経営者は社説を読め
今日は、社説のことについてお話ししたいと思います。
あるとき、産経新聞の社説だったと記憶していますが、それを読んだら、何と素晴らしいことが書いてあるのかと思いまして、内容もいいし、文章もしっかりしていました。
私はメルマガを出していますから、文章には気を遣っていますが、基本的に文章には、起承転結があり、序論、本論、そして、左側と右側があって、それで結論が出ていきます。それが一つの基本形です。
それで、何ヶ月か前の朝日新聞の社説に自殺のことが書いてありました。自殺の件数が三万三千件で、七年連続して自殺者が三万人を超えているというのです。
それから、十年前は交通事故で死ぬ人の数が自殺者の数の半分だった、と。確か、交通事故で死ぬ人が、年間約一万二、三千人だったでしょうか。
そして、この十年でどうなったかというと、交通事故で死ぬ人の数が、自殺者の四分の一にまで減ったというのです。
三万人に対する四分の一ですので約七千人。つまり、十年前と比べて、交通事故で亡くなる方の数が約半分になったわけです。
なぜ、交通事故で死ぬ人の数が半分になったかというと、「官民一体となった協力があったからだ」と朝日の社説は言うのです。
警察と民間との協力、官民一体となった協力によって、交通事故で亡くなる人の数が半分に減った、と。
一方、自殺の中で一番多い原因は病気を苦にした自殺だ、と。病気で苦しい、こんなに苦しいのだったら生きていてもしようがない、というので自殺する人が五十七パーセントで半数以上。
あとの三割ぐらいは、借金苦で自殺する、と。不況になればなるほど、借金とか倒産とか破産とか、お金が返せなくなって自殺する人が増えて、そういう人がいま、自殺者の中の約三割を占めているそうです。
ということは、九千人弱ぐらいになるでしょうか。それだけの人が借金を苦にして自殺しているようです。
それで、借金苦で自殺する人のうちの九割が男性。女性はその一割しかいないということです。
だから女性は強い。ものすごく強いですね(笑)。病気を苦にする自殺と借金苦の自殺以外は、うつなどの精神的な問題。これが二割弱だということです。
その朝日新聞の社説は一回しか読んでいませんが、数値までしっかりと覚えています。数値だけではなく、言わんとすることまでちゃんと覚えております。
いまお話ししたのは、社説に書いてあったことで、私はそのとおりにお話ししただけです。
社説を書く人は、そういうような細かいデータまできちんと調べて書くわけです。
社説を見てみたら、朝日でも毎日でも読売でも、だいたい二つぐらいのテーマが取り上げられています。
つまり、アイテムが二つあります。
それで、一個のアイテムを読んでみたら所要時間が約五分です。ということは、二つのアイテムを読むのに約十分かかるわけです。
テーマとしては、郵政民営化とか自殺の問題、あるいは交通事故の問題や台風などの自然災害の問題など、いま話題になっているホットな問題が取り上げられることが多いですね。
主として、政治、経済、社会問題等が多いんですけれど、社説ですから、新聞社のプライドをかけて書いていると思います。
そのためには、こういう意見もあるということで、左側と右側、賛成派と反対派に配慮する。それから起承転結。
そして、序論があって本論へ展開し、そして、最終の結論としてこうだ、と。
それで、その自殺の問題に対する朝日新聞の社説の結論は何かというと、「官民一体となって取り組んだ結果、交通事故で亡くなる人が約半分に減ったんだから、自殺対策も官民一体となって取り組んでいかなければいけない」ということなのです。
それが結論なのですけれども、官民一体でどうやって自殺者を減らすのか。
私に言わせれば、自殺者が減らないのは宗教教育がないからです。しかし、宗教教育をしても自殺する人は自殺するんです。
自殺して霊界に行ったらどうなるかということが分かっていないから、自殺する人がいるわけです。ワールドメイトの会員さんにもいます。しかも、分かっていながら憑霊されたりして、
発作的にパッと自殺することもありますから、宗教教育を施したからといって、必ずしも百パーセント効果があるわけではありません。
しかし、宗教教育が日本にないから自殺者が多いということは間違いありませんし、宗教教育を導入すれば自殺者が減ることも、これまた間違いないところです。
ところが、そういうことは朝日新聞に書かれていませんでした。官民一体となって自殺対策に取り組めなんていうのはもっともらしい結論ですけれど、官民一体の協力って具体的に何なのか。そういう具体論は何も書いてなくて、ただ官民協力でやっていけとしか書いていない。
その社説には書いてありませんでしたけれども、よく言われているのは、オーストラリアでは若者の自殺が多いんです。将来に対する不安感から自殺をするとか、ドラッグをやっていて衝動的に自殺をするとか、とにかく、オーストラリアでは若い人の自殺が多いんです。
日本の場合は、若者の自殺はあまり多くはありません。その代わり、お年寄りの自殺が多いんです。若いときは、お姑さんのためにとか小姑のためにとか、シュート、カーブ、シンカーなんてやっていたけれど(笑)、自分がお姑さんになったら、時代はすっかり変わっていて、姑として威張ることができず、むしろ、嫁に気を遣う立場になってしまった。
しかも、息子は息子で嫁の側についてしまうし、これではしようがない。
嫁の顔なんか見たくないし、息子にも迷惑をかけたくない、ということで自ら進んで老人ホームへ行く、と。
老人ホームには明るく元気に生きているお年寄りもたくさんいるんだけれども、そういう輪に入り込むことができず、老人ホームでも独りぼっちになってしまった。
たまには息子夫婦が来てくれればまだしも、まったく来ない。というので、たまらないほどの孤独感を感じて自殺する、と。
そういう老人の自殺が多いのが日本の特色なのです。しかし、そういうようなことはその社説には書いていませんでした。
社説というのは、たくさんある材料をどう整理し、どう要約して書くかがポイントなわけですから、すべてに触れるわけにはいきません。
それでも、読めば必ず勉強になります。一紙の社説を読めば、一日に二つのアイテムが整理されて頭に入るわけですから、経営者であるかぎり、社説は必ず読まなければなりません。
社説を読めば論理性が養える
さらには、読むだけでなく、自ら社説を書くつもりで論旨要約などをしたら、より頭が訓練されて、表現力も磨かれるはずです。
予備校でも、社説を使った論旨要約などをよくやりますが、できれば経営者もやったほうがいい。
しかし、経営者は思うように時間が取れないことも事実です。私もこつこつと本を読んでいますけれども、文章を書くとなると時間がかかります。それにストレスも溜まります。
そういうときは、ゴルフをやるようにしています。ゴルフをすると頭がボケる、と言われていますけれど、そうではなくて、体とか筋肉を動かすと脳がリラックスするんです。
神経を使ってストレスが溜まったら、体を動かすと脳がリラックスする。だから、ゴルフは脳にいいんです。リラックスしたまま、あるいはリラックスしすぎたらバカになりますけれど、
リラックスが必要なときには、ゴルフなんかで体を使って運動をすると、自然の環境に触れるからストレスが発散できて脳がリラックスする。
しかしそうすると、ボーッとして考えるのが面倒くさくなる。ゴルフをやったからそうなるのではなく、脳がリラックスしているからなのです。
そういうときは、しばらく仕事に没頭し、ストレスが溜まったらまたゴルフをやればいいわけです。
私は以前、ゴルフをやるとボケるという話を信じて、ゴルフなんかやるものかと思っていましたが、いまとなってはゴルフやゴルフクラブに対して申しわけないことをしたと思って、ゴルフクラブにお詫びしました(笑)。
それは余談として、一日のうち、たとえ十分間でも社説を読んだら、政治、経済、それから社会問題、福祉問題、環境問題といった、いまの論点や争点が全部、頭に入ります。
しかも文章は、起承転結があって、右からでも左からでも納得できるような論理性があります。
それから、きちんと調べてデータを取っています。そうでなければ社説は書けません。五分で読めるほどの短い文章ではありますが、書いた人はしっかりと資料を調べているわけです。その社説を読むのが五分間。
一アイテム五分で勉強できるのです。二つ読んだら十分です。
だから、どんなに忙しいときでも、私は社説を読むようにしているのですが、左系統の社説は朝日新聞を見たらいいし、右系統は産経新聞を見たらいい。
ときどき変わったことを読みたかったら毎日新聞を見たらいいと(笑)。若干右寄りというのは読売かもしれませんが、時間があったら、産経新聞、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日経新聞の五大新聞を読んだらいいでしょう。
それでも計五十分です。五十分で五大新聞の社説を読んで、あとはヘラルド・トリビューンの社説、そのほか、アサヒ・イブニングもありますが、それはなかなか読みこなせません。
英字新聞の社説を読んだら、世界のスタンダードが分かりますが、英字新聞の社説はなかなか五分では読めません。
しかし、内容の高いものをこつこつと読んでいく必要があります。約一時間もあれば五大新聞の社説が全部読めるわけですし、もし時間がなかったら、パラパラとめくって、面白そうな社説があったら一つでも二つでも読むことです。
家では何新聞を取っているかと予備校の生徒に聞くと、朝日新聞と読売新聞が同じぐらいでトップです。都心部では若干、朝日が多いようです。
毎日新聞はその三割ぐらいでしょうか。変人が産経新聞を取ります(笑)。十五パーセントぐらいでしょうか。
毎日新聞とか産経新聞を取っている人は、みんなから「変だ」と言われております。オーソドックスな人は朝日新聞読売新聞を取っています。
日経新聞だけを取っている人がスタッフに一人います。しかも、女の子なものですから、どういうことなんだと理由を聞いたら、経済を知りたいから取っていると言うんです。
私の場合は、五大新聞と英字新聞を取っています。そのうち一紙の社説さえ読んでおけば、一日十分間で頭が健全に働きます。
だから、メルマガなどを書くときでも、メルマガはあれだけの文章量ですけれど、やはり起承転結があって、それなりにまとまった文章が書けるんです。
皆さんに発表するときには、もちろん何度も推敲します。起承転結、序論、本論、結論、右側と左側を見て、それなりに資料、数値もちゃんと踏まえたうえで、パシッと結論を出すという考え方、書き方、話し方の訓練ができているわけです。
社説を読めばスピーチも上達する
それができていないと、いっぱいしゃべっていても、何を言っているのかよく分からないし、支離滅裂だったりします。
結論だけを言っていいのかもしれないけれど、結論だけを言うよりも、やはり、もうちょっと何か言葉を足さないといけない。
そのためには、日ごろから訓練しておかなければいけません。私どものところには、電話受付の女の子が何人かいます。
その子たちにときどき、「一生懸命に頑張っているからご飯を食べに連れていってあげよう」と言ってごちそうをするのですが、「その代わり、君たちに一つ条件がある。それは『社説を読みなさい」ということだ」と、必ず言うようにしています。
電話受付の女の子でもやはり、論理性が必要で、支離滅裂な話をしていたのでは、相手に話の内容が伝わりません。
私もそうです。いろいろと会員さんから相談があったときに、時間があればゆっくりお答えできますが、毎日が忙しいものですから、そうそう時間を取るわけにはいきません。
では、何分ぐらいで答えるかというと、一時間、二時間という場合もたまにはありますけれど、だいたい十分とか十五分。そんな短い時間の中で、どういう話を盛り込んでいるのか。
「ああ、そうですか、ああ、そうですか」と、相槌ばかり打っているわけにはいかないので、やはり、こっちから切り込んでいって、何かアドバイスをする。
それには、話にまとまりがなければいけません。起承転結、序論、本論、結論、そして相手の立場も考えたうえで、「結論はこうです」と、明快に答えを出すわけです。
電話受付の場合もまったく同様で、話に論理性がなければいけません。支部でもエリア本部でも、会社でもみんなそうです。
だらだらだらだら話をしていたら、電話をかけてきた相手の人にも迷惑です。ただし、結論だけを言ったのでは全然話に味がないから、具体例を入れながら十分、十五分、ときには三十分ぐらい話をしていく。
「あの人から電話がかかってくると長いから……」という人もいますよね。私も六、七時間ぐらいお話しできますけれど(笑)、めちゃくちゃ短い時間でも話ができます。
それは知性が常に働いているからです。
男は五十歳を超えたら頭が老化する
歌を歌ったり、絵を描いたりばかりしていると、何か自分がバカになったような気になってきます。
そうするともう脳の前頭葉が、「活字!」と叫び声をあげます。そういうときは「まあまあ、ちょっと待って」と、自分のおでこに言ってあげるんです。
そうしないと、「ハアハア、ハア、ハア、ハア、ハア」と喘ぎますから、おでこが(笑)。
とくに、テレビやビデオを観たあとは大変です。「ギャグ600連発」(たちばな出版刊)のビデオはいいんです、元気になりますから。
それと、キアヌ・リーブスの出世作の「スピード」もいいですね。「スピード」はハラハラドキドキの連続で、前頭葉も活気づけられます。
そのほかでは「スパイダーマン 2」もよかったです。「スパイダーマン」は、1よりも2がいいですね。
それはともかく、しばらく活字から離れていると、前頭葉が「活字!活字!活字!」と雄叫びをあげるんです。
それから、たとえば連続二十時間ぐらい集中して、神事のお取次ぎをしたあとなんかは、体がもう綿のように疲れます。
神事中はユンケル黄帝液を五、六本飲んだり、お抹茶を何杯も飲んだりしているんです。そのおかげで集中力が維持できているのですが、緊張し、集中し、興奮したあとは全然眠れないんです。
あっちへごろごろ、こっちへごろごろしていても眠れません。そういうときはどうするかというと、もう寝ることは考えずに、ご飯を食べるとかビデオを観るとかして、気分転換をするのです。
それで、ビデオを何時間か観たらもう、目がしょぼしょぼしてきて、開けていられなくなるから、バタン・キュー です。
しかし、ビデオを観るのが許されるのは二本までです。三本観たらたたりがあるんです、私の場合は(笑)。
神様がいつもそばにいますからね・・・・・・。ビデオを観るのは二本までは許される。三本観たら必ずたたりがあるというか、神様からの戒めがあります。
どうなるかというと、次に仕事にならないんです。目が電磁波にやられて、思考力が本当に衰えます。
テレビなんか、一時間番組を二つ観たら、もうダメです。思考力が急激に衰えてきます。私はとくに敏感ですから、テレビを二時間ぐらい連続で観てしまうと、思考力が鈍くなってきて、考えるのが面倒くさくなってくるのです。
当然、会社の資金繰りを考えたり、損益計算書から見てどこが無駄なのかと考えたり、事業計画を考えたり、あるいは財務の分析をしたりするのも面倒くさくなります。
私は普段、社員の三倍ぐらい頭を使ってやっていますけれど、テレビを二時間ぐらい観てしまうと、仕事をどういうふうにやっていったらいいのかということを考えるのが、本当に面倒くさくなってしまうのです。
それは、歳とともに激しくなってきています。女は四十歳以上、男は五十歳以上、もう頭ぐちゃぐちゃです。
しかし、本当は男も女も、とくに男は五十歳代が一番頭がよく動くんです。五十代の私なんかはいまが一番、頭が動くときなんですけれど、だから一生懸命、新しい能の演目を覚えたり、次のオペラに挑戦し続けたりしているわけです。
ただ単語は、若いときみたいに、次から次へと吸収できません。英単語は何関連づけないと覚えづらくなりつつあります。
だから、反復して音読することで、頭に叩き込んでいるのです。
面倒くさい心が芽生えたら経営者は終わり
そういうことで、歳とともに肉体的に老化していったら、誰でも考えるのが面倒くさくなります。しかし、考えるのが面倒くさくなったらどうなるかというと、必ず放漫経営になっていきます。
だから、考えるのが面倒くさくなったら、もう経営者は終わりなのです。
経営者というのは「組織の知性」です。素晴らしい会社はやはり、財務内容もいいし、売上も上がっているし、商品開発もできているし、サービスも研究しています。
しかし、経営者がゴルフばっかりしていたりすると、頭がリラックスしすぎて考えるのが面倒くさくなります。適度なリラックスならいいんですけれども、たとえば、異性ができたりしたら、そっちのほうが楽しくなってしまう。
あるいはまた、同性ができても、また別な楽しさがあったりなんかしてね(笑)。
釣りが楽しくなったら、もう釣りばっかりになってくる。何か楽しみがあったら、そっちのほうばかりになって、経営そのものが面倒くさくなってくるのです。
そうすると、研究力が足りなくなってくるから、だんだん業績が落ちていって、結果的に会社がダメになっていく。放漫経営の始まりです。
それをどうやって超えていくのか。それにはやはり、考えることが面倒くさくならないように、歳とともに頭が痛くなるような本を読んでいくしかありません。
それが経営者の責任であり、会社を持っている人間の責任です。
しかし、忙しくなってきたら、なかなかそういう本も読めなくなってきます。ですから、いま旬の話題を社説で学んでいくのです。
五大新聞の社説でしたら、五十分もあれば全部読めます。いまの政治、経済、外交、社会問題、環境問題、法律問題、教育問題など、あらゆるものが社説に書かれているんです。
社説を読みこなす知性がなければ経営者失格
ただ、最初はとっつきにくいことも事実です。しかし、それがいいんです。とっつきにくいということは、自分の知性がその内容を拒否しているわけです。ということは、社説を書いている人間よりも自分のほうがバカだということです。
社説を書いている人間よりも、自分の頭のほうがバカだから、「社説を読むのは嫌だ。私、バカです」と言って拒否している(笑)。だから、社説が読みづらいわけです。
社説がどんどん読める人間は、社説を書いている人間の知性とだいたい同レベルだということです。
さらに、自分が社説を書けるようになったら、社説を書いている人たちよりも賢くなったと思っていいかもしれません。
社説を読んで何か抵抗を感じるとするならば、社説を書いている人よりもバカだということを頭が証明しているわけです(笑)。
社説を読んで、「何か難し「そうだ」と感じたら、「私はバカなんだ。社説を書いた人間よりもバカなんだ」と思わなければいけない。
そういうバカな人間が会社の経営をしているとしたら、バカな経営しかできないではないですか。それでは経営者の責任を全うできません。
そういうことで、経営者なら社説ぐらいは毎日読まなければならないわけですけれど、朝日新聞の社説は意外に読みやすいですね。
読売や毎日の社説はひねりがあるんだけれど、朝日新聞のほうが、難しそうで実は分かりやすい。
だから、大学入試でよく出題されるのです。大学の先生が左を向いているからかもしれませんが、分かりやすいですね。
結論が何なのかがよく分からない社説も、ときどきはあります。起承転結もある、序論、本論がある、左と右があって、だからどうなんだというときに、結論が何かよく分からない社説もあります。
「もう一度、原点に立ち戻って見直さなければならない」と書いてあるのはいいけれど、どう見直せというのか。そんなことは言われなくても分かっているんです。
「いま、時代の転換点にあることに気づかねばならない」というけれど、そんなことは分かっているわい、と。問題は、「どう転換したらいいのか」という具体論なのですが、ありきたりの結論で終わっている場合もあります。
ときには、意外に面白い結論もあったりしますけれど、そういうときでも、私ならもっとオリジナルな結論を書くのになあと思ったりもします。
「時代の転換点にあることに気づかなければならない」なんて、そんなのは誰にだって分かっています。そこから一ひねりを利かせた論説を私たちは読みたいんですけれどね。
先ほどの自殺の問題にしても、宗教教育がないからだとまでは結論づけていない。産経新聞ならそう書くかもしれませんが、朝日新聞は書かない。
毎日新聞はどうか分かりません。読売新聞は郵政民営化には熱心で、「賛成、賛成」とずっと書いています。
そのように、社説の内容は新聞社によってかなり違います。左側の頂点に朝日があり、右側に産経があります。
だから、五大新聞を取って社説を読んでいれば、右の主張も左の主張もだいたい分かります。
そうやって、時間があったら、絶えず社説を読む習慣をつけておけば、知らず知らずのうちに自分の見識というものが養われるはずです。
慣れないうちはとっつきにくいかもしれませんし、分かりにくいかもしれません。しかし、そういうときはどうしたらいいのか。
それは、文章には必ず主部と述部がありますから、「何が何して何とやら」で、これがここにかかっていて、これがこう来ているからと言いながら、赤鉛筆で線を引いたら理解できます。
これを係り結びと言います。
「何々のそれは」という場合の「それは」って何だ。この「それ」は何を指すのか。
すべて係り結びになっているので、一つひとつ確認していけば、一見、難しそうな文章でも必ず理解できます。
そうやって、毎日毎日、社説を読んでいけば、その社説を書いている人の知性に近づいていけるのです。
とにかく社説は一アイテム五分で読めます。しかし、面倒くさいという人、あるいは、難しくて分からないという人はどうしたらいいのか。
それは「音読」したらいいのです。「郵政民営化に関してはそれぞれの意見があるんだけれども、郵政法案の云々かんぬんは」と、分からなくても、分からないままでかまいませんから、音読していると、そのうち文字のほうからわーっと頭にやってくる。
文章の真ん中ぐらいまで音読すると、自然と分かってくるのです。
難しい文章にチャレンジせよ
「文章は理解しながら読む」というのは、大いに間違いだと私は思っています。
なぜ間違いかというと、もしも分かって読むというのなら、書いてあることが分からなければ読まない、ということです。
だから、本をよく理解して読みなさいというのは、大いに間違いだと私は思っているんです。
もしも、「理解できない文章は理解できないから読まない」ということであれば、いまの自分の読解力よりも高い読解力を要する本は読めない、ということです。
いまの自分の読解力よりも高い読解力を要するものは、読んでも分からない本なんです。
だから、本というのは分からないまま文字を追っていって、無理やりに読んでいくものなのです。
そうすると、しばらく読んでいったら、文字のほうからわーっと頭にやってきて、頭が賢くなって、読解力が高まる、ものの見方が深くなる、ものの見方が多面的になっていく、両方から見ていけるような知力が磨かれる、というわけです。
だから、「本というものは理解して読むものだ」と思っている人は、読解力がいつまでたっても高まりません。いまの読解力のレベルと同じような本を横流れに読んでいるだけです。
源氏鶏太の本なんか読めますよ。赤川次郎なんか、どんどん読めますよ。花井愛子なんかはもっと楽に読めますよ。女の子のコミックの台本ですから、簡単に読めます。
昔だったら川上宗薫。あの手の本ならドキドキしながら、どんどん読めました。渡辺淳一の本もドキドキして読めます。
しかし、ジョン・スチュアート・ミルの「自由論」だとか、サミュエル・スマイルズの「自助論」になると、ちょっと難しいはずです。
最近、福沢諭吉の「学問のすゝめ」を改めて読んでみたら、「ああ、だから慶應の人間って生意気なんだな。
これがルーツだ」と分かり、福沢諭吉の「学問のすゝめ」は、「生意気のすゝめ」だなと思いました(笑)。
びりびりーっと感動するところもあれば、我が出てくるところもあります。
読んでいるうちに、書いている人間の境地が写ってきますから、今度、「学問のすゝめ」の審神を一回、やってみようかと思っているんですけれどね……。
しかし、慶應でも「学問のすゝめ』を読んでいない学生がいっぱいいるらしいんです。「遊びのすゝめ」という本だったらどんどん読むのかもしれません。
あるいは、写真入りのハウツー本なんか、どんどん読んだりなんかしてね(笑)。
それから、ちょっと話が横道にそれますが、「嫌韓流」というマンガ本があります。
韓国は醜い国だというあの本は、どこの新聞も広告を載せてくれないんです。
問題があるからという理由で、広告掲載を申し込んでも拒否されます。ところが、インターネット販売では圧倒的に一位だといいます。
新聞広告を出してくれないんです、そういう本の広告を載せたら叩かれるからです。
国語力がなければ出世できない
それはそうと、いまの自分の読解力で読める本ばかりを横流れで漁っていたら、いつまでたっても読解力は向上しません。
ですから、読解力を向上させようと思ったら、やはり、いまの自分にとって、少し難しい本を読んでいくしかありません。
たとえば専門書などの本は、高学歴の人で、大学院まで行っている人は読めるでしょうけれども、そうでない人にはなかなか読めないでしょう。
昔も読まなかったでしょうし、いまも読まないまま仕事をしている人が多いと思うんですけれども、サラリーマンでもより高いポジションに就くと、難しい本を読まなければならなくなるから、だんだんと読解力が上がっていくのです。
経営者はみんな、その人なりに勉強しているものです。たとえ学歴が高くないとしても、やはり、経営者になるくらいの人は、みんな独学で勉強しています。
勉強し、読解力が上がった人には、それだけの咀嚼力があるのです。ですから、会社を経営している人はほとんどの人に咀嚼力があります。咀嚼力のない経営者は、まずいないはずです。
前にも言ったと思いますが、読売新聞が上場会社のサラリーマンを対象に、現代国語、漢文、古文の試験をやったら、係長の平均点が七十点、課長の平均点七十五点、部長の平均点が八十点、取締役の平均点が九十点、副社長はだいたい九十五点、社長・会長は九十七~九十八点だったと言います。
ほぼ満点近い点数を取るのが会長や社長で、役職が上位であればあるほど得点が高かった、と。
つまり、上の役職に行けば行くほど、漢文、古文、現代文の読解力、表現力、要約力が勝っているわけです。
それはやはり、それだけ知力が磨かれ、深くものを考えているからでしょう。
たとえば、「部長、これをどうしましょうか」と部下に聞かれたら、部長はより深い読解力と咀嚼力でもって「うん、こうしよう」という決断を下さなければならないわけです。
部長が、「困っているんです。どうしましょうか」と重役に聞いたら、その重役は部長以上の状況判断力と咀嚼力で読解して、「うん、じゃ、こうしよう」と決断する。要するに、広い意味での読解力や咀嚼力で勝っているから決断できるわけです。
重役も困ったときは、さらに副社長や社長会社の命運を考えて、最終的な決裁をする。
そのように、係長にしても課長にしても、あるいは部長、取締役にしても、どうするかというときには、目前の問題を読解し咀嚼して、「じゃ、こうしよう」と決める、広い意味での読解力、すなわち、序論、本論、結論と頭の中で展開していくという、その読解力にかかわっているわけです、どのポジションまで務まるかは。
確かに、経営者には実戦で鍛えた勘があるかもしれません。しかし、頭の中では論理的に脳みそが動いているわけです。実戦で鍛えてきた勘が最終的にはモノを言うんでしょうけれども、いつも勘頼りだけというのではダメなんです。
「何か知らないけど、こう思う」だけでは通用しません。従業員にも銀行さんにも、納得させるだけの表現力や説得力が必要なのです。
それを考えたら、本というものは理解して読むものだと考えていたら、いまの読解力より超えたものは読まないし、永遠に読めません。
みんな読解力や理解力が向上しないまま、横流れになっていきます。
三井物産の会長だったと思いますが、「私が読んでいるのは「文藝春秋」で、普通の週刊誌は読んだことがない」とおっしゃっています。
「文藝春秋」が面白いと思えるだけの批判力、読解力があるのでしょう。国語の試験をやっても、おそらく満点近い点を取るのではないでしょうか。
その人のように、社会に出たら、広い意味での国語力と読解力を勉強していかなければならない。とくに会社の社長は、誰よりも勉強しなければなりません。
「どうしましょうか」と判断を求められたとき、判断力が優れていたら、「なるほど、あなたのおっしゃるとおりですね」と誰もが納得する。
それだけの能力と実力があれば、みんなが尊敬します。
