異人 深見東州の実像(Vol.2)

はじめに

深見東州ひと言では語れない、不思議な人物である。

その名を新聞などでよく目にする。

ロングセラーとなっている「強運』(TTJ・たちばな出版)をはじめ、多数の著書が書店に並ぶ。宗教家だけれども、能楽師、オペラ歌手、画家、作家・詩人、茶人でもある。内外で多くの会社を経営する経営者としても知られる。そうかと思うと、世界的に社会貢献活動をしている。

「この人って、どういう人?」、「何者なの?」と問う人が多い。中には「なにか怪「しい人」と言う人もいる。

世の人は皆、深見東州という人物に好奇心と興味を抱くが、私も同じように、以前から深見東州という人物に興味があった。

そんな折、深見氏を取材する機会があった。

仕事とはいえ、どういう人なのか、会うのが楽しみだった。

初めて会った時、深見東州というカリスマが発するオーラに圧倒されたが、実は意外に気さくで親しみやすい感じだった。

そして紅茶とケーキを前に、一言質問をするや否や、表情豊かに深見氏の熱い話が始まった。縦横無尽に話題が飛ぶし深く真理を語った。そうかと思うと突然ジョークが飛びだし、笑わせられた。

一時間くらいのインタビューのつもりで行ったのだが、立て板に水とはこのことだろう、深見氏の話は止まらない。結局五時間ほど休むことなく話が続いた。

なんと話題の引き出しの多い人だろう。その引き出しも奥が見えないほど深い。こういう人物に初めて会った。

雑誌などを見ると、ネガティブな論評もあるが、ポジティブな論評もある。中には「おさわがせの人」などと書く週刊誌もあったが、それが言論の自由であろう。

今の時代に、こういう人は面白いし貴重だと思う。それだけに、ニュートラルな見方があってもいいし、もっと客観的、平等な目で見た論評があってもいいのではないか、と思うようになった。

折よく「月刊TIMES』(月刊タイムス社)から、「深見東州の人物評論」の連載の依頼があった。

「異能の人・深見東州の履歴書この人物は何者なのか?」というタイトルで、二〇一五年から始めたこの連載は、毎号深見東州氏の活躍を取材しながら人物像を探ってきた。

深見東州氏は、いかなる時もインタビューに応えてくれた。しかも、時には三時間、五時間、六時間も。

世界三大テノールの、カレーラスやドミンゴを招き、ともに歌う。元アメリカ大統領の、オバマを招聘してサミットを開催する。奇跡としか言いようのないイベントを実現して、世の中をあっと言わせてきた。

そうかと思うと、「HANDA Watch World」という時計店を全国展開する。

同時に、「みすず学苑」という大学受験予備校を、関東で四十七年間経営している。その学苑長を、四十七年間続けているのである。

常人の想像の域を超える、八面六臂の活躍とはこのことで、月刊誌の連載に事欠かない活躍だった。

その連載も、四十回以上を数えるに至った。ちょうどいい機会なので、この連載を書籍にまとめ、㈱TTJ・たちばな出版から発行することになった。

連載で、深見氏の活躍を追えば追うほど、その活躍は広がる。なぜ、何でもできて一流になれるのか。

なぜ、ここまで世界中の著名人を招くことができるのか。招くだけではない、どの著名人とも親しく友達のように接する。

求心力の強さは類がない。取材すればするほど、通常の理解を越えた人間だとしか思えない。深見東州氏の謎と疑問は、広がるばかりである。今後二度と、こういう人物は出ないであろうと思える。

多くの識者が深見東州氏の万能性をとらえて、「現代のレオナルド・ダ・ヴィンチ」、あるいは「ルネッサンスマン」と呼ぶ。しかし、それ以上だと私は思う。

こういう人物が、日本にいることを誇りに思っていい。大げさに聞こえるかもしれないが、知れば知るほど、この人物の大きさに驚く。まさに、「異人」としか思えない。その思いを本書のタイトルにしたのである。

なぜ異人なのか。どこがそうなのか。その実像を客観的に検証したのがこの本である。

連載をまとめながら、益々、「この人は何者なのだろうか」と思うばかりである。今回の書籍化によって、世の人たちの「この人物は何者なの?」という、深見東州氏に対する疑問に、少しでも答えられればと思う。

そして、こういう“万能の異人〟が日本にいるということを、広く知っていただきたい。

小林圭一郎

■「第4回 世界オピニオン・リーダーズ・サミット オバマ大統領との対話」開催

未来への火を絶やさない!オバマと深見東州 ー 志を共にして世界を動かす

二〇一八年三月二十五日、東京・ベルサール高田馬場で「特定非営利活動法人世界開発協力機構(WSD・半田晴久総裁)」が主催する、「第4回世界オピニオン・リーダーズ・サミットオバマ前大統領との対話」(後援・外務省)が開催された。これまでのサミットにも各国の要人を招聘し、世界貢献や国際支援などについて対話してきたが、今回はバラク・オバマ元アメリカ大統領の来日というミラクルを実現させた。

半田晴久(深見東州)氏の熱意が不可能を可能にし、世界を動かしてゆく。

なぜバラク・オバマを招聘したのか

オバマ元アメリカ大統領が、大統領退任後初めて来日という電撃的ニュースに、「まさか、本当に?」と驚いた。半田晴久(深見東州)氏が会長を務めるWSDが招聘に成功したのだ。

世界中のリーダーと友好関係を築いてきた深見氏とはいえ、オバマを呼ぶとは!

「世界の大物を呼ぶ、深見東州って何者なの?」と、誰もが不思議に思うだろう。 WSDは、NPO法人として、経済的・社会的困難な人たちの援助、福祉、学術、教育支援や国際交流国際協力など、さまざまな支援を行ってきている。

二〇一三年九月に東京で、「世界平和と日本の貢献」というテーマで、第一回世界オピニオンリーダーズ・サミットを開催した。

この時は、トニー・ブレア元イギリス首相をスペシャルゲストとして招聘した。第二回目(二〇一三年十一月)には、元アメリカ大統領・ビル・クリントンと元国務長官のコリン・パウエル氏が参加して大きな話題を呼んだ。

第三回目(二〇一四)も再びトニー・ブレアなどをゲストに、「グローバリゼーションにはチャンスと課題がある」というテーマで開催した。いずれにも世界のヤングリーダーたちが参加している。

WSDは、世界の平和や次世代のリーダーの育成に力を入れている。今回招聘しオバマ氏の目指すところと大いに共通していることがおわかりだろう。

オバマ氏は、二〇一六年、アメリカ大統領として初めて広島を訪問し、大統領退任後も核廃絶など世界の平和を訴え続けている。

激しく揺れ動く国際情勢の中で、各国のリーダーの果たす役割は大きい。だからこそ、強いリーダーシップと影響力を持つ、オバマ氏の来日は注目を集めた。

三月二十五日、サミットの会場は、「ナマのオバマの話が聞ける」と期待感に満ちていた。

二千人を収容する会場は、はやばやと満席になった。高校生などの若い人の姿も多く、幅広い年代の参加者が、オバマ・アメリカ元大統領の登場を待ち構えた。

後方には、たくさんのマスコミカメラが並び、メディアの関心の高さを物語っていた。

初めに、主催のWSD総裁の半田晴久氏が和服姿で挨拶にたち、「オバマ氏を大統領退任後初めて日本にお招きする機会を得られて光栄です」と、喜びを語った。

そして半田氏は、オバマ氏を招聘できたことに対して、次の二人にお礼を述べた。一人は、今回のオバマ氏招聘を発案し実現させてくれた、サー・ジョン・キー(WS D名誉総裁・ニュージーランド前首相)。

もう一人は、今回インタビューをする、ブレンダン・スキャネル元駐日アイルランド大使である。

半田氏は、オバマ前大統領を招聘した理由を二つ挙げた。

一つは、「オバマ前大統領は現職のアメリカ大統領として、初めて広島を訪問し、原爆の惨状を直視した方です。

彼の核なき世界を訴えたスピーチは、日本人が一番望んでいたことでした。

日本国民は、心からオバマ前大統領を尊敬し、感謝しているということをオバマ氏に会って直接伝えたかったのです」

二つ目は、「WSDは南アフリカで多くの社会貢献プロジェクトを展開しています。

同国のアパルトヘイトを廃絶したネルソン・マンデラの偉業は、世界で初めて黒人としてノーベル平和賞を受賞した、アルバート・ルツーリの志を継ぐものであることを知りました。

ルツーリの生涯をかけた志を受け継いで、マンデラが実現させたのです。核兵器のない世界を訴える、オバマ前大統領の志は今は夢かもしれません。

しかし、我々がその志を何十年も引き継ぐことで、いつの日か実現すると確信します。この火を絶やしてはいけない。

実現するまで、志を継ぎ、オバマ前大統領とともに訴え続けたいのです」と熱く語った。

深見氏とオバマ氏の間には、「平和の火を絶やさない」という共通の使命感があるのだ。

ここで大きな拍手とともに、ブレンダン・スキャネル氏とバラク・オバマ前大統領をステージに迎えた。

オバマ氏は「半田先生、感謝です」と、深見氏と力強く握手を交わした。歴史的瞬間であった。そしてブレンダン氏が、オバマ氏に質問する対話の形でインタビューが進められた。

将来世代のために、平和の種をまくこと

オバマ氏は大統領の時代に、広島を訪問し核廃絶と平和を訴えた。またパリ協定による地球温暖化対策に、国際協力を呼びかけ成功させている。

ブレンダン氏の質問も「核の廃絶と、オバマ氏が二〇一六年に広島を訪問した理由は何か」から始まった。

オバマ氏は、「就任時に、核への依存を下げたいと思っていました。そのためには国際協力が必要と考え、アメリカ、ロシアの間でSTART条約(戦略兵器削減条約)を締結し、プラハでも具体的なスピーチをし、世界中で協力していこうと訴えました」と言う。

広島訪問については、「現職のアメリカ大統領が、初めて広島に行くことで、核廃絶の輪を広げられるのではないかと思ったのです」「私はただ核兵器だけでなく、もっと幅広く戦争の話をしました。

各国が緊張を緩和し外交を進める道をとることで、戦争を回避できるのではないか」と述べた。

日米関係については、「かつての敵国同士が、素晴らしい友情で価値観を共有することでお互いに繁栄できる」と、広島訪問時に年老いた被爆者に挨拶し、交流した体験を交えて語った。

「首相や大統領などの権力を持つ指導者として、侵略から国を守らなければならないけれど、同時に紛争も避けるのが指導者というものです」とオバマ氏は自身の指導者像を描く。

核については、北朝鮮の脅威もある。ブレンダン氏の「北朝鮮の脅威と日本の役割はどうか」という質問には「これは世界の脅威です」と断言した。

「できるなら外交で平和に解決したいと思います。

日本とアメリカ、韓国も協力して圧力をかける。中国にも協力してもらい、日本と同盟国が足並みをそろえて協力するのが私の戦略です」と日本や同盟国との協力の重要性を強調した。

「北朝鮮は、圧力をかけ続けていると、他の国を攻撃するかもしれない。

そうなったら、アメリカも自国と同盟国を守らなければなりません。ただし、人間の命の代償は非常に大きいから、できるだけ犠牲を避けなければいけませんが」と、強い覚悟をのぞかせた。

ヨーロッパの核削減についても、その難しさを語ったオバマ氏だが、こんなことわざを披露した。

「誰が言ったか忘れましたが、いま木を植えると、自分がその木を楽しめなくても、孫がその木の下に座って日陰を楽しめる」と。

「だから、核の削減においても、いま種をまくべきです。将来それがシェルターとなって、孫とかが守られるようになればいい」

次にブレンダン氏の「大統領としての八年間を振り返って、どのような国際的な業績を誇りにしていますか」という問いにオバマ氏は、「多分一番長い影響力を持つのは、パリ協定だと思う」と答えた。二酸化炭素を多く排出している中国と、関係諸国が手を組めたことで頑張れたと言う。

「我々がやったのは仕組みを作ること。長期的には、本当に二酸化炭素削減を大幅にできたらと思っている」

地球温暖化対策はオバマ氏の大きな業績であった。日本にも大きな期待を寄せた。「私が期待するのは、パリ協定をもとにすべての国が力を合わせれば、経済的な発展は犠牲にしないでいいということ。地球のために経済を発展させ、将来世代に対しても発展をもたらすことができる。それが、一番大きな成果と自負している」と語った。

リーダーに共通する資質とは

ブレンダン氏の質問は、オバマ氏の今後の目標にまで及んだ。

「自分に影響を及ぼした本は何か」という問いかけに、オバマ氏は、「十六歳くらいの時、いろいろな方の自伝を読んで、中でもガンジーの自伝を読んだ時、勇気があるなと思ったのです。

非暴力主義をインドで生み出したのは本当に素晴らしい」と、ガンジーのことを最初にあげた。インドの国民を啓蒙しただけでなく、イギリスの国民に対しても啓蒙した、本当に崇高なあり方だと思ったという。

「私自身、暴動にさらされたとしても、リーダーシップを行使するにあたり、一切武力を使わないことが大切であると学んだ」

読書大好きという点で、オバマ氏は深見氏と同じだ。オバマ氏は、「素晴らしい日本の小説を読む時間もできて嬉しく思います」と述べた。

強力なリーダーシップを発揮してきたオバマ氏に、ブレンダン氏は「逆境に直面した時、何を頼りに決断されるのですか」と聞いた。

オバマ氏は、「誰も解決、決断したくない厳しいことしか大統領の手元に来ないので、シンプルな解決策なんてないものばかり」と答える。

「情報を収集し、問題にまつわるデータを収集すること。そうすることで、事実を自分で咀嚼できる状況を作る。

加えて、いろいろな見方を意見としてしっかり聞くことです。

すると、問題の切り口がいろいろな角度から理解できる。それで、やっとすべての情報が集まると、私はしっかり決断が下せる。

すべてそろった情報の中で、一番いい決断を自分でできる自信が持てる。そういうアプローチをとるようになりました」オバマ氏はさらに、意思決定をした後間違える確率を理解し、そのリスクにヘッジをかけ、間違えたときにどう対策を講じたらいいかを考えていたという。

多彩な芸術活動や事業、イベントを世界で展開する深見氏は、きっとオバマ氏と同様の、自分なりの「重要な決断をする決め手」を持っているのだろう。

一方で、オバマ氏は「孤独で厳しいことはあります」と大統領の厳しさをにじませた。オバマ氏は大統領退職後も、オバマ財団を立ち上げグローバルに活躍している。

ブレンダン氏は、「今後どういうことをされたいですか」と今後のことに質問を向けた。

オバマ氏は、「たくさんの時間を妻ミシェルと過ごせる」と答えながらも、目は未来に向けていた。55歳で大統領職を離れ、何か有益なことをしたいと思っていたという。

「決意していたのは、次のリーダーを世界で育むこと」だと言う。オバマ財団を立ち上げたのもその狙いであった。

大統領時代に感じたのは、どこに行っても理想主義的な若者がいて、世界を変えたいと思っていることだったと言う。

どんなジャンルにでも、貧しい人達、障がい者を助けたいと思っている若者がいることが分かった。

だから、彼らが一緒になって活動できるプログラムを作ったと言う。オバマ財団の狙いはそこにある。

「ここに大きな土台を作り、アメリカや世界の若者が土台に乗って、同じプラットホームで情報を交換する。継続的な情報交換の場を作りたい」。

つまり、若いバラク・オバマ、ミシェル・オバマを作り、次世代のリーダーを作ること、特に女性の活躍の場をもっと増やしたい、とも語った。

ブレンダン氏の巧みな質問で、語られることの少なかったオバマ氏の大統領時代の話がいろいろ出た。「大統領であることで、皆が驚くようなことがありますか」という質問に、オバマ氏はアメリカ大統領といえども、「自分でスーパーで買い物をしないといけません」と言って、会場を和ませた。

大統領になって発見したことは、例えば国際対策に関わっている人が、国際秩序を整備し続けるために長い間就任し、各国間の貿易、商業とか、パブリックヘルス(公共の健康)のイニシアティブに長年関わって仕事をしている。

大統領も、そういう人が仕事をしてくれるから成果を上げられるというのだ。

「何百万人の命の危機を乗り越えることができたことがあります」。これを実現できたのは、病気を管理するセンター、軍がいろいろな国に薬を届け、医療派遣にも一丸となって当たることができたからだ。

アメリカでは、これらの仕組みはオバマ氏が大統領になる前からあるのだが、「皆が仕事をやる気が出るようにすることが実現できたこと。

問題が起きたら、そこに助けを送ることができるようにしたことです」と言う。

これこそリーダーの資格と言うべきだろう。

最後に、オバマ氏は日本についての思い出を語った。

「六歳の時、母との旅行で初めて日本に来ました。新幹線でいろいろな場所を訪れた中でも、鎌倉の大仏を見た後に、お餅と抹茶アイスクリームを食べたのをよく覚えています。

その時から、日本を愛するようになりました」というエピソードを披露した。「そんな日本の方に申し上げたいのは、強い日米関係を維持してください。

そして、私たちが戦後作り上げた、友情の絆を守ってください。二国間だけでなく、アジア太平洋の平和と繁栄の要の石となります」というメッセージを送ると、会場いっぱいに大きな拍手が鳴り響いた。

今回のサミットを通じて、オバマ前大統領とWSD・深見氏の間には、共通する使命感があることがお分かりになるだろう。

だから、今回のオバマ氏招聘は、必然的な出会いであったことも分かる。

そして、二人に共通する熱い絆が、世界に平和をもたらす大きな力になるだろう。オバマ氏の「Yes we can!」の精神は受け継がれていく。

オバマ氏と深見氏に共通する、「リーダーの資質は熱意」


ニュージーランド元首相で、WSD名誉総裁のジョン・キー氏が閉会の挨拶をした。ジョン・キー氏はオバマ氏について、「素晴らしいリーダーであり、熱意を持っていらっしゃいます」と言い、大統領時代の数多くの功績をあげながら、オバマ財団で世界中に若いリーダーを育ててほしいことを願った。

また、半田氏についても、ニュージーランドで地震の被害に対して支援してくれたことに感謝し、オバマ氏と半田氏が「どちらも信じていることは共通しており、他の人を助けたいという信条です。

二人とも、すべての人の意見を聞く聞き手であることも共通しています。外から学ぶ視線も同じです」という。

「リーダーの資質は熱意です」という点も二人に共通することだった。

『月刊TIMES』 2018年7月号

■ 第3回 東京国際コンサート

世界中で歌い続けてきた三大テノールとの出会いホセ・カレーラスと深見東州 愛と人生を歌う

「世界三大テノール歌手」と言えば、ホセ・カレーラス、プラシド・ドミンゴ、そして故ルチアーノ・パヴァロッティ。この世界のレジェンドたちである。

二〇一五年六月、深見東州氏は、そのカレーラスと、また八月にはドミンゴと、東京国際コンサートで歴史的共演を果たした。

深見氏にとって、コンサート、歌手活動の面で、世界に飛躍する大きな一歩となった。この先さらに、何が起きるのだろうか。

「世界三大テノール」の三人が初めて共演したのは、一九九〇年イタリアで行われたサッカーワールドカップの前夜祭、ローマで行われたコンサートでのことである。

それ以来「三大テノール」の名称で、ワールドカップのたびにコンサートが催されてきた。

また三大テノールとしては、数多くの世界コンサートも行い、オペラを始め、ナポリ民謡やポップスなど幅広いレパートリーを披露してきたが、二〇〇七年にパヴァロッティが死去したことで、三大テノールとしての活動は終焉を告げた。しかしパヴァロッティ亡き後も、カレーラス、ドミンゴは世界のファンのために歌い続けている。

一方、深見東州氏もオペラ歌手として、世界的にコンサート活動を目指してきている。

「東京国際コンサート」もその一環である。二〇一三年は、第1回東京国際コンサートとして、キリ・テ・カナワを招聘し共演、二〇一四年の第2回東京国際コンサートでは、世界の歌姫ルネ・フレミングとの共演を果たした。

そういう大きな流れが、深見氏と三大テノール歌手二人との出会いを生み、歴史的共演を実現させた。それだけに二〇一五年の二度にわたる東京国際コンサートは、大きな感動と興奮を巻き起こした。ここではまず、ホセ・カレーラスと深見氏が共演した、夢の一夜の模様をお伝えする。

二〇一五年六月十五日、新国立劇場オペラハウスで、三大テノールの一人ホセ・カレーラスが、深見東州、コナル・コードと、「東京国際コンサート」に参加。三人で合計三十曲を歌い、二千人近い聴衆は世界の歌声に酔いしれた。このコンサートは主催NPO法人世界芸術文化振興協会(IFAC)で、音楽を愛する人々への、社会貢献活動の一環として無料で開かれた。

深見氏とコナル・コードが交互に名曲を披露

「人類最高の楽器は、歌である」と言われる。カレーラスの歌は、その中でも特別に美しい声で聴く人を魅了してきた。

世界三大テノールのホセ・カレーラスに対して、「西荻窪のボーダレス・ルネッサンス歌手(深見東州)がいます」と自称する、深見氏との歌のバトルでもある。

第一部は「オペラの楽しさを、多くの人に知ってほしい」ということで、二人がオペラの有名曲を中心に交互に歌った。

「オンブラ・マイ・フ』(ヘンデルのオペラ、『セルセ』で歌われるアリア)深見氏の朗々たるバリトンの歌声で、夢のコンサートが始まった。

次にコナル・コードがモーツァルトの歌劇『かわいい娘を見つけた者は』(歌劇『後宮からの誘拐」)を歌う。

コナル氏はニュージーランド生まれのバス歌手である。

深見氏が、ヴェルディの歌劇「ナブッコ』から『ユダヤの神よ!』という難曲のアリアを歌い、会場からブラボーの声が飛ぶ。するとコナル氏は歌劇「ドン・ジョバンニ』から『カタログの歌』をユーモラスな演技で表情豊かに歌う。丁々発止の歌合戦。

多彩なレパートリーを誇る深見氏は、オペラの歌を始め、日本歌曲(『初恋』、『宵待草』)をしっとりと歌って、聴く人の心をわしづかみする。

さらに、深見氏は十八番のナポリ民謡『サンタルチア』、『オーソレミオ』を歌う。会場は興奮の坩堝(るつぼ)と化した。どんなジャンルの曲も自由自在に楽しく歌いこなす深見氏は、常々こう述べている。

「西洋音楽やオペラ、特にイタリアオペラや歌曲は、殺す殺される、裏切る裏切られる、浮気する浮気される、寝取る寝取られるという、エッチで下品な愛すべき人々の音楽です。

だから、上品ぶらずに親しみ、イタリア人のように、もっと自由に歌うべきです。また聴衆も、歌舞伎や演歌民謡を聴くように、もっとリラックスして楽しむべきです」

「わが尊敬するホセ・カレーラスも、そんな、レジェンドテノール歌手なのです。何を歌っても、本当にうまいです。

また歌心があって、何を聴いても感動します」(第 3回東京国際コンサートのパンフレットから)

カレーラス、ドミンゴ、故パヴァロッティもワールドツアーで世界の大衆を魅了してきた。そのため彼らは、オペラだけでなくナポリ民謡からミュージカルまで、いろいろなジャンルの歌を歌う。

一流の歌手は、あらゆる歌を自由に歌って聞く者を楽しませる。

一方、深見氏も、正統なベルカント唱法をマスターし、何度もオペラのタイトルロールを演じた、日本屈指の実力派オペラ歌手だ。また同時に、多くのオペラ歌手が苦手とする、ポップスや演歌やジャズまでも、見事に歌い分けるボーダーレス・シンガーでもある。

かつてマイケル・ボルトンが深見氏の歌を評して、こう語っていた。「その圧倒的な美声、卓越した歌唱力、幅広い声域と歌に賭ける情熱は、音楽を愛する数多くの人々を魅了する」と。

第一部の最後には、深見氏とコナル氏が手を取り合って、日本人の心の歌『ふるさと』を歌った。そして深見氏が「ダニー・ボーイ』を歌って締めくくった。

愛を歌う、夢のようなカレーラスのステージ

第二部、ホセ・カレーラスが満場の拍手に迎えられてステージに登場する。会場全体がカレーラスの世界になったような、神々しいオーラを感じさせる。

「かっこいい!」聴衆からため息と歓声がもれる。

カレーラスは、一九四六年、スペインのバルセロナに生まれた。幼いころから音楽の才能を発揮し、二十代でオペラのロンドンデビューを果たした。

その後、ウィーン国立歌劇場やメトロポリタン歌劇場などでオペラの舞台を積み重ね、世界三大テノール歌手として世界的なスターになった。

しかし、人気絶頂の一九八七年、カレーラスは白血病に侵された。回復の可能性は少なかったが、自身の骨髄を移植した結果、奇跡的に生還し歌手として復帰した。

この経験をもとに、カレーラスは「ホセ・カレーラス国際白血病財団」を設立。白血病の研究と骨髄提供者登録への支援事業を行っている。

ステージに立つカレーラスの佇まいは、聖者といってもいいような厳かな雰囲気をただよわせる。

白血病という苦難を乗り越えた静かな強さを感じさせる。ピアノに右手をそっと置くと、伴奏のロレンツォと呼吸を合わせる。一体となっているようだ。

そして、「5月だった』(マリオ・コスタ作曲)、『夢』(フランチェスコ・トスティ作曲)を声量たっぷりの歌声で、手を差し伸べながら語りかけるように歌った。まるで女性に愛の言葉をささげるように。彼の愛の世界が出現する。

カレーラスは、八歳の時にスペイン国立放送に出演し、なんと「女心の歌』(ヴェルディ)を歌っている。

幼くして女心の歌を歌ったカレーラスは、セクシーで男の色気に満ちていた。ゆったりと両手を広げたり、そっと何かを押し頂くように両手を握って歌を表現する。優しさあふれるカレーラスは、日本の女性ファンの心もしっかりつかんでいた。

ガエターノ・ラーマ作曲『静けさに歌う』は、星の流れる静かな夜、愛の語らいをする男女を歌ったカンツォーネ。歌の数ほど愛がある。

そして愛は美しいが、また切くさびしいものだ、とカレーラスは歌い上げる。

カレーラスのステージは、後半に入ると、さらに盛りあがる。グリーグの歌曲「我君を愛す』は、アンデルセンの詩に作曲された歌。グリーグが婚約者にささげた歌と、そして、ナポリ民謡デスポジト作曲の『太陽に酔って』、ヴァレンテ作曲の「情熱』まで、聴衆はカレーラスの歌に酔いしれた。

鳴りやまぬ拍手の中で、カレーラスは何度もうなずき、笑みを浮かべて舞台をさがった。感動の拍手がいつまでも続いた。

第二部が終わり、あらためてカレーラス、コード、深見氏の三人が舞台に登場すると、割れんばかりの拍手を浴びる。

こんな豪華な組み合わせがあるだろうか。そして歌う。「知らず知らず歩いてきた・・・・・・」

深見氏が、美空ひばりの名曲「川の流れのように」を二小節歌うと、なんとカレーラスが後を引き継いで歌う。

そして最後は三人の合唱だ。カレーラスはこの歌を得意としているというだけに、流ちょうな日本語で歌った。日本の歌心をにくいほどよくつかんでいる。最高のアンコール。

そして、ミュージカル「南太平洋」で有名な「魅惑の宵』(Some Enchanted Evening)を、三人が英語で交互に歌った。

ここでも、さらに再度のアンコールが続く。これに応えるために、カレーラスはナポリ歌曲の『カタリ・カタリ』(つれない心)で、女性に捨てられた男の深い悲しみを、しみじみと歌った。

誰もが知っている名曲だ。だから、万雷の拍手はますます鳴り止まない。

最後に三人がそろい、手を取り合って客席に一礼し、最高のステージが終わった。

そして、夢の一夜からわずか二カ月後星」プラシド・ドミンゴと共演することになる。

『月刊TIMES』 2016年5月号