■ 第14回 「2019 ブラインドゴルフ ジャパンオープンチャンピオンシップ」開催
ゴルフを通して社会貢献を目指す深見東州 夢は、ブラインドゴルフをパラリンピックの正式種目に!
二〇一九年九月十八日、十九日に、「文部科学大臣杯・第14回2019ブラインドゴルフジャパンオープンチャンピオンシップ」が、箱根湖畔ゴルフコースで開催された(主催 NPO法人日本ブラインドゴルフ振興協会 JBGA、後援スポーツ庁、公認世界ブラインドゴルフ協会・IBGA、協力一般社団法人国際スポーツ振興協会・ISPSほか)。
IBGAの総裁、JBGAの名誉会長を務める半田晴久(深見東州)氏は、一九八八年に日本で初めてのブラインドゴルフクラブを設立した。
長年にわたりブラインドゴルフの普及につとめ、「ブラインドゴルフの父」とも言われている。
今回は3年ぶりの開催となり、IBGA加盟各国の海外ブラインドゴルファーと日本の選手が参加、日本最大規模の国際大会となった。ブラインドゴルフを通して、深見東州氏の社会貢献への強い思いが伝わる。
世界中からブラインドゴルファーが集まった
「ナイスオン!」。ブラインドゴルファーの女性Yさんの一打が、見事にグリーンをとらえ拍手が起こった。池越えのショートホール。
Yさんは結局2パットのパーであがった。パートナーの外国人プレーヤーもパーをとった。その見事なプレーに驚かされた。
「昔から球技が好きでしたが、目を悪くしてから、ゴルフに出会いその楽しさを知り、私の生涯スポーツにしたいと思ったのです」とYさんは言う。視覚障がいの人にとっても、ゴルフはそれほどの魅力を持っている。
「2019ブラインドゴルフジャパンオープンチャンピオンシップ」第二日の決勝ラウンド。日本、オーストラリア、イタリア、アメリカなど世界6カ国から集まった、5人のブラインドゴルファーが熱戦を展開した。
この大会は、20年のパラリンピックに向けた「東京2020応援プログラム」として実施された。またスポーツ庁の後援を得て、優勝者には文部科学大臣杯が授与される。
深見氏の、スポーツに対する貢献が、着々と実を結んできていると言える。

「目が不自由なのにゴルフができるのだろうか」。ブラインドゴルフと聞いて、誰もがそう思うだろう。
ブラインドゴルフは、プレーヤーにガイド(介添人)がついて二人一組で行う。ガイドがボールの位置やグリーンの方向を教えて、プレーヤーはその指示に従って打つのだ。
ブラインドゴルフは、視覚障がい者を、全盲から弱視など障がいの度合いに応じて、 3段階(B1、B2、B3)に分けて行っている。色弱や視野狭窄など目の障がいは様々なので、クラス分けは医師の診断で決められる。ブラインドゴルファーは、世界17カ国に広がり六百人ほどいて、日本人は約二百人いる。
この朝4カ所から同時スタートし、18ホールを回った組が、次々にクラブハウスに上がってきた。
スコアを提出し表彰式の行われる会場で、この日のプレーを仲間と振り返り談笑していた。そして盛大な拍手の中、JBGA名誉会長の半田晴久氏(深見東州)が、日本の正装である和服姿で現れた。表彰式が始まるのだ。
すべてはロン・アンダーソンとの出会いから始まった
なぜ深見東州氏が、ブラインドゴルフに取り組むようになったのだろうか。「3年前、私が33歳のころ、ロン・アンダーソンさんと出会い、ゴルフを一緒にプレしたのが始まりです」と、深見氏は表彰式の挨拶で、JBGAを立ち上げたきっかけを語った。
一九八八年、深見氏はオーストラリアで、視覚障がい者のゴルファー、ロン・アンダーソン氏と運命的な出会いをした。
「目が不自由でゴルフができるのだろうか?」と、深見氏は不思議に思ったが、いざロン氏とゴルフを共にしてみて驚いたと言う。
ロンにはガイドが一人ついて、ボールの位置やグリーンの方向、距離などを指示する。するとロンはドライバーで、豪快なティーバーショットを放った。
そしてグリーンでも、ガイドがピンの位置を教えると、ロンのパットは見事に決まった。
ゴルフを始めて間もなかった深見氏は、ロンについていくのがやっとだったという。「ロンは5%くらいしか視野がなかったのですが、視覚障がい者とは思えないほど自然なふるまいでした。
私はまだゴルフを始めたばかりの頃で、ハーフ15でしたが、ロンはなんと6で回ったのです。
そうしたらロンは、”ミスターハンダはひょっとして目が見えないのじゃないか”と言ったのです。
これには参りました。そしてブラインドゴルフの皆さんが、実に明るく楽しげに話しているのを見て、目の見えない人でも、ゴルフをすればこんなに生き生きとしていると、感銘を受けたのです」と言う。
この体験は、深見氏の福祉活動、社会貢献活動の基点にもなっている。
深見氏は日本に帰ると、すぐに「日本盲人ゴルフ倶楽部」を作った。その組織がもとで「NPO法人日本ブラインドゴルフ振興協会JBGA」になった。現在は、ISPSで「パワーオブスポーツ」をスローガンに、ゴルフをはじめスポーツの力で社会貢献を目指している。
「ブラインドゴルファーの皆さんは、日本でも海外でもとにかく明るい。ゴルフというのはそういうスポーツなんです」と言う。
「ブラインドゴルフの父」と言われた深見東州氏は、こうしてブラインドゴルフを社会に広めていった。
目指す目的は、人々が幸せになり社会が良くなること
今回は、そのロン・アンダーソン氏が一九九六年以来の来日をし、2日間プレーを楽しんだのだ。表彰式の会場にその姿があったが、楽しそうに談笑していた。
「コンニチハ、久しぶりに半田(名誉会長)さんとお会いして嬉しかったです」とロン・アンダーソン氏は語る。
今回は3年ぶりの大会とあって、世界各国から有力なプレーヤーが集まり、熱戦を繰りひろげた。その結果、ストロークプレーの部(グロスからハンディ数をひいた、
NETのスコアで争う)は、トータル125のスコアであがった、マーク・エシュバンクさん(オーストラリア)が優勝し、文部科学大臣杯を獲得した。マーク氏は挨拶で喜びを語った。
「今58歳ですが、8年前に目が見えなくなったのです。でもゴルフのおかげで勇気づけられました。視力を失ってから、ガイドと一緒に考えながらゴルフをするようになりました。
ガイドが気持ちを落ち着けさせてくれたり、色々アドバイスしてくれるおかげです」と気持ちの変化を語った。ブラインドゴルフは、まさに二人一組でワンチームなのだ。
一方グロスプレーの部(B1~B3の3クラス)のB1クラスでは、日本の後藤健治さん(68歳)さんが優勝した。後藤さんは、視力を失って約40年。
マッサージと鍼灸を学んでいたが、ゴルフを知って生きがいを見つけた一人だ。ガイドは奥様。ゴルフが幸せをもたらしたと言える。
B2はチョー・インチャン(韓国)、B3はマーク・エシュバンク氏。ステーブルフォード(それぞれのホールで決められた基準のスコアより、何打良かったかまたは悪かったかで得点が決まる)の部は、浅野貞信さんが優勝した。
表彰式では、ミス日本3人がプレゼンターとして活躍、これらの優勝者のほかベストグロス賞、ニアピン賞、ブービー賞なども表彰され和やかで楽しい一日となった。
深見東州氏は、二〇〇六年に一般社団法人ISPSを設立し、ブラインドゴルフはもちろん「ISPS HANDACUP フィランスロピーシニアトーナメント」ハンダマッチプレーゴルフ選手権」など数多くの大会を開催し、日本のゴルフ界に様々な貢献をしてきた。ゴルフの魅力についてこう語っている。

「ゴルフは人と人とのより良い関係を作るスポーツなのです。ゴルフの欠点は「面白「すぎること』という名言もあるくらいです。
ASEAN10カ国の大使のゴルフ大会を開いていますが、 ASEANで出世する政治家やビジネスマンの条件は、〝ゴルフができて、カラオケが歌え、ドリアンを美味しく食べることだ〟というくらいです」
九月のブラインドゴルフ大会の後も、「ISPS HANDA WATCH WOR LD・カップ」を開催した深見氏。ゴルフへの貢献はとどまるところを知らない。
ゴルフだけではない、なぜこれだけ多彩な活動をするのだろうか。いつもその疑問が寄せられる。深見氏はこう答える。
「すべては、人々が幸せになり、より良くなり、社会がより良くなることが目的です」と。
「ISPSのアンバサダーも増えました。国籍、人種の枠を超え、多くの人と手を携え、スポーツの力で社会をより良くしたい、という想いだけです。
人々が幸せになり、より良くなり、社会がより良くなるために、あらゆる角度からアプローチを続け、死ぬまで続ける、それが私の本当の気持ちです」
挨拶を終えて深見氏は、ゴルフのきっかけを作ってくれた、ロン・アンダーソン氏をステージに招き感謝を伝えた。そして「ロン、いっしょに歌おう」とロンをうながした。
ブルームーン♪ロンの魅力的な低音が会場に流れ、深見氏も歌う。ミラクルな歌の共演が実現した。ロン・アンダーソンと深見氏の友情は、永遠に続くだろう。人と人との触れ合いを大切にする深見氏は、世界中に友情で結ばれる良き仲間がいるのだ。

この後、深見氏は、「ダニー・ボーイ」「オー・ソレミオ」を熱唱。会場を大いに沸かせた。
「夢はブラインドゴルフが、パラリンピックの正式競技になることです」と挨拶で語った深見氏。それはロン・アンダーソン氏と出会った時から、二人で語り合った夢でもあり、ブラインドゴルファーすべての夢でもある。
第14回「2019ブラインドゴルフジャパンオープンチャンピオンシップ」は、大 盛況のうちに幕を閉じた。
「あらゆることをやっている、深見東州って何ものか?」とよく問われる。万能の天才、現代のレオナルド・ダ・ビンチと言われてきた深見氏だが、そのバックボーンは、人のため、社会のために尽くしたいという、無私の気持ちであり、全てがそこから始ま っていると言える。
『月刊TIMES』 2020年1月号
■ 第17回 東京大薪能・都民広場で開催
日本文化の王道である、能楽をアピールしたい!能楽師深見東州、大薪能に馳せる思い
二〇一八年九月二十三日、東京都庁舎・都民広場で第十七回「東京大薪能・宝生流」(主催・NPO法人世界芸術文化振興協会会長半田晴久〉、後援・文化庁、東京都)が開催された。
世界芸術文化振興協会では一九九八年から毎年都民広場などで、能楽を無料で一般公開する「東京大薪能」を開催してきた。
能楽の楽しさを広く一般の人に知ってもらい、能楽が次世代に受け継がれることを願って始められた。
二〇一五年以降都庁の改修工事があったため、四年ぶりの都民広場での開催となった。能楽は日本が世界に誇る伝統文化であり、ユネスコの無形文化財にもなっている。
能楽師としての半田晴久氏(深見東州)がこの東京大薪能で描くもの、日本の伝統芸能能楽への深い想いとは何か。深見氏の「入門能楽講座」を聞くと、「深見東州とは何者か」の一端が理解できる。
なぜ東京大薪能をやるのか。日本文化の王道を知ってほしい
薪能は古い歴史を持ち、かがり火を焚き、自然を肌に感じながら楽しむ野外の能楽である。ここ都民広場にも特設舞台にかがり火がセットされ、幻想的な雰囲気を出していた。久しぶりの東京大薪能とあって、四千人を超える観客が秋の一夜、能楽を楽しんだ。
演目は、初めに能「羽衣」(シテー天人・渡邊荀之助、白龍・森常好)、次に狂言「附子」(シテー太郎冠者山本則俊)を挟んで、能「土蜘」(シテー土蜘蛛の精、僧・辰巳満次郎、独武者・森常好)が演じられた。
シテの宝生流・渡邊荀之助氏と辰巳満次郎氏、狂言の大蔵流山本則俊氏は、いずれも重要無形文化財総合指定保持者である。日本の伝統芸能を代表する能楽師が勢ぞろいした。
そして結びには、深見東州氏が祝言仕舞「草薙」を華麗に舞った。
演能に先立って、恒例の半田晴久氏(深見東州)の「入門能楽講座」が開かれた。この内容は外国人来場者のために、イヤホンを通じて外国語に同時通訳され、深見氏は大薪能能楽によせる想いを伝えた。

能楽師としての深見東州氏の歩みは、学生時代にさかのぼり、同志社大学能楽部宝生会で柏原仁兵衛氏、辰巳孝氏に師事した時に始まる。
この時に笛も習得し、後に成人して小鼓も習った。そして、一九七二年に「鶴亀」仕舞で初舞台を踏んだ。
その後、一九九六年に能「猩々」で初のシテを、一九九九年には、国立能楽堂で「乱」を披露するなど、宝生流能楽師として活躍している。
その活動は大きく広がり、世界芸術文化振興協会会長として東京大薪能の開催だけでなく、海外にも目を向けてきた。
東京大薪能の第一回以降十三回までは宝生流の演能だったが、第十四回からは、五流(観世・宝生・金春・金剛・喜多)の持ち回りで開催してきた。流派にこだわらず、能楽を広めたいという深見氏の想いによる。
海外公演も盛んに行い、アメリカのメトロポリタン美術館能や国連薪能、イギリス演能旅行、中国演能旅行、スフィンクス薪能、アンコールワット薪能など、自らシテを演じて能の海外普及に努めてきた。
国内外における能楽の普及活動は、他に類を見ない。
十七回を迎える東京大薪能は、一般に無料公開している。深見東州氏がなぜ東京大薪能を開催するのだろうか。
都庁の都民広場という近代的な場所に、伝統芸能の能楽がマッチすると言う深見氏は「入門能楽講座」の初めに、大前提としてその意義を語った。
「東京でのオリンピック開催を控え、外国人がたくさん日本に来るようになり、彼らは日本文化を知りたいと言います。
そのために、外国人や日本の若い人たちに、日本文化の王道である能を体験してほしいのです。能を知り、興味を持ってもらうことで、愛好者が増え次の世代に継承していくことを願っています」
「能楽は、室町時代から江戸にかけて発達しました。六百年の伝統を持ち、ユネスコの無形文化遺産でもある日本の伝統芸能です。
世阿弥が著した『風姿花伝』は、今でも能楽を学ぶ人の教科書になっています。まぎれもなく、世界最古、最高の舞台芸術論です」
この日も、外国人の観客がかなりいた。だから、同時通訳で解説を聞けるようにし、英語で書いたパンフレットを用意した。この東京大薪能だけの試みである。
「日本料理と言えば、ラーメンや寿司ではなく、懐石料理であるように、日本文化の舞台芸術の王道は能楽です。
幕末期には、江戸城の前で十五日間連続で薪能をしました。龍神や天狗が、七人も出たりする新演出の能もありました。
だから、来年そしてオリンピックの年には、こういう演出があってもよい。三日連続で薪能を行うとか、面白い演能を考えています」
なぜ薪能を開催してきたかという大前提の話が終わり、恒例の深見氏の「能の入門講座」が始まった。「評論があって初めて芸術と言えます」と言うように、能楽評論家深見東州氏の能の講座は、わかり易くて能に興味がわくと毎回大好評なのだ。
「海外で能の解説をするときに、オペラ、京劇、カンボジアの民族舞踊など、他の舞台芸術と比較して、初めて能の特性が分かってもらえるのです。
このことは、どの能の入門書にも書いてありません。そして、私は能の説明をするときに三つのポイント、二つの理解ということを話しています」
能楽師であり、オペラも京劇も究めた、深見氏だからこそ語れる能楽の解説なのだ。
省略の芸術で、一点豪華主義
「能とは何かと言うと、省略の芸術ということです。省略して省略して最後に残るシテに的を絞り、派手で豪華にするのです。
そのためにワキ、囃子は地味にします。言わば、一点豪華主義です。これが、能の舞台芸術としてのコンセプトです。
主題を引き立たせ、最小限で最大の内面表現をするのです。オペラや京劇などは、主役も脇役も全部派手で、音楽もにぎやかです。この点が大きく違います」
この省略と一点豪華主義は、老子の思想が影響していると言う。
「老子の思想の中に、”隠そうとすると現れる。現そうとすると隠れる”というのがあります。奥が見たい、”いとゆかしさ勝れり”と言うように、「奥ゆかしい」という言葉も、ここから生まれたのです。室町時代に世阿弥が著した『風姿花伝』は、この老子の思想を背景にしていると思われます。世阿弥は「風姿花伝』で”秘すれば花”と言いました。
世阿弥は能の魅力を花にたとえました。秘するほど花がでる、秘するほど感動が生まれると言ったのです。
観客の心の中に花を咲かせること。年をとって枯れても、磨き抜かれた芸で観客を感動させる。これを花の中の花と言いました。省略と一点豪華主義で、究極の花を追求する事こそが、最高の舞台芸術なのです」
そう語る深見氏の話は、能面に及んだ。

「能では能面、面(おもて)を使ってあらゆる人物になり切ります。面を少し下にひくと「曇り」、つまり哀しみを表します。
また少し上にあげると、喜んでいるように見える「照り」、喜びを表すのです。このように、最小限で最大限の内面を表す、芸術の極致と言えましょう。
序破急
老子の言葉に学を為せば日々に益し、道を為せば日々に損ず。これを損じてまた損じ、以って無為にいたる。無為にして為さざるは無しというのがあります。
省略して省略して「無為」になることを言います。こうして、能面の役になり切り、自分の主張や自我をなくすのです。
こういう、能は面(オモテ)一つで何でも表現します。能は極めて精神性の高い芸術です。
世界の芸術家がヒントにもする能は、日本文化の王道なのです。我々日本人は、もっと誇りと自信を持ってほしいのです」と強調する。
「能の基本は序破急〟です。能はすべて序破急で成り立っています。初めそろそろ中パッパと言いますが、序(導入)はゆっくり始まり、破(展開)はそれを破り、急(結末)でテンポが速くなるのです。
能の演目も、ゆっくりしたものから始めます。扇の回し方、足の運び、謡いなどすべて序破急をベースにしています。
また序の中や破の中、急の中にも序破急があります。これは、エンディングを素晴らしくするための、能の演劇的手法の基本なのです」
深見氏はそう言いながら、扇を回したり謡ったりして、序破急を実演した。
「だから『羽衣』を見て、初めはなにかゆっくりしてかったるいな、と感じて帰ってしまうともったいない。
最後に天女が舞って帰る、さっそうとして感動的なシーンがあるわけで、後の方良かったよ!と言われて後悔するのです。阿波踊りがありますが、これは二拍子で同じ右の手と右足を同時に出すのです。
ここにも序破急があり、うまい人はそれを心得ています」深見氏は、そう言いながら、なんと阿波踊りを実演した。
「歌舞伎も日本舞踊も序破急です。能は深く究めれば面白いもので、ゆっくりした退屈なものではなく、バランスよく序破急を組み合わせ、創っているのです」
能楽師は一人で全部演じる
「オペラや京劇と違って、能楽師は全部一人で演じます。能面(オモテ)をつけ替えるだけで、女性になったり少年や老女にも、化け物や花の精にもなるのです。
でも、声はシテの太い男の声のままです。女性の役だからと言って、女性の声色を使いません。というのは、能は江戸時代に長く将軍家が愛好したものだからです。
将軍が女性を演じるとき、女性の声になると、権威がなくなるからです。能楽師は心の声で謡うので、天女なら天女の役になり切り、色艶やかな女性に見えてくるのです。それが芸の力、内面の芸なのです」
流派について
心の声で色々な役になりきる能が、西欧のオペラなどと根本的に違うところだと言う。
「深見さんは、何が本職ですかとよく言われます。私は、全部本職ですと答えます。
なぜなら、私は面をつけ替えるだけで、どんな役にもなれる能楽師だからです。だからオペラ、京劇、ゴルフをやり、時計販売業や予備校を経営することなど、何でもできるのです」
あらゆる分野に抜きんでる、万能の天才と言われる深見東州、それは能楽師だからできるのだと言う。
「深見東州とは何者なのか?」という問いに対する答えの一つと言えよう。

「お客様を本当に感動させるためには、自分を持ってはいけない、心を無為にしてなりきることなのです。
この老荘思想を根底に創った観阿弥、世阿弥の舞台芸術は、西欧にもどこにもない、洗練された能の芸術なのです」
能を通じて熱く語る深見氏の芸術論に、都民広場の満員の観衆は聴き入っていた。
深見氏は、学生時代から宝生流で能楽を習得してきた。
演目について
「能は、謡(うたい)、仕舞、お囃子、全体を通して能と言うのです。私は宝生流ですが、四座一流と言われるものがあります。
観世流、宝生流、金春流、金剛流の四座、そして喜多流があります。昔、金剛流の家元が金剛流のことを皮肉られ、言い返したという言葉があります。
謡について、観世軽すぎ、喜多気張りすぎ、金春コンニャク、宝生ほどよくおもろない。
確かに観世流は謡が軽やかですが、踊りは颯爽としています。
金春流は秀吉が好み、一年間に十回も十五回も演じていたのです。徳川家は初期は観世流だったようですが、五代将軍綱吉が宝生流を気に入ったと言います。
それ以後、宝生流は武士の間に広がりました。宝生流の謡は、颯爽としてドラマティックですが、仕舞は地味で控えめです。
観世流の舞いは、颯爽として派手ですが、動きが激しいのです。喜多流は新しくできたので、各派のいいところを集めた特性があります。流派の違いを知るのも楽しいことです」
深見氏は、織田信長が謡った「人間五十年、下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり」を、実際に謡って見せた。能楽師であって能楽評論をする、深見氏ならではの「入門能楽講座」だから面白いし、説得力がある。
「『羽衣』の盤渉は、位の高い演目です。特別の時に演じられます。
「土蜘』はわかり易くて面白く、人気の高い演目です。土蜘が投げる糸は、小さい鉛に紙の糸を巻いたもので、次々にパーッと投げるから派手です。
斬ったり斬られたりの、チャンバラ場面もありますが、斬られて死んだ人は、自分で歩いて退場します。
血が飛ぶとか、切られてのけぞるとか、リアリズムを追求しない、イマジネーションを楽しみ、その中で感動するのです。
省略して内的に象徴化するのは、そのためです。土グモというのは、土グモ族と言って、幕府に反旗を翻して滅んだ一族が、怨霊や妖怪として描かれているのです。
能には、こうした滅んだものの怨霊や鬼、妖怪が出てくる演目も多いのです」と、今回の演目の魅力を述べた。
この大薪能では、深見東州氏は長らくシテを演じてきた。深見氏の能を観たいという観客も多いが、最近は「入門能講座」で能の普及に努めている。
だが、今回は「土蜘」の後で特別に、祝言仕舞「草薙」を舞った。それも地謡を、渡邊荀之介氏、辰巳満次郎氏、山内崇生氏、澤田宏司氏という、豪華メンバーが務めた。
観客は、「入門能楽講座」のポイントを頭に描き、深見氏の序破急の動き、謡に見惚聞き惚れた。
トークショーでラグジュアリーな能の夜を味わう
東京大薪能が終了すると、ホテルハイアットリージェンシーの会場(㈱ミスズ主催の時計宝飾の展示販売会場)に、深見東州氏と辰巳満次郎氏など、大薪能の主な出演者が集まりトークショーを行った。
女流の石黒実都女史も参加し、能楽の裏話など普段聞けない、いろいろな話題が出て大いに盛り上がった。ここでも深見氏は、薪能の抱負を語った。

「東京オリンピックの時には、たくさんの外国人が来ます。日本文化を知りたいと楽しみに来る人も多い。江戸時代に将軍の許しを得た能楽師が、江戸城の前で薪能を演じました。
私たちも東京都の中心で、三日連続で演じてみたい。たくさんの人の前で、龍神や天狗が七、八人が舞い踊るように、日本文化の王道である能楽を派手にアピールしたいですね」
この東京で龍神や天狗が舞う?今からワクワクするような構想だった。深見東州氏は能楽でも、演じてなお余韻を楽しむ、ラグジュアリーな夜を演じた。
『月刊TIMES』 2019年1月号
■ 第19回 深見東州 バースデー書画展 盛大に開催
「背中は痒ーが絵画はみたい、ショショの奇妙な冒険のような書がある、バースデ書画展」と銘打って、深見東州氏自身が誕生日を祝う書画展が、二〇一九年三月十八日~二十一日、東京「泉ガーデンギャラリー」で開催された。
主催:一般財団法人東京芸術財団、共催:(株)ミスズ、(株)たちばな出版。また「バースデー時計・宝飾展!」も「ベルサール六本木」で同時開催され、多くの参加者が深見東州氏の芸術と美を楽しんだ。
茶道は総合芸術、多くの日本文化のルーツ
書画展の会場に入って驚いた。赤い毛氈が敷かれ、野点の傘に茶道具、二十席ほどの茶席が設けられ、壁面には深見氏の書の掛け軸がずらりとかけられていた。
第18回を迎えた、深見東州氏668歳のバースデー書画展。今回はなんと、茶会席をしつらえ、お茶でもてなす書画展だったのである。
少し離れたところには、全身にペインティングされた、大きな犀(サイ)の彫像が展示してあった。これは、ロックバンド「ローリングストーン」のギタリスト、ロニー・ウッドが創作したオブジェ作品だ。常にサプライズがある、深見東州氏流のおもてな書画展会場には国外、国内の様々な分野の著名人がお祝いに駆け付けていた。
海外からは、第103代カンタベリー大主教のロード・キャリー氏、元アイルランド首相エンダ・ケニー氏、元アイルランド駐日大使のブレンダン・スキャネル氏。
また国内からは、亀井静香、高村正彦、下村博文、海江田万里、前原誠司、原口一博各氏など、多くの国会議員が列席した。
オープンの30分前には、小沢一郎氏も訪れていた。俳優の藤岡弘や尾崎直道氏ら多くのプロゴルファーも出席し、深見氏の多彩な人脈を物語っていた。
ロード・キャリー氏が挨拶に立つ。「日本は素晴らしい文化、アートに恵まれている国です。イギリス教会を代表してお祝いをしたい。
ハンダ先生とは、長年妻とともに友好関係を続けています。
そして、カンボジアを始め多くの福祉に貢献していただいています。今回、日本に来られたことに感謝します」と語った。深見氏と英国との深い絆を感じる。
亀井氏は「深見先生は現代のレオナルド・ダヴィンチです」と、その多彩な才能を表現し、高村氏らが次々に、深見氏のバースデー書画展に祝辞を送った。
さらに、深見氏が支援するTusk(アフリカ野生動物保護団体)のCEO、チャーリー・メイヒュー氏が、「ハンダ先生の惜しみなき貢献に感謝します」という、英国ウィリアム王子の直筆サインの入った書簡を読み上げた。
また、Tuskを支援しサイの彫像を創作した、「ローリングストーンズ」の、ロニー・ウッドのビデオメッセージが紹介された。
彼は、自作のサイの彫像の前で「お誕生日おめでとうございます」と、日本語で祝った。

音楽家、画家、書家、文芸家など、幅広い芸術活動をする深見氏は、茶道家としても道を究めている。20歳で裏千家流茶道を学び、その後大日本茶道学会を経て、江戸千家新柳派に入門。江戸千家新柳流師範でもある。
表千家も裏千家も学んだので、「表裏一体千家なのです」と言う。
現在も、茶道を楽しんでほしいという気持ちから、「ベリージョイフル茶道会」を主宰し、茶道具などすべて自身で作り、プロデュースしている。
今回の書画展も、茶人深見氏の世界観を反映する、斬新なプロデュースによるものだった。
開幕式の挨拶で深見氏は、茶道に対する想いを込め、その演出の狙いを語った。
「茶道は、生活そのものを芸術にした、唯一の芸術なのです。
そして、総合芸術でもあるので、日本料理も陶芸も、造園や花道、庵などの建築も、茶道をルーツにしています。
どんな水、茶碗、お菓子、抹茶、花や書画でもてなすか。色々と演出して客を楽しませ、おもてなしをする。
それが、日本のおもてなしの原点なのです。それを、皆さんに実感していただくために、今回は立礼式の茶席を設け、茶道でのおもてなしにしました。茶道を理解し、体験することで、初めて日本文化が分かるのです」
深見氏のおもてなしの心は、用意された和菓子にも表れていた。和菓子にかけては、深見氏の右に出るものがないくらい、詳しいと聞く。
「今日は、外国からもお客様がみえているので」と言って、和菓子の入った袋を開ける。これは(京都・吉廼家の)イチゴ大福、ミカン大福ですが、生地が、巷のイチゴ大福とは全く違います。
一番おいしい巨峰大福は、食べるとキョホーと感動します(笑い)。
また、これは京都・麩嘉の麩饅頭ですが、賞味期限は一日です」と、数々の銘品を紹介した。
「それらを、わざわざ取り寄せ、来賓の皆さまにお土産として用意しました。お菓子を食べて、抹茶をいただくと美味しいのです。
お水も、柿田川の湧水を汲んで持ってきました。百年かけて湧きでてきた、富士山の伏流水の湧水なのです。
その水を、毎朝汲んで来て、お茶をたてて和菓子をいただくのです」これこそ、禅の境涯からの一期一会だけでなく、水もお茶もお菓子も、人との出会いも一期一会のお茶会だと言う。
68歳は助走のとき、白隠禅師のように70歳をピークに、80歳でも活躍する
深見氏は、68歳になった心意気を語った。
「68歳とはゴールドシニアです。今年は、ISPSでもゴールドシニアオープンを開催します。オープンですから、アマチュアの私も出場できるのです。
そして、上手なプロや普通のプロには負けますが、下手なプロには勝ちたいですね。70歳以上のプロは、私のターゲットです」。
深見氏は、茶目っ気たっぷり、自信たっぷりに話す。その活躍が楽しみではないか。
「私の心の師である白隠禅師(臨済宗中興の祖と言われる)が、本格的に活躍したのは、70代からです。
だから、私も68歳は助走期間だと思っています。じょそうと言っても、草取りや、女性の格好をする女装ではありませんが」と、ジョークで笑いを取る。
「10代に頑張るぞというための88、88歳でありたいと思うのです」と言う。
「このまま行けば、90歳を超えると絵画仙人や書仙人、または、絵画宇宙人や書道宇宙人になるかもしれません。
ですが、あと十年ぐらいは、人間でいられると思います」と、今回の「個展の解説書」で述べていた。白隠が聞いたら、さぞびっくりしたことだろう。
「ピカソは、気が遠くなるような天才です。どの絵を観てもすごい。到底勝てませんが、一歩でも二歩でも近づきたいと思います。
調べれば調べるほど、世界には天才がたくさんいます。レオナルド・ダ・ヴィンチ、空海、本阿弥光悦に勝ることはできません。
しかし、彼らの素晴らしいところを学び、手掛けなかったことをやれば、個性が輝きます。
彼らに追いつき、追い越そうとする気概や研究、努力が尊いのです。これが私の劣るとも勝らない美学〟なのです。
ピカソは絵だけですが、私は歌も歌うし、能もするし、会社経営や社会事業もする。二十種類くらいのことをしています。
だから、オリンピックの十種競技の選手のようです。そこで、金メダルを取れればいいのです。

一種目は、銅メダルか5位入賞でいいのです。また、一つのことを究めていると、多くのヒントを得ます。
その分、仲間も増えて、多くの人を幸せにできるかなと思うのです。多くのことを目指し、精進を続け、白隠のように70代で花を開けばいいのです」オリンピックには十種競技という種目があるが、深見氏はまさに芸術から事業から、あらゆる分野に挑む、十種競技、いや二十種競技の金メダル選手のようだ。
「臨済禅師の言葉で、「刻々の只今を生きる」という言葉があります。人間は、いつ死ぬかわからないから、先のことをあれこれ考えず、過去を振り返らず、只今なすことに没我没頭し、全身全霊を尽くして生きるだけです。
そして、その人生の中で死ぬときは死ぬ、生きるときは生きる。それでいいじゃないか、という生き方です。
これが、私が禅で学んだことです」。茶道の奥には禅がある。
また、茶道全体の思想には、道教の思想があるという。禅を究め、東洋哲学に精通する、深見氏ならではの挨拶であった。
会場に掛けられた、深見氏自作の掛け軸には、「把手共行』、『一陽来復』など、禅の言葉が書かれていた。深見氏は、それぞれ個性あふれる書の、深遠な意味を、一つひとつ解説した。
挨拶の後、深見氏が手ずから茶をたて、第103代カンタベリー大主教のロード・キャリー氏夫妻らに、茶をふるまった。
総合芸術家深見東州独自の世界
深見氏の、バースデー書画展も1回を数えるにいたった。作品総数も、これまで三二四八点を数えるまでになった(二〇二〇年五月現在、三三八五点)。
今回の新作は 3点だが、100号という大きな絵も2点描いた。会場を回って、書画を見て歩くと、作品数が増えただけでなく明らかに進化しているのがわかる。「湿原で歌って踊る丹頂鶴」「宇宙の果ての花畑」「キュウリ畑にカボチャがなる」「あれが鳴門の渦潮です」など。
深見氏の書画は、正統派の技法をベースに、自由な心で創作している。随所にギャグが混じるから、見ていて楽しい。
そして、一点一点に魂が込められ、深い精神性を感じる。
「日本では、書家で、水墨画家として活躍する人はあまりいません。書と絵画が、線引きされているのです。
しかし、中国では書画同源といい、線引きしていません。いい書と、いい絵画を両方描く、文人画の伝統が続いているのです」(個展の解説書より)。深見氏は、書も絵画も同じ芸術性で創作している。
深見氏は、高校二年のころから書を始め、35歳で竹中青琥氏に師事してきた。一方、絵画も35歳の時にゼロから始めたという。
それも、仏画、日本画、水墨画、そして油絵を学び、オールラウンドに絵画を究めていった。そこから深見氏は、宇宙や星や夜空という独自の世界観を描き、抽象画やメルヘン画も多数描いた。
また「西洋画は、キャンバスがなくても、紙がなくても描けます。画材や絵の具も、なんでもいい。
具象、抽象、立体、自然造形等、何でもありなのです。体に絵の具を付けて、ゴロゴロ転がって描いたり、何でもありの西洋画は、自分に合ってると思い、美術の奥深さを実感したのです」(個展の解説書より)と言うように、それまでの、規則に沿った絵画から解放され、自由な心で描くようになったという。
今回の書画展には、陶芸や竹細工の作品も出展されていた。それらも、書画と共通する楽しさや驚きを感じた。
例えば陶芸作品。「恋人が尊敬する豊臣秀吉の顔茶碗」「恋人の履いていたアンドロメダ姫のハイヒール茶碗」「キョエー鰐だ花瓶」といった、題名を見るだけで、楽しさ一杯になるではないか。
お茶の好きな人には、「桜満開日の出ナツメ」はたまらない魅力だろう。陶芸作品にも、東州氏独特の愛とユーモア精神が込められている。
深見東州氏の書画、陶芸などの作品を鑑賞するときは、何物にも捉われない、自由で、明るく、心に響く、温かい作風なので、理屈なく、そのまま楽しめばいいと思う。
バースデー書画展と同時に、「バースデー時計宝飾展」(会場・ベルサール六本木)が開催された。この会場でも茶席が設けられ、茶がふるまわれた。
会場は来場者でにぎわい、時計やジュエリー、またバッグなどのショッピングを楽しんでいた。
初日には、トークショーが開催され、深見東州氏中心に、ロード・キャリー氏、エンダ・ケニー氏、ブレンダン・スキャネル氏、藤岡弘氏が参加し、お茶のもてなしに楽しいひと時を過ごした。
深見氏は、早速アイルランド民謡「ダニー・ボーイ」を歌った。これには、元アイルランド首相エンダ・ケニー氏も、元駐日大使のスキャネル氏も感激。

「お名前はエン(円)ダですが、お国ではユーロを使ってますね」と、深見氏のジョーク。深見氏は「さきほど、安倍首相からおめでとうございます”というお電話がありました」と紹介した。
ウィリアム英国王子からの祝電といい、「今日は予想外の光栄な日です」と、深見東州68歳のバースデーは最高の日になった。
平成最後のバースデー書画展を盛大に飾った深見氏。令和の新時代にも、きっと大きな花をたくさん咲かせるだろう。
『月刊TIMES』 2019年6月号
