「心の底から興味を持たば、自ずから達するなり」
それでは次の話に移ります。
皆さんが参拝をしたとき、「男性社員の扱いは得意だが、女性社員は本当に苦手で」とか、「あの取引先は好きだが、この取引先はどうも苦手で」とか、「経理は得意だけど、営業はあまり向いていないようで」とか、「自分にこの方面の力もあったら、もっとビジネスチャンスが広がるのに」という、そのテーマについての観音様のお答えをいまからご紹介したいと思います。
ゲストが観音様で、出演料はタダです(笑)。いやいや、お布施をしましたから、お布施をした分だけ、たっぷりと今日は、観音様に講演をしていただきます。
「このテーマに関して観音様、どうお考えですか。われわれはどういうふうにしたら観音様のようになれるんですか。
ご意見をお聞かせ願えますか」とお祈りしたら、その答えが返ってきました。観音様からのお答えは、
「心の底から興味を持たば、自ずから達するなり」
と。体がポカポカとしてきましたでしょう。「心の底から興味を持たば、自ずから達するなり」とおっしゃっていました。
答えはこれだけだったのですが、「ああ、なるほど」ということで、どういうことなのか、私がその意味をかみ砕いて解説いたしますと、まず、「男性社員の扱いは得意なのだが、女性社員は本当に苦手で」という場合、どうしたらいいのか。
それに対する観音様からの答えが、「心の底から興味を持たば、自ずから達するなり」というものだったのですが、これはどういうことかといいますと、女性社員はどういうものが好きで、どういうものが嫌で、どういう基準で動いているのかなと、女性社員の実態、生態、生活状態、心理、傾向に対して、心の底から興味を持ったならば、自ずから達して、女性社員をどう扱ったらいいかということが分かってくる、ということです。
もちろん例外もあります。しかし、女性社員に心からの興味を持てば、必ず解決します。
私もかつて、なかなか女性社員が居つかないので、ハローワークに女子事務員、経理事務員を募集に行ったことがあります。そのとき、ハローワークの人から私が直接聞いたんです。
「ハローワークから経営者の皆さんに申し上げる際、一つの原則があります。女性社員は半年いたらいいと考えてください。一年いたら、それは相当いい女性社員で、三年いたら奇跡です」と(笑)。
本当にそう言われたんです。私の本にも書きました。
「ということは、中小企業の女性社員で三年以上いるとなると奇跡というか、化け物ですかね」(笑)
と。確かそのとき、入社して五、六年経っている女性社員がいましたので、その子の顔を思い浮かべながらハローワークの人に尋ねました。
「そういうものではないでしょうか。いま申したことはあくまでも一般論ですけれど、あなたの会社はまだ恵まれていますよ」
「じゃあ、六カ月いてもらおうとするときには、阪神タイガースの野村監督のあのピッチャーの交替劇みたいに考えたらいいんでしょうか。ここ一番のときにはアイラブ遠山が投げて、ふつうに先発するときには福原が投げて、また違うときには杉山が投げて、というかたちで、四人、五人の投手が交替で行くように、半年ずつで繋げていくようにしたらいいんでしょうか」
「まあ、そう考えていただければいいでしょう」と言っていました。いまは派遣社員というのもいますが、こういう不景気のときですから、派遣社員も、「土曜日だけでもいいですからお願いします」とか、「日曜日だけでもいいですからお願いします」とか、向こうのほうからお願いに来ます。
それで、「女性社員というのは半年もてばいいんだ」ということが分かってきたら、「うちはなかなかいい社員がいなくて」と考えることもありませんし、では、どうしたら長く居ついてくれるのかと考えたら、出世とか社会的な自己実現を満たしてあげるよりも、感情的に満たされた状態にしてあげると、女性は長く居つくんです。
どういうことかというと、女性と男性のケンカを例にしてみれば、だいたいパターンは決まっています。旦那さんと奥さんのケンカ。講義でよくお話ししますけれど、「隣の奥さんがこんなこと言うのよ。もう、私の気持ちも知らないで、ひどいわ」と奥さんが言ったら、旦那さんは、「そんなことは世間によくあることだから、どうってことないんじゃないか」と言います。しかし、奥さんは決して納得しません。
「でも、私はあの奥さんのためにこんなにしてあげたのに、ひどいじゃないの、あの言い方は」
結局、感情論なんです。「そんなのはどこにでもあることだよ」と言っても、「だけども」「だけども」と言う。
男性は常識的に、知性的に、客観的に考えて、「それは無理もないことだよ」と言う。
しかし、奥さんにしてみれば、それでは自分の感情が済まないわけです。「人がこういう気持ちだったのに、あんな言い方をするなんて、あんなことをするなんて」と。
しかし、感情が満たされてきたら、
「あの奥さんって本当にいい奥さんなのよねえ(笑)。こんなにしてあげたら、あんなに喜んでくれて。
それで今度は、トップスのケーキをくれたりなんかして、イタリアンレストランにも一緒に行ったのよ。ちょっとしたことで本当に喜んでくれて、あの奥さんは本当にいい人ねえ」
と言いながら仲よくなる。
しかし、ケンカをするときには、「あんな言い方をするなんて」とか「あれ「はひどいわ」と。男性は常識的に、知性的に、客観的に考えていますけれど、
女性はいつも感情論です。ということは、女性は感情が満たされたらいいということです。
また、女性社員のお昼休みの実態を見ていますと、お昼休みが一時間あったら、三十分ぐらいかけてご飯を食べていたりします。
そして、あとの三十分は何をしているのかというと、週刊誌のゴシップ記事を読んだりしているんです。
「松田聖子がどうのこうの」「羽賀研二って、あれ偽装だったのよね。また、あんなのとくっついちゃったりしちゃってさ」「藤原紀香が共演した佐藤某とロサンゼルスでね」なんていうことを、ずっと話しています。
深見先生もよく知っているな、と思うでしょ(笑)。「ロサンゼルスでねえ。
お互いにスポーツ系で関西出身だから意気投合したみたいで、はじめはお互い、嫌なやつって思っていたらしいよ」と。
そういうようなことをペチャクチャペチャクチャ話していて、時間が来たら、「さっ、仕事だ」と言って職場に戻る(笑)。
そのように、女性は何か食べながら芸能ゴシップをネタにして、ペチャペチャペチャペチャと三十分はしゃべらないと休憩にならないんです(笑)。
男の場合の休憩は、ボーッとタバコを吸って空を見上げたり(笑)、新聞を見ながら「うーん」なんて言ったりしています。
体を休めたり、静かにコーヒーを飲んだりもしています。ときどき、先輩とか同僚と話をすることもありますが、女の子はそれではダメなんです。
芸能ゴシップか何か話のネタがあって、「ああなのよ、こうなのよ」とペチャペチャペチャペチャ話をする。男からすれば実にくだらないと思うようなことが、女性から見ればきわめて重要な(笑)ひとときなんです。
ペチャペチャペチャペチャしゃべり続けると、「ああ、よかったわ。じゃあ」ということで満足して休憩を終える(笑)。
そして、そこにはだいたい紅茶があってケーキがついている。要するに、男にとっての酒の肴が、女性の場合はケーキと紅茶になるわけです。
そして、芸能ゴシップをネタにペチャペチャ三十分くらい話をする。休憩時間に何をしているかというと、基本的にそればっかりなんですから。
「ああ、それが女性社員にとっての休憩か」と。
男は体を休め、頭を休めるためにボーッとしているケースが多いですけれど、女性は違うんです。
ペチャペチャ三十分以上のおしゃべりをして、仕事とは関係のない、主に芸能ゴシップに話の花を咲かせる。
「あの男とあの女ができたのどうの」「あの男、私見たのよね、ファミレスで」「えっ、本当?私も見たのよ」「えーっ」なんて言いながら、「そろそろ時間だわ」と言いながら、幸せそうな顔をして、午後の仕事に専念しているんです(笑)。
知性を使って仕事をしたら、その分だけ感情を満たすために、紅茶とケーキを食べながらペチャペチャお話をする。
それが女性にとってのストレス発散であり、そのひとときがハッピーなひとときなのです。
「ああ、なるほど」と。私もそういうことが分かってきて、ケーキ好き、紅茶好きになって、お茶でも飲みに行こうよということで、いろいろ女性社員と一緒になってペチャペチャペチャペチャ話すようになりました。
最初は虚しくて、腹が立ちました(笑)。「もっと有意義な人生を送れ、バカ者」と(笑)。
読書なんかしていません。いや、しています、週刊誌という本を。どこを見ているかというと、袋とじとかゴシップ記事。袋とじは一人だったら見るんだけど、人がいたら見ない(笑)。
それからゴシップ記事で、好いた腫れたの世界です。だから、上の人間は好いた腫れたの世界とか、「藤原紀香がどうのこうの」という話をしたらいいんです。
そうしたら、「そうなのよ、部長よく知っているわね」と言って、目を輝かせるし、生き甲斐をもって仕事をしてくれます(笑)。
たったこれだけのことだったのです。これが分からないがために、「なんであの子は、今日一日、不愉快そうな顔をしているんだ?」と。
「藤原紀香にまた恋人ができたらしいね」
「そうなのよ、部長。実はね、前の恋人はね……」
「それも結構だが、もっと仕事もせい」
仕事が終わったあと、そういうお話をしていると感情がいつも満たされているので、職場に定着して、一生懸命に仕事をするわけです。女性は基本的に、出世がどうのこうのではありません。
周囲の人間関係において、感情が満たされていたら幸せを感じるから、そうすると、一生懸命に働くんです。
男性社員はそうではありません。やはり、才能や自分の得意とするものが認められて、抜擢されるとか、生き甲斐のある仕事を任されたら、喜んで働くわけです。
この違いがなぜ分かったのかというと、「心の底から興味を持たば、自ずから達する」ということなのです。女性社員にどうしたら気持ちよく、幸せな気分で働いてもらえるのか。
そして、六ヶ月が一年、一年が三年、三年が五年へと長く働いてもらえるかと考えたら、やはり興味を持つことです。
女性社員が苦手だ苦手だと言っている人は、心の底から興味を持たないから、あるいは持とうとしないからです。
興味を持ったら、女性社員の実態が分かってくるから、どうしたらいいのかも自ずから分かる、ということです。
やりにくい取引先を克服するには
次もそうです。
「あの取引先は好きだが、この取引先はどうも苦手で」という質問に対してですが、苦手だというその相手は、だいたい取引先の担当者なんです。
私が初めてスーパーと取引できた相手はDPストアでした。営業に行くと必ず二時間は待たされました。
その間、いろいろと本を読んだり、英単語を覚えたりしながら、「二時間も待っているんだぞ」ということを態度で示すのですが、その担当者は人を待たせることを全然気にしない人でした。
大変な腕利きなんですけれど、性格が屈曲していて、業者はみんな泣かされていたんです。
在庫が残って返品してくるときなんか、それはもう厳しい厳しい。有無も言わさず返品してきます。
だけれども、そういう人が出世するわけです。
逆に、性格のうんといい課長がいて、私たちが提案すると、「うん、これいいじゃないか、やれよ」と言って受け入れてくれる。けれど、私たちにとっていい人というのは、要するに、業者に甘いわけだから、結局、社内ではうだつが上がらないし、左遷されたりする。反対に、私らにとってやりにくい人は、
業者を上手に御しているわけだから、どんどん出世していく。
その腕利きの人はU課長というんですけれど、アニメに出てくる、ヒッヒッヒッと笑う犬がいたでしょう。
えっ、ケンケン?そう、あんな顔です(笑)。あの犬にそっくりで、笑い方がとくに似ていて、ヒッヒッヒッと笑う(笑)。
何て嫌らしいやつだ、もう嫌だー、苦手だー、と、そう思ったんですけれど、とにかく下手に出て、あるとき、「U課長、どうぞ」といってビール券を贈ったら、「あのさ、おいでよ、おいでよ、おいでよ」と、態度が急変したんです。
「どうして急に?あっ、ビール券を贈ったからだ」と。 U課長はビールが好きだったんです。
それまでは泣かされてばかりでした。「あのさ、今度さ、フェアをやるんだけどさ」と言っては、何かにつけて掛け率を下げるよう要求してくるんです。
たとえば、西武ライオンズが優勝したら西武デパート、阪神が優勝したら阪神百貨店が優勝キャンペーンをやりますが、定価の何割引とか言って、優勝記念フェアなんてやりますね。
あれは、消費者にとっては喜ばしいことかもしれませんが、その陰で実は問屋が泣いているんです。
普段、六掛けで卸しているのならば、四・五掛けにしてくれとか言われて、問屋は泣かされるんです。
だから、西武ライオンズが優勝したら、「ああ、また優勝してしまった…………」と。阪神が優勝しそうになったら、「お願いだから優勝しないでくれ」と(笑)。
問屋の掛け率がうんと低くなって、その低くなった分でフェアをやるんです。消費者にはいいですけれどね。
U課長は、とにかくやりにくい人でした。けれど、ビール券を贈った次は、えらく機嫌がいい。結局、やりにくい相手なんだけれども、U課長という人の実態を、「心の底から興味を持って」見ていたわけです。
すると、ビール券を贈ったり、ビールを飲んだりしたときにはえらく機嫌がいい、ということが分かってきて、
「U課長、ビールを飲みに行きましょうよ」
と誘うと、
「うーん、いま忙しいんだよ、俺は。そういう暇がなくてねえ。えっ、ところでいつ?いつなの?」(笑)
「来週の月曜日あたり、どうですか?」
「月曜日?あいにく忙しいんだよ、会議があって。えっ、六時半?六時半ならいいよ。忙しいんだけどね、俺は」(笑)
それで一緒にビールを飲んだら、会社の実態をいろいろと教えてくれて、また「おいでよ、おいでよ」と。
しかし、機嫌が悪くなったらまた、
「U課長、行きませんか。居酒屋でおいしいホッケがあるところを見つけたんですよ」
「えっ、本当?」
U課長の好きな肴を覚えて(笑)、その肴で釣るんです。
そして、機嫌が悪くなったらまた連れていく。
向こうも考えて、機嫌を悪くしたら連れていってくれるんだな、と(笑)。
「連れていってよ」とは言えないから、機嫌の悪い態度を見せる。
それで、「ははーん、連れていって欲しいというサインだな」ということで、機嫌を悪くしたら連れていくという暗黙の了解ができていたわけです(笑)。
連れていっても、だいたい二千九百八十円以内で収まります。
そういうふうにしていったら、ほかのどの業者さんよりいい取引ができて、返品があるときでも、「例の商品、返品しなければいけないから、返したからね」と、前もって言ってくれるようになりました。
それまでは、いきなり返品を寄越してきていたんです。ところが、まめに接待するようになったら、「いま、売上と粗利と在庫の率があるから、こういうふうにしなければいけないから」と最初に言ってくれるようになりました。
それを受けて私も、「分かりました」と素直に返事をすると、いつもいつも、「おいでよ、おいでよ」と言ってくれて、味方になってくれました。
結局、ビール券を贈って、ビールが好きなんだということが分かって、「行きましょうよ」と誘うようになったら、その取引先が好きになりました。
U課長は、業者にとっては本当にやりにくい人でしたが、優秀な人だから、課長から次長、次長から部長へとどんどん出世していきました。
みんなにとっていい人というのは、業者さんにとっては与しやすいわけだから、会社側にとっては不利益なことでも、業者のためにやりすぎる傾向があります。
だから、うだつが上がらない。結局、仕入れから別の部署に移されました。
やりにくい人に限って出世するし、仕事がうまいし、業者をうまく御している。
だったら、逆にこちらが御していけばいいんだということで、興味を持ってU課長とお付き合いをし、その会社の状況を見ていたら分かってきたんです。
「ははーん、こうしたらいいんだな」と。そうして、不得意な取引先を克服していきました。
苦手だったのが、克服したら逆に可愛がってくれて、「もう三年経つね、四年経つね」と言いながら、いろいろと情報を教えてくれました。
そのほかでは、Mというグループの部長も同じようなタイプでした。一番の腕利きは、とにかく業者が恐れるタイプの人が多いんです。
しかし、そういう人が出世するわけです。そういう人は出世株だし、私らがやりにくい人は他の業者もやりにくいし、おそらく部下もやりにくいでしょう。
しかし、ものすごく頭がいいし、悪知恵が発達しているわけです。
しかし、興味を持ってその人を見ていたら、ワニのようであったり、カエルのようであったり、馬のようであったり、何らかの動物にたとえられるような変わったご性格というか、クセが必ずあります。
そこをピッとつかめば可愛がってくれる。そうやって興味を持って観察していかないと、苦手だという壁は永遠に越えられません。
そうやれば、仕事というのはうまくいくんです。
次の「経理は得意なんだけど、営業はあまり向いていない」と思う人は、営業というものに対して、心の底から興味を持ったらいいんです。
営業とはどういうものなのか。あの人はトップセールスマン、この人はまあまあのセールスマン、この人は全然ダメ、と。
なぜなのか、どこが違うのか。あるいは、トップ営業マンの極意とはどういうものなのか。
とにかく、営業というものに興味を持ったらいいのです。
得意、不得意、向き、不向きはまったく関係ありません。そんなことを考える前に、まず興味を持つ。
そうすると、「ああ、営業というのは面白みがあるんだな」「こういう営業をやればいいんだな」ということが分かってくる。
だんだん知識や情報が増えてきて、面白みとうま味が分かってくる。そうすると、自分もやってみたくなります。
「好きこそものの上手なれ」と言いますけれど、好きになる前にはまず、興味から入るわけ。
好きか嫌いか分からないけれど、興味はある、と。興味を持って聞いていると、「ああ、面白そうだな」となり、「やってみたいな」となって、さらに「好きになってやる」ようになるわけです。
これができないのを「食わ「ず嫌い」と言います。食わず嫌いを直すには、まず興味を持つことです。
しかし、興味を持っても、「でも、やっぱり」という人がいます。それは、「腹の底から、心の底から」が抜けているわけです。
やはり、自分の心をどのようにでもできるように持っていって、とにかく心の底から興味を持たなければいけません。
不向きだな、営業にあまり向いていないなと思っても、向き、不向きに関係なく、とにかく心の底から営業に興味を持ってみよう、と。
営業ってどんなものなんだろうか。なぜ、いい営業と悪い営業、まあまあの営業の差ができるんだろうか。そもそも営業ってどんなものなんだろうかと、興味を持って営業の本を読む。
あるいは営業マンから直接話を聞く。そうすると、「ははーん。それが営業というものなんだなあ」と、だんだんとやれそうな気持ちになってくる。
実際にはやらなくても、少なくとも理解できるようになってきますし、偏見がなくなってきます。
そうなったら、営業の人間の話に耳を傾けるようになりますし、営業の人間を使えるようになりますし、少なくとも、営業の人間の気持ちが分かるようになります。
不得意だとか向かないだとか思っているのは、そこに興味を持たないからです。心の底から興味を持ったらクリアできます。
これが観音様の答え、「心の底から興味を持たば、自ずから達するなり」です。ここに自分の心の置き具合を変えていくと、クリアできます。
「その心の置き具合を変えられないから、バランスの悪いまま、ずっと克服できないんだよ」ということです。
また、「自分にこの方面の力もあったら、もっとビジネスチャンスが広がるのになあ」という方面があるなら、その方面に対して心の底から興味を持ったらいいわけです。
そうしたら必ずクリアできます。いつの日か必ず達することができる。
これが観音様の答えです。
深見流女性社員の扱い方
それで、ここからが私の解説です。
では、私の場合はどういうふうにしているのかというと、「事なかれ主義では済まん六千日」ということなんですけれど、経営者にはやらなければならないことがいっぱいあります。
私の『中小企業の経営の極意」(たちばな出版刊)にも書いてあるように、販売管理、財務管理、労務管理、それから資金調達、税金対策の、この五つのことをバランスよくやれるようでなければいけません。
それで、たとえば、とりあえず興味を持ってクリアする前に、「男性社員の扱いは得意だが、女性社員は本当に苦手で」と私が思っているとします。
もちろん、興味を持っていくようには努力するんですけれど、すぐに女性社員の扱い方が分かるわけではありません。
だから、とりあえず即効性のあるやり方ということで、私だったらどうするか。
即やれる方法。即効性のあるクリアの仕方。応急処置。観音様の言うことはそのとおりなのですが、即、全部できるわけがない。
勉強しても時間がかかります。しかし、経営は今日明日の勝負だし、今月来月の世界だから、ではどうするか、と。
男性社員の扱いは得意だけど、女性社員は本当に苦手だと思っている場合、いつの日か克服するには観音様が言うとおりにやればいいのですけれど、とりあえずどうするかというと、女性社員の扱い方が上手な社員を活用するんです。
その男の子がいると、女の子がわーっと寄ってきて、その男の子の言うことなら何でも聞くという、女の子の扱いが上手な人っているんです。その人に、「あの女の子、ちょっとやりにくいんだけどさ、君、私の代わりに言ってくれないかな」
「ああ、いいですよ」
と。その子が言うと、女の子は、「うん、やる」と、素直に答える。
しかし、私が言うと、「ええ、やるんですか?」(笑)と、嫌な顔するんですけれど、そういう女性でも、その男性に言われると、「はい」と素直に言うことを聞く。
あるいは、その女の子にとっての天敵のような、お姉さんみたいな人がいます。その人の言うことなら聞くという人がいます。
だから、誰の言うことなら聞くのかをよく見ていて、その人に「済まんけれども、あの女性社員に私の代わりに言ってくれないか」
「あっ、分かりました」と。それを六千日言えばいい。
これが「済まん六千日」の教えです(笑)。
「済まんけど、あの子に何とか言ってくれないかな。済まんね、済まんね」「分かりました」というように、六千日言えば観音様のようになれる、と(笑)。
それから「あの取引先は好きだけど、この取引先はどうも苦手で」という担当者がいたら、ウマの合う社員もいるわけだから、「君ならあの部長に好かれるだろう。私はどうも苦手だから、君が行ってきてくれないか」
「分かりました」ということで、取引先に行ったら可愛がられた、と。そのときに、「本当は私が担当なんだけど、ちょっと不得意なものだから。長期的には興味を持って克服するけれども、とりあえず君が行ってくれるかな。済まんな、済まんな」と六千日言えばいいんです(笑)。
深見流やりにくい取引先の克服法
次に、「経理は得意なんだけれど、営業はあまり向いていない」という人に対する私の答え。
営業に対して、長期的には克服するために、まず興味を持つように努力するのですけれど、とりあえずの策としては、「君、昔から営業で鳴らしているわけだから、ちょっとこの営業を行ってくれんかな。済まんな、済まんな。本当は私が行かなければいけないんだけど、君のほうがより向いていると思うから、頼むから行ってくれよ。ステーキをご馳走するからね、済まんな、済まんな」と言って六千日(笑)。
営業が得意な人に、「済まんね」と言ってお願いしたらいいわけです。
得意なところは自分がするけれども、不得意なところは得意な人に頼んだらいいのです。これが即効性のある経営者の考え方です。
頭をもっともっと柔らかくして、自由自在に考えなければなりません。
そんな、一人の人間が、すぐに全部オールマイティにできるわけがないんです。長期的展望としては、克服すべく努力はするし、クリアしていくんですけれど、即効性はありません。
どんなに有能な人でも、いきなりはできないです。だったら、得意な人に、「済まんね、済まんね」と頭を下げて、お願いしてやってもらえばいいわけです。
「これは私がするけど、この部分はちょっとお願いするね。
済まんね、済まんね」とお願いして頼めばいいわけ。これが「済まん六千日」の教えなのです。
経営者は、結果として五つのことが何でもできたらいいのです。結果として、販売管理、財務管理、労務管理、資金調達、税金対策ができたらいいんです。
あるいは、得意なものは直接、不得意なものは間接にやればいいわけ。間接というのは得意な人にお願いして、「済まんな、済まんな」と上手にお願いしていったら、結果として即できるわけです。
しかし、いつもその方法しか取らないでいると、本人の能力が伸びません。
そこで、人にやってもらいながら、同時に、自ら勉強する必要があります。
ただし、その際は、「女性社員っていうのは、ああやって扱えばいいんだな。ああやって営業をやるんだなあ。ああやって取引先に行くんだなあ。すごいなあ。それにしても君、うまいね」
「いやあ、大したことないですよ。私はずっとこれをやっていますから」
「でもすごいよ。君、どうやってやるの?」
などと、人から聞いたほうが早い。私ならそうします。
「君はどうやってあの課長を攻略したの?」
「君はどうやってあの女性社員に言うことを聞かせたの?」
「どうやって営業を切り開いたの?」
「こうやって、こうやって、こうやるんですよ」
「そのコツは何なの、そのコツは?」
「一緒にゴシップをペチャペチャ話せばいいんですよ」
「あっ、そうなのか」
「とくに紅茶とケーキがいいんです。紅茶も四季折々にテーストを考えて。それからケーキも、いまだったらティラミスですね」
と。ひと口にケーキといっても、ブームになっているケーキというものがあります。だから、ティラミスが流行しているならば、
「ティラミスをご馳走しようか」
と言うと、
「えっ、ティラミスですか?だったら行こうかな」
と。それで話をよく聞いてあげると、こちらの言うことを聞いてくれるようになるわけです。
「ああ、なるほど、それがコツか」
「はい、それがコツです。部長とだったら赤提灯に行くじゃないですか」
「ああ、赤提灯、いいねえ」
「だけど、女性は赤提灯はダメなんです。赤いジュータンのバージンロードに憧れていますから、あの白いレストランがお勧めです」
「白いレストラン?」
「とくに、ホテルのレストランだと、あの雰囲気に女性は「はあ~」となるんです。それだけで七割はこちらのリードでいけます。しかし、くれぐれも赤提灯はダメですよ」
「いや、俺は赤提灯がいいと思うんだけどなあ。裸と裸でぶつかり合えるからねえ」
「それはどこか別なところでなさって下さい(笑)。男同士はいいんですけど、女性は何といっても、ホテルのレストランがいいんです」
「ああ、それがコツね」ということで興味を持って、とりあえずのところは得意な人にお願いする。
と同時に、得意になるポイントを聞いて教わる。
「どうやってやるの?」
と、そのコツを聞くんです。私だったら、そういうふうにやっていきます。即効性を考えたら、得意な人に、「済まんな、済まんな。ありがとう」と頭を下げてお願いする。
それでうまくいったら、「本当にすごかったね。まいった、「すごいよ」と褒め称えてあげるんです。
そうしたら、「いやあ、そんなことありませんが、またやりますから、いつでも言って下さいね」
「本当に済まんなあ」
そうやって謙虚にお願いしたらできるようになるわけです。結果としてオールマイティだったらいいんですから。私だったらこういうふうに考えます。
深見流自在性を身につける法
それからもう一つ、「自在性を得るにはどうしたらいいのか」ということについて、これはまさに観音様がおっしゃっているとおりなのですけれど、「見よう見まねでとりあえず、ぎこちなく、まずやってみる」というのが私の答えです。
私だったら、得意な人を見て、「ああやってやるのか」と思ったら、とにかく見よう見まねでやってみます。
絵でも書でもそうです。それから、俳句でも音楽でも何でもそうなんです。いろいろと物事をマスターしていこうと思ったら、まずは、「見よう見まねでとりあえず、ぎこちなく、まずやってみよう」と思ってやるわけです。
先だって、日本歌曲のCD 「日本の歌」(たちばな出版)を出しましたが、これなんかも、見よう見まねでいいからCDをつくろう、とにかくまずはやってみよう、と。
つくってみなければ分かりませんから、まずやるわけです。そうやってつくったあとで、いろいろな方にご意見をお聞きすると、
「歌い方もよかったけれども、発声を統一したほうがいいんじゃないか。選曲はこのようにしたほうがよかったんじゃないですか」
「ああ、そうか。そうすべきだったんだ」
と、気がつかなかったことに気づく。どんなことでも、まずはやってみなければ分かりません。
「見よう見まねでとりあえず、ぎこちなく、まずやってみる」「やってみなければ、物事の実態は分からない」と。
私だったら、最初に、見よう見まねでとりあえず、ぎこちなく、まずやってみます。「やってみなければ物事の実態は分からないから」と言って、歌でも詩でもつくるし、書でもとにかく書いてみる。絵でも描いてみる。書画集でも、とりあえず、ベストを尽くして取り組んでみます。
それで、形になって時間が経過したら、「ああすべきだった、こうすべきだった」と反省する。それをコーディネーターに頼みますと、「アーデネーカー、コーデネーカー」と言われます(笑)。
しかし、指示を受けたままにはしません。絶対にそれで引き下がらないで、次に改良形を必ず出します。
よき指導者、経験者に意見を聞け
私の答えの第二は、「よき指導者、経験者に意見を聞き、反省して、改善し改良した次の作を必ず出す」と。
絵でも書でも、もちろん経営でも営業でも全部同じです。営業でも、見よう見まねでとりあえず、ぎこちなく、まずやってみて、次に、
「私、こういうふうにやってみたんですけど、こういうふうなところがうまくいかなくて、これがよかったんでしょうか。これからどうしたらいいんでしょうか」
と、よき指導者、経験者に意見を聞けば、
「あっ、そうか。いきなり「うちの商品は最高!」なんて言ったのはバカっぽかったなあ。会社の経歴から説明すべきだったなあ。
相手の意見を聞いてから自分の製品をアピールすべきだったなあ。相手が何を求めているかを聞かないで、こちらのほうのことばかりを言っていたのが悪かったなあ」
と、反省点が出てくる。そして、次回はこういうセールストークでやっていこう。
前回は顔も悪かった、金髪で行ったのが悪かった、スーツがちょっと堅すぎたから、次からはもっと親近感を感じさせるようなスタイルで行こう、と。そういうふうな改善点が発見できて、次にもう一回必ず行く。
営業も経理も、女性社員の扱い方にしても、絵も書も歌でも、全部そうです。やってみなければ分かりません。だから、何でも「見よう見まね」なんです。
「見よう見まねでとりあえず、ぎこちなく、まずやってみる」と。そうしたら、実態が分かってきます。
ですから、どうしたらいいのか、どこが悪かったのか、よき指導者、経験者に意見を聞いて反省して、そして次にやったら、うまくなっているわけなんです。
会社の経営もそうです。会社はどうやって設立して、会社の経営はどうやったらいいんだろうかと考えるよりも、とりあえず独立したいと思うんだったならば、世の中はそんなに甘くはないけれども、見よう見まねでとりあえず、ぎこちなく、まずやってみることです。
「あのう、銀行からどうやってお金を借りたらいいんですか。借りようと思ってチャレンジしたんですけれど、貸してもらえなかったんです」
と尋ねれば、
「あっ、君。ここが悪いから貸してもらえなかったんだよ」と、教えてもらえます。
あるいは、「従業員を入れたんですけど、すぐに逃げられちゃって。どうしたら居つきますでしょうか」と、よき指導者、経験者に聞けばいいのです。
やってもいないのに、一番目をクリアしてもいないのに、初めからよき指導者、経験者に聞いても、「はあ?」となるわけです。聞いても、頭の中を素通りするだけです。
具体的にどこがどうなのかという具体例と実際例を持って聞いたら、具体的、実際的に教えてもらえますが、ただ一般論としてお話だけ聞いても、「ああ、そうですか」で終わって、永遠に何もできませんし、何も残りません。決して万能にならずに、得意なものは得意、不得意なものは不得意なままで終わりです。
話を聞いているだけで、永遠に次に進まないわけです。
どうしたら物事がうまくなるのか、どうしたら何でもできるようになるのか。その原則はこれなのです。
とにかく、見よう見まねでやってみよう、ぎこちなく、下手クソでもいいから、やってみる。
そのあと、ちゃんとした指導者や経験者に聞いて、「ああ、そこがいけなかったんだ」と反省して、次に次作、また次に次作と取り組んでいくのです。
場数を踏んで、大きな舞台に立て
私の答えの三番目は何かというと、「場数を踏んで、徐々に大きな舞台か場面をつくっていく」というものです。
場数を踏んでいくと体で覚えていきます。体で覚えていくと、先ほど説明し創業者のように、直感とか説得力、お願いの仕方、文章の書き方、電話のかけ方などに関する生きた知恵が身についていきます。
しかも、ただ単に場数を踏んでいるだけでなく、徐々に大きな舞台とか場面を踏んでいくとどうなるのかというと、誰でも必死になってやるわけです。必死になったらどうなるか。
「どうしようか、どうしよう」と、不安になったり、震え出したりする人もいますが、神仏に必死に祈る人もいます。
私たちのように、浅草観音にお参りしようかという人はだいたい後者で、必死になって九頭龍さんにお願いしたり、観音様にお願いしたり、ありがたそうな神社仏閣にお参りしたり、朝な夕な二十一日祈願だとか、人形・形代をいっぱい書いたりして、「何とぞ、何とぞ、これができますように!」と必死になって祈りながら取り組みますから、自分の能力や知恵や実力の壁をパーンと越えていく何ものかが出てくるわけです。
そういう大きな舞台と場面をつくらないと、必死になって努力しないから、能力が本物にならないんです。
私はそれを知っているから、徐々に場数を増やし、さらに大きな舞台や場面をつくって、それに挑戦し続けているわけです。
手応えのある感動をつくれ
四番目は何かというと、「形にはっきり残す何かをつくり、手応えのある感「動をつくる」ということです。
たとえば、書画集とか俳句集とか歌集とか、文章だったら文集にするとか、音楽ならCDにするとか、あるいは、舞台をつくってきたのであれば、「何と記念」の記念すべき記念写真に収めるとか、とにかく形に残すことです。
もちろん、いろいろな形があります。神仏の道に生きていてよかった、神仏を敬っていてよかったと実感するのは、だいたい九十パーセント以上、何らかの形となって結果が出たときです。
たとえば、結婚願望のある人が、神様にご祈願して結婚が決まったら、神様のお陰だと思うはずです。
しかし、結婚が決まらなければ、たとえいいことがたくさんあっても、神仏を疑うかもしれません。ですから、何らかの形になって現れるということが大切なのです。
その形には、結婚という形もあれば、子どもができたという形もあります。あるいはまた、お金が入ったというキャッシュの爽やかな感動もあります(笑)。
それから、新聞に名前が載ったという喜び。そういうのもあります。
たちばな出版にE君という営業部長がいます。彼は元暴走族なのですが、な暴走族をやっていたのかと聞いたら、とにかく自己顕示欲で、「これでどうだ!」とバーンと暴走するのがうれしかった、と。
そして、トラックと正面衝突して、実は命が危なかったんだそうですが、その翌日、「暴走族のE某がトラックと正面衝突」と新聞に載ったというんです。
それを見たE君は病院で、「やったあ、自分の名前が新聞に載った!」と感動した、と。それが生涯の中で一番うれしいときだったと言うのです(笑)。
確かに、悲しいことで新聞に載るようなことがあったらいけませんけれど、たとえば、何かのコンクールに入選して新聞に名前が載ったら、それはうれしいですね。
今度、スタッフが二人、読売新聞主催や毎日新聞主催の「読売展」や「毎日展」に出展しましたが、入選したら新聞に名前が出ます。
私はスポーツ新聞に名前が載りました。
日刊スポーツの釣りの欄に、「かっばれ百三十七センチ東京・半田晴久」と。魚を釣ったという記事が出ただけで、何かうれしかったんです。
「かっぽれ百三十七センチ東京・半田晴久」。百三十七センチのかっぽれを釣ったということがスポーツ新聞に出たんです。
他の分野ではいっぱい名前が出ていますけれど、釣りの分野では初めて名前が出たので、何とも言えずうれしくて、その記事を大切に保管しています(笑)。
新聞に出た、と。いままで釣りをしてきて本当によかった、と。「かっぽれ百三十七センチ東京・半田晴久」。
何度も反復しました(笑)。釣りをやっていてよかったと思いました。
些細なことなんだけれども、やはり形に残すはっきりとしたものが大切だということです。そういう手応えのある感動があると、いつまでも継続できますし、そして、「やるぞ!」という形で、能力とか才能がますます出てくるわけです。
ですから、結婚が決まったとか、子どもができたとか、病気が治ったとか、お金が入ってきたとか、本になったとか、CDになったとか、写真集になったとか、あるいは新聞に名前が出たとか、そういうときには誰もが記念に残すものです。
野球をやっている人だったら、高校野球で甲子園に出たというだけで野球をやっていてよかったと思うのではないでしょうか。
これからも一生、野球を続 けていきたいと思うのは、甲子園に出たという誉れと、テレビに出て、新聞に出た感動があるからです。
たとえ負けても、泣きながら甲子園の砂を持ち帰って、形に残すでしょ、甲子園に出たという感動を。
写真でもいいし、ビデオでもいいんでしょうけれど、「これが甲子園の砂なんだ」と。一生の喜びですね。
形に残すのが上手な人は自分の能力を次々次々に開いていくことができて、いろいろな分野で、何でもできるようになっていくのです。
