神道開運法 人形(ひとがた)(Vol.3)

第二章 人形・形代の霊力の秘密

古代から伝わるバーチャル・ヒーリング

さまざまな奇跡を起こしている人形・形代。それにしてもなぜ、そんな力があるのでしょう。これからその秘密に迫ってみたいと思います。

神道には神籬という言葉があります。実体を持たない神様や霊魂がこの世でお働きになるときには、何かに宿らなければなりません。その宿るものを神籬というのです。

神社に行くと古木や巨石にしめ縄をしている場合がありますが、あれは木や石を神籬と見なしているのです。

神事のときには榊や幣が神籬となりますし、人間が神籬となって神がかかる場合もあります。神様を依らせるところから「依代」ともいいます。

このとき神籬にかかるものは、神霊の「分魂」です。神様の本体そのものは神界にいらっしゃるのですが、この世へは主に分身を使って降りていらっしゃいます。

ちょうどインターネットやパソコン通信のようなもので、元になっている情報源は一つでも、そこにアクセスしさえすれば、世界中で同時に何人もが同じ情報を呼び出すことができるのと同じなのです。

この原理が、人間の霊魂にもあてはまります。人形には名前や住所など、その人を特定する情報を書き込んだり、直接体を撫でたり息を吹きかけたりします。

そうすることで人形にその人の分魂を宿らせているのです。つまり、人形に名前を書いたときから、その人形が本人の分身になってしまうわけです。

深見東州先生の神通力のひとつに「人形神通」というのがあります。

名前の書かれた人形を指で触ることによって、その人の体の健康状態、心の在り方、過去に体験したできごと、本人も意識していない魂の傾向や人生の目的などが、まるでカルテを読むようにわかってしまうのです。

ここで深見先生がYさんという三十歳の女性に行なった「人形神通」の様子をご紹介しましょう。

なお、この様子を各地の東州センター(ワールドメイトの活動を紹介するミニスポット)で、ビデオで観ることもできます。

深見先生:(人形を撫でながら)「十四歳で環境が変わってから私は一所懸命です」って言ってますよ。

Yさん:そうなんです。十四歳の時に父が亡くなってから、いきなり勉強を始めました。

深見先生:そう。お父さんが亡くなったの。「引っ込み思案だった私がずいぶん積極的になりました」って言ってるよ。

Yさん:その通りです。

深見先生:そう。それから、「嫌な事といい事はハッキリさせる方です。対人関係で支障をきたすこともあるけど、こんな私が直りっこないじゃありませんか」って(笑)。

Yさん:そうです(笑)。いつも夫に、そういうふうに言ってます。

深見先生:こんな私が直りっこないじゃないのって?

Yさん:はい。昨日も言いました。

深見先生:行動半径が狭いので、なんとかそれを広げて広い世界を観てみたいっていう衝動がいつもあるみたいね。

Yさん:はい、広くしたいと思ってるんですけど、狭いです。

深見先生:と思ってるんだよね。体のどこが悪いか、ちょっと聞いてみようね。人形さん、人形さん、どこが悪いですか?ははあ、盲腸の周辺に少しシコリが溜まってるな。腸が悪いんじゃないの?

Yさん:はあ、そうですか?

深見先生:うん、下腹部の。そのシコリは良性ですけど、四十歳ぐらいで悪性になる可能性があるよ。四十二歳くらい。なにか腸の周辺にポリープに近いもの。ガスが溜まるの?

Yさん:そう、 …ですかね(困る)。

深見先生:僕は人形さんに聞いているだけであって(苦笑)。なるほど、いやな事を辛抱した歴史が体に現れてるんですって。特に二十歳くらいから辛抱するのが続いてるようですね。「十八歳は気が狂いそうでした」って?

Yさん:そうです。学生時代に混乱してました。

深見先生:そう。

Yさん:はい。

深見先生:そういうのが、やはり体調に出ているらしいのね。ストレスを溜めない。いい方に物を考える。それから無理に体力をつけようと運動をしすぎないことね。ランニングとかやりすぎちゃうんだよね。テニスする?

Yさん:最近、健康のためにと思って朝刊の配達を始めたら、膝がちょっとガクガクするかなって。

深見先生:ガンバリ屋だから。下半身から老化が始まると思ってやりすぎると、六十から膝や関節が弱くなって、それで外に出るのが億劫になって七十になったら、もう半ボケ。

Yさん:半ボケ!

深見先生:それは外に出なくなって刺激が乏しくなるからです。だから下半身を鍛えすぎないこと、適当な散歩をするとか、自然の中でする程度にしてないと膝から下を弱くするみたいね。私がこれだけわかるくらいだから神様は全部わかってますよね。(以下略)

これも人形に分魂が宿っているからこそ、深見先生が神通力を使ってそれを解読できるわけです。

分魂を宿らせた人形は、もうその人の分身になっています。それを本人の身代わりとして火や水で清めることによって、霊体に附着した罪穢れや悪因縁、病気の原因などを浄化します。その結果、書いた本人が元気になったり、運がよくなったりするのです。また、具体的な願いがある場合も、人形に宿った分魂の思いが神様に届けられ、祈りを現実化させてくださるのです。

最近、バーチャル・テクノロジーといって、特別な機器を使ったバーチャル(仮想的)な情報を与えることで、まるで実体験しているかのような感覚が味わえる技術がブームになっています。

身代わりである人形を清めることで、分魂を通じて本人のマイナス波動まで清められるという人形祓いは、まさにバーチャル・テクノロジーそのものと言ってよいでしょう。

人形とは、古代から伝わるバーチャル・ヒーリングだったのです。

歴史の中の人形・形代

昔の人は、このバーチャル・ヒーリングの効果をよく知っていたようで、さまざまな習俗に応用されています。

中村義雄氏の著作「魔よけとまじない」(国語国文学出版会)には、その豊富な例が紹介されていますので、一部を紹介してみましょう。

「釈日本紀』には、「先師申して云ふ、人形は所謂素戔鳴尊濫觴なり。手足の爪を抜き其の罪を贖ふ、身の代の義なり。贖物と号くる是なり」という一文があります。素戔嗚大神が、その罪を贖うために爪を抜いたことが人形の始まりだというのです。

天皇家では古くから六月と十二月に「節折」という儀式が行なわれていました。

御贖物と呼ばれる紙で包んだ鉄の人形と黄皮の人形を壷にいれ、天皇、皇后、皇太子、皇太子妃が、それぞれ三度息を吹きかけ、それを海辺に運び祓いの儀式を行なうのです。

平城京や長岡京の跡地では、よく井戸の底や排水溝から、木製の人形が大量に発掘されます。当時は紙が貴重だったので、もっぱら木を使っていたのでしょう。

禊祓いをして水に流した人形が残ったのでしょうが、それほど昔はごく一般的に人形が盛んだったということです。

平安貴族になると、「源氏物語」にもあるように、弥生(三月)の月初めにめぐって来た巳の日に人形を船に乗せ、海に流して禊を行ないました。この風習が雛人形船に乗せて流す「流し雛」となり、現在では三月三日の「雛祭り」として受け継がれています。

これらは水による祓いですが、火を用いた祓いは密教のほうに多く見受けられます。

それは転法輪法と呼ばれる修法では、霊力が宿るといわれるせんだんの木、あるいは金銅製の筒に人形を折りたたんで封じこみ、怨敵退散あるいは護国安穏を祈って炉で焼くのです。これがお焚き上げのルーツかもしれません。

現代の科学がやっとたどりついた波動理論を、古代人はとっくに人形や形式として生活に応用していたかと思うと愉快です。

はるか古代、人が神霊界の法則そのままに生きていた神人合一の時代がありました。人と神霊が不即不離の関係にあった当時の知恵が、きっとこういう形で伝わってきたのでしょう。

一方、呪いに使われたらしい人形もたくさん発見されています。これらは人形のバーチャル効果を悪用したもので、一般には丑の刻参りで使われる藁人形が有名でしょう。

人形が分魂を宿す以上、確かにそういうことも可能なのかもしれませんが、それは神様の力を借りるものではなく、悪霊に魂を売る行為です。言うまでもないこととは思いますが、皆さんは絶対にやってはいけません。

というのも、この世には「善因善果、悪因悪果」という「因果」の法則があるからです。簡単に言うなら、人の幸せを祈れば自分も幸せになり、人の不幸を祈れば自分も不幸せになるということです。

人形を呪いに用いて、それが仮に成功したとしても、必ず自分にも不幸が襲いかかって来ます。

昔から「人を呪わば穴二つ」といって、人を呪い殺そうとすれば自分も死んでしまいますから、必ず墓穴が二つ必要になるのです。

争いのない国際社会の実現に向かって神様が動いておられる現在、もうそんなおろかな祈りは必要ありません。

私たちはあくまで、まことの極まる愛の祈りによって、人形を全人類の幸せのために使いこなしていきたいものです。

穢れたら禊をすればいいじゃないか

神道では穢れを何よりも嫌います。清浄なるところにこそ神が降り来たると考えるからです。特に神事を行なうときや神域に入るときなどは斎戒沐浴によって身の穢れを祓い清めます。これが禊です。

ここから発して神道は、穢れを常に祓い清めていく生活習慣を生み出しました。

日本人の風呂好きは世界に類を見ませんが、入浴というのは、最も日常的な禊祓いの習慣に他なりません。

また、よく時代劇などで家の主人を送りだすときに奥さんが火打ち石で「切り」をするシーンがありますが、これも禊ぎの意味があります。

これが神職や修験者になると、滝に打たれたり、井戸の水をかぶったり、冬の海に入っていったり、あるいは火の上を歩いたりと、行法としての禊を行ないます。

ただ単に体を清めるだけでなく、苦行による極度の精神集中によって雑念を祓い、自らの霊能力や神仏との感応力を研ぎ澄まそうとするのです。

禊の風習は、日本人の罪の意識の形成にも大きく影響しています。日本人は「水に流す」という考え方を好みます。

これは人形によって穢れを「水に流す」ことから出て来た言葉です。キリスト教徒のようにとことん懺悔したり、善悪をあくまではっきりさせるという感覚は、あまりなじみません。

少々間違いがあっても、悪いとわかったなら水に流して、またやり直せばいいじゃないか、という風習が日本人らしさです。

穢れというのは窓ガラスに汚れが付着してしまったような一時的なマイナス状態でしかありませんから、禊をして汚れをふき取りさえすれば、元に戻れるのです。

「ミソギをする」という言葉も、間違いを犯したあと反省のために身を慎む事、という意味で日常会話の中に定着しています。

ミソギが終われば、また元のようにおおらかにイキイキと生きていけばいいのです。

その根底には、人間はもともときれいな魂をもって生まれてきているんだ、という考え方があります。

これが、人間とそもそも禁断の果実を口にしてエデンの園を追われた罪人なんだ、というキリスト教に代表されるような原罪観と異なるところです。

日本の神道において、神様は人間の祖先であると考えられています。

その神から受け継いだ本質的な魂を、「直霊」といいます。神を信じるということは、自分の中の直霊を信じることでもあり、だからこそ人間という存在に対して大らかなる希望が持てるのです。

「そうやって物事の善悪をはっきりさせないのが日本人の悪いところだ」という声もあるでしょう。

しかし治安の良さでは世界でもナンバーワンという国家たり得ているのは最近ではその神話も崩れつつありますが)、基本的に人の直霊、即ち人間の善性に対する希望を、国の文化としていまだ保ち得ているからだと言ってよいのではないでしょうか。

また穢れとは霊的には「気」が枯れている状態のことをいいます。

現代風に言えば、元気で発展的なパワーとエネルギーが欠乏した状態です。そこで神様の息吹すなわちエネルギーをいただき、また元に戻って元気になることが神道の禊祓いの神霊的な意味です。

穢れによって御魂が雲ってしまったら、禊をしてまた輝かせればいいじゃないか。これが実に、人形を行なう上での基本的発想なのです。

昨日の穢れをいつまでも悩みの種にすることなく、さっさときれいになってまた今日や明日をおおらかにたくましく生き抜いていく。そのためにこそ、人形をどんどん活用していただきたいと思うのです。

罪穢れは知らず知らずにたまっている

罪穢れを祓うなどと言われると、「別に私は何の悪い事もしていないし、後ろめ「たいこともない」と思われる方もいらっしゃるでしょう。

しかし、法律に違反していることだけが罪穢れではありません。霊的な見地に立つと、原因はどうであれ、否定的想念や不快感によって、自分の御魂に曇りが生じてしまったということは問題なのです。

私たちがイキイキと生きているということは、御魂がイキイキと本来の輝きを放っていることに他なりません。そういうとき、人は自分自身の良さが最高に発揮され、最も自分らしい自分を生きることができます。

私たちが生まれてきた目的は、御魂を輝かせるためだといってもいいでしょう。

ここで知っていただきたいのは、もともと輝いていない御魂は存在しないということです。私たちの御魂は神様から分かれたものだからです。

それが、この現実の社会の中で人にもまれて生きているうちに、考え方がゆがんだり、心を傷つけられたりして、御魂が曇り、本来の輝きを失ってしまうのです。

別の言い方をすれば御魂の気が枯れた状態、これが即ち穢れ気枯れ)なのです。

つまり、善悪で裁かれるようなことでなくても、知らず知らずのうちに自分の御魂を曇らせたり、深く傷つけてしまっている場合、それも御魂に対する罪であり、穢れなのです。

人の世で生きている限り、こういった罪穢れをまぬがれることはできません。したがって自覚していようがいまいが、誰にでも罪穢れはあると思っていただいていいでしょう。

人形を書くと、こういった無自覚の罪穢れまで自然に祓ってもらえます。だから、特別な問題がない人でも「書いたらなんとなくスッキリした」と感じることが少なくありません。

知らず知らずにたまってしまった御魂のほこりをさっと拭き取ってきれいにする。人形はそういうダスキンのような使い方もできるのです。

救霊が人形の開運効果を倍にする

開運を妨げている大きな原因のひとつに霊障があります。先祖によって傷つけられたり、苦しめられたりして、深い怨みを抱きながら死んだ人の魂は、祟り霊となって子孫に災いをなします。

人生の足を引っ張ったり、病気や事故に遭わせたり、結婚や出産を妨げたりして、その一族の血縁者を不幸にしようとします。

また、生前に罪を犯して霊界で苦しんでいる先祖が助けを求めて子孫にすがってきているために、それが病気や家運の衰退などの原因になっている場合があります。

その他、死んでからも霊界に行けずにこの世をさまよっている浮遊霊や、知人の恨みや妬みの念が飛んで来る生霊などが憑依することもあります。

こういった霊障の詳しい背景については、深見先生著の「神界からの神通力」、「大除霊」(いずれもたちばな出版)などをお読みいただくとよくわかります。

さて、霊障そのものは救霊(迷える霊を救済することでその災いを解消する神法。

神界から降ろされたものを深見先生がお受け取りになり、ワールドメイトでは現在、約千六百名以上の救霊師を養成している)によって解消することができます。

というのは、それまで霊の影響で陥ってきた不幸のパターンから脱出できるからです。

事実、ワールドメイトの救霊を受けられた方から「劇的に運勢が変わった」「それまでの問題が一気に解決に向かった」という声がたくさん寄せられています。

一回の救霊で開運した人もいれば、何度か受けているうちに、薄皮をはぐように開運していった方もいらっしゃいます。

本人の徳分や霊障の性質によって個人差はありますが、最も確実に開運させるのが救霊だと言えるでしょう。

人形の効果も救霊を受けているかどうかで、その現われ方に違いがあります。やはり霊障によるマイナスの作用が大きいと、人形の開運効果もその分足を引っ張られるからです。し

たがって、救霊を受けておくことが、あらゆる開運効果を高める秘訣だといえるでしょう。(ご希望の方は、ワールドメイトまでお問い合わせください)

救霊は形になる前の「思い」を消す

ところで、霊というのは実体がともなわず思いだけが存在している状態です。霊のいる世界のことを霊界といいますけれども、これは人間でいうなら心の世界のこと。

リンゴを食べようという気持ちが起きて、実際にリンゴに手を出す前の状態だと考えていただいたらよいでしょう。

これが悪霊になると「うまくいきそうになったら必ずつぶしてやろう」とか、「三年後にひどい男と結婚させよう」とか「十年かけてガンにしてやろう」と、霊界で思い続けています。

救霊というのは、こうした霊を改心させて救済し、霊の企てが現実に形になることを未然に防ぐことができるのです。

つまり、霊がこれから起こそうとしていた災いを、霊界の次元で消去してしまう。

たとえるなら、コンピュータにプログラムされていた情報を、それが実行される前に消去してしまうようなものだと考えればよいでしょう。だからこそ、救霊を境に見違えるほど人生の流れが変わっていくのです。

救霊と他の神法を併用すれば、開運効果はさらに高くなります。

例えば、霊障が原因となっている病気の場合、救霊を受ければ「病気で苦しめよう」というプログラムが途中でなくなりますから、その病気は「治せる」ものになっていきます。

しかし、症状の進行した患部そのものが、一瞬にして元に戻るわけではありません。

なぜなら、そこに至るまでのプログラムはすでに実行されて「形になってしまっている」からです。

肉体そのものを回復させようとする場合、救霊によるプログラムの解消とともに、九頭龍神法(箱根・芦ノ湖の九頭龍大神を動かして病を癒しを開運に導く神法)や薬寿神法(神界最高の癒しの力を持つ薬寿龍王を動かしてヒーリングを行なう神法)といった現実界に強い影響力を与える神法を受けることで治療力が更に向上するのです。

もちろん、きちんとした医学的治療を受けることが前提であることは、いうまでもありません。

御魂についた傷の場合、その傷が残れば、霊がはずれると同時に、へこんだプラスチックがすぐまた元に戻るような感じで回復します。

しかし、長く霊障を受け過ぎて御魂に回復力がない場合や、大きなショックを受けて御魂が深く傷ついてしまった場合、霊とは別次元でその傷が心理的トラウマになっている場合があります。

そんなときは、人形を併用することで、御魂の傷を癒し、トラウマを解消することができるのです。

御魂の傷は自分でも気がつかない

よく人は「傷ついた」と口にします。たとえば「昨日、上司にどなられて傷ついた」といった具合です。

これはこれで嫌なものですが、グチを言いながらビールを飲んだり、スポーツで一汗かいたりしたら、たいてい忘れてしまいます。

このとき傷ついているのは「心」です。心というのは自分の感情や考え方の世界ですから、環境や学習によってどんどん変化します。

ですから、一時的に心が傷ついても、気分が変わったり考え方が変わったりすれば、自然に傷も癒されます。あとになって「あのときは腹もたったけど」と、笑ってすませられるのです。

ところがその傷が深すぎて、「御魂」にまで達している場合、時が流れて「心」の傷は治っても、「御魂」の傷はそのままになっている場合があります。

そして何年にもわたってその人に悪影響を与えたりするのです。いわゆる心理学でトラウマと呼ばれるものです。

御魂というのはその人の霊的本体であり、本質的な感動や感性の源です。これが傷つくと、明るく前向きに生きていくことや、自分を向上させようという動機などにブレーキがかかってしまいます。

たとえば、御魂は映画のフィルム、心はスクリーンと考えたらよいでしょう。スクリーンが一時的に汚れたり傷ついたりしても、それを修復すればまたきれいに映画は上映できます。

しかし、フィルムそのものが傷ついてしまうと、スクリーンをどんなに取り替えても、意図せずしてその場面には必ず傷が映し出されてしまいます。これがトラウマの原理です。

救霊というのはスクリーンの傷や汚れを修復するものです。ですから霊は取れても、本人が過去の経験によって深く傷ついている場合は、なかなか開運できないことがあります。

誰にでも「なぜかこの事だけは苦手」とか、「ある展開に直面するとパニックを起こしてしまう」、あるいは「いつも同じパターンで失言したり人を傷つけてしまう」といった、自分でもどうにもならない足かせがあると思います。

それがアレルギーや体の不調として現われるケースもあります。実はそれらの原因が、過去に受けた御魂の傷にある場合が多いのです。

たとえば、何をやってもいざというときに失敗してしまい、中途挫折してしまう人がいます。

こういう人の場合、実は子供の頃に親から、たとえば「おまえは何をやってもダメだ」と叱られたことが御魂の傷になっていることが多いのです。

それが「自分は何をやってもダメなんだ」という無意識の強迫観念になっていますから、大事な場面になればなるほど自然にミスを犯してしまいがちなのです。

また、異性にもてないわけではないのに、どうしても結婚に踏み切れない人なども、御魂の傷が原因になっている場合があります。

というのは、小さい頃に両親の仲が悪く、いつも離婚話が出ながらも、母親が「あなたがいるから別れられない」と子供に言っていたような場合、子供の心が「自分のせいでお母さんは苦しんでいるんだ」と受け取ってしまったという悲劇も実際にあるのです。

ですから、いざ自分が結婚しようというときになって「私は家族を苦しめる人間だ」という無意識の強迫観念にさいなまれてしまい、話を壊す方向へと持っていってしまうのです。

なにしろ自分では忘れたつもりになっていますから、なぜそうなってしまうのか自覚できませんし、治しようがありません。

最近では心理学や精神医学のカウンセリングによって、記憶の中からそういうトラウマを蘇らせることによって心を癒す治療法が盛んになっていますが、日本ではまだまだ精神科に対するマイナスイメージが強く、カウンセリングを受けようという人もそれほど多くありません。

これからますますストレス社会がエスカレートすれば、トラウマの解消は大きな社会的テーマとなっていくでしょう。

人形は御魂の傷を癒してくれる

救霊では癒しにくい御魂の傷。では、何が癒してくれるのかというと、実は人形なのです。まず、三十八歳の未婚のOLの方の体験談からご紹介しましょう。K・Tさん(女性)

私は人に甘えるのがヘタで、つい突っ張らなくてもいいところで突っ張ってしまい、損をしてきたように思います。結婚のチャンスも何度かあったのですが、どれもうまく行かなかったのは、そのへんにも理由がありそうです。

いつも「もっと自分がしっかりしなきゃ」と思って人の面倒を見る側に回るのですが、人に面倒を見てもらうのがヘタなのかもしれません。

私が育った家庭は、夫婦仲が悪い上に貧しく、母親の働きで生活が支えられていたようなものです。

私はそんな母をかばう役目でしたから、小さい頃からいつも我慢ばかりしてきました。きっとそのへんがトラウマになっているのだろうと思い、人形にトラウマ解消効果があると聞いたもので書いてみることにしました。

私としては、物心ついてから何か家庭内で見聞きしたことが原因なのだろうと思っていました。

そしてゼロ歳の頃の人形から書き始めたのですが、何と一歳の人形を書いた瞬間に、突然悲しくなってきて、ドッと涙があふれてきました。何が原因なのかはわかりません。

しかし、間違いなく私の御魂にその時感じたであろう悲しみが蘇ってきたのです。

まさかこんな理解力もない赤ん坊の頃に御魂が傷ついていたとは思いもしなかったので、自分でもビックリしてしまい、しばらく涙が止まりませんでした。

しかし、ようやく鳴咽が収まったとき、何か肩の荷がひとつ取れたような気がして、ホッとしたのです。何がどうなったのかは全くわかりませんが、少し心が軽くなったのは事実です。

そして自分が三十八年間、自分をいたわってこなかったことに気がつき、とても自分自身が愛しくなりました。

その後も子供の頃の人形を一年分ずつ書いてみましたが、やはり一歳の頃の反応がいちばん強烈でした。最近は何だか、人前で必要以上に突っ張る傾向も少なくなってきたような気がします。

このように自分の成長の過程を追って人形を書いていくと、御魂が傷ついた年齢で知らないうちに御魂が反応し、傷が癒されていきます。

なんと人形には無自覚のトラウマを解消する効果があったのです。これも分魂を通じたバーチャル・ヒーリングである人形だからこそできることです。

しかも、他人に自分のプライベートな過去を知られることもなく、また、自分では忘れたままでいたいようなトラウマの原因となっている嫌な出来事を思い出すこともなく、自動的に解消してくれるのですから、これは御魂の傷に苦しむ人にとっまさに朗報といえるでしょう。

人形は他人の御魂の傷も癒せる

人形によってトラウマを癒す効果は、自分だけに発揮されるのではありません。実は他人のトラウマさえ癒してあげられるのです。一例を紹介しましょう。S・Tさん(女性)

私の働いている会社で、コンピュータの入替えをすることになり、担当になった私と上司は、毎日夜中の十二時過ぎまで残業し、土日も朝十時から夜十一時くらいまでずーっと仕事をしていました。

そんな生活が七ヵ月くらい過ぎた頃、過労のため上司の首が突然動かなくなってしまいました。右にも左にも動かず、下を見ることもできません。

上司は昔、カーレースをしていて事故で首を痛めてから、疲れが首にたまるようになったということでした。

早速、形代を書こうと思ったのですが、体を自慢している上司の変わり果てた姿に人形一枚では弱いような気がしました。

家にある「関節形代」を数えると二十七枚あります。上司の年齢と同じだと、直感的に思いました。

そこで「彼のゼロ歳のときの罪をお許しください」「彼の一歳のときの罪をお許しください」と一歳につき一枚ずつお祈りしていくことにしました。

すると十九歳と二十一歳の形代を書いているときに、涙がこみあげてきて止まりませんでした。そして、二十七枚を書き上げたとき胸がすっきりしました。

上司は「一ヵ月は休養しなければいけない」と言われていたのに、三日で痛いながらも動けるようになり、体力に自信を持ったようでした。そして私は、人形・形代のパワーに自信を持ったのです。

「事故っていくつの時ですか?」と尋ねると、「十九歳と二十二歳の時」という答え。

「あれ、二十一歳ではないんですか?」

二十一歳の時の形代を書いていた時の頭の痛さは気のせいなんかじゃない!

「妹が高校に入った年だから、 …あっ二十一歳だ!勘違いしていた!」

やはり十九歳と二十一歳の時に事故に遭っていたのです。

心の傷も体の傷も、過去に遡ってきれいにすることのできる形代。こんな素晴らしい神法を許してくださった神様に感謝します。

このように、人形を用いてカウンセリングと同じような効果を出すことができるのです。

かも、それは心の傷だけではなく、霊体の傷も一緒に癒しますので、心理学的カウンセリングでは手が届かないところまで改善することができます。まさに究極の魂の癒しだといえるでしょう。

陰と陽の開運効果

人形の祓いは、一般的に水に流すかお焚き上げをして完了ですが、冒頭にも紹介したようにワールドメイトではお焚き上げの方法をとっています。

お焚き上げは年二回、夏至のあたり(六月下旬)と冬至を過ぎたあたり(十二月下旬)に行われます。

夏至から冬至までを隠遁、冬至から夏至までを陽道と呼びますが、これはその時期の天界のエネルギーの違いを意味しています。

冬至とは陰のエネルギーが極まる日です。それまでどんどん短くなっていった日照時間がこの日ピークを迎えます。

それは再び太陽の働きが活発になる一瞬前の姿です。この日は昔から一陽来復と呼ばれ、陰極まって陽に転ずる日とされています。悪いことが改まって善になる働きの意味でもあるのです。

この冬至に合わせて、伊勢の地で行なわせていただいているのが、一年の総決算ともいうべき「伊勢岩戸びらき大神事」です。

この神事は一陽来復そのままに、たまりにたまった罪穢れを、キレイさっぱり禊祓いしてしまって新しい年を迎えようという意味があります。

ですから人形のお焚き上げにおいても、マイナスの要素を祓う効果が大きくなります。

ちなみに岩戸びらきというのは、「古事記」に登場するエピソードに基づいています。

弟神、素戔鳴尊の乱暴狼藉を嘆いた天照大御神は天の岩屋にお隠れになり、高天原は闇に閉ざされてしまいます。

一計を案じた神々は岩屋の前でお祭りを行ないました。その賑賑しさに心惹かれ、天照大御神が岩戸を開いてお出ましになったため、高天原は再び太陽の光を取り戻しました。

お気づきのように、この物語は一陽来復の働きそのものを表わしています。天照大御神が岩屋にこもったのも、禊祓いを行なったと考えることができます。

禊によって天照大御神が高天原の主宰神としての本性を、よりいっそう発揮し始めたと受け取ることができるでしょう。

一方、夏至は陽のエネルギーが極まって陰に転じる日です。

この日をターゲットに日の本随一の武の神・鹿島大神が鎮座する鹿島灘(茨城県)で行なわれるのが、「鹿嶋海原びらき大神事」です。

この日は、これから半年の陰の季節を乗り切るために、充分な陽のエネルギーを取り入れる意味があります。

したがって、人形のお焚き上げもプラスの作用を補充する効果が高くなります。

このように、同じ人形のお焚き上げでも、天の仕組みから見ると微妙に異なるのです。

鹿嶋の神事の後には、体中にみなぎるやる気と元気を、伊勢の神事の後には生まれ変わったような爽快感を、あなたも是非体験してみてください。

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「お焚き込み」で、書いた瞬間から神力発動

人形の神力は、お焚き上げを行なうことによって最高に発揮されます。「では、六月と十二月の神事の直前以外は人形を書いてもしようがないのか」というと、そんなことはありません。

お焚き上げの前からすでに証の出るケースが続出しているのです。極端な例だと、書いた瞬間にもう体や心がスッキリしたり、願いがかなったりすることがあります。

これは、前にも述べたバーチャル・ヒーリングの効果によって、悩みや邪気や葛藤が本人から人形に移ってしまうからです。

しかし、人形がただの紙のままなら、そういう効果はゼロでなくともそれほど大きくないでしょう。

ワールドメイトの人形には、バーチャル・ヒーリングの効果を確実なものとし、書いた瞬間から神力が顕現するように、深見先生のお取次ぎによって全ての人形・形代に神徳を込めてあります。

そのために「お焚き込み」というものを行なうのです。

伊勢と鹿嶋のお焚き上げ神事の際に、会場の隅にはまだ書き込まれていない白紙の人形が何百万枚も積み上げられています。

お焚き上げの炎がまだ燃え盛るうちに、深見先生がその神宿る炎を大松明に移して、白紙の人形の山にかざし、神力を込めます。これがお焚き込みです。

ワールドメイトで皆様にお配りしている人形は、すべてお焚き込み済みのものばかりなのです。

なにしろすでに神徳の宿った人形ですから、書いた瞬間から功徳が発揮されます。年二回の大神事を待つまでもなく、一年中いつでも書きたいときに書いて、すぐに神力が顕現するのです。

また、書いた人形をすぐにワールドメイトの総本部である伊豆の皇大神御社に送っていただければ、毎月一日に行われる朔日祈願祭や、毎月三日、十三日、二十三日に行なわれる九頭龍祈願祭でご祈願をして頂けます。

その度に皇大神御社に座す御親元素大御神様をはじめとする救済の神々様や九頭龍大神様の御神徳が注がれるのです。

ですから、お焚き上げまでに時間があればあるほど、ご祈願の回数が増え、人形に宿る神徳・霊徳が凝結力を増していきます。

そして、人形に名前を書かれてある方々の厄災がより強く祓われ、授かる強運もそれだけ大きくなるのです。

そういった積み重ねのクライマックスとして、年二回の大神事でいよいよ総仕上げのお焚き上げを行ないます。

ですから、一つの人形に原則としてお焚き込み時とお焚き上げ時の二段重ねで神力、神徳が込められ、早めに送って皇大神御社の祈願を受けた場合にはそれ以上の功徳が与えられるのです。

こうやってワールドメイトの人形の一枚一枚が、幾重にも神徳を授かったスーパー開運アイテムと化しているのですから、その神力が絶大なのも当然なのです。

ましてや本人が「鹿嶋神事のお焚き上げで絶対にこの願いをかなえるんだ!」という強い祈りと共に人形を書けば、その思いが神霊界を動かします。

神霊界には想念によって作られたバーチャルなイメージを具現化する作用が働いています。

ですから、本人が鹿嶋や伊勢の大神事に、すでに参加したつもりになって人形を書けば、現実にそれを行なったのと同じ効果が、人形に現れ始めます。

その結果、書いた瞬間からお焚き上げをしたのと同様の現象が起きる場合もあるのです。

もちろん、そのためには本人が日頃からどれだけ神様へのまことを貫いているかが問われますし、願いの内容にもよります。

ただし、すぐにはかなわない大きな願いでも、書いた時点からその人を取り巻く目に見えない世界が、どんどんプラスの方向へ変わっていくのは、まぎれもない事実なのです。