第二章 子供の能力を引き出す法
子育てに「勝利の方程式」はない!
オギャーと生まれた時に、人の運命の八割以上は大体決まっている。実はこれを知ることが子育ての基本原則である。
これをちゃんとつかんでいれば、余計な問題はまず起こらない。
前の章で書いたように、教育学者の研究からも、こうすれば立派な人間になる、という一つの教育の鉄則はないということは証明済みなのである。これを知っているだけで、ずいぶん気が楽になるはずだ。
自分だけが知らないでいる「子育て虎の巻」を他のお母さんが知っていたら大変だ、という疑心暗鬼がなくなる。
偉大な人になるためにはどうしたらいいかという、子育ての成功の方程式はないのである。
プロ野球でも「勝利の方程式」なんて当てにならないと言われているが、それといっしょなのだ。ここは大事なので、もういっぺん強調しておく。
英才教育の善し悪し
たとえば、両親が仲よくて、英才教育でピシーッと教育したために、素晴らしくなったという子供は、時々いる。
阪神にいた掛布選手とか、いま話題のオリックスのイチローこと鈴木一朗選手なんかがこのタイプだ。イチローのお父さんなんて、スポーツ新聞で「チチロー」と言われている。
これまた有名な「リエママ」さんの場合は、ああいう人に育てたことを英才教育と言えるかどうかわからないが、英才教育するつもりで父親と別れたことは確かのようだ。
娘さんは若いんだし、結論が出ているわけじゃない。しかしとにかく人気者になっているんだから、まあ成功した部類に入るだろう。
世界音楽史上最大の天才とされるモーツァルト、この人が受けた教育は英才教育の典型だ。彼の両親が仲よく、小さい頃からビシビシと英才教育を施したために素晴らしい演奏家、作曲家になったことは皆さんご存知のはずだ。
しかし逆に、両親仲よく、英才教育で小さい時からあまりビシビシやったために、反動でその子がおかしくなるとか、遊びに夢中になることもある日本てはこういうケースが割りと珍しくない。
だいぶ前だが、おじいさんが東大の教授で、お父さんお母さんも大学の先生という超高学歴家庭に生まれて、英才教育を受けたけれども、普通の成績しか取れない子供が家族を皆殺しにした事件があった。
その後、似たような事件が続いたから、覚えている方もいると思う。
これほど極端ではなくても、小さい時はよく親の言うことを聞いたのに、途中で親の言うことも聞かなくなった、とか、小さい時から教育してきたことを途中で投げて、全然違うところへ行ってしまったと悩まれるお母さんは実に多い。皆さんの周りでも、いくらでも見られるはずだ。
だから、英才教育でビシビシやってよかったケースと、それが悪かったケースとがあるわけだ。
放任主義も善し悪しだ
それでは逆に、放任主義が絶対いいかと言うと、自由放任にしていたために伸びやかに生きて、その人のよさを発揮した、素晴らしくなったという人がいる反面、野放しだっために、勉強すべき時にしなくて、社会の規範から外れてしまって、へんてこりんな人生になってしまうこともある。
やっぱり成功する場合と失敗するケースがあるのだ。
母親一人に育てられる場合でも結果は別れる。環境の善し悪しは関係ない
最初に紹介したような、バツイチでお父さんがいなくて、お母さん一人でずっとやってきた家庭であっても、そうなったために、子供が「お母さんお母さん」でマザコンの、なんか冬彦さんみたいな子になってしまうこともあるだろう。
しかし逆に、お母さんが一人だったから僕は頑張らなきゃいけないんだということで、子供がすごく努力して成功する例は多い。
日本の立志伝中の人物の中には、お母さんが一人で頑張ってるから、あのお母さんのために頑張らないかん、ということで大物になった人は本当に多い。
いっときはマザコンだったけれども、社会に出て磨かれて、「今度お母さんを大事にするからね」という親孝行な息子になって、よく仕事ができる子になったというケースもある。
母一人での子育ては環境としてはきついが、だから失敗するとか、子供がだめになるということではない。だから私は、環境を気に病むなと言うのである。
環境は子育ての結果には関係しない
戦争は子育てにどう作用するだろうか。前の戦争の時は、お母さんたちは食べるものもなくて、うんと苦労された。戦争でお父さんをなくされた方は多いし、子供にも母親にもすごく悪条件だったことは間違いない。
しかし、戦争中の劣悪な環境に生まれてきた場合でも、逞しく育っていった子と、貪欲でごうつくばりになった子がいるわけだ。
また、兄弟がいっぱいいたほうがいいかどうか。兄弟が多いと、磨かれて成長する場合もある。反対に、何番目か以下の子供の場合、親に相手をしてもらえなくてぐれてしまうケースもある。
また、親の口が煩くなかったためにポーンとよくなってしまったという人もいるだろう。
兄弟の数ひとつでも、多かったのがよかったというケースもあれば、一人当たりの教育費が行き渡らなくて、みんな中学か高校までしか出せなかったというケースもある。
お兄ちゃんと弟と同じように育てたんだけれども、お兄ちゃんは抜群に優秀で、弟は全然だめというのは愚弟賢兄と言うのかどうか。
だが、反対に愚兄賢弟という言葉もあるくらいだから、全然参考にならない。
サッカーの選手だと、三浦カズ兄弟に柱谷兄弟、ノルディックスキーの荻原兄弟みたいに兄弟とも優れた才能を開かせることもある。
つまり、子供が立派になるかどうかは、環境一般によるのではないのだ。どうしたら立派な人間とか、素晴らしい子供が育つのかと言ったら、前章に述べたとおり結局、その子の天命だ。天命に合った人生を歩んで行くので、あまり気にせずに育てたほうがいいということになる。
その子を育てるのは神様だというのではない。天命のまにまに、その天命を持った者がすくすくと伸びていくのだ。
親がどんなにやっても、やっぱりその子の持ってる先天の方向へグーッと引き寄せられて、思春期になったら自分の本性、生まれて受け魂の内なるもののとおりに行くのである。
音楽教育で高い目標を持つなら?
音楽教育については、一章で触れたように大体三歳ぐらいまでに絶対音感ができる。
それでも最近の研究では、年をとってても音楽教育をすると音感が発達するというふうに言われていて、いままでの説が覆されてきている。
少なくとも、ドレミファソラシドーと聞いて、「あ、この音は固定ドだ」とすぐ聞き取れるくらいにはなる。
その絶対音感がないと指揮者にはなれないし、ピアニストとしても、きちんと演奏できない。大体三歳までにピアノを習わせるなど音楽教育をしてやると、絶対音感ができる。
けれど、絶対音感をつけてやるだけならもう、日本中の親がやっていることだ。
いま、日本の子供たちの半分近くは、小学校までにエレクトーンとかピアノを習わせてもらっている。この程度では、親としてあまり芸があるとは言えない。
もう一段進めるためには、たとえばクラリネットを大家について本格的に習わせるなんていうのがいい。
なぜクラリネットかと言うと、クラリネットは一番低い音がシから始まるからだ。
シドレミファソラシと行くので、そういう相対音の楽器になってくると、かえって絶対音感のある人はやりにくくなるので、競争率から言うとそこを越えることができればプロの音楽家になる道は近いとも言える。
しかし、一応、親が音楽に興味を持って、子供に音楽家になってほしいと思っているのなら、エレクトーン教室、ピアノ教室止まりではだめ、ということだ。
それでまず、絶対音感をつけてやる。それで子供が音楽のほうに進んでいければ、お母さん、ありがとうと感謝される。
でも、一六、七の時にグーンと絵の道に行ったら、それまでの音楽教育はあまり役に立たない。でも、趣味程度で音楽をやるにはいい。
どの道に進むのもそれは子供の自由で、音楽教育を施したことが喜ばれる時もあり、もっと絵をやってくれればよかったのに言われることもあるかもしれない。
それは本人の選んだ方向だから仕方がないが、しかし、お母さんには音楽家にしたいという悲願があったわけだから、それでも構わないのだ。大いにそれをされればいい。
でも、本心から音楽家にしたいのなら、書いたようにクラリネットを本格的に大家について習わせるなど、より高いところを目指させる道はあるということだ。
音楽の好きなお父さんだったら、子供五人ぐらいで四重奏、カルテットをするために、上の子にはヴァイオリン、次の子にはビオラ、下の子にはチェロを習わせるなんていうのも、すごくいい。
そしてお父さんがピアノを弾いて、四重奏とか五重奏をなさったら、本当に素晴らしい。
できるかどうかわからないけれど、できなくたってかまわない。家族で努力することは尊いことで、無駄になるということはない。
しかし、その家族の一人ひとりにそういう天命、胸突き上げる御魂の叫び、本性があるのであれば、しかるべき方向に守護霊さんもちゃんと導いていく。
天命とは?
天命とは何か。よく間違える人がいるので、少し説明しておこう。
天命とか天職というのは、会社の経営をするか、芸術家でいくか、技術でいくか、という程度に大ざっぱにしか決まっていないものだ。そんな程度なのである
どこの会社に入っていくのが天命かとか、技術畑の中で、電子のほうなのか、機械のほうなのか、その電子も、弱電のほうなのか、宇宙工学のほうなのか、どっちが天命なのかなんていうことまでは決まっていない。
だから、私が神様に聞いても教えてもらえないのだ。そんなのは天命とは言わないのである。
だから、芸術家でいくというふうに決めたら、音楽系統だとしても、ヴァイオリンか、ピアノか、ビオラ、チェロか、ハーブかと悩むこともない。
芸術家でいくとしたら、楽器は何でもいい。自分がいいなと思った楽器でやればいいのだ。人の縁によって途中で変えていってもいい。そんな細かいことまで天命と考えたら道を間違う。
天命かどうか悩む人に
会社の経営をしている人が、私の天命を教えてください、といって見えたりすることがある。私はこれが天職なんでしょうかと言うのだ。
「もしかしたら、いまやって豆腐屋は天職じゃなくて、天職は鰻屋なんじゃないでしょうか」という風にである。
それは、天職か天命かと聞くほうがおかしいのだ。神様に聞いたって、どっちでも同じだと言われる。豆腐屋だろうが鰻屋だろうが、会社の経営してるというのは要するに経営者であって、芸術家でもないし、技術者でもない。
会社の経営をしてるというところに天命が入ってるわけだ。サービス業の会社のほうがいいのか、そのサービス業でも、どういうサービスが天命か、天職か。卸しが天命なのか、小売が天命なのか、そんな細かいことはどちらでもいいわけだ。
むしろ、そういう悩み方をする人の状態に問題があることが多い。
大体、会社の収益が上がって、会社が儲かってる間は、これは天職だと皆さん思っている。
ところが不況とか、あるいは自分が放漫経営をして、ゴルフとか異性のほうに興味を持ってしまっているとか、あるいはマーケットのニーズが変わっているのに対応が遅くなっているとか、会社の売上が創業一年ぐらいはよかったのに、二年目と三年目に業績が落ちてるという時に、「私の天職は何でしょうか」と聞きにこられるのだ。
そうではなくて、放漫経営を改めて市場のニーズをキャッチし、収益が上がるように余計な経費を抑えて、利益が上がる努力をしたらいいだけだ。
それを天職かどうなのかというふうに議論を持ってくるのは間違っている。
天職が会社の経営者であるような人なのだから、これが天職だと構えて、利益が上がる努力をしたらいいのだ。
そしていま、ニーズに合致して売上が上がっていく商品を開発し、あるいはサービス業ならちゃんと収益が上がる経営のやり方の技術を勉強したらいいわけなのだ。
なすべき努力を怠って、天命とか天職にすり替えてはいけない。でも、よく陥りやすい落とし穴ではある。
ほとんどの人の天命はサラリーマンだ
よほど強烈な運を持った子であるなら、小さい頃からグーッとある特別な分野で才能を伸ばすこともあるかもしれない。
しかし、それはもう例外的な人で、ほとんどの男の子は八割ぐらいまでがサラリーマンになる。
そこから脱サラして自営業になる人はいるが、サラリーマンでいくのが天命か、自営業になるのが天命かと考えるのも意味がない。
芸術家ではないし、宗教家でもないだから、自立しようとサラリーマンであろうと、会社人という天命にある。そんな細かいことまで考えなくていいのだ。
男の子の場合、八割までがサラリーマンになっていくのだから、そういう方向に進むようになるんだと想定して教育方針を立てていけば、大はずれのことはあまりない。
それでも、お母さんが音楽に対して思い入れがあるとか、美術に対して思い入れがあるというのであったら、その思い入れどおり教育したらいい。
それでよかったという場合もあるだろうし、経営者になったとしても、その絵的要素とか、音楽的要素は趣味として生かすことができるし、その人を豊かにする。
お母さんが残していってくれた財産になるから、絶対無駄ではない。
一つ言えることは、サラリーマンになっていく中で必要なことは、チームワーク、思ったことははっきり言えること、体力、この三つだ。
これは躾としても、きちんとつけさせておいたほうがいい。
天命に見合った教育をするには
脳は六歳までにその九〇パーセントが完成する、だから、それまでに脳のあらゆる部分を磨こうというのが、ギルフォード方式の教育である。
このギルフォード式では、類推力とか数値力の訓練をやる。
だから、そういう幼児教育の教室があれば行かせてあげて、賢い子にすることができる。
しかし、どうしても職人さんになるとかスポーツマンになると言い張って、お母さんの言うことを聞かない子であれば、そういう教育はやめたほうがいい。これは自然の働きだ。お母さんが幼児教育を勧めて素直に行くんだった。
れでだめなものは、絶対動かない。魂の発動、好き嫌いというのは、ちっちゃい子でも持っているものなのだ。
躾は親、教育は他人、育成は神様がする
七歳とか八歳になってきたら、そうやって脳はでき上がってしまっている。
その前にまず、三歳までにわがままじゃない子に育てることが大切だ。素直な子というのは絶対に運がいい。
学校の成績もいいし、社会に出てからもいい。宗教家になったとしても得をしている。素直な子に育てるには、三歳までに、自分の思いは通らないものなんだということを躾けなければいけない。
躾は親がする、教育は他人がする、育成は神様がするという。
躾は親がする、これはわかる。教育は他人様である学校の先生か、塾の先生か、社会で他人がするものだ。
それでは神様は何をしているのか。太宰府の天神様は学業成就と書いた鉛筆を売ってるではないか。あれはただの鉛筆屋か、文房具屋か、と言うとそんなことはない。
それから先の育成は自然がする。神様がするのである。道は本人の魂が選んでいく。その方向に守護霊も導いていく。お母さんは、堂々と自分が育てると思っていればいいのである。
躾は三歳までに、体に覚えさせないとあとが怖い
躾の原則は何かと言うと、三歳までに自分の思いは通らないものなんだということを子供の体の中にしみ込ませてやることである。
いけないことをした時はなるべくタイミングよくバシバシとたたく。口で言っても小さい子にはわからない。七歳、八歳になって、言葉がわかるようになったなら、よーく口で言ってやればいいけれど、躾それでは間に合わない。
だから三歳までにパチンとしなければいけないのである。小さい時はこうやって躾けるほかない。
何だかわからないけれど「やられた、こうやっちゃいけないんだ」ということだけは残る。
こういうのは、体罰とは言わない。逆に、「僕ちゃん、そんなわがまま言っちゃいけませんよ」なんて、にこにこしているだけだと、本人は説教しているつもりでも、三歳前の子は何言われてるんだかわからないから、いよいよ大声張り上げて暴れる。午後の電車の中とかで、こういうシーンはいくらも見られるはずだ。
「人のふり見て我がふり直せ」で、自分のお子さんにはそうやってはいけないと、肝に銘じてもらいたい。殴られたからバットで殴り返すということは、七歳ぐらいの子供の頃はないけれど、そのまま大きくしてしまうとどうなるかわからない。
>欧米人の躾け方
さて、六歳までに一応脳が完成するが、脳みそが一番よく動くのは五〇代だ。
だか決して六歳で全部終わりではなく、延長戦がずっと続く。脳のコンピューターが、オフコンでいくか、パソコンでいくか、どういうふうにいくのかというポイントは六歳までにいろいろなものや自然に触れたり、いろいろなことを体験することによって決まる。
それから幼稚園について、進学系統の幼稚園に行ったほうがいいか、音楽教育重視のほうがいいのか、自由放任の幼稚園に行ったらいいのかということで悩んでいる母親がいる。
私は幼児教室もやっているから、一度相談にきてもらうのが手っ取り早い。
しかし、まわりの環境があまり進学熱心でなくて、と思う場合は、なるべく進学系統の幼稚園に行かせて、私立の小学校に進ませるようにしたほうがいい。
公立小学校でも、高級住宅街の中にある小学校のように、すごくいい小学校の場合はとくに無理しなくてもいいと思うけれど、公立の場合、荒れてるところが増えている。
その点やっぱり私立は日教組もいないし、何よりも先生の数が多い。一般的に言ってのことだが、公立校はサラリーマン的、悪平等的になっている部分があって、生徒一人ひとりのよさを引き出してもらえないのは、教育者として残念なところだ。その点やっぱり私立の学校は自分のポリシーを持っていて、いい先生、いい教育環境をそろえている。だけど、その分、私立は授業料が高い。親に経済力がない場合、私立に通わせるのはかなり難しくなる。
その時は、公立の小学校でも、もうちょっと環境のいいところへ引っ越しするとか、考えるべきだ。
けれども、親にそれだけの経済力があるかないかというのは子供の運で、ある程度の経済力があるなら、進学教育をビシッとやる幼稚園に行かせて、ちゃんとした私立のいい小学校に行かせたほうが、絶対に子供は才能を開く。
いずれ一六、七になった自分の道を行くのだが、それまでやっぱり、いいお友達、いい先生方に恵まれた素晴らしい環境の中に置いてやれば、子供の可能性をより広げてあげることができる。
これはやっぱり、親だけができることだ。
躾け損なったらどうするか
「それはよくわかったんですけど、うちの子はもう大きくなっちゃって、わがまま放題なんです。どうしたらいいんでしょう」という人もいると思う。
はてさて困った子供をつくってしまったものだ。
男の子で大きな子ともなると、中学の1、2年でも一七〇センチぐらいの子がいる。お母さんは一五〇センチ代で、二〇センチも子供が母親を見下してるというケースは、ちっとも珍しくない。
そういう、すでに時機を逃してしまった場合はどうしたらいいかというと、言葉丁寧に何回も何回も言って聞かせるしかない。
だが、決して叱ってはいけない。その子をほめながら言って聞かせるのだ。「ほめて育てる時代だ」などとよく言うが、我の強い子になった場合、もうそれしか仕様がない。
躾のタイミングを逃してしまった場合は、どうやっても難かしくなってしまうが、このほかに、子供が寝ている時、背中によく言ってやるというのがある。
背骨にその人の潜在意識があるからだ。背後霊も背中に来るくらいだ。
その子が寝てる間、背中をさすりながら、「あなたはね、こういうふうにわがまま言うけどね、こうしなきゃいけない、ああしてはいけない」と語りかける。
起きてる子供には効かないのだから、せめて潜在意識に働きかけるしかない。
そうやって、子供が寝てる時に背中にずっと語り続けると、少しずつ変わっていく。
これは、躾のタイミングを逃してしまった場合であって、決してベストのやり方ではないが、参考にしていただきたい。
プロポーズするなら背後から
私は塾で、子供に注意する時は背中から言え、と先生たちを指導している。
授業してる時でも試験の時でも真っ正面から注意すると、子供は「ウーン」と言うけれど納得しない。
ところが、教室の中を先生がぐるぐる回って、後ろのほうから「君ね、こうだからちゃんとしなきゃだめだよ」と言ったら、「うん」とか「はい」とか納得し返事が返ってくる。
大体、後ろとか斜め後ろから丁寧に言われると、人は「はい」と言う。これは教育を長くやってきたことによって知り得た、語りかけのテクニックだ。
女性にプロポーズする時もそうだという説がある。
真っ正面から「結婚してください!」と言われると、「ウーン」と考えるけれど、斜め後ろから「僕はあなたなしではいられないんです」と言われたら、「ああ、そう」と、思わず肯定的な返事をする傾向があるという。
神社でも、御神前でも、「正中」といって真ん中をさける。サルでも、目を見ると怒る。犬も目線を避ける。
それで、背中をさすってやるとおとなしくなる。躾け損なった子供は、言っては気の毒だが、そういうように接するしかない。
背中に語りかけよう
寝ている間に、その子の背中をさすりながら「こうなんだ、ああなんだ、こうなんだ」と、一つずつその子の間違い、思い違い、きかん坊のところを言ってやる。
よく神様にお祈りをして言霊の力をつけて、「あなた、こうなのよ」と毎日言って聞かすと、知らないうちに潜在意識から変わってくる。
何となく「うん、そうだな」と聞くようになる。
神社でお祈りする場合、二一日祈願というのがある。二一日間かけてお百度を踏むのだ。
背中アプローチも二一日間、毎日百回ぐらい子供に言うと、その子の魂、御魂、潜在意識は、言うことを聞くようになる。
このようにやれば、その子を守っている守護霊さんも、手伝ってくれるようになる。
ただし、強い念力で「こうだ!」と信じてやらなければあまり効かない。「ああなるのかしら、こうなるのかしら」と迷いながら言ったのでは通力は出ないから、「絶対にこういうふうにしてくださいね」と神様にお願いして、「あなた、こうなるのよ」と言いながら、このままでは将来困るじゃないのという思いを、背中をさすりながら潜在意識に入れる。
そうすると一月ぐらいしたら顔が変わる。目がつり上がってたのが、小さい時の寝顔のようになってくる。
実に不思議と言えば不思議だが、親の愛の力だと思うと、感動的でもある。
子供は大人ほど体力がないから、強い念力で繰り返し繰り返し言われると、意識に入っていく。
カエルでもワニでも、おなかを触わるとコロンとなるように、どこか触わられると気持ちがコロンとなり、何でも言うことを聞くスポットがある。子供の場合は背中である。
そこをなでると、コローンとお母さんの意思が通じる。これをぜひやってみるといい。
早熟性の子と晩熟性の子がある
躾の問題ほどシビアではないが、子供には早熟性の子と晩熟性の子がいる。この問題も、子育てでは考えなければならない。
私は早生まれで、しかも晩熟だったので、中学1年生の時に一三四センチしかなかった。
でも、すぐ大きくなるんだからと、大きな学生服、大きな机を買ってもらった。
ところが、全然大きくならずに、卒業するまでブカブカの学生服で過ごした。帽子もでかいんだが、最後までブカブカ。
おまけに目を悪くして、全然大きくならなかったということで、ずいぶんと情けない思いをした。
中学を卒業した時に一四一センチ。それでも七センチ大きくなったんだけれども、一四一センチで高校生になって、列に並んで前へならえ”をする時、最前列は両手を腰に当てる。
三年間ずっとこれだった。「今年はやったぞ」というのが前から三列目ぐらい。高校1年生の終わりで一五一センチになった。
正確には一五一・五。高校を卒業して大学受験用の健康診断書を書く時、一六〇センチになった。
それ以降から、師匠の植松先生のところに入門して来る時(二五歳)までに約八センチぐらい伸びて、一六七センチ。
そしてナント、それから一九年でさらに二・五七ンチ伸びて、いま一六九七で大体一七〇センチぐらいだ。二五歳から四四歳までの二〇年間で二・五センチ伸びたから、いかに晩熟性かということかわかる。
こんな子供もいるわけだ。
さらに早生まれだから、1章で述べたとおり、小学3、4年時は分数がわからず、つくづく大変だった。1が半分になるってどういうことなんだと思った。
お母さんたちには、お子さんのそういうコンディションも是非考えて、子育てしてもらいたいと思う。
そういう子もいるわけで、別に能力のあるなしではない。そのように早生まれで、晩熟性の子は小学生時代にはハンディーはあるが、逆に遅生まれで、早熟性の子供というのは、頭打ちも早いのである。
