中小企業の経営者 かくあるべし 深見所長講演録10(Vol.2)

深見流指導力の秘伝 ~平成9年11月8日 東京全日空ホテル~

愛と真心の裏にあるもの、忍耐と寛容(平成四年) ボイスジャーナルVOL.1より

この間、名古屋でお話をしていたときにふと思ったのですが、会員の皆さんは愛と真心ということを本当に理解しているのだろうか、と。

なぜ、そんなふうに思ったのかと申しますと、会社を経営しているある会員さんがいまして、その人は愛と真心で会社をやっていくんだと宣言し、ご自身も愛と真心でやっているつもりでいるのですが、客観的に冷静にその人のことを見ておりますと、愛と真心で経営するとはどういうことなのかが、どうもよくわかっていないのではないかと、そんな気がしてならないわけです。

もちろん、会員の皆さんは神仏の御心にかなうような経営をすることを通して、自分の魂を向上させるんだという目標を持って、愛と真心で経営していらっしゃると思います。

それはとても重要なことですが、愛と真心がなぜ重要かというと、やはり愛と真心がキーになって神様がお働きになるからで、愛を以て帰一するときに初めて神が動く。

仏様も動く。守護霊も動きます。そのように、愛と真心という情感があって初めて、内的な世界が動くわけですけれども、果たして本物の愛と真心とは何なのか。

これを考えた場合、愛と真心には前提条件があるのです。

愛と真心の情感は非常に大切な一厘です。しかし、その一厘だけでやっていて本当に神様が動くかというと、一厘だけでは動かない。

九分九厘があって、そのうえで愛と真心の情感の一厘で締めくくったときに、初めて神様が動かれるのです。

では、九分九厘は何かというと、愛と真心の裏にあるもの、すなわち忍耐と寛容です。

これが充実し、固まらなければ本物ではありません。つまり、その人の愛と真心が本物かニセ物かを判断する場合、愛と真心の裏側に来る忍耐と寛容があるかどうか、これを見ればいいわけでして、十二分に忍耐し、十二分に寛容精神を発揮して、それを何年も貫いている場合に初めて、その人の愛と真心は本物だ、ということが言えるわけです。

もし、忍耐と寛容が伴っていなかったら、その人の愛と真心はニセ物だということです。

本人は愛と真心のつもりでやっているのかもしれません。

しかし、あちこちでトラブルを起こしたり、ちょっとしたことで文句を言ったりして、談判決裂して人と仲よくできないとしたら、それは忍耐がないわけです。

あっちに所属していたかと思ったらこっちに所属し、今度はまた別のところに所属したり、あるいは取引先や従業員とすぐけんかするということは、要するに寛容性がないし、忍耐もないわけです。

そういうふうな人が何ゆえ、愛と真心で経営していると言えるのか、ということです。

従業員に対しても、取引先に対しても、対人関係にしましても、やっぱり忍耐と寛容を以て和の心が発揮されて長続きし、そして円滑にできていて初めて、その愛と真心は本物だということが言えます。

ですから、愛と真心でやっているつもりでも、それはあくまで一厘であって、九分九厘がなければいけない。九分九厘がなく、一厘だけでは神様は動きません。

ここを間違ってはいけません。愛と真心が本物になるためには、忍耐と寛容という背後にあるもの、愛と真心を支えるものが必要なわけです。

では、忍耐と寛容があればそれでいいのかと申しますと、たしかに本物になったと言うことはできるでしょうけれど、最高級の完成された愛と真心とは言えません。

完成された愛と真心になるには、忍耐と寛容だけでもダメなのです。愛と真心が本物になり、そして完成させるためには何が要るかというと、知性智恵です。

知性というのはインテレクチュアルな知恵。智恵というのは英語で言うとウィズダムですね。知的な判断力とひらめき、応用、工夫。それらを可能にする智恵です。

いずれにしても、完成された愛と真心になるためには知性と智恵が必要なのですが、この知性と智恵を別な形で表現すると、読解力と表現力ということになります。

読解力というのは、相手が何を思っているんだろうか、どういう状況にいるんだろうかということを深く読解するという知的な営み、知性であって、そのなかには、これからどういうふうにしたらいいのだろうかという智恵が含まれています。

つまり、読解力のなかには知性と智恵があるわけです。

よく読解することによって正しい状況判断ができるわけですし、相手の立場と相手の気持ち、相手の考えていることがわかるわけですから、読解力のなかには当然のことながら、知性と智恵が含まれます。

読解力の次は表現力です。相手の置かれている状況あるいは環境、そして相手の気持ちが読解できたら、その人にこう言ってみよう、ああ言ってみよう、こういうふうに言ってみようという表現力。

そこにはもちろん文章も入ってくるし、言葉も入ってくるし、言い方も入ってくる。自分が直接言うのではなく、人を通して言ったほうがいいな、というのも表現力の一つです。

それから、順序立てて言ったほうがいいな、いきなり言うよりタイミングを考えて言ったほうがいいな、

今度あそこで会うときに言ったほうがいいな、誰々さんと一緒にいるときに言ったほうがいいな、という具合に表現方法にもいろいろあります。

間を置かずに単刀直入に言ったほうがいい場合もあるし、逆に失敗するケースもある。

ちょっと間を置くとうまくいくケースもあるし、それでは効果がないケースもある。

そのように、注意したりアドバイスしたりする場合でも、タイミングあるいはTPOというものを考えなければなりません。

こういう読解力と表現力というものを身につけて初めて、その人は知性と智恵があると言えるわけでして、愛と真心が忍耐と寛容で本物になり、さらに知性と智恵、読解力と表現力というものがそのうえに成り立って初めて、愛と真心が完成されるわけです。

自分自身では、愛と真心で経営していると思っているかもしれません。

しかし、忍耐と寛容を何年も何年も積み重ね、そして読解力と表現力の勉強と工夫を絶えず行っていて初めて、その愛と真心は本物なんだ、すぐれたものなんだ、真実なるものなんだということが言えると思います。

それで初めて、本当の神様が動くわけです。愛と真心の情感の一厘だけではダメなのです。

あとの九分九厘、いまお話しした九分九厘があって初めて、愛と真心が本物となり、最上級のものになり、それによって神様が動くわけです。

以上申し上げたことを実行すれば、神様が動き、守護されます。

従業員も取引先も、それから販売先もみんな幸せになり、運がよくなり、神のご守護のもとに成功する経営ができると思います。

経営は祈りから始まる(平成五年) ボイスジャーナルVOL.2より

皆さん、お元気ですか。今日はお祈りの仕方について、経営者はどういうふうなお祈りをしなければならないのか、ということについてお話し申し上げたいと思います。

経営者にとって最も大事なのは未来予知力です。販売先、仕入先は今後どうなっていくのか、それから、月次決算や年度上半期、下半期の決算を見て、どこがどう足りないのか、なぜ数値が伸びないのか、といったところをピーンとキャッチする力、それが未来予知力です。

たとえば人事に関して言えば、あいつちょっとおかしいんじゃないか、とか、取引先のことでも、あの会社、ちょっと危ない、不渡り食らうんじゃないか、回収できないんじゃないか。

あるいは銀行でも、貸してくれそうにないんじゃないか。取扱商品についても、こういう商品が今後グーンと売れるんじゃないか、と。

そういうふうにピーンと来る。このピーンと来るのがインスピレーションですし、経営の一番大事なところなのです。

どんなにマネジメントの本を読んでも、どんなに日経新聞を読んでいても、コンサルタントに相談しても、あるいは税理士さんや公認会計士さんからアドバイスを受けても、最終的に経営者が頼りとするのは直感力。

ビーンと来るもので未来の災いから免れたり、人事のトラブルや問題点を見抜いたり、取引先の問題点をパッといち早く見抜いて難を避けたりするわけです。

しかし、問題はどうしたらピーンと来るのか、ということです。

ピーンと来るためには、何よりもまずアンテナを張らなければいけません。アンテナを張らないとピーンと来ないのです。

では、アンテナをどう張るか。このアンテナの張り方についてお話ししたいと思うのですが、皆さんは会社に神棚がおありでしょうか。

それから三宝荒神さんを置いていますでしょうか。神棚と三宝荒神さんは必ず置いてほしいと思うんですが、神棚および三宝荒神にお祈りを捧げるとき・・・。

会社になければ家の神棚、家の三宝荒神、いずれもなければ、自分の守護神さん守護霊さんか、産土の神様のいる方向に遙拝するしかないわけですけれど、神棚があるとすると、朝、天津祝詞を三回奏上して、の神様にお願いし、そして産土の神様に、「本日もよろしくお願いいたします」とお祈りします。

そして、「本日も得るところ大なるものがありますように。学ぶところ偉大なるものがありますように。経営上のヒント、それから神様の事がらや自分を立派にするためのあらゆることが学べますように」という胎蔵界の祈りをする。次に金剛界の祈り。

「すべての従業員が今日も幸せでありますように。喜んで仕事に従事できますように。

すべての販売先が感激し、納得し、繁栄するようなやり方ができますように。

それから、すべての仕入先も納得し、喜び、弥栄えていきますように」、販売先、仕入先、従業員の三つしかありませんから、この三つの方向の人の幸せを祈る。つまり金剛界の祈りをするわけです。

そういうふうに胎蔵界と金剛界の祈りをビシッといたしますと、その日得るものも大なるものになり、徳も積めます。

それに何より、祈りのセリフのなかに自分自身の意識を強く向けるとアンテナが立つのです。アンテナが立つと、仕入先と話をしているときに、「あっ、仕入が過剰だな」とピーンと来る。

従業員の幸せを祈っていると、従業員のことがピーンと来る。販売先の幸せを祈っていると、販売先のことがピーンと来る。

決算が近くなったら、三宝荒神さんにお祈りしなければいけません。三宝荒神さんに祈る場合も、感謝の祈りから入って、進歩向上の祈りをし、「どうぞ三宝荒神さん、多すぎる在庫がありましたらば教えてください。余計在庫がありましたら教えてください。

それから、回転在庫として必要なものがありましたら教えてください。

足りないところがあるのならばどうぞ知らしめたまえ。そして、よりよい改善策があるならば知らしめたまえ」というふうに祈るわけです。

そうやって祈りの言葉のなかに自分の意識を向けていると、在庫管理の帳簿を見たり在庫をチェックするときにピーンと来るんです。

決算書を見ても帳簿を見ても、在庫の現物に手で触れてみても、「あ、こんなところにデッドストックがあったじゃないか。これ、こういうふうにしたらうまくさばけるんじゃないか」とピーンと来ます。

在庫をさばくのに一番いいのは売ることです。あるいは業者に返品する。

返品できなければ差し替えてもらう。しからずんば決算前に処分する。一番いいのは売る、返品する、差し替えてもらう。

いずれにしても、デッドストックがある場合は原価を割ってでも売って現金化ができればいいですね。どうしようもないときには、燃やして、写真を撮って、税務署に「燃やしました」と報告する。

まあ、在庫の処分の仕方でもいろいろあるわけですが、その方向の神様に、「足りないところは教えてください。よりよい方法があったら教えてください」と言葉に出して具体的に申し上げると、その事がらに関してアンテナが立つ。だから、ピーンと来るわけです。わかりますか。

アンテナを毎日毎日立てていたら、毎日毎日そのアンテナに情報がキャッチされます。

その事がらに意識と関心を向けるから、霊感とか超能力とかインスピレーションが来るわけでして、関心を向けないものは来ないですから。

では、関心はどう向けるのか。朝の祈りのときにセリフに入れて、そこに意識と関心を向けることでアンテナが立つのです。

これを怠らなければ、霊感や感性が研ぎ澄まされてきますが、朝の祈りのときにこれを怠ると、アンテナが立ったり立たなかったりで、ピーンと来ないわけです。

それから、経営者のなかには複数の会社を経営している人がいます。

たとえば、四つの子会社を経営しているとすると、そういう場合は朝の祈りのときに、「今日もよろしく」だけではなく、「何々という株式会社の販売先、仕入先、全従業員。

何々という会社の販売先、仕入先、全従業員。何々という会社の販売先、仕入先、全従業員。

何々という会社の販売先、仕入先、全従業員。計四つの会社のすべての販売先、仕入先、全従業員が神様の功徳を持ちまして、より弥栄えて、より繁栄して、皆さんに喜ばれるような会社経営ができますように」というふうに、四つの会社のことを祈りのなかに入れるんです。

そうすると、四つにアンテナが動くから四つのことが頭にピーンと浮かんでくる。ですから、子会社が四つあるのなら四つの会社のことを全部、祈りのなかに入れるんです。

あるいは部署が三カ所あるんだったら、三ヵ所の部署のことを祈る。

最低、いまお話ししたことを、毎朝祈らなければなりません。時間がなければお祈りの速度を速くしたらいいし、「四つの会社の販売先、仕入先、全従業員」というふうに四つという数値を挙げればいいのです。

もっと会社の数が増えて十三とか二十になったら、「十三の会社の販売先…………」と祈ればいいわけです。で、そのなかでもとくに気になる会社、気になる部門というのがありますね。

そういう場合は、「以上の四つの会社のなかで、とくに何々という会社のこの部門が問題で、とても気になります。

ここが何とかなりませんでしょうか。私はこうすればいいと思うんですけれども、神様、いかがでしょうか」と言別けて申さく。

大切なのはやっぱり、神様との対話の量ですけれど、とくに気になるところは言別けて申さく、と。

事がらを分けて、言葉を分けて申し上げるというのが「言別けて」ということですから、そういうふうにもっていって重点的に祈っていくと、その事がらに対してまたピーンと来るわけです。

とにかく、朝のお祈りのときに自分が経営するすべての会社、すべての部署を一つも漏れることなくセリフに入れることです。

そうすると、一つも漏れることなくアンテナが立つ。何本も立ちます。

そして、一日の仕事が終わって会社に帰ってきたときにはまた祝詞を上げて、今日の一日のご守護を感謝して、「自分の足りなかったところをまた教えてください」と祈る。

「終日乾乾、夕べに惕若」。これは「易経」の言葉です。乾と坤で、太陽がぐわーっと昇っていくように、終日乾乾。

そして、その素晴らしきよきことを上げて上げてわがものとしていく。

夕べに惕若。惕若というのは反省する。身のうちを顧みて、「今日はどうだったかな。ああすればよかったな、こうすればよかったな」と反省する。反省したらまた、「明日もやるぞ」と。そうやって「終日乾乾、夕べに惕若」という毎日を送っていると、経営者としての資質と霊的な中身が、毎日毎日進歩向上するわけです。

そして、そういう毎日を送っていると、未来に来るべきことの予測が可能になり、部署、在庫管理からあらゆるところまで、周到に気が配れる経営者になっていきます。

資質も能力も運気も智恵も伸びていくと思います。

ということで、わが菱研会員の皆さんは、そういう習慣をつくってほしいと思います。

愛念の濃度を調節しよう(平成五年) ボイスジャーナルVOL.3より

「愛念の濃度を調節しよう」というお話をしたいと思います。

会社の経営者になりますと、いかに愛念を強く持っているかどうか、ということがとても大事になってきます。

「愛を以て帰一するを真心となす」ですから、経営者が、販売先、仕入先、および社員に対して、愛情をかけている会社は、何かすごく温かくて、明るい感じがいたします。

それに対して、何でもカネカネカネカネ、要するに、合理的な経営を追求しているところは、何かクールな感じがして、どことなく暗いですね。暗かったり、だるかったりいたします。

つまり、経営者の思いが社風というのか、雰囲気というのか、霊界を形成するわけなんですけれども、愛念がないと、神様も仏様も、その会社や従業員におかかりにならないし、お働きにもなりません。

ですから、愛念はとても大事なのですが、その愛念にも濃度があります。たとえば、何か悩みを抱えた社員が相談に来て、どうしたらいいのかというときには、「その従業員の守護神様、守護霊様、御魂様……」というふうに、濃い愛でよく神様にお祈りする。

すると、経営者の思いが濃く相手に伝わりますから、温かくてやる気が出て、情熱が出てくる。そういう場合は、濃い愛念がいいですね。

それから、女子従業員に対しても、濃い愛念を向けるといいですね。

男性の場合は、未来のビジョンとか野心というのがあるのが普通で、それがジャンプしていくから、役職とか給料で満たされると喜びます。

要するに、自分の能力が社会ないし会社においてどれだけ評価されているか、ということに強い関心があり、評価されていると喜びを感じ、やる気も出てくるんです。

だから、お金とか地位とか出世といった面で、ある程度満たされると男性は喜ぶんです。

対して女子の場合は一般的に、まあ、なかには男性みたいな人もいますけれども、どちらかというと情念です。

情と念ですね。

つまり、温かい雰囲気で楽しくやれる職場ならいいわけで、地位や出世ということにはあまり関心がない。給料は多ければ多いほど喜ぶけれど、男性みたいに、どれだけ自分の能力が評価されているのか、どれだけの立場と仕事をやらせてもらっているのか、ということに強い関心と執着はあまりありません。

若干はありますけれども、男性ほどではないですね。

それよりはやはり、楽しく温かい人間関係のなかで安心して仕事ができたら幸せだ、と。

だから、そういう職場環境をつくってあげると、長く居ついて、一生懸命仕事をする場合が多いですね。

そういう女子従業貝の場合においては、やっぱり濃い愛念を向けてあげればいいわけです。

それから、販売先に品物を納めていくときも濃い愛念で向かうべきですね。

相手の気持ちをとらえて、「うん、よし!では、君のところの商品を入れようか」というふうに販売していくときは幸魂。お花が咲いていく咲魂。

それから紙などを切り裂いていく裂魂。さらにはまた、先に立っていくというので先魂。この幸魂、咲魂、裂魂、先魂はみんな愛情なんです。

だから、販売先に品物を納めるときや販路を開いていくときには、濃い愛情で相手の心をとらえて、胸をとらえれば、「よし!」という形で受けてくれるわけです。売り込むときにはやはり、濃い愛念でなければいけませんよね。

ところが、濃い愛念ではダメなときがあるんです。愛念でなければ神は動かないんだけれども、仕入先には濃い愛念を向けてはダメなんです。

自分が資材担当になったり、仕入担当になった場合、なるべく安く入れなきゃいけないし、ロットも小さくしなければいけないし、ときには返品もしなければなりません。

どちらかというと憎まれ役ですよね。この憎まれ役になったときに濃い愛念を向けますと、どうしても高く品物を入れざるを得なくなります。

それに、返品もしにくくなります。情があるゆえに、情が濃いがゆえに、仕入とかができなくなってしまうんです。

ですからこういう場合は、愛念の濃度をちょっと薄い目にしなければなりません。薄い愛念。これは愛念をゼロにするという意味ではありません。

いくら資材担当、仕入担当といえども、愛念がなく、氷のように冷淡な人間だったら、仕入先もすぐに嫌になりますよ。もう血も涙もない、と。

いくら商売とは言いましても、自分の儲けばっかりを考えていたのでは、向こうも無理をきいてくれませんし、情もつきません。

だから、愛念はなければいけないし、神様も動いてくださらないんですけれども、その濃度を薄める必要があります。

薄い愛念、すなわち、「仕入先の相手にとってもわが社にとってもよろしいように、とくにわが社から見て四分六くらいでいいようにお願いいたします」と祈らなければいけません。

「仕入先もやっていけるような適切な条件、適切な価格・掛け率・数量になりますように」というふうに祈って、愛念を薄い目に調節しておかないと、こちらのペースで話ができなくなります。

向こうにやられてしまいます。だからやはり、濃度を薄くしなければいけません。

それから、悪い社員を降格したりクビにしたりするときも、愛念を薄くしなければなりません。社員を抜擢して地位を上げたり給料を上げてあげるときには誰でも声を上げて喜びます。

しかし、優秀な社員でもいつでも優秀とはかぎらないし、いい社員でもいつもいい社員でいるとはかぎりません。

なかなか見どころのあるいい社員だと思っていても、途中でダメになることもあります。

女に狂ったり、酒に狂ったり、バクチをしたり、傲慢になったり、あるいは、嫉妬心でライバルといがみ合ったり。入って、初めはよくてもいつまでもいいとはかぎりませんからね。

そういう場合にはやはり、「泣いて馬謖を斬る」必要があるわけで、濃い愛念があったらできなくなります。

もちろん、クビを切るときだって愛念でやらなければいけませんが、濃い愛念ではなく薄い愛念。これを忘れてはいけません。

クビを切ったり降格させたりというのは非常に悲しいことですけれども、そうせざるを得ない原因は本人がつくったわけですからね。

まあ、よしんば本人が悪くなくても、全体から見てしょうがない場合には、「神様、ご勘弁ください。

この人が先々、これでよかったというふうに納得できますように。幸せな道が開かれますように」というふうに、どこまでも愛念を向けなければいけません。

冷淡にやったら、神様から罰せられますからね。「最終的によかったという方向へ、お導きくださいませ」と祈ったうえで、左遷するなり、降格させるなり、給料を下げたりしなければいけない。

最悪の場合はもう、解雇したりしなきゃいけませんからね。それから女子従業員でも、遅刻が多いとか、欠勤が多い場合には注意をしなければなりませんが、あまり優しすぎたり、愛情が濃すぎると言えませんよね。

そういうときにはもう、しょうがないわけだから、心を鬼にして、薄い愛情で向かうんですよ。そうすると、思いきった注意ができます。

ただし、人格を傷つけないように注意しなければいけません。アルバイトの人でも、パートの女性でも男性でも、もちろん社員でも、どうしても解雇せざるを得ないときというのはあります。

そういう場合は、絶対に人格を傷つけることがないよう、あくまで事務的な理由で辞めさせる。優しく言って辞めさせるということがやっぱり大切です。

人格を傷つければ、あとあとまで傷となって残りますからね。ですから私は、人格を傷つけないように辞めさせてあげるのが最低限度の愛だと思うわけです。

辞めさせるということはしようがないわけですよ、これはね。

そうやって会社全体から見て、みんなから見ていい方向に、というふうに愛念を持っていくと、愛念が薄まるんです。

「組織全体から見て、先々よかったと思えるようにお願いいたします。みんなのためです」と、みんなのために、という愛念を向けると、愛念が拡散する分だけ愛念が薄まるわけです。

マンツーマン、あるいは数名に対する場合は愛念が濃くなりますけれども、全体に愛念を向けると一人当たりの愛念が薄まります。

愛念の調節はそういうふうにやるんです。お祈りの仕方を工夫するだけで愛念の濃さが調節できるわけです。

先ほど言った資材とか仕入とかの場合も、そういうお祈りをすると愛念が薄まります。

そのように、愛念の濃さを調節していかないと、経営者としての責任が全うできません。

それから、どうしても仕方なく泣いて馬謖を斬って解雇したり、あるいは、左遷したりすると、どんなに人格を傷つけないといっても、やっぱり恨まれます、

ある程度は。生霊をもらいます。しかし、その生霊を怖がっていたら、会社の経営者としての責任が全うできないわけですね。

「What is management? Management is responsibility.・・・・・・マネジメントって何だ、マネジメントとは責任だ」

というドラッカーの言葉がありますけれども、経営者としての責任を全うするためには、マイナスをもたらすようなガンは早期発見して、ガン細胞を切り取らなければいけません。

しかし、切り取ったあとには後遺症が残っているわけで、その場合どうしても生霊をもらいます。

もちろん、後遺症を最小限度にくい止める努力は必要ですけれど、そういう場合、生霊をもらっている相手に対して、濃い愛念でその人の幸せを祈るとどうなるかというと、生霊が大きくなって、自分にくっついてしまいます。

というのも、生霊との距離が縮まるからで、経営者が病気になったり、精神的に落ち着かなくなったり、イライラしたりします。

その生霊はマイナスの想念を出しているわけですから、気持ちがドーンと沈んだり、ときには病気になったりします。

それから販売先でも、無理やりに商品を納めたり、高い掛け率・・・・・・まあ、少しぐらい高くてもいいけれども、あまりに高すぎると、「クソーッ」という気持ちにさせます。これぐらいならまだいいんですけれども、バーンと返品したり、下請業者をあまりいじめすぎて、それで向こうが倒産してしまったとか、担当者が左遷されたということになると、やっぱり恨みを買います。

そういう場合でも同じことです。あんまり濃い愛念でその人たちのことをお祈りすると、生霊との距離が近くなって、生霊の精神状態を自分が受けますから、非常に暗~い気持ちになります。

気持ちだけならまだいいんですけれども、次に病気になってきます。胃潰瘍になったりね。とくに、腎臓とか肝臓が悪くなったりする。

それで、イライライライラしたりいたします。で、生霊を近くくっつけちゃうわけですね。

それでも会社の経営者なんだからしょうがない。災いを最小限度でくい止める努力は必要だけれども、最終的には泣いて馬謖を斬るしかない。

そうじゃなければ、責任を全うできないんだ、というふうに考えるべきですね。

で、そういう場合も濃い愛念ではなく、薄い愛念を向けなければならないのですが、どうしたら薄い愛念を向けることができるのか。

薄い愛念でやれば生霊との距離ができるから、生霊によって病気になったり、体が悪くなったりしないのですが、では、具体的にどうしたらいいのか。

答えは簡単。愛念を人に向けず、神様に向ければいいのです。

いまは不況の時期ですから、どうしても合理化しなければならないところもあるし、採用内定の取り消しをしている企業だってあります。

それはもう、企業を存続させていくうえにおいては仕方のないことです。下請業者をカットせざるを得ないこともあるでしょう。

そういうときに、思いを人に向けると、生霊をガーッと強く受けて、自分が病気になってダメになってしまうし、社員に対する責任を全うできなくなります。

ではどうしたらいいのかといえば、さっき言ったように思いを神へ向けるんです。

「神様、すみませんでした。会社を存続させるためには、レイオフあるいは一時帰休、それから下請を切らなければならなかったですし、返品もせざるを得なかったんです。

どうぞ神様、神様の目から見て、もしこれが罪に当たるのであれば、お許しくださいませ」と祈るのです。

「会社を存続させるためには、これはもう、しょうがないことなんです。どうか、ご勘弁願います」と。

「そこでもし、私が罪を犯しておりましたら、この罪は甘んじて、別な形で償います。仕事のうえの葛藤や、前向きな努力のなかで、苦しみのなかで、贖いをしていきますので、どうぞお許しください」と。

「しょうがないんです」と。「病気というのだけはやめてください」と(笑)。「そうじゃないと、残った社員への責任が果たせません。果たせなかったら一層また、罪をつくらなければなりませんので、神様どうぞお許しください。間違っているところはお許しくださいませ」と、神様にお詫びするんです。

神様にお詫びしておけば、思いが神様のほうに向かっている分だけ、涙を呑んで辞めさせた従業員とか、左遷した従業員とか、切った下請業者とか、返品した業者さんに対する思いを向けなくて済みますから、生霊を受けなくて済む。

そして、神様が許してくださった分だけは自分も免れて、別の形の、前向きな発展的な努力と苦労のなかで劫が払える。

やりすぎたり、劫を積んだのであればね。もし、やりすぎたのでなければ、別に、神様もとがめません。そういうふうにして、締めくくっていくわけです。

下請を切る、仕入先に返品する、社員に辞めてもらう、社員を左遷する……

これはしょうがないことですよ。「どうぞ、この人たちの運が開かれまして、=神様のご守護で幸せな方向へと行くように、ご守護してあげてください」と、その人たちに対する愛念を神様に向けるんです。

「仕方なく、こういうふうになりましたが、どうぞ神様、のちのち幸せな道に行くようによろしくお導きくださいませ」と、神様に祈ればよろしいわけです。

そういうふうによくお祈りをしたら、もうそれ以上、愛念を向けなくていいと思います。

しかし、「ああ、かわいそうだったな」とか、「何々君、すまんなあ」などと、その人たちの守護神、守護霊、御魂に祈ったりすると、モロにチャンネルが合うから、その人たちの生霊がガーンと来て、病気になったり、イライラしたりします。波長が合ってしまうと、前向きで発展的、意欲的な自分自身が失われて、経営者としての責任が全うできなくなりますし、病気になりますね。

意欲の低下につながります。そうすると、社運全体が落ちてきます。

そこがやはり、経営者の辛いところ、苦しいところ、悲しいところです。けれど、経営者の責任ですから、あんまり必要以上に己を責めることはないと思います。神様に、そういうふうに向かっていったらいいのです。

これまで何度も言ってきたことですが、反省の「省」という字は、「少ない目」と書きます。

だから、多目に反省したらダメなんです、落ち込みますから。ちょっと、少ない目でちょうどいいんです。

そうやって、神様のほうに神様のほうに思いを帰していくことによって、愛念の濃度を薄めることができるわけです。

人によって、あるいはケースによって、愛念を濃く出すことによってワーッと明るくなる場合と、薄く出したほうがいい場合とがあります。濃いほうがいいときは濃くしなければいけないし、薄くしたほうがいいときには薄くしなければいけませんが、組織全体から見て、問題の多い社員などを切らなければならないときは、「これは罪かな、悪かったかな」と思ったら、神様のほうにいっぱい思いを向けていく。

そうすれば、社員や取引先に向ける愛念の濃度が薄まります。

まあ、経営者とは関係ありませんが、救霊師が救霊するときなんかもう、愛念の濃さの極まりみたいにしないと霊に通じません。

薄い愛念で救霊したって、霊的な愛の波動が相手にバーンと伝わりませんから、全然、怨念霊も浮遊霊改心しません。

ただし、お稲荷さんなんかの動物霊を救霊する場合は、あまり濃い念で念じても通じませんから、そういうときには薄い愛念でやるんですけどね。

キツネ祓いをする救霊の方法があります。救霊師はそういう訓練をしていますけれども、会社の経営者もそれと同じなんです。

濃く出さなければならないときにはうーんと濃く出して、薄くしなければならないときには薄くする、という調節が必要なわけです。

この愛念の濃度の調節ということを研究していただければ、ご神業と神様ごとの世界と、愛念と経営の実際面とのバランスというのか、応用というのか、工夫ができると思いますので、そういうところを皆さん、これをヒントにして、ぜひ実践していただきたいと思います。