第一章 正しい守護霊知識を持とう! 平成八年四月二十九日の講演より
霊が宿るとは、どういうことか
「守護霊のついている人と、ついていない人がいる」と言っている霊能者さんがいます。
あるいは、「あなたの死んだおじいさんが、守護霊になって守っている」とか、「おばあさんが守っている」とか、もっとひどいのになると「犬が守っている」とか「三年前から下駄箱に置いてある下駄が守っている」とか(笑)。
それを聞いて、みんなゲタゲタ笑いだし、「五年前から靴箱に置いてある靴が守っている」という話を聞いて、みんなクックッと笑ってしまう。
とにかく、目茶苦茶なことを平気で言う霊能者さんがたくさんいます。
霊界も見たことがないレベルの低い霊能者なのに、偉そうなことを言ったり書いたりしていますが、そういう人の話を聞くと、「この人、本当に霊界に行ったことがあるのかな」と思ってしまいます。
たしかに、靴にしても洋服にしても、長く使っていると、使っている人の波動や気が入って、その気が凝結して霊を宿します。
霊が宿ると、やがて意思を持つようになります。
私の「神界からの神通力』(たちばな出版刊)にも書きましたが、「鰯の頭も信心から」というのは、まさにそれをいっているわけでありまして、思いの波動や気が凝結して、そこに霊を宿す。
霊が宿ると、やがて意思を持つようになってくる。
大自然には、大自然の気、水気があります。鍾乳洞などにも水気がありますね。
その水気が何万年もたつと凝結して、やがて霊が宿る。さらに年月がたつと、意思と霊体を持つようになって、自然霊、自然龍になる。
龍神さん、天狗さん、蛇神さん、あるいは井戸霊というのはほとんどそうです。
箱根九頭龍さんも大自然の気、水気が凝結したものです。
大自然には大宇宙からの気が来ているわけで、宇宙から来る宇宙線や波動が、大自然の中にはいっぱい含まれています。
だから、何もしなくても霊が宿り、意思が形成されるようになるわけです。
同じように、人の思いとか、真心とか、人の波がいくと、さらにそれが促進されます。
大宇宙からのものすごい波動と気が凝結して、人の思いがいくと、さらに増幅されて気が凝結し、霊が宿り、それが意思を持つ。これが原則なのです。
犬でも猫でも、飼主が「かわいい、かわいい」という気をいつも出して接していると飼い主に似てくる、といわれておりますが、いまいった原則に照らし合わせて考えれば、別に不思議なことでも何でもありません。
主の思いが、猫や犬にもいくわけです。猫でも犬でも、あるいは金魚でも「かわいい、かわいい」という念で飼い続けていると、本当に飼い主に似てきます。もちろん、子どもでも同じです。
とにかく、気が凝結すると霊を宿し、霊が宿ると意思を持つようになります。
人の言葉をよく理解する犬や猫がいますが、生まれて三ヶ月や半年で、人の言葉を理解することはないはずです。
やはり、八年とか十年ぐらい飼い主と一緒に生活していないと、理解できるようにはならないでしょう。
要するに、飼われている年数が長くなればなるほど、人の言葉がわかるようになるわけで、飼い主が思いと念を出し続けているからです。
その念や思い、波動、気というものが凝結して霊を宿し、人間の意思を漠然とであっても、何かしら感じるようになるわけです。
そういう意味で、靴や洋服、下駄が霊を宿すことはたしかにあります。
とはいっても、そういう霊の力は微々たるもので、人間に何らかの障りをもたらすほどのものではありません。
霊媒体質の人が、気が弱っているときにちょっと感じる程度で、人を病気にしたり不幸にしたりする力は持っていません。
「女房と畳は新しい方がいい」と言いますが、日本人の場合、女房と畳だけでなく、使い古しより真新しいものを好みます。
伊勢の式年遷宮は、まさにその精神に基づいております。
伊勢では二十年に一度、お社を建て替えますが、あれは、気が停滞するのを嫌うからで、だから、いつ行っても清々しく気が澄んでいます。
要するに、清潔主義なのです、神道は。
たとえば、「ケガレ」という言葉がありますが、気が停滞して気が枯れるから「穢れ」と言うわけで、絶えずきれいに掃除して、きれいに身を清めて、清々しい新しい気の息吹をもたらすことが大切であると、神道ではいわれております。
死んで間もない人が、守護霊になれるか
それから、「死んだおじいさんが、あなたの守護霊となって守っています」「おじさん、おばさんが守っています」などという話について少し解説しますと、霊眼のちょっと開けた人には、たしかに死んで間もない人の姿が見えることがあります。おじいさんとかおばあさんの霊が見えるのは、死んで間もないからはっきり出てきやすいわけです。
しかし、死んで間もない、亡くなったお父さんやお母さん、あるいは、おじいさん、おばあさんが守っているということはあり得ません。もし守っていたら、それは決してよくありません。
なぜなら、人は死んだら幽界というところで、だいたい三十年ぐらい修業し、それが終わったら、いわゆる霊界に行き、三百年ぐらいで再びこの世に生まれ変わってきます。
もっと正確にいうなら、死後四十九日が過ぎたら、三十年間ほど幽界で修業し、より一層、魂を向上させる。そして、三十年たったら、心の奥の深い部分の自分の姿になっていく。
この世に生きているときにはいろんな心を使ったけれど、幽界で三十年たったら、一番奥深いところの自分の心、姿、本当の自分の心、姿が出てくるのです。
心の奥の深い部分の自分の姿、それがはっきり出て、そうして霊界へ行き、平均三百年ぐらい修業し、霊界修業が終わったら、再びこの世に生まれてくるわけです。
これが霊界法則であり、掟であって、人は誰でもこの法則に従わなければなりません。
にもかかわらず、霊界に行かなければならないはずの、死んだおじいさんやおばあさん、あるいはお父さんお母さんが、息子や娘を守っているとしたら、これは霊界の掟を破っていることであり、決してよくないことなのです。
守護霊の実態
本当の守護霊は、そうではありません。
だいたい、七代から十一代ぐらい前のご先祖の中で、とくにランクの高い方、いわゆる高級霊が守護霊になっているのが一般的なのです。
その方も、自ら守護霊を名乗っているわけではありません。守護神から守護霊のお役をいただいて守護霊になっているだけで、「われこそは守護霊なり」などと偉そうにしているわけではありません。
また、守護霊は一人とはかぎりません。
本人の志が高く、あれやこれやと守護しなければならないことがいっぱいあって忙しいときは、霊界から守護するにふさわしい霊を、五人、十人と連れてきて「守護霊団」というものを形成します。
「守護霊は一人だけで、兄弟のようなもので……」などと言う霊能者がいます。
しかし、そんなことはあるわけがありません。きっと、何かの本から知識を得ただけで、実際に霊界の事情を見ていないから、そういうことを言うのだと思います。
守護霊というのは高級霊で、この世に生きていたときの感覚が非常に清純化されていて、気が微妙で繊細になっております。
そして、ここが大切なのですが、いつもは霊界にいて、ここぞというときに霊界から現実界に降りてきて、私たちを守護してくださるのです。
霊界からわざわざ守りに来るのは大変だろうとは思いますが、それが守護霊の実態であり、普段は霊界にいるのですから、霊視をしても見えるわけがないのです。
ところが、霊視をすると、絶えず本人についているおじいさんやおばあさんの姿が見える。
だから、「おじいさんが守護霊になっていますよ」「おばあさんが守護霊として守っていますよ」などということを平気で言うのでしょうが、そういうおじいさん、おばあさんは、子孫に頼っているだけ。
要するに、憑霊しているだけなのです。絶えずついているから霊視で見えるわけです。
守護霊は霊界にいるのですから、霊視ができても守護霊は見えることはありません。霊界から見守っているのです。
おじいさん、おばあさんが霊視で見えるということは、憑霊しているだけで、子孫に頼っているわけです。
要するに、そのことを霊能者に知ってほしいから憑霊しているのです。
人間の知らない、守護霊様のご苦労
守護霊は、憑依霊などとはまるで違う品格を持っています。
霊界で修業して、ある一定以上のレベルになって神様から許可をいただき、守護の役を果たしているのが守護霊様なのです。
だから、それだけの霊格と予知力があり、何をしたらいいのかという、天の理に基づくところの正しい判断力を持っております。
そして、前述したように、頻繁に霊界から降りてはきません。普段は霊界から見ていて、ここぞというときに現実界に降り、守護してくれるのが守護霊様です。
先ほども言いましたように、守護霊には先が見え、未来を予知することができます。ここ一番の危ないとき、一番大変なときが守護霊にはわかるわけです。
霊界は、時間と空間を超越しているから、将来どのようなことが起こるのかがわかり、大変なときには助けに降りてくる。
たとえば、三ヶ月後の入試のときが危ない。そのときには、こういうことが起きる可能性があるから、いまから準備をしておこう。あるいは、起きてしまったら、こういうふうにしてやろう、というふうに守ってくれるわけです。
守護霊は、先々のことをよくわかっています。霊格が高く、未来を予知できるのですから、そのときのためにちゃんと霊界で準備していて、いざとなったらブワーと現実界に降りてくる。
その場合、一人で足りなければ、五人、十人と引き連れて降りてくる。それが先ほど言いました守護霊団で、守護霊はその守護霊団のリーダー、あるいは窓口役になっているのです。
霊界は、時間と空間を超越した世界ですから、現実界に降りてこようと思ったら、時間などかかりません。瞬間のうちに、ゼロ・コンマ何秒で、さっと降りてこられる。
ですから、普段からぴったりついている必要はないし、意味もありません。
しかも、清純化された高級霊から見れば、私たちが住んでいるこの三次元世界は、暗黒の汚らしい世界なのです。
嫌らしい思い、気持ちの悪いエネルギーがうごめく世界。なるべく行きたくない、汚らしい世界。そういう世界に降りてくるということは、守護霊にとって大変苦しいことなのです。
もちろん、清々しい気を持った人には、守護霊も絶えず行き来ができます。いいことしか考えないような、素晴らしい思いをいつも抱き、清々しい想念の波動や気を出している人のところには、気持ちがいいから守護霊も喜んで来ます。
しかし、ああだこうだと言っては思い悩んでいる人、あるいは、自分のことしか考えない我利我利亡者のところには、なるべくなら来たくない。
なぜなら、そういう人の頭や体の周辺には、真っ黒な雲がうごめいているからで、そんな汚らしいところをうろうろするのは低級霊だけです。
高級霊は、そういう暗黒のエネルギーがうごめく中に降りてきたいとは思わないし、降りてくれば大変苦しい思いをします。
たとえていうならば、呼吸せずに二十五メートルプールを往復するようなものです。わかりますか。
守護霊のような高級霊にとって、現実界は窒息するほど苦しい世界なのです。だから、大事なときにはパッと降りてきますが、役割が終わったらパッと帰るのです。
間違っても、普段からぴったりくっつくようなことは絶対にしません。
そこがわかっていないから、「死んだおじいさんが、守護霊になって守っていますよ」と言われると、そのまま信じてしまうのですが、守護霊は人の周りをうろうろしていないし、そんなところに出てくるわけがありません。
お父さんやお母さんとか、おばあさんとかお兄さんが、現実界をうろうろしている、というのならわかります。犬とかも(笑)。
しかし、守護霊のような高級霊が絶えず人間の後ろについているなんて、そんなはずは絶対にありません。
正しい守護霊知識を持とう!
それから、「あなたには守護霊がいません」と、霊能者から言われた人もいます。
きっと、霊視しても見えないからそう言うのでしょうが、見えないからといって、守護霊がいないというのは、霊界のことをまったく知らない証拠。わかりもしないのに、いい加減なことをいう霊能者がたくさんいますから、本当に気をつけなければいけません。
レベルの低い霊能者が霊視して、「十何代前の守護霊がいますね」と見えるわけがないのです。守護霊が、そんな霊能者の呼びかけに応えて出てくるわけがない。
しかし、清々しい気を持った人のところには喜んで来るので、そういう清々しい霊能者には、高級霊である守護霊が見えるわけです。
繰り返しになりますが、「おじいさんやおばあさんが、守護霊になってついている」とか、「お母さんや親戚のおじさんが、守護霊として守っている」なんていうこともありません。
もしあったら、それは本当によくない。人は誰でも、死んだら霊界へ行ってちゃんと修業しなければならないのに、孫や子どものそばについて、「わしが守ってやるからな〜」なんて言うのは霊界の掟に反すること。
そういう霊に対しては、「人を守るよりも、自分が立派になれ」と言い聞かせなければいけません。
霊界と現実界を自由に行ったり来たりできるようになるためには、「菩薩の位」というものをもらわなければなりません。
そうすると、行き来が自由になるのですが、普通は許されません。
一度霊界に行ったら、よほどのことがないかぎり、帰ってきてはダメなのです。にもかかわらず、自分の意志で人間界に関与するのは、学校の校則に反した不良学生みたいなもの。
自分は守護霊だと思い、守っているつもりでいても、それはルール違反なのです。悪霊とはいわないまでも、邪霊の一種と思って間違いないでしょう。
邪霊といったら、おじいちゃんもおばあちゃんも、
「わしゃ、子孫を守っていたのに…。邪霊といわれる筋合いはない!」と怒るかもしれません。
「じゃあ、高級霊ですか」と問いただしたら、「と言われると…..」と、下を向いてしまうでしょう。
守護霊は、姿が見えないし、絶えず人のそばにいるわけではない。
しかし、ちゃんと霊界で見ておられる。だいたい、七代から十一代前のご先祖さんが、霊格と知性と判断力で、過去・現在・未来を見ながら守護しているのです。
そういう方が守っているのだと、確信して感謝してお祈りをしますと、霊界から高級な波動がスーッと流れてきます。
すると、筋肉も柔らかくなり、ものの考え方も柔らかくなり、「ああ、こうなんだな」「次はこう来るな」ということが、パッと直感でひらめいたりします。
そして、ここ一番の大事なとき、守護霊がブワッと降りてくる。
こちらからの祈りの思いは、全部、テレパシーで向こうに通じますので、ここぞというときになったらサーッと降りてくる。霊界は時間と空間を超越した世界なので、瞬時に降りてくるわけです。
そして、役割が終わったら、すぐに帰っていく。何も、暗黒の雲が立ち込める、むさ苦しいところにずっといる必要はありませんし、後ろについて守っている必要もありません。
そういう霊界の事情を何も知らない人が霊視して、「ああ、いますね。亡くなったおじいさんが守護霊になってあなたを守っていますよ」などと言ったりするわけですが、そういう人が素晴らしい霊能者であるはずがない。
人間的には素晴らしいかもしれないけれど、霊能者としてはレベルが低いといわざるを得ません。
霊視で見えている次元と、本当の神霊界の実情はちょっと違うのです。
そこがわかっていないだけでなく、「守護霊というのは、自分の御魂の兄弟のようなもので、一人だけなんだ」なんて言うに及んでは、本当にあきれてしまいます。
そういうふうに誰が決めたんですか。現実にはそうではない人がいっぱいいるのですから。
守護霊は交替する
ところで、守護霊というと、「同じ守護霊がずっと一人の人を守護しているのではないか」と考えている人がいるかもしれませんが、実はそうではありません。守護霊は交替するのです。
たとえば、人生観が大きく変わった瞬間、あるいは、何か目標を持って、「やるぞーっ!」と発願した瞬間に、パッと守護霊は交替します。
私たちがこの世に生まれてきたのは、御魂の修業のため。自らの御魂を磨くために、私たちは生まれてきたのです。
そのかぎりで、主体はあくまでも人間、自分自身。守護霊が主体ではありません。
「わしゃ、守りたい、守りたい。誰かおらんか」
「じゃあ、私を守っていただきましょう。守護霊さんのお役に立つなら、私を守護というふうに、守護霊の発願を実現するためだけに生まれてきた人なんていません。
守護霊の守りたいという発願があって、その発願を叶えるために私たちは生まれてきたということはないわけですから(笑)。
まず、この世に生まれてきた私という人間がいて、その私を守り導くために守護霊という存在があるのであって、主体は、あくまでも自分自身なのです。
そして、自分が自発的な意志に基づいて何か発願すると、その発願を何とかして叶えてやろうと、守護霊が決まるわけです。
発願を叶えるだけの力があれば、継続して同じ守護霊が守るし、もし、力が足りないようだったら、よりふさわしい守護霊に交替するのです。あるいはまた、プラスして加勢されることもあります。
「この子も一生懸命やろうとしているから、私がお手伝いしましょう」と、応援にかけつけるわけです。
守護霊が交替するのは、一般的に、高校入試や大学入試で、「頑張らなきゃいかん!」と思って必死に頑張っているときが多いようです。
あるいは就職したころや、結婚生活で苦しんで必死に神様に祈ったときなどに、パッと守護霊が交替します。
守護霊の守護を大きくするには?
私自身、いろいろな人の守護霊を鑑定しておりますが、
「何歳ごろに守護霊が交替していますね。そのころ何か、人生の大きな節目があったのではありませんか」と尋ねると、ほとんど全部ピタリと当たります。
といっても、私が、あれやこれやと頭で考えて言うのではありません。守護霊様が言うとおりにお伝えするだけです。だから当たるのです。
私のところには、いつでも守護霊様が降りてきます。私と一緒にいると気持ちがいいからなのでしょうか、「○○さんの守護霊様、守護霊様」とお呼びすると、スーッと降りていらっしゃいます。
その守護霊様がおっしゃることをそのままお伝えしたり、あるいは、そのお姿を描いているわけです、私は。
もちろん、普段からずっといるわけではありません。先ほども言いましたように、普段は霊界におられます。
だから、レベルの低い霊能者には見えないのです。呼んでも、降りてはこないのです。
「そんな十一代前の霊なんかいない。守っているのはおばあさんおばあさんが守護霊ですよ」
自分の霊格が低いのを棚に上げて、霊視して見える、見えないだけで、守護霊がいるとかいないとかを判断するなんて、あまりにも霊界知識が足りなさすぎます。
知識がないし、本当の霊界を見たことがないから、霊視に映るものだけを信じているのです。
最初に言いましたように、ご先祖様の系統の中から、最もふさわしい人が守護霊になって、その人を守るのです。
そして、心麗しい高級霊だから、自分よりも別の霊の方が適任と判断すれば、すぐに交替します。それだけ霊界でも修業し、その修業した年月の分だけ、御魂が清純化されているわけです。
そういう方々は、あの世でも智恵を磨き、学問を磨き、信仰心を磨き、芸術を磨いて研鑽に励んでおられる。
もちろん、この世にいたときに勉強したものをベースにして研鑽しているのであって、あまりにも飛び越えたものまではできません。
だからこそ、この世に命ある間に一生懸命、研鑽しなければならないのです。
それが霊界の原則です。自分はこれを目指すんだという志や主体性がないと、守護霊も積極的に関与することはできません。
守護霊はあくまでも守護する霊であって、守護霊の守護を大きくするか否かは、すべて主体たる私たちの志にかかっているのです。
守護霊のほうから、ああだこうだと関与してはいけないことになっております。
人間が主で、守護霊は従
ところで、私を守護していただいている龍神様がおりまして、「最近どうされているんだろうか」と思って、その龍王様をお呼びしたら、たちまちいろいろ教え
「この二ヵ月間、どうされていたのですか」と聞いたら、「呼んでくれないから」と言っています(笑)。
「呼ばなくても、来ていただけないのですか」
「いや、掟があってね。その人が、どうなのかなとか、気を向けるとか、呼ばれもしないのに来てはいけないことになっている。本当は来たくてしょうがなかったんだよ」と言っています(笑)。
「遠慮なく、いつでも来てくださいよ」
「いつでもと言ったってね。まあ、一日一回言ってくれたら来る」
正神界の龍王も守護霊もみんな、この原則に則っております。
こちらの方から志して、名前を呼んでお祈りをし「お願いします」と言ったら、「よし!」と言って来てくださるのですが、こちらが何も自覚して祈らないのに、向こうからは勝手に来てはいけないことになっているのです。
普段は、心配をして、「うーん」と見守ってくれてはいます。また、ここ一番のときは、気づかれないように、陰で導いてくれてはいるのですが、前面には出てこられない。
やはり、肉体を持って生まれてきて修業している、生きているわれわれ人間が主であって、守護霊は霊界からの応援に徹していなければならないのです。
そういう意味で、守護霊を頼りきってはいけないし、そうかといって、「自分でやるから守護霊なんて関係ない」というのも感心できません。
せっかく霊界の応援団がいるのに、自分から拒否することはないでしょう。そう考えるのが、一番正しい考え方ではないかと思います。
守護霊様が守護したくなる人とは?
そういうことで、自分の志に合った形で応援してくれるのが、守護霊という存在なのです。
ですから、「さあ、心機一転して、より一層頑張るぞ。志あらたに頑張ります。だから守護霊様、どうぞお守りくださいませ。そういう私を導いてくださいませ」と祈らなければなりません。
その祈りが具体的であればあるほど、守護霊も力強く守護してくださいます。とにかく、具体的に、こういうことをしたいと、神様に誓いを立てることです。
その誓いを実現させるために、霊界から守護霊が派遣されてくるのでありまして、これが守護霊に関する原則だと考えれば間違いありません。
おじいちゃん、おばあちゃんが生きながらにして、仏様か神様のような人だったら、死んで間もなくでも、霊的ランクが低いとはかぎりません。
それだけの修業をして全うした優れた方か、あるいは、神なる世界にまで通じていた人だったら、おばあさんでもおじいさんでも、たちまちのうちに神様から許可が出て、守ってくれるでしょう。
現実問題としては、それだけの人は滅多にいませんけれど、そういう方だったら、死後、すぐに菩薩の位に達して守ってくれるはずです。
