次々と壁が乗り越えられるコツ 菱研 深見所長講演録25(Vol.2)

ホウレンソウは偉大だ ~平成15年11月9日 西荻窪にて~

社員教育の中で一番大切なもの、それは「ホウレンソウ」

きょうの講義は、「ホウレンソウ(報連相)は偉大だ」「タイム・イズ・マネ 1は本当だ」「社員はみんなバカだ」の三つの真理を体得しようというテーマで行いたいと思います(笑)。

前回のセミナーから今日までの間、何を思ったかというのはこれですけれど、要するに、報連相と言いますが、「会社で大事なものは何か、それは報連相だ」と。

どうですか、皆さん。会社で一番大事なものは何かといったら、もちろんたくさんあるんですけれど、主に社員教育の観点からいえば、「報連相が一番大事だ」ということを本当に実感しました。

ともかく、報告、連絡、相談と、大事なものの順番です。

一匹オオカミでやっていた人が会社に勤めると、なかなかそのコミュニティでやるということに慣れないものですから、自分で勝手に考えて、自分で勝手にやっていて事後承諾してくるとか、自分が大事だなと思うことだけを報告する。

反対に、これは大事じゃないなと自分が判断することは報告しないという傾向があります。

そこで、私が提唱する「上司はお父さんじゃない説」というのがあるんですけれど、上司とお父さんの違いは何かというと、上司あるいは社長とお父さんとの違いです。

お父さんには相談の相だけでいいんです。お父さんに言うと、「そうか、そうか」と言って答えてくれます。

しかし、上司はお父さんではないんです。もちろん、お父さんのような要素もあります。

しかし、会社の上司と自分のお父さんとの大きな違いは、上司には最初に「報告」という義務があるんです。デューティーです。

自分が大事だと思うことは報告するけれど、大事じゃないと思うことは報告しないということは、上司よりも自分のほうが賢いと思っているという心驕りがあるわけです。

しかし、「こんなのたいしたことないな」と思ったことが、上司の目から見たら非常に重要なことがありますし、「こんなに重要なことが」と思ったことが、上司から見れば、「たいしたことはないよ、そんなこと。よくあることだ。こうすればいいんだ」「あ、そうか」と。また、いろいろやっていて、悩んで悩んで、なかなか解決しないことでも、上司に言えば、「あ、こうすればいいじゃない、何で先に言わないんだ」「あ、そうだったんですか、もっと早く聞いておけばよかったです」ということがあるんです。

そういうとき、よくみんなに言うわけです。楠木正成公は戦に負けたことがありません。

楠木正成公存命中に、部下が正成公に何の相談もしないで戦って、後で報告に来て、「隣に来たから戦って負けました」

「わしに言えば戦い方を教えてやったのにな」

「すみません」と。

上杉謙信公存命中、六十六たび戦をして一度も負けたことがない。上杉謙信公存命中に謙信公の部下が、隣から何か小競り合いがあったのが、それっと行って部隊を動かしましたが、

「負けました」

「そうか。わしに言えば相手がどういうふうに出てくるか教えてやったのにな。だいたい相手がどういうふうに出てくるか、みんなお祈りしていると分かるんだけどな」と。

「将棋をして負けました」とか、「囲碁をして負けました」とか、「野球をして負けました」ならいいんです。

「ああ、そう」で済むんですが、戦の場合は命を落とすわけです。会社だったら、お金の損失とか会社の信用をなくすようなことがなければ、そんなことはいいわけですが、社長が存命中なら、社長に聞けば、「ああ、相手は多分こう出てくるだろうね」と分かる。

もちろん、何でもかんでも報告しなければいけないわけではないし、伺わなければならないわけではないんです。

しかし、きちんと上司に報告しておけば、「あ、キミ、こんなことをしたら危ないよ」ということで、上司は長年の経験から、「こんなことをすれば危ないよ」とか、「こんなやり方はダメだよ」とかが分かるわけです。また、「こういうふうな話をしていて、七日も八日も続いていたんですが、こういうふうな形で次回に持ち越されました。

議題はこういう内容だったんですけど」というような報告さえしてくれれば、「あ、そんなの答えは簡単だよ。私が知り合いに言えば、一発で解決だよ」と言って、上司から電話をかけて、「キミからの報告書があったけど、そんなことに何時間も議論することないよ。

わが社も同じようなことがあって、二十三年前はこうやって解決したんだ。だから、こうすればもう、五、六分で解決だよ」となるわけです。

何時間も議論したことが、社長の目とか会長の目から見れば、「前も同じようなことがあって、こうすれば一発で解決だよ」というように、報告さえしておけば、「こういうのはよくあることで、こういうときはこういうふうに対応するのが一番の原則なんだよ」という簡単な解決の仕方を、必要と思ったら上のほうから電話をかけてくれるし、呼び出されたとき、「こうすればもっといいんだよ、キミ」「ああ、そうだったんですか。知っていたらもっと早く解決して、傷口がなくてよかったのに」というようなことが上司から指示できるんだけれども、報告もなければ、何をやっているか分かりません。

だから、報告さえしておけば、「あ、これ、こういうふうにしたら、もっと効率がいいよ」

「我々はこういうふうに考えて、こういうふうにやりまして、こういうふうにしてがんばってやりました。その結果、これだけ数値が上がりました」

「でもキミ、テレビ宣伝をするだけの予算をあげるから、やればもっと上がるじゃないか」

「え、テレビ宣伝していいんですか」

「いいよ、予算がこれぐらいあるから、テレビ宣伝したらいいじゃないか」

「ありがとうございます」というように、上司や社長にきちんと報告さえしておけば、さらにうまくいくようなアドバイスを社長は出せるんです。

というのは、代表取締役はその人の判断で、人・物・金が動かせるからです。人・物・金を動かすことができる

権限を持っている方なんです。

少人数でがんばっている部署から、「こういうふうに話し合った結果、この人数でやっていくためには三ヶ月かかると思います」というようなことが報告書に書いてあって、「しかし、会社の存亡にかけて、この案件は大事なので、我々は寝ないでがんばっています」という報告書があると、「それはそのとおりだ。そんな大事な案件だったら、少人数でやることないよ」ということで、「人を動かして、そこの部署に人を何人か配置しよう」と、相談しなくても、報告さえしておけば、社長は会社全体のことを考えているわけですから、「よし、人を動かそう」

「実は、材料がなくて困っているんですけど、今なけなしの材料でがんばっています」

「それじゃあ、関連会社のほうから材料を回そう」

とも言えるし、

「お金がなくて、今の予算の中で目いっぱい、このようにがんばっておりますけれども、そんな中でここまで成果が上がっています」

「そんなに成果が上がるんなら、もっとお金をそこに投入しよう」

というように、報告さえしておけば、そこに、人・物・金を回すことができるし、人・物・金を集中することができる。いいものだったらどんどん応援できるし、会社の決定事項にすることができる。

逆に、「何とかという会社が、株や先物買いをやりませんかとやって来て、こうなりました」とか、「何とかという不動産会社が来ました」というような悪い内容だったら、「これは悪質で有名な不動産会社だから、いますぐやめなさい」と、名前を聞いただけで、「これはダメだ」と。「この人間は前も来たことがあるヤツで、怪しいことをしていたからやめなさい」ということで、上司にきちんと報告していたら、上からダメだと言ってストップをかけることができる。

つまり、報告さえしておけば、上司、あるいは代表取締役社長は、人・物・金を動かすことができるわけです。人・物・金を動かすことができる人が知ったら、いいものはもっと力を入れられるし、人・物・金が結集できるし、悪いものはどうやったら解決したらいいのかが分かる。

それだけ、やはり経験と知識と情報を持っているわけですし、どうしたらいいかということの判断力があるんです。

そのために、定期的に報告さえしておけば、報告書を見たときにアドバイスがもらえるわけで、自分が必要だなと思うことは報告するけれど、必要ではないと判断することは報告しないということは、上司よりも自分のほうが賢いと思っている傲慢さがあるわけです。

報告しないということは、「おまえは傲慢だ」ということなんです。

自分の情報量と知識力とノウハウと人材とお金で全部やっていけていると判断できるのなら、その人間が社長になったらいいんです。

だから何が大事なのかというのは、報告が一番大事なんだ、と。そういうことで、ホウレンソウというときに、報が最初に来るんです。

いいことも悪いことも全部、「ご指示を仰ぎます」と言って報告していたら、上司から指示が出せるわけです。

悪い内容こそ報告せよ

ところで、私たちのスタッフの中に、いい報告ばかりする子がいるんです。その子が担当すると次々解決していくといういい報告ばかりなんです。

ところが、別の人間に話を聞くと、「問題点がいっぱいあるんです」と言うわけです。

経営者である私としては、問題点を知りたいわけで、組織が瓦解していくようなアリの一穴から問題点が起きてくるから、なるべく早いうちにそのアリの一穴を埋めたいし、未然のうちにひび割れを修復したいわけです。

だから、いい報告ばかりしてくるということはおかしいんです。「ほかの人間から見たら、こんな問題があったのに、何でキミは言わないのか。

経営者はクレームとか問題点を知りたいんだ」と。だから、クレームとか問題点を報告してくれないと経営者は困るわけで、いい報告しかしてこないということは、おべっかを使っているんです。

叱られるのがイヤなんです。しかし、クレームとか問題点から改善策が出てきます。

だから、お客さんのニーズに応えると言うんだけれども、お客さんから寄せられるクレームとか苦情、これはもう経営者にとっては宝物なんです。

いろんな寄せられている苦情とかクレームとか問題点を知れば、そこから、その苦情が起きる原因は何なのかをまず考えます。

なぜそういうような苦情が起きたんだろうか。コーズ・アンド・エフェクト、原因と結果です。

その原因を解決するためには、こうしていこうということで、そこから改善策が出てくるわけです。

改善策が起きてきたということは、経営が進歩したということです。あるいは進化したともいえます。

だから経営者は、経営をつねに進歩させ、進化させたいわけです。

そのときに何が必要かというと、末端から来る苦情、クレーム、問題点の情報が知りたいわけで、その情報を知ったら、なぜそうなったのかという原因を追求しなければいけない。原因を知ったら、それを改善する具体案がいるわけです。こういうふうに順番になっていくんです。

だから、報告書を挙げる中で、いい報告ばかり来るのはおかしいわけです。

会社の経営をしていて、苦情がない、クレームがない、問題点がないということは、非常に問題です。

それで、報告書を見ていたら、サボっているなというのが分かる報告もあれば、問題点ばかり挙げる子もいます。

サボってるなというのは報告書を見たら分かります。営業でも、上司に見せたら、

「おまえ、サボっているだろう」

「なぜ分かりますか、すみません、サボってました」と。

報告書からにじみ出てくるエネルギーで分かるんでしょう、上司は(笑)。

逆に、本当にがんばって営業してきた子の「がんばりました」には、ほとばし出てくるものがあるんだけれども、手抜きしているときは、何となく報告書の影が薄いというか、エネルギーがないというか、パワーがないというか、何となく報告書に元気がないから、「これは適当に頭でつくってやっているな」ということが分かる。

逆に、報告書の内容は少しなんだけれど、報告書から重みとパワーを感じると、がんばってやっているなという感じがするんで、熟達でもした経営者は報告書の文章には騙されないんです。

熟達していない経営者は報告書の言葉に騙されるんです。

だから、会社の経営の進歩を思うならば、「苦情、クレーム、問題点を書きなさい」

「それに対してどうしたらいいということや、原因が何なのかというものを書きなさい」

「その原因を考えたら、自分はこういう風にしたらいいんじゃないかという改善策を書きなさい」

「それに対して意見を言いなさい」と。

だから、それからどんなことがありましたということを順番に報告して、「あ、これはやばいよ。こんなのやめろ」とか、「そんなにいいものだったら、お金をもっと投入しよう」という風なことが見えるから、報告が一番大事なです。

だから、報告しない従業員は「おまえはバカじゃ」と。

もちろん社長から見れば、みんなバカなんだけれども、許せるバカか許せないバカか、何回生まれ変わってもいかんなというバカもいるわけです(笑)

従業員はバカでいい、進歩しているバカならさらにいい

しかい、バカでいいんです。

社長から見れば、みんなバカだなと思うんです。

それは経営とか、仕事がよくできる人間から見たら、できない人間はみんなバカに見えるわけで、バカでいてくれるから、社長でいることもできる人も多いんです(笑)

社員が賢かったら、もうやっていられないという社長もいます。

「従業員のほうがよくやってるな」というような社長もいます。

だから、バカでいいんです。

しかし、バカが進歩しているバカならいいです。

救いようのないバカが相当なバカになって、それから、かなりバカになって、バカといえばバカかなぁと。その間にうすらバカとか(笑)

天然バカとか、色々な種類があります。

でもそれが、少しずつ少しずつ改善されていったらいいわけで、絶対的に賢いとか、絶対的にバカとかいうことはないんです。

すべては比較形です。比較的バカか、比較的賢いか。より賢い人から見ればバカだし、よりバカから見れば賢いわけです。辛いとか辛くないもそうですし、美人かそうじゃないか、ハンサムかハンサムでないかもそうです。

これは全部比較級ですから、絶対的美人というのはないわけです。まんまるのうりざねみたいな顔は、今なら、「えーっ!」というような顔ですが、中国の西安では美人ですし(笑)、敦煌では丸顔が美人なんです。

ファッション雑誌を見たら、昔なら凶悪な顔の、こんな口がバカでかいのがパワーがあっていいと。

昔なら人食い人種だったんだけどなあ、と思うんですけれど(笑)、時代とともに違っていて、今はバラバラでもいいらしいです。

そういう意味では、すべての女性も男性も、いまは救いがあるわけです(笑)。昔は美人の基準が決まっていたかもしれませんけれど、いまは決まっていません。

平安時代の美人、昭和の初期の美人、最終的にはネアンデルタール人としては美人もおられます(笑)。

松田聖子は縄文時代の顔らしいです。だから、あの当時ならかわいいわけで、しかし、昔の写真と比べると、何か手を加えておられるようですね(笑)。

中には、縄文時代、弥生時代、古墳時代というふうにして、一人の人間なのに時代の変化があらわれているという人もいます(笑)。

まあそういうことで話を戻しますと、バカはバカでいいんです。それが少しずつ賢くなっていったらいいのであって、仕事ができなくても、できるように少しずつ進化していたら、やがてちゃんとできるようになります。

それがどこからそうなるのかというのは、報告書を必ず出すということです。しかしその報告書も、だいぶ経って、

「何やってるの?」

「報告書を書いてます」

「報告書を書くのに何日かかっているんだ。報告書は一時間で書け」と、時間制限を設けないと、報告書ばかり書いている人がいます。

素晴らしい文章なんだけれど、仕事はほとんどやっていないで報告書を書くのがほとんどの仕事だったり、という子もいるわけです。

報告書の書き方とは

ところで、報告書もやはり、起承転結、序論・本論・結論がきちんとできた文章になっていないといけません。

報告書の中には、「そのとき私はああ思った。そのとき彼女はこう言った。何でそんなことを言うんだと言っちゃった」と書いてあるのもあって、社長は忙しいから(笑)、そんなところの感情表現まで書かなくていいんだ、と。

ですから、報告書がきちんと書けるようになるまでに、どれだけ手間隙がかかるか、なんです。

ちゃんと報告する人はやはり頭がいいんです。しかし、それは訓練次第です。

報告書の大切さをしっかり部下に言って聞かせて、書いた報告書に目を通して、励ましてあげて、それから、問題点があれば、「こうやれば早いんだよ。もっと報告してくれれば、人・物・金を動かせるんだからね、お金も物も人も回してあげるから、そうしたら、キミの仕事も円滑に進むだろう」とアドバイスできる。

こうやって、一時間以内に、しかも、きちんとした報告書が書けるようになるまで、中小企業の社員は大変なんです。

大企業の社員は優秀な人が多いですけれども、中小企業の社員は三週間かけて報告書を書いたとか(笑)、あるいは、報告書を見たら、「今日も晴れで僕もがんばった。弥栄」(笑)と書いてあって、「これのどこが報告書じゃ」と。

「私はきちんと報告しました」と本人は言うんだけど、小学生の絵日記ではないし、絵ばっかりが書いてあったら、小学生の絵日記じゃないんだ、と。

報告書をどう書いていいかが分からない人が案外多いんです。だから、中小企業の場合は社員に、「そもそも報告書とは」というように、報告書の書き方から教えないといけないんです。

序論・本論・結論が全然書けてなくて、何が言いたいのかよく分からない、というような報告書が実際多いんです。

ところで話は変わって、最近あった報告書で、「何とかがこのままじゃよくないと思う、これが気になると思う」と書いてあったのを見て私は叱ったわけです。

問題点を指摘するんだけれど、「キミは評論家か。評論活動をしているのか。だったら、評論課という課をつくって(笑)、そこで評論ばっかりしていたらいいんだ」と言って注意しました。

「これが問題点だ」と書くのなら、一つでも二つでも改善する具体的なアイデアというものを書かなくてはいけません。

経営者はそれを欲しているわけです。

「ここに問題点があるとするならば、キミはどうしたら少しでも改善できると思うのか。

一ミリでもいいから、前進するためにはどんなアイデアがあるのか言ってみろ」と言うんですが、そのアイデアが何も書いてなくて、ただ問題点だけを指摘しているわけです。

「キミはどうしたらこの問題が解決すると思うんだ。その前に、原因は何だと思うのか」

「時代が変わったんです」(笑)

「時代が変わったというだけだったら、タイムマシーンで時代を戻すというのか」と。

時代は戻せないんです。時代は変わったかもしれないけれども、人間には普遍的な中身もあるわけだから、「それはいったい何が原因だと思うか、もっと具体的に書きなさい」

「具体的に原因を考えたら、どういうふうにすれば改善できると思うか、少しでもポジティブに、前向きに、明るく考えて、一歩でも二歩でも改善する具体案を言いなさい」

「そして具体案があるのなら、今度は具体案を実行していきなさい」と。

しかし実行していくと、「ああでもないわ、こうでもないわ」と言ってなかなか進まない。

仕事は必ずケツカッチンせよ

進まない原因は何なのか。仕事かくずぐずして進まない一番の大きな原因は、ほとんどの場合、ケツカッチンしないからです。

何かこの、漢字とか片仮名に別の想像をなさらないで下さいね(笑)。「ははあ、そういえば男同士仲よかったな」とか、いろいろ考えないで下さいね(笑)。

これはもう、音楽業界とかお芝居の業界でも、「この会場は十時が完全撤収です。撤収するのに三十分かかりますから、九時半がケツカッチンです」とか言います。

ぐずぐずぐずぐず仕事をしてなかなか進まない原因は、ほとんどの場合、指導者がたとえば、「十月三日の六時までに絶対に仕上げろ」というように、日切りをしないからなんです。

神社の神様にも、「二十一日祈願しますから、満願の日には、さぞかし功徳を与えて下さるでしょうね」と言って、神社の神様にも日切り祈願をしていくんです。

神社の神様は、「守護しようかな、どうしようかな」と思っていても、日にちを切られたら、神様のほうも真剣に聞きますよ(笑)。神仏も切りされると真剣にやるんです。もちろん背後霊もそうです。

だから社員もケツカッチン。「三日で仕上げなさい」とか、「三日後の六時までにこれを仕上げなさい」というふうに言って、日切りをしないから、だらだらだらだらぐずぐずずするんです。

報告書も、「キミは報告書を書くのにいつまでかかっているんだ。一時間で書け」と言ったら、そこまで頭が動くんです。

「キミは一時間で書くという要約力と記憶力が足りないけど、これが書けるようになったら、管理職にしてあげるから」とか、希望を与えてあげながら一時間で書かせる。

そうやって、つねにケツカッチンして日切りしないから、社員はだらだらだらだら、どろどろどろどろ、ずるずるずるずるして、ピピッとやらないんです。

日にちを切らなかったら、本当に、「社員はみんなバカだ」という真理が、本当にまた実現してしまう(笑)。

その、バカだということが分かっていながら上手に持っていかない経営者もバカなんです。

だからケツカッチン。おしりを必ず切る。日切りをする。二十一日祈願とか、百日祈願とかというものが、いかに神様に対してもアピールすることになるのか、なんです。

そして、自分もしっかりするから、自分にとってもいいわけです。そういうことで、社員には必ず日切りをしてあげなければいけない。

報告書はより具体的に

そして、報告書の中で抽象的なことを書いていたら、なるべく具体的に書くように指導する。問題点を評論家みたいに書いていたら、

「じゃあキミ、どこが原因だと思うのか報告しろ」

「具体的にあったら、その原因は何かを言いなさい」と。

もし「分かりません」と言ったら、「分かりませんじゃなくて、考えなさ「い」というふうに、必死に三日間考えさせる。中には、三日目に会ったら、「あ、「忘れてました」という人もいる。そういう忘れっぽい社員には一日でいいんです。

一日考えて、自分なりに、具体的なアイデアを三つ以上ご随意言ってみろと。

「三つ以上言ったら昼めしをおごってやる。言えなかったら、おまえが晩御飯をわしにおごれ」と、そうやって追い込むと一生懸命やるんです(笑)。

だから、日切りをして、少しでも前向きで、少しでも明るく、具体的なアイデアを出させるようにしないといけません。「原因は何なのか、キミの改善策を言ってみろ」というように考えると、パブロフの犬の法則みたいに、何か問題点があったら、「原因はなんだと聞かれるな、社長に」。

そして、その原因を言うと、「改善策はなんだと言われるな」となると、問題が起きたときの原因とその改善策をつねに考えていく思考の訓練ができるわけです。

だから、報告書で社員教育ができるわけです、ある程度は。しかし、報告書を提出させて、「ああ、そうなん」で終わっていたら、「そうなん」で終わりで、いつのまにか遭難してしまうわけです(笑)。

論理的に、ズバッ、ズバッと、社員の報告書から切っていかなければいけない。

そういう意味で、抽象的にしか書かないとか、問題点ばかり指摘してくる人間には、「原因は何なんだ。一つでも二つでもいいから改善策を挙げなさい」と言わないといけない。

「キミには、積極的で、前向きで、よりよくしていこうという気持ちがないんじゃないの?気持ちがあったら出るはずだ、この報告書に」と言うことによって、報告書で社員を追い込んでいくんです。

そういう物の考え方を、反復練習することによって育てていかなければいけないわけです。

これが、まさにホウレンソウが偉大だと思うことなんですが、その中で一番大事なのは報告です。報告させることによって、それだけのことが訓練できるし、しなければいけないわけです。

報告書をきちんと提出する大切さを言ってあげなければいけないし、何回も反復して、その報告書を出したのに応えてあげなければいけないんです。

連絡の取れない人とはなぜ一緒に仕事ができないのか

報告の次に大事なのは連絡ですが、特に芸術家とか音楽家とか美術家というのは、練習のときにも連絡が取れないから、なしのつぶてになる傾向があります。

しかし、なしのつぶてというのが一番困るわけです。

うちのスタッフで、本当にきちんとやっていい子なんだけれども、夜に全然連絡が取れない子がいるんです。

すごくいい子なんだけれど、ぴっちり来てびっちり帰っていく。「その代わり、夜は連絡しないで翌日にね」と。

私なんかは二十四時間やっているから、「朝、昼、夜とかというのは、そんなのは自然が勝手にエゴで決めたことで、私はずっと夜のつもりなのに、勝手に太陽が出て昼にしてしまって、昼だっていうのにいつのまにか日が沈んでしまって」と言うと、「いや、人間は朝起きて夜寝るようになっているんです、自然界というのはそうなっているんです」と言うんです。

だったら、猫はどうなるんだ、猫は。カバは夜行性ですし、フクロウやミミズクも夜行性ですから、これらの動物は自然界の動物じゃないのか。

また、物書きとか絵描きさんは、作品が上がらないといけないわけですから夜型の人が多いんです。だから、そういうふうに言うのはエゴだと思うわけです。

それはそうと、夜に連絡が取れなくて、なしのつぶてというのは、もうこれ全然ダメです。びっちり来てびっちり帰る。

だったら、公務員のようなところへ行けばいいわけで、ほかに長所がどれだけあっても、連絡が取れない人間というのは職能力の一大欠陥です。

もし、電話が取れない状況にあるんだったら、「今はここにおりまして電話に出られません」というようなメールを必ず事前に送っておくとか、留守電に入れたら返事がすぐにパッと返ってくる。

十個連絡を出せば十個返ってくる。はがきも来たら返事を全部出す。電話とかメールが来たときは、十回来たら十回、百回来たら百回、はがきも手紙も、十回来た十回、百回来たら百回、千回来たら千回、全部返事を出す。

こうやって、連絡が取れる人とは一緒に仕事ができるわけです。

しかし、連絡の取れない社員は、たとえば、天変地変がやってくるとか、円盤が攻めてくるとかというとき、「キミだけは連絡が取れずにやられちゃうね。そのときは、ほかの人たちとは連絡が取れて助かるけどね、連絡が取れなかったらやられるね。

連絡が取れないということはいかに問題か、キミのいいところは連絡が取れることだったのに、連絡が取れなくなっちゃったら、ほかの子と全然変わりないね」と。

だから、社員にとって連絡する能力がいかに大事か、ということなんです。

人間としても大事です。芸術家というのは、たとえば、音楽をやっているときは、もう全部電話の電源をプツッと切ってしまう。絵を描いている人間は電源をブツッと切ってしまっているから、そういうときは誰か代理を頼んで、「いま絵を描いておりまして、何時から何時ぐらいまではかかりそうですので、途中で本人が出てきたら出ますけれども、何時ぐらいまでは連絡は取れません」と、この時間からこの時間は連絡が取れないということを連絡してあげればいいんです。

音楽の場合も、本番で歌を歌っているときに、連絡をすぐ下さいと言われても、そんなのできるかっていうんです。ピアノのコンサートで、これから弾くぞというときに、「いま、電話です」と言われても、演奏を止めて電話に出れるのか。

「いま演奏中です。何時ぐらいに終わりますから」と、留守電に入れておけばいいんです、細かく。一本でも電話をいただいた方に、「お電話をいただいてありがとうございます。今はこういう状況で、何時ぐらいになれば連絡が取れますから」というように、留守電にも、「何時ぐらいに帰りますから」と入れておいて、その時間に電話したらピッタリ必ず出る。

留守電に入れても何に入れてもすぐパッと返事が来る人は、連絡が確実に取れますから、仕事の相手として、あるいは社員として、一緒に仕事ができるんだけれども、なしのつぶて、言いっ放し、やりっ放し、出しっ放しでどうなるか分からない人というのは、今度からは頼めなくなります。

こういうところの、細かくちゃんとしている人というのは、社員の中でもやはり、一緒にチームワークで仕事ができるわけだから、連絡が取れる、あるいはちゃんと連絡してくれるというのは、これは、やはり非常に重要な職能力なんです。

「報告、連絡」と「相談」は根本的に違う

だから、昔から「ホウレンソウ」とよく言いますけれど、本当にうまく表現しているなあ、と思います。

それで、「私、彼にふられちゃって、何とかして」という相談は、もちろん聞くけれど、ふられたときにも相談、結婚のときにも相談、というように、何でもかんでも相談に来られても、上司も忙しいわけです。

だから、報告と連絡さえきちんとしてくれれば、相談がなくても、こちらのほうから、「どうなの?」と聞けるから、相談すべきことが重要になる前に解決できているし、改善できている。

しかし、報告もなく連絡もないのに、突然相談に来られて、

「実は、ニッチもサッチもいかなくなったんで、お助け願います」

「何も言わなかったじゃないか」

「はい、お忙しそうにしているものですから」

と言って、いよいよもうどうしようもなくなってから来るんです。もっと早く言ってくれればなんとかなるのに、「お忙しそうですから」と言うわけです。

だったらなぜ初めから、傷の浅いうちに来ないんだと言いたいわけです。結局は相談に来て、時間とエネルギーと手間隙、労力と費用を使わせるわけだから、初めから来てくれれば、問題が起きる前に解決できるわけです。

その方が非常に効率的ですし、便利ですし、実際に改善できるわけです。しかし、いよいよとなったときだけ来る。

「どのみち来るんならもっと早く言わんかい」というのが多いですね。

最初に話しましたように、お父さんと上司の違いはこれなんです。

上司に対する報告、これは義務です。次に連絡、これも義務です。相談はまあ義務ではない、必要なときに来なさいと。お父さんにいちいち、

「お父さん、明日に帰ります」

「そうか、がんばりなさい」

「次に、私はこうがんばっておりまして、今日の売上はこれですよ、お父さん」

「何でもよく報告してくれるのはいいけれど、お父さんも忙しいから、そんなことまでいちいち報告しなくていいよ。何か困ったときがあったら来なさい」と言って、突然お父さんのところに来て、「ふられた。金取られた。お父さん、何とかしてください」「ああ、そうかそうか」というように、困ったときに相談に来たら、「よし、よし」と聞いてくれるのがお父さんです。

しかし、何か困ったときに、相談に来るというのは、会社の相談役か顧問ならいいんです。会社の相談役とか顧問というのは、お父さんと同じと考えていいんです。顧問とか相談役には、いちいち報告しなくても、困ったとき、何かあったときに相談に行くのが相談役、顧問ですから、お父さんに近いんです。

しかし、会社の上司とはお父さんではない。どこが違うのか。それは、必ず報告する義務があるんです。

次に、連絡をちゃんとしなければいけない義務があるんです。もしお父さんに、上司みたいにつねに報告と連絡と相談をしていたら、もう、これほどの親孝行はありません。

「お父さん、今、三人目の女に立ち向かっております」(笑)

「そうか、がんばれ」(笑)と。

「その後、どうなんだ」

「ダメでした」

「そうか、お父さんもこの間失敗してお母さんに叱られたし、お互いがんばろうな」

「はい、がんばりましょう、お父さん」というのは、確かに最高の息子かもしれません(笑)。いちいち報告して、それから連絡して、

「お父さん、今ゲットしました。これからどうなるか分かりません」

「おお、がんばってこい。ところで、その人にお姉さんとか妹とかおばさんはいないの?」

なんてお父さんから電話がかかってきたりなんかしてね(笑)。

つねに報告、連絡、相談する息子がいたならば、もう最高に親孝行でしょう。何ていい息子なんだと。

しかし、お父さんはそこまで言わない。「何かあったら相談に来たらいいんだよ」というのがお父さんです。

しかし、会社の上司は違うんです。どこが違うのか。それは、報告という義務をちゃんとしなければ絶対にダメだ、ということなんです。