黄金輝く経営者になる秘伝!! 深見所長講演録21(Vol.4)

大企業のサラリーマンは役に立たない

松下幸之助があれほどまでに正鵠を射た言葉を発したのは、さっきも言ったように、ゼロから会社を立ち上げ、営業やら雑用やら何から何まで全部、自分でやってきたからです。

つまり、すべての業務に精通していたからです。

大会社で働いている人間は、どんなに有名な会社であれ、一流の会社であれ、しょせんは歯車でしかありません。鉛筆一本買うか買わないかといったことまで、いちいち上司の許可をもらわなければいけないし、新規に開拓した取引先の信用調査をするときも、信用調査会社に委託すれば済むので、信用調査とはどのようなものか、知る由もありません。

要するに、個人としての能力が広がりにくいわけです。自分の専門分野については強いかもしれないけれど、ほかの分野のこととなると素人同然になってしまうのです。

そういう人たちが一本立ちすれば、電話の受付からお掃除から、広告、販売、在庫管理、人の採用、電話番まで全部、自分でやらなければいけないのです。

だから、大きな会社にいた人が独立すると失敗することが多いし、中小企業に行っても役に立たない場合が多いのです。

私たちの会社にも、中規模、大規模の名の通った企業から何人か中途採用で来ていますけれど、一個の歯車としての働きは十分であっても、仕事全体を見通した立場の能力となると、疑問符をつけざるを得ません。

ですから、中小企業の経営者の場合、大企業から優秀な社員を引き抜いても、役に立たないと思ったほうがいいです。中途採用するなら、自分の会社と同じような規模の会社か、ちょっと大きめ、あるいはちょっと小さめの企業から引き抜いたほうがいい。そういう人なら、ある程度いろいろなことをやっているはずですから、どんな仕事でもできます。

商社でいうならば、繊維部門の人は商売に強い。繊維部門の商品は一メートルが何円という商品単価ですから、一つひとつ細かく検品しなければなりません。

だから、売上の金額は小さいけれども、繊維部門で働いていると、知らず知らずのうちに、伝票を切るといったような細部にわたる実務能力が磨かれます。

それに対して、プラント輸出といった、一件当たり何億、何十億とするような取引の部門で働いている人は、概して実務に甘いんです。学校を卒業して即、そういう部門に就いた人が、その後、繊維部門に回されるとノイローゼになってしまうことが多いらしいですね。

それまで何億、何十億という商談をしていた人が、いきなり一メートル何円という商品を扱い、いちいち検品しなければならないわけですから、ノイローゼになるのもうなずけます。

こんなに仕事をしても、売上はたったこれだけなのか、と。金額が小さいものだから、もう虚しくなってしまうんでしょう。

ところが、最初に繊維部門へ配属された人は、そういう検品のような細かい仕事もするし、わずか一メートル何円のところから計算を起こして、二十メートルだから何円だとか、何トンだから何円だというような細かい実務も全部できる。だから、そういう人はどこの部署に行っても重宝がられるはずです。

文房具の卸問屋で営業している人もそうです。消しゴムが一個五十円とすると一ダースで六百円。鉛筆一本が十円とすると一ダースで百二十円。その消しゴムを二ダースと鉛筆を一ダースほしいという注文が入れば、「はい、分かりました。さっそくお持ちいたします」と言って、文房具店へ納品に行くわけです。

消しゴムニダース、鉛筆一ダース。一個五十円の消しゴムが二ダースで千二百円。鉛筆一本十円が一ダースで百二十円。合計で千三百二十円といった具合で、納品伝票を切っても、合計金額が千円とか二千円とか、多くても五千円くらいです。

ブティックへの営業ですと、ブラウス一枚が五万円とか六万円とか十何万円とか、納品伝票でも何十万とかなります。

だから、ブティックに卸しをしていアパレル関係の営業マンが文房具の問屋さんやメーカーの営業マンになったら、何千円という納入金額の少なさでやる気を失ってしまうのだそうです。

同じように、不動産関係で何億という商売をやっていた人が、文房具の問屋さんに来たら意気消沈してしまう。

一つの物件を売れば二億円とか三億円とか、最低でも何千万というマンションセールスをしていた人が、文房具の営業をすると、納品伝票が何千円の世界です。

たとえば、「ちょっとこれ返品したいんですが……」という電話がかかってきて、「ちょっとそれ困ります」と言いながら、千二百円の返品を受けるか受けないかということで、何時間も電話で交渉したとしたら、虚しくなってきて、続かなくなるのでしょうね。

最低でも三年間は他人の飯を食わせろ

ちょっと横道にそれました。後継者の養成問題に話を戻しましょう。

さて、世間一般の経営者は、後継者を育てる場合にどうしているのか、ということを考えますと、後継者たる自分の息子を自分の会社に置いておくと、だいたいがダメになります。

要するに、甘やかしてダメにしてしまうわけです。というのは、自分の会社に置くと、社長の息子だし、次期社長だからといって、周りもチヤホヤするし、甘やかしてしまうからです。

先日、テレビで見ましたけれども、旧ソ連のスターリンの子どもたちは、権力者の子どもだからということで、周りから甘やかされて、全部ダメになっています。やはり社長の子ども、会長の子どもということになれば、周りの人間は誰だって遠慮するし、甘やかします。

そうやって甘やかされた分、職能力は磨かれないし、人間的にもどこかいびつになります。

自分の会社に置いておけば、親としても安心できるし、当人にとっても楽です。

しかし、最初にお話ししたように、立派な後継者に育成するためには、手間隙、時間、労力、エネルギー、お金をかけなければならないのです。

そうやってじっくり育てたら、育てた分だけ成果が上がるんです。しかし、手を抜いたら、抜いた分だけダメな人間になる。だから、賢い経営者は、自分の息子を最初から自分の会社に入れるようなことはしないのです。少なくとも三年間は、他人の飯を食わすのです。

たとえば、清水建設の経営者の息子は清水建設に入れないのです。少なくとも三年、できたら十年ぐらい大成建設に入れる。

同業他社に預かってもらい、他人の飯を食わすわけです。業種が同じだと仕事が覚えられます。

だから、同業のライバルなどに息子を預かってもらい、しかも、できるだけやりにくい上司のところに配属してもらったりして、苦労をさせるのです。

他人さんの飯を食うだけでも、ボンボン育ちの人間にとってはつらいことですけれど、やりにくい上司の下にいたら、嫌でも仕事を覚えるし、人間的にも磨かれます。

そうやって、人に使われて初めて、人が使えるようになるわけです。やりにくい上司の下にいたら、その下にいる人間がどんなに嫌な思いをするのか、体を通して学べます。

ああいう言い方はよくないね、とか、ああいうふうなことを部下に押しつけるのはやっぱり耐えられないよな、とか、いわゆる人間学が自然と身につきます。

ということで、最低でも三年、できたら十年。自分がまもなく現役を退くというときまで預かってもらう。

理想をいえば、課長か部長になるところまで他人さんの飯を食わせてもらって、甘やかされるどころか厳しくビシビシと鍛えられるような環境の中で学んでいく。

目上に対してはどう仕えたらいいのか、同僚と部下に対してはどう接したらいいのか。そういったことを勉強するのです。

そして、いよいよ自分の会社に戻して跡を継がせるという段になったら、厳しい環境の中で甘やかされることなくビシビシ鍛えられていますので、立派に会社を継ぐことができる。

ですからお互い、大成建設の息子さんは清水建設に預け、清水建設の息子さんは間組のところに預け、間組の息子さんは竹中工務店に預け、というような形で、同じような種類の同業者に息子を預け合いするわけです。

こうすることによって、自分の子どもを遊び好きでない働き者に育てる、と。甘やかさないでしっかり育てる、と。

向こうもお互いが預かっていますから、甘やかすことなく、ふつうの社員として扱うわけです。

ですから、能楽の家元でも、自分の息子を他流派の能楽師のところにしばらく置いといて、ボロクソに言われながら修業をするように仕向けたら、もっと素晴らしい家元になるのではないかと思います。

流派が違うと謡い方その他も違うので、実際にはできないんですけれども、そういうふうにすると、ものすごく素晴らしい家元になるのではないでしょうか。

そのように世間一般の企業では、立派な後継者を養成するために、他人の飯を食わすということをしています。製薬会社だったら、自分の息子を同じ製薬会社のところに、「すみません、ウチの息子、預かってください」とお願いする。

自分の会社に置くと、御曹司だし、次期社長だからということで甘やかされてダメになるので、同業他社のところへ他人の飯を食うために行かせるわけです。

どんなに短くても三年は置き、五年、十年と、しっかり修業させます。製薬会社の後継者、建設会社の後継者、お互いがみなそれぞれ同業のお仲間のところに置くようにしています。

ところが、建設会社の跡取り息子が、将来のためにブティックの店員になったというのでは、ほとんど意味がありません。業種が違うからです。

たとえば、息子は下着が好きだからというのでワコールの社長にお願いして、十五年間ワコールで商品開発を担当させてもらって、このモデルに合うか合わないかと一生懸命やっていたのが、突然お父さんが病気で倒れたからということで、父親の会社に戻ったところで、どんな家を建てるのか、と。ブラジャー型のピラミッドみたいな建物を建てるのか、と(笑)。

あまりに業種が違いすぎると、父親の跡を継げないでしょう。ですから、自分の跡取り息子を同業他社に預かってもらうケースが多いのです。

手間隙、労力をかければ後継者は育つ

このように、手間隙、時間、エネルギー、お金をかけて、同業他社にお願いして預かってもらうと、甘やかされないし、怠け者にもならない。

親の元に置いておくと、とかくわがままになりがちですけれど、他人さんの飯を食いに行かせますと、しっかりとした後継者に育ちます。

可愛い子どもだからといって、若いころからチヤホヤし、甘やかせておいたらどうなるか。人々が尊敬したり、チームワークを創出したり、決断と実行で仕事ができる優れた後継者になれるはずがありません。

たとえ早めに譲って、後見人として見守ろうとしてみても、若いころから甘やかせていたら、やはりうまくいかないでしょう。

ですから、後継者としての基礎は、若いころにちゃんとつくっておかなければいけないのです。その計画性を持たなかったら、どんなに早くお父さんが引退して息子のアドバイザーや後見役になったとしても、大して期待はできません。

勉強せずに遊んでばかりいる、体験実地がなにもない、雑用は嫌がるなど、ないない尽くしのうえに、贅沢三昧、わがまま三昧、遊び三昧ときたら、「あのバカ息子が」と言われるだけです。

そのわがままなところをなくし、きちんと常識をわきまえるために、いかに他人の飯を食わせることが重要か、ということを、賢い経営者は分かっているから、「大学を卒業したらこの会社に行くんだぞ。わしのそばに置いとくと、つい甘やかしてしまうだろう。わしも甘やかすし、社員も甘やかすし、お前も甘えるだろう。それでは会社の将来のためにも、お前の将来のためにもよくない。

だから、最低でも三年間は修業をしてきなさい。とくに優秀で辣腕家と言われる厳しい人の下に置いてもらうから、しっかり耐え忍んで勉強してきなさい」というふうに、他人の飯を食うように差し向けるんです。

つまり、獅子がわが子を千尋の谷底に突き落とすように育てるわけです。

ちゃんと計画性を持って、手間隙、時間、労力、エネルギー、お金を惜しまずに育てるのです。そうすれば、立派な後継者になります。

しかし、そういう努力もせず、甘えん坊の怠け者の子どもがそのまま大人になったところで、いったい誰がついてくるか、なんです。体験実地がなければ、決断と実行ができない。会社を継承するだけの実力が備わっていない。遅かれ早かれ、その会社は潰れます。

そういうことで、後継者になることが決まっている人は、いま言ったことをよく理解して、「ぼくは将来、お父さんの会社をしっかり引き継ぎたいと思う。

しかし、学校を卒業してすぐにお父さんの会社に入ったら、きっと甘えてしまうだろうし、お父さんも甘やかしてしまうでしょう。

それに、従業員のみんなもぼくのことを大事に扱うだろう。そうなったらダメ人間になってしまうし、会社にとってよくないので、ぼくはあえて他人さんの飯を食ってきます」と言って、最低でも三年か五年、できれば課長か部長になるくらいまで、他人の飯を食いながら体験実地主義で決断力、実行力を身につける。

かつまたチームワークを創出していくリーダーシップ、チャレンジ精神、プラス思考を磨き、みんなを統率して引っ張っていく。誰からも尊敬されるような人間になるために、つねに勉強して、何でも謙虚に学んで幅広い知識と教養を高めていく。

そうやって寸暇を惜しんで勉強し、そして何でも体験実地主義で、雑用を厭わずに一生懸命に働いていれば、どんな会社に行っても自然と認められ、地位も上がっていきますし、会社を立派に継承できるだけの実力が身に備わります。

そのように、あえて父親の会社と似たような会社に就職する。スパイかと思われるかもしれませんけれど、そういうときには身分を押し隠してでも、三年なり五年なり、同業他社のなかで実力を磨いていく。

そういう努力を営々と続けていけば、必ず立派な後継者になります。

そうしておけば、お父さんがいよいよ現役を引退するときがやってきても、何ら戸惑うことはありません。すごい実力を持っているから、スムーズに会社を継ぐことができます。

一般に、弟子が師匠を継承する場合、師匠の二倍の実力がないと継承できないと言われています。

年齢とともに師匠の実力も退化していくわけですから、現在の師匠と同じ実力であったならば、師匠の全盛時代の実力にはかなわない。

だから、最低でも師匠の二倍の実力がなければ師匠を継承することはできない、 とされているわけです。

師匠の二倍くらいの実力があって初めて、本当の意味での継承ができるんだ、ということです。

少なくとも、そういうふうな気概を持って、他人の飯をまず食ってこいよ、と。学校卒業と同時に父親の会社に入れば、従業員の誰もが社長の息子と思って甘やかします。

言いたいことも言えないし、先々の自分の保身も考えて、ゴマをすったりして近寄ってきますから、知らず知らずのうちに裸の王様になってしまいます。

ですから、本当によき継承者になろうと思うなら、あえて甘やかされない環境を自ら選んで、本当の実力を磨いてくるという心構えが必要です。

そうでなければ、お父さんの会社を継承しても、会社を傾かせるだけでしょう。

いずれにしても、他人の飯を食いながら決断力と実行力を磨き、かつまた、家康公や松下幸之助が言ったように、創業者の原点に返っていけば、絶対に間違いありません。

実力があり、人間性という点でも磨かれているわけですから、黙っていてもみんなが押し上げてくれます。すごい実力のある、素晴らしい継承者だと。

また、業績が悪くなっても、「よし!」ということで、従業員の先頭に立っがむしゃらに突き進んでいけば、危機を乗り越えることができるはずです。もともと実力があるわけですし、マーケットの動向もきちんとキャッチできているはずですから。

ところが、甘やかされた二代目はこうは行きません。とくに現場のことがよく分かっていない場合は、非常に危ういんです。

決断力と実行力があったとしても、現場が分からなければマーケットをがっちりとつかめません。マーケットの動向は理屈ではありません。

机の上で考えたところで、マーケットの動向が分かるわけがない。現場に立つしかないんです。だからこそ経営者は、体験実地主義でなければダメなのです。

船場の商人に学ぶ後継者育成法

体験実地主義を貫く働き者であれ、ということに関していえば、大阪の船場のやり方は大いに参考になります。というのも、船場の跡取りは、小さいころから「シジミ売り」をさせられたからです。

跡取り息子でも娘でも、あるいは長男であろうと次男であろうと、商売の能力、才能がなければ、継承したとたんに店は潰れます。

潰れないまでもライバルに先を越されてしまうでしょう。そこで、船場の商人は自分の後継者をどういうふうに育てたかというと、実際にあった話らしいですけれど、小学校低学年くらいから、シジミ売りに行かせていたのです。

「シジミを売ってきなさい。シジミを売ってきたらご飯にしよう」

「はい」

ということで、将来、店を継げるだけの立派な商人にさせるために、小学校の低学年のころから、一人でシジミ売りに行かせたわけです。

大きな問屋さんとかの御曹司が、「シジミー。シジミー。シジミいかがですかー」と売って歩くんです。

「おじさん、シジミいかがですか」

「シジミ?要らんわ。あっち行け」

「シジミー、シジミーはいかがですか」

「ぼく、シジミ売ってんの?」

「はい、お安くしておきます」

なんて言いながら、売りに歩いたそうです。

物心がつく小学校低学年くらいからシジミを肩に背負わせて、「シジミー、シジミはいかがですか」と売りに行かせるなんて、よくやるなあと感心しますけれど、買ってくれた人には、「おおきに。またよろしくお願いします」と、まだ年端も行かない小さな子が言うんです。

しかしときには、「あっち行け。うるさい」と、犬猫同然に追い出されることもあるでしょうが、そういうときには、「すみません」と謝って、そしてまた、「シジミー、シジミー、シジミいかがですか」と、歩き続けるわけです。

そして、シジミを買ってくれる人がいたら、その人は大事なお客さまだから、

「ありがとうございました。またよろしく」と丁寧に頭を下げる。

そのほか、お金の計算も間違わないようにしなければいけないし、売れ残ったら売れ残っで、「こんなに売れ残ってどうする。

もう一回、行ってきなさい」と叱られるわけです。「嫌だぁ」と言ったら、「わがまま言うな。ちゃんと売ってこなければご飯はなしだ」と、バチッと叩かれる。

それで仕方なく、「シジミー、いかがですか」とまた売りに行く。

そうやって、小さいころからシジミ売りをさせて、商売のイロハを叩き込むのです。

お客さんの目を見ただけで、買ってくれる人なのかどうなのかが分かるようにするために、徹底的に教え込むわけです。

買ってくれる人もいれば、買ってくれない人もいる。腹立つこともあるし、嫌なこともある。

それでも辛抱して、頭を下げて商品を買っていただくという練習を小さいころからさせる。体験実地主義を貫く働き者に育てるためにはシジミを売るのがいい、ということで、大阪の商人は昔からそういうことをやってきたわけです。

私も、神様の道に行くことになるなんて思ってもいませんでしたけれど、大学生のころはESSの部長として四百人以上の部員を育てました。

そして、大学卒業後は一年間時計のセールスをして、一生懸命飛び込みの営業をしていました。

それから、商社を興す前に、健康機器の訪問販売もしました。健康機器の訪販なんかは犬猫のように扱われるんです。

いろいろなところに売りに行きました。ガソリンスタンドも行きました。また、知り合いに健康機器、低周波治療器を売りに行きました。

ですから、そのころからいる社員は、みんな商売がうまいんです。どんなところでも開拓していきます。その後、ルートセールスに脱皮ができ、カシオとかセイコーの「アニエスb」とか、名前のよく通ったブランド品を売るようになったんですけれど、それ以降に入社した営業マンはダメですね。相手が嫌がるのを喜ばせながら、何とか買っていただくということができないんです。

飛び込み力も弱いし、返品をネジ返すということもできない。

創業のころからいたスタッフは全員、抜群の飛び込み力があります。ここに納めたいというところがあれば、真っ正面からバーンと飛び込んで行って開拓していきます。

そういう基礎を、私はゼロからつくってきました。

ですから私は、雑用であろうと、陰の仕事であろうと、何でもします。「シジミ、いかがですか」ということはやりませんけれど、どんなところでも気さくに、偉そうにせずに、誰にでも頭を下げます。

神仏に頭を下げるだけではな人間様にも頭を下げて、神様の道であろうとどんな道であろうと、どんどんと広めていきます。

私の場合、そういうふうに神様に教育されたわけですが、昔の人は、小さいうちから親にしつけられ、商売のやり方を厳しく仕込まれたわけです。能楽師も将来がかかっていますから、ものすごく厳しく仕込みます。

能の技術に関しては非常に厳しい。歌舞伎ももちろんそうです。物心ついたときから仕込みます。

そうやって小さいうちから仕込まれることによって技術が身につくのです。

だからこそ、一生涯やっていけるわけで、歳を取ってから技術を修得しようと思っても、なかなかできません。

では、小さいころからわがまま放題で勉強しない、性格も暗い、働き者ではない、という息子だったらどうするのか。

甘やかしたために、要領をかますし、雑用を他人に押しつけて、自分では絶対にやろうとしない。

そればかりか、親の目を盗んではすぐに、どこかに遊びに出かけてしまう。そんな息子が後継者になったら、会社が潰れます。ですから、そういう場合には、息子に継がせないことです。もう手遅れです。

学校を卒業するまではわがまま放題だったけれど、社会人になるのを目前にして本人が自覚し、自ら進んで他人の飯を食いに行きたい、と申し出たりするようなら大丈夫かもしれません。

しかし、そんなのは嫌だ、とにかく親元にいて楽をしたい、というだけのドラ息子に会社を継がせたら、間違いなく潰れます。

だから、不幸にしてそういう息子に育ってしまった場合には、これはもう継がせないことです。

財産は譲っても、会社の経営権まで譲ってはいけません。 そんなことをしたら、みんなが不幸になります。

とくに、従業員が何百人もいるような会社になると、従業員、従業員の家族、そして取引先にいたるまで、みんなを不幸にします。

では、そういう場合、誰を後継者に選んだらいいのかといいますと、やはり、「雑用は判断のゆりかごなり」のとおり、体験実地主義で一生懸命に働きながら、決断力と実行力を身につけてきた人を後継者に指名すべきです。

その場合、もし同じくらいの実力の持ち主が複数いたらどうするか。

それは、チームワークを創出できるリーダーシップを持っている社員。その人に後任を委ねるのがベストとまでは言わないまでも、よりベターな選択ではないかと思います。

リーダーシップの有無はこうやって見抜け

ただし、リーダーシップがあるかないかは、外見からではなかなか判断できません。そんなときの一つの大きな判断材料になるのが、その人の経歴です。

私の著書でも書きましたけれど、高校時代、大学時代に、生徒会や体育会の会長をしていた人とか、体育系のものすごく厳しいクラブ、たとえば、レスリング部とかテニス部とかバレーボール部、野球部とかのキャプテンをやっていた人なら、リーダーシップがあると判断して間違いないでしょう。

先輩にしごきぬかれて、「すみません、すみません」とチームメイトを代表して謝ったり、ときには涙を流したりしながら、「みんな、頑張ろうぜ!」とチームメイトや下級生を叱咤激励する。

そういう体験を積み重ねてきた人なら、リーダーシップを身につけていると判断していいでしょう。

この間(平成十三年一月)、箱根駅伝をやっていましたが、平成国際大学にアフリカから来た選手が、たどたどしい日本語で、「みんなー、頑張ったけどー、これをー、バネにー、次回はまたー、頑張りたいと思いまーす」なんて言っていました。

その脇で、日本人のキャプテンが泣きながら、「今回われわれが学んだことは悔しさだけだ。この悔しさをバネに来年は頑張りたい」と語っていました。そういう体験の積み重ねがリーダーシップを育むわけです。

ひと口にチームワークの創出といいますけれど、ある程度の体験がないと難しいことです。一朝一夕に身につくものではないからです。

やはり、大学の体育系クラブでキャプテンをしていたとか、あるいはサークル、学術団体などで大変な労力の要るキャプテンないしは部長をしていたとか、さらにいえば、中学、高校、大学で生徒会などの会長や副会長をしていたとか、そういう体験が不可欠です。

だいたい、クラブのキャプテンにしても生徒会の会長にしても、やることと言ったらほとんどが雑用です。

段取りから後始末までを全部やらなければいけない。それが「嫌だ、面倒くさい」という人には、クラブのキャプテンや生徒会長は務まりません。

とにかく雑用を厭わず、キャプテンとしての責任を果たす。この体験がのちのち社会人になってから生きてくるわけです。

私の場合、大学生のときは英語でしたけれど、四百人からの部員を抱えるE SSの部長でした。高校時代は一年のときから生徒会の役員をやりました。高一、高二、高三と通すと、全部で六つくらい、生徒会の役員をやりました。

それと並行して、世界救世教の学生部の部長等もしていましたから、合計すると七つも八つも役員をしていました。

高校時代は生徒会活動からクラブ活動、宗教活動まで、何でもやっていました。

実は、高校時代というのは人格の形成時期、つまり、御魂が顕現する時期でして、高校時代に何をやっていたか、どんな生活を送っていたかを見れば、その人のおおよその人間性、内面性が判断できます。

いずれにしても、社交ダンスであろうと、マラソンであろうと、 ESSであろうと、あるいはUFO研究会でも何でもいいんですけれど、ふつうはキャプテンが一番勉強しています。

生徒会の会長もやはり勉強しています。生徒会の生徒会長がものすごく頭の悪い人間で、何の知恵も知識もなかったら、ボイコットが起きますよね。

ですから、高校時代に生徒会長をしていたとか、クラブのキャプテンをしていたとか、大学時代にも体育系のキャプテンをしていた人は、少なくともチームワークを創出するだけのリーダーシップがあって、みんなが尊敬する優れた人間性が、ある程度はあります。

雑用でも何でも一生懸命やらなければいけな体験実地主義を、程度の差こそあれ、体験しているはずです。

そのように、リーダーシップというものは、学生時代のクラブ活動や生徒会活動を通して自然に備わるものであって、いきなり身につくものではありません。

経営もそれと同じです。中学、高校、大学と生徒会活動もしたことがないし、クラブのキャプテンもしたことがないし、ボランティア活動もしたことがないし、宗教団体の支部長もしたことがない人間が、いきなり突然、リーダーシップとかチームワークの創出ができますか。

昨日と今日の二日間、皆さんもタスク(※)を体験されて、チームワークとはどういうものであり、どうやったら互いに助け合うことができるかといったことを学んだと思いますが、タスクを一回や二回やったからといって、すぐさまチームワークを創出するリーダーシップが身につくというものではありません。

もしも、タスクを広める会なんていうのがあったら、「天は自ら助くる者タスク」んですけれども(笑)、十代、二十代でこういう体験を積み重ねてきた人ならまだしも、そうでなければ、ちょっとタスクをやったところで、リーダーシップというものは、身につくものではありません。

だから、息子はきちんとした計画性に則って育てなければならないのです。娘しかいなかったら、娘に会社を継がせてもいいんです。

息子のほうが確率が高いですけれども、息子であろうと娘であろうと、「大いにクラブ活動をやりなさい。キャプテンになって頑張りなさい。生徒会活動も大いにやりなさい。あっちからもこっちからもこづかれるだろうけれど、一生懸命に雑用をやって、みんなの意見を束ねなさい」とアドバイスすべきです。

さっきも言ったように、生徒会の活動は、基本的に雑用ばかりと考えていいです。

私も高一から高三まで生徒会の役員をやっていましたけれど、もう雑用ばかりでした。みんなのための雑用。クラブ活動のキャプテンも雑用ばかりです。だから、大いに生徒会をやらせる、クラブ活動をやらせる。体育系のクラブ活動をやらせるのです。

そうすれば、知らず知らずのうちにチームワークを創出するリーダーシップが培われています。

学校の勉強で育たないんだったら、クラブ活動、課外活動で育てるんです。

そして、社会に出たら他人の飯を食わす。同業他社に頼んで、最低でも三年から五年。できればもうちょっと預かってもらって、ビジネスマンとしての基礎が身についたら自分の会社に入れて、数年してから継がせれば、立派な後継者になります。

実力がありますし、常識もわきまえているし、甘やかされていないから、仕事がよくできます。

中学、高校、大学時代をそういうふうに過ごすように仕向けると、リーダーシップを持った子に育ちます。

たとえば、体育系のテニスクラブに入ると、最初はほとんど球拾いや後片付けばかりです。

練習が終われば終わったで、先輩の肩をもまされたり、先輩のデートの段取りをさせられたり、そんなことばかりです。ときには先輩から、「別れた彼女を励ましてきてくれ」と命じられて、「先輩だけが男じゃない。ほかにもいい男がいるから、君、頑張ってね」と、見も知らぬ女性のところへ出かけて行ったり(笑)、あるいは、「俺に生霊が飛んでこないようにしてこい」と命じられ、「先輩の代わりにぼくを怨んでください」と言っては、「天仙生き霊封じ秘寿符」をやってみたりね(笑)。

テニスクラブにかぎらず、体育会系のクラブはどこも似たようなものかもしれません。

そうやって、球拾いから後片付け、グラウンド整備、部室のお掃除といった雑用をやっているうちに、だんだん何でもできるようになっていくわけです。

しかし、そういうこともせず、責任は負いたくないし雑用するのは面倒くさいし、体育会系は厳しいから嫌だ、と。

それで、同好会あたりで適当にやっているようでは、初めからダメです。クラブ活動もせずに、生徒会もやらずにフラフラしていた人が、リーダーシップを身につけようと、突然タスクをやったところでなかなか難しいです。

しかし、人間というのは、自覚したときから育ち始めるわけですから、「そうか、これまでの生き方は間違っていた、いまからやり直そう」と、心を改めれば何とかなります。

ただしそれも二十代までの話で、三十代だったらやめたほうがいい。そういう人はもう、エキスパートとしてやっていくべきです。フリーのカメラマンとかデザイナーとかライターとか、何か秀でた能力、才能を生かしたエキスパートとしてやっていくほうがいい。

チームワークの創出が求められる会社の経営者とか、後継者になるなんてことは考えないほうがいいでしょう。二十代ならまだしも、三十歳を過ぎてからでは厳しいです、はっきり言って。

それはともかく、息子がもうダメになっちゃった、と。クラブ活動もやってないし、生徒会もやってないし、他人の飯も食ってない。わがまま放題で遊び好きで、人間性はゼロ。

みんなから尊敬されるどころかバカにされているし、まるで勉強しない。幅広い教養も学問もなく、雑用は人に押しつけるだけで楽なことばかりやっている。

こんな息子が後継者になったら、会社は間違いなく潰れます。そういう場合、誰を後継者に選んだらいいのか、いま申し上げた三つを参考にしていただければいいのではないかと、そのように思います。

※当時、二泊三日等の日程で行われたリーダーシップ養成のための合宿

アテにならない大学名

一流有名大学を出ているからといって、優秀な後継者になるとはかぎりません。やはり、高校時代や大学時代にチームワークを創出するリーダーシップを身につけているかどうか、それが大事です。

極端な話、左翼系で棒を振っていてもいいんです。リーダーシップを発揮して、先頭に立って棒を振って、もっと強い桜の紋印にバーンと一発殴られて牢屋に入れられたとか(笑)、そういう経験のある人でしたら、後継者になっても仕事ができるでしょうね。

とにかく、実地の仕事ができる人は、雑用でも何でも嫌がらずにやります。

聞いてみたら、クラブ活動でキャプテンをやっていた、生徒会活動をやっていた、ボーイスカウトでスカートを編んでいた、と。ボーイスカートって(笑)。

会社の後継者となる人は、体験実地主義で働き者でなければいけない。それはどこで養成されるのかというと、中学、とくに高校や大学のクラブ活動、生徒会活動です。

ですから、一流の商社にしても、そういう学生を優先して採用します。勉強がまあまあでも、ある程度の大学である程度の成績だったら、レスリング部のキャプテンだったとか、野球部のキャプテンだったとか、ラグビー部のキャプテンだったという学生を優先的に採用します。

そういう経歴の学生は、企業が求めるリーダーシップを身につけていますし、体力もあるので、商社ではそういう人材を採用したがります。

ちょっとくらい学校の勉強ができなくても、学校で学ぶ勉強は社会ではあまり役に立たないし、仕事に必要な勉強は、会社に入ってからするわけですから、学校時代の成績よりむしろ、目上や同僚と仲よくやっていけるかどうか、部下の面倒見がいいかどうか、チームワークを創出するリーダーシップがあるかどうか。

そういうところを見るわけです。大企業の人事担当者は、そういうところにポイントを置いて見ています。

もちろん、中小企業には一流大学を卒業した人材はまず来ないと考えていいです。ときにはそういう人が来るかもしれないけれど、何か事情があって中退したとか、あるいは有名大学でも夜間とか通信部とか、また、四年制の大学を出ていても、何回聞いても校名を覚えられない大学とか、やたらと広い地域を表す単語が大学名になっている大学とか、そういう所を出ています。

もちろん、大学名はその表す地域が狭ければいいというものでもありません。西荻窪大学とか善福寺大学とか荻窪大学。そんな大学は当然ありませんけれど、狭ければいいというものではありません。

しかし、やたらと広い地域を表す単語のつい大学ってレベル的にはちょっとねえ。たとえば、太平洋大学とか地球大学なんて名前の大学は、もちろんありませんけれど、そんな名前だと、あまりに広すぎますね。

そんな広い地域の名前のつく大学は、レベル的にはあまり高くないですね。

そういう大学を卒業していたとしても、あるいは高卒専門学校卒であったとしても、高校で生徒会活動をやっていたり、クラブ活動のリーダーをやっていたり、その後もずっと十何年間やり続けていたとしたら、リーダーシップをどこかで身につけているものです。

あるいは、兄弟が多い、たとえば、七人兄弟の長男と長女とかもリーダーシップがあります。兄弟たちを集めて、「はい、号令。一、二、三、四、五、六、七。お前、お昼ご飯食べてないとかガタガタ言うな。オレの分があるからそれを食べろ。あいつの分はこうしろ」というように、七人兄弟の長男や長女は交通整理だけでも大変です。

リーダーシップがなければ、家の中の統率が取れません。お父さん、お母さんが忙しかったら、「お前は片付けものをしなさい。お前は洗濯。お前はお掃除。お前は布団の片付け。オレはご飯の準備をするから、食事の後片付けは全員でやること」というように、昔の大家族ではそれがふつうでした。

いまでも、大家族のところは兄弟が協力してやっている家庭が多いですね。そういう場合は、兄弟関係の中でリーダーシップが培われます。

そういうふうに、育った環境を遡っていくと、リーダーシップが備わっているかどうか、だいたい分かります。

しかし、そういうことも何もなく、サークル活動もしたこともないし、クラブ活動もしたこともないし、生徒会活動もやったことがないし、何とかメイトというグループでヤングスターズ何とかというところの議長もしたことがない、あるいはコミッティもしたことがないような人間が、人様の意見を束ねたり、チームワークを創出したりなんて、できっこないです。

そんな人が会社を継ぐとどうなるか。従業員を束ねられません。企業経営は理屈じゃないんです。

だから、企業の後継者は体験実地主義を貫く働き者でなければいけない。

チームワークを創出するリーダーシップを持つリーダーでなければいけない。みんなが尊敬する人間性があって、幅広い学問と教養を身につけるために一生懸命勉強する人でないと、誰もついてきません。

時代はつねに変化し、経済もつねに変化しています。ですから、マーケットのニーズをどう読み、どういう製品を開発し、どういうサービスを提供し、どう会社を切り盛りしていくのか。

加えて、お金のやりくり、銀行からの資金調達をどうするのか。そして、利益が出たら出たで、税務対策も考えなければいけない。

利益に対して税金を払わなければならないわけですから、それをどうするのか。税金対策で頭を悩ませるというのは、たしかにうれしいことです。

儲からなければ税務署さんからも見放されますから、それはありがたいことなんですけれど、儲けが出なければずっと赤字で潰れてしまいます。

それらに関して、経営者としてどういう考えで臨むのか。最低でもそれだけの知識がなければ経営者は務まりません。

銀行からお金を借りる場合でも、事業計画書を提出し、それを口頭できちんと説明しなければいけないわけですから、それだけの勉強量と知性がないと会社の経営はできません。

ということで、誰が継承すべきなのか。少なくとも高校時代、大学時代、あるいは二十代までに、そういうものを体得している人、経験している人でないと、会社を継承してもなかなか難しいと思います。三十歳を過ぎてからそれらを勉強するのはなかなか難しい。

三十代以上の人はもうあきらめて、エキスパートとして十年、二十年、自分の才能に磨きをかけていったほうがいいでしょう。

十年経ったら三十歳の人は四十歳ですから、それまでにスキルを磨いていけば、かなりのエキスパートになっているはずです。

会社の中でもいい仕事ができます。リーダーシップに少々難があっても、あるいは、かなり難があっても、優れたエキスパートの能力を発揮できるでしょうから、会社にとってもそれなりに有用な人材になっています。

しかし、会社の後継者ということを考えたときには、十代、二十代にそういう経験がなかった人は、絶対に後継者にするべきではないし、なるべきでもない。

だから私も、サークル活動であろうと、芸術活動であろうと学術活動であろうとボランティア活動であろうと、はたまた企業経営であろうと、やはり十代、二十代のときからリーダーシップを持って、みんなの苦情を聞いて、責任を人になすりつけることなく、すべて自分で受けて、何か失敗したり周囲に迷惑をかけるようなことがあったときには、「すみません、私の責任です」と土下座しました。決して逃げ回ったりせずに、「どうか、私の顔に免じてお許しください」と堂々と言ったら、「もうしようがないね」と言って許してくれるのです。

そして、仲間のところに戻ったら、「私の責任であり、私の不徳の致すところです。これからはもっと頑張りましょう」と言ったら、「自分たちも悪かったんだから、しょうがないよ。みんな、キャプテンの言うとおり、もっと努力しよう」とついてきてくれます。

実際、私もそうでした。そういうリーダーシップは、若いとき、最低でも二十代までに身につけておかないとダメです。三十代になってからでは遅すぎます。

人間の能力の根幹は二十五歳でだいたい出来上がります。とくに男性の二十五歳は厄年です。

三十五歳でだいたい成長期が終わって、そこからはエネルギを吸収していく番ですから、十代、二十代に、いかにこれらのことを養わなければならないのか。そのことを考えたときに、自分の息子に会社を継がそうと思う人は、小さいうちからきちんと計画性を持って教育していく必要があります。

また、社員から後継者を選ぶときには、いま申し上げたようなところを考えて選んだらいいでしょう。それが分からない場合には、高校時代や大学時代の経歴、あるいは、育った家庭環境まで遡っていったら、だいたいのめぼしがつくはずです。

自分が後継者になろうと思うのであれば、いま申し上げたことを自ら勉強していく、と。

ただし、すでに三十歳を過ぎているのであれば、エキスパートの道を選んだほうがいい。

二十代はまさに黄金の時代です。

十代、二十代で吸収したものが身になって、それが一生の能力の根幹になっていきます。

ですから、二十代でへらへら遊んでばかりいて、わがまま気ままで生きた人は一生悔やむでしょう。自分自身に関してもそう考えなければいけないし、親の立場だったら、子どもの十代、二十代を大切に考えて、手間隙、時間、労力、お金を惜しまずに、計画性を持ってしっかりと育てるようにやっていかなければいけません。

親の職業に誇りを持たせよ

私の歌の先生は栗林義信先生とおっしゃいます。いっときは当代随一と謳われた、名バリトン歌手で、いまも二期会の理事長をされている方です。日本のオペラ歌手としては社会的に最も出世しています。

声が一番大きいばかりか、舞台に立ったときの姿形も実に見栄えがして、スター性とか声の魅力という点では右に出る人はいません。

オペラとなったら栗林先生は本当に光ります。しかも、二期会の理事長ですし、その気になれば、それなりに政治力を働かすこともできますから、息子さんや娘さんがいたら、いくらでも引き立てを受けて抜擢され、いい役につけることもできるのです。ある程度、情実が効く社会ですから、オペラ界は。

ところが、栗林先生のお嬢さんは、すらっとした大変な美人なんですけれど、「音楽の世界だけには進みたくない」と。

また息子さんも、お父さんのDNA を引いて素晴らしくいい声といい声帯の持ち主なんですけれども、「ふつうのサラリーマンがいい」と。息子さんも娘さんも栗林先生の跡を継いでいないんです。

ものすごく美人で、魅力的なお嬢さんなんです。

言葉もきれいで、頭もいいし、とても上品なお嬢さんなんです。

息子さんも素晴らしい声帯の持ち主なんです。ところが、お父さんの音楽の道を二人とも継承しない。それはなぜか。「音楽の道は大変そうだから、苦労が多そうだから」と。それが理由で継がなかったと言うんです。

奥さんから聞いた話ですけれども、お嬢さんが小学校のときの作文で、音楽の道は大変そうだ、音楽の道にだけは行きたくない、歌い手だけには絶対なりたくない、ということを書いたらしいんです。

それを読んだ担任の先生が、お父さんがオペラ歌手なのに、お嬢さんはどうして音楽の道にだけは行きたくないと思うのか不思議がっていた、と。家の中では、「オペラというのはとても素晴らしいのよ、最高の芸術なのよ」と言っていたのに、なぜ音楽の道だけは嫌だと考えるようになったのか。お父さん、お母さんにもよく分からないみたいなんです。

もちろん、そこに至るまでの努力は並大抵のものではなかったと思います。何度も何度も譜読みを繰り返し、イタリア語とかドイツ語とかを覚えて、演技の練習に没入しなければオペラは歌えないわけですから、それはそれは大変です。

それで栗林先生は、ことあるごとに、「オペラは大変なんだ、大変なんだ」と、息子さんやお嬢さんの前でおっしゃっていたそうなんです。家で練習 している父親の姿を見ているだけでも大変そうなのに、本人の口から繰り返し、
「大変なんだ、大変なんだ」と聞かされたら、オペラというのは本当に大変なんだと思い込んでしまいますね。

だから、息子さんもお嬢さんも、あんなに大変なオペラは嫌だ、と。息子さんは素晴らしい声帯の持ち主で、素質的には最高。それに、姿形は息子さんもお嬢さんもオペラ歌手に向いているんです。お父さんのコネもある。それなのに、二人とも跡を継がないんです。

実にもったいない話です。コネもなく、決していいとは言えない持ち声、決して美しいとは言えない姿形、加えて、政治力もコネもない人間が一生懸命オペラ歌手として頑張っている。

息子さんは素晴らしい声帯を持っている。それに、お父さんがそれだけの方だから、たくさんコネもある。にもかかわらず、オペラをやらずにほかの道に進んでいる。もったいない話でしょう。

自分がどんなに大変な思いをしても、後継者のことを考えたならば、「オペラというのは素晴らしいもんだよ。練習は大変だけど、この大変なのがいいんだよ。大変な分だけ感動するし、一生の思い出に残るような舞台が得られるんだよ。

これが舞台の魅力なんだよ。

お前は素晴らしい声帯を持っているから、お父さん以上に素晴らしくなるよ。オペラというのは素晴らしいもんなんだよ」と、一家団欒のときにいつもそういうふうに言っていれば、「ああ、そうなんだ。オペラって素晴らしいんだ。ぼくもオペラ歌手になりたい」という気持ちになっていたはずです。

そうしたら、二人のお子さんの素質も生きるわけですけれど、栗林先生はあまりに正直な方だから、「もう大変なんだよ。こんなに覚えなければならないことがあるんだよ」と、いかにオペラが大変かということばかり言っていたらしいんです。

それを聞いて育ったから、息子さんもお嬢さんも、「オペラは大変そうだ」と思うようになったというわけです。

だから、お嬢さんも息子さんも全然関係ない世界に進んでいます。息子さんはサラリーマン、お嬢さんはお芝居のほうに行っています。本当にもったいない話でしょう。素晴らしい声帯を持ち、美しい姿をしているのに、二人とも親の跡を継いでいないんです。

能楽界では、高橋章さんという方もそうです。宝生流では一番の重鎮ですけれど、息子さんが能をやりたくないということで、継承していません。

お弟子さんはいっぱいいるのに、後継者なしです。これまたもったいない話です。何のコネもなく、それほどの才能もないのに能楽師になって、お弟子も少なくピーピー言っている能楽師はたくさんいるんです。

高橋章さん、宝生流の重鎮、ナンバーワン。家元は家元で立場がありますけれども、実力および人望はナンバーワン。

それだけの人の息子なんだから、ほかの能楽師にとっては羨ましいかぎりです。それでも親の跡を継いでいない。

なぜかというと、音楽の道に進みたいから、と。それで、ふつうのサラリーマンをやりながら、趣味で音楽を楽しんでいるのです。

あまりにも息子を大事にして、息子の自主性に任せすぎたがためにそうなったわけで、言うなれば優しすぎたんです。

それだけの人望がある方ですから、もったいない話です。他の人間から見たら羨ましいことです。財産なのに、本人にその気がなければ、しょうがないです。

たしかに、あまりに厳しすぎると、親の跡は継ぎたくないと思ってしまうし、反対に放任主義で甘やかしすぎてもよくないわけで、「能楽界は素晴らしいんだよ、能楽師というのは素晴らしいんだよ。お前は素質があるから、一流の能楽師になれるよ」と、誇りと生き甲斐と喜びを持てるようにつねに話していると、子どもも、「そうなのか、能楽というのは素晴らしいんだ」と考えるようになるはずです。

そして、ほかの道に興味を示すようになったら、「バカもん。そんなところに行ったらいけません」と厳しく諌める。

「お前は素晴らしい素質を持っているんだから能楽師になりなさい」「でも、音楽のほうが……」「音楽なんかしちゃいけない」。奪い取ってでも、跡を継ぐように持っていかなければなりません。

本人の意思に任せすぎてもダメなんです。かといって、ただ厳しくすればいいというものでもない。

やはり、息子さんに会社の経営を引き渡すときには、本当に知恵深く接する必要があります。

「会社の経営というのは大変だけれど、素晴らしいんだよ。一般の会社員とか公務員と比べると、会社の経営は問題にならないくらい素晴らしいんだよ」

「そうなんだ。ぼくもお父さんの跡を継いで会社の経営をしてみたい」

「それにはリーダーシップが必要だから、学校では勉強だけでなく、生徒会活動もクラブ活動もしっかりやるんだよ。
とくにラグビー部がいい。ラグビーで体と精神力を鍛えておけば将来、立派な経営者になるぞ」

「うん、頑張るよ」

「そして、学校を卒業したら、同業他社にお世話になって、そこで修業をしなさい。いきなりお父さんの会社に入るとお前も甘えるだろうし、お父さんも甘やかすだろう。それはお前にとって決していいことではないので、やっぱり最低でも三年は他人の飯を食わなきゃな」

「そうだね」

こういうふうに、生き甲斐と喜びと誇りを持って仕事を継げるように言ってあげないと、育たないですね。

後継者育成の要諦、「長者の喩え」

最後にこれをお話しして終わりにしたいと思います。

実は、いま申し上げた後継者育成のポイントに関しては、お釈迦様も教えているのです。後継者養成の話の締めくくりとして、その教えを紹介したいと。

法華経はお釈迦様がお亡くなりになってから百年から二百年経った、七世紀ごろにできたお経ですけれども、その法華経に「長者の喩え」というのがあります。

これはどういう物語かといいますと、あるときインドの長者さん、つまりお金持ちが火事に遭いまして、そのとき、一人息子、自分の跡を継承するはずだった幼い一人息子が人さらいにさらわれまして、行方不明になってしまったのです。それで、あちこち探したけれども、どうしても見つからなかった。

それから何年か経ったあるときのお祭で、ひょんと行方不明になった自分の息子にそっくりな男が町にやってきた。「あれはきっと自分の息子に違いない」。

そう確信した長者は、召使に命じて、屋敷に連れてこさせようとしたのですが、幼いころに行方不明になって以来、ずっと放浪の日々を送っていましたので、その男は召使の言うことを信じようとしません。

「長者様がお前を呼んでいるから、私と一緒に長者様の屋敷まで行こう」と言っても、「いやいや、滅相もございません。私は何も悪いことはしておりません。

物も盗っていませんし、悪いこともしておりません」と、かえって怪しむばかりです。

「いや、そんなことじゃない。お前を長者様が呼んでいるんだ」と諭そうとすればするほど、「滅相もございません」を繰り返すばかりで、ついには逃げていってしまいました。

屋敷に戻った召使が、ことの顛末を報告すると、長者さんは、「ああ、可哀相なことよ。私の一人息子であり、私の後継者でありながら、幼いころに行方知らずになってしまったものだから、自分の故郷、自分の家に帰ってきて、親に会ってもそれと分からず、そんなことを言って逃げていくとは、一層、哀れだなあ」とため息をつき、どうにか家に連れ戻すことができないものかと一計を案じたわけです。

どんな一計かといいますと、使用人として雇うことにしようというもので、長者は即座に、「ウチのお屋敷で誰か馬番をしてくれる人を探していると伝えなさい。そうすれば必ずついてくるだろう」と召使に命じました。

それを受けて、召使は息子のところへ行き、「いい話があるんだ。長者様が馬番を探している。馬小屋を掃除して干し草の整理をするだけで馬小屋に泊めてもらえて、一日一食、食べ物までもらえるんだぞ。

どうだ、やらないか」と勧めると、「おっ、そんないい話があるのか」と。長年、放浪生活を続けてきましたので、これはありがたい話だということで、長者の息子は二つ返事でついてきました。

その後はしばらく馬小屋に寝て、一日一食、食べ物をもらって、馬小屋の掃除だとか飼い葉をやるような仕事をしていたんですけれど、何年か経ったら、よく働くからということで、馬番から庭掃除へ一つランクが上がったわけです。

「お前の働きぶりがとてもいいので、長者様からお褒めにあずかった。今日から庭掃きをいたしなさい」「これはありがたいことでございます」ということで、その後しばらくは庭掃除ばっかりしていたのですが、今度は、「庭掃きもよくやったから、次に荷物だとか食べ物のお運びのほうを担当しなさい」ということになり、晴れて召使の末席に入れてもらうことができたんです。

そうして、召使の一番下っ端のところで一生懸命に、荷物を運んだり、食べ物を運んだりする仕事をしていたんですが、働きぶりが非常に覚えめでたいかということで、だんだんとランクが上がっていき、ついには侍従長になったんです。召使の中の最上位に抜擢してくれたわけです。

そして、いよいよ長者さんが病に臥せって、余命いくばくもないというときに、遺言があるからということで長者さんからお呼びがかかった。

「侍従長よ。お前は今日まで侍従長としてよく働いてくれたけれど、今日こそ本当のことを言おう。お前は実は、わしの本当の息子なんだ。お前が小さいときにわが家が火事になり、その折、人さらいにあって行方知れずになってしまった。以来、可哀相なことにお前は放浪生活をしていたのだが、たまたま町のお祭のときに故郷に帰ってきたところをわしが発見したんだ。そのとき、わしはすぐに分かったけれど、お前は自分の親と顔を合わせながらも気がつかなかった。そこでわしが一計を案じて、お前のレベルに合わせながら今日まで少しずつ少しずつ仕事を覚えさせ、ついには侍従長として何でもこの家を賄うようになったのだが、お前こそ、わしの一人息子であり、わしの後継者。この家の財産のすべてを継ぎ、わしの地位を継ぐ後継者なのだ。この家の次の主なんだよ」

ということを言い残して、側近の者たちにもそれを宣言して長者さんは亡くなっていった、と。

以上が法華経の「長者の喩え」のあらましですけれど、長者さんの一人息子である侍従長は、「そうだったのか。自分は孤児かと思ってたけど、自分の本当のお父さんが長者様だったんだ。ここが自分の家だったんだ。物心ついたときから浮浪児みたいに、あっちうろうろ、こっちうろうろしながら、自分のお父さんはどこにいるんだろうか、家はどこだったんだろうかといつも考えていたけれど、長者様が本当のお父さんだったんだ。そのことを受け入れるようになるために、お父さんが哀れんで、知恵と時間を使って、少しずつ少しずつ、段階を経て自分を育ててくれたんだ。お父さん、ありがとう」と感謝をしたわけです。

そのときには、実質的に能力も備わっていますし、切り盛りもできるわけですから、自分が一人息子であるという事実を素直に受け入れられるようになっていたんですけれど、そこまでの十何年という長い間、じっと忍耐をしながら、本当のことを言うために待っておられた、と。そういうふうに一人息子は感謝したわけです。

自分がどこの誰だか分からなくなってしまった一人息子。その息子が事実を素直に受け入れられるようになるまで手間隙、時間、労力をかけて、忍耐しながらじっくり育ててくれたお父さんの偉大なる愛。

その長者さんの愛が仏様の愛なんだ、慈悲なんだ、ということを教えているのが「長者の喩え」なんですけれど、これは何を教えているのかといいますと、罪多きわれわれ、あるいは霊格の低いわれわれ、煩悩に満ちたわれわれも、実はお釈迦様のあらゆる財産、宝徳、知恵を受け継ぐものを持っているんだ、凡夫のわれわれも仏様になれるんだ、ということを教えているわけです。

これを一仏乗の教えと言います。どのような人も仏性を持ち、どのような人も成仏できるという一仏乗の教え。それをはじめて法華経においてお説きになったわけです。

それに対して三論宗では、生まれ変わり死に変わりしながら、修業をした者だけが仏様になれる、と教えていまして、どのような人も仏性を持っているから、法華経を信じる者は仏様になれるんだという一仏乗の教えとはだいぶ趣が異なります。

実は、その三論宗を代表するのが徳一和尚です。

そして、会津磐梯山に霊場を開いた徳一和尚と、法華経を代表する形で伝教大師最澄が論争をやりまして、これを三一論争と言いますが、最澄のほうが論破して勝っています。

どのような人でも仏様になれるんだ、どのような人でもお釈迦様の偉大なる財産を受け継ぐことができるんだと言われても、われわれ凡夫は、滅相もございません、と。

お釈迦様のような、あのような功徳と知恵と無形の宝物を継承するなんて、そのようなことは到底できませんと思っているから、だんだん育てて導いてくださり、ついに法華経を通じて、実はわれわれ一人ずつがお釈迦様の跡を継ぐ、継承すべき人間だったんだということを、はじめて説いた、と。

そのために、それまでのたくさんのお経があったんだということを言っているわけなんです。

この「長者の喩え」にあるように、お釈迦様はわれわれ衆生を導くために、方便をもって段階をへて、時間をかけて、忍耐をして育ててくださったんだ、と。

これだけの忍耐と、これだけの方便と知恵があるのは、なぜか。それだけわれわれ衆生に対するお釈迦様の慈悲が深かったからなんだ、慈悲が大きかったからなんだ、と。慈悲が大きいがゆえに知恵が深く、方便をもってわれわれを導いてくれたんだ、と。これが「長者の喩え」の主旨なのです。

ですから、経営者にしてもオペラ歌手にしても、あるいは能楽師にしても、自分の持っている財産を後継者に継がそうと思うなら、「長者の喩え」のように方便を使って少しずつ少しずつ育てていくことが必要です。

後継者に対する慈悲があるなら、愛情があるなら、それだけ手間隙、時間、労力をかけて、知恵を使って、何段階も方便を通して育成していかなければならないわけです。

それはすべて後継者に対する愛なんだ、と。愛が大きいから、これができるんだ、と。

これができないということは愛が浅い、小さい、と。自分の子どもに対する本当の慈悲がないからなんだ、ということです。

自分の子どもや後継者に対する慈悲が大きかったならば、「長者の喩え」のように、手間隙、時間、労力をかけて、計画性をもって、上手に方便をもって導いてから、すべてのものを譲り渡す。

そのときに、息子はお父さんの愛の大きさを感じるわけです。知恵の深さを感じるわけです。「長者の喩え」にもあるように、分からないわけです、小さいころは、あるいは若いころは。

そこを考えて、先の先まで見通したうえで後継者の育成をしなければいけない、ということを最後に申し上げて、後継者育成に関する私の話を終わりにしたいと思います。

どうも、ありがとうございました。(拍手)