よく分かる霊界常識(Vol.2)

まえがき

私はかれこれ十三年以上、ラジオ番組のパーソナリティをつとめています。

各界の第一線で活躍中のゲストの方をお招きしてお話するのも楽しいですし、リスナーの方からの悩みやご相談にお答えすることで、少しでも皆さんのお役に立てることも嬉しい。

一九八五年の「今夜もウエルカム」(六ヵ月)から始まって、「ハートのプラネタリウム」(三年間)、「セイザン・ケンザン」(一年半)、「OVER HEAD COME RADIO」(二年間)、そし今でも続いているFM番組「さわやか・ディス・ウェイ」(一九九〇年から始まって、間もなく九年目になる現在も放送中)にいたるまで、その思いは変わっていません。

私は「ハートのプラネタリウム」や「セイザン・ケンザン」などの番組の中で、リスナーの方からの悩みや疑問にお答えしながら、今の人たちは、悩みの主な原因となっている霊の存在や霊界について、あまり正しい知識をもっていないことに気がつきました。

しかし、正しい霊界知識を教えてくれる場は非常に少ないので、無理のないことだと思います。

そこで、私は実践的霊界研究家として、自分の知り得た霊界や神界のことを、もっと多くの人に知っていただきたい、そしてみんなに幸せになっていただきたいと思うようになりました。

特に私のラジオを聞いてくれる若い人たちが、少しでも正しい霊界知識をもち、よりよい人生を送るお手伝いをしたいと痛切に思っています。

それが私の役目の一つであると考えるからです。

世の中には種々雑多な霊界知識が氾濫しており、中にはまったく正しくない、あやしいものも数多くあります。

しかし、正しい霊界知識をもってそれを活用すれば、人間の進歩向上や社会の発展に寄与し、文化的な品格を高め、現実の生活や仕事にプラスになっていくものであります。

またそうでないものは、誤ったものであるとも言えましょう。

そして、それらを普遍的な社会性にどう適合させ、活用していくか、またそれを一人一人の人間性の向上にどう役立てていくかが私のテーマであります。

ですから、一流一派にかたよらない、普遍的な宗教性や客観性、文化性を一番大切に考えています。

そうしたことが、公共の器であるラジオ媒体のパーソナリティに選ばれ、通算すれば十三年間も番組を担当させていただいている理由でありましょう。

本書をお読みになって、そういうところを学ばれれば、皆さんの人生にとって非常に有意義なことではないでしょうか。

霊の存在を知らない人たちや、間違った霊界知識で悩んでいる人たちが、本書を読むことで生まれてきた意味を知り、これからの人生の指針にしていただければ、これ以上の幸せはありません。

願わくばこの本を手にとった方々が、最高の人生を送れますように。それが私の願いであり、喜びであります。

現在オンエア中のFM番組「さわやかディスウェイ」は、霊界の話題とはあまり関係なく、芸術・芸能の分野の一流の方々をゲストに迎え、日本文化や世界の文化に関する対談が中心になっています。

しかし芸術とは、最高の心の世界であり、いわば最高の霊界といえるものでありましょう。

また今後も機会を作って、みなさんの疑問や悩みにお答えしていきたいと思っております。

ぜひ一度、私の番組をお聞きください。

本書は、これまでラジオでお話ししたことを中心に、解りやすくまとめさせていただいたものです。

最後になりましたが、当時一緒にラジオ番組をつくって下さったスタッフの方々に、この場を借りて改めてお礼を申し上げます。

平成十年十一月末日

深見東州


■ まえがき

≪1≫ 霊能力・超能力はどうしたらつくか

霊能力をつける方法

Q 深見先生のように霊能力をつけるにはどうしたらよいでしょうか。もし生まれつきのものでしたら、いったいどんな人が霊能力が強いのでしょうか。
(愛知県岡崎市 H.M/男)

深見:私はいかにして霊能力が磨かれてきたか、そのプロセスを説明するのが一番わかりやすいと思います。

私の場合は幼いころから人よりも霊感が強かったのですが、自分に霊能力があるということを本当に自覚し始めたのは高校生のころで、それは人のためによかれと祈る心が極まった時に強く発揮されるものでした。

守護霊様がついてくださっているということをハッキリと自覚し、「神様、なんとかこの人が幸せになりますように、なんとかよくなりますように」と、人のためによかれと祈る心を継続していくと、「直感」が出てきます。

そしてその直感は、日々の積み重ねの中で次第にステップアップしていって、やがて霊能力に昇華するので具体的な例をあげて説明しましょう。

たとえば、会社経営者のAさん。このA社長は、私が著書のなかでくり返し書いているように、「我よりも、人様によかれ」と考える人で、たえず社員の幸せを祈り、「お客様もわが社もよかれ」という気持ちで真剣勝負の毎日を送っています。

そんなある日のことです。 A社長が、遊びに来た知人と世間話をしながら東になった稟議書や伝票にOKの印鑑をポンポン押していると、ある伝票のところで、ふと手が止まってしまいました。

特に理由はありません。手が勝手に止まってしまったのです。何となく気になったので、部下を呼んでこの伝票について訊ねてみると、「実は、これには問題がありまして・・・・・・」

なんと、A社長は何百枚もの伝票の中から、問題のあるたった一枚の伝票を、瞬時に、それも無意識のうちに見抜いたわけです。

このように、仕事に打ち込み、真剣な日々を送っている人というのは、多かれ少なかれ、良い意味での霊感(直感)を持っています。

そしてこの霊感は、守護霊様のご加護を信じ、「人様によかれ」という”想い”をたえず真剣に持ち、その想いを日常生活のなかで極めていくことによって、霊能力へとステップアップしていくのです。

ただし、気をつけなければならないのは、霊感には正しいものと邪悪なものがあるということです。邪悪な霊感とは、低級霊や邪霊、お稲荷さんや蛇などの動物霊が与える霊能力のことで、これは究極的にはその人を不幸にする霊感です。

霊能力を身につけたいと意識し過ぎると、邪悪な霊たちが、「ハハーン、霊能力が欲しいんだな」と思って、ポンと憑依することがあるので注意してください。

私が最初に申し上げたように、人様によかれと一生懸命に祈る日々の生活のなかで出てくる研ぎ澄まされた直感この霊感こそが善であり、人を本当に幸せにする霊能力なのです。

霊能力を身につけたいと思うのなら、正しい霊能力をめざしていただきたいと思います。

なお、生まれつき霊能力のある人というのは、前世において霊的な信仰を持っていたり、神様と交流することができた人です。その当時の霊的な感性が、素質として現世に引き継がれているのです。

<用語解説>
①霊能力… 一般に霊能力、神通力といわれるものは大きくわけると六種類(天眼・天耳・自他・神足・宿命・漏尽)あり、これらを六大神通力と言う(神足通力のかわりに運命通力を入れる場合もある)。

この他にも霊言、言霊(言葉に内在する霊力)、自動書記(筆記用具を持つ手が勝手に動いて、神界からのメッセージを文字で表す)、物品引き寄せ等の霊能力がある。

また、霊能力には正(正神界)と邪(邪神界)の二種類があるのだが、正邪の区別をしないで、単純に信じたり、あこがれたりすると、知らず知らずのうちに大きな過ちを犯してしまうので要注意。ちなみに正邪を区別することを「審神」と言う。

②守護霊… 背後霊団のリーダー。本人が天命に添って生きるように霊界から善導し、その人の魂(「御魂」とも言う)の成長を第一として教育指導する尊い存在である。

一般的に、十代以上前の霊格の高い先祖霊が守護霊になる。霊格が高いとは、生前、修業を積んで学問を修め、道を極めて徳を養い、死後、霊界の高いところにいるという意味。

守護霊は、本人が成長するにしたがって、通常、一生のうちに三回くらい交替する。また、守護霊団は一般人で十人~十五人、多い人で五十人~百人くらいで守ってくれている。

③お稲荷さん… 稲荷狐の意。本来、稲荷狐は、五穀豊饒をつかさどる神様の使者であったが、人間の心に邪念が多いため、本来の使命を忘れて人間に悪さをする”ハグレ狐〟と化してしまったのである。

そうしたハグレ狐〟でも、信仰している間は、商売繁盛、家内安全などの現世利益をもたらしてくれるが、崇敬しなくなるとたちまち仕返しをして無一文にまで追いやり、ひどい場合は七代祟るとも言われている。

また、死んで霊界に行った人間霊が狐の姿になっているものも多い。現世利益だけを求めて稲荷信仰をしていると、死後、狐の姿になってしまうのである。

これが先祖霊稲荷である。そしてこの先祖霊稲荷は子孫たちに憑いて霊流を送るので、その子孫たちも狐のような性格を形成しやすくなる。

ご先祖のなかに、生前、稲荷信仰をしていた人があれば、人霊狐になっている可能性がある。

④蛇… 蛇の霊が憑くと、夢のお告げを受けるようになる。ある瞬間にパッと見えたというのではなく、白日夢のように常に見えているという人は、蛇が憑いている場合が多い。霊界における蛇は、一般の人が考えているほど単純なものではなく、その種類も狐や理にくらべてはるかに多く、

NO.1動物の蛇
NO.2人霊怨念霊蛇
NO.3人霊怨念合体蛇
NO.4生霊怨念蛇
NO.5生霊強烈慕情蛇
NO.6先祖霊蛇
NO.7神罰の蛇
NO.8仏罰の蛇
NO.9水蛇
NO.10海蛇
NO.11ヨガ蛇
NO.12白魔術系の白金猛蛇
NO.13黒魔術系の黒猛蛇
NO.14本人の情欲過剰蛇

この十四種類がある(NO.1は動物霊、NO.2〜NO.6人霊が蛇の姿になっているもの、NO.7、NO.8は人霊ではなく、神の眷属としての蛇、NO.9〜NO.14は実際に霊界にいる特殊な蛇)。

これら十四種類の蛇は、霊界ではみな同じ姿をしているので、外見だけで判断すると失敗する。霊視だけをする霊能者は、特に危険である。

一般的特徴としては、①進歩向上しない、②絶えず低いところ低いところへ逃れようとする、③苦難に遭遇すると、精進努力してそれを乗り越えようとするのではなく、横にヌルリと逃れようとする。

④ネクラで、悪いほうへ悪いほうへと考える、⑤性格が陰湿でいつもグチを言う、などがあげられる。(六大神通力や動物霊などについて詳しく知りたい方は、「神界からの神通力」(深見東州著/たちばな出版刊)をご参照ください)

⑤憑依… 人間が、神や精霊、悪魔などの超自然的な存在(霊)からの侵入を受けて、その肉体を一時的に明け渡すこと。霊が乗り移った状態になり、その霊の言葉と称するものをしゃべったり、それらしい動作をしたりする。

憑依するのは、通常は死者の霊だが、生霊(生きている人間の霊)や、狐、神木などの動植物霊、まれには刀剣や各種の宝物などの霊もある。憑依された人間は、意識がはっきりしている場合と、その間の記憶が失われている場合とがある。

● 幼少のころにはピタリと当たった直感力が、大人になって鈍くなったのですが……


Q 子供のころ、誰かが家に来るのを前もって当てたりして、「不思議な子だ」とよく言われましたが、いまはそうした能力はまったくありません。予知能力とか霊感というのは年齢や経験によって度合いが違ってくるのでしょうか。(埼玉県川越市K・Y/女)

深見:実は、直感がよく当たる年代というのがあるのです。私の場合も、物心ついたころから直感力や霊感、予知能力があっただけでなく、小さいころはあの世とこの世の区別さえもつかなかったものです。

さて、ご質問についてですが、予知能力や霊感は、ある年代から徐々に退化していくことが発達心理学から説明できます。子供は小学生の三、四年のころから抽象概念が発達してくるので、それと歩調を合わせるようにして、学校では割り算、分数といった勉強を教え始めます。

つまり、この年代から「この世の世界」を認識する能力が発達するということなのです。

ところが、「この世の能力」が発達するということは、逆に言えば、人間が生まれながらに持っている「あの世」と交信する霊能力といったものが次第に押し込められ、鈍くなっていくことでもあります。だから、成長するにつれて直感力が徐々に鈍くなって、ごく普通のレベルになってしまうという例は多いのです。

<用語解説>
抽象概念… 物事の属性(例えば大小・長短)や、直接知覚できない事物(たとえば正義・平和)の概念などのこと。

霊能力と神力の違いは?

Q 霊能力と神力の違いについて教えてください。(兵庫県 Y・I/女)

深見:簡単に言いますと、霊がその人について与えている能力が霊能力で、神様がついて与えている力が神力です。神様は神界に、霊は霊界にいます。

神界にいるということは、文化的にも哲学的にも芸術的にも非常に質の高い高度な内容を持っているということですから、世の中をよくしようとか、芸術的に立派な人物になりたいとか、自分を宗教的に磨かれた人格にしたいといったように、向上心や上昇志向のある人は神力に近いものを持っています。

これに対して、霊能力は四次元霊界に降りてきていますから、この人とこの人がああなるとか、お金をこうすればこうなるとか、あるいは失せ物を見つけるとか、要するに身の回りに近いことを予知することができます。

哲学的、宗教的、文化的にそれほど高いとは言えませんが、現実界に即応した能力と言えるでしょう。

<用語解説>
①霊界… 霊界の構造は、大きく分けて、下から地獄界、中有霊界(幽界)、天国界の三層になっている。地獄界には灼熱地獄、釜ゆで地獄、血の池地獄などがあり、さらに地獄界は第一地獄、第二地獄、第三地獄の三段階がある。

中有霊界は、現実生活で言えば中流階級の人たちが住むところで、生前、とりたてて悪いことはしなかったが、良いこともしなかったという人が行く霊界。

生前の行いによって上中下の三段階がある。天国界も第一天国、第二天国、第三天国の三つに大きく分かれ、第三天国は世のため人のために尽くした人、第二天国は信仰の道を至純にまっとうした人、第一天国は、人間界最高の霊界で、信仰心篤く、しかも地位や名誉や財産を持った人が行く。

そして、これら天国界のさらに上には、より高い世界や神々様のいる神界がある。

神通力とは?

Q 神通力とはなんでしょうか。(大阪市 K.T/男)

深見:これについては、拙著『神界からの神通力」(たちばな出版刊)のなかで、《六大神通力〉と題してくわしく説明してありますが、それは次のようなものです。

一、天眼通力…未来が見えたり、霊界が見えること。

二、天耳通力…神様の声や人の聞こえないものが聞こえること。

三、自他通力…相手の思っていることが瞬時にわかってしまう力。

四、宿命通力…前世のどういった因縁や宿命で、今世、生まれてきたのかがわかる力。

五、神足通力…テレポーテーションのことで、たとえば、お釈迦様が生きていらした時代のバラモン行者が水の上を歩いたりするような力。

六、漏尽通力「漏」は漏れる、「尽」は尽くすで、漏れなく尽くすという意味で、人の悩み、葛藤、苦しみといった煩悩を解決していく力。

以上、六つの神通力を「六大神通力」と言いますが、このなかでお釈迦様が特に勧めているのが、六番目の《漏尽通力〉です。

なぜなら人間の悩み、葛藤、苦しみを解決する能力こそ、人を幸せにする通力だからです。

いくら未来や霊界のことが見えても、あるいは神様のおっしることが聞こえても、それが人間の幸せにつながらなければ意味がありません。故に、「すべての通力は〈漏尽通力〉に帰結しなければならない」ということになります。

まず人を幸せにしているかどうかこれを見ていけば、正しい神通力かどうかがわかる。

<用語解説>
テレポーテーション… 人間や動物が、長距離間を一瞬のうちに移動する現象。瞬間移動(瞬間遠隔移動)とも言う。アメリカの怪奇現象研究家チャールズ・フォートの造語。

②煩悩… 心を悩まし、身を煩わす心の作用。悟りを妨げるすべての精神作用。喜怒哀楽欲望、見栄、自我など、全部で百八つあるとされる。除夜の鐘を百八回突くのは、煩悩消除の意味がある。

③お釈迦様… 仏教の開祖で、約二五〇〇年前にインド(ネパールという説もある)で生まれる。姓をゴダマ、名をシッダータと言う。釈迦という呼び名は、その出身である釈迦族からとったもの。悟りを開いてからは「仏陀」、また〝釈迦族の聖者”という意味をもつ「釈迦牟尼世尊」(略して世尊)と呼ばれるようになる。

他人と視線が合うのですが……。

Q 街を歩いていて、ふと横を見ると、知らない人がこっちを見ていたり、電車で向かい合わせに座っている人に何かの拍子で目をやると、向こうも私のほうを見るということがよくあります。どうしてお互いの視線がわかるのでしょうか。(埼玉県川越市 Y・M、二十七歳/女)

深見:こうした経験は、おそらくどなたもあると思いますが、このように、お互いの〝ハッとする思いが意識の奥で一瞬のうちに交錯することをテレパシーといいます。

では、テレパシーとはいったい何でしょうか。テレパシーという言葉は知っていても、その正体となると意外に知られていないようです。テレパシーとは念の交信力のことです。

無線機を思い浮かべていただければわかりますが、電波を飛ばして交信するには、バッテリーなどのエネルギーが必要です。テレパシーもそれと同じで、テレパシーの強い人というのは、念力というエネルギーを持っている人なのです。

したがって、何かを感じてお互いの視線が合ったという経験のある人は、パワーの大小は別として、そういう念力を持っていると考えていいでしょう。

ところで、視線と言えば、「蛇に睨まれたカエル」という言葉をみなさんご存知かと思います。

足がすくんで動けなくなる状態のことを言いますが、実はこれこそ念力のなせるワザなのです。蛇の目から発する念力-―すなわち強力なテレパシーがカエルをクギづけにしてしまうのです。

これと同じことがスポーツ選手にも言えます。たとえば相撲。貴乃花や旭鷲山の仕切りを思い浮かべてください。

お互いがすごい目で睨み合って、「絶対勝つぞ!」と目をギラギラさせ、闘志を剥き出しにしています。

実は、ここが勝負どころなのです。どっちが相手の気を呑み込むか、すなわちヘビになるかカエルになるかー。

念力の強いほうがヘビになって勝つのです。このことは相撲に限らず、剣道、卓球、テニス、野球、サッカーなど、あらゆるスポーツに言えることです。

日本人は外国人にくらべて勝負に弱いと言われます。ことにトーナメントで競り上がっていく試合にはモロい。

その原因として、食生活や体格、体力のことがよく指摘されます。もちろんそれもあるでしょうが、根本原因は粘着力〟の差です。欧米人のほうが勝利に対する執念が強いのです。

「何がなんでも勝つんだ!」という執念が強烈な念力となって、相手をすくませ、呑み込んでしまうのです。

これに対して日本人は、よく言えば勝負に淡泊、悪く言えば勝つことへの執念が足りないということになります。

勝負の世界では、実力や技術以上に念力が勝敗を左右するのです。言い換えれば、スポーツなどで鍛練すれば念力はどんどん強くなっていくということでもあります。

念力を強くしたければ、スポーツは有効な訓練法の一つであることを覚えておくといいでしょう。

ただし、注意すべきは、正しい念力、いい想いの念力であることです。

たとえば「人を殺すぞ!」という念は怨念霊になって不幸を招きます。反対に「どうか幸せになってください」と、相手のことをよかれと想う正しい念を持つと、まわりにはいつも幸福がやって来ます。

その人はもちろん、その人のそばにいるだけで、良いことばかりが次々に起こってくるのです。

以上のことから、試合や受験、商談、恋愛など、ここ一番の大事なときに実力以上のものを発揮しようとするなら、「やるぞ!」「絶対こうするんだ!」という意気込みを、スポーツや勉強など、普段の生活のなかで、集中力として活かすことです。

なぜなら、この集中力によって、正しい念は絶えず強化され、念力はよりパワーを増すからです。これが、ここ一番に臨んで勝利する秘訣なのです。

<用語解説>
①テレパシー… 人間の心の状態や思考が、感覚器官の媒介なしに別の人間の心に直接伝わる現象を言う。遠隔精神反応とも言う。「想念伝達」という言い方にかわるものとして、イギリスの哲学者フレデリック・マイアースが一八八二年に提唱した言葉。

②念… 念という字は、「今」と「心」を組み合わせたものであり、今の心―すなわち”想い”のこと。

人間は、念の波動が霊と通い合うときに、霊の影響を受ける。暗い念に同調すれば、その人は霊に引きずられるように暗い世界に落ち込む。

反対に強い慈悲の念や求道の念を抱き続ければ、菩薩位や如来位の霊と波長が合い、それらの霊たちと邂逅することも可能である。つまり、悪霊、善霊、高級霊、低級霊のいずれの霊に関わるかは、すべてその人の念の抱き方による。

③怨念霊… 殺されたり、騙されたり、捨てられたりして、人や家を怨んで死んでいった霊が怨念を晴らそうとして憑依したもの。

怨念霊の執着心は想像を絶するもので、何百年も怨み続けて復讐の機会を伺うことはざら。特に先祖に捨てられて呪いながら自殺した女性の怨念霊や、その昔、女郎屋に売られた怨念霊は強烈で、執念のあまり、蛇の姿になっているものが多い。

≪2≫ コックリさんやスプーン曲げについて

●「コックリさん」はよくないのでしょうか?

パートナー:先日、福岡県のある中学校で、生徒がコックリさん遊びをやったために、目が虚ろになったり、急に泣き出す人が出て、授業を中止して帰宅させたという事件が実際に起こりました。コックリさん遊びは危険なんでしょうか。

深見:たいへん危険です。その理由は、「コックリ」の意味を理解すればわかります。「コ」は狐、「ク」は天狗、「リ」は狸の霊なのです。

そして「コックリさん、コックリさん」と呼びかける人の心は、①怖い物見たさ、②興味、③未来を知って楽をしたいという無精する心つまり決して正神界の神様に感応する心ではないため、動物霊の低いものしか来ないのです。

したがって、最初の一回くらいは守護霊が出てきて少しくらい当たったとしても、二つめからは全部邪霊が来ているのです。

だから「コックリさん」は、ふざけ半分であっても絶対にしてはならないのです。

「コックリさん」のお告げに興味を持ってしたがうと、その霊の流れ(霊流)を受けてしまいます。

天照大御神や守護霊を信じてしたがっているときには、光明や、高級霊のすがすがしい霊気が流れて来ますが、動物霊のような低い霊にしたがうと、そのしたがった霊の気をもらってしまうので、福岡の中学校で起こった事件のように、目が虚ろになったり、おかしくなったり、泣き出したりすることになるわけです。

もっとわかりやすく言うと、低級で悪い霊が、霊体のなかにスポッと入って占領してしまうわけです。

良い霊に占領されるぶんには幸せになりますが、低級で悪い霊に占領されると、みんな不幸になっていく。だから「コックリさん」はやめたほうがいいというわけです。

<用語解説>
①コックリさん… 棒を三つ又に組んで縛り、お盆を乗せたものに、数人が手を置いてお呪いを唱えると、それが勝手に動き出して、棒が床を打つ回数によって質問に応えるというもの。

明治時代に、西洋のテーブルターニング(テーブルの回転。数人の人々が円形のテーブルに手や指を置いていると、テーブルが揺れ始めるという現象)が変型して伝えられたらしく、明治二十年代に大流行した。

後に文字を書いた紙の上に硬貨を乗せて、ウィジャ板のような形で行うようになった。

②感応… 信心の心が神仏に通じること。

③動物霊… 動物の霊を意味する。人間を惑わす狐狸、蛇などは、動物霊ではなく人霊の化けたもの。

一般的に動物霊は祟りをしないが、養豚、養鶏、動物実験用の動物は祟るので注意が必要。大量に殺生した場合、動物霊が蓄積されて合体し、大きくて強力な霊障となって祟るわけである。またペットが死んだ場合、いつまでも飼い主が想い続けると、その霊は本人や家族の身体に憑いて、軽度の霊障を引き起こすことがある。

④天照大御神…伊邪那岐、伊邪那美二神の間に生まれた三貴子の第一子で、日の神、皇室の始祖とされる。

●スプーン曲げ、幽体離脱などの超能力はよいのでしょうか?

Q 世のなかにはスプーン曲げや、幽体離脱など、超能力を持った人がいますが、そうした能力は生まれつきのものでしょうか。それとも、訓練によって身につくものでしょうか。もし超能力を持つことができるとしたらどんな努力が必要でしょうか。(東京都大田区 S・T、十七歳/女)

深見:生まれつきの人と、後になって身につける人の二つのタイプがありますが、後者はさらに「自力」と「他力」に分かれます。

まず「自力」は、ひとことで言うと、念力、想念の力です。たとえば京都の大覚寺の管長は、半紙に「ウワーッ!」と気合をかけると、「大覚」という漢字が半紙に浮かび上がってくる。

いわゆる念書と言われるもので、これは半紙の上にそれがあると信じ、ありありとイメージを浮かべながら、「そうなるんだ」と、確信することによって起こる念力です。

この念力によって、文字が出たり、何もないところから火が出たり、スプーンを曲げたりするわけです。

このように念力が具体的な現象として顕われることを、仏教では唯識論とか瑜伽論と言いますが、これらは超能力のひとつの原則になる仏教論理として知られています。

したがって、「人よ幸せであれ」と願う善の強烈な念力であれば、その人のそばに行くとみんなが幸せになる。すべてがよくなるのです。

「自力」すなわち、みずからがそういう念を強烈に持つような修業を積めば、善なるよき超能力、霊能力が身につくのです。

これに対して、よそから霊が来て、その力によって超能力を持つことを「他力」と言います。

自分の想いとはいっさい関係なく、突然、何かの霊がポッと憑霊して急に念力が強くなるわけですが、スプーンを曲げたり幽体離脱したり、おどろおどろしいものや人を不幸にするものは、悪霊による他力です。

これは凶党霊団と言って、人を驚かす人霊の幽霊のことです。

また党霊団のほか、天狗や稲荷狐の霊などが憑くことがあるので注意が必要です。

何の修業もしてこなかった人が、突然、超能力を発揮したりすることがありますが、この場合の超能力には善と悪があることを忘れないでください。

そこで大事なことは、「他力」も「自力」と同様、人を幸せにする他力でなければならないということです。

「あの人と話をすると、何となく金運が出てくる」

「あの人のそばにいると、何か幸せな気分なる」

「あの人といっしょにいると、良いアイデアがどんどん浮かんでくる」

みんなをハッピーにする人間というのは、他力で突然出てくる超能力であっても、やはりいい霊が来ているわけです。

では、どういうときに良い霊が来て、どういうときに悪い霊が来るのかと言えば、実は約束事があるのです。

それは、「良い霊は、愛と真心をもって努力をしている人につく」ということです。人間としての努力を継続し、いつも愛と真心を基準にして生きている人に良い運気がやって来るのです。

そして、この約束事を知って日々の生活で実践していくことが、「自力」と「他力」によって超能力や霊能力を磨いていく基本方程式なのです。

<用語解説>
①幽体離脱… 魂が肉体から抜け出て、死後の世界を”旅”して再び帰ってくること。

②唯識論… 「唯識」とは、すべての存在・事象は、心の本体である「識」の働きによって仮に現れたものであるとし、法相宗の根本聖典になっている。インドの高僧・世親が著した「唯我三十三頌」に関するインドの護法ら一派の学僧の註釈を、唐の玄奘が漢訳したもの。

③瑜伽論… ヨガのことで、「瑜伽」は梵語の音訳。「結びつける」の意味で「相応」と訳す。想いを鎮め、心を整えて正理に相応させた状態。呼吸を整え、心を統一し瞑想世界に入って、主観と客観が不二の境地になること。またその修業法。

● 神通力、霊能力をつける訓練は?

パートナー:未来を予知したり、守護霊を見極める正しい霊能力や神通力を身につけるには、日ごろからどんな訓練をすればいいのでしょうか?

深見:私の場合は、特別な訓練は必要ありません。日常生活のなかで自分を無くし、相手のためを思って真心になりきること―――これだけです。

自分を無くしたぶんだけ、目に見えない、素晴らしい霊的存在が出てくるのです。反対に、自分というものが在ればあるほど…これを自我と言いますが…霊は出にくいのです。

私はこうした訓練を日常生活のあらゆる場で実践していますから、瞑想したり、お祈りをしたり、お経をあげるといったことをしなくても、必要に応じて日常と非日常の世界を、瞬時に行き来できるのです。

ただし、ここで重要なことは、人を思いやると言っても、ただ思いやるだけではだめです。その人になりきって、祈り切ることが大切なのです。

なぜなら、そうすることによって、初めて自分というものが無くなるからです。自分を無くそうと努力しても、自我が邪魔をします。だから、相手のことを心から思い、真心になりきるのです。

そういう自分をつくることで、自然に普段の自分が消えて行く。それに感応するのが高級な守護霊であり守護神ですから、その方々がパっと教えてくださる。この積み重ねによって、霊能力は次第に向上していくのです。

≪3≫ 生霊はこんなに不幸を呼ぶ

● 私を捨てて他の女に走った彼を憎んだら、彼は入院してしまった……。これは生霊でしょうか?!

Q 同い年の男性から交際を申し込まれ、最初は嫌でしたが、何度も言われるうちに好きになり、身体の関係を持つようになりました。

ところが彼は、他に好きな人ができたと言って、一方的に別れを告げ、去って行ってしまったのです。悔しくて悔しくて彼を恨む毎日でしたが、先日聞いた噂によると、彼はいままで勤めていた大企業を辞めて転職し、しかも過労で入院したとのことです。

もしかして私の恨む心が彼の人生に影響しているのではないかと逆に心配になってきたのですが、そういうことはあるのでしょうか。(兵庫県 K・Y、二十二歳/女)

深見:あります。「悔しい」「残念」という想いが、K・Yさんの霊体から飛んで行って相手の身体にくっつくこういう場合の霊を、生霊と言います。

このことについては、「守護霊が動けば運命は変わる」(たちばな出版刊)といったコミックの原作でも私は書いているのですが、想いが揺れ動いている状態というのは、水木しげるさんの霊界漫画で言うと、”一反木綿”なのです。

K・Yさんの想いが飛んで行って、相手の頭の上で一反木綿のようにヒラヒラヒラヒラしているのです。

では、想いを飛ばしたK・Yさんの心はどうなっているかと言えば、魂が欠けてしまっています。魂は球水晶の形をしているのですが、欠けた魂のぶんがエネルギーとなって相手に飛んでいくわけです。そして――ここが重要ですが―その欠けた部分に、今度は般若の面がついてしまうのです。

般若というのは鬼の顔のことですが、実はこれは自分の顔です。そして、般若の面がつくと、情緒不安定になります。

些細なことで急に怒ったり、自信を喪失したり、落ちこんだり、精神状態が定まらずフラフラフラフラしてしまう。当然のことながら、運がいいわけはありません。

生霊を出した人は、結局、不幸になっていくのです。

「人を呪わば穴二つ」といいますが、一つは相手が落ちる穴であり、そしてもう一つは自分が落ちる穴なのです。

では、K・Yさんはどうしたらいいかと言えば、自分自身の出した般若のような生霊を返してしまうしかない、般若を仏様の顔に変えるしかないです。

そのためには、彼のことは憎いでしょうが、ここは自分の感情を抑え、彼の幸せを祈るのです。彼の幸せを祈っているときに、自分の霊体は般若が仏様の顔になる。あるいは女神様のような顔になるのです。

般若の顔―すなわち自分の顔が溶けて、仏様か女神様のような顔に変わるまで、愛念で相手の人の幸せを祈るしかありません。

般若の顔が溶け、怨念が離れていくことによって、相手も自分も幸せになることができるのです。K・Yさんもつらいと思いますが、自分を救う方法はそれしかないのです。

<用語解説>
生霊… 死んでしまった人の霊ではなく、現在生きている人の怨み、怒り、慕情などの念が霊となっている状態を意味する。文字どおり、生きている人間の霊である。

生霊は、家代々怨み抜く怨念霊と同様、多くの人に憑いていて、その人の人生に多大な影響を与えている。身体の調子が悪くなり、事故に遭いやすくなったり、特に男性から強烈に怨まれている女性が妊娠すると、流産につながることが多い。

● 私が「カッ!」となりやすい性格になったのは生霊のせい?

Q 私は最近、自分でも困るほど、短気な性格になってしまいました。車に乗っているときなどに、父や妹が言ったことを思いだし、頭にカーッと血がのぼってしょうがありません。

こんな状態が続くと、友達も失ってしまいそうです。どうしたらイライラや短気が治るのでしょうか。(三重県津市ペンネーム「トマト」、二十五歳/女)

深見:「トマト」さん、静かに目を閉じて、過ぎた日の記憶をたどってください。いまから二、三年前、あなたが二十二、三歳のころのことです。

あなたは、ある男性を強烈に恨んだことがあるはずです。イライラしたりカーッとするのは、それが原因です。

つまり怨念や怒り、憤りなどを受けた生霊がそうさせているのです。

この生霊は前項でお話ししたように般若の顔をしていますが、生霊を出した人は情緒が不安定になり、「もうだめなんだわ」と物悲しくなったかと思うと、急にイライラし始めて、「コンチキショ!」と激昂。かと思えば、再び落ち込んでしょぼんとなってしまう……。このように情緒不安定になるケースが多いのです。

では、どうすれば治るのでしょうか。まず、その当時の自分にたち返ってみてください。相手を激しく憎むのですから、それなりの理由があったはずです。

思い出して、また腹が立ってきましたか?でも、ここで気づいていただきたいのは、自分がそうであるのと同様、相手には相手の言い分があるということです。

「どっちが正しいか」ではなく「双方に言い分がある」まず、そのことに気づくことが大切です。そこに気づけば、一方的に相手を憎むという感情は、少しは薄らぐはずです。

そして、難しいことですが、相手の幸せを祈るのです。たとえ相手を思いやる理由がなくても祈るのです。

そうすれば、自分自身が出した般若のような顔をした生霊が、仏様の顔にパッと変わり、同時に情緒がスーッと安定してきます。相手を想いやる祈りは、結果として自分自身の魂を救うことにほかならないのです。

11

≪4≫ 守護霊アラカルト

● 自分にふさわしい守護霊は、どうしたらついてもらえるでしょうか?

Q 守護霊が才能を磨きあげる手助けをしてくれると言いますが、どうやったら自分にふさわしい守護霊がついてくれるのでしょうか。(埼玉県所沢市Y.S/女)

深見:実は、自分にふさわしい守護霊というのは、すでについているのです。そして、その守護霊が自分にふさわしいかどうかは、自分で判断するのではなく、守護霊の奥にいる守護神の判断によります。

「この守護霊は、この子にふさわしい」と守護神が判断するから、その守護霊がついているのです。

ただし、自分にふさわしい守護霊がすでについているというのはあくまで基本で、守護霊の交替がなされる場合があります。

何かを「発願」した場合がそれで、たとえば「私は歌手になりたい」とか、「どうしてもこの道に進みたい」と強く願いを発し、実際に行動に移し、努力し、その努力を最低三年間継続したなら、それまでついていた守護霊が、発願の方向にふさわしい守護霊と交替するのです。

「石の上にも三年」という格言がありますが、この「三年」にはちゃんと意味があるのです。発願したら石にかじりついてでも三年間は頑張ることが大切です。

● 守護霊が交替するときはどんなとき?(三つの秘訣)

Q 深見先生は守護霊は交替するとおっしゃいますが、いったいどんなきっかけで守護霊が替わるのでしょうか。

また、一生の間には何回くらい守護霊の交替があるのでしょうか。(埼玉県大宮市 H.S)

深見:守護霊が交替する回数は決まっていませんが、一生のうち、だいたい四、五回くらいと思ってください。最低でも三回くらいは替わります。

では、どういうときに守護霊が替わるかというと、次の三つの場合があります。

①自然交替
読んで字のごとく、守護霊がいつのまにか自然に交替している場合です。人間は生まれた時点で、すでに人生のスケジュールは六割~七割が決まっています。

□歳のときにこうなり、□○歳でこうなると、人生の節々で何が起きるか決まっているのです。それを知っているのが守護神や産土神で、その節々に応じ、自分がそうと知らないうちに自然に守護霊が交替し、新しい環境に対応できるようになっているのです。

②環境が激変したとき
たとえば学校を転校したとか、両親が離婚したとか、海外に転居したとか、環境が一変すると、それに何とか適応しようと、みなさんは必死で頑張るはずです。

そういうときに守護霊がパッと交替して、新しい環境に馴染んで乗り越えていけるよう後押ししてくださいます。自然交替の時期と一致する場合が多いのですが、必ずしもそうでない場合もあります。

③本人の志が決定したとき
志を抱き、実現に向けて具体的な行動を起こしたときにパッと守護霊が替わります。

「自分は音楽家として生きるんだ」「ニュースキャスターになるんだ」「学者になるんだ」「政治家になって国政を動かすんだ」……。志は何でもかまいません。将来の方向性とビジョンをしっかりと決めたとき、その志を叶えてあげようと、守護霊が交替するのです。

以上の三つが守護霊が交替する一般的なケースですが、では守護霊の交替があったら、何がどうなるのでしょう。たとえば三番目の「本人の志が決定したとき」は、指導霊に替わる場合が多く、新しく守護霊となった指導霊は”水先案内人”として志を実現するための才能と縁と可能性を導いてくださるのです。

もう少し具体的に説明しましょう。

たとえば、あなたの現在の守護霊が禅宗の僧侶だとします。そして、あなたがピアニストになることを固く決意し、それを指導霊が知ると、禅坊主である守護霊に向かって、「守護霊さん、守護霊さん。将来、彼女はピアニストになると言っていますから、ピアノを弾く上で必要な閃きとか発想とか、いい先生との出会いなどを導いてください」

すると守護霊である禅坊主が、「ちょっと待ってください」と、一休さんのような頭をピカピカ光らせながら、思案します。

守護霊とはいえ、禅坊主ですからピアノは畑違いなわけで、頭をめぐらせたすえ、「そう言えば、ご先祖のなかで音楽関係にくわしい人がいますから、ちょっと待っていてください」と言って霊界に行き、ピアノに関して専門的な力を与えてくれるご先祖を連れて帰ってきて、練習のときは守護霊が交替するというわけです。

もし、ついている守護霊が低級な人であったなら、志を抱いたときに守護霊の座を交替しないで、「自分が導く」と言い張りますが、高級な守護霊は、たとえ自分にその力があっても、「あっ、そのことがらに関しては、より素晴らしい人を知っています。

ご紹介しますから、その人に頼んだほうがいいですよ」と、謙虚に交替し、新しい守護霊に取り次いでくださいます。守護霊の交替には、こういうケースもあるのです。

そして、何より大切なのは、守護霊の交替を信じることです。

「もし、自分の選んだ職業や夢を実現するのに、いまの守護霊で不十分であるなら、指導霊様のご指示で、きっと素晴らしい守護霊と交替してくれるんだ」と信じきることです。

ためしに、夜、トイレでもお風呂でもいいので、このセリフをブツプツプツプツ唱えてみましょう。そうすれば、閃きがもっと強くなるはずです。

<用語解説>
①産土神… 産土とは、先祖伝来もしくは自分の出生地のことで、産土神は、産土(自分の生まれた土地)を守る神様。

産土神をお祀りした神社を産土神社と言う。出生地の鎮守神を生まれながらの守護神として崇敬することを産土信仰と言う。しかし、神霊的には、いま住んでいる地域を守る産土神を大切にし、危急の場合には出生地の産土神へも真剣にお参りするのがよい。これが正しい産土信仰である。

● 守護霊と悪霊守護霊が動くとき、動かないとき

Q 深見先生は、誰にも守護霊様がいて守ってくださるとおっしゃっておられますが、守護霊様の愛も悪霊に負けてしまうことがあるのでしょうか。(大阪府吹田市匿名希望、高校三年生/女)

深見:守護霊を語る場合、次の三つのことを念頭に置く必要があります。

一、霊界は、守護霊と悪霊が陰陽になっている。

二、守護霊も霊界の掟にしたがっている。

三、守護霊は因果の法則のレールに乗っている。

まず第一番目の、「守護霊と悪霊が陰陽になっている」という意味は、霊界には守護霊もいますが、悪霊もそれに負けないくらい存在しているということです。

霊界は、守護霊と悪霊とが陰陽になって構成されているのです。したがって守護霊を味方につけてどんどん開運していくか、それとも悪霊に憑かれてどんどん運が悪くなっていくかは、本人の人格と、日々の想念、想いによります。

守護霊に強く守られる人は、人生に前向きで、発展的で、性格が明るく、そしてたえず自分を磨こうとする人です。

なぜなら守護霊は、呼んで字のごとく「守護」する霊ですから、当の本人が率先して努力して初めて守護してくださるのです。守護霊といえども、本人が何も努力しないでいては、勝手に守護してはいけないことになっています。

二番目の、「霊界の掟にしたがっている」というのは、「守護霊は、人生の本義に合った日々を送っている人だけを守護する」という意味です。

人間は魂を錬磨するためにこの世に生まれてきていますから、「人生の本義」とは、魂を磨くことです。

したがって、守護霊が人生の本義に反する人を守るのは“守りすぎ〟になります。

愛情過多は本人をだめにしてしまうということから、守護霊は本人が葛藤し、苦しむ様子をじっと見守っている時もあります。そして、必要と判断すれば救いの手を差しのべてくれますが、か、時期尚早と判断すれば、いくらお願いしてもまったく動いてくださらないこともあるのです。

この苦しい状態が、すなわち試練のときです。試練に直面して、本人がどのように努力するかを、守護霊は教育係としてじっと見ておられる。

守護霊の愛情とは、やさしく包む〝お母さんの愛〟だけでなく、魂の錬磨のための教育という厳しい”お父さんの愛”も併せ持っているのです。

このことを理解すれば、「守護霊様の愛も悪霊に負けてしまうことがあるのでしょうか」という疑問は氷解するはずです。お母さんの愛〟だけだと思っているから、悪霊に負けるのではないかと心配になるのです。

三番目の「因果の法則」とは、業と徳分を言います。人間は業を背負ってこの世に生まれてきます。

「善因善果、悪因悪果」といいますが、人間はすべて前世の業があり、家代々の業があり、逆に家代々の徳分があり、前世の徳分があります。

したがって人間には、前世でつくった悪因縁の借金払い〟と、前世で作った徳分の“貯金おろし”の両方とがあり、オギャーと生まれた瞬間から死ぬまで、この因縁因果のという名のレールの上を走って行くのです。

前世の悪因縁によって、今世、不幸と苦しみのレールが敷かれます。人間は自分では気がつかないけれども、自分が作った前世の業の贖いをさせられています。

人生にはつらい時もありますが、その苦しみを乗り越えていくことが、自分がつくった前世の業の贖いになるのです。

そして、守護霊は、「どういうふうに越えていくのだろうか」と見守っています。

葛藤し、苦悶し、努力し、いままさに乗り越えようとするぎりぎりのところで、守護霊がさっと救いの手を差しのべてくださったり、「頑張れ!頑張れ!」と応援してくださる。

因縁因果の掟――この絶対的な天地の法則というレールの上をいかに走るか。その走り方に応じて守護霊が守護をして下さるのです。

以上、守護霊について三つのことをお話ししましたが、この三つを前提とし、守護霊と自分との間に距離ができてしまったときに悪霊のほうが強くなってしまうのです。

すなわち、日々の想念が暗く消極的だったり、魂を磨き向上する努力を怠ってばかりいたりすると、悪霊につけこまれる隙を作ることになるのです。

<用語解説>
①因果の法則… 因果応報のこと。先祖が罪を犯していると、子孫がそれを償わなければならない。逆に先祖が人に喜ばれるようなこと、つまり善徳を積んでいれば子孫が報いられる。

これが家伝の因縁の因果応報であり、これを「易経」では「積善の家には必ず余慶あり、積善の家には必ず余殃あり」と表現されている。

そして、前世で徳を積んだ人は徳のある家に生まれ、前世で人を苦しめた人は徳のない家に生まれてくるのである。

②徳分… 前世や今世で人を幸せにした総量のこと。徳とはひとことで言えば、「人に益する行いをすること」で、具体的には困っている人を助けるとか、汚れている所があれば掃除したりとか、人を幸せにする行いを常に心がけ、かつ実践すること。

徳を積めば守護霊や神々の応援があり、人も自分も幸せになる。なお、徳には「陰徳」と「陽徳」の二種類があり、陰徳は人に目立たないところで積む徳のことで、陽徳は目に見える形の徳。陰徳のほうが功徳はより高い。

この逆に、前世や今世で人を苦しめる行為をすると、徳分の反対の”業〟となって積まれていくのである。