経営者よ すべて超一流を目指せ! 菱研 深見所長講演録16(Vol.3)

菱研は「魚の釣り方」を教えるところ

次に、お腹がすいて、飢えた状態のとき、「これを食べなさい」と魚を与えてくれる人はありがたいけれども、それは一回きりです。

それに対して、魚はどうしたら釣れるのかという釣り方を教えてくれる人はもっとありがたいのです。

というのは、魚の釣り方を教えてもらえれば、あとは自分でどんどん魚が釣れるわけだから、一生食べ物に困らないわけです。

ですから菱研では、魚の釣り方を教えているのです。

さらに、釣り方だけでなく、「このときはこうするんだ」と、もうはっきりアドバイスしています。

普通は、アドバイスしたとおりに実行してうまくいかずに業績が落ちたりすると責任問題になるから、「こうすべきだ」などとはっきり言わないものです。

会社の経営にしても何にしても、定石というものがあるわけですから、定石を勉強すればだいたいの方向性が見えてきます。

しかし私の場合は、定石をさらに超えたところでも判断しますので、「このままいくと、半年ぐらいでこうなるよ」と言ったらそのとおりになる。

いい予測も悪い予測も当たります。だから、悪い予測の場合は、こうしたらよくなるよということで、あらかじめ努力の方向性を示すわけです。

その結果、改善されていくケースがほとんどです。

それでもやはり、自分自身の努力が一定以上のレベルに達しないと難しいですし、これが天地の法則です。

しのぎ切れなかった人も何人かはいます。しかし、努力の方向性はきちんと示しますし、危ないぞというようなことはちゃんと警告しています。

何でも独学でできると腹をくくれ

ところで皆さん、ウルトラマンの話をご存じですか。ウルトラマンがニューヨークのエンパイア・ステート・ビル、あるいは東京タワーでもどこでもいいんですけれど、エンパイア・ステート・ビルからシュワッチと言って飛び上がった。

ところが、飛び上がったものの飛べなくて、そのまま地面に顔面からガーンと落ちて、歯がボロボロになった。これがウルトラマンの「歯なし」です(笑)。

それで、話を元に戻して、独学でやるにはどうしたらいいのか、ということですけれども、何か分からないことがあるときには、皆さんも神様や守護霊さんにお祈りするでしょう。

もちろん、菱研でもいろいろとアドバイスをいたします。しかし、どうすればいいのかという具体策になると、個々それぞれに違ってきます。

ですから、具体策のレベルになったら個別にアドバイスするしかないわけですが、その前提として最も大事なのは、目に見えないエネルギー、パワー、やる気、これをいかに引き出すか、ということです。

ではどうしたら、エネルギー、パワー、やる気が出てくるのか。しかし、これは勉強しただけでは難しいんです。

むしろ、やればやるほど気が枯れていきます。ですから、目に見えない発展力とパワーと元気をいかにもらうかが大事であり、必要不可欠なのです。ビタミンを補給するのと同じです。

分からないことがあったり、どうしたらできるかと考えたり、勉強しようと思うとき、どうするのか。

そういうとき、先生についたり、誰か知っている人に尋ねたりする。これは簡単なんです。

しかし、そうすると、毎回聞かなければなりません。別に、毎回聞いてもいいんです。

税理士でも公認会計士でも弁護士でも、先生と名のつく人が近くにいたら、どんどん聞いたらいいんです。

しかし、いつまでも生徒であってはいけないわけで、やがては自分が先生にならなければなりません。

そのためにはどうしたらいいのか。みんなが尋ねにくるような自分になるにはどうしたらいいのか。

確かに、何か学びたいときには詳しい人に聞くのが一番手っとり早いんですけれども、それだけではダメなんです。

何かを学ぶときには、「独学でできるんだ」と腹をくくらなければいけません。

私はいま、絵をやっていますけれど、日本画の犬飼得之先生に六年ぐらい、技法とか水墨画を習いました。色の使い方とか形とかいろいろと原則を教わり、最初の一年間は、先生の言うとおりに筆づかいとか筆法とかを勉強しました。

しかしそれでは、先生のコピーみたいなものですから、二年目からは先生から教えていただいたものをベースにして、どこへ行っても自分で描くようにしています。

そうやって自分なりにスケッチした作品を、五つか六つ、犬飼先生のところへ持っていき、「先生、これはどうでしょうか」と確認します。

それに対して先生が、「ああ、これはこういうふうに描いたほうがいいですね」と言って、スケッチをコピーして色をつけてくれるんです。それに基づいて、今度は自分で色づけするわけです。

出品したりするときには最初から最後まで自分で描くんですけれど、練習のときには先生がコピーしたものに色をつけてくれる。

すると、「なるほど、こういうふうに色づけするのか」ということが分かります。自分なりに一生懸命描いたものに色をつけてくれたり、いろいろとアドバイスしていただいたりすると、その瞬間にバシンと頭と体に入る。

そうやって、技術を磨いてきたわけです。

犬飼先生には六年ほど教わっていますけれど、それでも月一回です。六年間といっても月に一回です。その代わり、一回のレッスンで十時間ぐらいやっています。

というのは、六枚も七枚も描いて、先生に持っていくわけですから、それくらい時間がかかります。

とにかく自分で描いて、それを先生のところに持っていって、いろいろと教えていただくのです。

ですから月一回でも、自力でやっている分、どんどん力量が上がっています。

独学のポイント

とにかく、ただ、ぽけっと口を開けて、教えてくれるのを待っているようなことは絶対にしません。

最初の一年間は先生が教えてくださるままに学んでいましたけれども、それ以後はどんどん自分で描いていきました。

やはり、曲がりなりにも自分でやらなければダメなんです。まず自分で描いてみて、それを先生のところへ持っていって教えてもらう。そうすると、苦しんだ分、がんばった分、「なるほど、そうなのか!」ということで、頭と体にバシッと入ります。

そうやって、色の使い方とか、形のとり方とか、日本画の技術が身についていったんです。

西洋画になってきたら、もっと簡単です。西洋画の場合も、油絵具の溶き方とか筆の使い方、ナイフの使い方を教えてもらうわけですけれど、基礎を教えてもらったのは数時間。

あとは、「はい、分かりました」と言って、自分でどんどん描いていきました。油絵でも何でも、一晩で六点も七点も描く。

半年かけて一点描く人が多いんですけれど、私は一晩で六つか七つの作品を描きます。今日も七点描きました。

西洋画の場合、絵の中身を教えていただいたというよりも、先生から習ったのは、道具の使い方だけです。

もちろん、絵の先生ではありますけれど、むし画材屋さんなんです。ご夫婦とも絵描きさんですけれど、「絵はこうやって「描くんです」なんていちいち教えてくれませんし、たとえ教えられても、教えられたとおりに描きません。

先生とは違う絵ばかり描いています。

その方たちは二ヶ月かけて一点の作品。私は一晩で六、七点描く。

他の人たちがどうしてそんなに時間がかかるのか、私は不思議でなりません。

書道の場合、一晩でいくつも仕上げるではないですか。絵もそれと同じだと考えています。

日本画にしても西洋画にしても、そうやって技術を磨いてきたのですが、そのルーツは何かというと、実は独学なのです。

絵の先生も何もいないとき、自分で勉強したのです。日貿出版社から日本画、水墨画の技法書が出版されていて、それを買ってきて勉強したのです。

竹梅菊を「四君子」と言って、日本画のベースになっているのですけれど、技法書に基づきながらどんどん描いていきました。

仕事が終わってから、午前二時、三時、四時、五時、明け方までずっと技法書とにらめっこしながら、「ああ、こうやって構図をとるのか」と。構図のとり方の原則というのがありますから、それを確認しながら一つずつ色紙や画用紙に描いていったわけです。

ですからいまでも、富士山であれ、四君子であれ、何も見ないでさらさら描けますけれど、それはそのときの努力の賜物です。

そんなのは誰も教えてくれませんし、よしんば教えてくれる人があっても、それでは身につきません。

技法書を買ってきて、仕事が終わってから夜の二時、三時、四時まで、毎晩毎晩、自分で描いていったから身についたんです。全部、独学です。

書道は、先生について学んでいますけれども、それでも書道の歴史や筆法に関しては、何でも本を買ってきて自分で勉強しています。

会社の経営は最初から最後まで独学です。経済学部を卒業していますけれども、どうやって経営していくんだろうかと、経営に関する本をたくさん買ってきて、片っ端から読みました。

そして、「なるほどそういうことか」と納得することもありましたし、逆に、「そう言うけれども、これはおかしい」と疑問に思うことも多々ありました。

私は、書いてあることを何でもかんでも信じませんから、「おかしい、この著者は」「なんてバカなことを書いているんだ、この人間は」なんて言いながら読んでいって、「本当はこうだ」というのが結局、自分の著作になりました。

そうやって何でも独学でやってきたんです、絵も書も歌も。ベルカント唱法という歌い方の本も出ていますから、学ぼうと思えばいくらでも学べます。

神道もそうです。神様の道だからというので、國學院大学の神道学科を学士入学しなければ、と思って受験したのですが、合格発表を見に行く前に、「予備校を出さなきゃいけないのよ。神様がそうおっしゃっているのよ」と突然、植松先生がおっしゃるものですから、急きょ、予備校を創設しました。

何一つ経験がないんですけれども、度胸一つでいきなりスタートしたんです。

ですから、ペーパーテストを受けて、面接も受けたんですけれど、合格発表を見に行けませんでしたから、通っていたか落ちていたかは分かりません。

しかし、そのプロセスで國學院大学を出ている先生の専門書を買ってきて、みん読みました。神道を誰から学んだのか。専門書を買ってきて、全部読んだんです。

ですから、勉強というものは教わらなければできないものでは決してありません。

何でも独学でできるんです。

その姿勢ができていて先生についたときは、メキメキと上達します。

一を聞いて十を知る人になれます。月に一回でも、年に一回でも、何カ月に一回でも、先生にチェックしてもらうだけでメキメキうまくなっていきます。

それはなぜかといえば、独学がすべてなんだということが頭に入っているし、体得できているからです。

だから、何でも自分でやれるのです。自分で魚の釣り方を考えて、自分で釣れるようになっていくわけです。

独学で壁にぶち当たったときどうするか

独学には壁があるのも事実です。しかし、その壁に行き着くまで自分で徹底的にやらなければなりません。

どんな本を見てもよく分からない、どこがどういけないのか分からないという、ギリギリまで自分なりに精一杯がんばったあとで先生に教えてもらうと、「ああ、そうか。こうやればよかったんだ!」ということが、頭にも体にもバシバシに入るんです。

しかし、先生頼りにはしてはいけません。いったん教えてもらったら、また自分でやってみる。

そして行き詰まったら、また素直に教えを請いに行くのです。

このようにして、一つまた一つと体得していく。だから、自分が聞きたいことや、その先生の持っているエッセンスなどが、短期間でたくさん吸収できるのです。

そのためには、「先生、こんなのどうしたらいいでしょうか」「この場合はどうなんでしょうか」というふうに、質問上手でなければいけません。この姿勢ができてきたら、何をやっても頭角を現すことができますし、どんな分野でも優れたアマチュアになれます。

さらに専門書がガンガン読めるようになったら、相当なアマチュアになり、やがては、プロにもなれます。

たとえば、もともと料理が好きで、自分なりにつくってきた人が、いろいろ料理の本をいっぱい買ってきて、自分なりにどんどんつくっていったら、相当うまいアマチュアになれます。

料理学校で使っている専門書とか、料理のプロしか見ないような業界誌とか、そういうものを読んでいけば、ある程度のものがつくれるようになります。

そうやって勉強していって、その専門書を読んでもできないギリギリのところまでいってから、吉兆さんなり何なり、一流のところに弟子入りして、ぼろくそに言われながらしごかれたら、ものすごく腕が上がります。

一、二年やれば、あっという間に頭角を現すことでしょう。そして、そこで勉強して、「ああ、そうか」と分かってから店を出せば、必ず有名店になれるわけです。

この、「何でも独学でできるんだ」ということを、一生涯のうちのどこかで体得した人は、何でもできる人になれます。

専門書をバリバリ読める読解力と読書力があったならば、ほんとうにプロの域に達して、やがては、下手なプロから中堅のプロ、中堅のプロから優れたプロになって、さらに独学でガンガンやっていくから、プロが尊敬する大御所になっていくのです。

ですから皆さんも、会社の経営のやり方でも営業の進め方でも、あるいは社員教育のやり方、経理、税務の処理の仕方、みんな独学でやったらいいんです。

最近、税法が変わったらしい、税金対策はどういうふうにやったらいいんだろうか、とか、いろいろ分からないことがあるはずです。

そういうときこそ、独学でやったらいいんです。

業界紙、専門誌はすべて読め

とにかく、何でも独学でできるんですけれど、もう一つ、プロとアマの違いについて、私がよく新入社員に口が酸っぱくなるほど言っていることがあります。

それは、「予備校業界におけるプロとアマチュアの差は何なのか」ということについてです。新入社員たちは予備校業界について何も知らないアマチュアがほとんどです。

「そういう君たちでも、これから私が言うとおりにやれば、半年から一年でプロになれるんだよ」と。

以前お聞きになった人もいるでしょうけれど、その方法とは何かといえば、「業界紙と専門誌を徹底的に読む」ということです。

いまはだいぶ廃刊になりましたが、十数年前には、大学受験三大専門誌というのがありました。

いまでも続いているのは旺文社の「蛍雪時代」だけです。それから学研が出していた「Vコース」と、ライオン社が出していた「私大進学」というのがあり、この三つが大学受験の三大専門誌でした。

その三大専門誌を毎月毎月、隅々まで読んでいく。それを一年間ずっと続けていったら、三十六冊読む計算になります。

三十六冊分の受験専門雑誌を読んでいれば、保護者や生徒、あるいは学校の先生等から質問されても、何でも答えられるようになります。

「いまの受験の傾向は?」「いまはどういうふうな勉強をしたらいいのか?」「どこそこの学校の偏差値はどれくらいで、どういう特色があるのか?」などの、どんな受験に詳しい保護者や受験のプロが来ても絶対に大丈夫です。

しかし、その三冊全部を毎月毎月、隅々まで読んでいる人は、そういないものです。

「Vコース」だけとか、「蛍雪時代」だけ、「私大進学」だけです。受験生や受験に興味ある人は、三月号や四月号など、気になる月のだけは読んでいる。

毎月、三冊全部を読んでいる人はそういるものではありません。

ですから、プロになろうと思ったら、業界紙、専門誌を、毎月全部読む。たったこれだけのことなのです。実に簡単なことです。

確かに、お医者さんなどは資格が要ります。専門書を読んだだけで医者になったら、これは怖いことです。

「止血の方法に関する記事が一年ぐらい雑誌に出ていなかったから、血の止め方だけが分からない」という医者がいたら怖いですね(笑)。「止血の方法だとか、心臓マッサージの方法などは、誰でも知っている簡単なことだから雑誌に載っていない。だから、まだ血を止められない「んだ」というような医者がいたら、本当に怖いことです。

ところで、国家資格の要る業種は別として、繊維でも造船でも建築でもいいですし、住宅設備でもいいし、何でもいいんですけれど、皆さんは業界紙をとっていますでしょうか。

多分とっていると思いますが、とっていてもだいたい一つか二つだと思います。業界紙のうち、評判のいいのを一つか二つとっているはずです。

しかし、一つか二つしか読んでいないのでは、それ以外の専門書を読んでいる人には専門知識で負けてしまいます。

ですから、私だったら全部を読む。インテリアデザインでも食堂経営でもラーメン屋でも、どんな業種であっても、私ならすべての業界紙をとります。

業界紙というものは一つだけとるものではなく、全部とるものなんです。日刊工業新聞とか日経産業新聞とか日経流通新聞とか、いろいろありますが、日経流通新聞は流通関係のいい情報がいっぱい載っています。

そういう新聞を見ているだけでたくさんの情報が入ってきますし、たくさんのビジネスヒントが飛び込んでくるわけです。

こんな簡単なことですけれども、自分の胸や、あるいは、顔でもお尻でもどこでもいいですから、手を当てて考えてみてください。自分は業界専門誌を全部とっているだろうか、と。

その業界紙や専門誌はそんなに高い本ではないはずです。ですから、それを毎月毎月とって、隅々まで見る。たいした費用ではないんですけれども、一年間それを継続しただけでも、ものすごく詳しくなります。

営業に行っても、あるいはどこかに行っても、「最近、何々社は新製品を開発して、業績がいいようですね」というような話をすると、「この営業マンとお付き合いしていると、得るものがある」ということで、信頼されて次々と受注できるようになります。

バカな話ばかりする営業マンも楽しいことは楽しいのですが、情報に関して得るものがなければ、「また来ないかな」なんて思われません。

やはり、すべての業界紙に目を通すくらい勉強していなければダメなんです。そういう人なら、会えば必ず何かのヒントが得られ、プラスになることが多いので、「また「会いたいな」と、取引先もお客さんも思うわけです。

さらに、私は五大新聞を全部とっています。朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、産経新聞、日経新聞。それから、日経流通新聞、日刊工業新聞、日経産業新聞をとっています。

流通新聞は一週間に一回ですが、流通新聞にも目を通しています。それから日刊工業新聞がありますけれども、工場関係の仕事ではないものですから、なかなか日刊工業新聞まで目が回りませんけれど、五大新聞プラス流通新聞ぐらいは毎日欠かさず見ています。

いまは産経新聞で「大学受験生と保護者へのアドバイス」を連載していますから、その他の教育関係の記事も必ず見て、切り抜いて保存するように徹底しています。

それから受験専門雑誌でしたら、先ほども申しましたように、いまなお残っているのは、旺文社の『蛍雪時代」だけで、学研の「Vコース」もライオン社『私大進学』も廃刊になって、一冊だけなんです。

あと、進研ゼミ等が出している情報誌もあります。

それ以外で教育論に関する本は、たとえば和田秀樹さんの有名な本や問題集は全部読みました。

それから、いま「百ます計算」で話題の陰山英男先生の本も五、六冊読みました。

私は産経新聞に連載をしていますし、絶対に何年間も連載を続けるぞと決意していますから、いままた勉強をし直ししています。

本はトン単位で買うもの

それで、社員みんなに注意をするのです。

たとえば、マナーのことについて、「本を読んで勉強しなさい」と言うとすると、本屋さんへ行ってパラパラと本をめくってみて、よさそうだなと思うのを一冊だけ買ってきて勉強する。

しかし、これではアマチュアなんです。「そういうマネは絶対にするなよ」と注意をするわけです。

私でしたら、マナーの勉強をしなさいと言われたら、マナーに関する本を書店の棚の隅から隅まで全部買います。

つまり、紀伊國屋書店でも八重洲ブックセンターでも旭屋書店でも、「あのー、すみませんが、マナーに関するこの本を全部いただけますか」と言って、端から端まで全部買って帰るんです。これがプロというものです。

一回本屋さんへ行ったら、だいたい五十冊単位で本を買ってきます。本というのは一トン、二トンというように、トン単位で買うものなんです。これはホントンです(笑)。

ですから、業界紙でしたら全部をとって、パッパッパッと見て、「あっ、これはおもしろそうだ」というところがあったら、赤枠したり赤丸をつけたりして、「ここを切り抜いて、ファイルしておいてくれ」とスタッフに頼んでおくんです。

新聞も、五大新聞をはじめとしてほとんどの新聞には毎日目を通していますから、神事の証はほとんど私が発見するんです。

ときどき、「十勝岳の噴火が何日続いて、震度が何度だ」とか、そういう、東京では手に入らないような地方の新聞やニュースを、地方の会員さんが送ってくださるんです。

それと、阪神タイガースも気になるから(笑)、スポーツ新聞も一紙だけではなくて、必ず全紙を買います。

東スポも買います。東スポなんか、「雪男捕獲」とか「ネッシー捕獲」なんていう大見出しが目に入ると、「おおっ!」と思って、ついつい買ってしまうでしょう。

ところが、よく見ると、「か?」と(笑)。「雪男捕獲」「ネッシー捕獲」ではなく、「雪男捕獲か?」「ネッシー捕獲か?」ですからね(笑)。

先日、「スカンク類人猿、発見か?」という見出しを見たときも、笑ってしまいました。「スカンクのように臭い類人猿がいて、カナダで遭遇した」と。

それが一面トップに出ていたんです。ほかの新聞やテレビでは一切報道されていませんでしたから、いかにも怪しい記事ですけれど、とにかく、そういう怪しい記事が、ときどき東スポには掲載されています。

話が横道にそれましたが、私が皆さんに申し上げたいことは、「本は全部買う。スポーツ紙も全紙を買う。五大新聞も業界新聞も全部をとる。業界紙も全「部買う」ということなんです。

営業に関する本にしろ、マナーに関する本にしろ、一冊だけしか買わないというのは、アマチュアです。しかし、プロは全部買う。

もちろん、全部買っても全部を読むとはかぎりません。経営者は忙しいですから、そういうときは、おもしろそうな本を一冊読んで、残りの本はプロローグや見出しを読みます。

本は一ページ目から順番に読んでいかなければいけないというきまりも規則もありません。

「一ページ目から順番に読まないとぶち殺すぞ」というようなことはどの本にも書いてありませんし(笑)、あるいはまた、「あなたは後ろのページから読んだでしょう」と言って、警察官が来るわけでもありません。

背後霊が「最初から読め」と言って、「言うとおりにしなかったら頭痛にするぞ」というわけでもない(笑)。

どこから読んでもいいわけです。だから、最初に目次を見て、おもしろそうなところから読んでいく。

先日、私の予備校で、「和田秀樹の本を君たちは読んでいるのか」と社員に聞いたら、みんな、「はい、読んでいます」と答えたんですけれど、そのうちの一人が、「でも、和田さんの本はどれを読んでも、似たり寄ったりのことしか書いてないんですよ」と言ったんです。

そこで私は一喝しました。

「バカもの。キミは本に対するものの考え方が根本的に間違っているよ」と。

それはどういうことかというと、出版社はまったく同じ内容の本を出すわけがないんです。

私は著者ですから、なるべく内容が似たり寄ったりではないように書く努力をしていますが、著者の中には、「よくこれだけ似たり寄ったりのことを書くなあ」という人もいます。

しかし、まったく同じ内容の本ではない。どこか一つか二つは、新しい別の内容が入っているんです。

パラパラと本をめくってみたら、似たようなことを書いているページもありますが、一つか二つは、必ず前の本にはないことが書いてある。

だから、たとえ一個でも新しい情報が入っていたらそれでいいではないか、ということなんです。

似たり寄ったりでもいいんだ、全部買うんだ、と。最初のページから、インクの香りを確認したり、イラストを確認したりしながら、本というものは見ていくものなんです。

前の本になかったところが一個でも二個でもあればそれでいいから、本は全部買うことです。

たくさんの蔵書を持て

やはり、本は買って持っていないと、いざというときに、「あれ、何だったつけ」ということになります。

図書館に行けば、確かに本はありますけれど、欲しいときにかぎって「貸し出し中」が多いものです。

コピーするといっても、枚数が枚数だけに大変です。ですから、本は買ったほうが、よほど時間とエネルギーと労力が省けます。

つまり、それだけ蔵書をたくさん持っておかないとダメだということです。それなりのものを築いた人は、やはり本をたくさん持っています。

前尾繁三郎さんは昔の政治家ですけれど、彼は二万六千冊の蔵書を誇っていました。

それから、司馬遼太郎さんも蔵書が何万冊です。蔵書というのは何万冊というのが本当なんです。

たとえば、マナーの本が必要になったとき、本屋さんに三十五冊あったとすると、三十五冊全部を買うのです。書籍代は経費で落ちますから、三十五冊を買ってきます。

それで、おもしろそうなものを一冊か二冊読んで、あとはプロローグや見出しを見て、「これはおもしろそうだ」というところだけをパラパラと見る。

どのような考えに基づいて書かれた本なのかは、プロローグや小見出しを見れば分かるからです。

もうそれだけで、残りの三十数冊分は、どんなことが書いてあるか、ほぼ頭に入ります。

三十五冊を最初から最後まですべて目を通さなくても、これでだいたいの内容は理解できるのです。

ですから、三十五冊のうち数冊を読んで、あとはプロローグや小見出しを読んで、内容をピックアップしておく。

そして、三十五冊にはどんなことが書いてあったのか頭に入れておいて、マナーの研修とかをしなければいけないときなどに、確かあの本にああいうことが書いてあったなということを思い出して、要るときになったその時点で、改めてその本を全部読んだらいいんです。これがものを書く人間の本の読み方です。

そして、国立マナー研究所というのがあったとして、その先生たちが書いたマナー辞典というものがあるとするならば、その辞典も全部読みます。

辞書は、必要なときに引くというのはアマチュアです。プロ中のプロは、辞書を最初から最後まで全部見ているものです。

神道国際学会のアラン・グラパール先生という方は、サンタバーバラ校の教授で、チェアーをつくったときに担当していただいた教授ですけれども、ものすごく分厚い「神道大系」を最初から最後まで全部読んでいますし、いまでも、時間があったら「神道大系」を見ています。

「神道大系」は松下幸之助さんが音頭をとって編纂したもので、その数何と百二十冊です。その百二十冊の最初から最後までを全部読破しているんです。

これはお坊さんについても言えることです。真言宗のお坊さんは真言宗の本だけ、禅宗のお坊さんは禅宗の本だけしか読まないらしいんですが、一宗一派を開いた人はみな、一切経典を読んでいます。

前にお話しした、江戸時代初期の禅僧である鉄眼禅師が編纂した一切経典は七千三百三十四巻。

それを印刷するための版木をずっと積み重ねると、富士山の二つか三つ分くらいの高さになるらしいです。それだけの七千三百三十四巻という経典を、二回も三回も鉄眼は読んでいるんです。

南方熊楠なんかは一切経典を二度読んで、「一切経典の第何巻の何ページの上のほうの半分にこういうことが書かれています」と、スラスラ言えたというんです。

南方熊楠だけではありません。日蓮上人にしましても、栄西にしましても、みんな読んでいます。

栄西は二度読んだと言われています。そういう人たちが一宗を開くようになるわけです。

ですから、独学で何でもできるんです。しかし、その独学とはどの程度のレベルなのか、ということなんです。

今日は、「魚の釣り方」を皆さんに教えているわけですが、皆さんはそういう勉強をしているんだろうか、と。

本屋さんに行って一冊しか買わないのはアマチュアです。

セミプロはたくさん読んでいて、プロになってくると全部を買って、そのうちの何冊かを読んで、残りはプロローグや小見出しを見て、全部内容が頭に入っていて、そのうえで、さらに専門書も読破しているんです。

大学の教授と助教授になってくると、「どこの誰がどういうものを書いていて、あの教授はああいうことを書いていて、こういう主張なんだ」というように、ライバルとなる教授の著作とか論文などを全部読んでいます。

そうでないと論争ができないからです。それが教授であり助教授なんです。最高学府で人にものを教える先生は、そういう勉強をしているわけです。

その先生の、さらに上にいる大先生や大御所と言われる人たちは、他のジャンルの本や、昔の時代に書かれたものなんかも全部読んでいる。

一切経典も読破し、「神道大系』も読破し、諸橋轍次先生が編纂した『大漢和辞典」なんかも全部読んでいるんです。