守護霊を動かせ!(Vol.6)

第五章 守護霊と守護神との関係とは? 平成二年三月十八日の講演より

ご神霊を動かす方程式 ー ホップ・ステップ・ジャンプ

その1 ホップ「発願」
本日は、皆さんを守っている守護神様に来ていただき、神様と一緒にいるときの感覚を味わっていただくために、皆さんの守護神様に降臨していただきます。

会場の皆さま一人ずつに違った神様をお呼びするのですが、ご神霊というのは、ただ拝んでいるだけでは来てくださいません。

では、必死に祈ればいいのかというと、たしかに一生懸命に祈りますと、ご神霊に感通はします。

そのように、一生懸命に真心を込めて神様に祈り向かえば通じるわけですが、感通したらご神霊は動いてくださるかというと、そうではありません。「わかった、ご苦労」で終わりです。

感通はするけれど、動いてはいただけないわけです。ご神霊に動いていただくには、一つの方式がありまして、その方式は「ホップ・ステップ・ジャンプ」となっております。

まず最初は「ホップ」ですが、これは何かといいますと「発願」です。

たとえば、日蓮宗を開いた日蓮上人様の原点、仏者としてあのように素晴らしい道を歩まれた原点はどこにあるのかというと、発願です。

日蓮上人様の場合、発願からすべてが始まっております。

発願あるいは発心。儒教では立志、志を立てる。関西では「一丁やったるで」(笑)。

関東では「負けるものか。やってやるぞ」、プロレス界のアントニオ・猪木なら「やってやろうじゃないか~」(笑)。

とにかく発心、心を発する。私たちの世界では、願を発する、発願といいます。

その発願を、日蓮上人は千葉県の小湊・清澄寺でしたわけです。

何を発願したのか。

「日本一の智恵者にしてくれ」と発願したのです。 

「お釈迦様は一人なのに、何ゆえその教えの仏教がいくつにも分かれているんだ。

高野山があり、比叡山があり、南無阿弥陀仏があり、南都六宗があるのはなぜなんだ。

お釈迦様は一人なのに、なぜ、こんなにいくつもの宗派があるのか。真実の教えは一つであるはずだ。

それは何なのだ。それを知りたい」ということで、日蓮上人は虚空蔵菩薩様-国常立神様の化身ですけれど、虚空蔵菩薩に「われを、日本第一の智恵者となさしめたまえ」、私を日本随一の智患者にしてくださいと、発願したわけです。

頭がいいのが格好いいから、「日本第一の智恵者となさしめたまえ」なんて言うものではありません。

日本随一の智恵者になって、どれが本当の教えなのか知りたい究めたい、ということで、日蓮上人は必死で虚空蔵菩薩に祈ったのです。

そういたしましたら、その夜に虚空蔵菩薩さんが現れまして、宝珠、珠を授けた。この珠というのは何かと申しますと、現代流にいえばノウハウです。

言霊では、「あ」というのは「天」で、頭は天の珠が入っているから頭だと。だから、頭に御魂が入っている。

ご神霊を動かす法則性と知識と体験。実践をして体得したものがノウハウですから、ノウハウといっても頭だけではない。体と心と霊で覚えたものがノウハウです。

それを霊的に見たら、珠になっているわけです。

その珠を、日蓮上人は虚空蔵菩薩から授かった。

「どうしたら、お釈迦様が真に伝えたかったものがわかるのか」という宝珠、珠をもらった。先に珠をもらい、この珠をもらうことによって頭が働いて、どれが正しいのか、ハッと悟っていくのですが、本当に悟らんがためには、ただ珠をもらっただけではなく、勉強しなければなりません。

だから日蓮上人は十二年間、比叡山で修業し、高野山にも行って「一切経典」を全部読破したわけです。そして、三十二歳のときに、『法華経』しかないんだということを悟った。

ですから、日蓮上人があのようになったのは、まず初めにこの発願があったからです。

「われを、日本第一の智恵者となさしめたまえ」と発願したから、虚空蔵菩薩から宝珠を授かり、発願どおり智恵者になったわけです。

発願をすると、先ほど言いましたように神様に感通します。祈れば感通する。発願をして祈ったら神様に感通して、「うんっ?」と、こちらに目を向けてくれる。

ところが、発願した翌日から遊んでいると、神様も「うん……」とあちらを向きます。発願をしたら目を向けてくれるのですが、大事なのは、発願したあとの自分自身の態度なのです。

そういうことで、発願をしたら神様が一応、目を向けてくれます。これが「ホップ」です。

その2ステップ「人間的なあらゆる努力」
「ステップ」は何かというと、「人間的なあらゆる努力をすること」。これがステップです。

日蓮上人は、「日本第一の智恵者となさしめたまえ」と発願をした。そうしたら目を向けてくれた。虚空蔵菩薩が向いてくれた。

その次に日蓮上人は、比叡山、高野山へ行ってありとあらゆる勉強をし、「一切経典」を読破した。つまり、人間としてのあらゆる努力をしたわけです。

勉強という人間的な努力をしていると、それをご覧になっている神様はどうなさるのかといいますと、身を乗り出してくれる。発願では目を向けてくれますが、人間としてのあらゆる努力を始めると、

「うん、よくやっとるなー。うん、うん」と身を乗り出してくれます。

ここまでは、皆さんも体験されているはずです。神様のお姿が見えない人にはわからないかもしれませんが、何かを発願し、人間としての努力を始めたら、神様は身を乗り出して、手助けする準備を始めていらっしゃるのです。

ところが、せっかく身を乗り出してくれても、実際に手を貸してくれるというレベルにはまだ至りません。

それなりの努力はしている。しかし、神様は乗り出したまま、「うん、ご苦労」と言ったきり、動こうとなさらず、なかなか出てきてくれない。

なぜなのか。どうしたら動いて手を貸してくれるのかといいますと、ホップ・ステップ・ジャンプの三番目、「ジャンプ」がいるわけです。

その3ジャンプ「絶叫」
「ジャンプ」は何かといいますと、「サンデー」「マガジン」を読んだあとに読むものなのですが(笑)、ジャンプは「絶叫」です。

努力して努力して、もうこれ以上やりようがない。人間的なあらゆる努力をして、もうこれ以上やりようがない、「どうしたらいいんだ!!」という絶叫です。人の努力の限界、極致まできたら、考えている間もないですから「ウワーッ!」と絶叫しますよ、誰だって。

魂からの絶叫です。自分として、やれるだけの精一杯の努力、生きるか死ぬかというぐらいのところまでやり抜く努力を続けていたら、「ウワーッ!」と叫びますでしょう。理屈もない、頭では考えることもできない。そうやって、魂が許容量を超えるか超えないかというとき、人は絶叫する。

「ウワーッ」と絶叫したその瞬間、神様が「よしっ!」と言って、限界の壁をポーンと超えさせてくださるのです。わかりますか。

発願、ホップ。

人間的なあらゆる努力、ステップ。

ジャンプは超える。

そうやって、絶叫するところに自分をもっていかなければ、神様は動かない。だから私は、いつも絶叫するようなことをやっております。二十五時間ぶっ通しとか、一日も休むことなくやっております。

お祈りするときだって、「神様よろしくお願いいたします。パンパン」なんていうものではありません。

「朝に礼拝、夕べに感謝」という、お仏壇のラジオCMが関西にはありますが、「朝に礼拝、夕べに感謝」だなんて、そんなのは祈りではありません。

脂汗をガーッと流しながらの祈り。それが本当の祈りです。

それだけでなく、自分を限界に追い込んで、絶叫するような毎日を送る。それがまた楽しいわけです。必ず神様が来てくれますから。

ただ、わけもなく絶叫をするのが好きだという人は、ちょっと病院に行かなければいけませんが・・・・・・(笑)。

この発願、人間的なあらゆる努力、絶叫こそが、神様に来ていただく一番の秘訣であり、神様と一つになる、仏様と一体になる秘訣なのです。

ビジネスでも、芸術でも、それから学問でも、やはりご神霊に来ていただき、動いていただくには、この三つのステップを踏まなければいけない。踏んでいるときには御魂が発動しているから、神様に感通し、向こうから訪ねてきてくださる。逆にいえば、こういうときでないと、神様は降臨なさらないのです。

だから私は、絶叫するような日々を過ごしています。今日も、朝六時ぐらいに帰ってきて、一睡もしないままひと仕事、ふた仕事を済ませてからこの会場に来ました。

ですからもう、絶叫せざるを得ないような状態に入っております。そういうときでなければ、ご神霊は動いてくださらないのです。

神様は、ただわけもなく拝んでいれば出てくる、というものではありません。繰り返しになりますが、絶叫するような祈り。これが不可欠です。

とくに、神様のお取り次ぎをする方の場合、魂の底からの絶叫が必要ですから、どんな絶叫にも耐えられるように、顔の筋肉が絶叫用に発達してきます(笑)。

私なんか、どんな絶叫もできますよ。「深見先生、いま絶叫調(絶好調)ですねー」と(笑)。

守護神が降臨する秘伝

そういうことで今日は、皆さんを守っている守護神様にいまから来ていただくわけですが、今日だけ降臨されるのではなく、いつも降臨されている状態でなければなりません。

これを「神人合一」と言いまして、いつも神霊と一体となっている。

これが理想でありまして、そういう日々を送らなければなりません。

ですから、私は一日も休まないし、一日も楽な方へ心を向けない。なるべく難しい方へ、なるべく絶叫する方へ、好んで自分自身を向けるように努めております。

それは一見、苦しいことのように思えますが、ご神霊が来ますと、体力、精神力、気力、頭脳の限界を、いつも超えさせてくださるから、痛みも苦しみもありません。

降臨するまでの辛抱だと思って絶叫しております。そう考えたら、発願も、そして人間的な努力も楽しいものです。

このことがわかったら、いつもいつも神様と一緒にいることができるし、一緒にいるという感激と感覚を自分のものにできるのですが、限界の壁を超えた経験のない人には、初めの一歩がなかなか難しいようです。

ですから、神様と一緒にいるときの感覚を味わっていただくために、今日はこれから、皆さんの守護神様に降臨していただくわけですが、先ほども言いましたように、今日だけではなくいつも来ていただけるように、これから皆さん、「ホップ・ステップ・ジャンプ」を実践していただかなければなりません。

いつも来ていただくには、「ホップ・ステップ・ジャンプ」なんですが、一生懸命に祈るだけでも聞いてはくれます。目だけは向けてくれます。ただ、しばらくしたら、またあちらを向いてしまいますが。

それでも、一生懸命に日々お祈りしていれば、何か仕事上のトラブルか人間関係のトラブルか、あるいは病気や事故、お金のやり繰りで、「ああーっ!何とかしてくれ!」と絶叫するとき、上からヒューと降りてきて、「頑張れ、頑張れ!」と励ましてくださり、手を貸してくれる。

要するに、御魂が発動し、魂がグーッと輝いているときにしか来ないわけです、神様は。

だけど、日ごろ祈って感通しておりますと、まさかのときには、必ず聞いてくださいます。祈ったことは一応、聞いてはくれています。ただ動かないだけで、「うん、うん」と言って、またあちらへ向く。

「申しわけない。ちょっと忙しいもので」と(笑)。

ですから、祈ってばかりでステップ・ジャンプがないと、神様もあちらを向き、こちらを向きで、首が腱鞘炎になります(笑)。

しかし、日々、人間としての努力をしているときには見ていてくださっていて、そして、絶叫したときには、必ず来てくださる。こういうことをまず頭に入れておいていただきたいと思います。

守護神はどのようにして決定するのか

それから、どのようにして守護神様が決定するのか、ということについてお話しいたしますと、これは大体、大きく分けて三つのケースがあります。

一つは、自分が前世で、たとえば、大阪に住んでいて住吉の神様を崇敬していた。

熱心な住吉の信仰をしていた。あるいは、宇佐八幡宮を崇敬していた。そういう場合には、その縁でそれらの神々様が守護神としてお守りになることがあります。

また、たとえば、自分の前世が平家で、そういう場合は、厳島神社の神様が守護神になる。

そのように、前世で神様を一生懸命に崇敬した、その前世の縁によって、生まれたときから守護神となって導いておられる。これが第一のケースです。

二番目は、ご先祖様が代々源氏で、八幡様を信仰していた。そのご先祖の縁によって、八幡様が守護神となっている。

あるいは、ご先祖様が静岡に住んでいて、浅間様を崇敬していらっしゃったという場合、そのご先祖の縁によって、木花開耶姫様が守護神となって守護してくださる。

そのように、ご先祖の縁によって、子孫の守護神が決定される場合があります。

これが二番目のケースです。

三つ目は、自分自身の御魂の系統です。

たとえば、磐長姫の系統の人だったら磐長姫様、木花開耶姫の系統の人だったら木花開耶姫様というふうに、系統の御魂の親神様が、守護神となって導かれる場合があります。これが三番目のケースです。

だいたい、以上の三つが、守護神様が決定される要因なわけです。

それ以外に、特殊なケースとして四番目がありまして、これは特別な使命を帯びて生まれていらっしゃった場合です。

たとえば、神様の仕組を荷う使命を帯びて生まれ変わってきた人は、それにふさわしい守護神様が守り導くわけです。

「神様の仕組に来て、このように生きていきます」と、今生、生まれ変わってくるときに、霊界で発願をして、特別な使命を帯びて生まれ変わっている人です。

また、前世で素晴らしい修養が成就できて、「使命をもって、一層、魂を磨き、社会のために生きたい」ということで、よき御魂が降誕して生まれてくる場合、これも特殊なケースの四番目に含まれます。

それとは逆に、地獄界で長年苦しんでいて、「生まれ変わったら、必ず神様のため、そして、世のため人のために生きますから、どうぞお許しくださいませ」と霊界でえらく改心して生まれ変わってくる場合も、特殊のケースの四番目に入ります。

「どんなに苦しい日々を送りましても、神様のために生きますので、罪をお許しくださいませ。知らぬこととはいいながら、大勢の人を苦しめまして申しわけございません」という発願をして、改心の御魂として生まれてくる場合があるわけです。

先ほど発願の話をしましたが、生まれてくるときに発願して来る人も多いのです。

そういう場合は、発願に合わせた使命によって、守護神様が決定されて守護されます。いま申し上げたのが、四番目にあげられる特殊ケースです。

もう一つの特殊ケースがあります。

それは両親の発願に関するもので、代表的な例として、楠木正成という人がいます。

楠木正成のお母さんは、なかなか子宝に恵まれず、多聞天、すなわち毘沙門天様に毎日毎日、「立派な子どもが生まれますように」とお百度祈願して、その満願の日に子どもが宿った。

多聞天、すなわち毘沙門天の別名です。それで「多聞丸」と命名したわけです。楠木正成のお母さんが、「多聞」というお酒を飲んでいたからではありません(笑)。

親の発願によって御魂が備わったときには、親の発願によって子どもの守護神が決定されます。これが五番目の特殊なケースです。

それから、忠霊、忠魂という場合。

たとえば、その人の生きざまが「皇室のために、国家のために」というふうに、後世、学問と修養を積みまして、「私は一個人とか、自分の人生よりも、皇室と日本の国家のために生きたい。死んでもいいから、皇室と国家のために生きるんだ」と発願を立て、そういう人生観になったとき、守護神が替わります。

守護神は基本的にほとんど替わりませんが、例外があるわけです。

そういう場合は守護霊も交替するけれども、たまに守護神も交替して、天照大御神、国常立神様などの、国家を司る神様と交替する場合があります。これが六つ目の特殊ケースです。

こういうふうに守護神が決定されるわけですが、一般的には、最初に申し上げた三つのケース。

「前世に崇敬していた」「先祖代々崇敬していた」「自分の系統の御魂の親神様」がほとんどです。あとの三つは特殊ケースと考えていいでしょう。

天命を知り、天命のままに生きよう
このようにして守護神が決定されるわけですが、守護神様が決定されるに際しては、産土の神様が仲介なさいます。

もちろん、の大神様、菊理姫様、天照大御神様が管轄していらっしゃるのですが、具体的にどの神様が誰にとか、そういうことはみな産土の神様の仲介によって決まります。そして、一度決まったら、特殊ケースを除きまして、一生涯変わりません。

守護霊は交替します。守護神様の命令で守護霊が交替していきます。

すなわち、守護神はその人の生涯を見て、その時々にふさわしい守護霊に交替させるわけです。

一生涯という尺度によって、たとえば、十五歳までは体づくり、三十歳までは勉強、三十歳以降は実業、その後は宗教的な深い悟りを得て、人のリーダーになっていく。

会社を運営していくという生涯であるなら、その時々に最もふさわしい守護霊を探してきて、節目節目で交替させるのです。

守護霊は最低でも三回は替わります。多い人で五回。中には十回ぐらい替わる人もいます。だいたい平均三回ぐらいです。

男性は二十五歳の厄年のころか、十九歳、十八歳。

女性は十九歳が多いです。十八歳、十九歳が多いです。

それから十四歳、十五歳も多いです。高校受験のころでしょうか。あるいは自我に目覚めたころでしょうか。だいたい、十五歳前後と十八歳前後。

それから、男性の場合は二十五歳、女性は三十三歳の厄年のあたり。家庭の問題や何かで、葛藤したり苦しんだりしていると、守護霊が交替します。

人それぞれ、一生涯のだいたいのプログラミングがありますので、それを見ながら守護神様が一番ふさわしい守護霊を決定されるわけです。

守護神と守護霊、現実界に直接的に働かれるのはどちらかというと、守護霊です。守護霊は、体力・精神力・気力・集中力など、現実界に即応して働いております。

ですから、窓口は守護霊なので、働きや存在をより身近に実感できます。その点、守護神さんは奥に控えていらっしゃって、滅多に出てこられません。

ただし、一生を左右しかねないような問題が起きたときには、この人の天命から見て、出ていらっしゃることもあります。

「おのおのの天命は、心君に宿れるなり」というのが、北極老人の教えにありますが、天命というのは、自らの心君にあります。

一般論をいいますと、皆さんの持っている心の奥に「心の君」があって、これを「心君」と言う。

この心君が知っているわけでありまして、心君が喜んでいるときは、生きざまが天命に合っている。どうもイマイチだなというときには、天命に合っていないから喜んでいない。

本当に心の奥の心君が満足し、喜んでいるというのが、その人の天命なのです。

そして、天命に従って正しく生きているんだろうか、日々正しく送れているんだろうか、どうなんだかという疑問が生じたときは、守護霊様に祈ればもちろん答えてくれます。

しかし、奥の守護神が一生涯を見ているわけですから、人生の方向に迷ったとき、本当に私の天命はこれで合っているんだろうか、どうなんだろうかと問いかけていくときは、やはり守護神様。まず、真ん中の守護神様に通して、それから守護霊にいけば間違いありません。

ただし、の大神様が私たちの信仰の対象ですから、すべてはの大神様に向かわなければいけないわけで、守護神信仰になってはいけない。

の大神様の命令で、お役割を分掌して出てくるのが守護神さん。

その守護神の命令で、役割を分掌しているのが守護霊様。ですから、まずの大神様と守護神様に神業の弥栄を寿ぎ、そして自分の天命が全うできますようにと祈らなければいけない。

とくに、本当にこれでいいのか、右に行くべきか、左に行くべきかというときには、守護神に何度も何度も確認をする。

耳のお告げなんか信じることなく、「神界からの神通力」に書いたように、「間接内流」「直接内流」の両方で証を取って、天命に合ったふさわしい人生を送っていく。

それが守護神様というものの迎え方であるし、活用の仕方なのです。

そうすると、守護霊様も増幅されていきますから、より充実した人生を送ることができるようになります。

守護神様は一生涯のうち、五~六回しか前面に出てきません。

いつも絶叫の日々を送っている人は、神様のスーパーマーケットかデパートみたいになって、守霊も動いています。

目をつぶると全部神様、全部守護霊というのが絶叫の日々を送っている人の実態です。前向きで明るい、いい意味での絶叫の日々を送っている人はそうなのです。

一般的には、生涯のうち五~六度、前面に出てきてチェックをするだけで、いつもは神霊界で見守っていらっしゃる。それが守護神様なのです。

その方を今日お呼びして、まず皆さんが正しく天命の方向に行くようにチェックをして、さらにその守護神さんの力を増強して、守護霊様の方まで輝くようにしようじゃないか、というのが本日のテーマでございます。

どうですか、お話を聞いているだけで、背骨か腰がぐんぐんと反応しますでしょう。

そういうことで、守護神というものの実体をご理解いただけたと思います。

ただわけもなく守っているものだと、考えていたのではないですか。守護神とはこういうものなんだということがわかったら、はっきりご活躍になります。

漠然とわかっていたら、漠然と動くだけです。はっきりわかったら、はっきり動いてくれます。

守護神様は守護霊様ほどはっきりとは出てこられない存在ですが、まさかのときには頼りになります。今日、守護神様を増強いたしますので、守護霊様も全体に強くなると思います。

直接的には守護霊の方が窓口ですし、普段は守護霊様がいろいろ教え導いてくださいますから、開運するには、この方にお願いした方が早いし、強いし、大きいのです。