第4章『人材マネジメント』の利用法
住吉大神の従業員選び
前の章で、ビジネス開運のマネジメントを解説したが、この章では、人材のマネジメントについて解説していきたい。これもまた住吉大神様が教えて下さったことである。題して「住吉の神様の教える従業員の選び方」。
私はいつも「中小企業に、いい人材なんか来るはずがない。だから、自分の会社にはいい人材がいないだとか、従業員の質が低いなどと、経営者は絶対に思わないように。思っても口に出さないように」と講演で話し、本にも書く。
繰り返してそのことに言及するのは、中小企業のマネジメントにおいて、それが非常に大切なことだからである。
優秀な者は大会社に行く。友達か、親戚か、一緒に会社を作った人以外は、何か問題があって来るのが中小企業の従業員だ。ランクを分けるとすると、やや問題あり、かなり問題あり、非常に問題あり、信じられないくらい問題が多いの四ランクである。それが中小企業に来るのだ。
会社が成長すれば、それにつれていい人材も来るだろうが、創業時は九十パーセント以上、社長の商売の才覚のみでやるしかない。
従業員の質がどうのこうのと考えないことである。従業員は水を汲んでくるだけでいいと思い定める。
「はい、もしもし、今社長にかわります」
ただそれだけでいい。
そのレベルで見て、少しまし、ちょっとまし、だいぶまし程度のクラス分けをするのは、まあいいだろう。
中には「このままじゃ、とうてい世間様ではやっていけないだろうなあ」という人もいる。そこを温かく迎え入れてあげるのが、中小企業経営者の「腹」というものである。
本人だって「やっぱり、ここ以外では働けないだろうなあ」という自覚を持つものだ。社長もそう思っている。
お互いがそう思いながら、五年、十年経つと、どんなに馬鹿な社員でも仕事を覚えていく。そこを信じて、このレベルからスタートしないと、とても中小企業というのはやっていけるものではない。
掘り出しものはそこにいる!
中小企業でも、応募や紹介で来た中から、選択できることもある。
ひとり欲しいところに三人来た。さてどれを入れようか。
どれも大したことない。大した事はないが、その内のひとりを選ばなくてはならない。
仕方がない、とにかく人手がいるからひとり選ばなくてはならない。
そんなときに役に立つのが、これから説明する「掘り出しものの発掘方法」、すなわち従業員の選び方である。と言っても、中小企業は大会社とは違うのだから、当然、従業員選びのコツも、大企業のそれとはまったく違う。
優秀な人材の中から選ぶ方法などではない。
ただ、最近の就職戦線は氷河期を通り越して超氷河期だから、中小企業にはチャンスである。
「明るく未来を展望する我が社」ならば、少々苦しくてもこのチャンスに乗じ従業員を大いに募集するといい。
とは言え、これはレアケースである。いつもと同じように、どうしようもない人間の中からとにかく選ばなくてはならない場合、掘り出しものをどうやって発掘するかが問題である。
人材面での住吉の神様の知恵はどういったものであり、私自身が普段どう心がけているのか、私のグループ企業内のことをご紹介しよう。つまり典型的な中小企業のケースである。
講演の中では実名を出して話すことが多く、最近はスターになりつつあるが、S君とN君というのがいる。
S君というのは兵庫高校を卒業して、実家の饅頭屋で働いた後、今では私のグループで幹部職員として働いている。文章は書けるし、仕事はきちんとしているのだが、どうも命令系統というものがわかっていなかった。
饅頭屋というのは言われたことをその場その場でやる仕事だから、組織の中での経験がないのだ。
それでも、それは何回も訓練していくうちにやがて覚えてきた。
N君というのは北海道出身。お父さんは大工である。
お父さんは家業の大工を継がせたかったのだが、N君はそれを嫌って東京に飛び出し、アルバイトをしながらカメラの専門学校に通っていた。
では、カメラの専門学校を出て、首尾よくカメラマンになれたかと言うと、世の中それほど甘くはない。
就職した先は電器屋で、そこの小僧さんをしていた。その後、客が一日に五~六人しか来ない新小岩の喫茶店の店長をし、さらにその後、煎餅屋の配送をしていた。
関東で言えば煎餅、関西で言えばおかき。だからN君の運転というのは、ライトバンでおかきを運ぶ感覚だ。
彼に車の運転を頼むと、私は、まるで自分がおかきになったような気分になってしまう。ブレーキを踏むときも、ギューッと踏みきってしまうものだから、最後にガックンと止まる。
「N君、赤信号のときはね、早目からブレーキを踏んでおいて、止まる寸前に、すっとブレーキをゆるめるとゆっくり止まるからね。踏みきるとガックンだからね。僕はおかきや煎餅じゃないんだから。天皇陛下を乗せてたらどうなんだろうかとか、せめてスティービーワンダーとか、沢口靖子さんを乗せてるつもりで丁寧に運転してよ」
二十七歳のときに私のところへやって来たのだが、いろんな職業を経験しているものだから、まことに重宝な面もある。
なにか電気器具が故障すると電器屋の小僧経験を活かして、「ん?」とひとこと、パパパパッと、すぐに直してしまう。
私の最初の秘書で もあったのだが、来客があると喫茶店の店長経験を活かして、コーヒー、紅茶やジュースをさっと作ってしまう。
しかし、礼儀は知らない、教養もない。およそ口のききかたも知らない。仕事も、お茶汲み、電話番、コピー取りといった、女の子がする仕事しかしないうえに、女の子がコピーを取りに行くと、やたら気安く声をかける。
とにかく苦情がくる。
「Nさんの前だとコピーしにくいんです。話しかけられて仕事が進みません」
「ねぇN君、君が一生懸命やっているのはわかるんだけれどねえ、女の子のするようなことばかりやっていてはだめだよ。男ってのは、最終的には会社でも組織でも、頂上を極めようという気概を持たなくちゃ。
会社で言う専務取締役以上になろうと思ったらね、財務がわかってなきゃいけない。財務がわからないと、専務取締役にはなれないんだ、普通は。
だから君、授業料を出してやるから、経理学校に行って経理の勉強をしなさい。簿記二級を取ること。そうしたら、組織の中枢が理解できるようになる」
「はい」
「N君、自分の金で経理学校に行くのと、官費で行くのと、違いがわかる?」
「はい、あの、自分で行くときには身が入るけど、公費のときは・・・・・・」
「そんなことはない。両方とも身を入れないといけないんだ。公費で行こうが私費で行こうが、行くチャンスに恵まれた以上、それだけ頑張らせていただいて、必ず合格しなければいけないんだー!」
「はい、わかりました」
「で、私費で行くのと公費で行くのとの違いは?」
「はい、必ず通らないといけません」
「そう、その通り!六か月で取るんだー!」
N君は中野の大栄経理学校に通い、六か月で簿記二級を取った。
「N君、簿記二級、よく取ったなあ、六か月で。よし、今度は簿記一級だ。頑張るんだ。簿記一級を目指していけー!」
ところがあるとき、私が彼の仕事部屋をガラッと開けたら、N君が椅子の上に足を乗せて週刊誌を読んでいた。
「N君、簿記一級の試験の傾向、変わったんだねえ。週刊誌の論旨要約出るの?」
「いえ、出ませんけども…」
「君、勉強してるんじゃなかったの?あ、こんなとこから試験出るの?」
「出ません、出ません、出ません」
「じゃ何やってるの?仕事を免除して勉強の時間を与えたからといって、真っ昼間か椅子に足上げて週刊誌を読んでるとは何事だ!もう簿記は二級でよろしい。一級を勉強する資格はなし!」
N君がフラフラとしてだらしないのは、とにかく学問がないせいである。顔が引き締まらない。そこで、
「N君、鏡見てごらん。自分の顔が馬鹿そうに見えるだろう。みんなそう言ってる。顔が引き締まらないのはね、きちんとした古典に書かれている素晴らしい言葉、深い知恵の文章がインプットされてないからなんだ。
お父さんが大工だから、しかたないと言えばしかたない。しかし君は、大工の跡取りが嫌だからって飛び出してきたんだろう?
僕の言うとおりに、まず「論語」から読んでいきなさい」と、新たな課題を課した。
「「論語」、どうだった?」
「「論語」はですね、ああでこうで」
それがことごとくポイントがずれている。
「おい待て。他の人の前でそんなこと言うんじゃないよ。一番後ろに解説があるだろう?あれをまず読みなさい。
解説を読んで、なるほどそうなのかとわかったような気分になって、それから本文を読めばいい。
君が読んだところで、解説に書いてある以上に理解できるはずがない。論語を読んでどうだったかと人に聞かれたら、解説のところに書いてあったようなことを答えればいいんだ」
「はい」
それが何冊も何冊も続いた。ところが十数冊になってくると、「N君、どうだった?」
「あ、今度はこういうところがいいと思います」
「お、なかなかいいこと言うじゃないか。ほーほーほー」
なんてことになってきた。さらに四年、五年とそれを続けていくうちに、次第に文章が書けるようになり、ものの理解力ができてきた。その昔に比べれば、顔も本当に賢そうに見えるから、学問の力というのは凄いものである。
饅頭屋だったS君も同じである。初めて会ったときに、
「一日三時間、最低でも三十分、毎日読書しろ。活字力、理解力、読解力がなければ、饅頭屋を続けても、饅頭屋チェーンを出すことすらできないんだ」
とアドバイスした。それを彼はずっと忠実に守った結果、今では私のグループのチラシなどは全部、彼が書いている。
他にも掘り出しものはいた。S君という美容師だった男の子。二十二歳でやって来て、二十五歳でもう仕事ができるようになり、今は総合法令で編集をしている。
もちろん、そういうふうに仕向けてもだめな人もいる。だが、ここに挙げた掘り出しもの諸君は、私たちのグループの幹部職員になったり、取締役になっている。
この諸君に共通したポイントは何かと言うと、全員、気のきい子だということである。気がきいていて、何でもすぐに実践する。そういうタイプの若い人間だったら、活字訓練をして読解力ができてくると、仕事ができるようになる。
頭の動かし方がわからなかっただけなのだ。勉強し始めると、知恵をどう使ったらいいかがわかり始め、さらに気をきかすから、どんどんどんどんのしてくる。
学校の成績というのも、大半はそこで決まってくる。高校卒業まで成績の悪かった子でも、あるふとしたきっかけで頭の使い方を理解し、ぐんぐん成績が伸びる子もいるのだ。教育とはそこが大切なのである。
そういう掘り出しものの人材は、実に楽しみである。
掘り出しものとは反対に、有名な学校を出た子でも全然役に立たない子がいる。そのような人材は「感慨」と「思い」と「大宇宙の感動」を込めて言わせていただければ、「全然役に立たない馬鹿」という表現があてはまる。
「学校で何してたの?」
「勉強」
「勉強って何の勉強?」
「ペーパーに書くこと」
実生活とか仕事では何もできない。だから書類整理をさせるだけ、要約をさせるだけである。この手は他の会社に行ってもだめであろう。
とくに中小企業というのは、理屈よりも先に実践しなくてはならないから、このような人材は箸にも棒にもかからない。
学校を出ている分、余計な頭脳が発達していて、かえって恐いものがある。
私は、そういう従業員も何人か抱えている。どういうものか、そういう人間は冬場になるとおかしくなってくるのだ。
経理のM君。
他の本でも書いた昔話なので省略するが、現金残高が少ないと社長の機嫌が悪くなるからと、二十数万円しかない現金残高を二千数百万円だと報告した人物である。
小切手手形でも切っていたらと思うとゾッとするが、M君は十一月とか十二月が危ない。春先は大丈夫だ。
彼は私の大学の後輩で、同志社大学経済学部卒で金融論を専攻、簿記一級を持っている御仁であるが、その俊才がそれをなさるのだ。
またこういうこともあった。
予備校の夏期講習で、上智大学のキャンパスを借りたことがある。上智大学は有料でキャンパスを貸してくれるのだ。
当然、上智大学から学校に「今月末までに使用料金を「お支払い下さい」という電話がかかってくる。
「おいM君、今月末までに上智大学の使用料を振り込んでくれ」
「はい、わかりました。これからすぐ振り込みます」
そう言われれば、振り込むと思うではないか。
ところが一年半後、上智大学からものすごい怒りの電話がかかってきた。
「いろいろな予備校に貸してますけども、一年半も振り込まずにのうのうとしてる学校はお宅が初めてです。もう二度と貸しません」
えらい剣幕で叱られた。我々はぽかーんとしてしまった。
「え?そんなはずはない。払ったはずだ」で、M君に問いただした。
「おい、あのとき確かに払っときますと言ったよな、どうなってんだ?」
「まだ払ってません」
「何で払わないんだ」
「振り込もうと思って上智大学に電話したら、「ああ、いつでも結構ですから」とおっしゃったんで」
「いつでも結構だと言ったら一年半も払わないのか」
「いや、その後とくに払ってくれとも言いませんので」
「相手は大学なんだよ」
「いや、いつでもいいとおっしゃった」
「いつでもいいって言ったら一年でも二年でも払わないのか」
「忘れてました」
「何で忘れたんだ、何で」
「単純にただ忘却というか、忘れただけでございます」
こういう従業員である。読んでいて恐いものを感じたのではないだろうか。
こういうことが、創業以来ずーっとあったのだ。言えばきりがないほどで、こちらも超能力が磨かれる。
何かあるんじゃないかという予知力が研ぎ澄まされる。朝、食事をしているときに、何か恐いものをピーンと感じて、ひょっとしてと電話をかけたら、危機一髪ということもあった。本当に超能力が磨かれる。
なぜそうなるかと言えば、M君は気がきかないのだ。そこが、掘り出しものとそうでない子との違いである。
では「掘り出しもの」クンはどうやって探せばいいのだろうか。「掘り出しもの」クンを分析していったら、結局、高校生活に大きく関連していることがわかった。
「掘り出しもの」クンはこうやって探せ!
我々が行う神事には規模の大きなものがある。
鹿島灘だとか伊勢神宮で開催する神事だ。
これを運営するチームがあるのだが、最初は運営のやり方を何も知らないので、私が第手取り足取り教えなければならなかった。
なにしろ運営スタッフといえば、ギタリストに手相家、図面書きが本職である。だから、祭事の段取りや準備のやり方は、すべて私が教えたのだ。
と言っても、私はイベントの専門家ではない。にもかかわらず、それができるのは、過去にそういったイベントや予備校の合宿を企画してきたからである。
祭事はイベントではないが、大勢の人を動かすという点では共通している。予備校では合宿というのはそれまであまりなかったのだが、思いきって始めて成功した。
それだけ大きな規模、何千人という人を動かす術をいったいどこで覚えたかと言うと、実は高校なのである。
高校に入った、その年のことだ。生徒会の選挙があった。同級生にMさんという賢くて可愛い女の子がいて、生徒会選挙には彼女が立候補することになっていた。なのに、なぜだか急に取りやめてしまったのだ。
困ったのは選挙管理委員の子である。体育の時間、校庭で輪になって集合したときに、切々と訴えた。
「立候補する人がいないと困るんです。クラスからひとり立候補して下さい」その子の懇願を聞いているうちに、全然その気持ちがなかったのに、
「手を上げろ!」という声が、腹の奥からわーっと湧いてきた。そこで、ぐーっと腹を下げて、
「いや、そんなことを言うな、んーっ」と抑え込んでいた。
「何、うずくまってるの?」
「いや、ちょっと」
「立候補する人はいないんですか?」
「おー、はいっ」
私はうつ伏せになりながら、腹から大きな声が出てしまった。
「あ、そんな馬鹿なことを」と考えているのだが、手だけは勝手に上がっているのだ。今にして思えば、守護霊様の神がかりである。
腹の奥で言ってることと、実際に口をついて出た言葉とがバラバラ。そのときは、いったいどうなってしまったのかと思った。結局、高一で行事委員長をやることになった。
その高校では、一年に一回の文化祭のときに、ファイヤーラリーというのをやることになっていた。
ところが、いつも時間や運営やタイミングがバラバラで、うまくいかなかった。二千人ほどの生徒をまとめきれなかったのだ。
それが前年からは、うまくいくようになった。成功した理由は、前々年から計画書をきちんと書き始めたこと。
中心はこれ、音楽係はこれ、材料係はこれ、生徒誘導係はこれ、門番はこれ、火を灯す人はこれ、道具係はこれと、何十項目というスケジュールを一枚の紙にして、秒単位で細かく計画書を作ったのだ。
その計画書を残しておけば、次の年にはそれをヒントに、進行を改善することができる。
それまでは先輩達が記録を残さなかったために、手順が継承されなかったわけだ。そのことに気がついて、前の前の生徒会長から記録を残し始め、前の生徒会長で、初め大成功した。
その行事の責任者である。私はまだ身長が一四一センチの高一だった。先輩からは叱られ、モタモタ、ウロウロしながらも、ひとつずつ覚えていった。それが、イベント管理のはじめである。
私の高校時代の思い出というと生徒会だ。選挙管理委員長になったり、何とか委員長になったり、生徒会のことばかりやっていた。二年生のときには、生徒会の委員を四つも兼任していた。
そのうえ、書道部の部長をやり、世界救世教の支部運営と神様ごとでも凝っていた。当然、勉強なんかできるはずもない。
二年生の一番最後に模擬テストがあって、すべての成績順位が、実名入りで発表された。それまでは学校もそういうことはしなかったのだが、生徒を励ましハッパをかける意味で、実名入りで発表したのだ。そのときに四百五十人中四百二十五番。真ん中くらいの成績で入学したのが、急降下である。
私はさすがに担任の先生に言った。
「先生、今までは勉強するほど暇じゃなかったんです、僕は。生徒会の委員を四つしてるんですから。それにクラブと神様ごとと、日曜日の新聞配りも」
なにしろ高二のころには、一年に四回、熱海にある世界救世教の聖地に参拝に行くんだと燃えていた。このあたりの思い出は、「金しばりよこんにちわ」(小社刊)という本に記した通りだ。高三になって、さあこれから勉強だというときにも生徒会のことをやっていたのだが、ひとつに絞った。そうしたら、模擬テストのたびに百五十番ずつ上がっていき、結局五十番くらいで卒業できた。
中学、高校時代に、机に座って勉強ばかりした人は、成績が良くて「一流大学」に行けたかもしれない。
けれど、その時代にクラスの委員だとか、クラブのお世話係だとか生徒会だとか、何かしら勉強以外の実際に体を動かすことをやらなかった人というのは、十中九・九、社会に出ても、会社に入っても、何も仕事のできない人である。
「掘り出しもの」クンを見分けるコツ
高校時代に、私が行事委員長となってファイヤーラリーをマネジメントし、二千人の人を動かした経験があればこそ、今、私たちが主催している大きなイベントも成功したのである。
そう言えば、ロイヤルアルバートホールでコンサートを開き、羽織袴を着て、八つ墓村みたいに応援団長をやったこともある。
世界の一流ミュージシャンが集ったこのチャリティーコンサートは、ビデオにもなっている(「アラウンド・ザ・ワールド」小社よ り発売)ので、ぜひご覧いただきたいが、あれのルーツは中学時代にある。
中一、中二、中三と応援団をやって、中学三年生のときには応援団長だったのだ。応援団長の身長が一四一センチ、副団長が一七六センチ。
その代わり「フレー、フレー」という私のボーイソプラノの声は、甲子園球場の隅々まで届いた。
余談ながら、西宮中学校連合体育会の歌は「みんな集まろう、グランドに、楽しい子どもの体育会、青い空には白い雲、手足を伸ばし一、二、三。明るい子どもの西宮」という歌なのだが、今でも覚えている。小学校の校歌、中学校の校歌、高校の校歌ともよく覚えているが、これは応援団をやっていたおかげである。
小さな応援団長だったが、一生懸命お世話していた。どうすれば応援できるんだろうかと考えていた。
話は戻るが、そういうふうに、クラブ活動だとかクラス委員とか生徒会をよくやって、そのために大学には行かなかったとか、あるいは二部だったとか、あるいは何回聞いても覚えられないような名前の大学だった、そういう人材が狙い目である。
中堅大学とか、その下の、世に言う三流大学、四流大学、あるいは二流大学の二部、一流大学の中退、そういう人はあまり大企業には行けない。
二流大学の中退とか、三流大学の大学院崩れという変化球も中にはあるが、要するに、そういう人たちが中小企業にやって来るのである。
そういう人たちの中から「掘り出しもの」クンを拾い出すコツは、一流大学になぜ行けなかったのかを聞いてみることである。
高校三年生まで文化祭の委員をしていたとか、一生懸命クラブのためにやってきたとか、生徒会をやってきたがために、大した大学に行けなかったとか、専門学校に行ったという人は「掘り出しもの」である。
そういう人に実務をやらせたら、てきぱきと仕事をこなすだろう。仕事の段取りもできれば、責任ということも理解している。そのうえチームワークもできる。実務能力に優れた人材であろう。
風紀委員、美化委員、給食委員、体育委員、文化祭実行委員、いろんな委員がある。
受験勉強にだけ励む他の生徒に「わーっ」と拍手されたり「やれよ、やれよ」とそそのかされて、嫌と言えない性格、私はその典型だが、頼まれれば、「イヤと言えないこの性格が、僕の不幸の始まりだ」と言いながら、またしてもやってしまう。
そういう性格の人間は、目下から頼まれたり、目上から責任を持たされて「やりなさい」と言われたら、最後までやり遂げることのできる人間なのである。
学歴はないかもしれないし、途中でだめになるかもしれないけれど、そういう人間を抜擢して、励まして、何か仕事上の責任を与えると、めきめきと実務処理能力が伸びていくものである。
成績だとか学力なんて、勉強の仕方、頭の動かし方がわからなかっただけのことで、そんなものは、とにかく少しでも活字が読めるような方向へ持っていってやれば取り返せる。
「一緒に勉強しようや」でもいい。運営とか組織とかチームワークとか、もっと大事な頭が、体が動いている。
反対に、きちんとした大学を出ているのに、中学高校時代に勉強ばかりしていた人というのは、デスクワークは良くて、頭では理解するのだが、いざ仕事になると何にもできない。これはもう何かが欠落した人間である。
そんな人間が一流会社ではねのけられて、流れ流れて中小企業にやって来る。
そのときに、いい学校を出ているからと雇ってしまうと、大変な目にあう。専門学校出の、気のきく子のほうが、よほどいい。
中小企業の力となり、将来の幹部となり、取締役となり、後継者にもなれるような要素は、高校時代に培われるのだ。
高校で冴えなかった人というのは、だいたい、人生冴えない。
と言うのも、だいたい十六歳くらいのときに、前世の御魂が顕現するのだ。十二、+三、十四というのは子ども。十四、十五くらいで自我の目覚めが出てくる。
高校の一、二年くらいが最後の反抗期。体も発達して、記憶力も一番いいときである。悩みがちな青春時代の幕開けだ。
「十五、十六、十七と、私の人生、暗かった」
「夢は夜開く」なんて歌、若い人は全然知らないだろうが、「自分はいったい何なんだろうか」と、何か物憂い時期である。物憂いけれども、何か産み出してくる。自我の目覚めのときである。このころというのが、その人間の御魂の前世の自分が出てくる時期 なのである。
自我の目覚めとともに、人格が形成される時期でもある。その時期にボーッと過ごした人というのは、一生ボーッとした人で終わるだろう。この人格形成期に、生徒会委員だとか、クラブの部長だとか、ボランティアで頑張ったとか、ボーイスカウトでリーダーになったという人は、そういう人格ができあがるのだ。
つまり、できあがった人格として、仕事がよくできる。手早い。段取りができるということなのである。考えてもみてほしい。段取りができる人でなくては、仕事を任せきれるものではない。
そこを見ていけば、掘り出しものの発掘ができるのだ。
「高校時代は?」
「はい、暴走族やってました」
暴走族でもリーダーならいいのだ。
「仲間を束ねて、殴り合いして、負けて、今度はどうやったら勝てるかと考えて、次には技術開発して勝ちました」
暴走族出身と言えば、私たちのグループにもE君というのがいるが、大いに結構だと思う。
暴走族だろうが何だろうが、人の下で文句ばかり言う人間はだめだ。暴走族だったと言うのなら、どういう暴走族だったのか、暴走族の中での人となりを突っ込んで聞いてみるといいのだ。
そこに、リーダーシップを持ったり、責任を持ったり、チームワークを持ったりして、頑張ってきた、自分のことよりもみんなのことを先に考えてやってきたという、実行の足跡のある人ならば、その人は絶対に、掘り出しものに違いない。
人格形成時期に、そういうことに苦労して出来あがっている人物なのである。そこが空虚だった人というのは、学歴だけは立派、頭はいいかもしれないけど、実際に使ってみたら役に立たないということになる。
もっとも、高校時代に勉強だけ、勉強さえすればいいと考えて勉強した人はまだましかもしれない。
その勉強さえせずに、本当に何もしなかった人間というのもたくさんいるのだ。これはいただけない。これは採用を考えないほうがいい。
こういう人物をBCマンと言う。すなわち紀元前の方である。
ADマンとBCマン。BCマンは論外として、ADマンから選ぶポイントが高校生活である。高校生活もできていて、なおかつ大学もきちんと出てきた人というのは、本当にリーダーシップもあり、組織の中で活躍でき、段取りも実践もできて、そのうえ頭がよく、理解力があって伸びていく。
そういう人間が、やはり、大企業でも中堅企業でも、トップに立っていく人である。
中小企業後継者の育て方
私たちのスタッフに帰国子女が何人かいる。
経営者として彼女たちを見ていると、日本の教育というのは、欧米に比べるとまだまだと思えてしまう。
彼女たちに聞いたところでは、オーストラリアとかアメリカでは、いわゆるクラスというのは、十五分間くらい出席を取って終わりということだ。
あとの授業は、それぞれの科目の教室でやるのだそうだ。
風紀委員だとか給食委員、美化委員、あるいは文化祭の実行委員とか体育祭の実行委員とか、そういった集団生活をリードする役割というのはないそうである。
生徒はみんな、それぞれ個別に先生とのつながりでやっている。友だちどうしが集まってパーティーをしたりはするのだが、それも個人的な関係で、集団生活とは関係がない。
唯一、集団的な活動というのはスポーツクラブである。スポーツクラブのキャプテンというのは、人を束ねたりするような、責任とかリーダーシップとか、そういったものを身につけることができるのだろうが、それ以外、基本的には、学校の中にそういうシステムはない。
そのせいか、帰国子女というのは、個別に言われたこと命じられたこと、そのこと自体はできるのだが、全体として仕事を把握する能力に欠けている場合が多い。
みんなとのチームワークを保つ能力がなかったり、命令系統の中でどういうふうにしていけばいいかがわからないのだ。
中にはできる人もいるのだが、そういう人の場合、家族にしつけられたり、体育系のクラブ活動を運営した経験を持っていたりする。
つまり、学校以外のどこかで、チームワークとか組織の学習をしているようである。
欧米の場合、アジアの国と比べても、そうした学校教育が足りていないのは事実であろう。
日本でも、そういった面での学校教育が足りないと言われる部分はあるのだが、欧米やアジア各国に比べれば、立派なものである。
確かに、日教組がやっている教育というのはゆがんでいるとは思うのだが、会社人になるということを考えると、今の日本の学校教育の、そういう面は大変にいいと言える。
男性でも女性でも、日本国民の大多数はそういう教育を受けた人である。
その中でも、高校時代にきちんとやった人は、会社とかチーム、組織の中で、かちっとした組織力、チームワーク、会社人としての素質、才能、能力を学んでいる。これは日本の教育のいいところだと、私は思う。
中小企業のオーナーというのは、後継者問題に悩みがちである。
しかし、悩む必要はないのだ。日本の教育のいいところをフル活用すれば、自然と後継者は育ってくる。子どもは大学に行かせなくてはならないのだが……。
「お前はちゃんとした一流大学に行かせたい。だから、他のことは考えなくてもいい。とにかく勉強せい、勉強せい」
勉強させて一流大学を出ても、いざ自分の会社の後を継がせようと考えると、全然だめというケースをよく耳にする。
それは、高校時代を怠けたままに過ごしたせいなのだ。中小企業のトップというのは、どういう人物像だろうか?自分を振り返ればよくわかるはずである。
「従業員、それーっ、三三七拍子でいこうーっ」
これである。「勉強をしろ」と言うのも必要だろうが、
「クラスの委員をやりなさい」
「生徒会に立候補しなさい」
「応援団に入って、応援団長になって、みんなをそれーっと励ますような人間になりなさい」と言うことのほうが大切なのだ。
組織運営していく能力、人格を身につけるためには、結局のところ、中小企業オーナーの息子は、中学時代、高校時代、生徒会の委員を務めるか、運動クラブをやるか、クラブでもお世話係を率先してやったほうがいい。
会計係でもいいし、書記でも何でもいい。学校のために生徒会をどう運営するのか、文化祭をどうするのか、体育祭をどうするのかと考える癖をつける。
生徒が礼儀正しくないから、こうしなきゃいけないだとか、夏休みの宿題は早く出そうよという運動をするとか、夏休みに盆踊りを企画しようなんてことでもいい。
「みんなにこういうふうに言おうよ」、ああでもない、こうでもないと、企画し、運営し、実行し、そして後片付けする能力を身につける。
これこそが、会社経営の勉強である。そういうことを、中学、高校時代に、親がチェックして経験させてやらないといけない。
もっとも「息子も四十ですから・・・・・」と言われては「ハイ、そうですか」としか言いようがないのだが、まだ中学、高校であれば、すぐにやらせたほうがいい。
それが日本の教育のいいところである。中小企業オーナーの後を継ぐために必要な教育システムは既にできている。
ところで大企業の場合は別である。大企業の後継者というのは、そこにいる誰を選ぶかの問題である。大きな会社では、どちらを向いても、皆ご自分で立派になっている。育てるなんてレベルではない。
中小企業の場合、同業者の友人のところに、三年ほど預かってもらうということもやるが、それでも「だめだねえ、お宅の息子は」「いや、俺もそう思うさ」というのが普通であろう。
どこでだめになったか。中学、とくに高校時代に問題があるのだ。組織力やチームワークの学習をしていないせいである。
しかもそこで人格が固まっている。組織力やチームワークの学習ができていたら、たとえ紆余曲折があったとしても、必ずいい経営者になることができるのだ。
住吉の大神様が教えて下さった人材に関するマネジメントの方法である。
高卒の巨匠たち
FM山口、FM岩手、FM山陰、FM石川、FM沖縄、FM三重、KISS・FM (神戸)でネットを組んでいる私の番組「さわやかTHIS WAY」のゲストに、あるテザイン事務所の社長がやって来た。
どういう人かと言うと、JR九州の列車のデザイナーとして、今一番話題を呼んでいる人。JR九州の列車を真っ赤にしたので有名な人である。 JR九州の列車は、「昆虫みたい」
「ダースベーダーの部下みたい」
と評判である。「スターウォーズ」に出てくる悪役がダースベーダーだが、その部下がメタリックなマスクをしている。
そんな印象の列車なのである。中の椅子も形が変わっていて、赤やブルーや緑を使った色彩豊かな椅子である。
そんな椅子がいくつもいくつも並んでいる。子どもたちはみんな、これに乗りたがるそうである。
列車の中に展望台のようなものもあり、そこでビールを飲みながら車外の風景を堪能することもできる。とても楽しい列車だ。
列車のウェイトレスの制服やウェイトレスが運ぶ台車も、その人のデザインだ。それだけではない。九州と韓国を往復するJR九州の高速船のデザインもし、今はJR九州の駅舎のデザインもしている。
そのうちに都市のデザインもするんじゃないかと言われている。
そういう有名人にお目にかかったら、「銀河鉄道999」の鉄郎そっくりであった。
鉄郎が眼鏡をかけていると思えば間違いない。さらに言えば、「男おいどん」という松本零士さんの漫画に出てくる顔そのまんまである。
「列車のデザインをするだけに「銀河鉄道999」の鉄郎そっくりですね」
「そうですかあ」と笑った顔が、まさにそっくり。
「赤が、きれいな金赤を使ってらっしゃいますね」
業界用語で金赤という色なのだが、それを指摘すると、向こうが驚いた。
「金赤という業界用語をよくご存じですね」
「私も文房具屋をやってましたので」
「文房具屋もやってらしたんですか、ラジオ以外に」
「色々やってまして」
金赤というのは要するにベンツの赤のような色だ。あの赤はイタリアンレッドと言って、赤の中に少し黒が入っている。イタリアの赤と言えばフェラーリだが、赤の下に少黒を引いて、赤を塗る。あるいは赤の中に少し黒を入れる。
すると、おしゃれな赤になるのだ。見たところシックなんだが、遠くから見ると「真っ赤」という色。それが金赤だ。
もう少し色の話をすると、イタリアのホワイトというのは、普通のホワイトではなく、ホワイトの下にうっすらとブルーが引いてある。
または白の中に少しブルーを入れてある。すると、いかにもおしゃれな感じの白になるのだ。それがイタリアンホワイト。
私は時計のデザインをしていたときに、イタリア帰りのデザイナーにいろいろ聞いて勉強をしたのだ。そういう話をしたら驚いた様子で聞かれた。
「何でそこまでご存じなんですか?デザイン方面の方なんですか?」
「デザインといっても、人生をデザインしてます」
その人がデザインした列車は、乗客が百五十パーセントに増えたそうである。「スピードが必要な人には新幹線がある。もっと早いのは飛行機。ローカルな列車は速度を求められているわけではない」という考え方で、遊び感覚と楽しさをどんどんデザインしたわけだ。
列車の改装を頼まれたのが始まり。そのときに列車を真っ白に塗ってしまった。真っ白の列車というのは、それまでなかったそうである。真っ白の列車を最初に提案したときには反対されたようだ。
「なぜ白じゃだめなんですか?イタリアでは列車は白と決まってますよ」と、一つひとつ論理的に検証していくと、要は、ただ根拠もなく昔からそうしているだけだということがわかった。
「白でだめという理由がないのなら、いいじゃないですか。目立ちますよ。森の中に、緑の空間の中に、白ってのは合いますよ」で、思い切ってやったら大評判。
今では、白の電車がいくつもできたらしい。それじゃあと、今度はJRの船のデザインを頼まれ、さらに新しい列車のデザインを頼まれ、さらにそれが評判いいからとついには駅のデザインを頼まれて、デザイナーとしては大成功を納めている。
「プレゼンテーションしたら聞いてくれて、実行してくれたJR九州も偉い」
と言っていた。私はJRを民営化した中曽根さんが偉いんじゃないかと思う。民営化なくして、JR九州のこの決断はあり得なかっただろう。しかしもっと偉いのは、やはデザイナーである。「こうだ」と思い込んでいる人に、「別にそれじゃなくてもいいじゃありませんか」といって納得させる説得力があったわけだから……。
ちなみに、その人は大学を出ていない。実家は岡山の家具屋である。
お父さんの手伝いをして、小さいころから家具の設計をしていたらしい。箪笥とか椅子、家具の製造をしていたのだから、列車の中のインテリアがわかっても不思議はない。
しかし列車のデザインなんかは、まったくの素人だったのだ。しかし、とにかく自分の章感覚で論理的に提案してみた。だめだと言われても、なぜ決まってるんですかと追求していったのだ。
その発想のもとになったものは何だと思われるだろうか。
イタリアである。家業のプラスにしようと考えたのか、あるとき親が、「お前、イタリアに行ってこいや」
ということになった。一年半、ミラノでブラブラ遊んでいたのだそうである。もともと絵が好きだったので、ブラブラしながらミケランジェロやダ・ヴィンチを見ていた。
ミケランジェロは、日本ではヴァチカン宮殿の「最後の審判」で有名だが、そもそもは彫刻家である。むしろダ・ヴィンチと同じく領域のない芸術家だ。
「最後の審判」を描かなければ、家族の命は保障できない。ちゃんと描いたら、家族の安全は保障する」と、家族を人質に捕られて無理矢理、嫌々描かされたのが「最後の審判」だ。
ミケランジェロの実像は、絵も描き、彫刻も造り、ヴァチカン宮殿の設計もすれば洋服のデザインもしたマルチデザイナーなのである。
中途半端に大学で勉強した人は、ミケランジェロは偉いんだ、天才なんだと思ってしまう。そして、ミケランジェロの一部分の模倣で終わってしまう。
そこが、この人と最も違うところである。領域のないミケランジェロのやり方を「そういうもんかいな」と見て、「そういうもんだ」と思って、自信を持って、ミケランジェロのやり方をそのま応用した。
その結果、次々次々と、前例のないことでも提案して、斬新なものの考え方を盛り込んでいく。子どもや大人や、乗客の気持ちになって考えた設計だから、もう本当によくできた楽しい設計である。
この方は鉄道関係者の間では、大変有名な人である。中途半端な大学を出ずに、一年半イタリアで勉強し、自分でデザイン事務所を経営して、顧客の気持ちになって仕事をして大成功している。
この人の成功にはポイントがふたつある。
「ひとつめは、どんどん提案したらいいということ。
きちんと文章を書いて、具体的な考えをどんどん提案したら、それを聞いてくれる人もいる。
こういうものなんだと思い込まないで、どんどんプレゼンテーションする。「ふたつめは、巨匠を模倣してなりきるということ。
中途半端に勉強した人間は、巨匠を「偉いもんだ」と思って思考停止してしまう。自分とは異質の天才だとでも思ってしまうのだ。
しかし、子どもみたいな気持ちで、「ミケランジェロ、ダ・ヴィンチもそうだったしなあ」と、自分もそういうふうになりきっ次々挑戦にしていく。
巨匠に感化を受けたら、そのまんま信じ込んでしまえばいいのだ。だからこそ、列車から船から駅のデザインからウェイトレスの制服まで、何でもやる。何でもできてしまう。
何回足を運ぼうと、とにかく実行していくことが大切である。
番組の収録が終わった後、その人がこう言った。
「実はね、僕は大学出てないんですよ。実家が家具屋なもんですから、工業高校で工業デザインを勉強してたんです」
私はこう答えた。
「それがいいんです。大学に行かずに成功した人はいくらもいます。例えば」と、高卒の巨匠論議になった。
例えば、デザインの巨匠・横尾忠則さん。何回かお目にかかったが、横尾さんも高卒である。川西高校を出て、そのままデザイン事務所に就職した。仕事の中で磨いていって、作品が認められ、コンテストに入賞したりして、「横尾忠則」になったのだ。
横尾さんにうかがった話の中で面白かったのは、油絵は面倒臭いという話である。描くのが面倒なのではなくて、評論家が面倒なのだと言う。
「デザインの場合はクライアントがOKと言えばいいのだが、油絵になると評論家がいる。作品作りは評論家に応えるものじゃないといけないから、そこが難しい、面倒臭い」と。
もうひとつ、横尾さんの作品には徳用マッチのデザインみたいに、必ず黄色の光がピカーと出ているのだが、そのことをこう言っていた。
「何の意味もないんです。何か知らないけどパッと黄色を入れてるだけなんだ。そうすると、人は何か意味があるんじゃないかと思うでしょ。
それがいいんですよ。見る人に考えさせようと思ったら、やる人は何も考えちゃいけない」
横尾忠則さんも高校出の巨匠である。さらに故池田満寿夫さん。
あの天下の池田満寿夫さんは東京芸大を受験して三回失敗した。
普通ならば「もうだめだ」と思うところだが、池田満寿夫さんはそこが違う。「僕とは意見が合わないんだ」
と、明るく自分の作品に自信を持って、とにかくやり続けてビエンナーレで入賞して「池田満寿夫」になった。東京芸大を出た人はそれこそ掃いて捨てるほどいるが、版画の世界でも何でも、池田満寿夫さんみたいに売れた人はいない。
美術だけではない。芥川賞も取った高卒である。
池田満寿夫さんにも何回かお会いしたが、相手の何かを吸収する魔力を持っているような感じだった。
それに対して、横尾忠則さんは本当に人柄のいい人だ。
ピラミッドだとか霊界だとか言うものだから、奇妙な目で見られているが、非常にいい方である。もっとも、私にとってはピラミッドも霊界も、親しみのあるジャンルではあるが。
その人にとっては、横尾忠則さんなんていうのは、憧れ中の憧れの巨匠だそうだ。
「あなたと同じです。高校を出て、そのままデザイン事務所に行ったんです」「池田満寿夫さんも、横尾忠則さんもそうだったんですか」
「そうですよ。だから斬新なものが出る。中途半端に大学を出て、知識があると、巨匠に恐れを抱くんです」
経営者で言えば、大会社に恐れを抱いて、自分は高校出だし、中小だしなんて思った委縮していい仕事ができなくなる。大成功もない。
どうだろうか。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロの一年半のブラブラがあればこそ、今までの日本のデザイナーにないようなものが生まれた。
若いときにブラブラ人間、これは歳をとったら生きてくる。ブラブラの自分の息子は、そのままブラブラ風来坊のような一生に終わってしまうかもしれないが、若いときのそういう経験が何かで花開くかも知れない。
「自分の解釈、自分の規模、自分の学歴だとか、そんな矮小なものは振り捨ててしまうことである。
巨匠だとか歴史だとか、中途半端な勉強をしないで、勉強したとしても忘Ⅳて、自分のド素人の発想をどんどん出して、どんなものでも提案して、割り込んでいって、仕事をもらって全力を尽くしているときに、才能とか能力とかいうのは、自ずから磨かれるのである。
中小企業のデザイン事務所の成功とは、どんどんプレゼンテーションすることにあった。
コンテストに出さなければ入賞もない。芥川賞もらおうといったって、作品を発表しなければ芥川賞ももらえない。
だから、どんどん応募する。発注者があれば、どんどん仕事も受ける。チャンスがあったら、それがどんなに大きな相手でも、既成概念にとらわれずに、積極果敢にトライをする。
プレゼンテーションする。そうやっていかないと、会社の新しいジャンルの開拓というのは、なかなかできるものではない。大きな会社、学歴優秀な方、歴史と伝統のある会社に負けずに成功してる人がたくさんいるのだから、大いに勇気を持って頑張る。
どんな事業計画書もプレゼンテーションも住吉大神の働きとお導きがあれば乗りこえられるのである。
そして説得力も住吉大神の説得である。ただ、住吉大神様にご祈願するだけではいけない。
実践、行動する努力がないと神様のご守護は顕現しないのだから、大いに頑張って、トライアルに次ぐトライアル、挑戦に次ぐ挑戦で事業を発展させていただきたい。
