時は金なり、時間の千円札を拾え! 菱研 深見所長講演録15(Vol.3)

創作活動が広がる「黒ノート」

ですから、ここは私の創作活動の世界です。空白時間を使った、自分の脳の活動世界ですから、このノートが私の部屋であり、図書館であり、推敲する場所なのです。

ここには英語も書いてあります。

Good luck and bad luck come from spiritual energy. Success or failure is determined by the quality and quantity of your spiritual energy.

とか、いろいろと書いてあります。

これを今度から定例講演神業の場で「英語寸言集」と銘打ってやろうかと考えていますが、そのためにも、英語力をもっともっと伸ばさなければ、と思っているのです。

ハーバードクラブというのがあります。ハーバード大学のOBたちでつくっているクラブです。

そのハーバードクラブには朝食会というのがありまして、OBたちが十八ドルを払って参加するんですけれど、そのゲストスピーカーに招かれまして、お話をいたしました。もちろん、英語のスピーチです。

朝の八時から始まるうえに、十八ドルを払わなければならないわけですから、それに値するスピーチでないとクラブの会員さんはなかなか来ません。

それだけに、こちらとしても十分な準備をしなければなりません。やはり、それなりの英語でなければならないわけです。それで、英語を一層勉強しようと思いまして、Art is the most important means. I have to elevate myself to a higher spiritual condition.といった文章をつくり、それを推敲したものをワープロに打って、アメリカにいるロジャース先生という私の英語の先生にファックスで送るんです。

ロジャース先生はハーバードの大学院を修了し、博士号を取った方なんですけれど、そのロジャース先生にファックスで送ると、添削されたものが返ってくるんです。

そうやって、日々、英語力を磨いているわけですけれど、それだけでなく、新幹線に乗っているときでも、絶えず英語の勉強をしています。

ですから、このノートにはスケッチ、御神示、それから、「ああしようか、こうしようか」というメモ、俳句、短歌のほか、英語寸言や英語のギャグ集なんかも書いてあります。

たとえば、「米軍基地キチバッタ」といったギャグがあります。「これ、英語でなんて言うんや?」

「時間がないからええよ。和英辞典はええわ(英和)、大阪にて」という(笑)、つい最近できたギャグもあります。

私が、何か難しそうな顔をしていたら、ギャグを考えている、と(笑)。

このノートを見たら笑いますね。ギャグや俳句、短歌、御神示、さらには、英語が書いてあったりして、知らない人が見たら、何が何だか分かりません。「肌寒き濁流に立つ国連旗」(4)

という俳句が書いてあるページがあるかと思えば、次のページにはギャグがいっぱい書いてある。

さらに次のページには英語が書いてあって、スケッチが描いてあって、短歌が書いてあって、神様からの御神示が書いてある。知らない人が見たら、「何なんだ、これは」と思うはずです。

これだけのことが、この一冊のノートの中に書いてありますので、そのときの思い出が、全部残っていますし、書かれていることは永遠に残っていきます。

「あっ、これ面白いな」と感じたことは、何でも書いてあります。気になった英単語も書いてあります。

人の顔を見ていて、「あっ、眉毛はこういうふうになっているんだ」と思ったら、即スケッチを描くし、そのポイントを書き留めます。

十九歳のときからずーっとノートを書き続けて、今では百五十冊ぐらいになっています。形や紙の質などいろいろと試しましたが、やはり、今使っているのが一番いいということです。

さっき言ったように、汚れても気にならないし、ぞんざいに扱えます。どこに放ったらかしにしていても、なくさないかぎり大丈夫です。

次から次へと書いていきますから、どんどん冊数が増えていきます。俳句、短歌、英文、スケッチなんかは、すぐに一ページ使います。

この前、ニュージーランドに行ったときは、全ページ使ってエグモント山という山の景色を描きました。

エグモント山というのは日本の富士山にそっくりなんです。

車に乗っていたら、エグモント山の景色が目に入ってきたものですから、すぐに車から下りて、その場でずーっとエグモント山を写生しておりました。

同時に、写真にも撮りましたけれど、写生したものにはエネルギーが宿っていますから、その写生をメインにしながら写真と見比べて、「ああ、ここはこういうふうになっていたな」などと思いながら、また山を描いていくわけです。

そのように、私の空白時間は、このノートがあって初めて活用できるのですが、では、どういうときに空白の時間があるのかというと、一番多いのは、交通機関を利用しているときです。

「学校を出ないで風呂屋の絵を描く人って、本当に額がないね」と(笑)。

昨日、車に乗っているときにつくった新しいギャグなんです。風呂屋の絵は額がありません。学校を出ない人も学がないです。漢字が違うだけです(笑)。

(※4)この俳句はさらに推敲して、句会では「春寒き濁流に立つ国連」が優秀作に選ばれています。

移動中の空白時間を最大限に活用しよう

それはさておき、電車やバスに乗っているとき、あるいは、電車やバスを待っているときは、まさに空白の時間です。

その空白の時間をただボーッと過ごすのか、創作活動や勉強のために利用するのか。

それによって人生に大きな差が生まれるわけですから、交通機関を利用しているときの時間は、目いっぱい活用しなければなりません。

私の場合はもちろん、ノートに書くだけがすべてではありません。

学生時代からサラリーマン時代にかけては、電車に乗れば必ず本を開いて、四書五経や経済本などを夢中になって読んでいました。

勉強したのは電車に乗っているときだけではありません。電車が来るまでの待ち時間があります。

電車がホームに入ってくるまで、プラットホームのベンチに座っているとき、あのときほど集中できる時間帯はありません。

家へ帰って「はぁー、くたびれた~」とリラックスすると、途端に集中力がなくなって、脳みその活動もストップしてしまいます。

勉強は、家へ帰ってからじっくり腰を据えてやろうという人がいますが、家に帰ったら思うようにできるはずがありません。

いつも言うように、中間テストや期末テストの勉強をしているときに限って、本が読みたくなって、「ああ、試験が済んだらいっぱい本を読むんだ」と思うんですけれども、テストが終わると、「終わった!」という解放感に包まれて、つい遊びに行ってしまいます。

あんなに本を読みたいと思っていたのに、そんなことはすっかり忘れて、遊び呆けてしまうわけです。だから、勉強するには適度な緊張感が必要なのです。

人間は、「ねばならない」という状況のときは、そこから逃避したくなります。逃避したいと思うから、本を読みたくなる。本を読まなければいけなくなると、何か原稿を書きたくなる。

原稿を書かなければいけないときには、本を読みたくなる。

だから、循環したらいいんです。原稿を書いていて、何か嫌だなと思うと絵を描きたくなる、と。

絵を描いていると、絵なんかに集中するのは嫌だということで歌を歌いたくなる、と。歌ばっかり歌っていると、こんなことばかりやっていていいんだろうかと、また勉強したくなる。

そうやって、循環しているわけです。逃避がずーっと円形に回っていったらうまく循環します。逃避から逃避、逃避から逃避という形で、結局、頭の皮が薄くなって「頭皮光」と(笑)。

とにかく、ずーっと回っていけばいいわけです。これが気分の切り替え方です。

ちょっと横道にそれましたが、電車やバスに乗っているとき、あるいはプラットホームで電車を待っているときは、人が見ていますから裸になるわけにいきません。

私は、プラットホームでかなり大きな声で歌ったりしていますけれども、プラットホームでは野球はできないし、アーチェリーの練習もできない。

サッカーの練習もできません。もちろん、プラットホームで立ち小便もできません。用を足すときには、やはりトイレに行かなければいけません。

背中が痒くても、裸になって掻くわけにはいきません。そんなことをしたら、すぐに通報されてしまいます。

何が言いたいかと申しますと、公共の交通機関を利用するときには、それなりに緊張感を強いられる、ということです。

しかし、その緊張感がいいんです。一応、人が見ているから適度に緊張する。

その緊張感があるからこそ脳みそがよく働いて、知的生産性が上がるわけです。

だから、交通機関の空白時間というのは、勉強には最適です。私自身、交通機関を利用しているときが最も集中できます。

飛行機の待ち時間もいいですね。空港のソファーに座ってこのノートに書いたり、あるいは、ファーストクラスだったらラウンジがありますから、そこで知的生産にいそしむ。

ラウンジがなければ、空港の待合室でもいいんです。人が見ているから、ある程度緊張するし、集中力が高まるので、勉強がものすごく進みます。

英単語も覚えられるし、短歌はつくれるし、俳句もつくれます。本格的なスケッチはなかなかできませんけれど、「いいな、スケッチしたいな」と思ったら、このノートを持っていますから、簡単なものならいつでも描けます。

そういうことで、このノートと適度な緊張感のある空白時間が連動すると、頭を動かす時間がつくれるわけですから、空白時間を活用するには、ある程度の緊張感とノートが必要なのです。

電車を待ってプラットホームにいるとき、それから飛行機に乗るまでの待ち時間、誰か人と待ち合わせをしているときは、適度な緊張感があります。

そういうときは集中できますから、予め早めに行って人為的に空白時間をつくったらいいんです。

電車を待っているとき、バスを待っているとき、飛行機の出発時間までの待ち時間、人を待っているときは、いろいろなことができるから、本当に素晴らしいんです。

それから、今日のような会合が終わったあと、すぐに家に帰るのではなく、どこかのホテルに立ち寄って、しばらく空白の時間を持つのもいいですね。私なんかは、ときどきそうやって原稿を書いています。

家に帰って、服を着替えてリラックスすると、もうダメなんです。「ああ、くたびれた」と思ったら、寝るか、ジュースを飲むか、オナラをするか(笑)。

まあ、オナラはどこでもするでしょうけれど(笑)、リラックスしたときのオナラは安心したオナラですね(笑)。

スーツを着て、人に会うときにするオナラは、どこか緊張感があります(笑)。

リラックスしたときのオナラはボワーンとした感じです(笑)。人に会うときに出るオナラの音には緊張感があります。

そこにはやはり、音魂が入っていますね(笑)。その精神状態が表れていますもの、音色に。

だから、いったんリラックスしたらもう、創作活動は無理です。ボケーッとテレビを見るくらいで、とても本を読む気にはなれません。本を読むには、ある程度、気持ちを奮い立てなければなりません。

勉強に最適な、適度の緊張を強いられる空白の時間

私はお天気屋ではありませんが、極めてエモーショナルな人間です。人が緊張しているときには私も緊張するし、みんながリラックスしているときは私もリラックスする。

人がリラックスしているのに自分だけ緊張を持続するというのは、なかなかできません。

どちらかというと、人の気にとても敏感なので、周囲の影響を受けやすいです。

ですから、喫茶店とかファミリーレストランのような、適度な緊張感が強いられるところがいいわけです。

あまりバカなこともできませんから、適度な緊張感があって、そのうえ、ソッとしておいてくれるところであれば最高です。図書館なんかもすごくいいです。

私は子どものころから、家ではなかなか勉強できませんでした。

というのは、弟と妹がいましたから、家で勉強していると、「兄ちゃん、どうのこうの」と言ってきましたし、また父親が激しい人でしたから、ちょっとしたことでもすぐに「バカなことをやるな!」と怒鳴るので、家ではとても勉強できませんでした。

反対に、あまりに静かすぎるところもダメでした。というのも、いつも家族がワイワイ言っている家でしたので、静かなところに行くと怖くなるんです(笑)。

余計なことを考えてしまいます、「やめてくれ、この静かな環境!」と。

植松先生のところで生活していた十年間は、自分の部屋というものがありませんでした。

神業旅行に行ったときは、自分の部屋がありましたが、そういうのは年に一、二回しかありません。

自分の部屋がないから、寝るのはいつも応接間で、応接セットを横に移動して、そこに布団を敷いて寝ていました。ですから私にとっては、このノートが私の部屋だったんです。

私にとって、自分の部屋でくつろぐというのはあり得ないわけです。それでもやはり、本を読み、ものを創作し、弟子を育成していかなければなりませんから、使えるのは空白の時間しかありません。

いつもはみんなが相談に来ますから、みんなが寝静まったあとの空白の時間しか活用できなかった。

そういうことで、空白の時間を活用するのがますます上手になっていったわけです。

だから、リラックスしているときはダメなのです。そうかといって、あまり緊張しすぎるのもダメです。

税務署さんを相手にやり合っているとき、「ちょっと待って、俳句を書くから」というのは、なかなかできません(笑)。

それから、新幹線に乗っているとき、車掌さんが来て切符の検札をするとき、「ちょっと待ってください。今は俳句をつくっていますから」とも言えません。

あまりに緊張しすぎるとダメですから、適度な緊張のある空白の時間が一番いい。家に帰ってリラックスしてしまったら、知的活動はほとんどできません。

テレビを見るとか、猫や犬に触るとか、あるいは漫画を読むとか、雑誌をパラパラめくるとか、それくらいしかできません。

精神を集中させて知的な活動をするのは、到底できません。せいぜい身体を休めるぐらいです。

だから、図書館とかファミリーレストラン、喫茶店や駅のプラットホーム、そういう場所が最も集中できます。

それから、人と待ち合わせをする前の余白時間もいいです。

また、会合や打ち合わせなどのあと、ちょっとした空時間があったら、ファミリーレストランや喫茶店などに行って、知的な世界に入ったらいいんです。

そういうときこそ、このノートは最大限に役立つわけです。そういう空白の時間を大切にしなければなりません。

大きな問題に集中したり、大事な書類に目を通したり、重要な原稿を書き進めたりする場合は、家でやるのがいいでしょう。

そういうことは、移動中にはなかなかできません。手元が揺れるから難しいです。やはり、机についたときにやるべきです。

受験生でしたら、空白の時間は暗記ものの勉強に最適です。英単語や古語の助動詞を覚えたり、それから歴史年表を覚えたりできます。

「八一〇年、薬子の変」、「八九四年、白紙に戻した遣唐使廃止」、「七九四年、鳴くようぐいす平安京」「七一〇年、平城京遷都」「六二二年、聖徳太子没」「一一九二年、いい国つくろう鎌倉幕府」。

そういうような年表を覚えるのには、空白の時間を活用するのが一番です。

中世の日記文学を年代順にいうと、「トカイムサジサ」「土佐日記」「蜻蛉日記」「和泉式部日記」「紫式部日記」「讃岐典侍日記」成尋阿闍梨母集」「更級日記」と覚えるわけです。

「トカイムサジサ」と覚えるのが、中世の日記文学の年代順の覚え方なんです。そういうふうに覚えると、文学史の問題がすぐ解けます。

このように、文学史や歴史の年表、それから、英単語、古語の助動詞、それから漢字。そういうようなものは、全部空白時間に覚えるわけです。

そして、家に帰ってご飯を食べたり、しばらく横になったりしてリラックスし、「そろそろ勉強するか」と机についたら、長文読解とか和文英訳だとか、それから数学の問題を解くとか、物理の問題を解く。

そういう勉強は、深い思考力や集中力が必要ですから、空白時間ではなかなかできません。そのためには適度な緊張ではなく、ものすごい緊張が必要です。

そう考えたら、やはり、長文読解や和文英訳のような勉強は、机の前でじっくり取り組んだほうがいいでしょう。

それに対して、暗記のための勉強は、電車やバスの中の空白時間を活用すればいくらでもできるわけです。

ノートとカセットテープの併用を

このノートには、私の創作活動やメモ、翌日のスケジュールも含めて、全部書いてあります。

このことはどうするべきだとか、あのことはああすべきだったとか、今度の会議ではこういうふうに言わなきゃいけないとか、忘れないためのメモも書いてあります。

その意味では備忘録でもあるのですが、しかし、備忘録ではありませんし、メモでもありません。

もちろん、メモにも使えますが、このノートはあくまでも「発見の手帳」なのです。

その限りにおいて、私にとっては必要にして不可欠なものでして、だからこそ、どこへ行くにも、肌身離さず持ち歩いているわけです。

ただし、このノートにも欠点がないわけではありません。それは何かといえば、車での移動中は使えないということです。

目がいい人なら、上下左右に揺れる車の中でもノートを見ることができるでしょうけれど、私の場合は乱視なものですから、とても見えませんし、書くこともできません。

しかし、「目がダメなら耳だ」ということで、私の車にはテープが常備されています。

たとえば、今度舞う「高砂」の謡のテープを入れておいて、二時間、三時間の移動中に、ずーっと聴いて覚えるわけです。

「われ見ても久しくなりぬ住吉の、岸の姫松幾代経ぬらん」と。

その次には、パバロッティを聴きながら、「マリトヘドマーニーニーナベファーテスフォーザーエービオビーカントワンコウラアセレナハハ~~タ〜」と歌う。ババロッティを聴いたら、録音しておいたCNNのテープに切り替えて

「Today ia……」と、英語の発音練習をする。

そのように、謡の次はパバロッティの歌、パバロッティの歌の次はイタリア歌曲、イタリア歌曲の次は英語の勉強、という具合に、どんどん耳で勉強しているわけです。

私のテープにはイタリア語のアリアが全部入っています。それを聴きながら、ずーっと耳で覚えています。

その次に、CNNのテープが流れてきて、英語の発音に慣れる。

今は、英語のCNNのテープと謡とオペラのテープをずっと耳で聴きながら勉強しています。

そうやって、テープを聴きながら、余白の時間に謡を唄ったり、オペラを歌ったりするわけです。

ということで、この「黒ノート」は、車の移動中は使えません。それから、歩行中も難しいです。そういう場合はどうするかというと、口で、

「われ見ても久しくなりぬ住吉の~~」と言いながら歩いているわけです。それから駅へ行く道すがら、

「ボーラーオセレナーター、ラミアデーレタエソーラー、マアソーレー、デンターコーレー、メチャソナーター、ソーナフラレレンツオーラー、オーセレナタボーラ、オーセレナタボーラー、スプレンラープーララルーラー、ラレ…あれ何だっけ?」

と、楽譜を見て、

「あっ、そうだ、スイレン…………」と、また歩いていく。

空白の時間はものすごく集中できるんですけれども、歩いているときには、ノートに書けません。

そういうときは歌っているんです。だからうるさいですよ(笑)。

うるさいんだけれども、人が「うるさいな、こいつは!」という目で見たら、逆に睨み返すんです(笑)。

空白の時間に、歌の練習、謡の練習ができるんですけれども、人の視線を感じて「あっ、すみません」といったん謝ってしまうと、黙っていなければいけません。

ですから、人に何と思われようとも勉強するのか、それとも、人目をしのんで上品に歩くか、究極の選択を迫られましたが、私は前者の道を選びました(笑)。

空港とか新幹線の待合室で歌うと、響きがいいんです(笑)。鉄筋でできているから、ホテルなんか、ものすごく響きがいいですし、トイレなんかもいいですね。

声が響いて気持ちがいいから、しょっちゅう歌っています。まるでお風呂で歌っている感じがして、「なんていい声なんだ~、何ていい歌なんだ~!」と、一人で悦に入っています。

トイレとかホテルとか新幹線のプラットホームとか空港のロビーは、音が響いてくるから本当に気持ちがいいんです。

それから、橋の下も音が響いていいですね(笑)。私は橋の下へ行くといつも、「ちょっと待って」と言って歌っています。

キリスト教の教会は音が響きますが、お寺になってくると、音が吸収されて響きません。ですから、お寺では歌わないんです。

道を歩いているときや交通機関で移動するときは、人に何と思われてもいい。空白の時間を存分に活用するんだと思って、いつも歌っています。もちろん、声の調節はします。

そんなバカでかい声で歌いませんけれど、それでも小声で絶えず歌っています。

どんなに耳で聴いても、口に出さないと、謡もオペラも絶対に覚えられません。

詩吟でも何でもそうです。口慣らしをしないと覚えられないんです。だから、歩いているときや移動しているときは、絶えず口を動かすようにしているのです。

移動中の車の中では、揺れるのでノートは使えません。だから、ノートに書いたりする代わりに、テープを聴いているわけです。そのテープには、謡やオベラ、あるいはCNNの英語が録音されていて、それをしょっちゅう聴いているから、知らず知らずのうちに覚えてしまうのです。

「先生はいつの間にあんなに歌を覚えたのかしら?お忙しいのにいつの間に覚えるんだろう?」と、スタッフたちは不思議に思っているらしいのですが、そうやって空白の時間を無駄なく活用しているからこそ、覚えられるのです。

空白時間に最適な読み物とは

私のノートには、俳句や短歌、それからギャグなんかがいろいろと書いてありますが、小説となるとなかなか書けません。

やはり、空白の時間は短いもののほうが向いています。俳句とか短歌、ギャグなら書けますが、小説のような長編ものとなると、ほとんど無理です。

毎日仕事に追われ、忙しくしている中に生まれるほんのわずかな空白の時間ですから、長いものは難しいんです。

空白の時間を活用するなら、俳句とか短歌とかギャグとか、あるいは、英単語や短い英文をいくつも積み重ねていったほうがいいです。

短くぶつ切りにできるもののほうが、空白の時間の活用には向いています。「万葉集」とか「古今集」とか「千載集」なら、一首ずつ勉強できますし、覚えることもできます。

あるいは、「論語」や「中庸」なんかでも、短い文章で綴られていますので、一つずつ、一ページずつ読んでいけます。

通勤や通学の電車の中、バスの中では、そういうふうに一個ずつ、ぶつ切りにできる本のほうが読みやすいですね。

小説は読み始めると、ついつい夢中になって、仕事ができなくなってしまいます。小説は小説で面白いですけれど、夢中になって、次の仕事への気持ちの切り替えが難しくなります。

たとえば、「これから宮本武蔵はどうなっていくんだろうか」とか「曹操はどうなっていくんだろうか。諸葛孔明はどうなって「いくんだろうか」と、小説の世界にどっぷりとつかって、大事な仕事のことを忘れてしまいます。

人と会っていても、諸葛孔明のセリフが出てきたりします。小説はやはり、家に帰ってリラックスして読むものです。

そうすれば、面白く読めますけれど、余白の時間に小説を読むのはなかなか難しい。先々が気になって、仕事ができなくなります。

通勤途中の電車やバスの中ではやはり、ぶつ切りでも読める「古今集」や『論語』や「中庸」なんかのほうがいいです。

あるいは、弘法大師や伝教大師の言行録なんかもいいでしょう。文章が短いもの、一章ずつが短くなっている本は空白の時間の読書に最適です。

通勤電車のプラットホームではノートに書くだけでなく本を読むこともできますが、ぶつ切りのほうが読みやすいです。

そういうふうに、空白の時間の活用にふさわしい本と、家でじっくりと読んでいく本とがあるわけです。

空白の時間に読むのにふさわしいのは、くどいようですが、暗記物とか言行録のように、文章が短く、一つひとつがぶつ切れになっているもの。そういう本のほうが絶対に向いています。

私は、いつも五種類も六種類もいろいろな本を並行して持っています。

トイレに入ったら「空白の時間用の本」、ソファーの近くには「じっくり読む本」、物を書く机の上には「集中して読む本」などと、いくつか区別して本を用意しているのです。

原稿を書くときは、書き始める前に、何冊かの本をじっくりと読み、それから執筆に取りかかるようにしています。

聞くところによれば、瀬戸内寂聴さんもそうしているそうです。小説を書くときには、一ヵ月で四十冊ぐらいの小説を読むらしいです。

そうすると、著者四十人分のエネルギーがワーッと湧き上がってきて、飽和状態になったらブワーッと書けるんだ、と言っていました。

だからやはり、活字に慣れて、活字に集中する脳は違うんです。

私も、深い内容の原稿を書くときには、まず、じっくりと本を読みます。

ぶつ切りではなくて、ある程度、連続する本、しかも息吹のある本をグワーッと読んで、その世界にガーッと入っていく。

そうすると、奔流の如くブワーッと書けるんです。そうやって調節することによって、文章が書けるんです。

通学時間の長い生徒は神人合一する

そういうことで、空白時間の活用法はいくつもあるわけですが、この空白の時間をボケーッと過ごすだけで終わってしまうというのは、本当にもったいないことなんです。

空白の時間をボケーッとするのではなく、有効に活用しなければいけません。

そのためには、適度な緊張感のある空白の時間にする必要があります。その意味で、スーツを着たり正装したりして、どこかへ行くときはすごくいいですね。

私はよく言うんですけれど、通学時間の長い生徒は神人合一する可能性が高い、と。

あるいは、天才的な人間になるチャンスが大いにある、と。予備校の生徒の中には、「先生、通学するのに一時間半もかかるんです」と愚痴をこぼす生徒がいますが、そういうときには、「それはいいことだ。君は天才になる可能性がある」と励ますことにしています。

かくいう私も学生時代は、同志社大学までは西宮から片道一時間半、帰りは二時間かかって通学していました。

つまり、往復で一日三時間半かかるわけです。それでどうしていたかというと、最寄り駅の苦楽園口から高槻駅までは、ずーっと謡を唄っているわけです。

そのころは「橋弁慶」を唄っていました。「是は西塔北谷の住僧。武蔵坊弁慶にて候」で、そろそろ高槻駅だというころになると、

[It is my great pleasure to say a few words on behalf of all the members of my club. Today is a very nice day.

I realized the importance of having a great discussion between your group and my group.]

と、オープニング・スピーチ、開会の辞とか閉会の辞の英語をずーっと練習するわけです。

しかし、電車の中で発声練習をすると、乗客の皆さんに迷惑をかけますから、電車のジョイント部分の中に入って戸を閉めて、そこで発声練習をするんです。

ジョイント部分だったら、ガタンガタンという大きな音でかき消されます。しかも、人がジョイント部分を通るときには黙って、通り過ぎたら、また戸を閉めて発声練習をする。

客車内ならうるさいけれども、ジョイント部分なら他人に迷惑がかからないだろうということで、「ABCD、オー」などと発声練習していたのです。

[It is my great pleasure to say a few words. It is my great pleasure to say a few words on behalf of all the members of my club.]

などと言いながらスピーチを考えるわけですが、苦楽園口から四条烏丸までは約一時間半ありますから、それを半分ずつに区切って、謡と英語の勉強をしました。

当時私は、能楽部とESS部の両方に入っていましたから、この二つの部活動の練習を、通学電車の中でやっていたわけです。

二、三年前に入会された方が、その私の話を聞いて、「あっ、あの方が深見先生だったのですか」と(笑)。

当時、私が電車の中で練習していたのを聞いていた人が会員さんになって、「電車の中でいつも英語の発声練習をしたり、謡の練習をしたりしている人がいましたが、あの方が深見先生だったとは」と、驚いていました。その人が住んでいるのが、やはり阪急沿線でした。

だからもう、何かを得ようと思ったら、恥や外聞は捨てるしかありません。人から何と思われてもいいんだと思って、やり抜くしかありません。

電車内が勉強部屋に変わる秘訣

話は横道にそれますが、日本で英語のスピーチコンテストとして大きい大会が八つありました。そのうちの五つの大会で優勝し、さらに他の三つの大会では二位と三位に入賞した人がいます。

慶應大学のESS部出身の方で、Sさんとおっしゃるのですが、その人が三井物産に入社したとき、三井物産全従業員の上位〇二五パーセントに入るほどの英語力だったんです。

とにかく英語がうまかった。Sさんはすごい実力で、ESSの世界では非常に有名な人だったんです。

それはもう、あらゆるスピーチコンテストを見て、徹底的に研究して優勝したんですけれど、学生時代、そのSさんが京都に来たときにお会いして、

「Sさん、英語はどうやって毎日勉強しているんですか?」と尋ねたら、

「大事なこと?」

「あっ、私ですか?私は始発の駅で乗るものですから、いつも必ず座席に座れます。座ったらジャパンタイムズの一面をずっと音読するんですよ」

ジャパンタイムズを黙読するのではなく、音読するんだとおっしゃるんです。「そうすると、英語でしゃべれるようになります。

それから、知らない単語があったら必ず辞書を引いて、知らない単語がないようにしています。

英語がさびつかないように毎日、通学の行き帰りは、ジャパンタイムズを音読しております。これが私の勉強法です。ただし、それをやり続けるには、一つ大事なことがあります」

「ジャパンタイムズを音読すると、隣の人が「うるさい!」っていう顔をします。

そういうときに目を伏せてやめてしまったら、電車は通学のための手段で終わってしまうんです。

しかし、「うるさい!」という顔をされたり、あるいは言われたときに、目を伏せるのではなく、相手の目をカッと睨み返すんですよ。すると、その瞬間から通学電車は勉強部屋に変わるんです」

「ほぉー!」(笑)

「だから、一発目が勝負なんです。睨まれたら、カッと睨み返す。

すると、向こうが目を伏せますから、そのまま音読を続ける。それによって通学時間が勉強時間になり、電車という乗り物は自分の勉強部屋になるんです」

忘れもしません。京都の円山公園の中のⅠというお店に何人かを連れていったとき、サービスの悪い仲居がいて、襖を開け閉めするのにバーンバーンとやるんです。何というサービスの悪さだ、と。そのサービスの悪さと、Sさんのお話の素晴らしさ。

あの京都・円山公園のⅠのひとときは、今でも思い出深いですけれど、Sさんのお話を聞いて、私も「そうなんだ!」と決心しました。

それ以来、電車の中で「うるさい!」と言われたら、カッと睨み返すようにしました(笑)。

謡を唄ったり英語の発声練習をしたりして、「うるさい!」という人がいたらカッと睨み返す。そうしたら、やっぱり目を伏せますよ、向こうも。ちょっとおかしい人じゃないか、危ない人じゃないか、触れないほうがいいんじゃないか、と思って(笑)。それでもときどき、「ワレー、うるさいな、コッラー!」というのがいます。そういうときは、「スイマセン」と謝って黙っていますけれども(笑)。

状況判断が要るんですけれど、文句を言うのは十パーセント程度です。しかし、九十パーセント以上は大丈夫です。

電車の中が勉強部屋に替わります。学生時代にそういうことがありまして、以来、空白の時間の使い方をずっと研究しているわけです。

空白の時間は誰にも必ずありますから、その空白の時間をボケーッと過ごすのか、有効に活用するのか、その違いは非常に大きいんです。

私が今日あるのは、学生のころからそうやって、空白の時間を活用してきた結果である、と言っても過言ではないと思っています。

寝る前の時間の活用法

それから、寝る前のひとときをどう過ごすのか。これもとても大事です。

私の場合は、寝る前に背後霊様に、「今日も一日ありがとうございました。

明日はこれこれこういう予定がございます。何とぞ、よろしくお願いいたします」と、ちゃんとお願いしてから寝るようにしています。

ところが、人によってはバターンと死んだように寝る人もいれば、寝る前にうじうじといろいろ考える人もいます。

私の場合はお祈りしてから寝るようにしていますけれど、それでもなかなか寝つけないときは、二十分か三十分、うろうろすることもあります。

学生のころは特に寝つきがよくなくて、うろうろしたものでした。ですから、スーッと寝入るために、寝る前の十五分間は必ず本を読むようにしていました。

しかもその本は、眠たくなるような本で、そういう本を読んでいると、「ああ、こんなの分からないや」ということで、いつの間にか寝入っていました。

それから、テープを聴きながら寝るというのもいいです。大学のころには英語のヒアリングをしながら床に就いたものですが、これを聴きながら寝ると、記憶によく残ります。

身体に染み込むんです。今は音楽のテープとか能のテープを聴いていますけれど、昔は寝る前に必ず英語のテープを聴いていました。

そうやってぐっすり眠ると、翌朝起きたとき、英語がよく聞き取れるようになっていたりします。

ですから、たとえ寝る前の十分、十五分といっても、決してバカにできません。

わずかな時間ですけれど、積み重ねていきますと、すごい成果が得られます。

さらに言うなら、出勤前の一時間。これも大切です。朝起きて、「さあ、会社へ行くぞ」という前に、一時間でも勉強時間に充てる。

英語の勉強でも何でもいいから、とにかく勉強する。一時間なんてほんの少しの時間です。

しかし、これが百日経ち、三百日経ってくると、ものすごい時間になります。積み重ねたら、想像以上のことができます。