こどもを持ったら読む本(Vol.2)

はじめに

本書で私がお伝えしたいことは、全国の奥さん、子供を持つ母親の皆さんに、どうやったらより幸せになっていただけるか、というポイントだ。

別に日本人に限りはしない。ヨーロッパでもアラブでも通じるポイントだと思っている。

そういう趣旨で、私はあちらこちらで「チャーミングミセスセミナー」を開いて、母親の皆さんにお話しを聞いていただいてもいる。

いつも大盛況でありがたいことだが、こういうセミナーをやって楽しいことのひとつに、小さいお子さんたちとの触れ合いがある。

私は予備校の経営にも携わっているので、小学校以上の世代とは日常的に触れ合うけれど、小さい子のありようを眺められる機会は、大変ためになる。

これも結婚せずに修業に打ち込んでいる私に、神様がごほうびとしてくださってる運ではないかと感謝している。

お母さんたちに集まっていただくと、かなりの方がお子さんたちをお連れになる。当然にぎやかになる。

子供たちは私の講演している壇上に何人も平気で上がってくるし、講義している黒板には落書きをする。

中には、私の演壇の上のジュースを堂々と会場の皆さんの前で一気飲みしたりする子までいる始末である。

でも、まことに頼もしい限りだ。ところで、子供達に対して、スタッフのメンバーはいろいろ考えて、おもちゃとか、ともかく彼らをある程度おとなしくさせておくための工夫をする。

それもスタッフの修業であり、一石何鳥というものだ。

会場では、講演する私はヘッドホーンをし、お客様には同時通訳に使うイヤホーンを付けていただいて、子ども達がどんなにさわいでもよく聞き取れるようにしている。

もちろん、全て無料だ。(私の主宰するワールドメイトでは、セミナーは全て無料)

セミナーでは参加者から質問を受けつけるが、たまに子供さんからの質問もある。その中にも、どっきりするようないいところがあったりするから、これもいい勉強だ。

一度、うんと小さい子の質問で、こんなのがあった。関東のセミナーだったと思う。「神様はいつ寝るの?」

読者の皆さんは、答えることができるだろうか。

正解は、神様は寝ない、だ。神様は不眠不休なのである。なぜかと言うと、肉体がないから、ずっと起きっ放しでいらっしゃる。

一年三六五日、一日イヤ一時も休むことなく人々の幸せのためにお働きになっている。それが素の神様(神々様の親神様-宇宙創造の神様)の願いだからだ。

高級神霊界では疲れるということがない。イヤ、むしろ、愛をいっぱい出せば出すほど素の神様からのごほうびとして歓喜を与えていただけるので、ますます元気いっぱいになられるのである。

それから先ほど、日夜休むことなくと言ったが、そもそも神霊世界には、昼とか夜とかというものがない。この世とは根本的に仕組が違うのである。

だから神様は寝なくても大丈夫というわけなのである。こういう基礎的な知識を恥ずかしがらずに聞いてくるから、子供さんは楽しい。

話は横道にそれたが、本書では、子供を持つお母さん方のさまざまな悩みに答えていきたいと思う。子育ての悩み、夫の悩み、家庭内の様々な悩み・・・・・・

それではいよいよ本題に入っていくことにしよう。

深見東州

第一章 子供の運命と親の関係

夫婦の不仲はこんなに多い!

結婚したての人には水をさすことになるかもしれないが、まず結婚生活のおおかたの実態を見ていただこうと思う。

皆さんの中には、結婚のお祝いにかぼちゃの絵か何かと一緒に「仲よきことは美しきかな」などと書かれた額をもらった方もいらっしゃるかもしれない。

しかし、仲がよくて美しい夫婦というのは稀で、醜いとまでは言わなくても、普通の夫婦はどうかと言うと、大体、昔から仲が悪い。

「えー、ウッソー!」と言われるかもしれないから、実例を示そう。

私が主催するセミナーで次のような質問があった。

「結婚歴八年で子供も三人いますが、主人とは日常生活でも、私のやっている信仰でも、全く意見が合わず、どう考えても、主人とはうまくやっていけるとは思えません。近い将来、離婚をしようと決めています。全く性格の違う主人だからこそいろんな事を学ばせてもらえたし、緊迫した生活であったからこそ、主人よりも神様を求めることができ、私にとってプラスだったと思いますが、別れる決意でおります。いつ、離婚に踏み切ったらよいのでしょうか。いまのこの苦しい生活の中でも十分に修行させていただき、神様にゴーサインをもらってから次のステップへと進みたいのです」

この質問を寄せられたのは関東のSさん、三六歳の方で、まだお若い。それで三人もお子さんがいるというから、いまはやりのセックスレス夫婦でないことは確かだし、いわゆる「子はかすがい」の効果もなかったのか、ということになりそうだ。

まだまだあるミセスの離婚願望

そんなマンネリ夫婦と私たちは違うわよ愛し合っているんだから、と反論が返ってきたら大いに結構だ。しかし、不仲の夫婦はまだたくさんおられる。紹介を続けよう。

「子供にとって離婚はよくないことなのでしょうか。努力して、妻として母として過ごすことと、別れて母として頑張ることと、違いはあるのでしょうか。

再婚して幸せになっている友人を見ると、それもいいと思うのですが、子供にとって親が違うのはやっぱりよくないとも聞きます」

こう言うのはミセスだ。

同じような質問を、福島県のKさんからもいただいた。

「父親と母親の役割とはどのようなものなのでしょうか。母親は子供にとって安全なる場所となり、成長を促すとともに、やる気、意欲を出させるためにあるのでしょうか。

また、父親の役割とは、社会における生き方、目標、向上、発展を教えていくものなのでしょうか。いま、思春期、青春期における若者の性格形成もまた、幼児期か始まると思います」

結局別れたら、お父さんがいなくなるわけだから、別れたくてもやはり皆さん、悩んでしまっている。

別れたほうがいいか悪いかというのは一概に言えるものではない。ケース・バイ・ケースで、その人による。

しかし、既婚女性、つまりお母さんたちが集まるセミナーで尋ねると、離婚しようと思ったことがあるものの、子供をどうしようかというところで引っかかってしまう、と必ず半数以上の人がおっしゃる。そこでまず、そこのところから考えてみよう。

子供の成長に父親は必要か?

離婚すべきかどうかの問題の結論を出す上では、子供にとってはどんな変なお父さんでもいたほうがいいのか、いなくてもいいのかということが重要なポイントになる。

答えを出すその為にはこういう実例があるので紹介しよう。

ある女性のご主人正確には元ご主人はお医者さんで大変なインテリなのであるが、「僕はだめなんだ、だめなんだ」と言うのを、いつも奥さんが励ましていたということだ。

それでもこのご主人はノイローゼ状態が続き、奥さんも堪忍できなくて、とうとう離婚してしまった。離婚したのが子供が中1ぐらいの時である。

しかし、お母さんは仕事があるし、子供を育てなきゃいけない。

だが、子供は学校に行かずに登校拒否をするようになった。で、家にいる間中、お母さんにタックルし、投げ飛ばしたりする。子供にしてみれば、甘えていっしょにお遊びしているつもりなのだろうが、こんな家庭の状態に前より一層疲れ果ててしまった、と彼女は悩むのだった。

だから、別れるんならうんと早く別れるか、子供がもう少し大きくなってから別れたらよかったのだ。結局、いつ別れたらいいのかということだが、基本的には、子供が小学校の低学年か、高校生になってからがベストだろう。中学生の頃は多感で傷つき易いと考えた方がよい。

しかし、どんなお父さんでもやっぱりいたほうがいい。とくに男の子の場合は体が大きく、お母さんのパワーじゃ抑えきれない。

女の子の場合はまだましかもしれないが、この家庭の場合は、ノイローゼ気味の御主人の世話に疲れ果てたとしても、男の子には、やっぱりある程度大きくなるまでお父さんの存在と、迫力と、パワーが必要だったであろう。

お父さんが無茶苦茶な場合は、「お父さんが大変だから頑張ろうね」と、母と子供と協力体制が組める。

母子二人だけというのは、呼吸は合うかもしれないけれど、やっぱり欠落しているものがある。だから、無茶苦茶なお父さんでも、いないよりはいたほうがいい。

お父さんのせいで歪むこともあるだろうが、いないよりはいたほうがいいのである。

いれば、「歪んだお父さんはだめだ」という反省が残る。「あんなひどいお父さんはもう嫌だから」というのがなかったらいいも悪いも判断できない。

反面教師にもできないし、教師にもできないわけで、その分だけ、未開拓の子になってしまう。

だから、基本的には父親はどんなに欠落があってへんてこでも、子供にとってはいたほうがいいということになる。

子供から見た父親との関係を四柱推命で観ると・・・・・・

生年月日で一生を占う四柱推命では、その人の生まれた時間、年月日に、それぞれ意味があり、父親に対する意識は生まれ年で観ることができる、とされる。

オギャーと生まれた日にちが、その人の人格、人間性。生まれた時間が晩年運とか子供の頃の運。生まれた月が母親との関係で、生まれた年が父親との関係。

そのように自分の生まれた年、月、日、時間の四柱の関係でお母さんとの関係、お父さんとの関係、子供との関係、あるいは晩年運はどうなのかを観ていくのが四柱推命である。

これによってお父さんとの関係がよくないとか、お母さんとの関係がよくないとか、子供との葛藤があるとかを観ることができる。時間との関係が悪かったら晩年が寂しいとか、子供の頃がよくないといった具合いだ。

父親とよい関係だと上司運にめぐまれる

自分とお父さんとの関わりは、社会に出たら上司との関係に反映する。

たとえば手相家の西谷泰人)さんは、お父さんと本当に仲よしである。その西谷さんに面白い話しがある。これは西谷さんのお父さんから聞いた話だ。

大学の1年生の時に西谷さんは手相研究会に入って、ある時お父さんに手紙を書いた。それを読んだ時のことを、お父さんは笑いながらこう私に語った。

「いやー、うちの泰人は面白い子でねえ、大学に入った時に手紙を寄こしてきたんですよ。それには「僕はお父さんに勝った」って書いてあった。

どういう意味かというと、「お父さんは社長だけども僕は会長だ、手相会の会長になった。だから僕はお父さんより偉い」と。そう書いてるんですよ」

こんな具合にお父さんと本当に仲よしだった。だから社会に出たら西谷さんは会社の上司、目上の人にいつも引き立てられてきたのである。

こんなふうに、お父さんと仲のよい人は、女の子も男の子も社会に出たら目上の人に可愛がられる。目上と本当に仲よくできるのだ。

反対に、目上の人といつもぶつかっている人、女性でも男性でも上司との折り合いがよくない人はまず一〇〇パーセント間違いなく、家庭を見たらお父さんとの折り合いがよくない。

家庭でお父さんとあまり仲よくなかった人は社会に出たら必ず目上の人との関係がうまくいかず、上司から疎んぜられる。

出世にしても仕事にしても、下からはい上がっていくよりも目上に引き立ててもらったほうが絶対に早い。でき上がったものをもらうんだからゼロからつくっていくよりは有利に決まっている。

もちろん、社会では上だけではなく、同僚と目下にもちゃんとできないとだめだが、やっぱり上司運は大事なのだ。

父親との葛藤の歴史が意識の中にある人は、同僚とか目下の人は可愛がるのだが、目上の人は苦手になる。

しかし、上の者への反抗心があるから、その反抗心をバネにして努力すれば相当の実力を身につけられるようになる。

つまり、父親の存在を反面教師として、「あんな父親なんかに負けるかーっ」と思って頑張っていく人と、お父さんと仲がよくて上司とうまくやっていける人との二つのタイプがあるわけだ。

しかし父親がいないとなると、上司との関係が何ともわからなくなってしまう。だから、子供の教育ということを考えたら、どんなへんてこりんな父親でもいたほうがいいのである。

中2から高3までは母親だけではむずかしい

とくに中2と、高1から高2ぐらいは、一般論として父親が必要だ。中学生というのは大体、中1の頃は明るい。

ピカピカの中1という感じだが、中2の頃ともなると中学にもなれて、とかくやんちゃになってきて迷う時期だ。

中3になると受験勉強が始まるので問題も少ないが、中2の頃は一番やりにくい。

それでもやんちゃ坊主でまだ体が小さい時はいいが、精神的には中2といっても体はもう高校生か大学生みたい早熟型の子供の場合、お母さんの手には負えなくなるケースが多い。さっきの例がそれだ。

それから高1の終わりぐらいになってくると、ほとんどお母さんの言うことは聞かなくなる。

私も、高校生相手の予備校の関係で、お母さんがたくさん相談に来られる。すると、皆さんこう言う。

「うちの子供がね、就職する就職するって全然勉強しないんですよ」

そうかなあと、私が子供に聞いてみると、彼は早稲田を目指して頑張って燃えている。

お母さん、話が違うじゃないですか、と言いたくなるが、子供に言わせると、こうなる。

「お母さんが期待して御飯を持ってくる、紅茶を持ってくる、コーヒーを持ってくる。栄養をつけなきゃって言うだろ、あれが嫌なんだよね。だからお母さんが部屋へ入ってきたらパッと勉強道具を片づけて、足をバーンと投げ出して漫画を読みながら「俺ぁ就職するんだー。俺ぁ」って言って、お母さんがいなくなると机の下からテキストを出して宿題するんだ」

この年代の子供にすれば、母親に干渉されたくない。自我に目覚める頃だから、いつまでも子供扱いされたくない。

俺は俺だと主体的に考えようとする。だから、早稲田へ行くんだと思っているのに、はたから「早稲田行くんでしょ、行くんでしょ。

頑張りなさい、頑張ってね。早稲田は大変だから頑張って」と言われると、「ああ、もうそれ言わないでくれ」となってしまう。自分でも大丈夫かなと思っているのに、周りから心配されればされるほど嫌になって反発するのである。

だからもうこの頃になってきたら、客観的にアドバイスしたほうがいい。「早稲田はこういう傾向があるね、慶応はこうだね」とか「早慶だけが大学じゃないよ。お父さんが出ている法政大学の二部ってのはいいよ。立命館大学の二部もいいね。人間が逞しくなる政治家に多いじゃん、立命館大学は。

でも、ジャーナリズムを目指すな早稲田のほうがいいよなあ」というお話しができると、子供も「うーん」と聞く。

ほとんどのお母さんは、こういう迫り方ができにくいのは事実だ。だから余計に父親が必要、ということになる。

高校生は誰の言うことを聞くか?

この難しい年頃の子供が誰の言うことを一番よく聞くかというと、女の子でもそうだが、とくに男の子の場合は先輩の言うことをまず一番聞く。

二番は友達で、三番目くらいがお兄さん的な塾の先生か家庭教師の先生。四番目くらいが学校の先生。五番目がお父さんで六番目が近所の子。

七番、八番、九番にラジオだテレビだ背後霊だときて十番目くらいにお母さんとなる。これが健全な男の子だ。

異常な子は、とにかくお母さんお母さんで、お母さんの言うことなら何でも聞く。

大学受験に行く時もお母さんがついてきてくれなきゃ困るし、入学式に行く時もお母さんと行く。卒業、就職の試験の時もお母さんと一緒。結婚する時もお母さんに相談して決めてもらう。いわゆるマザコンである。

子供が高校生になったら子離れせよ。親の仕事は可能性を与えるだけ

健全な男の子なら高校の頃はもう、自我に目覚める。大体一六歳前後だ。この時に前世の自分が出てくる。

男性は、二八歳くらいまでに前世の自分があらわれてきて、三〇歳で大体でき上がる。つまり、前世につちかった自分が出てくる。

親の責任としては、それまでに躾とか教育をある程度していればいい。

御魂の個性や特性は厳密には二~三歳から出ているが、本格的にはこの時期から出始めるのである。

ところで、離婚問題の前に大事な問題として、子育ての問題の結論がある。

どういうものかと言うと、ある学者さんがどのように育てれば子供が立派になるのか、偉大なる素晴らしい子供になるんだろうか、その教育方法には鉄則があるに違いないというので研究した。

その結論は何かと言うと、そういうものはないという結論だった。大変参考になる話だ。

ある人は大変厳しい環境で育ったからそれがよかったと言い、ある人はその厳しい環境があったために萎縮してだめになってしまったと言う。

また、子供の頃から両親に英才教育を受けたので、ピアニストなら中村紘子とか、作曲家ならモーツァルトとか、あるいは野球なら掛布とか、ああいうふうに英才教育が実ってよかったんだという場合もある。

一方、今度はあのベートーベンの父親みたいに、飲んだくれで暴力的でもう「ベートーベン、ピアノ弾け」と言っては酒飲んで、ぶーぶー文句を言っていたお父さんが最高の教育だったというケースもある。

放ったらかしにしていたのでかえって子供が興味を持って好きにやれて立派になったケースもあれば、英才教育で大成したということもある。

また、戦争の頃に大きくなったので逞しい経営者になったという人もいれば、戦争の時期に育ったので悪の道を覚えて、やくざの親分になって射殺されたという人もいる。

反対のケースが全部ある。だから子供が立派になるための教育方針には一定のルールはない、人が立派になるプロセスはわからない、ということが結論だったのである。

これを何年もかけて研究して、証明した。

だから言えることは、子供は先天の運で育ち大きくなるということだ。親は可能性を与えてあげるだけだから、自分の好きなように育てたらいいのである。

子供を音楽家に育てる英才教育法

というわけで、世のお母さんたちは、大いに肩の荷が軽くなったはずだ。子供が天才になろうがなるまいが、それは天賦の運。後は、自分の好きなように育てたらいいのだ。

それでは、どう育てたらいいか。まず、音楽家にするやり方からご教示しよう。絶対音感というのがある。

ドレミファのドといったら、正しい音は一つしかない。英語では音、日本語でハ音だ。一点ハ、つまりピアノの大体真ん中あたりのドの音を正しく発声できる、

また聞き取れる。もちろん、他の音も聞き取れる感覚、これが絶対音感だ。これがしっかりしていないと、クラシック系のプロのミュージシャンになるには、絶対的ハンディを背負ってしまうことになる。

絶対音感は三歳までにでき上がると言われているから、まずお母さんかお父さんが音楽教育をしたらいい。

思いきって。ただし、親御さんが絶対音感を持っていればの話で、そうでないと親譲りの音痴が生まれることになる。

ともかく「これは最高だ!音楽のために生まれてきた子だから、私の子は音楽家になるんだ!」と信じて、音楽教育をすればいい。

大きくなってきて、一六歳前後になってくると、自分の先天の御魂が出てくるから、子供はその声に引かれて「私は絵をやる」と言って、関係ない道に行くかもしれない。

「私はサッカーだ!」と言って、サッカーの道に行くこともあるだろう。「私は外国へ留学をする!」と、音楽と関係ないところに行くかもしれない。

すると大体の場合、親は「ああ、音楽家になってほしかったのに」というふうにがっかりする。

読者のお母さんたちも、そうだったんじゃないだろうか。親の期待に外れたような子供、希望どおりにいく子供もいるかもしれない。だけど、趣味として音楽を聴くだけでも、また音楽教育をしたり、ピアノを弾くだけでも、絶対音感がある人は幸せだ。

まあ、絶対音感がなくて相対音感があったほうがいい場合もあるかもしれない。またドレミファが、全部ファの音なんてのも、一概に悪いとは言えないが……。

ミソラシドファミレドを聴いてもドレミファソラシドに聴こえ、レミファソラシドもドレミファに聴こえる。これはチョット問題だと思う。絶対音はともかく、音程だけはしっかり取れるほうがいい。

そうであったほうが本人も喜ぶ。また本人が、「ああ、音楽家になりたいな」というふうに先天の運で一六歳の頃から興味をもってきたら、「ああ、小さい頃、お父さんが英才教育してくれて、絶対音感をつけてくれてよかった」と感謝される。

そうでない時には「ああ、音楽とは無縁だったんだ」と諦めればいい。

子供は最終的には、自分の先天の運のままに育ち、大きくなって、その方向へ進む。親の思いどおりにはいくものではない。だから親は、可能性を広げてやるだけでいいのだ。

幼稚園を選ぶのでも、伸びやかにやる幼稚園がいいのか、ごりごりに勉強、勉強の幼稚園がいいのか、どっちにしたらいいか悩む人がいる。

そんなのは、自分がいいと思った幼稚園に行かせたらいいのだ。ただし、幼稚園に行くと本当に人づき合いがよく、コミュニケーションもよく、協調性があるけれども、落ち着きのない子が育つ。

だから、渡部昇一さんなんかは「幼稚園に行かせないほうがよかった」とおっしゃる。

小学校までゆっくりと育てたほうがいいと言うのだ。

英才教育は六歳までに、素直な性格は三歳までに

大体、六歳で頭脳の九割までできる。だから、この時期までにいろいろなものに触れさせて、いろいろな遊びのなかで、勉強させるのが望ましい。

英才教育にしても、ギルフォード方式なんていう方法では、九十幾つの類推力とか数値力とかの勉強をさせる。六歳までに頭の働きの基礎ができるのだから、こういう方法が有効なのである。

反対に言うと、六歳以降に始めても英才教育にはならないということでもある。

しかし、子供の性格の基礎はもっと早くにつけられる。三歳までには基本的躾はやっておかないといけない。

三歳くらいまでは、自分の思いが通らないと何でもかんでも、「ギャーッ!」と泣くその時にお母さんが何でも聞いてくれると思うと、そういう性格の子ができてしまい、それから悩んでも遅い。

大きくなってしまった子は、言って聞かせて納得させ、少しずつ教育するしか仕様がない。

だから素直な子に育てるには、三歳までが勝負だ。物心がつくまでに、何でもかんでも思いは通らないし、泣いても聞いてくれないと教え込まなければいけない。

「ギャーッ!」とやってもおんぶしてやらない。「あれほしいー!」と言っても、「ダメ!」。そういうふうに、自分の思いは通らないということを体で覚えさせるのである。

そうやって躾けられた子供は素直になる。正しい教えを「はい」と聞くようになるのである。

いま、電車に乗っても、子供が「うぇーん!」と泣いたら、「ハイハイハイハイ、わかりました、わかりました」となだめる親がすごく多い。

こうして、泣けば何でも通るというわがままな子が三歳までにでき上がるのだ。

「三つ子の魂百まで」というのは、こういうことを言う。一歳児の魂百までとも、二歳児の魂百までとも言わない。

やはり「三つ子の魂百まで」が本当で、三歳で性格は大体、決まる。この時期までの躾を、お母さんは本当にしっかりしなければいけない。

けれど、三歳までは子供は可愛い。そこでいきおいお母さんは、「カワイイ、カワイイ!」「あー、よしよし、いい子いい子!」と甘やかす。

この可愛いさは子供の武器で、その武器にやられて、刺されて、お母さんがしまいに泣きを見ることになるのである。言うことを聞いてやって、どうしようもないわがままな子をつくってしまう。

前にこういう質問があった。

「お母様と言いなさい、と言うのに、子供はデブデブとか、ガボガボとか言うんです。これ、何とかなりませんか」

「いいんじゃないんですか、それで。大きくなったら恥ずかしくなって、そういうことは言わなくなるから。言えば言うほど反抗して言うから、気にすることないですよ」と、私はお答えした。

でも結局、子供を素直な子に育てるのはお母さんの責任なのである。

親が子にしてやれる最大の贈り物は?

親として、子供にやれる一番大きな贈り物、それは家でもなければ、財産でもない。それは可能性だ。可能性を与えるということは、三歳までに素直な子に育て上げることだ。

素直な子は目上から可愛がられるし、先生からも可愛がられる。守護霊さんからも可愛がられるから、すべてうまくやっていける。

だから、「三歳までに、素直な「子に躾てやる」ことに勝る贈り物はない。

素直にしてやって、そのあとどうなるかは、その子の先天に関わることだ。放っといても、御魂はひとりでに一六歳から出てくる。

そうなったらもう、お母さんの言うことはとくに聞かない。それでいいのだ。

高校生になっても大学生になっても、何でもかんでもお母さんの言うことを聞く子供はどうなるかと言うと、卒業してから毒ガスをつくったりする。

あの毒ガスをつくった子というのは本当に優等生で近所の評判がよかったから、あとで反動がくるわけである。

何でもかんでも体制側の言うことを聞いてきた人というのは、何かそうじゃないことをやってみたくなる。

バランスが働くのだ。誰にも、そういう人間の魂があるからだ。「静と動」「正統と動乱」、そういうバランスがある。

いずれ、子供というのは親の思い通りにはいかなくなる。もう一回縮小しておなかの中に戻せたらどんなにいいだろうと思うかもしれないが、出たらもう仕様がないのである。

お母さんたちは、そう割り切らなくちゃいけない。

神様と人間の関係も同じようなもので、神様も人間を生んでしまったらあとは仕様がないのである。

神様のほうも、こりゃ困ったわいと、お母さんたちみたいに悩んでいるのだ。同じである。

だから、三歳までに素直な子に育て上げる。これが親が与える可能性であり、あとはもうその子が自分自身で成長して行く。

勝負は三歳までで、それからあとは、六歳までにいろんなものに活発に触れさせてやる。これで子供は大体でき上がりだ。

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教育は他人、躾は親の仕事だ。あとは気にすることはない
どう頑張ってみたって、教育というのはやっぱり他人様にしてもらう。その代わり、躾は親がする。この社会では「躾は親がして教育は他人様」ということなので、そうなっていれば親も子もうまくいく。

それを、躾をするべき時に「カワイイ、カワイイ」と躾けることを忘れてしまい、その代わりに教育ママになってしまう。

そういうケースが多すぎる。だからいびつになる子供が多いのだ。

躾がビシッとできてたら、子供はどこの教育現場に行ってもちゃんとそこに適応していくことができる。

「躾は親がする、教育は他人がする」と考えて、ちゃんと躾をすれば余計な心配はいらないのだ。

それを、躾けないで半端な教育ばっかりやってきたら、子供がいびつになってしまう。ちょっと、どこかずれてもくる。

素直な性格を育てるべき時に躾をせず、脳が発達する時にボーッと育てていたお母さんに限って、時すでに遅くなってから習いごとをさせるとか、急に慌てふためく。そういうことは、六歳までにすべきだったのである。

もっとも私の場合、習いごとなんて何もしなかった。

だけれども、神様のご守護や先天の運があったから一六一七の時に目覚めてきて、「ああ、自分の母親は自分を優しすぎる人間に育てたから、これを改めなければいけないんだ!」と、自分で気がついて苦労しながら性格を変えたのである。

その分、可能性が縮められているかもしれない。けれど苦労しながら乗り越えてきたし、「母親と父親が普通ではない親だったから、自分はもっと学ばねばいかんな」と踏ん張った。

「気分屋すぎたから集中力を磨かなきゃいけないんだ!」とか、「こういうことも習得してなかったから、人様と比べて足りないからやるんだ!」と一生懸命努力もした。

だから、そういう足りないような環境であったとしても、一六か一七の時に目覚めてきた魂の力がある子は、全部自分で努力して挽回することができる。

その魂の力と先天の運が弱い子は、親がどんなに素晴らしい環境を整えてやったとしても、へんてこなところへ行ってしまう。

だから、あんまり子育ては気にしなくていいのだ。

幼稚園の問題でも、進学熱心なところに入れようと、伸びやかなところに入れようとたいして変わりはない。この年齢になると、子供の好きなようにしかならないのだ。

それでも教育環境は選んだほうがいい

ただし、進学重視の幼稚園か、遊びを主にした幼稚園かくらいは知った上で選んだほうがいい。

周囲の環境が下品でガラが悪い地域の公立小学校はイジメがあるし、ま都会では公立小学校にはあまりいい先生がいないことが多い。女の先生ばかりで、しかも男の先生はサラリーマン的だったりする。

親に財力がある程度あれば、ちゃんと進学重視の幼稚園に行かせて、ちゃんとした私立の小学校に進学させたほうがいい。

ある程度豊かな家庭のお子さんが来ているし、ある程度財力のある人が通わせているから、教育環境の可能性としてはいいのだ。

公立小学校、公立中学の場合、荒れていないいい学校なら、そんなに無理をして、受験!受験!受験!と親が騒ぐこともない。

それで「何がなんでも、灘高へ行って!」という気持ちが強ければ行かせたらいい。ただし、行っても、またガスをつくったりするかもしれない。

要は親が納得するように育てたらいいのだ。自分がおなかを痛めて子供を生み、お金を出して教育するわけだから、誰に気を使うこともない。

子供はどの道、一六歳か変わるのだ。ある程度、希望どおりにいく人もいれば、まったく違うところに行ったりもする。

どうなるか、すべて先天の運次第だから、誰にもわからない。だから、繰り返すけれど、あまり子育てに気を使わないで思ったように育てたらいいということだ。

「それがよかった!」ということになる子もいれば、「それがダメだった!」という子もいる。それは仕様がない。