超一流のサラリーマン・OLになれる本(Vol.5)

女性の力を最大限に引き出すには

今述べたのは、男性に対する場合だ。しかし男性にも女性的な人がいるように、女性もすべてが女性的とは限らない。

何かひとつのことをやり遂げたような女性や女性経営者には、非常に男性的な要素を持ったタイプが多い。

このタイプは百五十パーセントが勝ち気だ。「私、こうなのよ」と押し出しが強い。勝ち気プラスプライドで、あまり人様の事を考え過ぎないでしっかりと自分を立てている。

みんなの事も考えてはいるが、まず自分がこうやって、ああやってと考える。そういう女性を普通の男性は敬遠する。

この世には、誰もが敬遠して近づきたがらないような、化け物みたいな女性もいる。鬼子母神みたいな、それはそれは凄い女性である。

それをなんとかして、ご機嫌よく、麗しく、秘めたる能力を発揮していただくところが、経営者には大事な要素だ。

男性的要素をまる出しにして、男性経営者が女性社員に接したらどうなるか。絶対に失敗することになる。

お互いこうだと競ってしまうと駄目で、女性の方に運気を取られてしまう。男と女が両方カーッとなったら、女の方が勝つ。

それは男性の特質である知性が通じないからだ。理論が通じない。理論でいく人間と、理論を無視した人間と、どちらが勝つかというと、絶対に理論を無視した方が強い。

夫婦も同じだ。夫婦で言い争ったら絶対に奥さんが勝つ。そうでなければ、両方ズタズタになる。

男の気持ちとしては、明るく前向きで、可愛いなあと思える奥さんなら問題ないのだが、そういう奥さんばかりとは限らない。

たまたま自分がクジを引いて、選んだのが悪いOLタイプだった場合は、自分もそちらの系統に合わせるしかない。

「なんて君は素晴らしいんだ。君の能力と才能は世の中のためにある。社会は君を待ってるんだ。

君のその素晴らしい美しさと言葉には、男も女も陶酔するから、みんなの前で話した方がいい」。

こうやって讃えて讃えて、その運気が自分の方にも来ますようにと祈るしかない。

女性の運気は男の方にも巡ってくるから、男も運が良くなる。いわば合気道でなくてはいけないのだ。

女性をその気にさせて、魂を発動させてやり、そして、「僕のことをいつも祈ってくれよ。僕の幸せも考えてくれ。君を幸せにするからね」と言うと、「わかったわ」ともの凄いエネルギーとプラスの波動が、男性の方にウワーッとくる。

すると男の方も凧のように風を受けて、空へパーッと飛んで行くことができるのだ。奴凧のように、奥さんの強烈な運気に乗っかって、パタパタバタバタ。

それを、自分という我を出したら、奥さんの突風にブワーッと吹かれて、もろくも台風の後のカカシのようにポキンと折れてしまって、田んぼの中に頭から突き刺さって、カラスにコンコンとつつかれるような惨めな生涯が待っている。

真そうではなくて、奴凧のようにホワッと奥さんの風を受けて、そして空へワーッと舞い上がっていく生き方だとしても、それでも社会は注目してくれる。

「しまった、この女は悪いOLタイプだ」と思ったら逆らってはいけない。逆にその強い波動をプラスにひっくり返すしかない。

一歩引いてあげて、女性をその気にして、良い波動が自分の方へ回ってくるようにしてあげればいいわけだ。

これはOLの能力を引き出す方法と同じだ。いつでも明るく良いOLタイプなら何の問題もないが、悪いOLタイプも、こうして持ち上げてやれば、ものすごい戦力になることがある。

毒を持って毒を制すという。支持を得られたら、かえって強力に働いてくれることもある。

これが良い夫の条件

女性の才能や能力を生かそうと思っても、世の中にはいろいろなタイプの女性がいる。それは、少々のパターンには全ては当てはまらない。

ほとんどの女性は様々でパターンに当てはまらないから、男性は困ってしまう。どうしていいか答えがわからないと結論した人は、同性同士で愛し合う(?)しかない。

しかし、そういった人は、わからないんだという事がわかったらよい。女性は男性の理論では動かない。

だから、結婚記念日にはプレゼントだ。しかも包装紙に凝って、銀座のプランタンに行ってリボンにも凝って、君は素晴らしいと迫る。

誕生日と結婚記念日、それから月一回はレストランに連れていってあげる。

時々はブラウスを買ってあげて、指輪を買ってあげて、アクセサリーも買ってあげて、それからケーキを必ずいつも買ってきて、紅茶を入れてあげる。

そして、時々旅行に連れて行ってあげて、君は素晴らしいといつも言ってあげれば、もう最高のご主人だと言われる。

くれぐれも奥さんの言うことに、知性で反論してはいけない。「そうだねー、そうだねー、うんそうだよ、そうかもしれないねー」と言ってあげれば、「うちの主人は、ものわかりがよくって理想のパパだわ」となる。

お腹の中でご主人が、「バカなことを言って……」と少々思ってもかまわない。

奥さんに逆らったりしたら、「あなたには私の気持ちがわからないのよ!」と必ず感情論でくるに決まっている。

根本的に動いている理論が違うのだ。理屈で言うと理屈の方が吹き飛ばされて、台風の後のカカシになってカラスにつつかれる。

「そーだね、そーだね」と言って嵐をスッと吹かせてあげればよい。ゆとりと寛容性がないと、悪いOL、悪い奥さんのタイプの女性とは、なかなかお付き合いできない。

男の経営者の立場で書いているが、この基本は女性の経営者であっても同じだ。女性の能力を目一杯に引き出そうと思っても、女性にはいろんなパターンがある。

だから、どのようなパターンにも対応できる自分であろうと思ったら、我をなくすしかない。それには観音様のようになることだ。

すなわち、先ほど書いた「妙」を体得するのである。

理屈でないものを会得するためには、押したり引いたり自分を出したり消したり、自分が前に出てついて来いと言ったり、相手を前に出してあげて、その風を合気道のように受けるのである。

こういうところがある人は、女性から見て魅力的だから、どんな女性もついて来る。

そういうところがない男性は、幅とゆとりがないから女性はついて来ない。女性は頼りがいのある人にしかついて来ないのだ。

中には、「なーに言ってんのあなたは。私が養ってあげるわよ」という太っ腹の女性もいるが、どちらのケースにしても、こちらのファンになっていただいた方が成功する。

女子従業員にも、いろんなパターンがあるのである。

リーダーシップのコツは「妙」!

政治家にしてもそうだ。成功している政治家は如才がなく、男性でも女性のようにふるまうこともあるから、女性ファンも大勢いる。

女性も男性も一票、おじいさんもおばあさんも一票だ。だから女性の票が入らないような男性では、政治家にはなれない。そういうところを真剣に考えて努力しないと、なかなか理屈通りに世の中はいかない。

人間は理屈通りにいかないが、それではどのようにすればよいかというと、この「妙」で人は動く。

この妙を体得している人が本当のリーダーシップを発揮する。本当にこの世で、為し難きを為し、得難きを得、遂げ難きを遂げていく人は「妙」を持っている人なのだ。

その力は妙なる力、妙力であり、妙なるものを悟っていることを妙諦という。

言うに言い難いものを得ている、言うに言い難いような知恵があることを妙知という。さらに不可思議なるものがあって、これは霊妙というわけである。

だから、男性の経営者は、男性的要素と女性的要素を使い分けられなければいけない。

いいOLにも悪いOLにもである。いいOLがいつも来るとは限らないし、ほとんどの場合は、良くないOLしか来ないからだ。

会社でリーダーシップを発揮しなければならない経営者たる者は、妙の心でいいOLにも悪いOLにも付き合わないといけないのである。

ケーキが好き、花が好きな経営者たれ

世間のOLという人々は、いったいどの程度会社に居着くものだろうか。これは私も含めて経営者にとっては重大な問題だ。

仕事の関係で私は、職業安定所に求人を出すことがある。そこでこの問題を職安の係の人に直接聞いたことがある。

すると私も予想できなかったほどの、驚くような答えが返ってきた。

OLというのは、中小企業の場合には半年いたらいいほう、一年いたら大当たり、三年いたら奇跡だ、と職安の人は言う。

だから、経営者のほとんどが、「うちの女子社員は、なかなか定着しなくて」と言うのだが、一年以上いたらもう定着していると考えていい。

一年、二年、三年たっても一生懸命働くOLで、しかも、働き甲斐を持ってもらい、本人も幸せになっていただこうと思ったら、経営者が無骨では駄目だ。

仕事仕事だけでは駄目で、やはり女性的な要素を持たなければいけない。

そのためには、まずケーキが好きにならないとだめだ。私もそうだった。

無理矢理にケーキが好きにならざるを得ないような環境だったので、今はもうケーキがなくては生きていけないような人間になってしまった。

OLに、「ケーキ食べに行こうよ」と言ったら、ケーキの嫌いな女性はあまりいないから、みんな「ケーキよ、わあ、ケーキよ!」と喜ぶ。それに花が嫌いな女性もいないから、花もあげる。

OLが定着しなくて、と嘆いても仕方がない。定着してもらうには、まず経営者のほうが、OLにとって魅力ある存在にならなくてはいけない。

そのためには、OLが好きなものを好きになることだ。ケーキが好きになって、部下のOLをケーキを食べに誘うこと――それができなかったら、田村正和とか石田純一みたいになることだ。

しかし、大部分はそっちのほうが不可能であろう。

ケーキが好きで花が好きな男性になったら、かなりOLに人気が出る。

それと女性はとにかく食べ物の話になると喜ぶ。ファッションの話となると、普通の男性は、もうやめてくれという感じだろう。しかし、女性にとっては、ウインドーショッピングがまた楽しい。

私はかつて、ウインドーショッピングほどこの世の地獄というものはないと感じていた。ある私の先生が、ウインドーショッピングに行くからというので私はお供をする。

先生は、二階、三階、とくまなくデパートの中を見ておられる。私のほうはずっと鞄を持って、内心では、「どこが面白いんだろう」と思いながらついていく。

これほどの苦痛はなかった。だからその間中、短歌を作ったり俳句を詠んだりして、苦痛に打ち勝った。

こういう修業を積んだおかげで、今では私のほうが先生よりもウインドーショッピングが好きになった。アクセサリーでも服でも着物でも、本当にそれが趣味になり、とにかくウインドーショッピングでは私の方が勝つ。

先生が、「もう帰りましょうよ」と言っても、私は、「あれがいいな、これもいいな」とずっと見ていて楽しい。

デパートで見続けるのが楽しいのだ。ふと我に返って、「あれ、いつの間に女性になったのかな」と思うこともあるくらいだ。

こうなってくると、OLと話をしても、女性と同じ目の位置で話ができる。花屋さんに行っていい花があったり花瓶があったりしたら、必ず買ってきて事務所に置く。

そうするとOLのみんなは喜んでくれる。もう何十回、何百回になるはずだ。

事務所はいつも花盛りで、必ずケーキも買ってきて、ケーキの銘柄も覚えて、自分も楽しんでいる。

話題が共通して話ができていくと、お互いに心が開く。そういう要素を男性の経営者が持っていないと、OLの定着率が悪いのは確かである。

ただし、経営者がOLに話を合わそうとするのはいいのだが、こらえながら無理矢理に、女の子のため、OLのためだからと思ってやるのは駄目で、それではどうしても続かない。

向こうに見破られてしまうからで、やはり自分も本当に楽しいと思わないといけない。

そういうお洒落なところがないと、なかなか若い女性は経営者や男性社員について来ない。

経営者は欧米の男性を見習え

欧米の男性というのは、とにかく女性にサービスする。私は三七歳から外国に行くことが多くなって、つくづく思い知らされた。

もう、とにかく「君を愛してる」、「君は素晴らしい」、「君は素敵だ」と言って、花をプレゼントし、ケーキを食べに行って、誕生日や結婚記念日には、大袈裟に毎回大事に奥さんや知り合いをもてなす。

実にまめにバーティーを開いてあげている。

日本の男性はそういうことは面倒くさくてやらない。そんな歯の浮くようなことを言うのは恥ずかしいし、今さらそんなの言えるかと思っている。

アメリカでは、ご主人が奥さんのことを愛していると言わないだけで訴訟を起こされ負けてしまったくらいだ。

一日一回愛してると言わないと奥さんが夫を訴えて、裁判になったのだ。それで離婚して、多額の慰謝料をとられてしまったのだ。

夫が一日一回、君のことを愛してると言わないというので、裁判長も、それはいけない、陪審員もそうだ、そのとおりということで、奥さんの方が勝って離婚が成立してしまった。

それを聞いたときは、私も恐ろしいと思ったものだ。アメリカなんかに住むもんじゃない、日本人でよかったと思ったのである。

しかし、そういうことがまかり通っているのが欧米の社会だ。

今では私も、イギリス人、オーストラリア人、アメリカ人と生活をし、仕事をしてきて、「あ、その方がいいな」と思うようになった。日本の女性も欧米化しつつあるわけで、女性の幸せを考えたら、その方が余程よい。

鹿児島などでは、今でも女性が男性より先にお風呂に入ってはいけないという。

日本でもまだ男尊女卑的なところが残っている。ヨーロッパではスイスがそうだが、それでは時代遅れだ。

これからの時代は、特に関東、東京では、そんな男性がいたら殴られてしまう。殴られなくても、OLはすぐいなくなってしまう。

どうしたらいいかと考えたら、やはり欧米流に、こまめに誕生日や結婚記念日に女子社員を集めて、パーティーをするのがいいのだ。

ちゃんとした服を着て、演劇を観に行ったり、音楽会に行ったり、食事に行ったり、ケーキを一緒に食べに行ったり、お話を楽しめるような、そういうお洒落な男性でないと、これからの若いOLはなかなかついてこないのである。

地位も名誉も権力もありプライドがある女性ならば、古い男でも満足するかもしれない。しかし、普通の一般的な女性は、感情的な存在だ。

だから、「ほんとに君のことを「愛してるよ」とか、「ほんとに君のお蔭で僕は今やっていけるんだよ。

僕の気持ちを表現するには足りないんだけれど、ささやかだけど結婚記念日にこの指輪をプレゼントしたいんだ」とか言うとよい。

そうすると、一年間忍耐の日々を送って、夫の尻ぬぐいばかりやってきた奥さんも、そういう気持ちだったのかと思って幸せになる。

そういう言葉と、そういう行為で、自分のことを大事に思ってくれていると絶えず知らせてくれるご主人と一緒になった女性は幸せだ。

奥さんのことを内心思っていても、「バカヤロー、この年で言えるか。

恥ずかしい!そんな歯の浮くような余計なことは「言えんわい」と知らん顔で新聞を読んだり、「飯」「風呂」「ビール」「つまみ」「枝豆」などと言いつけたり、ステテコ姿でテレビを見ながら、「阪神行けえ。巨人やれえ」とか言っていたのでは、奥さんは台所で子供と話しているしかない。こんな典型的な日本男児は、現代には合わないのだ。

徹底的に、具体的にほめる

「君はきれいだ」などと言うと、人によっては、「このバカ、何言ってんだ」と思ったりする。

だから、「君の洋服いいね、この白が普通の白じゃなくて、白でもイタリアの白でしょう」というふうに、具体的にほめなければいけない。

「君はきれいだね」なんて、国語の教科書を読んでるわけではないのだから…。

女性からネクタイを贈られたとしよう。

贈られたネクタイのお礼を言う場合も「素敵なネクタイですねえ」などというのでは駄目。

下手なお世辞だと思われるのがオチだ。どうせ言うのなら、「このネクタイの柄が素敵ですねえ。

セリーヌですか、グッチですか」とやるべきだ。違っていてもいいのだ。「いえ、ランバンなんです」と言われても、とにかく柄をほめなければ意味がない。

このように、無理なく普通に、ほめ方ひとつにしろやれなければいけない。女性はそういうつもりで買ってきたのに、何もほめないでは、女性の方もがっかりしてしまう。

会社の女性に声をかけるときも同じだ。「元気そうだね」などと言ったのでは、「元気ですよ。病気なら休んでますよ」と言われてしまう。

人のほめ方を知らない仕事一途の中小企業の社長では、OLはすぐいなくなる。感情が満たされて満足できる職場を、女性は求めている。

だから髪型を変えたら「あ、髪型変えたの?素敵じゃない。このあたりのチラチラがかっこいいね」と、具体的にほめる。

「美容院に行ったの?うん、きれいにした方がいいよ」なんて当たり前なことを言ったら、「今まで汚かったのか。その汚い私を採用したのはあんたじゃないか」と女性は反発する。

そういう細やかなところがないと、関東の中小企業に、ちゃんとした感じのいい、気のいい、運のいい女性は居ついてくれない。

これが、男性の経営者として必要な、「妙」というものである。

いいOL、悪いOL の違いはあるが、いいOLも悪いOLもなついてきて、この社長とこの会社で一生懸命働きたいな、働いてることが幸せだなと思えるようにもっていくのがベストだ。

そのためには普段から気をつけて、男性がそういうところを磨かないと駄目なのである。

女性の才能を生かすために

女性の才能を生かす秘伝、女性の才能を生かして会社を発展させる術とは何か。

編集やファッション、喫茶店の経営やメニューを考えるなど、そういう場合は女性の才能がいる。

中小企業の場合は、女性の技術職はあまりなくて、普通のOL、女子は事務職が多い。そういう場合は事務ができるとか、電話の対応がうまくできるなど、OLとしての仕事をきっちりこなせることが大切だ。

ちゃんと遅刻せずに来る。情緒が安定している。いつもニコニコして応対の感じがいいということこそが才能だ。

あとはエキスパートとして、花屋さんをやるのなら花のアレンジをして選んであげるとか、ブティックならお客さんにぴったりのものを選んであげるとか、その洋服の選び方のセンスがあるとか、いろいろある。

そして経営者は、女性に気持ちよく働いてもらうために、何をするかということが大切だ。そのためには、同じおごるのでも、焼鳥屋ではだめだ。

もうもうたる煙の中で、社長自らバコバコとタバコを吸って煙まみれにしていたのでは、いくらお金をかけても OLは感激しない。日本一高い焼鳥屋でごちそうしようとだめなのだ。

一般的には、女性はやはりレストランが好きだ。ホテルのレストランに連れていってもらったら、コーヒーを飲んだだけで、なんというか、目が輝いてくる。

最低でもファミリーレストランである。なぜ女性はファミリーレストランが好きかというと、デザートがあるからではないだろうか。

デザートがいろいろ選べるし、アイスクリームもケーキもある。ところが、焼鳥の店に行ったところで、デザートのアイスクリームはない。

そういう、デザートのケーキもアイスクリームもないような所に連れて行っても、喜ぶわけがない。

枕詞で仕事が円滑に進む

日本語にはいろいろと不思議な働きがあって、和歌では「枕詞」というものがある。おもしろいもので、女性に話をするのに枕詞を使うと、同じ会話でもうんとスムーズに気持ちが伝わることがあるのだ。

「言葉のおかず」と言ってもいい。枕詞の応用だ。

太陽の光が照っている状態を表現するのでも、「ひさかたの光のとけき春の日に」などと言う。この「ひさかたの・・・」という枕詞を置くと、無理なく「光」が出てくる。

夜を表現するにも、「夜が」と言わないで、「ぬばたまの夜のなんとかで・・・」とやる。「ぬばたま」には特に意味はないのだが、枕詞を置くことによって歌が落ち着く。

だから、話をするときも、結論を言う前に枕詞を言う。「君、最近なかなか仕事、頑張ってるね。それに今日も素敵な洋服じゃないの。明るくて元気に仕事してるようなんだけどもね」とまず言う。

するとOLさんはその枕詞で気持ちよくなってしまって素直になる。そこで、「昨日書いたあの書類、どこに行った?」と聞くと、「あっ、書類ですか。ここにあります」と。

そして、出てきた書類はメチャメチャだったりする。

そのときも、「このバカヤロー、学校で何を習ったんだ!」などと言ってはいけない。

「うーん、君の努力もよくわかるし、きれいな字で書いていただいたのはいいんだけどねえ、何が書いてあるかよくわからないね。やっぱり論旨ということも考えないとね」と言うと、OLも「すいません」と素直にあやまる。

この枕詞があれば、いくら苦い言葉でも嫌なことでも、人は受け入れられる。

しかし枕詞がない人は、結論がもろに来る。すると女性はうんとストレスが溜る。

理論的な骨子はあっていいのだが、やはり枕詞、序詞がはじめにあってから結論が出てくるのがよい。文学的、叙情的に話をしてあげると、能力を持っている女性はよく働いてくれる。

結論だけとか、ポイントだけを言うのは、男の社会ならそれでいいが、OLや女性の才能は、それでは生かしきれないのだ。

女性との会話には時間を惜しむな!

少し前までは「女の長電話」といって、男性はバカにしていたものだ。最近の若い男性は公衆電話で何時間も話すから、この表現は時代遅れになってしまった。それでも女性はやはり長電話が好きだ。

私が会社勤めをしていたころにTさんという先輩がいて、いろいろなことを教えてくれた。

男同士の電話なら、極力手短かに用件だけ話して、基本料金以内で終わることがよいとされる。それでまた通用する。しかし、女性の場合はそうはいかない。

「深見君。男同士ならそれでいいんだが、女性はそれじゃだめだ。五分で終わる話を、第どうやって二時間かけて言うかという世界なんだからね」

なんとバカな話だろうと思われるかもしれないが、ことセールス、ビジネスになると、ここのところをわきまえていないと絶対にうまくいかない。

住宅のセールスなどは、要点をポンポンポンと言うだけで売り込めると思ったら大間違いだ。

旦那の決断よりも、奥さんの判断がものをいう。旦那を射るよりも奥さんを射よ、というもので、奥さんがOKを出さないと、まず住宅は買ってもらえない。

奥さんの関心を引くためには、五分で済む話を二時間しなければいけないのだ。

ここにカーテンをつけて、ここには芝生があって、犬がいて…と、「もしも~わたしが~、家をたてたなら~」という世界だ。

ここに入口があって、ドアがここで、窓ガラスがこれで、カーテンはこんな柄で、家具はこういうので、天井はこんなふうになっていて、と夢がある。

「どういう家にしますか?」なんて単刀直入に結論を言ってはいけない。

「壁はこんな感じで、こんな壁紙がいいですかね。床はやっぱりタイルでは冬は冷たいから、絨毯かな、それとも、リノリウムとか……」とすすめる。

女性の住宅イメージは、土台工事も耐震設計も関係ない。徹頭徹尾、インテリアや内装にこだわる。

だから売り込む側は、素材や色などの細かなところまで提案して、何時間でも付き合ってやるとよい。

「床は奥さん、リノリウムがお好きですか?」

「そうね、冷たいようでもタイル張りも古代ローマみたいで素敵よね」

「それじゃタイルにして、冬は冷たいから絨毯にしましょう。ドアは重厚な木製にして、銅製のノッカーをつけると格調が高いですよ。ご主人が帰ったときに、ピンボーンじゃ安っぽいじゃないですか。重々しく、コツコツ、と。まるで貴族のお邸ですよ。今、うちのインテリアは、ヨーロッパから直輸入の金具をいろいろそろえていますから。それにビューバイザーだって、凝ったのがあるんですよ」

こうして奥さんをその気にさせてしまったら、あとはご主人と、耐震性や台風のときの対応などを決めるといい。

しかし、その前に奥さんと話をつけないといけないのだから、五分の話を二時間かける技術も必要なのだ。

女性は住宅に夢を持っている。だから三分、五分では駄目だ。三分か五分で話を済まされたのでは、女性は自分の夢を無視されたと思うからである。

母親への電話は長く話せ

他に、この先輩が教えてくれたことで、「故郷の母には長電話をしろ」ということがある。

就職して故郷の関西を離れて上京したときのことだ。母親が会社の寮に送ってくれた荷物を見たら、下着や服の上におかきが乗っている。

そんなのは、どこでも売ってる。それに加えて、私の好きな味付け海苔が三、四袋入っている。段ボールの中の下着の中にである。

私は笑ってしまったが、T先輩は言った。「おい、それが君、母親の心というもんなんだよ。僕も実家から食器とか下着とか送ってもらったけれど、必ずその中にキャラメルが入ってたりしたもんだ。

キャラメルが入ってたり、ナカノの酢コンプが入ってたり、せんべいとかあられが入ってたんだ。

子供がこれ、いるだろうかという親の心なんだよ。そんなの、お金を入れとけば自分で買えると言ったって、それが母親の心だ。君は女の心がわかっとらんね。母親も女性なんだからね」と教わった。

母親に電話するのでも、「三分で済む話を二時間かけて話せ」と教わった。「電話代がなかったらコレクトコールでもしろ」と。

この話を聞いて私は、ハッと思い当たった。故郷の妹が私に「お母さんが、最近息子(私のこと)は人が変わってしまった。東京に行ったら薄情になったと泣いている」と書き送ってきていたからである。

それも、電話をかけても要件だけ話したらサッサと切ってしまうから、という理由で。

それから私は、母親への電話のかけ方を改めた。「最近元気?良かったね。妹は?弟は?ふーん。近所の叔父さんのところの犬は?そう。うん、こっちも元気だよ。

仕事も覚えたしね。この前は用事で、そっちの隣町に手紙を書いたんでなつかしかったよ。……」。三分で済むことを、三十分以上もえんえんと話すことにしたのである。

そうしたら、「あの子は元にもどったと、お母さんが喜んでいる」と妹から電話がきた。母親だって女性なのだから、セールスと同じで、切口上で話してはいけない。

意味がない会話と思わず、時間を惜しまずにせっせと合いづちを打って長話に付き合ってあげるべきだ。こういうことを知らずに「会社の電話は手短かに」だけでは、特にセールスマンは務まらないのである。

OLにも、いきなり結論を言ってはならない

仕事の関係でOLと話すときも、事情は同じだ。いきなり結論だけ話して、即断を求めるような言い方をしてはならない。

OLは自分が無視されていると思って反発するだけだ。どんなに相手に能力があり、ファッションや料理、絵のセンスなど、そういう女性の才能がある人であっても、結論だけ言っては話は進まない。

たゆとう感情に訴えて意見を聞くのだ。

「私ね、今こうしようかと思ってるの」、「あー、それはなかなかいいね」「でもやっぱりだめかなあ」「うーん、だめかもしれない」「どっちなのよー」と聞かれたら、「君が一番いい方に行くのがいいよ」と。

すると「あー、私のことを思ってくれてる」と勘違いして話が進む。

お腹の中ではたとえ「好きにしてくれ、付き合ってられないよ」と思っている人でも、「要するに結論はどうなんだ!」とは、絶対に言ってはいけないのだ。

あくまでも、結論がどうなるかわからないから相談してるんじゃないか、ということで話を持ちかけているのだ。

「自分でもわからないから聞いてるんじゃないの。私に結論があるぐらいなら聞かないわよ」というのが女性の論理だ。

「自分で考えて煮つめてみて、それから来てくれ。そうでないと忙しいから、お付き合いできないよ」というのが男の理論だ。

職場の女性だとか、奥さんとか、お母さんにはこの男の理論では通じないのである。

妙がある男性は、五分の話を二時間お付き合いできる。結論を言ってはいけない。

結論はわかっていても、結論に行くプロセスのたゆとう心にお付き合いしてあげることで、女性は情感が満たされる。

女性を相手にしたお仕事、例えばデパートの婦人服売場の人などは、そこがわかっている。

だからお客がドレス一着、水着一枚買うのに「あれにしようかしら。これもいいし……………」と迷って何十回試着しても、ニコニコして、「それもお似合いですわ。あれも……」と付き合っている。

間違っても、「要するにどんなのが欲しいんですか!どれだって一緒ですよ」とは言わない。

そこのところを、相手が同じオフィスで働くOLだと、男の側はどうしても自分と同じだと考えて、「結論だけ言ってくれ」とやってしまう。

いくら有能なOLでも、本当はクヨクヨ迷うのが好きな女性のお客さんと同じだと考えてあげないといけない。そうでないと、せっかくの女性の才能と能力も生かしてあげることができないのである。

第6章 最高に才能を高め、生かす方法とは

才能を開発する方法〜才能とはお金になるものだ

前章では、女性の才能を生かすための経営者向けの知恵、「妙」について書いたわけだが、最後に女性にも男性にも共通する、才能を開発する方法について書くことにしよう。

才能を生かすといっても、才能があったら生かす方法がわかるのだが、才能がなくては生かしようがない。

才能を生かしたり開花させるにしても、その前に才能とは何かが問題だ。この点を、まずはっきりさせておこう。

いろいろなことを器用にできる人がいる。絵を描いたり、歌を歌ったり、文章を書いたり、デザインをしたり、経理ができたり。

しかし、それが才能かどうかはわからない。器用貧乏というのもある。いろいろ器用にやるのはいいが、器用貧乏になってはいけない。

器用貧乏になってはいけないのなら、何になればいいかというと、何でもできる才能にしたらいいわけだ。

器用貧乏と、何でもできる才能の違いはどこにあるかというと、才能はお金になるということだ。

一般的に言って、お金は命の次に大事なものと言うことができる。

だから、そのお金を出してでもその人にデザインを頼みたい、絵がほしい、音楽を聞きたい、そう思わせる表現の力は才能だ。

これに対して、その人の歌やピアノの演奏はまあ上手であるが、お金を出してまで聴くほどのものではないというのは才能ではない。

お金を出しても聴きたい、お金を出してもその絵を手に入れたい、お金を出してデザインをお願いしたい、お金を出してその本を買いたいとなったらそれは才能のある人。

本を書いて自費出版したとしても、誰がこんなの金出して買うかとなったら才能とは言わない。

まして、無理やりにとにかく買わされたというのは、結婚式の御祝儀とか、葬儀での香典と同じだ。

お客の方からぜひ買いたいという本が出せるとなると、やはり物書きとしての才能があるということになる。

つまり才能というのは、この世の中で人々が、お金を出してもいいと認めるものだ。器用でお金になる場合は、それは才能だと言える。

才能と器用貧乏の違いは、その一点に尽きる。人々がお金を出してもいいと認めるだけの能力が才能だということだ。

しかし、この才能というのは、どうしたらできるものか。下手な鉛筆書きのスケッチくらいなら誰でもできるが、人が争ってほしがるような絵を描ける才能の持ち主は、そうはいない。

大体ダ・ヴィンチなどはスケッチ一枚で億単位だ。

情熱が才能を作る

読者のみなさんも、それぞれ何か得意な能力があると思う。それを才能に高めるためには、どうしたらいいかが問題なのである。

「論語」に、「これを知る者、これを好む者にしかず。これを好む者、これを楽しむ者にしかず」という言葉がある。

一応知ってます、できますという人よりは、好きでしょうがない人の方が上手になる。好きこそものの上手なれなのだが、好きでやっている人も、やるのが楽しくて楽しくてしょうがないという人には勝てないという意味だ。

魚釣りでもそうだが、最初はとにかく夢中でやっているだけ。やがて好きでやるようになり、楽しんでやるようになると、釣りの本を書いたり釣り道具屋さんになったりする。

釣りの本を買おうと思う人も、釣りが楽しみでしかたないような人の書いた本なら、お金を出す気になる。つまり、そこで釣りが趣味から才能になってくるわけだ。

そこで、下手の横好きと才能とを分けるものは、「情熱」、これである。

英語を覚えるのでも同じだ。「何がなんでも英語で飯を食うんだ」という情熱が持続すれば、いろいろな難関で頭打ちしながらでも、やがてうまくなり、同時通訳までもできるようになる。

つまり才能が開花する。この情熱の大きさ、強さ、継続力が才能の源泉だ。

情熱が大きく強烈で、しかもそれが継続して、次から次へと発展して行く人は、絶対才能をものにしている。

語学の才能、音楽の才能、絵の才能、ビジネスの才能、ファッションの才能、メイクの才能。すべてものすごい情熱から生まれる。

とにかく情熱を持ち続けて発展させていく人は、その分野に関しては必ず才能にしている。情熱を持たないものは絶対に才能にならない。

人よりも少しぐらい秀でたところはあっても、それだけでは才能とは言えない。すごい才能はその中にすごい情熱を持っている。

才能がずっと開花し続けているとすれば、その人は熱い情熱を持ち続けているのだ。ものすごいところまでいったような人はものすごい情熱を持っているのだ。

情熱こそが、記憶力、集中力、理解力、知識の吸収、そして次元の高いものを求めて 90 伸びていこうという原動力になっているからだ。

どんなに劣悪な環境から始めても、情熱が続く限りうまくなっていく。これが運を呼ぶ。この情熱こそが魂(御魂)の発動で、御魂がウワーンと発動しているからこそ運を呼ぶのだ。

だから、人間は情熱がなくなったら最後だ。御魂が死んでいるわけで、背後霊も協力してくれない。

神道では、その越えていく力、乗り越えて、乗り越えて、乗り越えていく力が大事だという。

それが情熱であり御魂の力でもある。成功しようと失敗しようと、乗り越えていく。情熱が続く限りは、過去の少しばかりの失敗も成功に変わっていく。

彼の才能はだめになったというのは、情熱がとぎれたからだ。情熱さえとぎれなければ、才能は絶対にだめにならない。

どこまでも伸ばしていくことができる。最初のうちは社会に認められなくても、情熱があったら圧倒的な才能になっている。そうなれば世の中も認めざるを得なくなる。

だから才能がない人というのは、結局情熱がない人に他ならない。

ひとつの才能があってもあまり開花しきれない人というのは、その分野に関して情熱が継続できていなかったり、強烈でなかったりする人なのだ。才能がない人は情熱がない人と考えていいのである。

マンドリンの第一人者の才能も情熱から

私が「日本の心」というCDの録音をしたときは、マンドリンの伴奏をつけてもらった。

そのときに弾いてくれたのは竹内さんという女性で、マンドリン奏者としては日本一の方だった。

竹内さんの演奏は、仕上がりがいい。仕上がりが良くて早くて、一発で OKだから、結局録音は安くつく。

だからマンドリンとなると、クラシックでも、ボッブスでも、演歌でも、何でもその竹内さんが呼ばれるという。

六十四、五の女性で、私とのお話も盛り上がった。マンドリンというのは、昔は西洋琵琶と言われていて、明治の中期に入ってきた楽器だという。

戦前、戦中は、レコードがまだない時代で、ラジオで音楽が流れる程度だった。だから西洋楽器とふれることが、うんとおしゃれで、ハイカラだったそうだ。

竹内さんがマンドリンをやりはじめたころは、一日十何時間も先生について、真夏でも汗をじっとりかいて、畳が汗で変色するぐらいずっと弾き続けたそうである。

今はカルチャーセンターなどでもマンドリンを教えていらっしゃるが、昔はマンドリンは非常にかっこいいものだったから、マンドリン一筋だったわけだ。

それもやはり情熱のたまものなのである。

才能を開花させるための「こだわり」

一生懸命絵を描き、歌を歌い、文章も書くという情熱はあったにせよ、才能として開花するには、こだわりがいる。

執念というか、あきらめない心、こだわりだ。こだわりがあると、絵を描くにしても、「人様と同じような作品ではいやだ、誰もできない何かをやるんだ」と思う。

たとえば情熱は持っているのだが、何回やってもなかなか人よりも一歩秀でたレベルにうまくいかないとしよう。けれどもそれでもやはりやり続けていこうというのがこだわりだ。

情熱を持ち続けるのはもちろんだが、それだけではなく、音楽ならコンクールに出続けるとか、絵ならビエンナーレの版画展やデザインコンテストとかにこだわりを持って、絶対に金賞を取るんだ、絶対に入選するんだと努力することだ。

絶対あの先生に認めてもらうんだとか、絶対にイタリアに行ってこれをやるんだとか、その人なりのこだわりがないと、才能は開花しない。

単に絵を何年か、情熱にまかせて一生懸命やっても、自己満足のお山の大将で終わることもある。

それがその人の才能として具体的に開花するためには、コンクールに出したり、外国に行ったり、こういうものに自分はなりたいという本人なりのこだわりがいるのである。

何でもいい、やれればいい、絵さえやっていたら、音楽さえやってたら、文章さえ書いていたらいいんです、と先生について情熱をずっと持って一生懸命やっているだけで才能になるかと考えたら、まあ才能にはなっていく。

けれどもプロとして、お金を出しでもやりとげるんだというこだわりや、あきらめない何かがあって、ついに個性として才能が完成していくわけである。

情熱だけでは個性は完成していかない。分野によっては、才能とはなかなか言えない。絵画の能力、文章の能力、経営の能力、コミュニケーションの能力、語学の能力など、どれも漠然と伸びていたのではプロになれない。

例えば通訳を目指すなら、英語がただうまいだけでなく、プロになろうとする場合は、特定分野へのこだわりがいる。

特に医学関係の同時通訳のエキスパートになるとか、そういった場合だ。油絵でも自分は裸婦がいいんだとか、いや、私は風景画がどうしてもやりたいんだとか、ピアノでもショパン弾きになりたいとか、ジャズのこれがいいんだという、特別な何かを情熱的に具体化していくこだわり、執心が必要だ。

何かこだわっている、それがないと、個性としてなかなか完成しないのである。

良い師匠につかないと何でも上達しないが、その師匠を追い越すほどのものになろうと思ったら、師匠の言う通りにばかりしていてはいけない。

師匠の言うことをヒントにして、自分なりのこだわりがないと、やはりただの師匠のコピーで終わってしまう。その人の個性が確立しないからだ。

「こだわり」という言葉は変な言葉かもしれないが、このほうが読者にはわかりやすいだろう。

つまり、何か分野を特定して、その人の一番興味がそそられるものや関心、それがあると、才能として個性が完成するのである。

才能を開花させるための「思いきり」

「情熱」があって、「こだわり」を持って、自分の能力を個性あるものとして高めていく。その上に、あとひとつ、「思いきり」があれば、才能は間違いなく花開くことになる。

情熱はものすごくあって努力し続けているし、ひとつのこだわりを持って「私は絶対にこういうふうになっていくんだ」という人で、才能を開花させた人というのは、チャンスをものにしている。

留学するかしないかというときに、思いきって外国に行って、何年も留学する。それでコンクールに出るか出ないかというとき、思いきって出場する。

会社を買い取るかどうするかというときにも、思いきりがよくない人は、チャンスをものにできない。

情熱が一番大事であり、次に何かのこだわりを持って個性を確立していくのだが、最高に大きく才能が開花するときには「思いきり」がないとジャンプしないのだ。

トップテナー、田代さんの思いきり

私がステージでオペラの「俊寛」を一緒に歌った田代さんは、日本のトップテナーの一人だ。才能の開花に必要な思いきりの良さで、次々とチャンスをものにし、才能を飛躍させてきた人だ。

田代さんはもともとはイタリア系のテノールだったのだが、ドイツリートのワグナーを歌いませんかと、主役の話がきた。

そのときに、「僕はイタリア系でやってきたから、ドイツのワグナーなんか歌うと喉をつぶしてしまうこともあるし、やれるんだろうか」と迷ったという。

それで自分が師事していた持田先生という方に相談したそうだ。持田先生は、「あっ、きみ、やれますよ」と太鼓判を押した。

持田先生という方はドイツリートで有名な先生だ。これまでコンサートでシューベルトの「冬の旅」を全曲で五十回も歌っている専門家だ。

その持田先生が、「うん、やれるよ、きみ。僕が責任持つからやりたまえ」とおっしゃるので、「先生がそう言ってくださるんならやります」、と田代さんは引き受けたそうだ。

練習している途中で、「やりこなせるでしょうか」と聞くと、また先生は「うん、やりこなせるよ、だいじょうぶだよ、僕が責任持つからやりたまえ」と言う。

それで、その言葉通りやってみたら、結果が抜群に良かったのだ。それからずっとワグナー作品のテノールとしての主役をもらうようになった。

田代さんのジャンプは、このときだけではない。テノールを志したときも、イタリア音楽でいこうと決めて、イタリア留学を決心して、文化庁の芸術家派遣の抜擢を受けたのである。

イタリア系を自分で完成しておいて、そこで平穏にやっていくのも可能だったのだが、ワグナーの話がきたら、パッと思いきりよく切り替えたわけだ。

その後、私と「俊寛」を共演してくださったわけだが、「俊寛」と平行して「ロミオとジュリエット」もやっていた。

こちらはフランスもので、フランス語で歌う。「ロミオとジュリエット」の話がきたときも、「やります」とパッとトライしたのだそうだ。

この、才能が開花しきれるかどうなのかの一番のチャンスがきたときに、バーンと思いきりよく留学するとか、そういう話がきたときに、思いきりよくトライするというのがないといけない。

どんなに情熱を持っていても、どんなに執心があっても、ここ一番のときの思いきりで、チャンスをパッとつかみきれない人間は、やはり才能が開花しない。

国内で一生懸命情熱を持って努力はしているし、発展的だとしても、ここ一番で気が小さいという人や思いきりがよくない人は、チャンスを逃している。

チャンスを逃したら才能は開花しきらない。

どんな人間にも一生のうちに三度チャンスは来ると言われているが、チャンスをものにするかものにしないかのポイントは、思いきりがいいか悪いかにかかっている。

人様からこんな仕事をしませんかと誘いがきたときに、「えー、やれるかなー、どうなのかな、ちょっと自信がなくてー」と言っていたのでは、チャンスはサッとあっちへ行ってしまう。

こんないい仕事をしませんかときたら「あ、やります、やりますよ。得意です」と受ける。

お腹の中ではハラハラドキドキ、大丈夫かなあと思っていたとしても「やります」と言って、とにかく言った手前上絶対やるんだと思って、思いきりよく、来たチャンスをものにするべきだ。

ジクジクジクジク優柔不断で、気が小さく、思いきりが悪い人間はチャンスを逃す。それではいつまでも才能は開花しないのである。

日本仏教も思いきりから生まれた

日本の仏教の開祖と言われる人たちは、素晴らしく思いきりがよかった。禅宗の僧侶である道元禅師は、死ぬかもしれない危険を覚悟で、思いきって宋へ渡り、そこで悟りを得ている。

空海も最澄も同じである。当時、留学とはすなわち生死をかけたものであった。

なにしろ中国に渡っていく船のうち、半分が沈んでしまう。片道がセーフでも帰り道で沈む場合もあるわけだから、往復とも運良く行かなければならない。

それを覚悟で飛び込まなかったら、空海もいなかったし、最澄もいなかったし、道元もいなかったし、栄西もいなかった。留学僧たちは命がけで飛び込んでいったのだ。

お坊さんにしても思いきりよく越えたということは、やはり情熱が強烈にあったからだ。本当の仏道を極めたいという情熱があったが故に、例え死んでもいいから中国へ渡るんだと思いきれた。

「こういうものを勉強したい!」という情熱があったから、「外国に行くんだ!!」とこだわって、思いきりよく留学したのである。

若くして何かをものにした人というのは、みんな、この情熱とこだわりと思いきりのよさで飛び込んでいってものにしている。

若くして才能の根幹を築き、そしてそれを本物にして社会で開花している。

社会で開花して、そこまで極めているということは、情熱があって、こだわっていて、チャンスをものにしているからだ。

製品でもそうだ。商品の開発にしても、消費者が喜ぶものを「絶対に作るんだ!」と情熱を持って何回も何回も実験し、こだわりを持って、思いきりよく商品を作って打ち出すことだ。

すると、あの会社は絶えずいい品物を出してきて、業界をリードしているということになる。

才能が十分に開花しきらなかった人は、「情熱」、「こだわり」、「思いきり」、この三大要素のどれかが足りないはずだ。

才能が本当に開花している人は、どこかでこの三つの要件を満たしているのである。

才能の神様はこちら様だ!

情熱、こだわり、思いきりこの三つをもってみなさんに才能を開花していただくために、最後に才能を司る神社の神様を紹介しておこう。

一言で言うと、須佐之男命様が才能の神様だ(和歌山県・熊野本宮大社)。「古事記」において、須佐之男命は海原をしろしめせと言われたとされるが、これは海原、つまり現実界をしろしめすという才能を表している。

芸術、宗教、学問を通じて物事を現実界に成らすという神様である。

だから、絵や音楽をやっている人が熊野の神様にお祈りすると、コンクールに優勝したり、コンテストに入選したり、いい先生に巡り会って見出だされたり、留学をしなさいと勧められてチャンスを得たり、それまで磨いてきた才能が開花するわけだ。

天界の神様は、ひらめきや発想や、そういう感覚を与えてくれるわけであるが、それを現実界で成らすかどうか、つまり成功するのかどうかは、海原をしろしめす須佐之男命様の管轄なのである。

美的才能や智恵の才能、真善美の才能をものにし、現実界で事成らす。このように熊野の神様は才能開花の神様である。

会社の経営にも、この芸術的要素、宗教的要素、学問的要素は必要だ。会社の経営には、総合的な人間力が必要だから、才能を開花していく、成らしていく神様が一番なのである。

その次に才能の神様と言われるのは、猿田彦の神様だ。こちらは芸能の神であり、演芸の神様であり、要するにパフォーマンスの神である。

芸能演芸、それから教育などに携わり、面をいくつもいくつも付け替えるように、多数の才能を身につけさせてくださる。

講義や講演のときもバックアップしてくださる。

才能の神様では、熊野の須佐之男命が一番で、次に猿田彦の神。人間の能力や才能を導いてくださり、またそういう教育もしてくれるということでは、猿田彦さんが一番である。この二つの神様が、才能を開花し、成らすという神様だ。

関東なら、千葉県にある猿田神社が一番だ。伊勢の猿田彦神社にもいらっしゃる。猿田彦さんの能力、御守護によって才能が開花していくだろう。

須佐之男の系統を引いている出雲大社の大国主様も、才能を人に認めてもらえるようにする働きがある。

才能という面では須佐之男、猿田彦の神がメインだが、出雲の大国主の神様は、そのあとを引いて海原をしろしめして大国の主となる。

すなわち才能を人が知ってくれて、その人の導きによってどこかに紹介してもらうというような、人とのご縁によって、才能を開花すべき縁に結びつけてくれる。

才能そのものというよりも、その才能を生かす、あるいは、認めてくれる人との出会いを作ってくれるのが、出雲の神様だ。

須佐之男命、猿田彦命は、現実界に才能をならしてくださる神様だが、さらに根源的な才能の神様がいらっしゃる。

根源的なる才能の神様といえば、白山菊理姫様しかいない。(石川県白山比咩神社)私などは、この神様に導かれて、ものすごい強烈な教育を受けた。

あられもないような(?)、ものすごい教育計画で仕組んでくださる。御魂を作った神様だから、人の御魂の能力を顕現する働きがあるのだ。

才能を現実界に成らして、現実界で通用するようにしていくのが、熊野の神様と猿田彦の神様だが、内的な御魂の輝きとか、その人の素質や音感や美感などを組み合わせていくとか、人の出会いなども、大きいところで作るのは、みな白山菊理姫様である。

その人の御魂の本来持つ力や御魂の本質に合ったような方向に、その人の一生を仕組んでくださる。

やはり、ここがビシッと決まっていないと、どんなに熊野に行っても、出雲に行っても、猿田彦神社に行っても、方向性は決まらないかも知れない。

白山は根源的一生涯のプログラムを作るところだから、「私にふさわしい才能は何なのか教えてください」と聞きに行くとよい。

例えば「私は音楽が好きなんですけども、これをどのようにして開花していけばいいのか、開花できるような私にしてください」というように…。

そうすると、例えばものすごく怖い先生に付くことになって、「馬鹿者!おまえ、こんなふうでいいと思ってるのか」とひどい目に遭わされるかも知れない。

しかし、その苦労のお陰で、次に来た先生が相当やりにくい先生でも、十分に楽しくやっていけるかもしれない。

普通のお弟子はみな逃げだすような怖い先生だとしても、前の先生がもっと怖かったから、今の方がすごくやりやすいと思うわけだ。

情熱的に頑張って、そういう弟子は珍しいから引き立ててくれるとかいうこともあるかもしれない。強烈な怖い先生だけども、親戚だから逃げられない・・・・・・などといった環境作りを、菊理姫様はなさることもある。

必ずしも怖いばかりではないのだが、本当の本物にしてくださるプログラムを作ってくれるし、それまでが、そうでないプログラムだったら変えてくれるのだ。

才能がいまいちで平々凡々な暮らしというのもいいかもしれないが、白山の神様は本当にその人のことを考えて、例え厳しめであってもしっかりできるような、才能開花する人生にしてくださる。

真剣に祈れば、わかったと受け取ってプログラムを組み替えてくれるが、決して易しくはならない。安楽な方には絶対になさらない。

御魂の向上や修養を重んじるという考えでおられるから、必ず厳しめになるわけだが、間違いなく本物になっていく。

ここにお願いすると、一生涯のプログラムが根幹から変えてもらえる。情熱を持った願いによって、それを組み替えてくれる。

遺伝子を組み替えるように、運の組み替えをしてくれる。それが仕組みの神、御魂の神、結びの神の根源的な神たるゆえんだ。

だから、ここでビシッと整えておかないと、どんなに熊野に行っても出雲に行っても猿田彦に行ってもダメなのだ。

今ある能力をものにはしてくれる。けれど今ある自分を、根本的に変えてくれるのは白山しかない。

根源的な才能の神としては、白山菊理姫様が第一番なのである。

みなさんの才能を開花させるために、またそれだけでなく、生涯を根本的に良くするために、是非とも白山にお願いに行くことをお勧めする次第である。