空白時間の使い方次第で人生が決まる
この空白の時間を、使える人と使えない人とでは、大きな差が生まれます。
一日二十四時間、一年三百六十五日、寿命がだいたい八十歳だとすると、とてつもなく大きな差が出てくるんです。
今日のテーマは「時間の活用方法について」ですけれど、空白時間をボケーッと過ごす人と、何かの目標を持って一生懸命に活用している人とでは、人生にものすごい差が出てくるんです。
私の場合は、何度も申しますが、十九歳から空白時間を活用するためのノートを使ってきました。
今ではもう、累計して百五十冊ぐらいになりましたが、スケッチとか俳句とかがいっぱい増えていますから、二十代のころに比べて、五倍ぐらいの速度で、発見の手帳であるノートが増え続けています。
一冊上がるごとに通しナンバーをつけていますので、私が死んだら、どこかに博物館をつくって、このノートを保管したいくらいに思っています。
「きみとの日々を思えば、肉まんぞ肉まんぞ、たとえ何があっても」というギャグが、ちょうどこのノートには書いてありますが、これは「憎まん」という意味なんです。
そういうのを皆さんが見て、「先生って、こんなふうにしていろいろと書いていたんだなあ」と。
なお、このページには、
[Japanese mountains are not ordinary mountains.]と英語で書いてあります。
それから、こんなところにかもめの絵があって、かもめの俳句が書いてあります。
ですから、私にとって、このノートとテープが空白の時間の必需品です。
歩いているときには歌謡曲。それからプラットホームで何もないときは、ぶつ切りの本を読んだり、短歌や俳句を詠んだりしています。短いほうが長編よりも読みやすいです。
このようにしていけば、いくつもの習いごとができます。もちろん、詩吟もその気になればできますし、ポップスでも歌謡曲でもオペラでも、あるいは英語でも何でも、口で発するものは、全部練習できます。
できないものは机についてやればいいんです。暗記ものは空白時間でいくらでもできます。
「先生って、すごい記憶力だけど、いったいいつ覚えているんだろう。いったいいつ時間を取っているんだろう」と、弟子たちが口を揃えて言いますが、私の場合は全部、空白時間の活用なのです。
この空白の時間の活用こそが、繰り返しになりますけれども、平凡な時間の使い方で終わるか、賢明な使い方で終わるかの違いです。
一日二十四時間、一年三百六十五日。約八十年の寿命の中で、自由になる時間は決まっているんです。
その中で、仕事はしなければならないし、食事もしなければならない。
お風呂にも入らなければならないから、自由に使える時間はだいたい決まっているわけです。
では、どこで差がつくのか。それにはまず、この空白の時間の使い方が上手いか下手か。それが重要なポイントになってくるのではないでしょうか。
今日の講義は、この話だけで充分ですね。講義の参加費用の分だけ、元は充分に取ったのではないでしょうか(笑)。
空白時間の使い方、空白時間の使い方の工夫。生活パターンを分析して、空白時間を見出して活用すると、それだけのことができる。これが私の秘伝なんです。
今は、寝ている間にずーっとパバロッティの強烈な歌を聴いているからなのかどうか、ちょっと難聴気味です。
しかし、耳は使うためにあるわけですから、そんなのは気にしていません。
どうしようもなくなったら、補聴器をつければいいだけです。
肉体は使うためにあるわけで、難聴になるからやめようというなら、ではいつ、ヒアリングの練習をするんだ、と。
目もだいぶ悪くなってきています。近視と乱視です。
しかし、それでもいいんだ、と。コンタクトレンズのでっかいのを付けるかすればいいんですから。文字が揺れて読めないなら、自分も同じように揺れれば読めます(笑)。
昔、アベックのいる公園へ行って、よく笛を吹いていました。満たされない青春の日々を笛を吹いて晴らすんだ、ということで、「クソーッ」と思いながら笛を吹いたら、アベックがスーッとどこかへ行くんです。
それを見て「ざま「あみろ」と(笑)。公園のアベックのお蔭です、笛が上手くなったのは(笑)。
まあそういうことで、空白時間をいかに活用するか、これが一番大事なことです。空白の時間はだいたい決まっていますから、それをいかに活用し、具体的な成果に結びつけていくか、ということです。
集中して時間効率を上げる努力
時間の活用法の二番目は、「集中して時間効率を上げる努力」についてです。つまり、いかに効率よく時間を使うか、ということですけれど、これはもう集中力を高めるしかありません。
それにはいろいろな方法がありますが、適度な緊張感を持って集中力を高めるには、まず、背すじを伸ばしたらいいんです。
背すじを真っ直ぐにすれば、いかなる人でも集中力が高まります。
どんなスポーツをやっている学生の成績がいいか、ということを調べた統計があります。
それによると、一番成績のいいのは剣道剣道をやっている学生が平均的にいい成績を取っているということです。
次に成績のいいのは、卓球をやっている学生なんです。ラグビーとかサッカーをやっている学生が成績の上位ではないんです。
ではなぜ、ラグビーやサッカーをやっている学生は成績がよくないのかといいますと、要するに団体競技だからです。
チームワークで「オーッ!」なんてやっているから成績がよくないんだ、と。もちろん、例外もあります。
団体競技をやっている中でも、抜群に優秀な子はいます。しかし、平均的に見ると、団体競技をやっている学生は、あまり成績がよくありません。
それに対して、個人競技の剣道や卓球をやっている学生には、いい成績の子が多い。これにももちろん例外があって、剣道をやっていても成績の悪い学生もいます。
あくまで統計ですから、すべてを反映しているわけではないのですが、剣道をやっている子はおしなべて成績がいい。なぜかといえば、個人競技だからです。
独りで相手に立ち向かい、相手がどう出てくるのか、どう動くのそれを独りで読んで闘うわけですから、その分、ものすごく集中するわけです。剣道にしても卓球にしても、非常に集中力が求められる。
学校の勉強も孤独な闘いです。みんなでチームワークを組んで、「勉強しようね、勉強しようね。さあ、やるぞ!」というわけにはいきません。
あくまでも独りでやるものです。定期試験の準備でも、普段の予習でも復習でも、独りで机に向かって勉強していく。
ですから、独りでずーっと闘っていくスポーツのほうが学習に向いているわけです。独りでジーッと対象物を見ながら、沈黙を守りながら集中していく。
あとは、「エイッ、ヤッ!」と気合でぶつかっていく。「自分はどうしたらいいの?」などと、他人に相談できません。
「やるぞー、頑張るぞー!」と、みんなで気合はかけるでしょうけれど、チームワークがどうのこうので、人に相談したり頼ったりはしません。
やはり、孤独を感じながら黙々とやります。受験勉強でも、「オリャーッ、オリャーッ、オオーッ!」なんて、みんなで気合を入れながら参考書を読んだりしないはずです。
基本的には無駄口をきかずに、背すじを真っ直ぐにして、そして孤独に立ち向かっていく。そうやって集中するから勉強がはかどるわけです。
そういうことを考えたら、剣道をやっている子に成績のいい子が多いのは当然ではないかと思います。
剣道も背中を真っ直ぐにします。前かがみになってやる剣道なんてありません。
拳法になってくると、酔拳というような酒を飲んで酔っぱらいながら相手を倒すのがあったり、カマキリみたいな格好の拳法があったりしますが、剣道は背すじをピシッと伸ばしてやりますから、そのままのいい姿勢で机に向かうことができます。
いうなれば、剣道の竹刀が鉛筆です。そして、竹刀の先がでっかくなったら卓球です。卓球の場合はちょっと前かがみですが、前かがみになって勉強して、独りで球と相手の動きを見ながら、余計なことをしゃべらず試合に集中する。
「ウリャーッ!」とか「エィーッ!」と気合を入れることはあっても、余計なことをしゃべらずに黙々とプレイします。
ですから、剣道にしても卓球にしても、孤独で背筋を鍛えているスポーツは、やはり集中力を養うことができます。
その意味で、一番成績がいいのは剣道をやっている学生、次に卓球をやっている学生。あとはだいたい同じぐらいです。
団体競技をやっている子の成績は、さほどよくない、と。
ただし、みんなと仲よくやっていこうという、いわゆるチームワークを身につけているので、社会に出て会社勤めをするようになると、評価されることが多いんです。
ラグビーとかサッカーをやっていた子は、団体行動に慣れているので、みんなから信頼されたり喜ばれたりします。
それを考えたら、チームワークが求められるスポーツをやったほうがいい、ということも言えます。
しかし、集中力ということになると、個人でやる競技のほうが上です。柔道も、勉強のできるスポーツの上位何番目かに入っています。
やはり孤独ですし、相手の動きを見ながら独りで闘っていく競技です。
もちろん学校の勉強がすべてではありませんが、学校の勉強に限っていうと、剣道が一番、卓球が二番、三番目か四番目が柔道なんです。
統計では個人競技のほうが成績はいいんです。
社会に出たらちょっと違います。サッカーとかラグビーとかハンドボールと団体競技をやっていた子のほうが、人付き合いに慣れているから重宝されます。
特に、一流の商社では、そういう社会性や協調性と同時に体力も必要ですから、やはり、団体競技をやっていた子のほうを、より積極的に採用しようとします。
しかし、集中力ということを考えたら、剣道とか柔道といった武術をたしなんで背筋を鍛えるのも、一つの方法と言えるのではないでしょうか。
つい先日、「未来への道」というシンポジウムを開催しましたが、そのフューチャー・フォーラムにゲストとしてお招きした、三菱電機常務(平成十年当時)の木内孝さんは、腕立て伏せを一日に千二百回やっているんだそうです。
お金のかからないスポーツでいいなあ、と思うんですけどね(笑)。
毎日ちゃんと記録を付けていて、トータル五百万回に挑戦していらっしゃって、現在、四百何十万回とか、確かおっしゃっていました。
集中力を異常なほどに高める締め切り効果
武道にしろ何にしろ、集中力を高めれば、時間効率が確実に上がります。
一番大切なのは、空白時間の活用だと私は思っていますが、その次に大事なのは、集中していかに時間効率を上げるか、ということです。
人の二倍の集中力があったら、半分の時間で済みますし、人の三倍集中力があったら、三分の一の時間で済む。
つまり、時間効率が二倍、三倍と高まるわけです。他人よりも二倍集中力があれば二倍、三倍集中力があれば三倍、五倍集中力があれば五倍、活用できるわけです。
では私の場合、どうやって集中力を高め、時間効率を上げているかといいますと、心理学でいうところの「締め切り効果」を活用しているのです。
締め切り効果とは何かというと、たとえば、原稿をお昼までに必ず仕上げなければならないとお尻を切られると、必死になって原稿を書きます。
あるいは、お昼に何かを発表しなければならないときとか、試験があるというときには、それこそ夢中になって準備するでしょう。
つまり、ギリギリになればなるほど、ウワーッと集中力が高まってくるんです。
知的活動にしても創作活動にしても、締め切りに近づけば近づくほど集中力が出てくる。これを心理学では締め切り効果と呼んでいるのです。
何とかして時間をつくるぞ、何としてでも完成させるぞ、逆立ちしてでも原稿を仕上げるぞ、と、余計な時間を割いて、寝る間も割いて、あるいは、ご飯も食べず、余計な話をいっさいせずに、とにかく何とかしなければならないと思って、グワーッと集中力が上がっていくのは、締め切り直前なんです。
夏休みや冬休みの宿題は、まさにその典型です。
休みに入ったころから少しずつ片づけていけば何も焦ることはないのに、宿題に取りかかるのは、だいたい新学期が始まる直前の人が多いはずです。
夏休みの場合だったら、八月の二十八日ぐらいからではないでしょうか。
大学だったら九月の二十日ごろですか。大学の場合は夏休みの宿題なんかはありませんけれど、小・中・高校生の場合は、だいたいギリギリにならなければ宿題に取りかかりません。
ところが、ひとたび宿題に着手したときの集中力は、ものすごいものがあります。自分一人でできなければ、お母さんを巻き込んで夢中になってやります。
「お母さん、手伝ってよ、これ!」
「今ごろ何言っているのよ~」
「そんなこと言わないで、手伝ってよ」
「だから早くやりなさいとあれほど言ったでしょう」
「分かってるよ。お母さんは子どものとき、ちゃんとやったの?」
「お母さんもしてなかった」(笑)
夏休みの宿題を始めるのは、だいたい八月の下旬です。特に大変なのは絵日記で、八月下旬の一週間で、一カ月半分の絵日記を仕上げるんです。(笑)。
昨日は雨、今日は晴れ、犬の散歩をした。犬の次には猫が現れ、猫と遊んだ、と。
だいたいパターンが決まっていて、そのパターンどおりにどんどん絵日記を書いていく。
夏休みの宿題は、子どもにとっては大変な作業でしょうけれど、しかし宿題がなければ、ポワーンとした夏休みで終わってしまいます。
八月三十一日までという期限付きの宿題があるからこそ、子どもたちも必死になるわけで、これが締め切り効果なんです。
また、中間テストと期末テストがなければ誰が勉強するでしょうか。
中間テスト、期末テストがなくなったら、受験で苦しみます。もし、学校で定期試験がなかったら、その分だけ塾へ行って勉強しなければならない。そうしなかったら、レールに乗り遅れて、一生後悔します。
今の学校は、ゆとり教育を大切にしているのかもしれませんが、ゆとりがあればあるほど不安になります。
だから、塾に通わせたり家庭教師をつけたりする家が多いんですけれど、やはり、やるべきことをやっておかないと、子どもの将来によくありません。
真ん中以上の成績ならば問題ありませんが、そうでなかったら大変です。
もちろん、落ちこぼれの状態から這い上がってくる人もいます。しかし、確率を考えたら、それは非常に少ない。
ですから、できれば真ん中よりも上、最低でも真ん中ぐらいには入っていないと厳しいんです。
では、真ん中以下の成績の子はどういう子かといいますと、基礎学力がない子なんです。
やはり、基礎学力がないと、何かやろうと思っても、思うようにできません。
だから、基礎学力だけは身につけておかなければいけないわけです。英語に限っていえば、大切なのは中学英語です。
中学で習う基礎英語ができていないと、高校に進学しても分かりませんし、大学の受験英語はまるで分かりません。
私たちの予備校ではそれを考慮して、基礎学力のない大学受験生には、中学一、二、三年の英語から勉強させることにしています。
中学英語が身についていないと、大学受験もできないし、英会話もできないからです。
一方、基礎学力のある子は、いつそれを身につけるかというと、中間試験、期末試験のときなんです。中間試験、期末試験があるから、その締め切り効果で嫌でも勉強するわけです。
そのときの集中力と時間効率はすごいものがあります。
もちろん、試験が間近に迫っていても遊びたい気持ちはあるでしょうけれど、「ああ、遊びたい。だけど、試験が終わるまでは我慢だ」と、勉強に集中する。と同時に、「試験が終わったら、あれもしよう、これもしよう」と、遊びに対する憧れというか、夢が広がっていきます。
それもまた、成長期には必要なことなのです。さらにいえば、「この問題はどうなの?あの問題はどうなの?」と、試験情報を友達と交換し合うことで、コミュニケーションが密になっていきます。
子どもたちはそうやって、時間効率を上げる智恵を身につけているのです。
私の締め切り効果活用法
ですから私は、何かをやろうとするとき、いつも締め切り効果を活用することにしています。
たとえば、オペラをやるときにはまずコンサートを開きます。日時と会場を決め、錚々たる方々をゲストにお呼びして、そのうえで案内のチラシを出したら、もう逃げ道がなくなります。
いったい誰がこんなことを決めたんだ、と。
自分がやっているんです(笑)。締め切り効果を意識し、自分でホールを借り、ゲストやオーケストラを呼んでいるんです。
そうやったら逃げ道がなくなりますから、何が何でもやらなければならないということで、締め切り効果によって集中力がグワーッとアップする。だから、習得能力が普通の人の何倍も上がっていくのです。
能の場合でも、家元さんが来たら、逃げ道がありません。舞台をお借りし、家元さんを呼んで、皆さんに「来てください」と案内状を出しておきながら、もし中止にでもしたらどうなりますでしょうか。
信用をなくします。だからもう、必死でやらざるを得ない。
そのように、締め切り効果で自分自身を追い込んでいって、集中力をグーッと上げているわけです。どんなに忙しくても、何としてでも時間をつくるんだ、それから、音大の受験をしましたのも、締め切り効果を狙ってのことだったんです。
コールユーブンゲンとかコンコーネというのは、もっとリズムがあるんです。
コールユーブンゲンだとか楽典だとか、音楽理論。それから、これは何調かなんていう調判定。
こんな音楽理論なんか自力ではなかなか勉強できません。しかし、受験をするとなるとやらざるを得ません。だから、受験を志したのです。
やると決めて、先生にも宣言しました。
「やります」
「本当にやるの?」
「はい、やります」
胸の内では「大丈夫なんだろうか」と思いながらも、宣言しました。
「大丈夫なのですか」
「先生が大丈夫なんだろうかと思う以上に、自分は大丈夫なのかな、と思っていますから、きっと大丈夫です」(笑)
「本当に大丈夫なのですか」
「分かりません。先生次第です」
「あなた次第でしょう」
「いや、先生次第です。だから厳しく教えてください」
「分かりました」
そういうふうに宣言してしまうと、逃げ道がなくなるではありませんか。
そして受験で、もう追い込まれていきますから、「ウワーッ、受験の試験日が…………」と、もう必死になって勉強するわけです。まさに締め切り効果です。
そうやって四十四歳から音楽理論を勉強して、音大を受験したわけですけれど、バッハのインベンションというのは、右手と左手がバラバラに動くんです。
一つ間違うとバラバラになってしまう。試験ではバラバラなまま弾きまして、パッとまた元へ戻りました。
普通は、バラバラになったらもうダメなんですけど、パッとまた戻りました。それで、平然と最後まで弾き、ピアノでも合格点をいただきました。
バッハのインベンションは本当に難しい。その分、先生も私も必死になるわけですが、それが四十四歳のときです。
そういうときに人間は、ウワーッと集中力を高め、能力やエネルギーを全開するわけです。
絵でも書でもピアノでも、必ず発表会を開くようにしているのは、そのためです。
発表会だと、普通は緊張します。だから、発表会は嫌だという人が多いんですけれど、しかし、発表会に出るからこそ力がつくんです。
ピアノでも、一年に一回とか二回とか発表会をやる先生がいますけれども、とにかく発表会で力がつくんです。
毎週毎週やっていたらマンネリ化してきますから、一年に一回か、二年に一回程度がちょうどいいのかもしれません。
私も、「先生、発表会はいつですか」と、発表会を確認しながら練習しています。
そうすると、限定された時間の中で、一生懸命に練習しようという気になります。
人前でピアノを発表しなければならない。人前で歌わなければならない。人前でお点前をしなければならない。
そのためには、限られた時間の中で、目いっぱい集中して練習するしかないわけです。何カ月後かに発表しなければならないと思うから、カーッと緊張します。
その締め切り効果によって、ピアノのレッスン、書や絵やお茶のお稽古が進むわけで、原稿を書くときでも、みなそうです。
俳句にしても、なぜこんなにもたくさんの句ができるのかといいますと、月に一回、俳句の先生に来ていただいているからです。
中村汀女の直弟子さん。もう七十五歳の女性の先生です。
今、月に一回お呼びして習っています。そのときは、ほかのスタッフたちも一緒に習うわけですが、月に一回の句会があり、産みの苦しみを味わっています。
過去に一回だけ、どうしても忙しくて句を出せないときがありました。
そうしたら、先生から手紙が来まして、「許さないわよ、あなた!なぜ作品を出さないの。葉書に書いて出しなさい!」
と(笑)。そういう厳しい先生です。だから先生としてお願いしたんです。
「嫌だあ、嫌だあ、嫌だあ。もう出せません、先生」と言いながらも、ちゃんと出すわけです。
普通のお弟子さんの場合、一人五句出せばいいんですけれど、私は二十五句か三十句出します。
それは、空白の時間を上手に使うことによって、常に俳句を考えているからです。
普通の人はだいたい五句です。私は二十五句か三十旬、必ず出します。それは、毎月一回の句会に作品を提出しないと、先生が怒るからです。しかし、きちんと提出すると、
「まあ東州さん、素晴らしいじゃないの、これ。「風光る祭りの後の剣山」。
ああ、剣山の神様がお祭りで受け取ってくださった、という感じがよく出ているじゃありませんか」と、楽しみにしていて下さるわけです。
「風光る」というのは春の季語です。そういう句をつくれば先生が喜んでくれるし、何もつくらずに出さなかったら叱られる。
あるいは、いい加減につくったりしても、厳しく注意されます。
「何なのこれ?これじゃ川柳じゃないの?川柳と俳句は違うんですよ!」
「すみません」
ワガママを絶対に許さない先生ですけれど、ただ厳しいだけでなく、いいところを認めて引き立ててくれる先生でもあります。
そういう先生を選んだらいいのです。作品を出さなくても、「ああ、そうですか。お忙しいんですね」と、簡単に許すような先生ではダメです。
適度に追い込んでくれる先生がいいんです。そういう先生にお願いすると、何を言われるか分からないから、こちらとしても必死にやらざるを得ない。つまり、締め切り効果が期待できるわけです。
オペラの栗林義信先生も大変な巨匠ですから、
「東州さん、もうちょっと声が前に出ないとダメですね」
という言葉に強烈な重みがあって、言われるたびにものすごい緊張感が走ります。そういう先生だからこそ、実力が上がっていくのです。
適度に厳しい先生を選び、ピアノだったら発表会、書だったら書展を必ず開いて、自分自身を追い込んでいく。
そうやって締め切り効果を引き出していくのが、習いごとやお稽古ごとをするときのポイントです。
そのほか、級とか段にチャレンジするのも、締め切り効果を高めます。級や段を取るには作品を期限までに提出しなければなりません。
その締め切り効果があるから、必然的にやらざるを得ないわけで、腕を磨こう、上達しようと思うなら、級や段に挑戦するべきです。
入学試験もそうです。私が次々と入学試験にチャレンジしているのは、空白の時間を活用するだけではなく、絶えず時間を二倍も三倍も効率的に使うために、心理学でいう締め切り効果を狙っているからです。
そうやって自分を追い込んでいったときに、本来持っている能力や集中力が相対的に上がって、実りが多くなり、成果が三倍、五倍、十倍と上がっていきます。
だから、入学試験や、昇級・昇段試験に挑戦するのがいいんです。
成功するデザイナー、成功しないデザイナー
前にも講義したことがありますが、デザイナーがデザイナーとして成功するかしないかは、どれだけ作品を上げたかにかかっていて、才能の有無はほとんど関係ないんです。
学生時代に才能を認められた人でも、作品を上げなければ芽が出ていません。
たとえば横尾忠則さんは、兵庫県・西脇の普通高校を出てからデザイン事務所にお勤めしていた人です。
芸大も美大も出ていません。普通の高校を卒業してからデザイン事務所に勤務し、マッチ箱のデザインをしている中で才能を磨いていった人です。
私も横尾さんに、二、三回お会いしたことがありますけれど、彼の作品は必ずどこかに黄色の光がピカッと光っているんです。
「横尾さんの作品には必ず黄色が使われていますが、何か意味でもあるんですか」
「いえ、何の意味もありません。何となく黄色が使いたいだけで、特別な意味なんかありません」
「宇宙の光とか神の光とか、何かひらめくものがあるんじゃないんですか」
「そんなの何もありません。黄色が好きだから使っているだけです。デザインっていうのはそんなもんです。それを、何か意味があるんじゃないかと、人が勝手に思ってくれるところがいいんです」
「はあ、なるほど」と。
池田満寿夫さんも美大卒ではありません。
東京芸大の油絵科を三回受験して三回とも失敗して、「俺と合わないんだ」ということで独学で勉強し、ビエンナーレのコンクールに入選したんです。
それからプロになった人です。それでも、あれだけの才能を発揮し、社会で大きく評価されたのはなぜかといえば、結局、ビエンナーレのコンクールに作品を出したからです。
つまり、締め切り効果で作品を上げたからなんです。
ですから、子どものころからデザインの才能や絵の才能があり、美大でも優秀な成績を収め、「君はすごく才能があるね」と言われているような人と、横尾忠則さんのように、普通の高校を出て、デザイン事務所でデザインに取り組んでいる人と、どっちが才能を開花させる可能性があるかというと、お茶汲みをやりながらデザイン事務所でやっている人のほうが可能性があるのです。
それはなぜか。締め切り効果が働くからです。
デザイン事務所が成功するかどうかは、いかにクライアントを喜ばすことができるかにかかっています。
つまり、クライアントを喜ばすことができればいいわけです。
「いついつまでに、こんな趣旨のデザインを提出してください」というクライアントからの注文が入ると、大方、ほかのデザイン事務所とのコンペになって、いろんなデザイン事務所から各三種類ぐらいの「こんな感じになりますよ」というダミー・サンプルが上がってきます。
このダミー・サンプルのことをカンプと言いますが、まあまあのライン、控え目で無難なライン、それから思いきった斬新なラインと三種類ぐらいのカンプをつくるんです。
何としてでも注文を取りたいから、三種類ぐらいつくって、クライアントに提案するわけです。
その結果、「あっ、いいですね。じゃあ、お宅にお願いしましょう」ということで発注をもらって初めて会社としてやっていけるのがデザイン事務所です。
そのためには、クライアントに気に入ってもらえるデザインを期限までに上げなければいけない。
それができなければ仕事にならないから、クライアントの気に入ってもらえるような内容をずっと考える。
二晩でも三晩でも徹夜して、必死に考えるわけです。
そして、期限までに「これでどうだ!!」という作品を仕上げて、「おっ、いいじゃないか、これ」ということで気に入ってもらえて初めて、仕事になるんです。
そういうことで、締め切り効果があるからこそ、デザイナーとしての腕が磨かれていくのです。
「こんなんじゃあダメだよ。ほかのデザイン事務所が上げてきた、これを見てみろ。こっちのほうがよっぽどいいだろう」
「クソーッ。確かにあっちのほうがすごいな」
そうやって磨かれていくから、才能と能力が伸びていくわけです。横尾忠則さんもデザイン事務所の中で才能と能力を磨いたんです。
美大の中で、「デザインの才能があるね、すごい感性だね」と褒められても、そういう仕事をやっていない人間は、永遠に才能が眠ったままで終わりです。
どこかのコンテストやコンクールに出展しても、実際にデザインの注文をもらって仕事をしなければ、腕は磨かれないし、会社も続かなくなります。
「お前、何だ、このデザインは。こんな仕事をしていたら、どこも採用してくれないぞ。会社を潰す気か!」と叱られます。
だからもう、必死でやります。ものすごい集中力で、限られた時間内に仕事を上げようとします。
それによってデザインの能力が磨かれて、本物のプロになっていくわけです。
ですから、学校でタラタラとやっているよりも、現場で実際にやったほうがいいと言われています。
専門学校の中には二年間、そうやって実際の実務に触れさせるところもあります。
ただし、学校に行っても無意味だと言っているわけではありません。美大に行けるなら行ったほうがいいし、基礎はやはりきちんと学ぶべきです。
そうやって基礎をしっかり身につけたうえで社会に出て、締め切りに追われながら、数々の修羅場をかいくぐっていく中で、本物になっていくのです。
心理学でいう締め切り効果というのは、いかに時間を効率的に有効に密度濃く使っていくか、というものですから、ピアノや絵や書を習うのでしたら、定期的に発表会を開くようにしたほうがいいんです。
自分の作品を人前で見せるために、決められた日時までに一定以上の質をつくらなければならない、というふうに自分を追い込んでいかないと、時間がダラダラと過ぎていくだけです。
締め切り効果で自分を追い込め
このたび私は宝生流の嘱託免状、つまり、人に教えてもいいという看板をいただきました。
十年以上稽古していて相応の実力がある、というふうに認められると、嘱託免状がもらえるのですけれど、私の場合、大学の能楽部で仕舞や謡の稽古を受けていました。
能はもう六番、シテを務めました。一生に一番出せればいいほうと言われている中で、六番も出すというのはすごいことなのです。一番能を出すと、お役料が何百万円かかかります。素人の場合は二、三百万円で、学生ならば百数十万で済みますが、いずれにしても、百万円単位のお役料が必要です。
私はこの六月(平成十年)に、能「高砂」のシテを舞い、秋には、東京都庁の都民広場で「東京大薪能」を催します。
その能は、初シテの「猩々」から数えて、八番目の能になります。二年間で八番の能を出すということは、一年間に四番出したという計算になります。
プロの能楽師は、平均、年に二番能を出すそうですから、私はその二倍です。家元になると、年に七十番ぐらい出しますけど、一番よく出す中堅のプロの能楽師で、年に十二、三番です。
年に三番能を出す人は、宝生流のプロで二十人くらいです。観世流、宝生流、金春流、金剛流、喜多流の五流派全部を合わせて、年に三番能を出す人は、だいたい百人ぐらいです。
宝生流に限っていえば、二十人くらいです。
その宝生流の中で、私は年に四番能を出しているのです。
素人である私がそんなに出すのは、能楽の歴史始まって以来です。一年間に四番能を出して、二年で八番。私は、十番目に「石橋」を演じます。現在決まっているのを数えても、今年中にトータル十二番になります。
大学のときに能を始めて、もう二十年以上になります。
もちろん、空白の時代もありますけれど、このたび嘱託免状、要するに看板をいただいて、人に教えていいということになりました。
仕舞があり、謡があって、謡だけで免状をもらう人もいるんですけれど、謡をずっとやっていて、仕舞をやりながら、さらにそこからいろいろ所作があって、面をつけて、装束をつけると、うんと動きが変わってきます。
その一番緊張する能の舞台を年に四番もやっていますともう、締め切り効果も抜群です。
能はあらゆる意味で神道に直結していますし、品格があります。きっと、神様が思し召したのでしょう。
ただし、能は観客に分かりにくいという難点があるんです(笑)。けれど、今度私が嘱託免状をいただいて、人に教えられるようになりましたので、能に興味のある人にはどんどん説明していこうと思っています。
特に、外国人を教える専門家になろうかと考えているんです。
一応、家元さんほか、皆さんに認めていただいて、この六月から人に教えられるようになりました。
それはもう、締め切り効果をバンバンに活用したからなんです。ものすごく緊張しますけれど、その緊張感がまたいいんです。
能を出すときには、だいた一年かけて準備をするんですけれど、私の場合は一ヶ月しか時間がありません。
「東州さんは、すぐやるから」と、一ヵ月前から始めるんです。
しかもその間に、オペラはオペラとしてやっているわけですから、死ぬような思いです。
能楽師は能だけですが、私の場合は、他に膨大な仕事をしながらオペラをやり、それと並行して能をやっているわけですから、「深見先生の頭は、どうなっているんですか」と、よく聞かれます。
人からは不思議に見えるでしょうけれど、ここまでできるのは、締め切り効果を活用しているからです。
それから、空白の時間の活用。これも大きいんです。日時の制限があるから、何としてでも空白の時間を活用しなければ、という気持ちになって、自分自身と上手にお付き合いしているわけです。
ですから、自分を甘やかさずに、時間を二倍にも三倍にも五倍にも使いたかったら、締め切り効果を活用して、まず「やります!」と宣言することです。
宣言してから「しまった!」(笑)と思ったらいいんです。
しかし宣言したら、もうやるしかありません。会場を予約して、「今度、ピアノの発表会に出ます」と宣言します。
そして、案内状を出して、先生にお願いする。そこまでやったら、逃げ道がなくなります(笑)。
ですから皆さんも、「このドレスを着てピアノを弾くの」と宣言して、その後で、トイレとかお風呂とか布団の中で、「弾けるんだろうか、大丈夫なんだろうか」と泣けばいいわけです(笑)。
これが心理学でいう締め切り効果で、ものすごい時間の効率化につながるんです。
