深見東州 爆笑対談(Vol.3)

村松友視(作家)

お酒は水が勝負!

深見:ごぶさたしております。

村松:どうもしばらく。

深見:酒の利き酒神法ってありましてね、お酒の味を変えるんですよね。甘口を辛口、あっさりしたのを濃く、芳醇にとか、そういう特技がありましてね。村松:ほ~、そうですか。

深見:信じていただけない人が多いんですけどね、参加した人は知っています。

村松:へー。

深見:まあ、スプーンを曲げるよりはいいでしょう。安物を買ってきておいしくなれば、付加価値がつきますから。

村松:ははあ。僕はもっとダサイやり方なんだと思うんですけど、何でもない白ワインと何でもない日本酒、これの冷やしたものをね、何でもない日本酒を七分入れといて、何でもない白ワインを三分入れるの。そうすると、一瞬にして非常に芳醇な大吟醸風のお酒になるんですよね。

深見:ほう。

村松:そしてね、何でもないワインを七分、そして何でもない日本酒を三分入れると、非常に何か腰のある、頼りがいのある白ワインになっちゃう。

例えば酒の場合、七分が日本酒で三分がワインのやつ、片口かなんかに入れてね、そこへ紅葉の葉っぱかなんか浮かべたりして、どうぞと言って一杯飲ませたらね、これは絶対ごまかせますね。

深見:ほう。

村松:三杯目ぐらいになるとね、やっぱりそういうもんじゃないでしょ。だから、それはばれてきますけどね(笑)。一、二杯まではびっくりするような手品。

深見:ほほう。お酒のミスターマリックですね。

村松:ですね。ハンドマジックですね。日本酒の大吟醸ブームというのは、お酒を大事にするという意味ではいいんですけどね、大吟醸を褒める時に必ず日本酒もここまでくるとワインですよみたいな言い方をする。

深見:ああ、ねえ。

村松:僕はあれは、日本酒の側の人が言うというのはね、信じられないですね。

深見:そうですね。

村松:ワインが上みたい。

深見:逆にワインも、ここまで来たら大吟醸ですって。

村松:そうなんです、そうなんです。そう言ってほしいですね。

深見:そうですね。僕が、人に聞いたところによると、ドイツの、いやフランスかな、目隠ししましてね、最高のワインと日本の最高の大吟醸をズラッと並べて目隠しして飲んでいって、どれが一番おいしかったかって聞いたら、日本の大吟醸のこれが一番おいしいって言うんですって。

村松:ほう。

深見:それは、やはり日本の大吟醸の方がいつも勝つと。

村松:ほう。でもつくってる人が結構卑屈でね、つくってる人というか、売る人が。

深見:売る人が。

村松:ええ。それも、ここまでくると、もう日本酒とは言えませんよとかね、ワインの世界ですよとか言って、そういうふうに言うとグレードが上がったように思っているところが情けないと思っている。

深見:そのワインの味というのか、フルーティーな味を初めて出したのが、結局、熊本の「香露大吟醸」なんですね。

最初にそこがつくって、それからずっとその酵素を活用して、今ではかなりレベルアップされたようですけれども、でも、やっぱり大事なのは水ですよね。

村松:水ね。

深見:すべての原点は…

村松:白山の水。

深見:白山の水は――。

村松:いいですね。この頃なんか水をどこかから取ってきて、全部山田錦というお米を使ってね、酒蔵つまり蔵元は全く違う地方にあって、それで自分のイメージに合ったお酒をつくろうという傾向があるんですね。

深見:ほほう。

村松:ですから、とんでもない、今まで酒どころじゃなかったところに、「菊姫の大吟醸を一回飲んで感動して、それを目指したような、そういう味につくりたいんだという、ロマンでつくっているような、こんなちっちゃい酒蔵があったりするんです(笑)。

それでもやっぱりね、白山の水を取り寄せるとなるとね、ちょっと違ってくるかなというね。

だから、一、二度は感心するけど、三回目で、やっぱりこれはいけないという(笑)。

それだったら、もっとレベルの低い酒でも、その土地の水とその土地の米で、その土地の人がつくったお酒の方が本当はいいんじゃないかというふうに、もう一回戻っちゃうんですけどね。

深見:村松:先生は、日本中にお酒を訪ねて旅をされることがあるんですか。村松:いや、僕は、そういうふうに「菊姫」の大吟醸って、白山の話があったから言いましたけれども、ほとんど味覚音痴というか、だめなんですよ。

深見:ほう。

村松:で、もう酒は味じゃなくて、酔い心地であるというふうにね。

深見:ああ、なるほど。

村松:飲む相手と飲む場所で、もう全部うまさ、まずさが決まってくるというふうに考えているんですね。

深見:以前、何とかという方が、村松:友視さんのお酒を飲む時のお姿が、一番お酒を飲む姿らしいと。

村松:いや、あれは、ああいうふうに……。

深見:あれは、どなたでしたでしょうか。

村松:いや、忘れましたけどね、ああいうふうに書くと、何か人を騙ったように思えるんですよね(笑)。そんな飲み方なんかしてないんですよ。

深見:ああ、そうですか。

村松:ええ。だから、それで僕は、頭にそいつの書いたことを意識してね、そういうふうに飲まなきゃならないかな……と(笑)。しんどくてしようがない。

深見:気になって。

村松:ええ。

深見:ちょっと人が見てたらいけないから、カッコよく飲まなきゃと。

村松:ええ。そんなんじゃない。ただ、要するにある場所に行ったら、そこの食べ物があり、そこの人がいて、それからそこの酒を飲めばいいと思うんですよね。

だから、メキシコへ行ったらテキーラ飲めばいいし、ブラジルへ行ったピンガ飲めばいいし、フランスへ行ったらフランスのワイン、イタリアへ行ったらイタリアのワインというふうに。

深見:一度雑誌で先生のお書きになったヨーロッパの寺院の記事を拝見いたしまして。キリスト教の寺院をずっと見てらっしゃって、何か手があるとか……。

村松:ええ、ザビエルの手の話ですね。あの時は、もうとにかくシチリアへ一週間ぐらい行っていて、もう毎日シチリアでできるワインを飲んでましたね。

深見:ほう。

村松:それで、イタリアのワインというのはね、フランスのワインみたいに、こうやってウィとかうなずいたり、ああいう感じじゃなくて、とにかく何かしびんみたいな(笑)、ピッチャーみたいなの持ってきてね。

深見:イタリアらしい(笑)。

村松:「ビーノ・デ・ラ・カーサ」と言ってね、要するにそこのハウスワインですよね、そんなのをまず飲んで、次々に注文したけど安ワインだから、すごく気が楽だった。

そうしてね、シチリアにパレルモという町があって、そこのレストランへ行ったんですよね。それでシチリアにはエトナ火山というのがありますよね。

深見:ああ、エトナ。

村松:で、「エトナ」というその赤いワインがあったんですよ。

せっかくシチリアへ来たんだから「エトナ」というワインを頼もうといって飲んでたら、おやじが何かジーッと見てて、スポンと赤いワインを抜きましてね、「それ、うまいか」と言うから「まあ、うまい」と言ったら、「じゃ、これを飲んでみろ」と、僕とカメラマンと編集者三人に赤ワインをついでくれたんですよ。

こういうこが、もし日本であったとしたらですね、こいつら気に入ったから、自分が寝酒に飲もうと思った酒だけれども、飲ましてやろうかとか、取っておきの海鼠腸があるとか、そういう発想だと思いますよね。

深見:まぁ、そうですよね。

村松:こう、つがれて飲んだらね、まずいんですよ(笑)。何だろうなと思った。そうしたら親父が「なあ、まずいだろう」と言うんですよ(笑)。「だから、
さっきあんた方の頼んだのは正しい注文の仕方なんだ」と、こう言うわけです。

深見:ほう。

村松:さっきうまかったのは、ブドウの取れない時にはできないワインだと言うんですね。

こっちの今飲んだまずい方は、ブドウの取れない時でもできるワインだと。だから、つまり日本酒で言えば樽買いをしているようなイメージの酒。

深見:なるほど。

村松:で、おやじはスーッといなくなって、また今度スポンと抜いてきてね、じゃ、さっきうまかったこの「エトナ」の白がうまいかと言って、またまずいのを飲ませる(笑)。あれは、不思議な発想だと…。

深見:在庫が残っているから何とかはかそうと思って(笑)。

村松:そうかもしれない。いや、それでもね、最初の一本の値段だけで、最後は全部おやじのおごりなんですよ。

深見:はあ。

村松:おごるんだったらね、おいしいやつをくれればいい(笑)。おかしいと思うんですけど。

深見:味の比較をしてほしかったわけ。いかにいいのを選んだかということを。村松:そうですね。

深見:お買い得だということを

村松:ええ、そうかもしれないですね。そういうところへいってみると、酒と一緒に不思議な気質があるなあと思ったり。

それから、シチリアにパスタ発祥の地というところがあるんですね。シックリという町なんだけど、そのシックリという町へ行って、スパゲティーパスタの発祥地ですからスパゲティー食べたら、これは、つまり原点で食べるわけですから気分は乗ってますよね。港町ですごく景色もいいんですよ。それに、店のたたずまいが汚くてそれがまたいいんですね。

深見:わかりますね。

村松:それで、おじいさんが、こうやって店の前に座ってて、僕たちが入っていった時に、スーッと振り返って見ようとするんだけど、太り過ぎてて、これ以上$8EC0が回らないというような(笑)、何かこう、この辺で諦めるようなあれなんですね。

それで、中へ入っていくと、子供がパチンと電気をつけてね、子供が働き者なんてイタリアらしいでしょ。

それで、ガチャガチャガチャッとフォークとナイフを、もう鮮やかに並べるんですね。これは雰囲気いいなあと思って、パスタの原点だと思って….。

深見:ジ・エンドですか。

村松:いや、だから、そこが問題なんですけどね、ここで、もしスパゲティーがうまかったら面白くないなと思ったんですよね。

深見:まずかった。

村松:そう、まずい(笑)。それで、嬉しくなっちゃってね。

深見:ハハハ・・・・・・。

村松:イタリア人に三つお願いをかなえてあげると言ったら、一つ目のお願いで、シチリア島を沈めてほしい。そうすると、そこにいるマフィアがみんな死んじゃう。

深見:はあ。

村松:で、二つ目のお願いで、もう一回そのシチリア島を浮かび上がらせる。そうすると、世界中のマフィアがお葬式にやってくる。

で、三つ目のお願いで、もう一回沈めてほしいと言う(笑)。

そうすると、世界中からマフィアがいなくなるって言ってハハーと笑うから、あなたはどこの出身ですかと言ったらシチリアと言うんですね(笑)。これもね、怖い話なんですよね。うっかりうなずけないというね(笑)。

ウンコに知恵がつくとウンチ!?

深見:外人の会話って怖いですね。ドイツ人に会うとね、よく、今度はイタ公抜きでやろうぜって言うっていう話がありますよね。

イタリアを巻き込んだか戦争に負けたけど、今度は日本とドイツだけでやろうよと。

村松:ええ、そうです。

深見:スコットランドに行くと、イングランドとアイリッシュをばかにするでしょう。アイルランドへ行ったらスコットランドとイングランドをばかにしますよね。

村松:そうですよね。そういうのも面白いですね。

C・W・ニコルっていう人いるでしょう。彼はウェールズ出身なんですね。すると、自分はウェールズの田舎の野蛮な人間であるという誇りがあるんですよ。

深見:ははあ。

村松:だから、女王様の国のような、あんな紳士然としたジェントルマンというのは、あれはうそだというね。それで、わざと品のないこととか、ワイルドなこととか、ウンコの話とかね、そういうのをすごく精力的にするんですよね。

深見:はあ、ウンコの話をね(笑)。

村松:はい。

深見:僕は、ウンコというのは運を運ぶ子ですけど、そこに知恵がないと思う。知恵があるとウンチになる。

村松:ああ、知恵(笑)。外すと音痴ですよね(笑)。

深見:外すと音痴ね、なるほどね。

村松:そんな感じで僕が話をしている時に、何でニコルさんが喜んだかといったらね、普通プールの中でオシッコをするというのはね、よくやりますよね、子供の頃。それでね、プールからいったん出てね、そこへオシッコすると飛び込めないでしょ。

深見:うん。

村松:同じ自分のオシッコでも。

深見:そうそう、そうね。

村松:中にいると平気なんですよね。外へ出て自分の体から出すと客観的な汚物に見えちゃう。

深見:うん。

村松:これがね、何かこう、ほら、水とオシッコと自分が一体化していると大体のことが平気でね、つまり親とか兄弟が相当なことをやっても平気なんだけど…。

深見:ウーン、なるほど。

村松:一体化してないと、ちょっとしたことで神経とがらせるという部分につながるような気がして、それをしゃべってたんですよ。そうしたら、オシッコといえばもうウンコというふうに条件反射みたいに浮かんじゃう。  

深見:ははあ。

村松:それで、ある人が海でトイレがなかったから、沖へ泳いでいって、立ち泳ぎしながらウンコしたというんです(笑)。

深見:なるほど。

村松:そうしたら、それがプカっと鼻先へ浮かんできて、いくら逃げても追いかけてくるというんです(笑)。

深見:ウンコにも運動神経があるのかな。

村松:何か、水をかけばかくほどついてくる。

深見:やっぱり、水がこういうふうになりますからね。

村松:だから、なくならないんですね。

深見:なついているんじゃないんですか。

村松:そうですね。

深見:離れたくないと・・・・・・。懐かしくて、やっぱり。

村松:やっぱり、懐かしいんですかね。こう、ついてくる。そういう話をしていたらニコルさんが加わってきましてね、ウェールズの高い草が一杯はえているところで、友達と歩いていたら、急にあるやつが真っ青になって前のほうに走り出したというんです。

だから、「あ、これはウンコするんだな」と思って、同じスピードで走ったんだそうです。

葦の、要するに背の高い草がありますから、彼は必死になって走っているから、その横を同じスピードでニコルさんたちが走っててもわからないんです。

で、あるところへ来たらパッとしゃがんだというんです。そのしゃがんだ友達のおしりの下へ、持っていたシャベルをこういうふうに草のこっち側から持っていったらしいんです。

深見:そうすると……。

村松:そうしたら、そこへ、うわーんとすごく大きいのをやったらしいです。

深見:ダイテンウン。(「大天運」:深見:氏の著書)

村松:そして、やったなと思ったのを、すーと引いちゃったんだって。

そうしたら、そのし終わった男があたり見渡して、ウンコがないからその不安な顔といったらなかったって………(笑)。

深見:あ、どこ行った、“ウン”を逃がした(笑)。

村松:ウン”を逃がしたって言ってね。さっきの話と……。さっきは、自分のしたウンコに追っかけられて恐かった話でしょう。

今のは、自分のしたウンコが消えてなくなったという…(笑)。これはおかしかったですね。

そういう話をニコルさんが精力的に、使命感をもってしゃべるんです。女王様の国のイギリスには娼婦なんていうものはおりませんなんていう人がいるから「じゃ、あのテームズ川のほとりにたたずんでいるあの女は何なんですか」と言って、ぴっと見ると、女がいるわけです。

すると「ああいうものは、紳士の目には入りません」なんて。そういう世界がニコルさんは嫌いなんでしょうね。

深見:関西の人みたいですね、東京の人から見て。

村松:そうですね。

深見:そうすることによって自分たちの違いを……。

村松:だから、関西の人が、わざとえげつないようなことを言っている時に、非常に必死なものを感じちゃって、それを認めないと泣いちゃうんじゃないか みたいな気配がありますよね。

深見:そうですか、やっぱり不思議ですね。

深見:一人でも女性がいるとそうじゃないけれども、男同士の話になったらパッと変わりますね。

村松:それが礼儀みたいになっているんですよね。助平な話と汚い話ができないやつは友達じゃないみたいな……。

深見:なるほど、世界の教養人の心構えで、女性がいると上品な話をして、いなくなるとパッと話題が変わる。

私も、みんなの前では上品だけど、お弟子同士になるとパッと変わる。遠藤周作さんも好きですね、ウンコという単語が。今日のセミナーで司会をしていた西谷さんと僕の共通点は、一日一回、ウンコという単語をどこかで言いたい。

それ以外は、あまり上品で高貴な日々を送っているから、ストレスですね、魂の。言いたいんです、一日一回、どっかで。

村松:言ってしまうと、何かウンコ出したような感じがあります。爽快感が(笑)。そば屋なんか行って、開高健さんが書いた色紙なんかが、掛かっている場合があるんです。

それは、「この店のそばはよい雲古が出る」なんて書いてあるんです。

ウンコという字が「雲」に「古い」と書いてあるんです。それは、当て字なのか、そういう言い方が中国とかそういうのにあるのか知らないけど、だけど、それ、食べてから見ればよかったなと思いますよね(笑)。

深見:連想しますよね。コロッケなんか入ってたら、連想しますよね。

村松:カレーライスでなくてよかったなという……。いきなり、えらいレベルが落ちちゃった・・・・・・(笑)。

人間は風景―今、老人が見ごろ

深見:村松先生は、人間は風景だというお考えだとお聞きしましたが、橘先生(現 植松愛子女史。深見氏の師)が、人生は風景なんだとおっしゃっています。

村松先生は、人間が風景だとおっしゃって、「人生」と「人間」、「間」と「生」が違うだけなんですけれども、同じような感性を持ってらっしゃると思ったんです。

村松:僕は、すごくちゃちなことでそう感じる。この前も天龍川を静岡のほうからさかのぼっていって、その原点まで行くと諏訪湖に水を引いている。

その諏訪湖のところへ行って、観光ホテルみたいのに泊まったんです。

そうしたらおじいさんたちのツアーと一緒になった、とにかく食事をするのは大勢で大広間だし、うわーとゲートボールなんかやれるようなシステムになってて……。

大広間で食事したおじいさんたちが、エレベーターの前にあふれているんです。じゃ僕は階段から上がろうと思って、階段から上がっていったら、階段の踊り場のすぐ近くに、おじいさんが一人手すりに手をかけたまま、じーっとうらめしそうに自分の足の下を見てるわけ。

サァって上がろうと思って、ふっとそのおじいさんがそうやっているもんだから見たら・・・・・・。

深見:ウンコですか。

村松:いや、ウンコじゃないですよ(笑)。まさか、ウンコだったらすごかったですね、もう。

深見:その世界にちょっと入ってしまって。

村松:ちょっと、ウンコを忘れていただいて(笑)。そうしたら、自分の足の、今自分が立っている階段の二段下に、スリッパが一個落っこっちゃったわけです。

だから、こうやってやっとの思いで上がっていったんだけれども、スリッパが一つ落っこっちゃった。

それをとるためには、せっかく上がってきたのに、あと二段戻らなきゃならない。その戻ろうか戻るまいかという、決心を固めているわけ(笑)。

そうすると、もう鬼気せまるというか、手伝ってやるとか、拾ってあげるなんていう感じはしないんです。

じーっと見守るばかりなんです。そういう時のおじいさんの、「邪魔するなよ、おれの決心、今固めるぎりぎりなんだから」と思って、こうやってじーっとしているような感じというのは、やっぱり、どこか風景みたいなんですよね。

深見:風景ね。

村松:大体、お年寄りになってくると、そういう部分が出てくるんですけれども、おかしいですね。

こう見てて、深遠なことと単純なことが、これは深遠なことなのか単純なことなのかよくわからないみたいな部分があって、それをじ観ーっと見てると風景のように楽しめるという意味なんです。

例えば、目薬をさす時に、何で口をあけるのかなというね(笑)。

深見:確かに、こうあけますね。

村松:あれ目にさせばいいのに、目をつぶりますよね。つぶって、上向いて、口あけね・・・・・・。

深見:入りますね。

村松:つぶった目をこじあけたりなんかしてさすでしょう(笑)。それをやっていることが、不自然に見えないんです。

非常に古式にのっとってやっているような気がしますよね。だから、あれを鮮やかに両目をあけて、若い女の子がパチッとさすと、かえって何だか不自然に見えてね。

深見:ええ、ええ。

村松:所作にかなっていないというか、手順を踏んでないみたいな感じがあるでしょう(笑)。

そういうちょっとしたことが、じーっと見てるとおかしくてね。僕ら物書きのアングルというのも、物事を一つ上から見るアングルもあるんですけど、もうひとつ斜め横みたいなところから見るようなところがあるんです。

だから、例えば警官が泥棒を追っかけていたと。これを見ている時に、普通の人は、捕まるか逃げるかということばかり見てますね。

これを、ベン・ジョンソンとかカール・ルイスが見たら、姿勢が悪いとか(笑)、そういうふうに見る。

そういうアングルが小説家にもあるんです。だから、そういう感覚で物を見るという癖とか病気みたいなものがあって、そうすると何となく何でもない人が風景みたいに見えるんですよ。

それを大ざっぱにただ漠然と眺めているだけで、何かいいものを見たみたいなね。それは、やっぱりある程度の年をこなした人の場合が多いですよね。

ただ、風呂敷包みを停車場で解いたり結んだり、解いたり結んだり、何がそんなに大事なのかなと思うんだけど、その結び方が気に入らないわけです。

それを結んで、「あ、やっぱりこれ違う」と思ってやっているおばあさんなんていうのは、もう一時間ぐらい見てても飽きないですね。

深見:ええ。

村松:何か、そういう感じなんですね、僕の場合はね。だんだん、僕たちがぎりぎり見ることができる老人というのはいなくなってきちゃってるんじゃないかな。

不幸なことなんですけれども、戦争、病気、貧乏、それと嫁と姑の確執、それから震災、そういうようなものというのは、何かシンみたいな感じでもって人間を鍛えますよね。

それをクリアして、長生きも芸みたいになってきている今の老人。これから僕たちが年をとっても難しいでしょうね。

つまり、あるって言えばあるけれども、何にもないと言えばない状態のまま、医療と福祉が発達して九〇過ぎて、我が来し方振り返って、「一番厳しかったのは、共通一次試験かな」なんて、こういう老人が出てこないとも限らないですものね。

だから、今僕らはそうやって老人を見たら、立ちどまってただこう見てても飽きないから、よく「今、老人の見ごろだよ」と言ってね・・・・・・。

深見:見ごろね、確かにね。

村松:今見とかないと、だんだん老人がいなくなって、上原謙的な高齢者みたいなタイプが増えてくるんじゃないかと思うんです。

急に年とってからメガネのフレームかえちゃったり、頭にパーマかけて急にファッションに凝り始めて、それでピカーッとした感じでもって歩いていくような老人は増えるでしょうけれども。

だけど、どうも笠智衆みたいな老人というか、風景みたいな老人はだんだん減っていくと思うから、だから何か……。

深見:今、老人が旬ですね。

村松:旬ですね、これは(笑)。トレンディーですよ。

深見:特に、老人が人間の風景になりますか。

村松:僕は、年とってこないと…これね、いつも思い出すんですけれども、ある落語家と、落語が難しい、難しくないという話をした時に、彼は落語はやはり難しい部分があると。

何で難しいかと言ったら、お化粧をしないで女になるからだというんです。

役者は化粧をして女になるわけでしょう。ところが、落語家は化粧をしないで女になる。若い落語家が化粧をしないで女になること観を照れてやってたら、聞いてるほうが照れちゃうというんです。

それで、照れずにやられたらどうかというと、もっと聞いてられない。「どうしたらいいんで村すか」と言ったら、「いや、あとは年をとるだけだね」と、こう言ったの。

だから年をとるというのは、化粧をしないで女になるみたいなそういう不自然なことを、自然に見せてしまうようなところがあるんです。

どうも老人というのは、だれでも年とると老人になれるんじゃなくて、人間が年をこなしていって、到達する境地みたいな気がするんです。

深見:能楽でも、やっぱり極致は老人の芸ですからね。

老人をいかにうまく演じきるのかということが能楽師の極致ですから、それは、少しずつ一歩タイミングをずらして歩くんですけど、老人が老人の芸をするのは当たり前ですけれども、真ん中、壮年とか若い人が、老人の面をかぶって、いかに老人らしく見せていくのかというところが、芸の一番の極致で、老人の芸が能楽では極致なんです。

村松:それができればすごいわけですね。老人だから弱々しい、エネルギーがなえたよぼよぼのそのリアリティーを出せばその芸の極致に達する、というものじゃないんだと思うんです。

深見:ええ、ええ。そうです。

村松:あの、不思議なエネルギーを演じないといけないんです。

例えば、僕の親戚で九三ぐらいまで生きたおばあさんがいて、この人が九〇の誕生日の時に親戚の人を呼んで、「私は、とにかく一回みんなに聞いておきたいことがあったんだ」と言って、みんなは遺産の話かなと思って、何だろうと思って聞き耳立てたら、「とにかく、私は一回聞いておきたかったんだけど、私はおじいさんだっけ、おばあさんだっけ」と言ったという…… (笑)。

それで、僕はまだ小さくて実際は知らないおばあさんだけど、うちの親戚では、そこまであのおばあちゃんもぼけちゃったみたいに伝わっているんです。

でも僕は、九〇過ぎた時に、自分が男か女かということをそれだけ真剣に考え続けているなんて、冷静で、クールな、奇跡みたいな感じをもったんです。

それからこういうところもあると思うんです。九〇の誕生日の時に親戚の人を集めて、そのおばあさんは、ただ笑わせただけだったというね。そういうことがあるんですよ。

だって、泉重千代さんに「好きな女性ってどんな女性です観か」と言ったら、「年上の人だ」と言ったという……(笑)。

それに対して「そんな人いませんよ」なんて言ったってだめなんですよ。

やっぱり、そう言って笑わせただけかもしれない。そういう独特のユーモアとか、そういうユーモアに対するエネルギーというのがあるでしょう。

だけど、全体のバランスが取ないから、ちょっとおかしいような部分も出てくるわけだけど、その部分の鋭さを演じないと、老人を演じたということにならないんじゃないかという……。

深見:それが華というんですね、老人の華、能楽では。要するに、老人、老人で年をとっていたらよくないんで、そこにやっぱり華がある。

美しさがあり、華があり、芸があり、その老人の演技の中の美というものがあるわけで、それはやっぱり演技の力で醸し出すものだから本当の芸の極致ですね。

枯れた緩慢な動きの中にいかに観客に華を見せるか、美を見せるか。

村松:そうですね、そこだと思うんです。それを、普通の老人の中にも感じとらないと、本当に老人と接したことにならないですよね。

深見:僕は老人になるのが夢でしてね。

村松:ほう。

深見:老人の頃にこうなっているなというのが夢で、若い青山塾(現・東州学校)の女の子に言うんですよ。

またウンコの話になりますけれども、青山塾生で、今度、競馬の実況番組のディレクターになった人がいましてね、ラジオ局で。

実況放送するから、その競馬というものを実際に見てくると言うんです。

そんなんじゃ面白くないから、ちゃんと馬の生産したやつをもらってきなさいと言ったんですよ。

馬のそれを扱う練習をすると、僕が年をとった時に、塾生が全部下のお世話をしてくれるじゃないかと(笑)。まあ、本気で練習されちゃうと困っちゃうんだけど(笑)。

そして八〇、九〇になって亡くなる前に、「ちょっと待ってくれ」と言って、辞世の歌を詠んで、俳句を詠んで、川柳をやって、一曲リチャード・クレイダーマンを弾いて、それから言い残したいことがあるって、びゃっと達筆な字で書いて、これが遺書だという形で。

もう死ぬなと思ってから一週間ぐらいたたないとやり残しがあると。

年をとればとるほどいいというのは、書でも絵でもそうですね。空手とか若い時はいいけれども、年をとってできないというのは、私はあんまり手を出さ観ない。

年をとれば年をとるほどいいというものを、能でもお茶でも書でも、目に見えない世界での交流もそうですけれども続けていれば、年をとればとるほど楽しみになってきて差が出てくる。

それは今努力したら、将来おじいさんに なった時に、素晴らしいなという夢があって、やる気がするんです。

村松:百年の大計じゃないけどね。

村松のうしろには汗が見えない!?

深見:僕もいろいろ書いているんですけれども、先生は書きながらストレスを発散なさるそうですが、僕はものを書く時、いつも葛藤と苦しみで書いていて、村松:先生みたいに書ければいいなと。

途中でピンポンとクリーニング屋さんが来たら、「そこでクリーニング屋が来て」というふうに入っていく。

ある程度、僕もそういうところがありますけれども、文章を書きながらストレスをとるというのは、うらやましい限りでしてね。

村松:その時ぐらい興奮して自分が解放されてないと。対人関係よりはストレスないですよね。これも、またお絵かきというお字かきですからね。

深見:僕は対人関係のほうがストレスがないんですよね。ものを書いているということは……。対人関係のほうがストレスがないです。

村松:そうですか。

深見:はい。生きてる人間のほうが…。文章を書くのは、没入してくればいいんですが没入する入り口が苦しくてね。入っちゃったら、もう出られなくなるような世界ですけれども、どうやってすっと中に入れるんだろうといつも苦しんで。

村松:僕らは、職業ですからね。だから、自転車のハンドルをこうやって支えながら、ペダルを踏んで、体を曲げる時はどうやってとかって、いちいち頭でチェックをしなければ乗れなかった自分が、いつ、何も考えないのに自転車に乗れるようになっちゃったのかなというのを、結構思い出せないもんなんです。

泳ぐのもそうですね。ある時から泳げるようになるんです。

それまでは、かな苦労する。英会話なんかもそうだって聞きますからね。とにかくずーっとやって、こんなことでトンネル越えるわけないと思っていたのが、スポンと、あ突然歌を歌えるように英語がしゃべれるようになっちゃう。

だから、よく考えると、自転車とか水泳もそうですから、持続して、持続していったところに、なんかポンというところがあるのかもしれないですよね。

深見:小説の手法というのは、いろいろな人が書いていますが、遠藤周作さんのように、ずーっと鉛筆を削って、なかなか進まない、進まないと葛藤しながら苦しんで書いているという人いますよね、たくさん。

村松先生は、すっと入って、ぴたっと制限時間に年間、四百何本分の作品を上げると。そういう方は、あんまりいらっしゃらないですよね。

村松:それは、遠藤さんに言ったら、「いや、あのレベルでいいんだったら、そういうふうにできるよ」と言われるでしょう(笑)。

深見:そうですか。

村松:だから、そこででき上がる作品のレベルがありますからね。ただ、僕の特徴として、この前、糸井重里が「村松さんの後ろには汗が見えないもんね」と言うんですよ。

つまり、楽々やっているように、センスだけでやっているような感じがするから、編集者が、自分も応援してやろうとか協力してやろうとかというエネルギーを持たない。あの人は放っておいても大丈夫だろうと思われちゃう。汗が見えると、その汗の部分を自分が協力したいと思うと……。

深見:僕なんかは、もうびしゃびしゃですよ、汗で。

村松:それは、やっぱりいいんですよ。

深見:耳くそが入ってたりもしますよ。

村松:また、ニコルさんみたい……。

深見:究極的に、そっちに入っていきますんで……。

村松先生とお会いして、あれから『時代屋の女房」とか、いくつか作品を読ませていただいて、会話のやりとりというんですか、その文体のやり方というのか、「ああ、村松先生の世界」というものを感じまして、それから対話の文章がすっすっと書けるようになったんです。不思議ですね。

村松:それは、いいかげんに書けばいいというコツを覚えたとか……。

深見:いえいえ。リズムで。生きている村松先生にお会いして、作品を読ませていただいて、ああ、あの会話と、あの先生の感じで、すっと書けるという世界のことを思って、僕もそうなりたいと思って作品読んでて、しばらく思っていると、その会話のやりとりのところは、先生にお会いしたあと、何となく書けるようになったんです。

一つの壁をパンと越えたみたいで、あと細かい手法は、まだまだ未熟なところが多いですけれども、そういうふうにできればいなといつも思うんです。

村松:やらざるを得なくなっちゃっている立場と、とにかく一つ小説を書こうと思っている人のエネルギーってすごいですからね。

一つだけは、だれでも書けるわけだから。これは、山下洋輔さんというピアニストが言ってたんですけど、舞台の上でどんな名演奏をしてても、そこへ一人素人が出てきて、サックスを吹きながら、そこでばたんと倒れて死んじゃったとしたら、その日は、その素人にどんな手だれのプロのプレーヤーも負けるというんです。

深見:それはそうでしょうね。

村松:ところが、その素人は翌日も死ねないというんです。その一日だけは負けちゃう。ところが毎日、毎日死ぬ素人があらわれてくるかもしれないところでプロというのは成り立っているわけでしょう。

じゃ、その辺のプロのほうが素人よりうまいかとか、インパクトがあるかというと、ある一日をとってみると、プロスキーヤーとオリンピックの選手みたいなもんで、どっちがすごいかわからないですよね。

だから、種類が違うのかもしれないですね。小説を書くということと、小説を生業にしているというか、小説家というものとはね、多分。

深見:なるほどね。

村松:それが苦にならないというのは、やっぱり、よほど楽観的という部分もあるんですね。

深見:でも、才能でしょうね、それが。僕はそう感じますけどね。

村松:いや、その時、糸井重里が「村松さんを、野球の選手にたとえると」と言って、「高橋慶彦」って。ロッテにトレードされた広島のバッターがいるんですが、この人がやっぱり、自分のセンスだけでやってて、いくら練習しても練習しているというふうに人に見えない。

それで、今年トレードなんかされましたから、嫌な感じがしているなと思っているんです(笑)。

それと重なると ……。その話が何で糸井重里との話で出たかというと、例えば、新潮社、文藝春秋、角川とか、いろいろな出版社におけるVIPを、例えば十五人なら十五人、十人なら十人挙げたとします。

僕は、その中に入らないんです。つまり、その会社の大事な人になってない。

だから、それは何だろうかというと、要するに汗が見えないから、肩入れする感覚がないというんです。

だけどこれけ質で、しょうがないですね。汗を見せたい人もいるだろうし…..。僕は、汗が自然に見えるのは好きなんですけど。ものを書く人というのは、自分の作品の神話を自分でつくるようなところが必ずあるわけです。

深見:神話とおっしゃいますと。

村松:例えば、東京駅の六番線から十三番線の方向を見ていると、一分間だけそれが見える、つまりそのホーム間の電車が全部なくなって十三番線が見える時がある、というのを書いた人が前にいますけど、そうするとその人は、それ六番線のホームのベンチに座って、一週間見続けたみたいなふうに言うんです。

それを、ある時ふっと振り返ったらたまたまそういう状況があって、ああ、こういうことがプランとして成り立つなというふうに言ったのでは文学の重みがないですが、やっぱりそこでじーっとこうやって、ベンチでもって一週間こうやって同じところを見ていたあげくにこの作品はできましたというと………。

深見:神話が。

村松:うん。よーく出どころ探っていくと、自分からつくっているんですよね、神話はああいうのは、僕はあんまり好きじゃない。かといって、何にも神話がないというのも寂しい話ですけれどもね。

村松氏の前世は黙阿弥、守護霊は武田信玄

深見:村松先生は、前世は黙阿弥で戯作者で、その時のようにすっと書いていく。たしか、守護霊が武田信玄でしたよね(註:深見:氏は、以前村松氏と会った時に守護霊鑑定・前世鑑定を行なっている。この時の模様は、深見:氏の著書「大天運」【たちばな出版刊】に掲載されている)。

村松:びっくりしましたね。

深見:ブッチャーの顔によく似てましたね。守護霊様の顔が。ブッチャーの顔にそっくりで、武田信玄の顔というのは、諏訪大社のご祭神の顔にそっくりなんです。

諏訪のパワーというのは、無から有をわっと生んでいくものですから、瞬間に、うわっとやっていくというのが得意なんです。

村松先生も、やはり武田信玄が守り、その背後に、当然諏訪の大神様が守護してらっしゃいますから.どっちかというと、短期間にゼロからシュッと書き始めていくのが得意なのなと思ったりして。

村松:僕は前に俊寛という、喜界島に流された……。

深見:ええ。

村松:あれをモチーフにして、今パルコ劇場でそれを下敷きにした芝居を猿之助さんが演出してやっているんですけど、それを書いた時「俊寛のテーマ」というタイトルをつけたんです。

そうしたら、若い女の子なんか「シュンカンの「テーマ」と言って読んでましたから、瞬間的に…… (笑)。

そういうタイトルつけたりしたのも何か関連があるかもしれないですね。

この間、手すりにこうやってつかまって、じーっと下を見ていた、あの諏訪の観光ホテルのおじいさん。あれは、もしかしたら、ねぇ。何か現実のものじないかもしれないですね、そうやって人を見させるということはね。

深見:かもしれませんね。目がパッととまるということは。

だから、やっぱり武田信玄も、諏訪の神様の霊力と働きを受けていたんでしょうね。諏訪は龍神信仰が盛んでしたから、それだけの強い霊力とひらめきを受けて戦いがあって、まあ最終的には病気で倒れましたから、天下をとるとまではいかなかったようですが。

ですから、村松さんは傾向としては、何もなかった人間が裸一貫からなし遂げて、一国一城になったとか成功したとか、それで結末は、あんまりよくなかったとかという、こういうテーマをお書きになっていく傾向があるんじゃないでしょうか。そういうことはないですか。

村松:そうかもしれませんね。

深見:まったく何もなかったところから、ぐーっと一気にのし上がってなし遂げて、でも最期はどこか惨めさと寂しさがあって、武田信玄みたいにね。

そういうのに惹かれるんじゃないかと思うんです。プロレスはゼロからやったかどうか知りませんが。そういうテーマが、すーと浮かんでくるということはないですか。

村松:そうかもしれませんよ、傾向としてね。そうか、そういうことか。ここで、僕が教えられたってしょうがないんですけどね。

深見:いやいや(笑)。

諏訪の神様の傾向…。たしかご先祖が武田信玄の・・・・・・。

村松:そうなんですね。言われてびっくりしちゃったんですけど。先祖が武田信玄の家来の高坂弾正という人で、武田信玄が子供を二人逃がしたうちの、遠州に逃がしたほうの末裔だって言われているんです。

うちの来歴の中ではね。ですからびっくりしましたね、守護霊が武田信玄というのはね。無から有か……そうか。

ところで、諏訪大社は無から有を生むそうですが、鹿島神宮というのは、王座を守るという……。

深見:そう、既にできたものをね、守り繁栄させていく、そういう神力が特に強いです。

村松:鹿島へ行かなかったからタイソン負けちゃったんですね。タイソンは鹿島へお参りしてないですよ。

深見:そうでしょうね。挑戦者が諏訪へ行ったのかもしれません。

村松:そうかもしれませんね。

守護霊の陣立てがかわると違う才能が出てくる

深見:そろそろお時間ですが、諏訪の神様について、せっかくですからお話しします。

諏訪の神様の一つの強い傾向を受けて、ばっと一気に、無から有の世界を書いていくのが多いかもしれませんが、今後、全く違う世界を村松:先生が得たいと思ったら、結局背後の目に見えない世界を変えること。

つまり、守護霊の陣立てが変わっていくと、全く違う分野が出てきますからね。

前世といっても何度も生まれ変わってますから。前の前は、たとえばシチリア島のマフィアの元をつくっていたりしたかもしれませんよ。

人との出会いによったり、あるいは霊的な世界の交流によって四代前だったり七代前だったり、ずっと前の前世の観自分が出てきたりもするのです。

一度、今度は鹿島へ正式参拝されたらいいです。正式参拝というのはお玉串料を幾ばくか、千円とか二千円じゃなくて万単位で、一万か二万奉納して、お神楽を上げていただくものですが、そのように祝詞を上げていただいて、正式に行くと神様も正式に出ていらっしゃる。

これに対して、チャリンコ参りで、さい銭箱にチャリン、はい……というのでは、向こうもいいかげんに聞くわけではないけれど、「そうか」という程度。正式参拝なさって、目に見えない世界の陣立てが変わってきますと、守護霊の陣立てが変わる。自分の、今まで出なかった前世の才能が出てくる。そうすると、作品でも、分野でも……。

村松:ちょっと変わりますよね。

深見:人との出会いも変わってきますから。鹿島神宮に縁のある人が周囲に来て、何か与えてくれますから。

村松:そうすると、一社ぐらいのVIPに……。

深見:なるでしょうね。

村松:一社ぐらいね。

深見:なるんじゃないでしょうか。もう、大分でき上がってますから、一層深く食い込んで行くという鹿島のほうの要素がこれからは要るんじゃないんでしょうか。

村松:鹿島建設じゃないんですよね。

深見:じゃ、ないですね(笑)。

大体、三年ぐらいはこの調子ですけど、四年目からドーンといきますから。三年ぐらいは今の調子でいきますが、どんどん背景が変わってきますと、長編小説とか、あるいは政権をずーっと持ち続ける人の像とかという、今まであんまり感覚に合わなかった世界にも強くなってくるでしょう。

英雄の像というよりも、ずーっと政権を持っていく像というのが、その新しい分野に行くと大になるということじゃないでしょうか。

村松:当分は大というより中小ですね。

深見:三年はね。それから、ガーンと大へ行きます。

村松:しかし、今、由井正雪書いているんですがだめですね、やっぱり。

深見:やっぱり途中で…。

村松:それでペシャンですね。

深見:自分もそういう世界の波長がやはり……。

村松:ちょっと、それとつき合い過ぎましたね、その世界と。朽ち果てそうな倉庫を見ると泣けてきたり、演歌じゃないんだからね。

何かどうもね。ノックアウトシーンを見るでしょう。女の人は、ノックアウトしたボクサーを、新しい英雄としてうわーっと思って見ることができるらしいんですけど、男というのは、今栄光が崩れ落ちて敗者になっている人に、むしろセクシーさを感じる。それは翻訳でしたけど。

そういう男の感覚、廃墟の感性というセンスが男にはあるというんです。それが僕には当たっているなと思って、しかもちょっと濃くあり過ぎるんですよね。

深見:そうでしょうね。ですから、そういう霊界を形成しちゃいますから。

村松:そうでしょうね。なるほどな。

深見:もう、そういう世界がある程度できたら、次の新しい分野というのは、やっぱりそうじゃない。ノックアウトして、勝ち誇っている人の中のロマン――力と技の男のロマン、猪木ですね。

村松:猪木の世界に行きますか。

深見:鹿島へ行って、一つのターニングポイントをお迎えになったらよろしいんじゃないでしょうか。

きょう、こういう時のご縁で講義もお聞きになったということですから、面白いんじゃないでしょうか、幅ができて。

いろいろとありがとうございました。村松友視さん、どうもありがとうございました。

村松:こちらこそ、ありがとうございました。
(平成二年二月十一日=九段会館=より)