嫁から姑への逆襲”はこの方法でやる
嫁のほうも、いつも姑からいわれっ放しでは、面白くあるまい。ストレスがたまって、更年期が早くなる。そこで、いかにすれば、姑を攻略できるか、その方法をお教えしよう。
私は、この方法を「姑ザリガニ論」と呼んでいる。姑は、人間ではなくつまりザリガこのようなものなのである。そのつもりで、姑に接していけばよい。人前で演説をする時、聴衆をかぼちゃと思うのと同じである。こう思うと冷静になれるのである。
まず、頭である。これは、非常に固く、たたいても、なかなか割れない。これすなわち、頭が固いことを意味している。
よくいえば、超保守主義。普通にいえば、頑固者。悪くいえば、救い難い末期の人類。
脳味噌は茶色で脳軟化かもしれない。そして、手足はすべてが経験主義で、固い昔の殻におおわれている。しかも、赤い、真っ赤である。
これは、いつも怒っているさまを表わしている。頭に血がのぼり、しかも目玉は飛び出している。怒って目が出てしまったこともあるし、人のアラ探しばかりしているので、自然と目が出たのである。
次に尾っぽ。
普段は腹に巻いて、隠していて、いつも泥や水の中にあるが、ことあらば、バシッと泥や水を跳ねあげようとしている。つまり、どこへ泥や水がかかるか予測がつかない。
これすなわち、いつ何時、アラを見つけられて、小言をいわれるかわからないことを意味する。しかも、電光石火の早業で、防ごうにも防ぎようがない。まったく、困ったもんだ。
次に触角。これは長い人生経験を経て形成した「気配り」が変化したものだ。
前に、後に、白内障で見えにくい目を補ってあまりあるほど、周囲にアンテナをまわしている。まるで、人間パラボラアンテナだ。そして、このアンテナに、ちょっとでも触れようものなら、たちまち粘っこい攻撃が始まる。
「まったく気の利かない嫁だねえ。母親の教育がなってないからだよ。私の娘の頃なんか、いまよりずっと大変だったんだから………」
というわけで、「さわらぬ触角にタタリなし」なのである。そして、例のあの巨大なハサミは、鋭い触角と連動式になっている。
くらいついたら、絶対に離さないし、しかも涙が出るほど痛い。ヘタをすれば、小指ぐらいちょん切れてしまう。動きそのものは老化で鈍いが、強烈な武器であることに違いない。
この巨大バサミ、すなわち姑の存在そのものである。年をとっているから動作は確かに鈍いが執念深さがすごい。
また、姑ザリガニは人生も終わりに近いので、希望あふれる緑の丘には住まず、愚痴多き泥沼に住むのである。もちろん、すべての姑がそうなのではない。
素晴らしい仏様のような姑様もおられる。そういう姑様は、ザリガニではなく”伊勢エビ”だ。
かけがえのない、稀少価値のある人だ。だから、結婚式の神前に飾られて、水ひきまでつけお祭りするのだ。
伊勢エビはこのように、日本では昔から尊く敬うことになっている。さて、以上が、姑=ザリガニ説の解説である。
姑ザリガニの弱点は背中にあり!
しかし、これだけでは攻略法にはなっていない。そこで、ザリガニの弱点を調べることにしよう。弱点とは、すなわち、背後である。
長い触角は前方には強いが後方には弱い。巨大なハサミも前についている。
尾っぽの泥はねも、背中のほうまでは、なかなか飛んでこない――というわけで、やはり、背後から迫るのがよろしい。背後から、そーっと手を伸ばせば、楽々と捕獲することが可能だ。
では、姑ザリガニの背後とは、一体何を意味しているのだろうか。
まず第一にご主人様である。
姑とご主人さんの関係は親子。子供のいい分に対して親は弱い。だから、ともかく、ご主人さんを味方につけることが、イの一番に大切であろう。
実は、これが他ならぬ玉突き方式”なのだ。玉突きとは、ビリヤードの、あの玉突きである。
まず、夫玉に当てて、その夫玉を姑玉に当たらせる。あるいは、自分と仲のよい親戚や小姑を使って、姑玉にポンポンと当てる。
当たって穴に落ちれば、あなおかし。だが、これは他人を巻きぞえにする、いわば〝邪法”であるから、よほどのことがない限り、使ってはならない。
二番目は、感謝の言葉に弱いということ。
感謝されて、気分を害する人はまずいない。姑ザリガニも同じだ。「ありがとうございます」という言葉をいつも口にすることである。
すると、「そうそう、あなたも最近は人間がよくできてきたわね」と、心をほぐして喜ぶのだ。
三番目は、謙虚な気持ちを口にすること。
たとえ、姑のほうに明らかな非があったとしても、一歩へりくだって、「大変勉強になりました」と相手をもち上げることである。謙虚な人間は皆に好かれるというのが、
人間界でも霊界でも共通する、善なる法則なのである。だから、心を謙虚にすると、姑だけでなく、守護霊もとてもいい気持ちになって、より守護してくれるようになる。四番目は、贈り物を欠かさないこと。
姑の結婚記念日、誕生日など、父の日、母の日、おめでたい日は必ず贈り物をすること。そんなに高価なものでなくてもよろしい。
相手に、「あなたのことは、忘れていませんよ」と、こちらの気持ちを伝えることが大切なのだ。毎年違う物を贈り続けること。一〇年もすれば、必ず相手の心はこちらになびく。
以上四点が、姑ザリガニの主な攻略方法である。
この他に「家出」「妻の蒸発」などの芝居を打つという手もあるが、ショックが大きすぎて、姑が心臓マヒや脳いっ血で倒れるなどという不測の事態も起こりかねないので、やめたほうがいいだろう。姑がそれで死んでしまっては、後悔が残るからである。
言葉を通じて心をコントロールする法
ところで「嫌いな人に、感謝の言葉を吐いたりできない。自分の気持ちがともなわないのに、美辞麗句を並べても意味がない」と思い込んでいる人もいるだろう。
心がこもってない言葉は無意味である―それは偽善だ、と思われるかもしれない。その通り!といいたいところだが、さにあらず。
心はどう思っていてもよい。
「こんちくしょう。姑だと思って、いつもいばり散らして、頭にくるなあ。そんなこといわれなくたって、誰でも知ってることだ。バカ!」
心でこう思っても、口と行動では、ちゃんと姑を誉めることが大切である。人も活かわれも活かすものならば、そのまま口に出すべし。
しかし、人をダメにし、自分もダメにする言葉ならば、絶対に口に出してはならない。
心とは裏腹の言葉と行いであっても、その内に真が宿り、やがて、真の心が呼び起こされるのだ。心は常に変わる。
その変わりゆく心に対して忠実にふるまうのが、偉いわけではないし、また、それが正しい人生でもない。
心を制して、人もわれも幸福にできることが偉いのである。これこそが茶道の真なのである。茶道の平常心、和敬静寂なども、皆、形から入っていって心を求めているのだ。
茶室では、その日どんな嫌なことがあっても、「本日はよきお日柄で…」と口にする。
たとえ大雨でお茶会の出席者が少なく、足袋が濡れて不愉快きわまりない時であっても、「本日は、ほどよいおしめりがあり、誠に静かでよきお茶会で・・・・・・」と表現するのである。
すべて、形から入り、亭主となる茶人と客とが、善なる心の交流を楽しむのだ。茶道の形式は、この心の道を究めるための手段であるといっても過言ではない。これが日本の伝統なのだ。
心のままに正直に、フランクにふるまうのは、こういっては何だが、奥のない浅薄な西欧の習慣の影響だ。
しかし、西欧の精神文化の奥には、根強いキリスト教思想が生きていて、隣人愛、相手の立場を尊重するなどの、心の礼節がおのずから備わっている場合が多いのである。
だから、日本の嫁姑のような陰惨な人間関係が生じないのかもしれない。
嫁姑問題を手っとり早く解決するのなら、二人して、茶道を習い、その精神を会得するのがよいだろう。
逆に、心ではいつも姑のことをよく思っているのに、それを口にも出さず、行動でも示さないという人も、考えものである。
口で相手を誉め、行動でそれを示してこそ、日本の嫁姑の関係は改善されていく。
具体的な、耳に聞える言葉と、手にとり、肌で感じることのできる行動が何よりも大切だ。
また、不思議なもので、最初は心の中で「こんちくしょう」と思っていても、相手を誉める言葉を吐き、その言葉に反応して相手が喜ぶ様子を見るうちに、善波動を受けたよい波動がこちらに返ってきて、「こんちくしょう」という思いはどこかへ消えていってしまうのである。
これが言霊の力である。茶道の形式、言葉もここにこそ真の意味をもつものであるといえよう。
こうすれば、嫁姑の問題を解決しながら、かつ、自分自身の御魂をも高めることができる。まさに、一石二鳥、一挙両得の方法なのだ。
第四章 つまらぬ男よい男の見わけ方
この男が女を不幸にする
「ああ、こんなはずじゃなかった」と泣かない前に
人生はUターン禁止の一方通行路だ。その道すがら、恋という種を拾い、大事に温めているうちにやがては結婚という花が咲き、そして実をつける。
ところが、である。予想に反して、目もそむけたくなる醜い花が咲くことだってある。「ああ、こんなはずじゃなかった」とその時、嘆き悲しんでも、あとの祭りである。
同じ結婚するなら、ハッピーなものにしたい。理想の男性を見つけ、理想の結婚をし、そして理想的な家庭を築きたい。
だが、結婚は男と女の共同作業によって完成されるものだけに、いくら女性が立派な立ち居ふるまいをしても、男性がチャランポランで、にも棒にもかからない性格だと、結婚は最終的に不幸な結果に終わることになる。
そういう男性の本性を見抜けずに、結婚に踏みきった自分自身も悪い。もちろん、猫をかぶっていた男性も悪い。
しかし、精神的ショック等被害〟の度合いを比べたら、この場合、女性のほうがはるかに甚大である。
「どうして、あんな男と結婚したんだろう」と、ほぞをかむ女性も、多いのではないだろうか。相手の男性の素性を、もっと早く知ることができたら、結婚などしなかったのに――というわけである。
だが、相手の男性はクジで選んだわけではない。見合いなり、恋愛なり、ともかく、おつき合いの期間が必ずあったはずである。
その間に、よく観察していれば、相手の男性がいくら女性をだますのが上手でも、必ず本性の片鱗は見えていたはずだ。こちらに見る目がなかった、ということになる。
顔に出る上べだけの男と真心ある男の違い
だから、男性に対する観察眼の鋭さが、結婚に失敗しないための必須条件となる。
しかし、これは一朝一夕にして作られるものではない。なにより、日頃の努力、鍛練が必要だ。それに、経験も大きくものをいう。
たくさんの男性を見ている女性は、男の本質をズバリ、瞬間的に見抜く力をもっている。
これは聞いた話だが、バーやクラブのホステスさんは、お客がどれほどの人物か、一、二分会話を交わすだけで、おおよその見当がつくという。旅館や料亭の女将も同じようなことをいっている。
いわゆる、雰囲気というものがあるのであろう。それを、女の第六感が素早くキャッチするのである。
まず声、言葉である。誠意ある人物の声というのは、高くはなく、低くもない。せかせかと早口ではなく、かといって、聞いている人をイライラさせるほど、ゆっくりでもない。中庸である。
水が流れるがごとく、よどみなく言葉が出てくる。しかもリズム感があり、さながら快い音楽のようである。
反対に、上べだけの男性の声は、キンキンと高い音色で、いかにも口だけでしゃべっている感じがする。
腹(丹田)に力がこもってないので、押し出す迫力がない。舌先三すというが、まさに、それである。
会話は弾み、話題も豊富だが、心の琴線に触れることがない、という場合は気をつけたほうがいい。言葉に真心がこもっていないからである。
しかし、無口な男が時たま発する言葉は、いつも胸にジーンとくる。そんな人物なら大丈夫である。
なぜなら、言葉の霊にその人のすべての人格が表れているからである。全米ナンバーワンの盲目の音楽家スティービー・ワンダーは、目が見えないかわりに心眼が開け、相手の手をにぎり、声を聞くだけでその人のすべてがわかるといっている。さすが、魂の芸術家である。
前にも説明したが、言葉はすなわち言霊なのである。人を呪う言葉を吐けば、それが剣や霊界の黒雲となって相手を苦しめることになる。
反対に、人を愛する言葉なら、これは即、言霊となって、今度は相手を活かし、守る働きをするのだ。言葉を単に、空気の震動などと解釈してはいけないのである。
もし、聞く側に、言葉が言霊であるという認識があれば、それだけで、相手の心のレベルがかなり見えてくるものである。そこで、言葉のチェック項目をあげてみよう。
①言葉を大事に扱っているか
②他人の悪口をいわず、聞く人を不快にさせない
③語尾の発音が明瞭か
④否定的な言語より、肯定的、発展的な言葉を多く使うかなどである。
相手の言葉も、聞き流したりせず、以上の項目でふるいにかければ、本性のよし悪しがあぶり出されることだろう。
粗暴で大きな声は自信過剰で高慢。小さな聞きとれないような声の主は、卑屈で腹黒く無気力である場合が多い。恋に陥る前、まだあなたの理性が正常に働いているうちに、こうしたチェックを行おう。
次に目である。
「目は口ほどにものをいう」
「目は心の窓」などといわれるように、目は相手の心を知るためにはきわめて重要なポイントである。だが、非常に微妙でもある。
まず二重まぶたかどうかであるが、これは生まれつきということもあり、一重だからといって気に病む必要はない。確かに、二重まぶたの人は表情が柔らかくなり、一重だと鋭くなる。
しかし、性格もその通りかといえば決してそんなことはない。一重まぶたでも、優しい人は大勢いる。
私のところへ相談にこられる多くの人たちを見る限り、二重まぶたで優しい目をしてて、しかも潤んだ瞳の男性は、誘惑に弱いようだ。
こういう男性に女の魅力で迫れば、高い確率で攻め落とすことが可能だろう。ただし、結婚後は、ちゃんと監視しておかないと浮気される危険もある。
大きくて輝きのある目は、ビジョンをもっている。遠くを見つめている目は、夢を追っている。相手と話す時、相手の目を見られないのは、心にやましいところがあるか、あるいはひけ目があるかだろう。
気をつけたほうがよい。
いつもキョロキョロしている目は、キツネの霊のしわざであることが多い。トロンとして物憂げなのは、人霊タヌキ霊である。
志を高く、強くもつ人物の目は、おのずから魅力ある輝きを放つものである。いつもニコニコして、愛想のいい人は、目尻が下がってそれらしくなる。
好きな男性の前に出たら、恥ずかしがって目を伏せてばかりいてはいけない。しっかりと相手の目を見て、その奥に潜んでいる彼の本当の心を知るべきである。
以上、声、言葉と目の輝きの二点を鋭く観察すれば、信頼できる男性か、それとも上べだけか、だいたいわかるだろう。
しかし、自分の思い込みがあってはいけないので、「守護霊さん、この男性は本物か、上べだけか、本当のことを教えてください」と、くどいくらいくり返し祈り、自分が男性を見た時、思い込みのないよう守護霊からの直観力を強めることも大切であろう。
歩き方や態度に見る男の良心度
歩き方も、男を見る場合の大切なところだ。
背筋をピシッと伸ばして、堂々と歩く男性は運勢もよい。猫背気味の人は、やや運勢が弱く、かつ健康面でも不安が残る。
男は虎のように、のしのしと、まっすぐに歩くもの。ただし、肩をいからせる必要はまったくない。
小刻みに歩くよりは大またで。足をひきずったり、あるいは、つんのめって歩くのは感心しない。また、歩行はリズミカルに。
こうした点を、注意して見るようにしたい。
常に上を向いてこぼれるような笑顔でいるような人、たとえば歌手の三波春夫さんのような人は、自然と運勢がよくなる。
ところが、上を向くのではなく、いわゆるふんぞり返っているような人もいる。これは先祖霊化身の天狗の霊が憑いていることが多い。
天狗は鼻が高い。いばっている証拠 20 だ。確かに常人よりパワーがあるので、ある程度のランクまでは出世もするし金儲けもできる。が、しょせんはそこまで。結局は、自分の自慢話のレベルで終わってしまうのである。
正面より、若干下向き加減の人は、優しい性格。観音様はちょうど一五度ほど、下向きとなっている。この角度はオーラと同じである。また、軽く会釈する場合の角度でもある。
つまり、謙虚さを示す角度といえるだろう。相手の男性が、いつもどんな角度になっているか、さっそく調べることにしよう。
ただし、あなたの結婚相手の男性が、四〇代、五〇代なら謙虚さが備わっていて当然だ。もし、この年で傲慢なら伸びない男性と考えてよい。
しかし、たいていは結婚相手といえば、二〇代から三〇代ではないかと思う。この年代は、伸びざかりで絶えず謙虚な姿勢というのもちょっと不自然である。
少々、自信過剰で傲慢なくらいでないと男の力は伸びないだろう。この年頃で謙虚さをもつ人は、修養にかなり心掛けているか、さもなくば、実力と自信がない、心が弱く気が小さい人と考えてよいだろう。
一〇代から三〇代の前半までは、気宇壮大な夢を抱き、己の個性に自信をもって、挑戦につぐ挑戦で生きる男性。
これが大成する男である。極端な〝大ボラ吹き〟は感心しないが、この年代は卑屈よりまだ傲慢なほうがましだ。しかし、三〇代の後半から四〇代にかけては謙虚さが重要となってくる。
男の成長プロセスからいえば、一〇代から三〇代前半までは、思いきり不可能に挑戦して自分を伸ばす。
三〇代後半からは、体力も落ち無理が利かなくなるが、社会が見えてくる。すると、世の中には自分よりすごい人間が何人もいることに気がつくのである。
それで、おのずと頭がたれて謙虚の美があらわれてくるものなのだ。これが自然の姿勢である。いわば、四〇代頃からが本当の社会的活躍のできる時といってよい。
もし四〇代になっても真に謙虚になれない人は、世の中と己を知らない人である。
己を知らないとは、二〇代から三〇代の精進が足りなくて、自己研鑽が中途半端であった人なのである。例外もあるが、たいていはそうだ。
ところで、一〇代から三〇代において男は保守的になってはいけない。限界にぶち当たってもそれを否定して、自分の枠と許容量をできるだけ広げて、邁進するべきである。
これが日本の神道的な考え方といえる。儒教が〝孝”や”謙”を尊重するのに対し、限界を乗り越えて失敗を恐れないでドンドンやるのが神道である。
死んでもさらに向上を目指して頑張る―大和魂がある人なら、これぐらいの心意気が欲しい。
つまり、神道では日々に進歩し、弥広に弥栄えてゆくことが重要なのである。
戦後の経済力の発展も、日本人の咀嚼力と頑張りも、国民意識の奥にある大和魂のうずきの第三章の未亡人の研究〟でも述べた、「真の男の甲斐性」のある男性とは、ピカピカの日本男児のことだ。
日本では、五〇代になると円熟期に入り、六〇歳になると還暦となる。そして、還暦とは、元に帰って新たに人生の出発を行うお祝いのことだ。
この時期から、「おじいさんだから」「おばあさんだから」と思い込み弱気になってはいけない。
体力がなくなった分は、気力と経験が勝らなければならないのだ。これが大和魂のおじいさん、おばあさんである。
大和魂のある老人は、五〇、六〇は鼻たれ小僧。七〇八〇は男の働き盛り――とならねばならない。有名な白隠禅師は、八〇歳をすぎても、なお一時も休むことなく活動した。
そして、「カァーツ」という言葉を最後にこの世を去ったという。
臨終のその日まで、頑張り続けねばならないことを白隠禅師は身をもって教えている。
そしてまた、死んで安らかに眠れる霊界などはないのだ。死んだら死んだで霊界の新しい生活があり、新しい人生がはじまる。
そこでまた、精進しなければならないのである。これが人の命の本来の道、神道の死生観である。
だから、どんな時でも「いま」を楽しく、明るく、前向きに努力することが必要なのである。一刻も休まず、生生化育進歩発展しているのが宇宙であり、大自然の真実の姿であるからだ。
だからこそ、この生き方は、正神界の神の御心にかない、大強運、大幸福の人生をおくるコツとなるのである。
顔に表れるその人の「人生」
さて、よい男性の見分け方だが、顔はその人物の全生涯を表わしている。
額の広さは、幼少の頃の運勢の強さを示している。おでこに傷のある人は、若い時、大きな挫折を味わっている人である。眉毛から上が、青年期までの運勢を教えている。
そして、眉毛から鼻の下までが中年期。ここでは鼻が中心的存在。鼻が大きいと、生 20 命力が強いことを意味している。
鼻の下からアゴまでが晩年。だから、アゴの小さい人、細い人は寂しい晩年が予想される。口もとがきれいな人、これは育ちのよさを示している。
また、下唇の厚さは、人情の厚さを示すといわれるが、これもまた正しい。
顔の形、目や鼻、口のそれぞれについて、いろいろな俗説があるが、これらは人々の長い間の経験から導き出されたものも多く、あながちデタラメばかりということもないのである。
一卵性双生児は、顔形はまったく一緒である。見ただけでは、どちらが姉でどちらが妹なのか、さっぱりわからない。
顔の形その他が同じなのは、もって生まれた宿命の星が同じであるからだ。
また、先祖の因縁等も同様に関係している。だから、だいたい同じような運命をたどることが多い。
同じような結婚相手を見つけ、同じような子供を産む双子の兄弟姉妹が多いのは、そのためだ。もちろん、例外もある。全く別々な人生を歩む双子もいるのだ。
それは、刻々に変化する努力のレベルと想念の種類の相違が原因だったり、姉は父の因縁、妹は母の因縁というふうに姉妹で因縁を分け合っている場合があるのである。
この場合は、顔の相も徐々に変化し始める。また、双子とはいえ、わずかの出産の差があり、たまたまそれが節替わりの時刻であったりする。
その他に、姓名の命運が違っていたり、極端に吉凶の違う方位に引っ越すなどの原因があげられるが、本当の原因は、その御魂の前世の素質と天命の相違によるものである。
話が少々横道にそれてしまったが、このような、顔に表れたその人の「人生」や運勢は、相手を選ぶ際の一つの参考にはなるであろう。ただし、いうまでもないが、これも絶対ではない。
というのは、アゴが貧弱ならば、アゴヒゲでボリューム感を出すなど、顔の様子も変えられるからだ。すでに故人となられたが、五味康祐氏などがそうだった。
また、メガネをかけたり、髪型を変えるだけで、イメージ的にはずいぶん違って見えるものである。
骨格、輪郭そのものは整形手術でもしない限り変えようがないが、工夫次第で、雰囲気は変えることができるのである。つまり、こういうちょっとした工夫でも、運気を向上させることが可能なのである。
ここでは、男性を選ぶ場合のケースを書いているが、女性の顔についても同じである。
落ち込んだ時につき合う男性は要注意
「類は友を呼ぶ」という言葉がある。同じような傾向の友だちは、自然と集まることを表現した言葉だが、落ち込んだ時に出会った男友だちには、注意したほうがよい。
なぜなら、あなたの弱い心に、マイナス運気が感応し、同じ運気をもつ男性が自然に呼び寄せられたりするからだ。天中殺空亡、大殺界の時に会った人は、生涯においてたたるといわれるのと同じだ。
また、あなた自身の守護霊も、気落ちしている時は働きにくいし、運勢そのものも下降しているのである。
こういう場合は、一刻も早く気分転換をして、気分を上昇させることである。公園のベンチで、傷心を抱いたまま、しょんぼりしているところへ、男性が現われて、
「お嬢さん、どうしましたか。元気ないですね。何かショックなことがあったのですか」と近づいてきた。ご用心、ご用心、下心ありやなしや。
でも本当にあなたのことを心配して、声をかけてくれたのかもしれない。もしそうなら、せっかくの男運、逃したくはない。そこで、さっそく、男性の幸運度”をチェック。
まず、声の状態、言葉の内容。これに一応合格したら、併せて顔の形、目、鼻、口のチェック。
そして、態度、歩き方。ひととおり検査して、あなた自身OKだと感じたら、おつき合いしてもいいだろう。前述したプラットホームでつかんだ幸運という例もあるからだ。
また、男性は突然、豹変することがある。羊だと思っていたら、いつの間に牙をむき出した狼になっていることだってあるのだ。
もちろん、狼だと思って期待していたら(?)羊だったということもあるが。
だから、つき合ってみて、「何か、ちょっと雰囲気がおかしいな」と感じたら、被害を受けないうちに、安全地帯に逃げ込むようにしたい。もともと、その男性は、あなたの運勢が落ち込んでいた時に、近づいてきた人。
その場で縁が切れたとしても、何ら後悔するにはおよばない。ま、少々、惜しい気もするかもしれないが、未練を残さず、スパッと別れたい。後で日記に、「私はもてたのだ」という、女として、自慢の一ページが残せるもんネ。
女友だちの運気にも注意すべし
自分が落ち込んでいる時ばかりでなく、男運の悪い女友だちから紹介された男性も、これまた十分に注意すべし。理由は先ほどと同じである。
マイナスの運気は、もともと低霊界層からくるもの。気分が晴れない、悲観的になる、投げやりの態度をとる……というものだ。
そういう運気を漂わせていれば、当然、似たような運気をもった人が寄ってくる。
余談になるが、これは霊界生活の実態と同じなのである。
人を殺したり、だましたりした人は、死後、人殺しや詐欺師ばかりがたむろしている霊界へいく。
人殺しの霊が、他の高いところにいったとしても、恥ずかしくて、いたたまれなくなり(ちょうど太陽を直接目で見た時のように、非常にまぶしく熱い状態になる)、やっぱり〝住みよい”人殺し霊界にもどるのである。
ケンカばかりしていた人は、霊界でもケンカばかり。ここでは相手に不自由はしない。なぜなら、周囲もケンカ好きの人たちばかりだからである。
かくして、殺人霊界では、日常的に、殺し殺されるという事態が起き、ケンカ霊界では、あっちでもこっちでも、ポカスカと殴り合いが展開されているのである。彼らはそれを喜びとしているのだ。
そして、地上の人間が、「あいつを殺したい」とか「やつを殴り飛ばしてやる」などと、強烈な想念を出すと、すぐさま同じようなレベルの霊界が感応して、ラーメンの出前よろしく、「おまちどおさま」と、悪霊がやってくるのである。
これが修羅道との感応である。
で、結局どうなるかといえば、
「ハッとわれに返った時は、すでに人を殺していた」
「無我夢中で、相手を殴ってしまった」ということになるのだ。
つまり、その瞬間は、完全に霊界のコントロール下にあって、悪霊がその人に乗り移り、悪さを働いたのである。無我夢中とは、実にいい得て妙である。
したがって、男運の悪い女友だちから紹介された男性は、同類の霊層と運気の種類をもっている場合が多く、眉につばをつけて、用心してつき合う必要があろう。
マイナスイメージが漂っている男性なら、即刻、縁を切るべし。あなたまで、マイナス運気に巻き込まれてしまう。
逆に、いつも素敵な男性に囲まれ、強烈な男運をもっている友だちから紹介された男性なら、さほど心配はいるまい。
一応、先の〝幸運度〟をチェックし、まずまず合格なら、大いに脈ありと思っていいだろう。
ちょっとここで敵情視察のつもりで読んでいる男性読者にも、是非ひと言いっておきたいことがある。
もてる女性にも三つのパターンがある。
①真に明るくチャーミングな場合
②稲荷ギツネや白ヘビが憑いて異常にもてる場合
③「セックスしたい、セックスしたい」と異常に執着して死んだ霊がまとわりついてもてる場合(第一章でも述べている)である。
②と③が色情霊によって男性にもてる女性である。
このような女性は、男性が見て異常なくらいセクシーに感じるだろう。しかし、決して男性に幸せをもたらしてくれる女性ではない。あまり近づかないほうがよいだろう。
良き女性を見きわめるポイントは、人格に〝清純さ”があるかどうかである。女性も、男性によくもてて、自分にも幸運を与えてくれる男運豊かな友人は、清純さと①の条件を満たす人だと思っていただきたい。
運気の悪い場所を好む男性は避けよう
人の運気と同様、場所の運気を見ることも、悪い男にひっかからないための重要なポイントである。運気の悪い場所とは、いわずもがな、それらしい雰囲気が漂うところである。
①ポルノショップやエロ映画館が林立している場所
②バーやキャバレーなどのネオン街
③ホームレス、酔っぱらい等が、いつもたむろしている場所などである。
こういう場所にいつも出入りしている男性は、避けたほうがよい。まともな男性は、たまには行くこともあろうが、一週間に三回も四回も行ったりはしないものだ。
第一、高い霊界に守られている人は、そういう場所を見ただけで、おぞましい気分に陥るものだ。しかし、低霊界層といつも感応し合っている人は、むしろ、そういう場所を、砂糖に蟻がむらがるように、何となく足を運んでしまうのである。
その人物の行動と、背後の霊界とは一致しているものだ。だから、相手の男性が、日頃、どういう行動をとり、どんな場所に出入りしているのかを知れば、神霊的な高さはおのずから判明する。
神霊的な高さ、パワーがすなわち、その人物の幸運度であり、伴侶として選ぶ場合の、最大のチェックポイントとなるのである。
たとえ、いまは薄給で、服も三流銘柄のものしか着られないかもしれない。
だが、神霊的に高い人物であれば、守護霊の働きも強く、運も強い。また、志も高いであろう。だから、将来、精神的にも物質的にも必ず満足する生活が得られるのだ。
職業が作る夫の性格
職業といっても、これは相手男性の職業のことである。
男性にとって、仕事とは自分の能力を最大限に発揮する対象である。
何となくその職業に就いた人も、是非にと希望して就職した人もいるだろう。いずれにしても、男子が一生涯かけて、精神を投入する対象が、すなわち職業なのである。
だから、仕事に打ち込めば打ち込むほど、性格が職業に合うようになってしまう。
先生、建築業者、医者、技術者、パイロット、自衛官、漁師、学者、神霊能力者…、
皆、それなりの雰囲気がある。
もって生まれた性格や性質が職業を選ばせた場合もあるだろうし、逆に、職業が性格を作りあげることもあろう。ともかく、職業には、それに似合った個性というものがあるのである。
このあたりをしっかり認識しておかないと、結婚後、後悔することになる。
すでに第二章の「気をつけよう安易な妥協と高望み」で説明したが、釣り合わぬは不縁のもと、と一脈通ずるところがある。
職業からくる性格も知らず、ただ好きだから一緒になることは、はなはだ危険といわざるを得ない。相手が好きならば、愛しているのなら、職業も理解してあげるべきであろう。
たとえば、銀行マン。
非常に几帳面である。しかも、数字にはうるさい、というより敏感である。これが、銀行マンの性格。
これを知らずに、何にでも鷹揚な女性が、結婚後、夫のこうした性格を嘆き悲しんでも、それは女性のほうが明らかに悪い。発展的な性格の銀行マンもいるが、それは得意先係か、預金促進係ぐらいである。
その人たちも銀行という職業柄、金銭、時間、連絡、報告、社会信用、クリーンな印象作り等に気を配るが、どれも鷹揚ではすまされないことだ。
特に融資係ともなると、常に細心の注意が必要だ。だから、こんな苦情も聞かれる。「うちの主人は細かいことにうるさくて、神経が参ってしまいます。
男だったら、もっと寛容であってもいいと思うのです。最近、細かすぎる主人の態度がたまらなく嫌になってしまって…・・・・・」
こんな愚痴をこぼすのは、ご主人に対して理解が不足しているからである。銀行の融資係が寛容すぎたら、銀行は貸し倒れ過剰になってしまう。
だから、少々細かいのは一種の職業的性格”のようなもので、避けられないものなのである。
管理職におさまれば、逆に度量の広さを部下に見せる必要もあるだろうが、融資係の時はそれでよいのだ。妻として、あるいは母として、そうした夫の欠けている部分を積極的にカバーするのが望ましい。
夫が細かいのなら、逆に妻はおおらかに構え、子供たちにもそのように接するべきだろう。
つまり、ひとつの家庭を単位として、妻と夫の二人でバランスのとれた生活と教育ができればよいのだ。
男は仕事を一人前にこなし、給料をもらって妻子を養わなければならない。そのためには、多少の職業性格”はやむを得ない。
家庭ではよき夫、よきパパだがいっこうに出世せず、万年係長で、生活はいつも苦しい状態のことを思えば、仕事にバリバリ打ち込むぐらいの男性のほうが、夫にするにはよいといえよう。
夫の職業性格〟に不満をいってはいけない
公務員の場合はどうか。
善良ではあるが、なんとなく性格に締まりがない。迫力不足というか、いまひとつ、食い足りない部分がある。
特に、地方公務員がこの雰囲気をもっているようだ。したがって、こんな意見が出る。
「主人は、人間的には真面目で几帳面でいい人なんですが、男として厳しさに欠けるというか、ピシッとしたところがないんです。
隣のご主人なんか、男らしくて、堂々としていて頼もしい限りなのですが・・・・」
そんな奥さんの愚痴に対して、私はこう答えることにしている。
「奥様。公務員というものは、たとえば東大出のエリートが大蔵省で、どちらが先に次官になるかを競っているような場合を除けば、あとは似たり寄ったり。
ご主人に対しては失礼ですが、一日でやれる仕事をいかに三日でやるかが大切なのです。
倒産の心配や前年度比何パーセントの売り上げノルマというものもなく、また、売り上げ成績が悪いので”地獄の特訓”に追い込まれ、涙を流すこともない。
給料も法律で保証されているし、破格の出世さえ望まなければ、皆、のんびりとやっているものです」
「それはそうなのですが」と奥さん。
「いやいや、そういう職場の中で、たった一人”さあ、今日も一日頑張ろう。己に厳しく、今日の仕事は残業してでもやり抜こう”などといえば、”あいつバカか”ということになる。
以前「すぐやる課」ができたというだけで、ニュースになったくらい、普段はすぐにやらないのがお役所です。
公務員は協調性がまず第一であり、人柄のよさや、仕事の正確さが要求される。上下間の礼節も大切です。公務員には公務員の、それなりの苦労もあるのです。
ご主人が役所をやめ、建築会社の営業か、訪販会社の営業部長にでもなれば、グッと男らしくなれるかもしれませんが、あなたはそれを望んでいるのですか。
いま、大卒男子の就職の第一志望は、公務員なのですよ」
男性側の味方ばかりしているようで、フェミニスト深見東州としては女性の方々に申しわけない気もするが、生活安定と休みの多さ、それに残業がないことがいいと思って公務員と結婚した人や、いい男性だと信じた相手がたまたま公務員であった人などもいるだろう。
一つのよさを見れば、半面、足りない部分も見えてくる。完全無欠の人間などいないのだから、これはしかたがないのである。
今さら愚痴をいっても始まらないのである。足りない部分を指し「夫の性格のせいだ」「主人の問題だ」と思っていることが、必ずしもそうではなく、職業がそうさせていることも多いのだということを知っていただきたい。
社会経験の足りない女性としては、目の前のご主人の像ばかりがクローズアップされることだと思う。
しかし、女性が想像する以上に、会社の存在、職業の雰囲気は男性の心に大きなインパクトを与えるのである。
だから、「私はこんな男性となんで結婚してしまったのだろう。ああ…。男運がなかったのだわ」と、短絡的に嘆いてしまうことを、私は恐れる。
男運のあるなしの判断は、なるべく客観的な価値基準をもとにしていただきたい。
つまらぬ男と上手に別れる方法
さて、いまつき合っている、つまらぬ男と上手に別れる方法だが、ポイントは一つしかない。
それは、相手の心を不幸にさせず生霊を作らないで別れる、ということである。生霊は強い想念、あるいは執念から生まれる。特に、相手を呪い怨む感情から生まれた生霊は、生半可なことでは離れないし、病気、事故等を引き起こす。
だから、何としても、別れた男が生霊を出さないように誘導しなければいけない。第一、その男性の不幸はもちろんのこと、女性も悪徳因果を作ってしまうことになる。怨まれずに別れるためには、相手の人格を傷つけないことである。
つまらぬ男といえども、プライドがあり、あなたを一生懸命、愛してくれているかもしれない。その愛を、簡単に踏みにじることはよくない。
ましてや、他の男性とひっついて、「ハイ、さよなら、バイバイ」じゃ、かわいさあまって憎さ百倍、となろう。確実に、生霊が生まれる。
「あなたはあなたで素晴らしいと思う。けど、どう考えても、あなたと私じゃ不釣り合い。二人の将来のためにも、ここは我慢して、別れたほうがいい。そうしましょう」
これぐらいのことはいいたい。たとえ、あなたに別の恋人がいて、そちらに乗りかえようとしていても、それを相手に悟られたらおしまい。
真心を込めて、締めくくりをよき想い出にして、別れる工夫をすべきだろう、お互いのために。
決して、「カス!バカ!おたんこナス!ハゲチビ!短小!早漏」などといった鋭すぎる別れの言葉は吐かぬように。
ましてや、「あんたより、ずっと男らしい人見つけたの。あんたとはサヨナラ、バイバイ。
もう、私の前にその顔見せないで」と、心で思ったとしても、そのまま言葉に出すのは、危険きわまりない。なぜなら、あなたのその言葉は、別れた男性の心に残り、生涯怨み続けるかもしれないからだ。
まさに、言葉の剣で心を切り殺したのに等しい。男性は女性から、こうののしられると、プライドを傷つけられると同時に、自信をもなくす。ガックリと肩を落として、そのまま立ち直れなくなる人もいる。
稀には、それを踏み台にして、大きく成長する人もいるが、そういう人でさえ、当初は相当に怨むものである。女の怨みは恐ろしいが、男の怨みも恐ろしい。
酒をガブ飲みしてヘドを吐きつつ、女への怨み節を唱える。
「おのれー、ウィ〜。殺してやるー、ウィ〜」と男泣きする。その時、彼の頭の中には、あなたと新しい彼が愛し合っているシーンが描かれており、しかも、その二人をぶん殴り、引きちぎろうという強烈な念を出している。
また、新しい彼とあなたの間にできた子供や、甘い生活を、めちゃくちゃに叩きつぶしているさまを思い浮べるだろう。
こうした強い念は、生霊となって、必ずあなたや、新しい彼にとり憑き、流産の原因になったり、二人の仲を割いたりする。
言葉で諭しても、いっこうにらちがあかない場合は、こんな手を使う。
あなたより、数段グラマーでセクシーな友だちを、紹介してしまうのだ。そして、「彼女、あなたに気があるらしいわよ」などと、ささやく。
男は、肉体的な美しさにはすこぶる弱い。で、「そうかなあ、そんなこといってたぁ」などと、鼻の下を伸ばすのが常である。
「少しぐらいなら、彼女とつき合ってもいいわよ」と、さらに追い打ちをかけ、そちらのグラマー女性に気が向いているスキに、何となく縁を薄くしてしまうという方法である。
だが、これは残念ながら邪法だ。グラマーな女性がかわいそうだし、守護霊も立腹する。ただし、グラマー嬢と彼との相性がピッタリ合い、意気投合してしまった場合は別だが。
それでもダメならどうするか。あなたが“善意の悪女”になることだ。
むずかしい注文をつきつけることである。つまらぬ男は、たいてい生活もルーズだし、性格もどこか歪んでいるもの。そこを徹底的に追及する。かぐや姫が求婚を断り続けたやり方だ。
「デートの時間はきちんと守るように。お茶を飲む時、ズルズル音を立てないで。キョロキョロしないで。猫背で歩かないで。鼻クソをほじらないで。電話は七時以降かけてこないで」という具合。
相手が、つまらぬ男であればあるほど、欠点も多いわけだから注文を出しやすいはずだ。
「こんな女と一緒になれば、僕は一生涯不幸になる。結婚しても、すぐ離婚だろう。今のうちに別れよう」と、やがて相手がネを上げて逃げ出すのを待てばいい。
相手は、「ああ、よかった。早くあの女の本質が見抜けて。これも、日頃僕を守護してくれてい守護霊さまのおかげだ」と、思って喜んでいる。だから、この場合は生霊は決してこないのだ。
いずれにしても、あせってはいけない。あせらず、じっくり攻略を練れば、上手に別れる方法を見つけることができるだろう。
別れをあせって、乱暴な言葉を吐き、つまらぬ男の生霊を憑けられるというのは、愚の骨頂、相手も不幸にしてしまう。
くどいようだが別れる相手の自尊心、人格等を絶対に傷つけないよう、くれぐれも注意したい。それが、一度は愛したことのある男性に対しての真の思いやりとなる。
