「勝ちつづける経営者とは」」~平成7年11月8日 大神神社大礼記念館~
三輪大神の功徳
関西タメカンセミナーにご出席の皆さん、私は石垣島に行って参りまして、体調があまり冴えなくて、出歩こうと思うと動けなくなります。
腎臓のほうは、トカラ龍神さんが腎臓に鎮まっていたということが分かって、トカラ龍神さんに腎臓から出ていただいたらいっぺんに楽になりました。
熱もいったん下がりましたけれども、以前ほどではないにしろ、まだ熱が続いています。
石垣島の神様もひと月くらいは続くぞ、ということでした。要するに、出歩かないで部屋にいて、勉強して物を書いて創作せよ、ということだろうと思います。
その間、皆さんとお会いできないのはちょっと寂しいですけれども、新幹線とか車とか飛行機に揺られて行かなければならない場所はダメなんです。
外の気に触れて揺れると動けなくなる感じで、ですから石垣島に行ったあと、伊勢のほうにはなかなか行けなくて、植松愛子先生に代行していただいております。
関西タメカンの皆さんにも、三輪の大神様にも久しぶりにお目にかかれると思っていましたけれども、ちょっとこういう状態で失礼しています。
三輪の神様については、何回もタメカンセミナーに参加している人はご存知だと思います。
特に関西の菱研会員さんの間では、Hさんが三輪の神様のエキスパートとして有名で、以前、三輪の神様の代わりに全部お当番でやってくださったことがありました。
そのとき、終わったあと、「五十万単位、百万単位で、スパスパスパと面白いように現金の振り込みがあるんです」とおっしゃっていました。ですから別名、三輪の神様は、「振り込みの神様」です。
もちろん三輪の神様は、振り込みの神様であると同時に、「資金繰りの神「様」です。
また、「もののけ」の「もの」を抑えて、よきものを守るために、汚い所、汚れ仕事、目には見えない隠れた部分の後始末や処理、こういうものをバンとやってくださる神様でもあります。
家にはお玄関があり、居間があり、応接間があり、お台所がありますが、おトイレもあります。
お台所の家計を守ってくださるのが三宝荒神とするならば、三輪の神様は言わば、おトイレの汚いものを処理してくださる神様です。
処理しなければならないというときに守ってくれる、そういう神様です。だから三輪の神様は「おさめの神様」でもあります。
家は、おトイレのような汚い部分もなければ成り立ちません。食べるだけではなくて排泄がなければ、新しい食べ物が血となり肉となり栄養に残っていかないわけで、だからどうしても必要なものです。
そういう部分の揉めごととかトラブルとか、問題点とか葛藤とかというものを解決するときには、やはり「もののけ」の「もの」をおさめる三輪の神様のお働きが必要です。
「もの」というのは「もののけ」の「もの」で、そういう霊的なものをはじめとして、胡散臭いような部分をきちんとおさめてくださるんです。
たとえば、従業員を辞めさせなければいけないとか、経理上に大きな問題点があったときに、経理担当者にどうやってケリをつけるかなど、そういうことはやはり、粘り強い精神力と忍耐力と、恐れずに突き進んでいく勇気が要ります。
そういう場合にはやはり、三輪の神様が一番です。私の体験上、三輪の神様が一番強い力を発揮して、強い力となってくださいます。
税務署との交渉とか、税務署との闘いになってきますと、これはもう鹿島の神。剣の強い意志をもってガンといくんですけれど、汚いものの後始末とか、おぞましいものを処理するときには、三輪の神様にお願いするといいんです。
下まで降りてきて助けてくださいます。
だから、税務調査があるときとか、問題があって何とかしなきゃいかんというときには、三輪の神様と鹿島の神様、両方お祈りすればいいわけです。
先ほどちょっとお話ししたHさんが三輪に行ったとき、空には雲が出てきて、ピカピカと雷が鳴ってきて、「神様がお受け取りくださったな」と思って、家に帰ったら振り込みがサッとあった、と。
雷がピカ、振り込みがサッ、雷がピカ、振り込みがサッ。それで、三輪の神様は「振り込みの神様」だということで、今度はみんなで行こうということで三輪大社に行ったのですけれど、そのとき三輪の神様から、「私は振り込みをするだけの神ではない」というご神示をいただきまして、みんな「失礼致しました」と(笑)。
三輪の神様がおっしゃるには、「わしは振り込みだけの神じゃない。
もっと幅広い守護をしているのだ。人間の人事百般すべてのことをまかなっているんだ」と。
たしかに、地元地域の人にとっては産土の神様で、産土の神の働きというのはすべてのものを総合的に見てくれるわけです。
それだけの働きをしてくださる三輪の神様ですが、他の神社の神様もそれなりに功徳がある。何でもするといったら住吉も何でもしてくださるし、鹿島も諏訪も伊勢も何でもしてくださる。
三輪の神様はしかし、他の神社の神様と比べまして、最初に申し上げましたような、汚い所、汚れ仕事、目には見えない隠れた部分の後始末やおぞましいものの処理、こういうものをバンとやってくださる強いお働きを持っているのです。
自分よりも強くて怖いな、おぞましいなという相手と対峙したとき、前向きに対処して解決しなければならないことがあります。
そういうときは、三輪の神様にきちんとお参りをしてお祈りして進んでいくと、相手が自分のことを「怖いな」と感じる。何か迫力と恐怖感を相手のほうが感じて自然に解決していく。
そういうようなお働きがあると考えていいのではないでしょうか。
今日は、三輪の神様にずっとお祈りしていたのですが、魂ふりをしていますと、二つのことが浮かんできます。一つは何かというと、持久力とか粘りを発揮するには、大物主の神様ですから、「気合で負けたらもうダメだ」ということです。
絶対に気合で負けてはいけない訳
たとえば、日本シリーズ(平成七年)を見ていまして、ヤクルトの野村克也監督とオリックスの仰木彬監督(編集部注・・・仰木彬氏は平成十七年十二月に永眠されました)。
この二人は同期だったらしいんですけれど、どちらもチームリーグ優勝に導くだけの優秀な監督であることに違いはありません。
しかし、仰木監督は近鉄の監督時代に巨人との日本シリーズで手痛い敗北を喫していたので、非常にナーバスになっていたそうです。監督がナーバスになると選手もナーバスになります。
それに対して、日本シリーズ四回目になる野村監督は泰然自若としていて、まずイチローの攻撃力を封じるための作戦を考えました。
また、仰木監督にも腹が立つようなことをボロクソに言って、カッカさせたりしていたようです。
まあ、野村監督はタヌキみたいな感じです。野村監督はもともとキャッチャで、性格がいい人はキャッチャーができないと言われています。
バッターの裏をかいて、さらにまた裏をかいてということで、人の裏をかくことばかりをやるのがキャッチャーですから、頭がよくて人の裏をかくという、善良な人ではできないと思うんですけれども、野村監督自身、タヌキであることを自覚していたみたいで、「わしがタヌキなら、仰木はキツネだ」なんて言っていました。
しかし、ああいう大きな舞台になってくると、思い切って強気でいかないと、選手全員に響いて力を発揮できなくなってしまうんです。
それが分かっていて、強気で立ち向かうことができるのがベテランのベテランたる所以で、大きな舞台を何度も経験している人は、そういう舞台に立ったときには何が大事なのかが、経験で分かっています。
このあたりが仰木監督と野村監督の違いで、今回はキツネにタヌキが勝った、と。
タヌキのほうが度胸があります。度胸なる悪知恵。
キツネは、どちらかと言うと、気の小さい知恵者が多い感じでしょうか。とにかく野村監督は、ああいう大きい舞台では、強気でいかなければダメだということが分かっている、と。
そういう二人の監督の比較を新聞で見まして、「なるほどそうだ、気合で負けたらいかん」と思いました。
ですから、初めての大きな舞台に立ったとき、気後れして、「これはもうダ「メじゃないか」と思ったら、どんなに三輪の神様やいろいろな神様に拝んだり頼んだりしても、初めから勝負に負けているわけです。
やはり従業員にも周囲にも、それが伝わるわけですから、チーム全体が生き生きとした実力が発揮できない、とこういうことが言えます。
監督の発言、監督の取る行動が選手に大きく影響します。会社の場合の監督は、もちろん社長です。
大きな舞台になってきたら、慎重に構えなければならないところもありますけれども、ここ一番となったら、絶対に弱気になってはいけない。気合で負けたらダメなんです。
頭では緻密に計算してやらないといけないし、攻め方は確実に一歩ずつやらなければいけないんですけれど、相手が自分よりも強かったり、あるいはまた大きいなと感じたり、あるいは大きな舞台でこれは失敗できないぞと思うと、萎縮してしまうわけで、そういうときは逆に、「気合で負けたら負けだ」と思わなければなりません。
気合で負けたら負けなんだ、という気持ちで動きますと、脳みその回転もよくなります。
そうして自分の能力、あるいは部下の能力がフルに動かされた結果、勝負に勝つんです。日本シリーズを見ていて、こういうことを私は学びました。
まさに三輪の大神様は大物主の神様で、「もののけ」の「もの」に打ち勝つ神様です。「もののけ」というのは、こっちがおじけづくと、ますます恐ろしいものに見えてきます。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と言いますけれど、こっちが怖い怖いと思うと、枯れ尾花でも幽霊に見えるんです。
ですから、堂々と、「来るなら来い」と。絶対に気合で呑まれないように、というのが大物主の神様の働きですし、もののけに勝つ方法なんです。
会社では、そういうおぞましいこととか、トイレ掃除のような汚れ仕事、従業員には聞かせられないような事柄がたくさんあります。
人によっては奥さんに聞かせられない問題を抱えている人もいるでしょう(笑)。
しかし、そういう場合も気合で負けないで、とにかく突き進んでいく。
そういう覚悟を持って、「三輪の神よ、守り給え」と祈ったら、うわっと守護しに来てくださるんですけれど、神様にお祈りしても、本人の気が後ろのほうに引けてしまっていたり、気持ちで呑まれてしまっていたりしたら、これはなかなか難しい。
たとえお祈をして功徳があっても、神様と一体になるとか、合体するとかはできません。
逆に言うと、三輪の神様にお参りすると、そういう気魂というのか、気風というのか、根性というのか、息吹というものを送っていただけるから、「よし!」という気持ちになって、頑張れる。そういうものを、三輪の神様から補給していただくわけです。
経営者は悩みがあって当たり前
会社の経営というのは、調子のいいときもあれば、悪いときもあります。調子のいいときは誰でも、「それーっ!」と前向きになれるんですけれど、業績が落ち込んだり売上げが落ち込んだりすると、ついつい後ろ向きになってしまいます。
そうすると、社員のことだとか財務の問題とか、販売店の揉めごとだとかトラブルというのが、絶えず起きてきてしまいます。
経営者のように、上に立つ人間のリーダーシップを考えた場合、やはり度胸というか強さがなければいけません。
何でもスーッと順調に運んできたボンボンやお嬢さんのような人が会社の社長になりますと、何かトラブルがあったときに対応できません。
従業員の問題、お金のやり繰りの問題、販売店の問題、仕入れの問題、あるいはまた法律上のトラブルがあって裁判沙汰になるとか、そういう問題に直面すると、「あー、もう大変だ」ということで、ノイローゼになったり、円形脱毛症になったり、胃潰瘍になったりします。
ところが、そういうような修羅場を絶えずくぐっている人は、「こんなこと、どうってことない」と腹を据えることができます。
一つの壁を乗り越えたら、次に何か起きてもどうってことはない。一度修羅場を越えてしまいますと、どうってことありませんし、たいしたことはないんですけれど、そういう経験がない場合は、本当にノイローゼになったり、胃潰瘍になったり、頭を痛めたりします。
会社の経営とは、悩みを抱え、悩みを複雑化し、具合を悪くするためにあるようなものです。
いま、会社の経営でいろんな悩みごとを持っておられる方は多いでしょうが、この三輪の神様の今日の教えは何かというと、「それが経営なんだ、それが経営者の宿命なんだ」ということです。
だから、そういう問題を抱えていても、絶対に気合で負けない。そういう毎日を送っていたら、従業員は、「ウチの社長は優秀な経営者なんだ」と思います。
従業員は社長の姿や外見だけでなく、内的なたくましさや精神力を見ているんです。
ですから、そこが経営手腕の見せどころだと思って、気合で負けないようにしなければなりません。経営者として立派な人間修養ができているか、魂の修養ができているか、己の修養ができているかどうかというのは、結局、そういうときに明らかになるんです。
いずれにしても、トラブルとか問題点とか絶えず出てくるのが普通なんだ、と。たとえて言いますと、お天気のいい、いつも晴天が続く南洋の離島に生まれ育った人は、北海道のような寒い所や、雨が多く、いつもどんよりと曇った所、あるいはイギリスのような気候の所へ行ったらもう耐えられません。
逆に、北海道とかイギリスのような所、お天気のよくない所に生まれ育った人間は、九州とかお天気のいい所へ行ったら、こんな明るい所はない、ということで、ますます元気になります。
晴天ばかりが続くような気候のいい所にいた人間は、ちょっと曇っただけで「ああ曇った。ああ、また雨だ。今度は嵐だ。今度は雹が降ってきた」なんて言いますけれども、そんなに雲一つない晴天の日は滅多にあるものではありません。
そういう雲一つない晴天というのは、何の悩みも問題もトラブルもなく、幸せという絶頂のときと同じです。
素晴らしい気候というのは、たとえて言えば、入学試験に合格したときや、プロポーズを相手が受け入れてくれて結婚が決まったというようなとき、あるいは、結婚式を挙げてこれから新婚旅行だというときのようなものです。
そういう瞬間は、天気にたとえれば、まさに雲一つない晴天青空ですが、そういうのは滅多にありません。
雲というのは、霊的に見れば悩みです。純粋に一生懸命頑張っているとき、ああしようか、こうしようかと湧いてくる悩み、それは白い雲です。黒い雲となると、そこに憂いが入ってくる。
真っ黒な雲になったら、悲壮感が漂ってくる。雷がガーンと落ちてきたら、家の中が大騒動、てんやわんやです。
雨が降ってくると、涙が出て泣きが入ってきます。どうなるのかと、わんわん泣いているときは、手形の不渡りをくらって倒産したというようなとき。
倒産したときというのは、台風が来たようなもので、雨、風、それから曇り空、雷鳴。こんなものが襲ってくる。倒産したらきっとそうでしょう。
それでもやはり、いつまでも台風が吹き荒れるわけではなく、やがて晴れていいお天気のときがやってくるんです。
いいお天気といっても、雲一つない晴天は一年のうちに一回か二回あるだけで、「今日はいい天気ですね」というときでも、白い雲や灰色の雲がどこかに必ずあります。
丘の上とか山のほうには黒い雲があって、ただ太陽が出ている、と。太陽が雲の中に隠れていなければ、「ああ、いいお天気ですね、今日は」と言いますね。太陽が雲に隠れてさえいなければ、それはいいお天気なんです。それと同じで、経営者にとっての健全なる日々、幸せな日々というのは滅多にあるものではない。決算をしめてみて、今年はボーナスをいっぱい出せる、何カ月分出せるな、と。確定申告したあと、これだけ今期利益が出たなという報告を見て、税理士さんと、「なかなか今期はよかったですね」と。
たしかにそういう瞬間は、「いやあ、よかったな」ということで晴天です。
しかし、税金をどうするかということでまた悩みます。払えば資産で、内部留保で残るじゃないかということで、そういうふうに思うときくらいでしょうか、お天気がいいときというのは。
それから、店頭公開あるいは上場したときなんかは、経営者として最高の誉れでしょうが、そういうとき以外は、経営者にとっての穏やかな日々というのはほとんどありません。
絶えず山の麓のほうには雲がかかっていて、黒い雲があったり白い雲があったり、灰色の雲があったりして、とにかく太陽が雲に隠れている、と。
そういう状況が経営者にとってはいいお天気で、雲一つないという日はほとんどありません。
「今日もよかったですね」「いやあ頑張ってますか」と。関西では「儲かりまっか」「いやまあ、ぼちぼちでんな」と挨拶しますけれど、経営者は経営者としてのそういう人生を選んだわけですから、それが当たり前なんだというふうに覚悟を決めて、根性を据えなければいけません。悩み、葛藤、トラブルは絶えず続きます。
私も創業のころから十九年やっていますけれども(平成七年当時)、悩み、葛藤、トラブルは絶え間なく起きてきます。
しかし、悩み、葛藤、トラブル、憂い、心配ごとをうんと乗り越えるだけの太陽の輝きがあればいいわけです。
つまり、自分自身が輝いていたらいいんだ、と。そのためには、そういうものがないということはあり得ない、必ずあるんだ、あったまま幸せと生き甲斐と喜びと充実を感じて、自分という太陽の輝きが従業員の一人一人に行き渡っていくことが経営者の責任なんだ、と強く自覚することです。
経営者の社会的責任
企業の社会的責任とは何かというと、P・F・ドラッカーも言っていますように、利益を生むこと、収益を上げることです。経営者の社会的責任はまずそれです。
それができなければ、従業員にボーナスや給料を出せないし、生活も保障できないし、取引先に迷惑をかけるし、家族に迷惑をかけるわけです。
会社を潰してしまったら、どれだけの大きな悲劇が起きるか。だから、絶対に会社を潰さない。そのためには収益をきちっと上げ続けるということ。それが経営者の社会的責任の第一なのです。
それから株主への配当。さらには地域住民への還元。その前に、関係取引先に繁栄してもらわなければいけません。
地域住民はその次です。また、社会に還元していくということについても、法人税を納めれば、それによって十分に貢献していると考えていいでしょう。
ということで皆さん、強い者、怖い者に対したとき、気合で負けないことです。野村監督が必ずしもいいわけではないし、必ずしも好きと思わない人もいるかもしれませんが、日本シリーズのようなああいう場面では、気持ちで負けないことが第一です。
プロ野球の監督にとっては、日本シリーズに出るだけでも光栄なことかもしれませんが、戦いになったら戦いの渦中にいるわけですから、絶対に気合で負けない、と。
しかし、日本シリーズは年に一回です。それに対して、会社の経営者は日本シリーズのような一か八かの勝負はできませんし、失敗は許されません。
自分の言葉、自分の態度が全社員に影響するようなことは年に一回だけではありません。少なくとも、月一回は月次決算という真剣勝負の場があります。
そのような場面は、年に何十回も何百回もあるわけです。
ですからやはり、気合で負けてしまってはいけない。結果は分からないけれども、少なくとも気合だけでは負けるか、と。
気魂だけは尻ごみするものか、と。その気魂、気概性、相手に呑まれない、問題に呑まれないという精神力が、言わば目に見えない世界の太陽の輝きなんです。
これを決して忘れないことです。そして、どんな憂いがあっても、「太陽の輝きが覆い隠されることがない」というのが、晴天が続く正しい経営者の経営の像ではないか、とこう思うわけです。
まず、そこだけは誰にも負けないというふうに、人生観の根幹を置かなくてはいけません。
経営者になったならば、それが従業員に対しても、自分の家族や従業員の家族に対しても、社会的責任を全うするための一番大事なポイントなんだ、と。まず人生観の根幹をそこに置かなければいけないのではないかと思います。
それができたら、経営者として充実した幸せな人生が送れるのではないでしょうか。もちろん、従業員も、従業員の家族もみんな幸せな人生を送ることができるはずです。それによって大いに幸せと喜びと余徳を受けるわけです。
これが今日皆さんにお話ししたい第一のポイントです。
商売は粘りである
第二のポイントとして浮かんでくるのは、「商売は粘りである」ということです。
行者さんや霊能者さん、神霊家など、霊的に敏感な人が見たら、三輪山全体にバカでっかい巳さんがぐりっと巻いているのが見えると思うんですが、三輪の神様の主宰神は巳さんではなくて、その奥に黒龍王のような、黒龍ではないんだけれども、もっと厳かな龍王なんです。
けれども、一つの代表的な大きな蛇の姿となって巻いておられます。
蛇というのは、「鳥だ、ジェット機だ、いや白蛇だ!」ということはあまりなく、天駆ける蛇というのはいないわけです。
天駆けるのはだいたいスーパーマンとか龍神とかに決まっています。
ですから蛇は、現実界に近い次元に出てくるから、三輪大社によくお参りしている関西の霊能者なんかには、やはり現実界に即した霊感とかというのが出てくるんです。
経営する人間にはそういうことはあまり関係ないのですけれど、大蛇となっていても、悪いものではない。正しいいい神様なのですが、ひと言でいうと、それは粘りになってくるわけです。
たとえば、関東と関西を比べますと、大きな事業を興した人は関西出身者、特に滋賀県出身の人が多いですね。
丸紅を創設した人も滋賀県出身です。伊藤忠も滋賀県出身です。それから西武グループの堤康次郎さんも滋賀県出身です。
三井グループはたしか三重県の松阪です。それから三菱グループは高知。全部、関西方面です。特に滋賀県が多い。
その方たちがすべて三輪大社を崇敬していたというわけではありませんが、圧倒的に風土自体も粘っこい風土です。
葱を見ても、その他のお野菜を見ても、水気が多くて粘り強い。みずみずしい。粘っこい。
それに対して、関東は空っ風。あるいは、「武士は食わねど高楊枝」ということで淡白で、水気が足りない。
その点、関西では住吉大社さんが白龍となって現れ出てきて、海の上をサーッと行く。
白龍というのは水気の一つの化身でもあるわけで、「古事記」を見たら住吉の神も海から出てきたということで、水気の象徴です。みずみずしく粘り強い。
ですから、政治的には関東の空っ風で、竹を割ったような性格の人が多いように言われていますが、ビジネスでは、竹を割ったような性格では損をします。
関東と関西が真正面から勝負しますと、必ず関西が勝ちます。理由は粘り強いからです。
二番目の理由は、関東人のような見栄っ張りだとか、メンツにこだわるだとか、恥をかきたくないだとか、そういうものがないからです。メンツにこだわるというのは天狗の鼻でしょうけれど、鼻の下をくぐられますとすぐにポキンと折れます。
立ち技の上手なのが関東人、寝技の上手なのが関西人。ですから、粘り強さがあって、それから恥も外聞もなく頭を下げて行くことが関西の人はできるわけです。
まあ、洋服のセンスはいまいち大したことはありません。もう少し、恥も外聞も知ったほうがいいんじゃないかというのは、ファッション業界では言えるわけですけれども(笑)、都人というのは、皆そういう傾向があります。うんと前は京都、奈良がそうでした。
富山の薬売りも粘りがあります。
商売で成功している人は、みんな粘りがあります。普通の行商は、村に商品を売りに行って日が沈むと、もう日が沈んだからということで、家に帰るかどこか宿へ行くんですが、富山の薬売りは日が沈んでから、もう一山越えて仕事をするんです。
普通の薬売りだったら、宿に泊まるか家に帰るところを、そこからもう一山越えるというのが富山の薬売りの伝統です。
だから、富山の薬売りは優秀な販売実績を上げているわけです。
こういう話を聞いたら、関西の人は「うん、そうか」と。関東の人は「なるほどな」と。
関東は関東のやり方があるわけですが、関東の人が関西に来てうんと成功するということはなかなか厳しいです。関西の人が関東に出て成功することは大いにあります。どこが違うのか。違いはいろいろあるでしょうけれども、まず粘りが違います。
関西人で粘りがないのは関西人の値打ちがない?
ということは、「関西の人で粘りがない人は、関西人としての値打ちがない」と言えるのではないかと思います。
三輪の神でも住吉の神でもそうなんですけれど、特にこの三輪の神は巳さんで、蛇のごとく粘り強く、くねくねくねくねとして、右と思えば左、左と思えば右というようになかなか諦めないで、粘り強くアプローチを繰り返す。
さらには、アプローチしてもなかなかやめない、と。
西宮の戎様もまさに忍耐と粘りの神様です。三輪の神様も根気の神で、もちろん龍王もいますけれども、ご眷属として白蛇さんとか水色蛇さんとか金の蛇がいっぱいいます。
ご眷属ですけれど、それが粘りになっているわけで、それだけの産土力があるわけです。
だから、関東の人が関西に来たら、関東人なりに粘り強い交渉、粘り強い値引き、粘り強い従業員の獲得、粘り強い反論、粘り強い開拓力などを身につけていくための息吹をいただくことが非常に重要ではないか、と。
関西の人は、みんな粘り強いですから、さらに一層粘り強くなり、かつ、ウルトラCがかかったくらいに粘り強くなる。そうでないと、関西ではなかなか勝てないんです。
その粘着気質というか、粘り強く行くぞ、商売は粘りだ、粘り強く行くんだ、と。ダメだと思ったところから、さらにもう一粘り。そこからさらにもう一粘り。
それでも、もう一粘りというかたちで、二粘り、三粘り、四粘りしないと、人よりも秀でた業績、実績、売上げは上がりません。
関西では、そこにうんと磨きをかけなければダメです。関東の人は少し粘り強くなれば、長じた働きができます。
関東の人は関西の人と交渉するとき、関西の人が粘り強く腰を低く、何回も何回も言うと、「ああいいよ、いいよ。分かった、分かった。キミの言うとおりにするよ」と、すぐに腰を上げてしまいます。
気が短いというか、諦めやすいというか、さっぱりしているというか、まあ、関西人にとって関東人ほどやりやすい人種はいません。
