間違った金運で霊界にいくと臭い思いをする
「この世で幸せならば、あとはどうなったっていい」と考えて魔王の金運をつかみ、この世では贅沢の限りをつくして、霊界へ旅立つとどうなるか。
ここは、警告の意味をも込めて、皆様にその様子をご紹介しよう。
霊界にもお金はある。ただし、低級霊層に限ってであるが、ここのお金は、不思議なことに、いがある。それも、強烈に臭い。鼻をつまんでも、なおムッとくる臭気である
。臭くてたまらないが、そこの住人たちは、他の霊層へ移ることができないので、しかたなく、その臭気を胸いっぱい吸い込むことになる。
地上で魔王の金運を利用して、金を集めて使った分だけ、臭気が漂う。
しかも、臭いだけならまだしも、これが今なお地上との霊的悪因縁の汚物の山となっており、自分の子孫たちが、霊界の臭気漂うお金のために、現実世界で苦労しているのである。
そして、そこの住人たちは皆、悪欲が人一倍強かったためか、顔はまっ黒である。まるで、墨でも塗ったような顔だが、他の皆も黒いので、平気な表情をしている。
ところで、この悪金運霊界の話、なんとなく有名な民話の「花咲かじいさん」に似ている。裏の畑でポチが鳴くので、正直じいさんがそこを掘ったら、なんと大判小判がザクザクと出てきた。
それを知った隣の強欲じいさん、ポチをいじめて裏の畑で鳴かせて、そこを掘ったところ、大きな壺が出てきた。
「ラッキー。これでワシも大金持ちじゃ」と思って壺をあけたところ、臭いウンコがいっぱい出てきた、というのである。
同じように「舌切り雀」に出てくる、正直じいさんと、いじわるばあさんの例もある。
こちらは、ウンコの代わりに、ヘビやトカゲやガマガエルが出たが、まあ、似たようなものだろう。
「人間は正気でなければいけない。人にいじわるしたり、強欲になり、自分だけよければ他はどうなってもいい、などと考えていると、こんなひどい目にあうんだよ」と、小さい子供に諭しているのであろうが、おそらく、霊的に鋭い人が、悪金運地獄霊界の様子をかい間見て、それが民話として語り伝えられてきたのではないかと思われる。
死んだのちに天国にいける人とは
「地獄の沙汰も金次第」とは、お金の大きな力を示したことわざであるが、実際、霊界でもワイロのようなものが通用するのだろうか。
立派な位牌や戒名を作ったり、大理石で墓を建てたり、あるいは、お坊さんにお経をあげてもらったりといったことについては別にして、ここでは、本人が生きている間に、どんな風に金運を活用したのかという点から、話を進めてみよう。
低級霊層にたむろする悪金運地獄霊界についてはすでに説明したが、では、天国に入るためには、いかにしたらよいのであろうか。
まず、天国といっても大きくは、三ランクに分けられてる。一番上は第一天国、次が第二天国、そして第三天国と続いている。
誰もが、望みがかなうのなら最上級の第一天国に入りたいと思うだろうが、それぞれのランクで、非常に厳格な資格審査〟があって、これにパスしないと、天国の門はくぐれない。
ちょっとでも不審な点があると、空港ゲートの金属探知機よろしく、ブザーがなって、入国を拒否されるのである。
それはさておくとして、まず第三天国であるが、ここには宗教には関係なく、慈善家が入ることが多い。
自分の財産を投げうって、貧しい人々や不幸な人々を救済したような、そんな立場の人である。
もちろん、やましい金、つまり魔王の金運によって得られた金を、慈善家ぶって何十億円も寄付しても、それはむだである。たちまち、天国ゲートの悪因縁探知機〟がけたたましく鳴るのは、はっきりしている。
次の第二天国であるが、これは神の道、宗教の道を歩み、自己に対しても人々に対しても、そして神に対しても潔癖に生き抜いた人が入ることを許される。
そして、最上級の第一天国だが、ここには、神の道を潔癖に歩み、多くの富を得、地位と名誉も備わって人を動かし、かつそれらを全て神と人々のために善用して、大いなる功を世に残した人物のために用意された霊界である。
その人物は、魔王の金運よりも、さらに強い善のパワーで金運をつかみ、それをフルに使って、無形の善徳を有形・無形の両面から押し広げた人である。
霊体一致して、善の活動をしたという点で、その人はより神に近い存在であったといえるのだ。
物質界、肉欲を完全にコントロールし、それを神の願いのもとに活用することができるようになれば、第一天国への道はかなり近い。
魔王の金運の誘惑に打ち勝ち、どこまで神と人と自分の幸福のために金運をつかむことができるか。それが天国霊界へ入るキーポイントなのだ。
出世できないのにはワケがある
原因がなければ、結果はないこれは当然のことである。ならば、なかなか出世できないという、現実界の結果は、一体、いかなる原因によるものなのだろう。
彼は出世して、自分は出世しない。同期の入社なのに、なぜなのだろうか。なぜ、彼は出世するのか、その原因を知りたい。と同時に、自分が出世できないその理由も知りたい、と思っている人は多いだろう。
その疑問にズバリ、お答えしよう。
すでにプロローグで、努力を結実させるためには、ここぞというチャンス到来の時に、もてる才能をフルに発揮すればよい、と書いた。
また、次の第二章でその才能を引き出すためには金運三神(三面大黒天、蔵王権現、三宝荒神)や七福神(毘沙門天、恵比須、大黒天、弁財天、寿老人、福禄寿、布袋和尚)を利用するとよいことを詳しく説明する。
これで、一応は出世と金運の糸口をつかめるはずであるが、それだけではだめだ。出世とは自分がするものではないからだ。
人に引き立てを受け、友人に指示され、目下か押し上げられて世に出ていくのである。
だから、出世というのである。世に名前が出て、地位を得るには、どんなに才能があっても、人に自分の実力や価値を認められて評価されなければならない。
人は誰でも数々の欠点をもっているが、この対人関係と対人交渉に難があると、出世の大きな障害となる。対人関係を盛り上げるのは和魂のパワーである。
和魂のニギは、ニギニギしいのニギであり、ニニギの命がこの言葉を代表している。戦国時代の武将でいうなら、信長は奇魂(智)、家康が荒魂(忍)、秀吉が和魂(和)、上杉謙信が幸魂(愛)である。
そして、この四人の中で、最も出世したのはいうまでもなく、水飲み百姓の子から天下人となった和魂の秀吉である。この点を参考にして修業するべきであろう。
赤坂、タヌキシティーを飲み歩いた私の経験
かくいう私も、皆さんと同じように、自分の性格の欠点に気づきながらも、それをなかなか直すことができずに、大いに悩んだ時期があった。私事の話になるが、ひとつの 7 例として聞いていただきたい。
私は神人合一の道研究家・深見東州として御神業に励むかたわら、三つの会社の経営に携っている。
つまり、ある時は神霊家として、ある時は経営者の立場として立ちふるまわなければならないのである。
職業をもって神業に励めというのが、私に対する神様の命令だからである。
経営者や営業マンならご理解いただけると思うが、日本の社会風土の構造なのか、会社の利益を伸ばそうとするなら、どうしても避けて通ることができないことがひとつある。
それは、接待である。お茶だけ飲んで、ハイ商談成立、などということはまずあり得ない。
商談が大きければ大きいほど、より多く接待の必要性が出てくる。
私は仮にも神霊研究家であり、神の道を歩もうとしている者である。にもかかわらず、赤坂や他のタヌキシティー(タヌキシティーとは、たぬき霊や浮遊霊、酒飲み霊が数多くたむろしている街のこと)にくり出しては、酒を飲まなければならないのである。本来、私は酒はあまり好きではない。だから、辛い。
この辛い心は、隠そうとしても表情や態度にどことなくあらわれるらしく、それを相手に察知されまいとして、再び表情が固くなる、という状態だった。
心の中では、「接待も満足にできない人間は世の中で通用しない」と感じているのだが、なかなか直せない。
そんなある日、ピーンと心に感じるものがあった。
「清らかさだけが能じゃない。人間なら、本当の神霊家なら、もっとたくましくなければいけない。
酒も飲まず、接待もできないのは、愛が小さく、人間が小さいからだ。だから、悪に打ち勝つパワーも弱くなるのだ。
相手も人間だ。どこか、必ずいい所がある。この酒を飲む一瞬一瞬を楽しんで、それを見てゆこう」
心の中の課題を忌避せず、正面からぶつかっていく。嫌だと思わずに、愛で抱き込み、喜んで対応する。
辛抱ではなく勉強だと信じ、いや、勉強ではなく面白いと思う。面白いではなく、楽しもうと努力する。
このように、前向きに進んでいけば、道はおのずから開かれていくものなのである。
そう決心した時から、「そうだ、八百万の神様がいらっしゃるのなら、お酒の神様も、接待の神様もいるはずだ。
口に酒を入れた瞬間、霊界に酒を送ればいいのだ」。この時、霊界酒飲み秘法を体得し、赤坂でも銀座でも、ドンとこい!!という底知れぬ神霊酒飲みパワーが湧いてきたのである。
それからは、四次会まで酒をガブ飲みしてもまったく平気となり、大酒飲みのタヌキおやじを接待しても、相手のほうが飲み負けするようになった。
そして、飲むときはどこまでも飲み、飲まない時はまったく飲まなくても平気な人間となったのである。
つまり、“神人合一の酒飲み道”を会得したのである。あまり自慢できるほどのものではないが。
一流の人物といわれる人は、どこかズッコケている
私のように、接待地獄で苦しんだ人は多いのではないかと思う。特に、酒の嫌いな人や性格的に赤や青のネオンが肌に合わない人には、まさに生き地獄の苦しみであろう。
しかし、出世のため、金運のために、どうしても通過しなければならない関門であるならば、たとえ辛くても明るく乗り越えたいものである。
辛くて辛くてどうしようもないのなら、いっそのこと、バカになってみたらどうであろうか。
バカになるといっても、本物の痴呆になるわけではない。知性のネジをゆるくして、よく見せようと気どらない工夫をするだけである。
出世のための三要素といわれているものに、「運、鈍、根」がよくあげられる。
運とは、文字どおり、運である。機会、チャンスにめぐり会うことを意味する。鈍とは、愚鈍である。つまり、小ざかしい智恵の剣をふりまわさず、バカになりきれるかどうかだ。
根とは、根気である。粘り強さや一徹さを指す。
確かに、大手企業の社長や会長、あるいは創業者といわれる人々には、頭のてっぺんから足の先までスキのない、完璧な人物はいない。はっきり、誰でもがわかるような、ズッコケる部分が必ずあるものである。
つまり、愛嬌であり、人間的な魅力であるともいえる。その人物とつき合っていても、固苦しくなく、実に楽しい、そんな雰囲気をもっているものだ。
雰囲気に酔う、という言葉があるが、酒が嫌いなら雰囲気に酔えばいいのである。そのためには、心に着いている裃を脱いで、バカになりきることだ。悪人といることを楽善人になることだ。
そうすれば宴席も楽しくなる。
この心得は、嫌いな人、ニガ手な相手とつき合う場合にも有効である。潔癖すぎる人間というのは、往々にして他人を排撃したり、自分の殻に閉じこもったりしがちだ。
これでは、出世はおぼつかない。本当に人を導くことも、大愛で人を活かすこともできない。ましてや、救済することなどできようはずもない。
出世をし、巨大な金運をつかもうと思うなら、嫌な相手とも上手につき合わなければならないのである。実力のある人ほど、性格にクセがあるからだ。
相手側が性格を変えてくれるのなら話は別だが、こちら側が相手に合わせていくことがほとんどだ。
また、そういう体験を通して、こちらの人格が円満になっていくわけである。
すべてを修業だと思えば、嫌な相手の顔も、仏様とまではいかなくても、口うるさい父親ぐらいには見えてくるものだ。
そして、不思議なもので、こちら側が自分の殻を破って、打ち溶けた態度で接すれば、相手も、また違う別な一面を見せてくれたりする。
このあたりが、人情の機微というべきものだろう。実は、これこそが前述した和魂の修業といえるものなのである。
そして、実力のある相手から、「あいつは、つき合いやすい人間だ」と思われれば、かなり金運に近い。
さらに「あいつには、見どころがある」となれば、さらに金運ボルテージは高まる。
そして、「あいつは頼りがいがある」となれば、金運と出世はほぼ手中にあるといってもよい。
そうなるためには、自分の世界のみに浸りきっていてはだめだ。自分の弱点を時にはさらけ出すぐらいの度量の大きさと心のふっ切りがほしいものである。
強い信念と大きな心が出世運を呼ぶ
大成した人物は、たいてい人並み以上に強い信念と、大きな心、高い志をもっているものである。
もちろん、学問があって、しかも才能もある。そして運にも恵まれ、人望も厚いことも共通しているが、学問もほどほどで才能も普通、という人はどうすればいいのか。
学問は自分で努力するしか上達の方法はないが、他の才能や運、人望などは、あらかじめもって生まれた先天的要素のものと、努力によって天より与えられる後天的なものとの二通りがある。
しかし、単に努力するだけでは、神より与えられる才能や運は限られたものでしかない。
そこで、努力にプラスして、強力な信念、確信と、高い志と、大きな心をもつようにすると、神は惜しみなくそのパワーを注がれるのである。それが、先天的要素の足りなさを補ってくれるのだ。
出世を望み、大きな金運をつかむためには、山あり谷ありの人生航路を進まなければならない。いろいろなことが、その途上で起きるだろう。
しかし、台風がきても地震が起きても、「必ず出世するんだ。金運をつかむんだ。ぼくは守られているんだ。
わけもなく運のいい男なんだ」と確信し、微動だにしない心をもてば、道はおのずから開けるものである。
こういう、強烈な意志の力が、すなわち魂のパワーとなり神霊界を激しく動かすことになる。その本人の出す強力な想念が、神霊界を引っぱりまわすのである。
出世する人間とは、多くの人々を部下にもち、企業や人を動かすが、神霊界をも動かしているのだ。
つまり、本当に出世しようと考えるのなら、ともかく、神霊界が援助せざるを得ない、働かざるを得ないような人物にまずなることである。
大きな志を成し遂げようとするのなら、それだけ試練も大きくなるが、神霊界のバックアップも強大なものになる。
男として生まれてきたのなら(もちろん女性も同じである!!)、太平洋のような心の大きい人物を目指したいものである。
ハゲ、チビデブだと出世できる!?!
ハゲ、チビデブとは、まるで差別用語のベスト3のようなニュアンスがあるが、意外にこの三要素をもっていると、出世しやすい。
もちろん、例外はあるが、日本の大手企業のトップは概してこのタイプのようである。なぜ、そうなるのか。
まず、チビである点だが、これは、背が低いための劣等感をはねのけようとする、心のバネが非常に強い。
しかも、少年の頃から、「なにクソ!」という精神で育つため、大きい相手だと、特にパワーを出そうとするようである。
また、体が小さいと、逆に心の中は大きくなり、壮大なロマンを夢見ることが多い。
つまり、先ほども説明した、志が高く、大きくなっていくのである。源義経もそうだったといわれている。
次にハケであるが、これは生理的に男性ホルモンが多い証拠。エネルギーが体の中で、ふつふつと湧きあがっているのだ。
このバイタリティーが出世のパワーになっているのであろう。
また、昔から「ハゲに悪人なし」などといわれるように、髪がないと善人に見られやすく、相手を安心させてしまう、という利点があるようである。
そして、髪がフサフサ生えている相手に優越感を与えると同時に、こちらの弱点、肉体的欠陥をさらけ出しているわけだから、どちらも気が楽である。
「どちらも、ケがねーで、よかったね」。ケがねしない、気がしないで仕事にかめるのである。
最後にデブであるが、対人関係のサービスにつとめていると、どうしても小太り気味になるようである。
欧米では、社長業や管理職に就く人物は、小太りより少しやせているほうがよい、などといわれているそうであるが、欧米社会はもともと能力中心主義であり、個人主義の社会構造だから、日本のように、複雑な人間関係、対人関係にさほど気をつけなくてもよいのである。
だから、能力中心に考えるのなら、頭の切れそうなほっそりとした粘着質タイプのほうがいいのかもしれない。
しかし、日本の会社も欧米化しつつあるとはいえ、まだまだ農耕民族的な要素は強く、仕事オンリーで、対人関係を考えることはできないのである。
一緒に酒を飲んだり、悩みごとを聞いてあげたりと、家族同様なつき合い方が必要なのである。能力も要求されるが、人格の円満さや人あたりのよさ、といったものも日本の社会においては重要視されるのだ。
こうした条件を満たす体形とは、すなわち、小太りを意味しているのである。
特に、対人関係専門である日本交通公社や近畿日本ツーリストをはじめ、旅行会社の幹部はほとんどがこの小太りタイプになっている。
だから、チビハゲ、デブであっても決して悲観するにはおよばない。
むしろ、「私は管理者タイプなのだ」と自信をもつようにしたい。次の章で説明する金運三神にしても七福神にしても、福々しい神とは、たいていぷっくりと丸く、ニコニコしているのである。
ただし、この三条件を立派に満たしながらも、なお、出世や金運の糸口さえつかめていない人は、必ず他の何かの要素が抜けているに違いない。
太っているのは、単なる怠け癖で、食べすぎだったりするのはだめである。心がゆったり落ちついて、何事も円満に問題を解決しようとしていると、人間は自然と大黒天や布袋和尚のような体形となるのである。
順風満帆な人生を歩み、出世運も金運もトントン拍子で手に入れた、などという人は、例外中の例外であって、九九・九パーセント以上の人は、挫折したり傷ついたり、悲しんだり、苦しんだりしながら、成功への道を歩むのである。
すべてをプラスに転化できる発想が運命を変える
だが、同じような苦悩の境遇にありながら、「苦しい」と感じる人と、「やりがいがあって、楽しい」と考える人がいる。
たとえば、船が難破して無人島に流れ着いたとしよう。ある人は、「なんて不運なんだろう、船は難破するし、あげ句のはてに流れついた末が無人島だなんて。
ああ、私はツイていない。また、ここで苦労しなければならないのか」と考える。
だが、ある人は、「難破したのに、よくぞ助かった。私はツイている。
神様に守られている。この無人島で救助船がくるまで、しばしのんびりと暮らすことにしよう」と考える。
置かれた境遇はまったく同じであるが、どちらが幸せで神に近い存在かといえば、「私はツイている」と感じている人であることはいうまでもない。
こういう発想のパターンが、神霊界に好かれ、人々に愛される。そして、運が強くなり、金も人も、神様までもが集まってくるのである。
ここでは、私のもとに相談にこられたある女優さんを一例にとって、物事をいかにプラスにもっていくことが大事かを語ってみたい。
女優のA子さん(特に名は秘す)はまだ新人。とはいっても、すでにテレビにも出演したことがあり、今後、大きな活躍が期待されている。
だが、次回の映画作品にクランク・インしてから、ある問題がもちあがった。
「先生、実は私、ベッドシーンをやらなければいけないんです。しかも、台本を読むと、その道のプロということになってるんです。
でも、ここだけの話、実は私、男性体験は一度っきりしかなくて、SEXの演技なんて、とてもできそうにもないのです。でも、ここで役を降りるわけにもいかないし、でも、ベッドシーンは恥ずかしいし」
もじもじと、大変お困りの様子であった。よく考えれば、彼女にとって、この難関を乗り越えられれば、出世運と金運が待っているのだ。が、これを越えられないと、チャンスが再びめぐってくるかどうかわからない。
そこで、私はこう答えた。
「今、大出世している女優さんも、若い時に脱いだ経験をもつ人も大勢いる。でも、裸になったからといって、SEXシーンを演じたからといって、本人の霊層が地獄へ落ちたかといえば、そんなことはないのです。
要は、演じる人の精神力の強さです。そのままポルノ女優になるのか、それとも、演技だと割りきって、本物の女優を目指すのか。
それは、あなたの志の大きさと、魂の強さいかんなのです。殺人犯の演技をやるのに、経験がないからといって嘆く人がいるでしょうか。
自殺のシーンをやるのに、一度も自殺した経験がないものですから、どうも決定的な断末魔の表現がわからなくて、と悩む人はいません。
経験のないベッドシーンを、演技力で見事にカバーするのが女優ではないですか。女優だからこそ、それができるのだと思い、自分の演技に自信をもって、どんどんチャレンジして、チャンスを自分のものにして下さい」
すると彼女は、パッと表情を輝かせて、「ハイ、わかりました」と、前向きに対処することを約束したのである。
進むべきか、退くべきか重大な岐路に立ったり、困難をまともに受けた時、実は、その時こそが、出世運と金運をつかむ最大のチャンスなのである。
そして、物事をすべてプラスに転じる発想と魂の力があれば、必ずや自分のとるべき道がわかるはずだ。
成功者は、このように、人生の岐路に立つごとに、チャンスをものにしていったのである。
若い時に金がないのは、ある意味ではよいことだ
「色男、金と力はなかりけり」というのだそうだ。ここでいう色男とは、女性にもてることを意味しているらしく、もてる男性とは、すなわち、比較的若者ということになるだろう。
また、ここでの金は財運や財産であり、力とは実力ということか。
すると、若いうちは実力がないので、お金もたまらない――との結論になる。若くてバイタリティがあっても、色男は色事にうかれているので、根性をすえて実力を磨かない。だから金もない。
まあ、これは当然すぎるほど当然な結論であろう。
しかし、これはきわめて正しいことだといわざるを得ない。昔から「若い時の苦労は買ってでもしろ」といわれているほどである。
若い頃から、金儲けのことばかりで頭をいっぱいにしているのは精神衛生上よろしくない。金儲けと同時に、自己の人間的向上を目指し、強い人間性を作ることがなによりも大切なのである。
若い頃は楽しさいっぱいだったのに、年を経るにしたがって、だんだんみじめになっていく、というのでは寂しい。苦労を通して強くなっていく。昨日より今日、今日より明日がよりよい。これが、正しい姿であろうと思う。
お金がないから、お金のありがた味がわかる。お金がないから一生懸命頑張る。お金がないから夢を大きくふくらませる。
お金がないから、お金以外のことで楽しみを見出そうとする。お金がないから、人生を考える……。若者にとっては、程よい金欠病が成長の糧となるのである。
また、若者は柔軟性があり、可能性に満ち満ちている。お金のない苦しみは、他に転化することもできるのである。
男は一八歳で志を立て三〇すぎからピークとなる
さて、若い時分に金がないことは、しごく当然であることがわかった。では、いつ頃から、本格的な金運エリアに突入するのだろうか。
女性の場合は結婚という、次元の異なる世界が待っているので、ここでははぶくが(結婚時期や、夫を出世させる法は拙著「恋の守護霊」に詳しい)、男性なら、ともかく一八か、あるいは一九歳で志を立てる必要がある。
というのは、思春期をすぎ、そろそろ大人の仲間入りをしようかという時である。
意識が自己の内側から、いよいよ社会や国家、世界へと広がり出し、自分の可能性や才能についても深く考え始めるのである。そして、それと期を合わせるかのように、この時期、守護霊が交替することが多い。
さて、志を立て守護霊も強力になったら、次は二五歳までに学問や人間性等で、基礎をがっちり固めなければならない。
そして、自分はどういう方面で才能を発揮するのがベストなのかを決定する必要があるだろう。しかし、この時期までは、まだまだ自己の内面世界を充実すべきで、実力を蓄えるのが本当だ。
いよいよ三十路に入ったら、今までのパワーを一挙に爆発させる。三〇歳から三三歳頃に、ちょうど前世の自分と同じ精神レベルにまで達することが多い。
つまり、前世で八〇歳まで生き、その時までに蓄えた知識や実力が、潜在意識の中から完全に引き出されるのである。
ただし、誰でもというわけにはいかない。それまでに一生懸命に努力をし、天の願いに沿って生きてきた人に限ってである。
前世、一生涯かけて勝ち得た実力や能力を三〇歳そこそこで会得できるのだから、ライバルに大きく水をあけることができるだろう。
はっきりいって、三十歳からは自己の魂が外に向かって出ていくのである。外に出るとはいっても、幽体離脱するのではない。
実力、あるいは霊的迫力が、自己内面からあふれ出し、社会に表現され始めるということである。
その意味で、三〇歳を迎えて、まだ自己能力や内的世界で一定のレベルをきわめていない男性は、非常に先行き不安だといわざるを得ない。
しかし、読者諸兄の中には、四〇歳を目前にして「しまった!」と思っておられる人もいるだろう。
そういう人のために、即席ではあるが、魂を充実させ、内面世界と霊的パワー、そして才能を引き出す〝極意”をお教えしよう。
ただし、これは三〇歳前の人や入社すぐの人にも有効である。
まず三か月間、死にものぐるいで頑張る。不平不満などもっての他。
与えられた仕事はもちろんのこと、トイレに入っている間も、電車に乗っている時も、エレベーターの中でも、とにかく、死ぬかと思うぐらい、徹底して打ち込むのである。自分という存在を完全に忘れ去り、ひたすら目的完遂のために頑張るのだ。打ち込むべきものは、仕事でもよいし、自己の才能を伸ばすものでもよい。
次は三年間である。この三年間、きちんとした生活をする。衣食住ともに規則正しく、かつ清楚にして、無遅刻無欠席無早退はもちろんのこと、仕事の準備や余暇のすごし方まで、他の模範となるくらい、しっかりやることである。
そんなことはわかっている、それができれば苦労はない、と思うだろうが、最初の三ヶ月、なんでも無茶苦茶に没頭することで、自分の内部と背後霊の構成が変化することも多く、守護霊交替が為される可能性が強いのだ。
最低、本人の頑張りを支えようと、背後霊の数が増員されることはまず間違いない。
すると不思議なものである。以前は辛いと思っていたことなどが、ちっとも苦にはならなくなる。
運気は急に上昇し、なんでもうまくいくようになって、勇気や活力、体力が旺盛となるのである。
だから、三年間はまるで自分でないような自分が、大活躍をするようになるのである。
こうすれば、だいたい最高の自己のペースというものが作られ、能力や才能が自然と発揮できるようになるのである。
それは自己の魂が確立され、背後の守護霊もバック・アップ態勢がこの期間に整うからだ。その呼吸を体得することが重要なのである。
三倍努力する覚悟があれば誰にも負けない
とはいうものの、実際、三五歳をすぎるとガクンと体力は落ちるものである。体力と同時に気力も落ち、しかも妻子がいるので、若い時のような冒険もできなくなっている。
したがって、ともかく三五歳までにあらゆることを経験しておくことが大切なのである。そして三五歳をすぎてからは、自己の実力の基礎を土台として、数々の体験がものをいう時期となる。
さらに四十路に突入すると、体力は日に日に落ち、しかも脳のほうにも疲れが目立ち始め、物忘れが始まる。
まさに「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり……」の世界で、ただただ、パワーの衰退を切歯扼腕してただ眺めているだけ、という状況である。
ついつい「祇園精舎の金がない」とぐちりたくもなる。しかし、三〇代に順調に自己の才能を磨き上げた人は、四〇代こそが脂ののりきった円熟期となる。
そして四〇代は体力が衰える分だけ、管理能力が勝っていかなければならない。
そして、五〇代は管理能力の完成と後継者の育成の時期である。
だが、この四〇代からの体力の衰退地獄〟から逃れる方法もないではない。それは、絶えず自分の中にハングリーな部分を作っておき、他人の三倍努力する覚悟をもつことである。
そして、プラスアルファーとして、包容の力、読解の力、気力充実の精神力を絶えず湧きたたせることだ。
こうすれば、同年代はおろか、若者にだって負けることはないだろう。
ところで、どうしてこの年になってもハングリーかといえば、それをバネにして頑張ることができるからである。先ほども、若者は満たされないほうがよいと書いたが、理由はこの場合もまったく同じである。
若い頃から満たされすぎた男性は、人間力が伸びない。が、四〇になっても五〇になっても満たされず、常に飢えているというのは、かえって異常性格を形成するものである。
しかし、自分で何かを発願して戒を持ち、敢えて精神的にハングリーな面を作り出すことは重要である。
一番いいのは、精を漏らさずに、性的に少しハングリーになっていることだと思う。精の充実が精神力、気力、生命力、集中力となり、霊力の根源となっているからである。
だから、節欲して目標に向かってジャンプしようとしている人は、精神的にも若いし、そして伸びる。
「この歳でハングリーだなんて」という人は、何か新しいことにチャレンジするようにしたい。
あの伊能忠敬は、四一歳で隠居して、五一歳で天文学 者のもとへ入門、そして精密な日本地図を実測にもとづいて作りあげたのである。
四〇%の手習いどころか、五〇の手習いながら、歴史に名を残す業績を著わしたのである。実に、アッパレという他ない。
定年退職したら「美田は残さず」の精神が必要
さて、一生懸命に働いて、いよいよ定年退職の齢を迎えたら、霊界へ入る準備にとりかかろう。
「縁起でもないこと、いわないで!」とお叱りを受けそうであるが、正直、男女ともに六〇歳の還暦をすぎたら、霊界のことを真剣に考えるべきだ。
私がなぜ、こんなことをいうのかといえば、実は六一歳でその人の霊界でのランクがほぼ確定してしまうからである。
還暦とは、ちょうど十干十二支をひと回りして、またもとにもどることをいう。
つまり、六〇年を一サイクルと考えるのであるが、偶然にそうなっているわけではない。
この六〇年間に、人間として為すべきことを為したかどうかを、神霊界が本人に問うのである。
いうならば大学の卒業論文といったところか。そのための一サイクルなのである。
六〇年間の人生で、善である部分をプラス、他人を不幸に陥れたりした悪の部分をマイナスとして、厳格な査定が行なわれ、その結果、霊界でのランクが決定するのである。
決定といっても、神霊界は慈悲あふれるところであるから、還暦以降の人生を霊層アップに使っていることが認められれば、当然、再査定となる。
もし、悪業の限りを尽くして作った財産なら、すぐにもとの持ち主へ返すべきだろう。
また、財産分与で子孫の間にイザコザが生まれそうなら、自分たち夫婦が食べていかれるだけの財産を残して、あとは全部、慈善団体にでも寄付すればよい。
なまじ、膨大な遺産を残したまま霊界へ入ってしまうと、残した遺産のことが気になり、霊界での修業に身が入らなくなることも多いのである。
自分を豊かにするため旅行に出るのもよい
子孫を残すほどの財産もないが、かといって還暦をすぎたので、どうにか安く、かつ手っ取り早く霊層を上げる方法は?と考える人もいることだろう。
霊層を上げるのは、実をいえば方法ではなく心の持ち方や、人々をどれぐらい幸せにしたかという徳分と自己の深奥意識の自覚度合が問題なのであるが、とにもかくにも、本人の心が豊かにならないことには、何事も始まらない。
そこで、心を豊かにするひとつの方法として紹介するならば、旅行を挙げてみたい。
旅行会社の「フルムーン旅行」の宣伝ではないが、できれば夫婦そろって、ノンビリ温泉旅行などはどだろうか。
行き先は、なるべく風光明媚で料理がうまいところがよい。気学的な解釈をすれば、吉方位へ向かわなければならないのだろうが、それはあまり気にする必要はないだろう。
美しい風景を眺め、美味しい料理に舌鼓を打ち、温泉につかって体の芯から温まる。
心身ともにリフレッシュして、大いにはねを伸ばす――この心が大切である。日本の観光温泉を巡り終えたら、今度は海外旅行である。
見知らぬ土地を訪ね、めずらしい食事をとる。感性と心を驚かせることによって、魂の活力を作っていくのである。
年をとると、何もかもが日常生活の中に埋没してしまい、心も体も驚きがなくなる。
新鮮さが失われるのである。水も流れを止めてひとつのところに溜ると、腐ってしまう。
人間だって同じだ。あまりにも、変化に乏しい生活は、根が腐っていってしまうのである。そうした意味も含めて、還暦をすぎたら、積極的に旅に出ることにしたいものである。
特に、欧米の夫婦は、海外旅行することを楽しみにすることが多いようだ。
ところで、私のところに相談にこられた方で、こんな実例があったので紹介しよう。年は七〇歳で品のいい、おばあちゃんである。千葉県で造り酒屋をやっているという。
が、すでに形の上では隠居の身でありながら、ひとつだけ心配のタネがあるのである。それは、三年続けて、酒造りに失敗したことと、酒屋を継いでいる五〇歳になる息子さんのことなのだ。
おばあちゃんは、酒造りのことが心配で心配でしょうがない。そこで、こんな質問を私にしたのである。
「今年の酒造りはどうでしょうか。息子はどうでしょうか」。心配するお気持ちはよくわかるのであるが、息子さんはもう五〇歳で、今、社長をしておられる。母親が心配する年齢であろうか。
スーッと霊視してみると、霊界でのおばあちゃんの姿が見える。なるほど、その場所は絶えず他人の心配ばかりしている世界で、なんと地獄界であった。
といっても、地獄界でも一番軽いランクで、この生活が三〇〇年は続くという。思いきって、今、即死んだらどんな霊界に行くかを伝えると、少々ショックを受けたらしく、「そうなんですか、やっぱり」と肩をおとしてしまった。
「だから、あまり心配しないように。造り酒屋のほうは、すべて息子さんに任せなさい。そして、お母さんは魂を向上させ、自分を豊かにするために、もっとお金を使うようにしたらいいですよ。
もう七〇歳なのですから、自分を大切にしなければいけませんよ」死後、心配懸念の地獄界にいくより、相続税の処置をして、自分の老後は自由になる現金をもらって、日本国内の温泉旅行をするほうが得策だろう。
明るく、元気で楽しそうな母親を見ているほうが、息子さんにとっても余程安心できるものだと思うからだ。
ところで地獄界の上のランクとは、ちょうど夕暮れ時の、あの薄暗い世界に似ている。明るくないのである。
その色彩はちょうど、住人たちの心の色でもあり、あまり長居をしたいと思うような世界ではない。
現実世界で体験したことは、霊界でも体験できる。美しい世界を現実界で見たならば、霊界でも見ることができ、美味しい食事の味は、霊界でもありありと思い出せるのである。
もちろん、これは中位以上の霊界での話である。最後に、現世に残した無形の徳と、本人の固定した想念界に相応した霊界へ、死んだ後はいくことを忘れてはならない。
だから、還暦以後は、死を恐れるより積極的に対応するべく、毎日を充実させたいものである。
第二章 正神界パワーで金運をつかむ
強い味方の三つの金運神
正神界の金運基本「真剛控」
何事にも基本というものがある。正しい努力を土台として神霊界から金運パワーを受けるためには、神様からいかなるプロセスで金運がやってくるのかを知る必要がある。これが、大切だ。
我々人間社会でも、このルールは同じである。たとえば、帰宅したら机の上においしい果物がプレゼントとして置いてあったとする。
すると、誰でも「これはどうしたの?」と家人に尋ねるはずである。「○○さんが、△△のお礼にと、もってきたんです「よ」ということになれば、「ああ、そうなの」と、○○さんの顔を思い浮かべながら、果物をいただくというわけである。
金運も同じ。単に「ください、ください」とねだるだけで、たとえ金運を授けられても、その経緯も知らずに食べてしまっては、本当の心からのお礼ができない。
感謝の思いも湧かない。したがって、神霊界も盛り上がりがなくなって、金運のリピートオーダーがこなくなるのである。
そこで、まず、金運が我々に授かる基本を知っていただきたいのである。
「真副控」。これが基本のパターンである。この言葉は華道の用語であるが、ようするにメインに真、サブに副、バランスを保つため、反対側に控をもってくるのである。
これで見事な調和が保てるというわけである。調和を感ずる基本形であるといってもよい。この華道における美の基本形を、金運を呼ぶ神霊構造としてあてはめてみる。
まず、真である。これは天照大御神である。ひらたくいえば、太陽神界だ。すべての恵みは、ここからやってくる。
天之御中主之大神や北斗の神、また国常立之尊や須佐之男命、そして、大日如来やエホバの神も主の神であり、実在する神霊なのであるが、天照大御神こそが日本神霊界における具体的な恵みを与える、いうならば〝代表取締役〟にあたる神様なのである。
そして、取締役”級には、須佐之男命や大国主之命をはじめ、宇佐八幡、鹿島、住吉などのそうそうたる神様がいらっしゃる。
いわば、それぞれの役割と個性に応じて、取締役事業部長や取締役営業部長にわかれておられるようなもので、むろん決定権もゆだねられている存在である。
そして、直接の担当窓口となっているのが、地元の産土之大神様なのである。
また、イザナギ、イザナミの大神様は、その会社を創業した会長様である。かわいい子供に後を継がせ、代表権を譲ってご隠居されたのである。
この代表権こそが、宇宙創造とあらゆる次元界の主神である
の神様がお与えになる、主の神権なのだ。
天照大御神様は日本民族の社長
外資系のコングロマリットを作った時、主の神権をお与えになったのがエホバの神であり、ヤーウエの神だったのである。
これがヨーロッパ神界なのだ。
私たちは、いわば天之御中主・創作企画会社の社員でも、土木工事会社・国常立コーポレーションの社員でもない。
ましてや、外資系コンビニエンスストアのチェーン本部お稲荷本舗の社員でもない。ここ日本に住む限り、すべての働きの神を統括し、集約している日本株式会社の正社員なのである。
だから、われわれは、日本株式会社の代表取締役の天照大御神様を真に据え、中心に置いて敬うべきなのである。
天照大御神様は、他の神々と比べ「中庸の徳」と「円満具足の徳」、また「実成の徳」があり、私たちに「やる気」と「明るさ」と「創造発展の広がり」を与えてくださる神様なのだ。
この方が、私たち日本民族の社長なのである。したがって、社風(つまり、民族の気質)は、明るく、創造発展的で、やる気に満ちあふれているのだ。
一見、日本のそれは女性的な文化ではあるが、五百津御統という首かざりから、突然五人の男神が出現した如く、果敢でもあり、勇猛の気性も宿っているのである。
これらが、実をいえば「大和魂」だといえる(『古事記』のウケヒの段を参照)。
玄々微妙の神霊界には、別な主の神様がいらっしゃるが、我々日本人にとって、本当の意味における金運や現実界の繁栄は、この天照大御神を中心に置かない限り、実現が難しい。
龍、天狗、稲荷ギツネ、白蛇を使っても、金運は成就されるが、弊害も多く死後の幸福や子々孫々への影響を考えた時、やはり、正神界の中心からくる正しい金運を求めるしかないと思うのである。
話を元に戻そう。これで、ともかくも、天照大御神を真に置く理由がおわかりいただけたと思う。
次は副である。これは産土神がなる。産土神とは、その土地その土地の神様で、地域神霊界をコントロールしており、その働きについては、すでに「強運』や『恋の守護霊」でも詳しく説明した通り、誕生から結婚、霊界案内と、なにくれとなく面倒見のよい神様である。
地域に根ざし、生活に根ざして守っておられるので、金運には大いに関係がある。
要するに、天照大御神よりのパワーと命令を産土神が受けて、それを地域の人々へ窓口となって分配する、とでも考えていただければよい。
そして、この産土神による金運の特色は、より具体的で総合的な発展気運によってもたらされるということである。
つまり、業務の発展、優秀な人材の確保、いい顧客の広がり、商品開発のアイデア等々。個人でも法人でも、総合的にすべてが産土神によって導かれ、すべてがプラスの方向へ回転し初め、それがすべて金につながり、すべて実る、というのである。これが、最も正統な金運なのである。
ところで、伊勢の天照大御神様にお参りしても、ちっとも金運はこない。それよりもお稲荷様のほうがありがたいし、即効性もあるという人がいる。
おそらく、その人の体験にもとづく結論なのであろうが、はっきりいって、それは少々体験不足である。というのは、確かに稲荷ギツネは願いに応じて金運を運んでくるが、弊害も大きいのである。
そのあたりの説明は、拙著「神界からの神通力」を参考にされたい。
即効性のある産土神
伊勢の天照大御神の功徳は、福運のある道へ方向転換して下さる功徳だ。例えば、船舶業に向かおうとしていた松下幸之助氏を家電産業に向かわせ、この分野で巨大な富を築き、永続的な金運に導かれているようなものである。
それに対して産土神の功徳は、毎月の売り上げと会社の業績を無理なく伸ばして、最低でも前年度比一一〇パーセントを確保してくださるようなものだ。
そして、伊勢のほうは功徳があらわれるには、早くて三ヶ月から六ヶ月。遅くても三年以内というのがひとつのパターンとなっている。
一般的に、大きな角度で見る神様であればあるほど、その準備に時間をかけられる。そのため、功徳があらわれるまでに時間がかかるのである。
これに対して、一般庶民の味方として生活に密着して働かれる産土神の功徳は、早い場合にはお参りしたその日からあらわれ、遅くても半年以内には必ず結果が出るものなのである。
もちろん、いずれの場合も継続して祈願し、お参りを続ければ、強力で早い効果を期待することが可能である。
このように、大きな神霊の功徳ほど遅く、小さな神霊の功徳ほど早いという、神霊界の基本法則を知らなかったために、先述の稲荷のほうがいい、という人が出てくるのである。
以上で、真と副、およびその関係について理解いただけたと思う。
次は控である。これは文字通り、金運招来のために控えておられる神様である。
この神様たちこそ、これから説明しようとする金運三神のことで、天照大御神の要請を受け発動したり、あるいは、産土神が補えなかった部分を、本人の願いにかなうようにパワーアップしようとするものなのである。
この神様は、ひと言でいえば、最も人間界に近い次元に現われた神様であり、権現(権現とは仮に現われるという意味)や〇〇天といわれる物質界に近い仏界と同レベルにある神様なのである。
役割分担的に見ると、真副の気運と努力が足りなかった時、それでも月末ギリギリでなんとか資金を調達してくださる、きわめてありがたい神様のことである。
控はあくまでも控であって、この神様が中心となった金運招来は正法とはいい難い。
主従が入れ替り、欲望が先に立ち易くなるからである。また言葉を変えていうなら、真、副が〝攻撃〟とするなら、控は〝防御〟。ディフェンスは攻撃の主に対しては、従という関係となる。これが本当の姿なのである。
ところで、私が会社をスタートさせた頃、ほとんど毎月といっていいくらい、資金繰りに苦しんだものである。
特に、今でも鮮明に覚えているのは、月末の支払いまでに、あと三日しかないのに、五〇〇万円足りなかった時のことだ。
どうすればよいのだ。必死の金策にもかかわらず、入金の見込みは皆目なし。
神様の道に従って余儀なく会社を営み、かつ、これほど真剣な努力を続けているのに、なぜ金が集まらないのだ。
神も仏もあるものか。あるのなら、月末までのあと三日で、お金を与えてください!!私は決して強欲でいっているのではありません。
社員を養う責任、取引先に対する信用と義務があるのです。いうなれば愛です。誠です。
どうか、聞き入れてください!と必死の祈願で八百万の神々におたずねし、神に対しても、祈りに祈った。
しかし・・・今だからいえるが、この時ほど、宇宙創造の神にガッカリしたことはない。
どんなに悠大な仕組があり、大愛であるかもしれないが、目前の五〇〇万円が三日で手に入らなければ、なんにもならない。すべてがパアになるのだ。
この時私は初めて、神様とは次元が高ければ高いほどいいというものではないことを知った。それぞれの役割に応じて働かれる神様がおられ、神が全部に手をくだされることはないことを、改めて痛感したのである。
神は、すべてをご存じではあっても、その役の神様に実務を譲られるのが、正神界の掟なのだ。
ちょうど、優れた上司は部下の能力に合わせた仕事を与え、その力量を充分発揮させることをよしとしている姿に似ている。
部下の領域まで、しゃしゃり出て仕事をこなしてしまう上司は、立派とはいえないのと同じである。
強力な助っ人パワー、荒神、大黒、蔵王権現様
さて、資金繰りに苦しんでいる私である。
神がだめなら、役に応じた神様を探さなければいけない。
私は必死に祈願しながら、三日間で五〇〇万円を確実に与えてくださる正神界の神様を探した。
そして、ついに探しあてたのが、三宝荒神であったのだ。その時、天照大御神様の威厳ある御声がして、「三宝荒神を斎祭れ」との旨を賜わったのである。
これが月末集金の特効薬〟の神様との最初の出逢いであった。天照大御神様と荒神様から、あまり知られていない本当の斎祭り方を、じきじきに教えてもらい、その通りにしたところ、なんと翌日に五三〇万円の入金があったのである。
まさに”奇跡”である。孔子のいう「天道は人を殺さず」は本当だったのだ。銀行借入れもオーバーし、知人や親戚、あるいは神業の仲間たちの実家からの借金も、ピークに達していた時だったのである。
まさに八方塞がりの状況下での”神だのみ”だったが、ある取引先が「いつも無理ばっかりいっているので、臨時バーゲンの入金は一五日目に支払うように、上司に通しておいたよ。
末じゃ悪いので明日支払いますか「ら」と連絡してくれたのである。
しかし、これとて、正確にいえばタダで天から降ってきたわけではない。私の会社の社員の一人が、無理を承知で先方に”入金を早くしてください”と連絡したのである。
つまり、五三〇万円の入金は、人の努力に対して荒神様が働かれた結果、可能となったのである。これが、防御ピカ一の控の神、三宝荒神様である。
それから、胎蔵界、金剛界、すべての仏様をめぐりにめぐり、訪ねに訪ねたあげ句、売り上げの役は蔵王権現様、販路拡張の役は三面大黒天様であることを発見し、天照大御神様から、許可と正しい本当の斎祭り方を教わり、神棚”へお招き申し上げたのである。
この三神こそが、正神界の本当の金運の神であり、弊害がまったくなく、しかも、群の霊力を必ず与えてくださるメイド・イン・ジャパンの仏様なのであった。
現在、私が経営に携わっている会社は真、副、控が一体となり、あっという間に販路拡張、売り上げ急増、利益率向上が達成され、借金も完済している。
今では、年度末に、どう節税を行なおうかと、頭を悩ましている状態である。
会社経営を軌道に乗せ、神霊活動に専念できるようになったのも、こういう長く厳しい下積み時代があったればこそだったのである。
ちなみに、細かいことをいえば、月初めは真と副で攻撃を仕かけ、月末は控で締めくくるのがよい。
大企業の場合は、別の神様がいいこともあるが、個人や中小企業の場合はこれが最適な方法であろう。以上が、神霊界の正しい金運の基本である。
そして、願いがかなって金運を得たならば、守護霊に感謝することはもちろんのこと、「真副控」の神様にも、真心を込めて感謝したいものである。
確実に実績を残すために必要な三要素
商売を上手にこなして、常時利益を伸ばすというのは、いつの時代でもむずかしい。ライバルは多いし、その上、商売は必ず相手がいて、お客様がいつソッポを向くか、まったく見当もつかない。
そういう、不確実な要素の中で商売をしなければならないためか、企業人、経営者のほとんどは、何らかの意味で神仏を崇拝している。
そこまでいかなくても、ゲンをかつぐ、という話はよく聞く。
ビルの屋上に祠を祭ったり、社長室に神棚を置いたりする気持ちは、なるほどとうなずけるものがある。
これは、いわゆる“神だのみ”というのだろうが、ただ単に神仏に頭を下げているのではない。
やはり、経営者として、あるいは人間としてやるべきことは、しっかりとやってのことだろう。その努力と神仏への真心と至誠が合致して、神仏のご加護が得られるのである。
このあたりを忘れて、「神様、仏様、商売繁盛お願いします」と、ただただ手を合わせても無駄であろう。
低級な霊、稲荷ギツネくらいなら、油揚げの分だけは働くだろうが、正神界の神々には通用しない。
商売を繁盛させるためには、労務や資材の仕入れなどの諸問題は別として、単純に商売として考えた場合、次の三つのポイントを押さえなければならない。
①売り上げを伸ばす(新しい製品、新しい顧客を得ようと努力する)
②粗利を確保し経費を削減する(むだを省き、合理的に利益率を追求する)
③集金を確実にする(資金繰りを順調にする)
「なんだ、当たり前のことじゃないか」とおっしゃる経営者の方も多いかもしれない。
しかし、なんとなく利益が伸び悩んでいる、という事業体や会社を見ると、この三つの要素のうち、必ずどこかひとつは欠けているものである。
“再建王”といわれる人々のやり方をみても、①②③の基本に忠実だ。まあ、たいていの経営者は、三つとも悩んでいるのが常であるのだが。
①の売り上げをバンバン伸ばしても、余分なところにお金を使ったり、掛け売りが多くて、しかも集金がなかなか期限内にできない、ということも多い。
こうなると、帳簿上は黒字になっているのに会社がつぶれる、いわゆる“黒字倒産〟に陥ってしまう。もちろん単に③の資金繰りがまずくて黒字倒産することも多い。
逆に②の経費をいくら削減しても、肝心の売り上げがさっぱりだと、これもやはり倒産である。
③の資金繰りであるが、会社を経営したことのある人はおわかりだろうが、このあたりが苦しいところ。商品が現金払いの場合は比較的楽であるが、商品先渡しで、代金あと払い。
しかも、長い支払い手形だったら最悪である。あるいは、労働報酬は二~三週間後という場合は、楽観視できない。経費は毎月現金で支払わなければならないからだ。
そして、何事も実際に金を受けとるまでは安心できない。いつ相手側が倒産してしまい、手形が不渡りになったり代金がこげついてしまうかもしれないのだ。勘定合ってゼニ足らず、というのはこの世では珍しくない。
以上、三つの要素を説明したが、個人レベルでも同じである。売り上げの伸びは、請け負う仕事量の増大や、サラリーマンなら自分の給料の額の向上に値する。
また、経費削減は日常生活の贅沢を戒めることにつながる。
また、資金繰りは、お金のやりくりであり、家でも会社でも最も重要なものとなる。他に細かいところをあげれば、税金を払いすぎないように工夫すること、資金の有効な運用、大切な貯金を詳しくもない株や先物取引に投資しないこと、遺産相続は税金を十分考えてからすることなどである。
知恵の神様、蔵王権現
さて、それでは先にあげた三つの要素のうち、①の売り上げを伸ばすことについてであるが、そのためには、ともかく鋭い頭脳と力強い押しが必要である。
市場を正確に分析し、売れ筋を研究し、ライバル企業がアッと驚くようなヒット商品を開拓するためには、アイデアとヒラメキ、叡智がなくてはいけない。
ヒットがない場合は、同一商品で営業力の勝っている方の売り上げが伸びる。だから、これも販売ノウハウのアイデアと叡智がなくてはならないのだ。
こうした現実界に働く叡智を司っているのが、蔵王権現様である。
この神様に願いをかけるとよい。
「地上のあらゆる叡智をもっておられる蔵王権現様。どうぞ、私に売り上げを爆発的に伸ばすことのできる知恵をお授けください。
もちろん、私も一生懸命に努力します。その努力の土台の上に、どうぞ、深遠なるヒラメキとアイデアをお与えください。お願いします」
いうまでもないが、自分だけ儲けて、他はどうでもいいです、などと心の片隅にでも思ってはいけない。われよし、相手よしの心境が要求される。
ところで、この蔵王権現は現実世界での頭のよさはピカ一で、しかも、邪を押しのけでも初志を貫くというパワーを有している。修験道の開祖である役小角(役の行者)が、大峰山で厳しい修業を積んでいた時に現われた、メイド・イン・ジャパンの仏様である。
商談で明日、相手を知的なパワーで圧倒する必要がある、という場合、出かける前に必ずこの蔵王権現様に願いをかけておくとよいだろう。
利益率と月末集金の神様、三宝荒神
次の神様は三宝荒神様である。この神様は、三つの要素の②の経費を削除して利益をもたらしてくださる。
一般の家庭でも、お台所にお祭りしてある、あの荒神様だ。
この三宝荒神も、役小角の大峰山中での修業中に現われた。そのいきさつはこうである。役の行者が修業していると突然、大きな地震が起き、気がつくと東北の方角に異様な光と紫の雲が見えた。
そして、小角が近づいていくと、そこに三宝荒神がおられたというのである。そして、その三宝荒神は行者に対して、次のようなセリフを残したという。
「われは、精進努力を傾けた者を宜しく助ける神である。われの本地を知りたくば、この地の九山九川これ本地なり」と。
つまり、金運のみならず、一生懸命に精進努力をすれば、それに必ず酬いてやろうじゃないかという、現世的言葉で表現すれば、すこぶる義理固い神様なのである。
だから、家庭や財運が先祖の因縁等で薄かったとしても、この三宝荒神にお頼みして、努力を積めば、その努力は決してむだとはならないのである。
もともと、荒神とは、大地のパワーの源である金神国常立尊が化身したものであり、厳しい中にも優しさを秘めている。
経営者ならば、放漫経営を戒め、経費削減を厳しく行なう必要に迫られた場合などに、効果を発揮するだろう。
また、台所にあって、家計をガッチリ守る働きもあり、正しくお祭りすれば、家計運は向上する。なるべく、火と水のある場所がよい。
というのは「火」は「か」と読み、「水」は「み」と読むと、すなわち、かみ、となり、この二つの「気」があると、三宝荒神も顕現パワーを出しやすくなるのである。
なお、正しい祭り方は二三五ページで説明しているので参考にしていただきたい。
かつて、弘法大師が高野山を開かれる時、厳修して神仏に祈念しておられたら、近くの山々が鳴動して、三宝荒神が現われ、大師に厳しく詰問してこられた。詳細は省くが、以後、高野山の経営に悩んだら、必ず大師はこの荒神に祈念したという。
この歴史を後で知って、昔の人も同じように悩み、同じように助けられたのだなあ、と感慨深いものがあった。
この時、弘法大師がやけに身近に感じられたのを覚えている。
ところで、台所という、きわめて身近なところにおられ、家計の火の車を止め、金運をもたらしてくれる三宝荒神。是非、真心を込めてお願いをしたいものである。
なお、毎日、必ず一度は手を合わせるようにすれば、霊験あらたかなる御利益が期待できる。
そして、願いをかける場合は、できるだけ具体的なほうがよろしい。たとえば、「○月△日、×時頃、△△さんと××について商談します。
そして、どうしても〇万円に話をまとめなければいけません。どうか、△△さんも喜んで、そして私も満足がいくような結論が出るように、導いてください」という具合である。
拙著「強運』でも、守護霊への願いのかけ方のところで説明したが、細かいところまで、具体的に願いを立てたほうが、三宝荒神としても働きやすい。
というのは、守護霊と同じように、この荒神はきわめて人間に近い神様であるからだ。
税務署員や税理士、経理士よりも親切でパワーのある存在なのである。上手に願いを立てるようにしよう。
なお、三宝荒神は、手が六本、足が二本、顔が三つあるマルチタレント並に活躍可能な神様である。
“いもづる式金運”をつくる三面大黒天
先ほども説明したが、金運というのは、人から人を通して発展していくもの。お客様あっての商売であり、よい人脈はよい金脈ともなる。
というわけで、三番目の三面大黒天は、金運の豊かな人を連れてきたり、重要な人物とめぐり会う奇跡を起こしたり、客商売だったら、うんとお客様の入りがよくなる、とてもありがたい神様なのである。
天台宗をひらいた最澄が比叡山において一心に祈っている時に現われたが、その働きは人脈作りと人材集めにあった。
つまり、人々を集めるものである。比叡山に多くの僧侶が引き寄せられ、延暦寺が栄えたのは、霊的に申し上げれば、ひとえにこの三面大
黒天の働きによるところが大きい。
かの絶対的なパワーをもっていた日蓮上人ですら、三面大黒天には随分とお世話になっている。
そのいきさつとはこうである。上人が人々に法華経を説いて歩いても、誰も耳を傾けず、ふり向きもしない。「ああ、どうして人々は私の説法を聞いてはくれないのだろうか。今は末法の世、この法華経でなければ絶対に人々は救われないというのに」と、悩んでいたのである。
その時、上人の苦労を見かねた三面大黒天は、そっと霊力を発して、理解者から理解者を通じて人々を上人の周りに集めさせたのである。
もちろん、日蓮も、最澄が比叡山においてあらわした三面大黒天の存在と霊力の実際を、よく知悉していたからに他ならない。
つまり、イザ!という時、力のある人を本人の前に連れてきてくださるのである。
日蓮上人も、法華経流布のために必死に大黒天に祈っていたようである。
このように、三面大黒天の霊力は人から人へ、いもづる式にふえ広がっていくのが特徴である。
霊的に見ると、三面大黒天は金色に光り輝く観世音菩薩の化身である。また、三面とはズバリ顔を三つもっていることを意味している。フツーの大黒天は顔ひとつなのに対して、こちらは三面、パワーと働きも三倍ある。
大黒天のあの袋の中には人々への福徳が詰まっている
ところで、大黒様が肩に背負っている袋だが、この働きは、人々の災禍厄難を吸いとる一方で、福徳を人々に与えることにある。つまり廃品回収業とサンタクロースを兼ね備えたような存在で、常に福徳を出血大サービスしている、というわけである。
が、サービスばかりではない。大黒天の右手には、しっかりと小槌がにぎられていることに注意していただきたい。温厚で人あたりのいい大黒天といえども、怠け者に対しては無条件で福徳を与えるわけにはいかないのである。そこで登場するのが、右手の小槌である。これで、怠け者の頭をコツン!とやる。
「もっと一生懸命に頑張りなさい。福徳はもう、すぐそこまできているよ。怠ける人は、小槌でたたきますよ」
そんな大黒天さんの声が聞こえてきそうである。だから、辛い時苦しい時は、すぐ近くに大黒天がいらっしゃって、福徳を我々に与えようとしている、と信じて頑張りたいものである。
家を支える柱を「大黒柱」というように、普段はじっとしているが、その働きは大きく、実に頼りがいのある神様である。
その働きをよりスムーズに実らせるためには、お水とお米をお供えするとよい。
水とはすなわち「水気」であり、方位でいえば北、つまり子を指す。子とはねずみのことであり、ねずみは大黒天の使者、あるいは眷属としての使命をもっている。
これは、天台宗の修法にある甲子大黒天のいわれからきているのであろう。
また、水気はどこへでも形を変えて流れていくことができる。
これは、ちょうど、人から人へと福運の輪を広げていこうとする大黒天の働きと同じである。こんなところから、大黒天には水を供えるとよいのである。米は五穀の象徴であり、発展と豊かさをあらわしている。
