか、あと一年か。悪ふざけで言ったようにも見えなかったし、あれだけ自信をもって言うところをみると、あながちウソではなさそうだ。本当のことかもしれない …J

そこで、どうせあと一年の生命なら、自分の全財産を一年間で使いきってしまおう、と心に決めて、米問屋という家業をやめ、飲む打つ買う、と遊んで暮らすことにした。

もちろん、貧しい人たちにはタダでどしどしお米を与え、お金も与えた。このため清水の人たちの次郎長を見る目が変わっていったのである。

酒を飲み、バクチを打ち、ケンカをするのは今までと変わらないが、貧しい者、弱い者を助けることで、庶民にとってはかえって頼りがいのある守護者となっていったのだ。

すると、どうしたことだろう。予言の一年を過ぎても死なないばかりか、二年たっても死なないではないか。

「さては、あの坊主だましたな」と思っているところへ、ひょっこりとくだんのお坊さんが現われた。

「やい、おまえがあと一年の生命だというから、財産を全部捨てて今までやってきたんだぞ。ところがどうだ。ちっとも死にやしないじゃないか。ウソをついたな、許さんぞ」

「いや、しばらくお待ち下さい……。ハテ、不思議な……。あなたの顔から死相が消えている……」

「何を今さら、言いわけをいってんだ。許さんぞ」

「いやいや、こと死相鑑定に関しては、私は間違ったことがない。ただいまお顔を拝見していえることは、死相は消えている。もしかしてあなたが何か非常に大きな決心をして、善行を施されたのではないですか?どうです、心当たりはありませんか」

そこで次郎長は考えた。

「そう言われれば、お前に言われてから半年ほどは、どうすることもできずに思い悩んでいたんだが、ある日決心したんだ。どうせ死ぬのなら財産を全部使いきってしまおうとな。それで店を閉めて、今まで以上に飲んで遊んで、その上にそれで困っている人にもどんどん分けてあげれば、この世に思い残すことはないと思ってそうしたんだけどな」

「ああ、そのせいです。つまり、大いなる善根を施すことによって、本来ないはずの寿命も与えられたのです」

清水次郎長が、海道一の侠客といわれるようになったのは、この時の体験をもとにして、生き方を変えたからだ。

ヤクザではありながらも”強きを挫いて弱きを助ける”世のため人のためになる地味で地道な仕事を引き受けて、縁の下の力持ちのような人生を送ったから、ただのやくざ博徒とは違って、多くの庶民の尊敬を受けるようになったのである。

仏説が教える三つの徳積み法

すでに述べたが「陰鷲録」には、徳を積むということは「人に益することを行なう」と述べられている。

ただし、いくら「人に益する」とはいっても、たとえばお金を欲しがっている女性に売春をすすめるとか、欲望を放出したがっている男性に売春をすすめるなどというのは、徳を積むということにはならない。

東南アジアの人たちが貧しさからの脱出を求めているからとか、仕事を求めているからといって、日本男性売春ツアーを企画したり、じゃぱゆきさんとして入国させ暴利をむさぼるということは、いうまでもなく偽善である。いくら「人に益することだ」と弁解しても死ねば地獄行きとなる。

「人に益すること」の基本は、善なる心から発するもの、慈愛でなければならない。清水次郎長が救われたのは、”強きを挫き弱きを助く”といった講談的な心情の源に、貧しい人たち、弱い人たちへの慈悲の心があったからでもある。

「人に益すること」というのは、大慈悲をもって、施すべきは施し、戒めるべきは戒める、といったことが必要なのである。

そこで、仏教ではこの「人に益すること」としての徳行を、どのように教えているのかについて述べてみよう。

それは大きく分けると、「体施」「物施」「法施」の三つにわけられる。

「体施」というのは、文字通り自分の身体を使って奉仕をすることだ。たとえば町中の掃除、ボランティア、山野の清掃、在宅療養老人の介護… 体力のある人は身体を使って奉仕をすること、これが「体施」だ。

お金のある人は、お金や物でご奉仕する。これが「物施」だ。

そして、「法施」は、学校の先生やお坊さん、宗教人たちのなすべきことで、人が本来あるべき幸せへの道を説く。法を施すことによって善を行なうことだ。

さらに私がつけ加えれば、霊的空間に無形の善を施す「言霊施」がある。よい言霊(言葉)を人や物や空間にどんどん施せば、あとで必ずいいことになって結実し、人々の幸せにつながっていく。

又、よい念を人々や事物に施す「念施」によって、霊空間に善の基を形成することもできるのである。

憎しみや怒りの言葉には、毒ガスが含まれていた

ところで「言霊」というのは、日本の神道の独特なもので、今まではそれほど関心がもたれてこなかった。

特にヨーロッパの合理主義的宗教観にとっては、色も形も匂いすらない言葉、口から吐き出されたとたんに消えてしまうような言葉に、霊魂が宿っているといった考え方は、不合理の見本のように見なされてきたのである。しかし、この見方も変わってきている。

近年になって、ドイツの科学者が言葉を測定することの可能な装置を開発して、実験してみたところ、憎しみや怒りにかられて他人のことを悪く言う時、その人の口元から毒性のガスが放出されていることがわかったという。つまり、悪い言葉には実際に毒が含まれていたわけである。

今後、科学が進めばもっと多くのことがわかってくると思われるが、いずれにしても私たちの先祖が、「言霊」として尊敬してきた言葉には、沢山のものが隠されているのだ。

「易経」の中に、「積善の家には必ず余慶あり、積善の家には必ず余殃あり」とある。

善を積み重ねてきた家には、あり余るほどの慶びがあるが、逆に、善ならざるものを積み重ねてきた家には、よくないことがふりかかる、といった意味だ。

例えば、ロッキード事件で脚光を浴びた故児玉誉士夫さん。

彼は、第二次世界大戦中は、現代で言えばCIAのようなスパイ組織、児玉機関を作って活動し、戦後もさまざまな疑獄や利権の蔭でうごめいていて、必ずしも世間的な評判はいいものがなかった。が、立派な国士であったことは間違いない。

しかし、とにかくさまざまなピンチを切り抜け、あれだけの財をなしたということは、本人も優秀だったにせよ、やはり運があったというべきだろう。

彼の先祖は、故郷で災害があった時、全財産を投げうって、地元の人たちのために尽くしたそうである。

その功徳があったからこそ、児玉誉士夫さんもその余慶にあずかることができたのである。しかしスキャンダルの中で晩節を汚したまま死んでしまった。

善は善として慶びごとに表れたが、不善もまた、しっかりとカウントされていたということである。