勉強仲間をつくることも忘れずに
たとえば、税理士試験を受けるという目標を設定したら、税理士試験のための専門学校に行くとか、あるいは同じ目標を持った仲間たちの勉強会に出るとか、自分なりに環境を整えなければなりません。
そうすれば、税理士試験合格へ向けた情熱や意欲が、ますます湧いてくるはずです。
関西の知っている人で、三十七歳までOLをしていて、税理士のための勉強をスタートしてから五年後に、税理士試験に通った人がいます。
「結婚相手もいないし、お兄さんや妹の子どもを預かったりしながら、このままの人生でい「いんだろうか」と思うようになったのが三十七歳。
それから一念発起して勉強を開始し、五年後に税理士試験に通ったというのです。神戸の人です。 OLをやりながら勉強を開始したのです。
その人から聞いたところによると、同じく仕事を持ちながら勉強をしている仲間同士が勉強会というのをつくっているそうです。
それで、勉強会に行くと、「私もね、子育て大変なのよ」「旦那がこうなのよ」「旦那も子どももいないし、こんな人生でいいのかしらと思ってね」「私もそうなんですよ」という話になる。
そうやって、勉強仲間といろいろと話し合ったり情報交換をしたりしていると、互いに刺激になって情熱が続くんだ、と言っていました。
やはり、勉強仲間がいると強くなるんでしょう。そういう意味で、勉強仲間は、情熱、意欲を持続させるのに非常に有効的だと思います。
ですから、税理士試験、公認会計士試験、あるいは簿記一級でもそろばん一級でもいいから、何らかの目標を立てる。
立てたら、専門学校に通うとか、あるいは勉強会へ行くとか、一緒に勉強しようよという友達をつくって、「頑張「ろうね」と言いながら、互いに励まし合う。そういうふうに情熱と意欲が続くように自分を持っていくと、途中で挫折することなく勉強が続くのです。
そうやって税理士試験に通り、公認会計士も通り、あるいは簿記一級、そろばん一級に通りという具合に、次々と資格を取っていきますと、「やったー!」という達成感があります。
しかも、職能力が上がっていくから会社でもそれを認められて、地位が上がる。地位が上がれば当然、給料も上がる。
だから、楽しくなってきますね。努力した結果が地位になったりお金になったり、目に見える成果となって現れれば嬉しくなります。嬉しくなれば、また次の目標に向かって進んでいきたくなるのです。
最も効率的なのは、いまの仕事の延長線上の勉強
一つの目標を達成すると、好奇心と興味がまた湧いてくるのです。初めの一歩が難しいんですけれど、初めの一歩は、必ずそうなると信じてやっていくしかありません。
あれこれ考えたり迷ったりせず、とにかく第一歩を踏み出していく。そして、黙々と努力していくと、「すごいね、勉強家だよね、キミは」「経理の人間はいっぱいいるけれど、あの人はすごいよね、勉強熱心だよね、勉強家だよね、すごい勉強だよね」となるわけです。
経理の仕事をしている人が、地球環境の汚染について研究をしても、仕事にはあまり関係がありません。
地球環境の汚染に関してはえらく詳しいんだけれども、経理の仕事となるとものすごく遅くて、ミスが多くて、絶えず周りからブツブツ言われて、一日十何時間も仕事をしている、と。
そうなったら不幸です。その人も不幸かもしれないけれど、職場仲間も上司もみんなが不幸です。
たくさんの人を犠牲にしながら、地球環境の汚染をずっと勉強している、というのは効率が悪いですね。
ですから、一番合理的で、身になり、成果が出てくる勉強方法はやはり、いまやっている仕事の延長線上の勉強をすることなのです。これが一番効率がいい。
少なくとも私はそういう考え方で、経理の人間は経理、販売をやっている人は販売、宣伝なら宣伝、広告なら広告、飲食店なら飲食店、ファッションならファッション、とにかく何の仕事であれ、どのような業種であれ、自分がいま携わっている仕事や、その業界に関連するものだったら興味があるはずです。自分の仕事に直接響いてくるわけですから。
たとえば、営業マンなら、「セールスのやり方」とか「販売の極意」とか、あるいは「トップセールスマンの売り方」とかいったような本に興味があるはずですし、そういう本を読まなければいけません。
私も一年間、会社で営業をやっていましたけれど、そのときにはもう、土日はずっと十何時間も本を読んでいました。そして、月曜日になって出社したら、本に書いてあったことを即、実践するのです。
そうすると、「これはうまくいった」というものもあれば、「必ずしも、本に書いてあるとおりではなかったなあ」とか、「一応、本には書いてあったけれど、あまり実践的ではないなあ」ということなどが分かったりして、本当に勉強になりました。
とにかく、本に書いてあるとすぐ実践するんです。
その結果、自分にとってヒットだったのもありましたし、イマイチだったのもありました。しかし、ヒットしたものは、いまでも自分のノウハウになっています。
プロとアマチュアの勉強法の違い
ここでひと言申し上げておきますが、プロになっていく人の勉強法と、アマチュアのままで終わってしまう人の勉強法は全然違います。
私も能楽師としてはもうプロになりましたし、いくつもの分野でプロになっていますけれども、どうしたらプロになれるのか。プロになる勉強法とはどういうものなのか。
これは誰もが知りたいことではないかと思いますが、実に簡単なことなのです。
前にも話したと思いますが、予備校に新しく社員が来たとき、「キミ、受験指導のプロになるにはどうしたらいいか分かりますか」と尋ねるようにしていますが、どうしたら受験指導のプロになれるのか。
予備校では、かつて学校で先生をやっていた人が受験研究していたり、進路指導をしたりしています。それから、何年も浪人して受験にやたらと詳しい受験生もいます。
あるいは、受験に詳しい教育熱心なお父さん、お母さんもいます。そういう人たちから、「ほお、さすがは受験のプロだ」と思われるのにはどういう勉強をしたらいいのか。
それはいたって簡単です。受験業界においては、十年くらい前までは、旺文社の「螢雪時代」、学研の「大学受験Vコース」、そして、ライオン社の「私大進学」が大学受験三大専門雑誌でした。今もなお続いているのは、「螢雪時代」だけですので、受験専門誌の現状もずいぶんと変化してきていますが(平成十年現在)、たとえば、こういった専門誌三冊を、毎月毎月、隅々まで読めば、一年間で三十六冊分を読むことになります。
そうすれば、そこから得られる知識と情報は、そのへんの進路指導の先生ではとても太刀打ちできないだけの、圧倒的な量と質になるのです。
ですから、どんな受験生や保護者の質問に対しても、すべて自信をもって答えられるようになります。
たったこれだけなんです。しかし、進路指導の先生なんかも、そのうちの「螢雪時代」だけとか、とにかく、一冊だけしか読んでいない人が多いんです。
受験生でしたら、三月か四月ごろの「螢雪時代」を読みます。それに対してプロはどうかというと、三冊の業界誌を毎月すべて読む。これだけなのです。それ以外何もありません。
ですから、経済のプロになろうと思ったら、八重洲ブックセンターかどこかの大型書店に行って、経済に関する本を、全部買ってきて読んだらいいんです。
もちろん全部を読めるわけがない(笑)。ものすごい数ですからね。それでアマチュアは、その中から一冊を選んで買って読む。たとえば経理の本を買おうとする場合、たくさんある中から面白そうな本を一冊か二冊選んで買う。
ところが、公認会計士になろう、税理士になろう、あるいは経理の本を書く著者になろうと思うんだったら、そこに並べられている本を全部買うんです。
私だったら、経理、税理、税務に関する本を全部買い占めます。
そして、家に帰ってきてからパラパラとページをめくれば、だいたいどんなことが書いてあるかが分かります。
その中から面白そうなものを選んで読み始めますが、あとは目次をパラパラと見て、その本に書かれている概要を頭に入れておきます。
似たり寄ったりのことが書かれていますけれども、この本にしかない大きな特色のある本を一冊、二冊読んで、あとは、「あの本にはこんなことが書いてある」という知識を得ておいて、本棚にガバンと入れておくんです。そして、それに類することがあったら、「あ、そういえば、こんなことが書いてある本があったな」と思い出して読む。そうやって、その都度読んだらいいのです。
なぜ、そんなに本を買うのかというと、自分で本を持っていないと、いざとなったときに勉強できないからです。だから本をいっぱい買って持っておくわけですが、それがいかに大事なことかということなんです。
読みたい本があるときに、図書館に行く人がいるかもしれませんが、それは時間の無駄です。それに、ちょっとしたメモ程度のことでさえ書き込むことができません。
また、「あ、あの本!」と思ったときに、自分の手元になければ、すぐに勉強できません。
だから私は、興味のある分野の本を、全部買って持つようにしているんです。やはり、本を何千冊も何万冊も持っている人は著者になれますし、講演もできるし、プロになっています。
アマチュアは一、二冊、面白そうな本を選ぶ。プロは全部買う。
時間がなかったら、そのうちの一冊か二冊を読むのですが、この本にはこんなことが書いてある、こんな著者があんなことを書いている、ああ、そういう著者がいましたね、という話が出たら、家に帰ってページを開いて、「あ、こんなことが書いてあるな」と確認する。本棚にいっぱい本が並んでいるからこそできるわけです。
そういう意味で、蔵書を持たないと絶対にプロにはなれません。蔵書がなくてもやれるなんて、東大の先生が言っていましたけれど、その先生は理科系の教授だからであって、文科系はそうはいきません。
やはり引用しなければいけませんし、いろいろな考えがあるなかで、「私はこう思う」というふうに言わなければならない。
そのためには、どういう人がどういうふうに考えているのかを知らなければいけないから、全部読むのです。
ということで、受験のプロになろうと思ったら、専門雑誌が三冊だったら、毎月その三冊を全部読む。新しく社員として入ってきた人には、「ほかは何もしなくてもいいから、これを全部読みなさい」と言うようにしています。「興味のある記事は何も言われなくても読むだろうけれど、興味のない記事でも無理やり目で追っていくんだ。
袋とじの付録があったら、それもずーっと読むんだ。意味もなく読むんだ。これが受験のプロになる秘訣なんだ」と。
受験雑誌にはいろいろと袋とじの付録があります。その付録を五つか六つ足し合わせて、自分自身の独自の本にしてみる、ということをやったらいいのです。
とにかく、進路指導の先生でも、受験に詳しい人でも、興味のある親でも、毎月三冊までは読んでいませんから、それを実践し継続するだけでもプロになれるわけです。
もちろん、ファッションのプロになろう、経理のプロになろう、あるいは宣伝広告のプロになろうとか、学校の教育のプロでも香水のプロでもいいですけれど、その道のプロになろうとするのであれば、その業界の代表的な雑誌を全部取って、毎月必ず読むのです。
そうしたら、少なくとも三誌を三年読むだけで相当な量になります。一年で三十六冊、三年なら百八冊。十年読んだら三百六十冊です。
五年でも百八十冊ですから、百八十冊読んだら、誰もその人に勝てないです。
やはり、それくらいでなければダメなのです。誰も勝てないというレベルの勉強方法でないと、本当の意味でプロになれないし、身にならない。私はそう思います。
先ほども言いましたように、自分がいまやっている仕事の延長線上の事柄を勉強すること、これが一番大事なのですけれども、その次に、いまの仕事の延長線上の事柄で、やはり面白そうなもの、好奇心が持てるもの、集中し興味が持てるもの、意欲や情熱が持てそうなものから勉強し始めていくことも忘れてはなりません。
本に関していえば、面白そうなもの、興味が持てそうなものから読んでいって、興味のないものも一応目だけ通しておくことです。
つまり、すべての本に目を通しておくわけです。そのためには、本を買うことを絶対に厭わずに、本を持つことが有意義なんだと思わなければなりません。
そうやって本を買い、手で触れるとか、タイトルと著者とサブタイトルを確認するとか、パラパラパラとページをめくって、目次と最初の十ページぐらいを読むとか、そういうふうにしたらいいんです。
目次を見れば、「ああ、こんなことが書いてあるんだな」と分かります。
そんなのが十冊、二十冊あれば、誰がどのようなことを書いているかが、だいたい頭に入ります。
そのうち一番興味があり、一番面白そうな、一番読んでみたいと思うのを、一冊か二冊読んだらいい。
そして、その本に書かれている事柄に関することで、もっと知る必要があれば、「ああ、それに関してはあの本に書いてあったな」ということで、ほかの本も読んでいく。大学の先生とか大学院生は、みんなそうやって勉強しています。それは、ほかの分野でも応用できます。
ですから、一冊とか二冊とかを選んで買うのではなく、全冊買う。本って、そう高くはありません。一冊が、十万円も二十万円もする本は、あまりないです。
それから、文庫になっている本はいい本が多いんです。ある程度売れそうなものが文庫化されますから、いい本が多いですね。
それに、安くて持ち歩きに便利です。逆に、売れない本は文庫化されません。文庫化されずにどうなるかというと、廃棄されてしまって、うんこ化される(笑)。
最低のギャグですね(笑)。
文庫化されるのはやはり、ある程度人気のある本、つまり、読者かある程度評価されている本です。しかも文庫は、四百円とか五百円ですから、そんなにお金もかかりません。
こういうふうに、一生をずっとアマチュアで終わってしまう人とプロになる人とでは、勉強の方法が全然違うわけです。夏になったらミーンミーンミーンと鳴くのはセミプロと言うんですけれど(笑)、「セミプロですね」とか「プロ並みですね」と言われるようになると、全部を網羅しているわけです。
もちろん、全部できっこないんですけれども、必ず全部買ってくる。
本を読んだら即実行
いずれにしても、いまやっている仕事に関係している事柄は一番興味があり、好奇心があり、必要性を感じているから、読めばズバッと身になります。
私がセールスしていたときには、セールスの本、営業の本、販売の本、それから電話のかけ方の本なんかをよく読みました。
セールスをやるときには電話をかけますから、「電話のかけ方」とか何とか書いてある本があれば、すぐに買ってきて、むさぼるように読みました。
幻想実用とは何か
そして、読んだら即実践する。読むだけではもちろんダメです。読んだことで面白そうだなということがあったら即実践するんです。
そうしたら、必ずしも書いてあったとおりにならないこともありますけれど、いくつかのことが相乗効果をもたらして、新しいものが浮かんできたりします。
この手の本をノウハウ本と言います。実利にすぐ役に立つノウハウ本。ノウハウ本を買い占めて即実践。これがまず一つです。
それから、幻想実用書というのがあります。幻想実用書とはどういうものかというと、「これは実用的だ!」という幻想を与える本のことです。
たとえば、腰痛がたちまちよくなるとか、虫歯がたちまちよくなるとか、近眼がたちまちによくなるとか、肩の凝りが一瞬のうちに解消するというような本がありますが、こういうのを幻想実用というのです。
それを読んだら実際に、日本中から腰痛がなくなるのか、虫歯がなくなるのか、近眼がなくなるのか、と。そんなこと、あるわけがありません。
一見したところ実用的だ、役に立つんじゃないかと読者に幻想を与える本、これを幻想実用書といいます。
もちろん、すべてがすべて幻想ではなく、そのなかに一個か二個のヒントはありますが、何とか健康法というような本なんかは、ほとんどが幻想実用です。
それから、一週間でコンピューターが全部分かる本なんていうのもそうです。本を読んだだけで、しかも、一週間でコンピューターのすべてが分かるわけがありません。
しかし、いかにもというタイトルをつけなければ、読者にアピールできませんから、そういうタイトルをつけるわけです。これを読めばたちまち経営が成功する、
そんなことを書いている著者もいますけれども(笑)、たとえば、これから先十年の生き方のヒントが分かるなんて、そんな本を読んで、生き方が変わるのか、と。
それを幻想実用といいます。しかし、あくまでも、一個か二個のヒントがあったら、それでいいんです。やはり、実践してみて初めてノウハウになる。ノウハウ本はだいたい、幻想実用の場合が多いんです。出版業界の用語です、幻想実用。実用的であるかのごとき幻想を与える。
ですから皆さん、勉強、勉強と言いますけれど、まずは自分がいまやっている仕事、いまやっている内容の延長線上の勉強をしたらいいのです。
私は能をやっていますから、能をまず実践する。そうすると、能のことに興味を持ちます。
もうやっているわけですから当然ですが、興味を持つから能楽入門といった本を読み、能の歴史や芸術性について学ぶのです。
それから、オペラをやったら興味が出てくるから、発声法や鑑賞法など、オペラに関する本を読みます。
また、茶道をやり始めたら、興味があるから茶道に関する本を読みます。
すると、いま実践をしていることだから頭にスパッと入って、実践にプラスになるし、興味を持っているから、ぐいぐい引き込まれていくように読んでいくわけです。
人生論、恋愛小説の読み方
話はちょっと横道にそれますが、いまやっている仕事の延長線上の勉強をする一つの応用形として、私はかつて恋愛小説を読んだりしました。
私の場合、桜とか花見とかというと、失恋が浮かんできますから、私の短歌や俳句で、花が出てきたら必ず恋の歌で、恋の歌は百パーセント失恋の歌です。
青春のころ、好きになった女性にはほかに思いを寄せている男性がいて、その都度、何と悲劇なんだと思ったりしました。
もうことごとく、結婚式場(色情)因縁と言うんですけれど(笑)、父と母が結婚した式場が悪かったのか、おじいちゃんの因縁か分かりません。
おそらくそうなんだろうと思いますけれど、本当に青春時代は屈辱感に満ちていました。恋の悩み、悲しさ。もう悪因縁としか言いようがありません。
そのときに、膨大な恋愛小説や恋愛論の本、友情論に関する本を読み、探求しました。だから、いまでも亀井勝一郎の青春三部作を始めとして、あのころに読んだ本は、頭の中に全部入っています。
「はあーっ」と恋に悩み、誰かに相談したくても相談する人もいないので、背後霊様とご先祖様に祈るだけです。
しかし、そんなことには答えてくれない。だから結局、本屋に行って恋愛の本を買ってきて、恋とは何か、失恋とは何か、恋愛とは何なんだ、と真剣に考えるわけです。
もう、クーッと泣きながら。そうしたら、「ロミオとジュリエット」を読んで救われました。自分はこれほど不幸じゃないよね、ここまで悲劇じゃないよね、と(笑)。
ですから、悲劇というのは本当に悲しいときに見たり読んだりすべきです。そうすると、自分よりももっと不幸な人がいるということが分かって安心します。
それに対して喜劇というのは、普通の精神状態のときに読んだほうがいい。喜劇は世の中を皮肉視しているから、こんな世の中でいいんだろうかと思います。これが悲劇の読み方、喜劇の読み方だと思います。
ということで、いまやっている仕事の延長線上の事柄を勉強するのが基本なのですけれども、現在やっている仕事の中には、いま置かれている自分の状況も含まれると思います。
関係ない本を読むよりも、よほどそのほうが探求心が刺激されます。探究心が刺激されるから、次から次へと読みたくなります。
ですから、失恋したときには本屋へ行って、恋愛論に関する本を買い込んで、ファミリーレストランか図書館に行って、もうクーッと泣きながら読んだらいい。恋って何なの、失恋って何なの、と(笑)。
もし、「結婚しない症候群」なんていう本があったら、買ってきて読むし、結婚はどうなのかしら、するのかしら、しないのかしらと考えたら、「結婚」という活字が書いてある本を全部買い占めて読む。
そして、自分なりに結論を出せばいいと思うんですけれど、ただ結婚相手がいない、それだけのことではないかと思いますけれどね(笑)。
相手がいるときにどうしたらいいのか。そういうときには、いろいろと本で読んで勉強したらいいのです。
ノウハウ本の活用法
だから、結婚で悩んでいるときは、結婚とは何かを勉強するチャンスなのです。逆に、離婚しようと思ったら、「離婚訴訟の進め方」みたいな本がいっぱい出ていますから、また買ってきて読めばいい。
それから、金魚を飼ったら、「金魚の飼い方」という本。金魚を飼って、そのまま死なせてしまって臭い思いをしたら、金魚迷惑といいます(笑)。
金魚を飼ったなら、いまやっていることの延長線上として金魚を幸せにしなければいけない。
そういうことで、本屋へ行って「金魚の飼い方」という本を買ってくる。
とにかく、金魚を飼うのであれば、ただボケーッと金魚を飼うのではなく、金魚の飼い方に関する本を全部買い占めて読む。
そして、金魚を前にしながら、なるほど金魚というのは日々こういう思いで生きているのか、金魚のふんはこのようにつながっていくのか、ふんがこういう状態のときには興奮しているのかしていないのか、なるほど金魚の餌はこういうものが一番適しているのか、などと徹底的に勉強する。
次に、金魚を飼っている自分を正当化するために、つまり、「ペットとしては、鳥よりも猫よりも犬よりも、金魚が一番だ!」と言いたいがために、金魚の中でもランチュウがいいのか、デメキンがいいのか、普通のがいいのかなど、いろいろと調べます。
グッピーを飼っている人もいるけれど、「いや、グッピーよりも金魚が最高だ!」と信じて、グッピーなんかよくない、と。なぜグッピーがよくないかという理由を明確にし、理論武装をします。金魚一匹でも、自分が飼っているわけだから、そこまでやりますね、私だったら。
そして、水槽の中を泳ぎ回る金魚をずーっと見ている。そうしたら、金魚と目が合いますよ。ニッと笑うと、「私を愛して」と、金魚が言っているように私なんかは、そう感じます(笑)。
金魚は何も思っていないかもしれませんけれど、そういうふうに、金魚を飼ったんだったら、絶対に本屋へ行って、金魚に関する本を全部買ってくるんです。
自分がいまやっていることの延長線上だったら、夢中になって勉強します。
金魚を飼ったあとは、金魚とグッピーはどう違うんだと考えます。熱帯魚とどう違うんだ。金魚は熱帯魚なのか。部屋を暖房してそのまま置き去りにしたら、金魚が腹を立ててバーッと飛び出した、と。
それを「暖房怒りの脱出」という(笑)。暖房のままにしていたら、暑いから金魚も熱帯魚になるのか。
もちろん、そんなことはありませんが、とにかく、熱帯魚と金魚はどう違うのかと、私は徹底的に考えるほうなので、道を歩いていてもずーっと考えます。
金魚は熱帯魚なのか。熱帯魚と金魚はどう違うのか。次々と考えます。子どものころからそうだったから、金魚を飼っても、好奇心、興味、意欲、情熱が続くはずです。
そうしたらもう、矢も盾もたまらなくなって本屋へ行って、金魚の本を全部買うわけです。はあ、そうか、そうか。
金魚と熱帯魚の違いはそういうことだったのか。理路整然とスラスラスラスラと言えるようになります。
金魚はそもそも西暦何年に日本に入ってきたのか。なぜ金魚は赤いのか。デメキンと普通の金魚とはどう違うのか。
デメキンはなぜ目が出ているのか。しっぽが二本の金魚と三本の金魚はどう違うのか。
生物学的にも歴史的にも、スラスラスラスラーと出てくるくらいに勉強します。そうすると、みんな、「ほおー」となりますよね。
それはやはり、金魚を飼って、金魚が泳いでいるのを見て、実感するからです。そこから勉強が始まっていきます。そうすると、やたらと金魚に詳しくなる。
犬も飼っていますけれど、私が飼いたくて飼っているのではありません。
植松先生を始め、みんなが飼っていて、私は飼育代だけ払わされているだけのことなんです(笑)。
すると今度は、「飼育代の出費を抑える方法」なんていう本がもしあったら、読んでみようという気になります。
そのお世話をしている子たちは、「ペットの飼い方」とか「犬の飼い方」という本を読んでいます。
そして、毛のカットも自分たちでやっています。ペットの美容院がありますけれど、そういうところに行くと、カット代だけでも一万円か二万円かかるんです。
ですから、その類の本を買ってきて、自分たちでカットしています。しかし下手なものだから、見たら何かコヨーテに見えるんです(笑)。犬はヨークシャーテリアなんです。
「おい、コヨーテがなぜこんなにいっぱいいるんだ?コヨーテの赤ちゃんが動いているみたいで、ヨークシャーテリアの値打ちないよ、これは」と。
ペットショップに行って散髪してもらうと、一万円から二万円かかります。ですから、その子たちは出費を抑えようと、「ペットの散髪の仕方」というような本を読んで、自分たちで試しているわけです。
でも、下手なんです。
しかし、その次からはカットの仕方も改善されて、三回目ぐらい以降は、まともなヨークシャーテリアに見えるようになりました。
そのおかげで、一万か二万円が節約できたわけです。とにかく、「ペットの飼い方」「ペットの散髪の仕方」「ペットのお風呂の入れ方」「ペットの健康法」というように、それに関する本はいっぱいあります。
そして、ペット好きな人は最終的に、ペットの専門学校へ行って、ペットに関する資格を取るらしいです。
そうやって、いつの間にかペットのプロになっています。勉強方法でも全部これなんです。
アマチュアで終わってしまう人間は、一冊か二冊程度を読んで「ふーん」で済ませてしまうのですけれど、そこを好奇心、興味、意欲、情熱を持って徹底的に深めていくという勉強方法。これがやはり、プロになる勉強方法です。
私が恋愛小説や宗教書に詳しい理由
少なくとも私はそうやって勉強しています。やたらと恋愛論に詳しいのは、いかに悲しい失恋をしてきたか、ということです。
花見で桜を見るともう失恋。短歌でも俳句でも、失恋の歌ばかりです。もうしようがありません。神の思し召し、先祖の思し召しです。
ですから、そちらの本に関しては、むさぼるように読みました。それで心が救われました。恋愛とはこうなんだ、と恋愛観がしっかりしてきました。
人生観も読書も、そういうときに身が入るんです。ただ漠然と読むだけの読書の場合は、頭の中をすーっと通り抜ける感じですけれど、魂の底が飢えたようなときに読んだものは、全部が身に入りますし、身になります。
『徒然草』なんかは、スラスラと言えるくらいに覚えています。孤独感にさいなまれていた浪人時代、「徒然草」の兼好法師に会ってお話をしていました。
いまはもう亡くなってしまった古の人たち、そして、遠く離れた外国の人たちは、時間と空間がどんなに離れていても、その方たちの著書を読むことで、著者とお友達になれるんだ、ということが「徒然草」には書いてあって、「そうだ、兼好法師だけが友達なんだ」と。
そう思って『徒然草』を読みました。だから、すべて身についていて、三十年経っても、『徒然草』の内容がスラスラスラと出てきます。もう体に入ってしみ込んで、何かあったときに応用が利きます。
勉強しなければならないから、ただ漫然と読んだり、あるいは、友達に言われた本だから読んだりしたのでは、あまり身につきませんし、応用も利きません。
やはり、魂がもう飢えて死にそうなときに、これだけが自分の救いだという思いで、一心不乱に読んだ本が一番身になります。
私がなぜ宗教書にこんなに詳しいのか。理由は簡単です。極限状態がずっと続いていたからです。
失恋したときには、ブワッと恋愛小説が身につきましたし、人生っていったい何なんだろうかと悩んだときには、人生論が身につきました。人生の問題で悩むときは、人生論を読むチャンスなのです。
私の場合は、浪人生活がよかった。学生でもなかなか思うに任せないときがあって、そういうとき、私は京都御所で人生論を涙ながらに読みました。「くそー、自分はいったい何のために生きているんだ」と。
そういうことを考えるのは、だいたいが十代の終わりから二十代でしょう。そのときにそういう本を読んでおかないと、五十代とか六十代になったら読めません。恋愛小説、人生論といった類の本がまず読めません。
ああ、人生なんてだいたい分かった、と。あとは、葬式を仏式でやるか、神式でやるかしか考えていない(笑)。
あるいは、年金が入ってきたら何に使おうかとか、財産贈与をどういうふうにしようかとか、考えることと言ったらそれくらいです。
だから、その類の本は読むものの、人生とは何ぞやというような本や、生きていくうえで大前提になるような本は、五十歳、六十歳になったら読めません。
読めるのはやはり、十代の終わりから二十代にかけてです。
その年代に人生論に関する本や恋愛小説を読んでおかないと、二度とチャンスはない。三十代になったら、また別のテーマがあるから読めないでしょう。
要するに、その年代その年代に合ったテーマのものがあるわけです。
では、三十五歳の私はどうなるの。私は人生論も読まなかったし、恋愛論も読まなかった。
人生を苦しいと思ったこともないし、恋愛で苦しんだこともない。次々と異性をモノにしたことはあったし、うまくいかなかったこともあったけれど、まあ、人生なんてそんなものだ、と。
親戚縁者、友達もみんなモテなかった。その代わり、友情が芽生えた。それなりに楽しい青春時代だった、という方もきっといることでしょう。
私の場合は、これでもかこれでもかというぐらいにアンラッキーが続きましたから、人生論に関する本や恋愛小説を読まざるを得なかったのですが、平穏無事な青春時代だったら、人生を本気で考える気にならないかもしれません。
そういう人は人生論や恋愛小説を読むチャンスを逸してしまったと言えるでしょう。しかし、三十五歳や四十歳になって後をふり返っても、戻ってきません。人生は後戻りできないのです。
では、そういう場合はどうしたらいいかというと、捨てるんです。
勉強といっても、すべてのことを学べるわけではないのですから、いまの自分に身になるものを勉強すればいいんだ、と。
そういうふうに考えて、ああすればよかっこうすればよかったなどと考えないことです。
いくら考えたところで、青春時代は戻ってこないし、若々しい感性はもう戻ってこないわけだから、過ぎたことはもう一切考えない。若いときに学ばなければならない勉強はあきらめて、捨てたほうがいいです。
いまの自分にとって切実なものを勉強していくのが一番身になります。五十歳、六十歳になって、「ああ、三十五のとき、もっとやっておけばよかった」と思うかもしれませんが、その年代年代で切実なことがありますから、五十代、六十代にとって切実なことを勉強したらいいのです。
やたらと死に方に詳しいとか、散骨するのがいいとか、それから、永六輔の「大往生」という本があっちにもこっちにも置いてある、とか、そういうのでもいいんです。それでいいわけです。
四十歳になったら四十歳のテーマ、五十歳になったら五十歳のテーマ、六十歳になったら六十歳のテーマ、七十歳になったら七十歳のテーマがあります。
その切実に思っていることから勉強していくのが一番身になるのです。
それが、いまやっていることの延長線上の勉強であって、とにかく最も切実なところか勉強していくことです。
