箱根を背にした者は天下を征する
【箱根神社】
《奇跡の開運の秘訣と霊的解釈》
箱根を背にした者は天下を征する
西武鉄道の創始者であり、衆議院議長までつとめられた堤康次郎さんという人は、箱根神社の熱心な崇敬者であった。
箱根神社の奥宮を寄贈されたのは氏であるし、息子の堤義明氏も、箱根神社の摂社になる九頭龍神社の社殿を寄贈しておられる。彼、堤康次郎氏の敬神の情は、中途半端ではなかったのである。
堤康次郎氏にはこういう話が残っている。ある水商売の女将が、関西に本拠地を置いていたのであるが、いよいよ東京に進出することになった。
そこで堤康次郎氏に相談したところ、「関東で新しく商売を始めようとするならば、まず箱根神社にお参りをすることだ。必ずお参りをしなさい。
そうしたら、きっとうまく行くよ」と答えたらしい。堤康次郎氏は、彼女に対してだけでなく、東京で仕事を始めたいという人に、誰にでもこう答えた。
ご自分が、確たる体験の持ち主でなければ、この言葉は絶対に言えないはずである。これをもってしても、氏の箱根神社に対する信仰ぶりが、如何に本物であったかが伺い知れよう。
その先代の堤康次郎氏の遺志を受け継いでいるのが、他ならぬ堤清二、堤義明の兄弟である。この二人の前世は、拙著「大創運」(たちばな出版刊)でも述べたが、あの仇討ちで有名な曽我兄弟である。
曽我兄弟といえば、やはり、箱根神社に願を立てて見事に本懐を遂げている。
当時、箱根神社は二所権現といわれて、伊豆山権現とともに関東随一の霊場と謳われていた。兄弟はその頃の別当(管長)行実に、懇ろに勇気づけられ、仇討ちを励まされて剣を授かり、見事に本懐を遂げている。その縁によって、箱根神社の境内に兄弟の霊が祀られている。
こういう訳で、堤兄弟は今でも箱根神社に対する崇敬を揺がせにはしていない。毎年、八月頃になると神前に詣で、正式参拝をしておられる。
特に、堤義明氏は冒頭にも申し上げたが、さびれて荒廃しそうになっていた九頭龍神社の社を再建し、箱根神社の最有力なご眷属の宮居を調えられたのである。
大発展をとげた堤義明氏の背景には、箱根神社の霊威が輝いていることは間違いない。
昔から、箱根を背にしたものが天下を征すると言われているが、堤義明氏こそが、現代でそれを実証している人であると言えよう。
ところで、この箱根神社というのは、一体どんな神様が祀られているのであろうか。
ご祭神は天孫瓊瓊杵尊、その妻神木花咲耶姫命、その息子彦火火出見尊のご三神である。そして、駒ヶ岳の頂上にある奥宮には造化三神が祭られている。
造化三神とは天御中主之大神、高皇産巣日之神、神皇産巣日之神のことである。
天御中主之大神は「古事記」における万物創造の主神とされる神である。
ちなみに、「日本書紀」では国常立之尊となっている。どちらが本当の主神なのか。
このご神名の違いをどうとらえれば良いのか。読者の迷うところであろう。神道を相当深く勉強している人でも、はっきりとしていない人が多い。学術的にも、古文書を見ても、諸説紛々として明確でない。
私は植松先生から学び、ご神霊から直接教えていただいた事を言ってみることにする。
宇宙創造神とは、「点」であり、質量も体積も波動も神姿もないが、無ではなく、有の始まりである。それに働きが始まって、絶対権もたれた状態が
である。
はあらゆる縦の次元界の始まりであり、横の力徳の広がりの主となる神である。
それで、色々な神々のご神名とは、全て
の神の働きの一部や局面を物語るものであると考えてよい。
カミとは火と水であり、陽と陰であり、男と女であり、日と月であり、縦と横なのである。
即ち、森羅万象、顕、幽、神三界の働きを全て総称していうのである。だから、ご神霊というのはカミの働きの一部分であり、仏様もカミの一部分なのだ。
そして、ご神名こそが、そのカミの働きを物語るすべてであり、ご神名の言霊こそが霊妙不可思議なるその神の働きを表すすべてなのである。
もう少し具体的に言ってみると、
神が地球を主宰している時のご神名が国常立之大神であり、地球の御魂の働きを総称して言うときが、素盞嗚大神と申し上げるのだ。
太腸の場合は、主宰神のときが天照大霊女貴之大神であり、太陽の御魂の働きを総称して言う時が、天照大御神である。
そして、銀河系宇宙の働きを総称するという次元になれば、菊理姫之大神と申しあげる。この銀河系を創造された祖神が太陽を通じてお働きになる状態を天照皇大御神と申し上げて、「皇」の一字が入るのだ。
「皇」とは「スペル」であり、「スメラ」である。また「皇神」であって、宇宙を「る」という意味が含まれている。
このように、月も水星も、金星や、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星をはじめ、全ての星雲、星座には主宰神と総称のご神名があり、それを霊的に体得し知悉できてはじめて、星や星座の神霊界を自由自在に行き来でき、その宇宙パワーにおける秘法も自在にやれるようになるのである。
むろん、ご神名だけではまったくだめであるが。さらに、その神霊界に行き、そのご神名の時に現れる神姿にお目にかかっていなければ、神人一体となった神通力はふるえない。
さらに、神霊の発する妙の言霊が自由自在に使えて、投げて、受けて、また、ご神霊に投げ返すということが出来なければ、天津神や正神界の全ての龍神、天狗、宇宙波動の使い分けはできない。
私の三百種類を超す秘法は、すべてこれらの組合わせによってはじめて可能となる。
このように書いても、一般の読者には到底信じられないことと思う。うさん臭く、嘘っぽく思える人もいるだろう。
しかし、実際にそれを体験し、証しを得た人は何千人もいるのである。会員の方の膨大な実名入りの体験談集を見て信じるか、それでも非科学的だと一笑に付すか。それは読者の判断の自由に委ねるしかない。
お参りするための三つのポイント
ところで、お話を元に戻して天御中主之大神の話にもどろう。はたして天御中主之大神と国常立大神は同じ神様なのか。答えは簡単、名前が違うから、異なる神様である。
ところで、神道ではよく同体異名という言葉を使う。同じ神様で、名前が違うだけだという意味だ。猿田彦や大国主之命には色々な名前があるが、名前が違えば働きが違う、働きが違えば姿が違う、衣装も顔もまったく違うのである。
だから、神霊界では同体異名というのは大変重い意味をもっていて、むしろ、同じ霊統を引くまったく異質の神であると考えた方がいい。国常立之大神と天御中主之神との関係も、実はこういう関係なのだ。
では天御中主之神とは、どの次元を治める時の
神のことを言うのか。答えは、太陽、水星、金星、地球、月、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星の太陽系の十一個の惑星に北極星と土星の輪を加えた十四惑星を統括される時の御名である。
この神様が、箱根神社の奥宮に降臨されているのだ。優しいお顔で質素なご神姿をしておられる神様だが、数種類のお顔に変化して、お働きの自在性を発揮されるのである。
詳しい事については天界の機密事項なので、世の為人の為、神の道に生きると決心した方にしか、正確にお伝えすることは許されていない。ご了承願いたい。
また、俗に箱根権現と申し上げる時には、彦火火出見尊が現れて、勝負に勝たせる神となって、お出ましになる。
これも、その神との神霊交流を自在で容易にする為には、ご神名の霊的解義、神姿の正確な描写、
神から賜与された正確なその神霊のお働きと役掌を知らねばならない。
そうしてはじめて、その神霊と一つになって、神霊運用の妙を発揮することができるのだ。
その神の真を得てはじめてそのご眷属のパワーも活用して、万人を幸せに導くこともできるようになる。
私は、そういう神人合一して世の中を良くし、新しい時代を切り開いて行く人を育てるためにこの世に生まれて来た。
だから、至誠を前に立てて、この世を良くしたいと願っている人達は、礼を以て正式に私が主催する箱根神法悟得会に参加していただきたい。
こちらも、礼を以て神様を取り次ぎ、神様から許されるすべてをお伝えして、妙が実践できるまで、実修教育をさせていただくつもりである。
一旦、神界の機密を明かすからには、その人が邪な心を持たず、ある程度ご神意にかなう生き様をするように誓いを立てていただかないと、こちらも神様に対して申し訳ないのである。
機密を知って邪の心で祈り続ければ、霊界が混乱し、箱根に邪気がはびこるようになる。
そうなれば神霊界に対して申し訳がたたない。これは、決してもったいをつけて言っている訳ではないので、くれぐれもご理解を願いたいところだ。
では、そんなにまですることはないと思う一般の読者は、一体どうすればよいのであろうか。
私の今までの著書で述べた内容を、素直に実践するだけで相当な功徳が授かるはずであるが、以下の三つのポイントを頭に入れて、敬虔なお気持ちでお玉串を出し、神主さんにお願いをして昇殿正式参拝をすれば、それだけで一層絶大な功徳を授かることを約束する。
その一つ。東京を中心にした関東の一之宮は、埼玉県大宮にある氷川大社である。黒いおのすばらしい立派な神様がいらっしゃる。
明治政府というものは、明治天皇様が、この大宮氷川大社に神祭り美しく詔なされた時点からはじまる。千百年間も京都に住まわれた天皇家が、この地へお移りになったことを、東京の産土神へ、正式に言上なされたのである。
むろん、建前は太政官制発布の勅命を奏上された儀式が主ではあったが。
こういう歴史を知れば、社格(神社のランク)は東京圏に住む人にとっては氷川様の方が上であるので、一度はお参りに行くべきなのであるが、社格以上の霊威、霊力、大祈願の成就力ということになると、箱根神社のほうが圧倒的に上なのである。約3・5倍は違う。この倍数は直接神様に確認した数値であるが、これは氷川の神様にも直接確認したのであるから間違いない。
考えてもみるがいい、埼玉県の大宮市の市街地の一角に、ちょっとした立派な神域を持つ神社と、箱根の山々峰々、小川のせせらぎをはじめ、雄大な芦ノ湖を御手洗池として、それらすべてを神域とするところでは、神仙の玄妙さに違いがあるのは当然のことである。
もっと具体的に言うならば、ご神霊に引率される龍神群、天狗群、蛇神群などのご眷属の数と量が圧倒的に違うのである。
霊威、霊力、成就力の実際は、ご祭神の神格もさることながら、そのご眷属の種類と数量に負う所が大きい。これがまず第一のポイントである。
次に、先程も触れたが、国家の神仕組の方向として、天皇陛下が京都から東京に移られた後、皇室と日本国の中枢を守らんがために、国常立之尊はその系統の神々と共に、この箱根神域を中心にその和魂力と奇魂力を発揮され、国家の守護と国政の仕組みを陰から導かれているのだ。
故に至誠で祈り向かえば天下国家を動かすご神力を授かることができるのである。これが第二のポイント。
最後が、太陽神界から直接に降り来たる神界が、富士山を中心にした富士神界であり、これはフの働き、つまり、「増える、殖える、吹き上げる、笛吹く、布す、吐き出す」という腸の働きの神界であり、この箱根神域には陰の働きをする神仙界があることである。
ハコネとは色々な意味があるが、わかり易く言えば、神様の道を極め、己れを霊的に見つめ直すことで、神仙の世界へと私達の御魂を運んでくれるハコフネなのである。
ハコフネからフが抜けてフがフジになり、ハコネになってあるのだと言霊解すればよい。
ハコフネとは方舟と書き、正しい方向に国家や私達を導いてくれる霊的な存在と働きであると考えていい。
その他にも、色々な言霊解釈が成り立つが、こういうことを霊的解義とか神霊的咀嚼力というのである。
皆さんにはわかってもわからなくても、なんとなくそうなんだと信してお参りするだけで、神霊感応力は断然すぐれたものになるはずである。
祈りのノウハウと神霊的な叡智こそが、神霊を動かす無形の如意宝珠となるからである。
以上三つのポイントを念頭に置いて、そういう所でお参りをしているという強い自覚をもって、素直な気持ちで真心を込めてお参りをしてください。
強い自覚が強い感応力となり、必ずや開運大祈願が感通して成就することをお約束する。
組織を束ねる気力、体力、実行力を授かる
【鹿島神宮】
《奇跡の開運の秘訣と霊的解釈》
日本一の大河、坂東太郎と呼ばれた利根川の河口近く、生い茂る壮大な柱の中に、常陸の国の一之宮、鹿島神宮がある。
境内口の鳥居は、一番上の横柱(笠木という)の両端が斜め下に切られ、二番目の横柱である貫が、左右に立つ柱の外側に突き出た型式で、鹿島鳥居と呼ばれる。
この鹿島神宮のご祭神・武甕槌大神は、天照大御神の命を受けて降臨し、日本を制圧していた大国主命に対し、
「ここは天孫がしろしめすところだから、国を譲るように」と、迫った。
対するに、大国主命は次のように答えたのである。
「私は既に隠居の身であるから、国譲りに関しては、息子たちと相談していただきたい」
そこで、武甕槌大神は大国主命の息子の一人、事代主命と交渉した。彼は節度と冷静さを兼ね備えた神であり、現実界でいえば、衆議院議長のような存在である。
そして、「天下の状勢を鑑みるに、天孫に国を譲った方がよい」と判断した。
ところが、もう一人の息子、諏訪大社のご祭神となった建御名方命は、いわば内閣総理大臣のような存在であり、日本国の今の有様と同じように、国譲りに対して猛反対した。
それで、とうとう武甕槌大神と直接力で決することになった。丁々発止と岩を投げ合い、互いのパワーを全開にしての力比べを行うが、武甕槌大神の力が上回り、瞬時に氷となった武甕槌大神に握られた建御名方命の手が凍りついてしまった。
「こおりや参った」とつまらないことを言ったかどうかは知らないが、自らの敗北を悟った建御名方命は、諏訪湖の畔まで逃げてきたが、何とか一矢を報いたいという思いを棄てることができず、足元の岩といっても直径数十メートル、何百トンもあるやつを武甕槌大神に投げつける。
ところが武甕槌大神、動ずることなくその岩をナイス・キャッチするや、投げ返す。
その速度、時速一五〇キロ。元近鉄の野茂か、中日の郭かという猛烈なスピードに、建御名方命は今度こそ「参った」と恭順の意を表した。
文献にはあまり詳しく記されていないが、ここで武甕槌大神が建御名方命を殺そうとすると、建御名方命はスワ一大事という時には必ず馳せ参じ、全身全霊を天孫のために捧げることを誓ったのである。
一方、事代主命、建御名方命の父親である大国主命は、息子二人が武甕槌大神の軍門に降ったことを知り、武甕槌大神の申し出に対して自らも納得し、海の上に青芝を敷い自殺したと伝えられる。
話が四方八方に飛んだが、もとに戻せば、この高天原最高の武神、武甕槌大神を祀ったのが鹿島神宮である。では、この神宮を作ったのは誰なのか。
東征で知られる神武天皇である。
神武天皇は、武甕槌大神と師霊剣をたてまつるために鹿島神宮を創建されたといわれる。
その後の歴史上に現れる鹿島神宮は、中臣氏、のちの藤原氏の氏神としてである。中臣氏は古代から大和朝廷のために神事を司ってきた一族だが、鹿島神宮の祭り神を大和朝廷の近くに移して建立したのが春日大社である。
この時、祭り神の宿る榊を白鹿に乗せて運んだことから、春日大社境内の鹿園が作られることになった。
さて、藤原氏は、八五七年藤原良房が太政大臣となり、さらにその後摂政になったことから、一気に栄華の道を駆け登り、一〇七四年に藤原頼道が死去するまでの約二〇〇年もの間、栄耀栄華の頂点を極めた。
藤原道長が、「この世を我が世ぞと思う望月の欠けたることのなきを思えば」と歌に詠んだ、その栄華ぶりがしのばれる。
その藤原氏に繁栄をもたらしたのは、人間の努力もさることながら、それをことごとく実らせた鹿島神宮への信仰であったといえるだろう。それが、運・不運の運びの元を吉にするべく支えていたのである。
つまり、剣の霊威の神であり、剣そのものでもある武甕槌大神は、武の神であるとともに権力を支える神威の象徴でもあるのだ。
そのことを鑑みれば、権力を掌握した者、あるいはこれから掌握しようとする者にとって、鹿島神宮ほど有難い神はなく、大いにあがめるに値する神であるといえよう。
そのことを知って祈ることにより、ご祭神は一層大いなるお力を授けてくださるのである。
剣の守護に関しては日本一
政界、財界、労働界、あるいは小なりといえども組織を束ねる者は、何をさしおいても鹿島詣でをすべきで、気力、体力、実力、権力、執務実行力を十二分に授かることだろう。
私は関東在住の方々に、何かの時には箱根神社への参詣を勧めてきた。それは、箱根神社のご祭神とご眷属の霊力の絶対量がとてつもなく大きなもので、それが関東においては、随一の大祈願成就力となっているからである。
ところが、神社のご祭神そのものの霊力、神力、成就力に関しては、この鹿島神宮の神様が一番なのである。格が違う、段が違う、次元が違うといった方がいいかも知れない。
無論、神様であるから、どんな願いでもオールマイティーにかなえてくださるが、特に、霊威や権力、気力、執務実行力のご守護の冴えに関しては、箱根大神の四倍ぐらいの強さがある。
つまり剣の守護の分野に関しては圧倒的に日本一であり、天下無双の強力度なのである。
それは、天孫降臨の砌、神武天皇建国の砌、いずれも絶大なる神力を発揮され、それなくしては皇業の一切が成立しなかった程の、偉大な神功を立てられた歴史を見ればわかる。
ところで、今度は鹿島の功徳についてもっと具体的に話してみよう。
たとえば、関東で初めて衆議院や県会議員に立候補する時は諏訪大社、当選して二回目以後の名誉と権力の保持のための選挙には、まず第一に鹿島神宮。むろん、後者の場合でも、一回目にお世話になった神社には、お礼参りは欠かしてはならない。
会社でいえば、創業と、売り上げの柱ができて会社としての基盤ができるまでが諏訪大社、ある程度出来上がってからが鹿島神宮である。
むろん、後者の場合も、諏訪に対するお礼と追加祈願はもちろん、鹿島神宮に早い内からお参りしても結構。
要は、今自分が置かれている状況に合わせて、参拝する神社や回数を調節し、力点を置き換えたらよいのである。
それが、神社の神霊のお働きを真に理解し、正しい功徳を授かることにつながるのである。神様とは、功徳をだし惜しみされるということはない。
ただ、人がご神霊の役割やお働きを真に理解し、正神界の法則にかなう誠で接しないだけである。
いかなる人にも功徳を沢山授けたいと、神々は日夜御心をくだいておられるのだが、神霊界の定めごとがあるので、それにかなうようにこちらが向かった分だけしか、ご神徳を世に発揮することができないのである。
悪い言葉でいえば、神社の神様を自分のために活用していることになるのだが、それは行動が伴った真心から発せられる願いであり、本当にその人のためになり、また周囲の人々のためにもなるものならば、神々は、大喜びで活用されることを歓迎されるのである。それが親心というものであり、神社の神様の御心とは、すべてがそういう有難いものなのである。
ところで、この鹿島の神が海に出する時、わが国を守る剣の神としての働きが、表に現れる。そこで、毎年陽の極まる六月の夏至の頃、私は鹿島灘において「海原開き大神事」というものを行う。
本物の真剣に鹿島の神のご神霊を招き、わが国の国連の長久たらんことを祈って、神剣を振り続けるのである。
三千人を超える会員で埋めつくされた海岸に、およそ三百人ぐらいの神剣を振ることを許された人たちが揃う。
身体にビリビリ来るご神霊の霊威に打たれながら、剣を振る姿は圧巻。
この時、会員のみならず、一般の方々のためにも強運人形・形代(自分の名前と住所を書き、息をかける人形や車、会社の半紙のこと)の大通力によるお祓いの受付も行っている。
三百円から申し込めるので、お気軽に申し込まれたい。
アルプス連峰は世界を代表する大神界
【諏訪大社】
《奇跡の開運の秘訣と霊的解釈》
本州を横断する中央地溝帯中央部に位置する断層湖・諏訪湖。この湖をはさみ、南北に上社と下社とが鎮座しているが、これを総称するのが諏訪大社である。
鳴呼、想い出深く懐かしいこの諏訪大社。
今までのいかなる観光案内や神社関係の資料や神道関係の本にも存在しない、まったく新しい角度から神社と、そこにおわす神様をとらえようとするのが、この本である。
しかしながら、なんたること。諏訪に到り、私はハタと行き詰まってしまった。
なぜなのか。この壮大にして豊かな逸話に彩られる大社には、書くべきこと、また読者諸兄に知らせるべきことが、あまりにも膨大でありすぎるため、限られた紙面に記すことは、到底不可能であるからだ。
もし、すべてを記すとなれば、上下二巻の大冊を必要とするほどなのである。
したがって、私は激しいもどかしさを覚えつつ、筆を運んでいるが、その意を汲んでお読みいただきたい。
東京に在住しているという地理的背景にもよるが、過去をふりかえってみると、私がもっとも多く参拝してきたのは諏訪大社と箱根神社である。
山々の清々しさ、樹々の緑、そして手打ちソバの美味しさ。何度諏訪を訪れても、私は新鮮な満足感に酔うのである。
若かりし頃、様々な悩みや苦しみに打ちのめされそうになり、この神域に救いを求めてきたが、その度に、神々が私に勇気と明快なる答えを与えてくださった。
そう、諏訪も、箱根と同じく生き生きとした大自然の中に壮大なる大神霊界を形成しているのだ。
箱根の場合は関東と日本国の総鎮守府ともいえる富士、箱根神域であり、そこを訪れる人々は、関東一円を守護し、国民に絶大なる恵みを与える神々との出会いがある。では諏訪はどうか。
諏訪の背後にそびえたつ南北のアルプス連峰は、日本と世界を代表する大神界であり、諏訪の神々はその神界の入口を取り締まっているのである。
諏訪大社は長野県の一之宮という地位にあるが、それは、圧倒的なスケールと峻厳さを誇るアルプスのある長野県という、日本一の神霊磁場をあずかる一之宮ということだ。
遠い神代の国譲りの際に、諏訪大社のご祭神である建御名方神が武甕槌大神との戦いに敗れ、この諏訪の地に鎮まったのはなぜか。
地元には次のようないい伝えがある。
「かつて諏訪は洩矢の神が支配していたが、そこに建御名方神が降りきたり、洩矢の神を打ち破った・・・・・・」
洩矢の神とは何か。アルプス大神界の霊気が洩れいずるところの神という、言霊の密意ある神のことである。
このアルプス大神界の霊気は、皇室をお護りする偉大な力を秘めており、皇室に異変が起きそうな時には「スワ一大事」とその大神力を発揮されるのだ。
諏訪に発するご神力や龍神信仰の背景となるのが、このアルプス大神界の大霊気であり、大霊力なのである。
スワ族とミワ族
ところで、遠い昔より日本にはスワ族とミワ族という二つの霊系集団があった。スワ族とは諏訪大社の神系にまつわる御魂をもつ人々であり、ミワ族とは、三輪大社の神系にまつわる御魂をもつ人々のことだ。
この二つの霊系集団は、ともに宇宙の中心大祖神を祀り、日本と世界との神霊的なパイプ役を務める皇室の側近くにあって、皇室をお守りしている御魂の霊統なのだ。
両族の関係を歴史の上で見れば、次のようになる。
天皇家が一豪族から日本の中心となり、統一国家を成立させんとした時の推古天皇はスワ族であり、聖徳太子はミワ族である。南北朝の動乱期に、正しい皇統を守るべく立ち上がった新田義貞はスワ族であり、楠木正成はミワ族であった。また明治維新の動乱期にあっては、山岡鉄舟はスワ族であり、西郷隆盛は、ミワ族であった。
では現代はどうか。遺憾ながら、スワ族、ミワ族ともに、往年の力を発揮しているとは言い難い。
第二次大戦の敗北によって、天皇制が変貌し、神社が一宗教法人となり、日本の伝統を伝えるべき教育が否定されたため、若い人々の御魂の中に存在すべき、惟神の道の精髄が廃れようとしている。
しかし、心静かに歴史を見つめれば、天皇家とは二千六百五十年もの長きにわたり、一つのファミリーで日本という国と文化をリードしてきた方々であることがわかる。
これは世界に誇るべきことであり、私が多くの外国の文化人と話をして、常に相手が驚嘆し、評価し尊敬するのはこの点であった。
中国やインドやギリシア、ローマの文化や国柄は、古くて偉大ではあるが、文化や技術や心情などの伝統の継承と民族的なまとまりが乏しい。
ワンファミリーが二千六百五十年間も国家と文化と民族の中心にあり、今後も続いていくということは、世界中に自慢できるすばらしいことなのである。誇りに思って外人に話せば、必ずうなずいてくれるはずだ。
現在、国際化の波の中で、我が国は大いに揺れ動いているが、その先には一体何があるのか。
新しく訪れる時代こそ、日本の時代なのである。その新しい時代を支えるのは、融和と協調を主とする古来よりの日本の思想である。
そのなによりの証拠は、ECの前身、 EEC (ヨーロッパ経済連合)の成立の歴史を見てもわかる。
EEC成立の基の理念を作ったのはクーデンホーフ・カレルギーであり、彼の母親は日本人の青山みつだった。
有名な香水の「ミツコ」は彼女の名前からきたものである。クーデンホーフ・カレルギーは、母親の青山みつから常日頃「皆、仲良くやっていかねばならない。和こそが最も大切なものなのだ」ということを聞かされて育った。
大人になったクーデンホーフ・カレルギーは、狭いヨーロッパ大陸に何ヵ国もの国がひしめき合い争っても、何の益にもならない。
それよりも、ヨーロッパ連合を作ってお互いを益し合おう、理解し合おうと唱えた。それらがEEC成立の理念となったのである。
言わば、惟神の国日本の精神が、EECを生む発端と原点を作ったことになる。このような形で、融和の日本精神が世界平和と世界連邦政府樹立に貢献し、受け入れられるようになるのである。その日が待ち遠しい限りだ。
ところでスワ族、ミワ族も、今日のように国際化された現代社会においては、狭い意味における皇室や天皇という政治体制に対して働きかけるとは考えられない。
より本質的で伝統的な神人和合、融和協調、上下一致の大和の精神と文化、歴史のシンボルとしての皇室に対してであろう。
たとえばクーデンホーフ・カレルギーのような役割を、世界の歴史において果たす人物となって表れてくることだろう。それが、日本精神の真価を世界に証明することになるのだから……。
恐ろしく厳しく、最も有難い命の水の親神
【白山比咩神社】
《奇跡の開運の秘訣と霊的解釈》
白山は御魂の故郷であり、戦後の神の仕組みの中心をなす大神域である。
と、いきなり記しても、一般の読者には何のことだか訳がわからないだろう。
そんなことよりも、いかなる「お蔭」がいただけるのか、早く知りたいと考えている人が多いのに違いない。
だがしかし、白山の持つ、とてつもなく偉大な全容を知ることなくして、個々の功徳を求めることはできない。
なぜなら、全容を知らなければ、功徳の原点にある法則や、中心に坐します神霊と、真に感通することができないからだ。
そしてまた、真に感通することができずして、そのご神徳を縦横無尽に取り次ぎ、自己の向上のために自在に活用することもできないのである。
とはいえ、白山の全容を捉えるには、余程の広い角度の視野を持たねばならない。
それで、私の主宰するワールドメイトでは、真の神人合一を目指す熱心な会員のために、二泊三日の白山神法悟得会を一年おきに行っている。大きくて広い視野で白山をとらえるためだが、それでも十分ではない。
つまり、それほどに白山神界とそこにおわす神々とは、スケールが大きくて奥深く、しかも極限の透明感を持つ空恐ろしい程に厳しい存在なのである。
ところで、一般に恐ろしい神様、厳しい神様というと、思わず敬遠したくなるのが人情であるが、本当はそうではない。
それだけはっきりとした神力と霊験を表される神様であり、本当は最も有難い存在なのである。
恐ろしい、厳しいというのは、俗の思いや煩悩の雲に対するご神霊の動きが、速やかであり徹底しているということだ。一分のスキも許さない、だからこそ完全なものが出来上がる。
人に神を取り次ぎ、これに対して厳しく立ち向かい、技量を完全なものにしたいと欲する者にとって、それは、この上もなく有難いことではないだろうか。
しかし、そういう神の大愛を、一体幾人の人が欲し、喜んで受け入れるものだろうか。数としては、決して多くはないと思う。
正神界の神様は、本来強制や強要をなさらないものである。
ただただ、根気強く説いて各人の自覚と発願を待つのみである。だから、私も一切の強要と強制はしたくないのだ。
ワールドメイトという会員組織にしても、そのあり方を断固として貫いている。ただし、すでにしっかりした自覚と発願を抱き、信仰心が燃えさかっている人に対しては、厳しさも善として吸収されるので、私が率先垂範して、本当の白山の厳しさと恐ろしさと、ものすごい大神威を発揮するすばらしい道を教えている。
会員でも人を選んで教えているのである。それが白山神法悟得会なのだ。別に滝に打たれたり、不眠の荒行をする訳ではないが、一旦本当の神界の全容がわかり始めると、ご神霊が本気で大活動をなさるから、中途半端な人は、それに吹き飛ばされてしまうのである。
社会生活と日常生活に大激変が起こり、その対応に戸惑うことになるだろう。
戦後の「神の仕組み」
だがしかし、一般の読者はそこまで向かう必要はないと思う。神社が発表しているように、白山は命の水の親神様であり、報恩感謝の気持ちでお参りになれば、決して恐ろしいことも厳しいこともないのだ。
ただ、驚くばかりの霊験を発揮されて、功徳を授かることになるだろう。
正神界の神様とは、それに向かう人の、レベルと内容と至誠に見合った分だけしか動かれないからである。
それが真の平等であり、神の愛の発露であるといえよう。それは、神社のご神体がお鏡であるのを見てもわかる。その時その時のこちらの有様がそのまま映り、その分だけのご神霊の活動があるわけである。
ところで、冒頭に述べた戦後の神の仕組みの中心神域であることについて、若干述べておこう。
読者の中で、こういう分野について詳しい方ならご存じだと思うが、時代によって吉野信仰、熊野信仰、金比羅信仰、戎信仰、宗像信仰、八幡信仰などというように、その時代を代表する神社や信仰の形態があり、それが時代の変化とともに、常に推移しているのである。
それは単なる偶然による流行すたりに過ぎないものなのか。それとも、神界からの深い御計らいによるものなのか。
今までの私のすべての著書を読まれた方なら、すぐにおわかりのことと思うが、尊い御計りによるものなのだ。それは、いわば日本の神界で行われている「神々の当番制」のようになっていて、その時に御当番になっている大神社のご神霊には、宇宙の祖神であり、元神である
の親神からの大権限が委譲されている。
そして、その御当番にあたっているご神霊に対して、日本中の大神社のご神霊が加勢されるのである。その御当番の神様は、一体どのような基準で決められるのかといえば、まずそのご神霊の個性なり基本的な神界の役掌が、その時代の主神のご神策のニーズに合うかどうかで決まる。
次に、その時代の仕組みがなされる地域や、その時代の仕織に現れるヒーローのキャラクター、そしてその人の御魂や先祖らとの神縁や神契などによって決定されるのである。
ところで、私の著書を初めて読む人には、多分、わかりにくい言葉と思うのが「神の仕組み」という言葉であろう。
これを一言でいえば、「神霊界から用意された、地上における人間ドラマや歴史ロマンの筋書き、あるいは脚本」である。
いわゆる「神の摂「理」ともいえるが、この言葉はキリスト教的になってしまい、ニュアンスにゆとりがなくなる。
結論は同じでも、途中で筋書きや台詞が書き換えられたり、配役が変わるなどするお芝居の脚本のように、一層のふくらみと遊びと間があるのが「神の仕組み」なのである。
だから、人間も神社のご神霊も、主神の御心にかなうように、精一杯の精進と演技のベストを尽くさねばならないのである。
そうでないと、映画「影武者」の撮影時に、勝新太郎が主役から外されたような事にもなりかねない。
また、「仕織」という言葉も同様の意味であり、これがわからないと、神社やご神霊の当番制の真意やその背景も理解できないだろう。
まあ、そういう背景があって、戦後は白山菊理媛様に神の仕組みの当番が回ってきて、白山神域が日本神霊界の中心的な役割を果たすようになったのである。
そしてまた、このことは宇宙時代の幕開けであり、今までまったくお出ましにならなかった宇宙神が次々に降臨され、新しい文明の時代を築かれるという意味でもあるのだ。
ただし、白山菊理媛が統括されるのは、無形の御魂を第一義とする世界であり、幽々玄々の内に世界各国の政治、経済を結びつける働きをされている。
菊理媛は、別名ククリヒメとも申されるが、ククリとは、この結びつける働きを指している。
折口信夫説の「水を潜る」から「ククル」になったというのは、神霊的には賛同できない。なお、この結びつける力については、神のお許しを得た上で、時期がくればもっと詳しく読者諸兄にお教えしたいと考えている。
以上、我が国を代表する神域について述べたが、最後に述べておきたいことがある。
時代によって、神の仕組みを担うご神霊は交代するが、いかなる時代にいかなる神霊が仕組みの当番として前面に現れようと、日本民族、日本国家、そして皇室の命運に関しては伊勢神宮に坐す天照大御神の管轄にあり、その仕組みは永久に変わることがないのである。
意志と勇気をふるい立たせる戦勝の神
【熱田神宮】
《奇跡の開運の秘訣と霊的解釈》
名古屋市の中心部、JR東海道本線熱田駅から少し歩くと、鬱蒼と生い茂る常緑広葉樹に囲まれた熱田神宮がある。
本宮拝殿は、直線で構成された神明造り。境内には樹齢千年を超す楠の巨木がある。
神宮の祭神は熱田大神と呼ばれるが、これは、三種の神器、草薙神剣を御霊代とする天照大御神のことと考えてよい。
この草薙神剣は、日本の神代史において実に大きな意味を持っているので詳述しておこう。
草薙神剣は、素盞鳴尊の手によって、八岐大蛇の体内から取り出された。素盞鳴尊は、この剣を高天原の天照大御神に献上し、天叢雲剣と命名された。
その後、瓊瓊杵尊が、天孫降臨の際、天照大御神から授けられたこの神剣は、その後鵜草葺不合尊の手を経て、神武天皇に渡り、三種の神器の一つとして宮中に祀られて第十代崇神天皇は、皇女、豊鋤入姫を代理として立て、三種の神器のうち、剣と鏡を大和の笠縫に移して祀ることにした。
さらに垂仁天皇の代に、倭姫命が伊勢の五十鈴川の上流にそれらを移した。この地が伊勢神宮である。
景行天皇の御世に、日本武尊が東征するが、伊勢神宮に参拝した時、叔母である倭姫命が神剣を授けた。日本武尊は、駿河国で敵に襲われ、周辺の野に火をつけられて危機に陥った。
そこで、神剣で草をなで切り、火を逆に返して難を逃れ、ついに戦いに勝つことができたのである。
これにちなんで、神剣は草薙神剣と呼ばれるようになった。
東国を征した日本武尊は、尾張の国で宮簧媛と結婚し、この地にとどまりつつ、周辺を平定していた。
そんなある時、伊吹山の神と戦うことになった。だが、日本武尊は、「いかなる時にも剣を離すな」という倭姫命の言葉を忘れ、宮簧媛に剣を預けたまま出陣した。
山中にかかると、突然、白い猪が現れ、それが伊吹山の祭神なのであったが、ご眷属だと審神の誤りをしたために、日本武尊に毒気を吹きかけた。戦いは日本武尊の勝利に終わったが、毒気に当てられた彼は間もなく亡くなってしまう。
天皇は皇子の死を嘆き悲しまれ、社を建て、その魂を鎮め、尾張氏をしてこれを祀らしめた。これが熱田神宮の創始である。
時代は下がって天智天皇の御世(六六八年)、新羅の僧・道行が草薙神剣を盗み、逃亡したが、難波の浜で捕まり、剣は再び天皇のもとに返された。
しかし、天皇が崩御された時、「神剣のたたりのためである」という神託が下り、天武天皇が剣を熱田神宮に再び奉納し、現在に到っている。
さて、熱田神宮は、昔から「大宮」「大神宮」「皇大神宮」と呼ばれていたが、伊勢神宮とともに、正式に神宮の号が下されたのは明治元年のことである。
熱田神宮を深く崇敬したのは、室町時代の将軍足利尊氏であり、また織田信長も永禄二年桶狭間合戦の折り、戦勝祈願をした。
この時、信長は一枚の銭を取り出し、
「表が出れば勝利、裏が出れば負け」と、部下たちに語りながら投げ上げた。地に落ちた銭は見事に表を上にしていたため、軍勢の意気は大いに上がったといわれるが、これは、簡単なトリックで、銭は両面とも表になるように貼り合わせてあっただけである。
それはともかく、無信仰の猛将として名高い信長ですら、「絶体絶命になった時には、熱田神宮の御加護を受けるしかない」と、この時ばかりは思ったのだろう。
つまり、剣の神は戦勝の神であるとともに、意志と勇気の神でもあるのだ。
というのも、熱田神宮は、一般には「ゴタゴタしたことをスパッと解決したい時」に行けばよい神社だからである。
また、最後のドン詰まりに踏ん張って、強い意志力で天照大御神の光明を照らすことにより、本体を救うという働きがある。
現在、わが国の総理大臣は海部俊樹氏である(編集部注:平成三年当時)。彼がいつまで総理の座につけるかどうかは不明であるが、もし、熱田神宮を崇敬しているなら、その在位期間はかなり長くなるだろう。
故三木武夫総理の懐刀といわれたのも、刀に縁のあることであるし、彼の弁舌の切れ味、意志力の強さも刀である。
だから、強く崇敬すれば一層、その力量を増加させることになるだろう。
戦さでも、しんがりを務めるのは難しいとされている。特に、味方が負けて引き上げて行く時が、最も難しいとされ、余程力量がある武将でないと務まらないといわれている。
熱田神宮の影響下にある尾張出身のサルこと豊臣秀吉は、いつもこのしんがりを見事に務め、味方を安全に逃がしたのである。それで、天照らす太閤様になったのだ。
ちょうど、国内外の問題でゆれ動く自民党の党首として、なんとか剣に輝く熱田の天照大御神の光明を放つことにより、自民党を蘇生させているのである。
むろん、天照らす内閣総理大臣として日本国の国政をはじめ、私たちも、大変な状況でしんがり的な役割を果たさなければならない時には、熱田の大神が、剣の意志力とねばり、そして周囲を従わしめる天照大御神の光明と御稜威を与えてくださるのである。
総合的な推進霊力では関西随一
【住吉大社】
《奇跡の開運の秘訣と霊的解釈》
南海電鉄本線住吉大社駅から徒歩三分の所にある住吉大社から、今、海を望むことはできないが、かつては白砂青松の美しい海に面していた。
本殿(国宝)と第一から第三までの本宮は東西一直線に並び、海の方向に向かって建っている。祭神は、底筒男命、中筒男命、表筒男命の三神による住吉大神と息長足姫命(神功皇后)の四神である。
住吉の神は水神として知られるが、農耕の神、安産、和歌の神としても知られている。
和歌の神とされたのは、平城天皇行幸の折り、住吉大明神が姿をお見せになったので、「我みても久しくなりぬ住みの江の岸の姫松幾世経ぬらむ」(古今集)と詠まれたことに始まり、その後「住吉社歌合わせ」が行われるようになった。
「源氏物語」の澪標の巻には、住吉大社を舞台に光源氏が明石の女君に歌を贈る場面が登場し、これは後に謡曲「住吉詣」ともなった。
神功皇后との関わりは三韓討征の故事にまつわっている。
当時、世は熊襲・隼人が猛威をふるい、大和朝廷は存亡の危機に瀕していた。
この時、神功皇后に天照大御神の霊が神がかり、
「熊襲、隼人の反逆の背後には朝鮮民族の勢力がある。すみやかにその元をたたけ」という神勅を告げた。
ところが、仲哀天皇はおじけづいてその神勅に従わなかった。そうすると、たちまち天皇は崩御されたので、神功皇后が代わって指揮を取ることになった。
女の身であり、しかも妊娠中であるにもかかわらず、先頭を切って朝鮮半島まで出兵し、戦ったのである。この時、住吉大神の和魂は神功皇后の身辺をお守りし、荒魂は突風となって猛威をふるったのである。
いわば、神風の第一号といえるだろう。
住吉大神は、このように終始歴代の天皇の近くにあり、国家の経営を助け導いておられた神である。
聖徳太子が難波宮に都を定めたのも、奈良へ遷都したのも、また蘇我氏とともに物部氏を打ち倒し、中国文化を大量輸入することができたのも、陰で未来の国家の行く末のあるべき道を知らせた天照大御神の化身である聖観音と住吉大神、三輪明神のお導きがあったからであった。そのことは、私が聖徳太子の霊から直接伺ったことである。
近年では、大本教の成立にも大いに関わっている。出口王仁三郎が、綾部における布教活動に行き詰まった時に、起死回生の神策を期してこの住吉大社に参詣した時のことである。
一心に祈っていた直後、ふと白髪の老人が現れ、「あなたには大きな使命が与えられているのだから、くじけることなく頑張りなさい」と励ました。王仁三郎はすっかり感激して、改めて白髪の老人の姿を見定めようとすると、既に老人は消えてしまっていた。
王仁三郎は、この言葉を寄りどころに頑張り、それからはまるで暗雲が晴れたように、大本教の教線を拡げる端緒を次々につかむことができたのである。そして、全盛期には信者八百万人を擁する大宗教団体をつくりあげたのだ。
私が師事している植松愛子先生も、まだ子供だった戦時中、戦火の中を逃げまどっている時に、この白髪の老人に出会い、こう言われた。
「どんなに戦争が激しくなっても、あなたは決して死なないから、勇気をもって頑張りなさい。成人した暁には、大事な使命が与えられますよ」
事実、その白髪老人の予言のように、植松先生が成人してしばらく経ったある日、神様との衝撃的な出会いがあり、遂には宇宙神が次々に降りられて、現在のワールドメイトの礎がつくられたのである。
このように、住吉大社は時折現人神となって世の中に顕現することでも有名である。
そして、志のある時代のリーダーを導き、時代、時代の経綸の行く道を広めゆく、珍の神働きをなさる大神霊なのである。住吉は「進め」、三輪は「おさめ」と考えてよいが、住吉大社の総合的な推進霊力は、関西随一といってよいだろう。
トラブルが遅くとも三ヵ月以内に決着する
【大神神社(三輪神社)】
《奇跡の開運の秘訣と霊的解釈」
神々の第二の郷里ともいうべき大和地方の神奈備山(神様がやどる山)、三輪山は標高四六七メートル。大神神社はその麓にある。
本殿はなく、拝殿のすぐ奥に三輪の三つの鳥居があり、山頂に向かって辺津、中津、奥津の磐座が配され、山頂には摂社である高宮神社がある。
本殿がないのは諏訪大社と同様、神奈備山である三輪山をご神体としているからだ。
祭神は、大物主大神、大己貴神、少彦名神の三神だが、創建にまつわってひとつのエピソードがある。
『古事記』によると、崇神天皇の御代に、天変地異に加えて疫病が流行するなど世情が騒然とした。これを何とかせねばと崇神天皇は、一心に皇神たちに祈りを捧げていたが、ある夜、夢枕に大物主大神がたたれ、こう告げた。
「こは我が御心ぞ。故、意富多多泥古をもちて、我が御前を祭らしめたまはば、神の気起こらず、国安らかに平らぎなむ」
それで、早速、崇神天皇は河内に住む太田根子(意富多多泥古)を捜し出し、彼を神主として祭祀させた。また、天皇は天神地祇の社も定め、各所に幣帛を捧げたところ、さしもの災厄もピタリとやんだといわれる。
さて、祭神の大物主命は、「日本書記」では大国主命の和魂といわれているが、七つの名前、すなわち七つの働きをもつ大国主命が、大物主命と名乗る時にはいかなる働きをもたれるのであろうか。ご神名としては、金刀比羅宮と同一神であるが、内容は随分 違っているようだ。
ところで、神典によると三輪の神は蛇神であることになっている。たとえば、三輪の神にまつわる伝承に、処女懐胎伝説がある。
太田田根子の母親、活玉依媛は処女であったにもかかわらず、妊娠した。母親が問い糺すと、
「夜、立派な男性が訪ねてくるが、正体がわからない」と言う。
そこで、赤土を床の周りに敷き、麻糸を針にさし、男が訪れてきた時にその衣服に刺しつけることにした。
彼女が男と熱い夜を過ごし、朝になると、麻糸が鍵穴を通り抜けて三輪山の神社にまで延びていたといわれる。その時に、糸巻に残った糸は三勾(三巻き)しかなかったので、その地を美和と呼ぶようになったとされる。
また、類似したエピソードに、次のようなものがある。倭迹々日百襲姫の所に夜な夜通ってくる男性に、姫は是非相手の男の顔を見たいとせがんだ。男は、「見ない方がいい」と言う。
「どうしても見たい」と再三せがむと、
「翌朝、小物入れを覗いてみればよい。ただし、絶対に驚かないこと」と言う。
翌朝、小物入れを覗いてみると、一匹の黒い蛇がいて、姫は大変なショックを受ける。当たり前である。その様を見た黒蛇の化身である三輪の神は、
「約束が違う」と言って姫の陰部を突いたため、姫はほどなくして死んだとされている。
つまり、大神神社の神は、蛇神なのであるが、そんなちっぽけな蛇神ではない。
私がご神霊に見せてもらった姿は、直径八十メートルぐらいの大白蛇神であった。それが三山にとぐろを巻いて鎮もっておられるのである。
そもそもご神霊とは伸縮自在であるから、本当は、夜這いの男性や動物の小さな黒蛇に神がかり、三輪の神の息吹を受けた子種を残し、三輪の神の姿を、小さな黒蛇を通してその姫にお示しなったのである。
心に神を敬う真実の気持ちがあれば、瞬時にそれが覚れたはずなのであった。天理教の中山ミキ女史が、一切を神意として受け取れるようになるまで、数々の神試しを受けたように、この姫も、実は尊い三輪の大神の神試しを受けていたのである。
鍵穴から麻糸が通って、三輪神社の前で終わっていたという説話も、実は、三輪の大神の霊威を人々に知らせ、さらに三輪の神の息吹を受けた子種を、その家系から輩出させ、後に三輪の神主として神仕えさせようという尊い神計からなされたことなのだ。
私がご神霊から伺った真相はこうである。孝霊天皇の直系にあたる三十五、六の少し落ちぶれ気味の皇族筋にあたる男性に、三輪の大神はある時、神計によって乗り移られた。
彼には八人の子供と妻が三人もいたが、二番目の妻の実家の勢力が強いために諍いが絶えず、しょっちゅう家を空けては夜這いを楽しんでいたのである。
ある時、美しい活玉依比売を見初めてしまった彼は、とうとう夜這いを決断した。何度目かの夜、帰ろうとする時、着物に糸と針が刺さっているのに気がついた。
「ははあん、なる程。私がどこから来た誰かを探ろうとしているのだな。この赤土も、どうも変だと思った」と悟った彼は一計を案じた。
「針を鍵穴から通して、神の社の所ぐらいで置けば、この世ならざる者がしたと思うだろう。
そうして、ここはもう家人に知られてしまったようだから、再び訪れるのはやめておこう。うん、これは我ながら妙案だ」と、夜明け間近き頃に、彼はその妙案を実行に移したのである。
読者にも、神社の方々にも、信じてもらえないかもしれないが、実際はこのような現実の筋書きを通して、三輪の大神の霊的な働きと神威が人々に伝わったのである。
そのすべてを演出されたのは、他ならぬ三輪大神様ご自身であった。その男性は、神様に使われただけである。
孝霊天皇の直系の種を受け継ぐ血脈が、こうして三輪大社の神主として代々仕える仕組みが出来上がったわけだ。
孝霊天皇は百六歳まで生きた方だが、孝霊と名がつくぐらいだから、おそらく大国主系の血脈を引き、極めて霊的であって、ご神霊と頻繁に交流しておられたのであろう。
つまり、その名の如く常に霊に対して孝を尽くしておられたのに違いない。また、この天皇の皇子が大吉備津日子命であり、岡山県の吉備津神社や吉備津彦神社のご祭神であらせられるのだ。
そしてまた、この皇子こそが、あの有名な「桃太郎」の伝説のモデルであり、神社史を見ていても、大変な霊能力者であったことが伺える。
知られざる功徳を授かる
ところで、私のこれからの説は、学界でも神社界でも認められるものではないだろうが、神霊家の立場として、皆様方には是非とも知っていただきたいことである。
それは、説話や神社史が形成される背景には、偶然とも思える現実の人間の営みがあり、それを通してご神霊が私たちにその神徳の如何を悟らせようとされることである。
特に珍しい奇談がある背景には、ご神霊が大いなる神威をもって働かれていることを知っていただきたい。
それが実在のご神霊と自由自在に交流するための、まず第一歩の神学であるからだ。
さて、ご祭神の具体的な功徳について述べてみよう。神社の方から発表してくださっご神徳には、一点の誤りも狂いもないが、私が体験した意外と知られていない功徳もあるので、加えて覚えていただきたい。加えるのは三つの功徳である。
一つはトラブル、もめごと、裁判ごと、特に男女が別れるか一緒になるか迷っている時など、早くて三日、遅くとも三ヶ月以内には、はっきりと白黒をつけてくださるという徳。
二つ目は、悪霊・邪霊などの「もののけ」をビシッと押さえてくださる徳。三つ目は、資金の遣り繰りの守護をしてくださる徳である。
一つ目は、神社史の中で出てくる説話でおわかりいただけるだろう。
二つ目は少々説明が要るが、これも崇神天皇が三輪の大物主之大神をお祀りすることで、国中に跋扈する悪鬼邪霊を鎮めたと解すればいともわかり易い。だが、大物主の
「モノ」とは、物部氏の「モノ」と同じに「モノノケ」や「モノモノシイ」などの意で、「霊」のことであり、「大物主」とはそれを取り押さえる神であるとする説もあるが、私としては、崇神天皇の頃の歴史的事実の方を、より正しくそれを物語るものとして尊びたい。
三つ目の資金繰りのことであるが、業績が全く足りなくて赤字が続いている会社には、住吉や諏訪の神を薦めるが、売り上げが好調なのに、どういう訳か現金が残らない。
決算をしたら赤字になる、資金繰りが逼迫して、月末にいつもフウフウ言っている、などという時、一体、どの神様が助けてくださるのだろうか。
三輪の神様しかいないのである。むろん、ワールドメイトでも頒布している三宝荒神様もこの面では強い力を発揮するけれども、三輪の神様の方がスケールが大きいといえる。
三宝荒神様もききめがなく、死ぬほど困窮した時などは、三輪の神様へ決死の覚悟でお参りすることだ。
そうすれば、大英断を下して、余計な諸経費や人件費などをカットしたり、会社の資産を処分して支払いに当てたり、銀行から強引に金を借りてきたり、買掛金の支払いをうんと引き延ばしたり、売掛金の回収をぐんと早めたりして、余裕をもった資金繰りができる会社にするべく、冷酷、非情とも思える交渉力や決断力を与えてくださることだろう。
むろん、自分がそれを切に志さなければだめであるが。結論からいえば、資金繰りが下手だという人は、財務という数字の世界に関与しても、大所高所から見た大愛に立ち、会社における非情の役割に徹し切れない人である。
そういう甘さを三輪の神様は取り押さえて、大物主にしてくださるわけなのだ。だから、普段は三宝荒神、決死の覚悟の時は三輪明神と思えばいいだろう。
最後に、どうしてもこれだけは言っておきたいことがある。それは、この三輪大社はど霊能者がよく出入りする神社も少ない、という点だ。霊能がよく授かる、霊能によってよく導かれるということは、一体どういうことか。
誰もが「霊験あらたかである」と実感し、巷の霊能者の占いや近未来の予知や霊の霊査などに、霊力を添えているとはどういうことなのか。
一言でそれを結論すれば、それは、三輪の神様のご眷属である蛇神が、人についていささか低次元の霊能をその望みに応じて与えているのに過ぎない、ということになる。蛇には、天駆けるものはあまり存在せず、たいていは低湿地にいる。
したがって観る次元も低い。つまり、人々の現世利益に密着したような霊能を授けるのである。
だが、本当の三輪の神様とはそんなものではない。崇神天皇の史実を見てもおわかりのように、天下国家の平安と皇室の弥栄を守護される大霊神であり、その時にとる本当の御姿とは、三キロメートルにも及ぶ大黒龍王なのである。金色に輝くその清澄なる目は、一点の私心も持たず、皇室の弥栄と天下国家の平安のみを祈る人にしか、決してお見せにならないのである。
つまり、その時の崇神天皇のような大御心でなければ、ご祭神の真実の相にはまみえることはできないのだ。
その時の御名こそが、倭大物主櫛玉命と申し上げるのである。年間に、そういう人は二人ぐらいしか来ない、とご祭神が敷いておられたことを思い出す。
先に書いた、直径八十メートル、全長八キロメートルの大白蛇も、実は第二義の御姿なのである。
だから、「三輪の神様は蛇神だった」と言う人は、どんなに有名な霊能者でも、神霊家でも、神様の目から見た超一流の霊覚者ではないことが、これでおわかりになるだろう。
三輪の神様に限らず、大神霊や大神床とは、そのよって来たる所の人の無私無欲さや志の大きさ、また、研鑽の深さや求道心の強弱などに相応して、その御姿を現し、功徳の強弱、大小、高低、深浅などをお決めになるのである。
私たちとしては、大神霊に少しでも強く、大きく、高く、深く動いていただくべく、日々の修養に励みたいものである。
忍耐と根気で商売繁盛に導く福の神
【西宮神社】
《奇跡の開運の秘訣と霊的解釈》
阪神電鉄の西宮駅を降りると、朱塗りの豪壮な表大門が目に入る。本殿は三連の春日造りだ。豊臣秀吉が再建して以来、四〇〇年間戦禍をまぬがれ、その豪華な美しさを今も誇り続けている。
祭神は、西宮大神(蛭子大神)、天照大御神、須佐之男大神、大国主大神の四神である。
現在、西宮神社は蛭子系のえびす大神総本社として知られるが、もともとは広田神社の摂社であった。
広田神社は、三韓討征から帰られた神功皇后に、天照大御神が神がかり、
「我が荒魂をば、皇居に近づくべからず。まさに御心、広田の国に居らしむべし」とのご神託をくだされたため、天照大御神の荒魂を祭神として祀ったことに始まる。その広田神社の系列下にあった西宮神社(もとは夷=戎社)が隆盛を誇るようになったのは、民間のえびす(戎)信仰が盛んになったためといわれる。
蛭子系のえびす信仰の発端は、兵庫県鳴尾の海岸で、一人の漁師が神を形どったように見える神像を拾ったことから始まる。
神像は、
「我は蛭子神である。西宮の地にしかるべく祀るように」と告げたため、現在地に鎮座させた。
この蛭子神とは、イザナギ、イザナミの最初の子であったが「御子の数に入らず」と、その存在を認められぬままに、船に乗せられて流されてしまった神である。
水子霊のようなかわいそうな神様だが、つまり、そのことは蛭子が他の地から流れついた漂着神であるということを物語っている。
なにやらモーゼの出生を彷彿させる物語だ。
そこから、西宮神社はユダヤの神を祀っている所だという人もいる。川瀬勇氏の「日本民族秘史」に、そのような記述があるが、私はあまり賛同できない。
ところで大国主は、音読みすれば「ダイコクヌシ」となるので、大黒天、いわゆる大黒様と同一視される傾向があった。既に述べたように大黒様は仏教の仏様であるが、しばしば戎様とコンビを組んでおり、その戎様とは、事代主と同一神であるとされる説が、一般にも良く知られているものである。
この説はどこから来たのか。もうひとつのえびす信仰の由来を見れば、その理由が判明する。
島根県の美保神社には、事代主之大神が祭られているが、この神様は大変な釣り好きであったこと、そして天孫降臨の際に国譲りをした後、自ら船を傾けて海中に姿を消されたことが伝えられている。このエピソードが混入されて、現在の戎様の姿が形成されたと思われるのである。
このことから、西宮神社に事代主と大国主命も祀られるようになったのであろう。
ちなみに大黒天で有名なのは、伝教大師最澄が比叡山で祈祷している時、忽然として現出した三面大黒天である。
この大黒天は、日本生まれで、三仏が合体した仏様である。
それ故に天台宗では甲子の日に大黒天の修法を行い、その時、観音経を唱和する習わしがある。
その伝統を別な形で継いだのが日蓮である。法華経流布のために、日蓮は大いにその大黒様のお力を仰いでいる。
また、漁師の間に伝わる民間信仰では、溺死体をえびすと呼び、死体を拾うと豊漁になるともいわれた。
いずれにせよ、えびすが豊漁、すなわち福をもたらすところから転じて、商売繁盛の神として全国的に広がっていったのがえびす信仰だとされる。
もっとも、この神様は平安時代は軍神であり、またバクチの神様であるとされていた。したがって勝ちを呼ぶところから転じ、商売という生業、とりわけ富を得る神となったのかもしれない。
現在のえびす様の霊力
さて、現在のえびす様の霊力だが、神社から発表されている功徳に加え、根気と辛抱の神様であることも見逃せない。
私なりにその霊的解義をしてみたい。
「戒」という字は、本来、武器や刀のことを表す。そしてその刀の刃を胸に抱く心を字にすれば、「忍」となる。
忍の上に堪をつけた堪忍とは耐え忍ぶという意味だ。
「ならぬ堪忍するが堪忍」という言葉があるが、商売の極意は、まさに堪忍である。そしてまた、牛のよだれの如く、飽きもせず、辛抱強く行うことからあきない(商い)というのである。
えびす様が鯛を釣って喜んでおられるのも、鯛釣りが堪忍を象徴するものだからだ。鯛は一日一匹釣れれば上出来というぐらいのもので、しかもかしこい魚である。
その鯛を狙う釣り人は、たとえ連日不漁続きではあっても、めげることなく釣れるまで、ひたすらじっくりと待つ根気と忍耐とが必要である。
あまりの不漁に嫌気がさして、仕掛けや餌をかえてキスやベラ、あるいはカサゴやくジナといった雑魚を釣るようになっては、もう鯛釣り師の資格はない。
耐え忍びつつ、全ての智と全身全霊を傾けて、ようやく一匹の見事な鯛を釣りあげた時、釣り人の胸は、歓喜で膨らむ。だからこそ「実にめでタイ。めでタイ」ということになるのだ。
商売における巧みな駆け引きや、顧客をしっかりと掴むのも、全てこの堪忍と根気なくしては不可能なのである。えびす様は、鯛を釣る姿によってそのことを教えているのである。
さらに、この西宮神社には昔から「戎さんは耳が遠いので、お参りにきたら、裏の木戸を叩いて自分の名前を大声で叫べ」といういい伝えがある。
無論、ご神霊で耳の遠いはずはない。したがってこれもまた、堪忍の教えを説いているということがいえる。
商売にたとえていうならば、「いやなことは聞いても聞かぬふりをせよ。そして、いつもニコニコと戎顔でいるべし」という教えである。
また、かつて西宮神社の祭礼では、若い女性のお尻を公然とつねってよいという愉快な風習があった。
鳴尾の浜からご祭神がかつがれてくるときに、神様が運んでいる人の尻をつねったという説話からきた風習だが、これも、「尻を据えて物事にかかれ」ということを教えるものなのだ。
「女性は一旦他家へ嫁いだら、出戻りせぬように尻を据え、堪忍の限りを尽くして仕えなさい」
「尻軽女にならぬよう、母の役、妻の役、嫁の役に徹し、しょっちゅう家をあけてフラフラと出歩くなかれ」というわけだ。
さらに、西宮神社には十日戎に際して「はやがけ」という風習がある。徹夜で門の前に座り込み、開門一番、誰よりも早くお参りすることを競うものだ。
これも、よくよく考えてみれば商売の心得を示していることになる。
もし、儲かりそうな商売のネタを発見したなら、徹夜で座り込むぐらいの根性を発揮して、誰よりも早く商機をつかめ、という神の教えの表れなのだ。
このように西宮神社には、日常生活と商売における、忍耐、堪忍に関する教え方と功徳が存在するのである。
つまり、天照大御神の荒魂である撞賢巌之御魂天疎向津媛之命のご神徳がフルに発揮されているのだ。
このことはご本殿の配置を見てもよくわかる。向かって左側には須佐之男命が、また右側にはご祭神が祭られ、中央に天照大御神が鎮座ましましておられる。
これは「福は意外な所にある」という教えを示すもので、ご祭神が天照大御神に対し、謙虚に中心の道を譲っておられるのだが、日の神の荒魂(希望に満ちた堪忍)が中心になり、初めて須佐之男命(芸術的、宗教的、学問的な才能)が開き、西宮大神(商売繁昌、財徳、福徳の円満足)も成るということを物語っている。
また「ヒルコ」のヒルとは天照大御神の奥の御魂の御名である「アマテラスオオヒルメムチ」のヒルでもあり「日の子」という意味をも含んでいる。
そもそも、荒魂というものは、腸に出る場合には「勇気の剛気」となり、陰に出る場合には「自重と忍耐」となって表れるものなのである。
毎年一月十日を挟み、三日間行われる「十日戎」とは、この天照大御神の荒魂が神威顕現させ、蛭子大神と合体する極めて功徳の高い祭礼である。
ただしこのことは、実は私しか知らない神霊的解義なのだが、この解義を深く信じて、「十日戎」の期間中にお参りすれば、通常の何十倍もの力強い福徳と恵みが授かることを約束しておこう。
