【第一部】情熱力と精神力について(昭和60年6月30日)
陽の精神力である「情熱力」
【深見先生】 今日は皆様に、「情熱力」という精神力のお話をしてみたいと思っています。
皆さん、この精神力と言いますと、どういうことを頭に思い浮かべますか? どんなシビアな時でも辛抱して頑張り通したとか、まったく寝ないで徹夜で頑張ったとか、あるいは、一日に二十枚も三十枚もの絵を描いたとか……、そういう頑張りを思い浮かべませんか? 登山で遭難して、飲まず食わずで、山の中に三十日間も生き続けて生還したとか、船が難破したときの漂流記というものもあります。
精神力といっても、いろいろありますね。
スポーツ、学力や勉強のことにしましても、「俺は、とにかく精神力で立ち向かったのだ!」と。 往々にして、なにかハードな状態の時に「辛抱したのだ!」というわけです。忍耐して頑張った状況を見たときに、どちらかと言えばこの「精神力」という言葉が使われやすいのではないでしょうか。
でも、このストイックに支えてきたというマイナス的な精神力ではなく、プラスのほうに自分を持っていく、そういう精神力だってあるはずです。 陰陽に分けていうなら、陰の精神力ではなく、陽の精神力ですね。そういうものがあるのだということを、これからお話したいと思っております。 それが「情熱力」という精神力ということです。
「情熱力」とは具体的には、どういうことかと言いますと、一人の人間が、例えば100の力を持っていたとして、往々にして普通の人は一つの物事について、 どこまでもグーッと追求していくのが通常です。そういう人のほうが多いと思います。つまり、一つのものをやり通す人は結構いるわけですね。
こういう人は、絵だったら絵、音楽だったら音楽、本を書くなら本を書く。
仕事をするなら仕事をする。
ガーッと突っ込んでいく人というのは、一つのやるべき事がありましたら、 あるいは「こっちだ」と指示を受けましたら、そこにグーッと集中していきます。全身全霊をそこに傾けていくわけです。人間というのは、ある程度、 それはできるわけです。
ところが、そういう人の弱点は「これ、やらなきゃいけないけれども、あれもあるよ。また、別のこれもしなければいけないよ」という状況になったとき、果たして対応できるかどうか…なのです。
例えば、仕事で一つの事をやってきましたが、やがて管理職になりますと、その課としてのノルマも果たさねばなりません。部下も育てなきゃいけません。 同時に家庭では息子が生まれたりしまして、それを何とか教育しなきゃいけない。親戚に不幸などがありますと親戚問題も出てきます。
そういう意味で、息子の教育、親戚問題、 それから仕事のこと、それから職場の後輩の育成のこと……と、幾つもの顔を任されたりしますと、「ああ、あれもしなければいけない、これもしなければいけない」とパンク状態になってしまう。本人としては一つのことに集中したいのだけれども、どうしても別のこともやらなきゃいけない立場になってくるわけですよ。
例えば「カシオペア」の野呂一生さんですと、作曲家としての創作活動だけではなくて、家族を養っていかなければいけない、「カシオペア」という音楽グループの統制もやっていかなければいけない。
そういう事が出てくるわけです。
そういう時、人はどういう状態になるかというと、こっちに集中しようと思ったら、あっちは疎かになる。そこで、「そうだ、あっちもやらなきゃ」と思ってやると、今度はこっちが疎かになる―、そうなります。「あちら立てれば、こちらが立たず」 で、結局どちらにも集中できないということで、大いに苦しんでいる場合もあります。 そういう状態に陥る人は、 非常に多いのではないでしょうか。
「どちらも、いい加減にやればいい」と思っている人はどうってことないです。
そんな人は最初から別に苦しまないでしょう。けれど、「一つの事を深く、深く、どこまでもやるんだ」という真摯な人は、一つに集中できない状況に立ったとき、苦しむわけですね。
あるいは苦しむまでいかなくても、非常に困惑してしまうわけです。「困った、困った」というわけです。「こっちのことをやったら、あっちが足りなかった」「あっ、今度はあっちだと思ったら、こっちが足りなかった」。
そして 「こんな二つの事、 いっぺんにはできない!」と、困っています。それが三つになりますと、「とても、三つもできない!」。
四つなんかなりますと、これはもうパンク状態です。どれもこれも中途半端になって、「ああ、オレは情けない」と嘆き、呻吟して、「こういう状態、いったい、どうすればいいんだ」と悩むことになるわけです。
皆さん、いかがでしょうか。
私たち人間の生活の中では、こういう状況は多いのではないでしょうか。特に一分野におけるスペシャリティ、例えば音楽家とか手相見とか絵描きとか、あるいは一つの仕事を深く深くやっている職人的な感じの人とか技術者とか・・・・・・、そういう人たちは、こういうような状況に悩んでいる人って多いのではないでしょうか。
そして、「どうしたら、いいんだ」「どうすればこの悩み、解決できるんだ」 と苦しんでいる。 「こんなことじゃあ、すべてをなくしちゃうかもしれない」 と、焦っています。
やがて悩んだ挙げ句、どう考えるかといいますと、10の実力がある人でも、 あっちもやり、こっちもやりじゃ、もうどうも中途半端で、どっちつかずになってしまうということで、一方のことについては「もうやめちゃえ!」 となります。
自分はこの一つだけに専念して、 これとこれとこれは人に任してしまおう、というわけです。「もう、やめた。自分はこの事だけに専念する!」というわけです。
確かに、そういう考え方もいいのかもしれません。
けれど、他人に任せたら任せたで、やはり気に掛かります。「僕がやるんだったら、ああやるのになぁ」 と気になってしょうがない。
そもそも物事に凝る人というのは「僕だったらこうやる」という強いこだわりがありますから、人に任せきりですと余計にハラハラするものなのです。
ですから、任せたら任せたでポイントのところは自分で押さえてやって、その点だけは自分が専念するとか、そういう対策を講じたりもします。
いずれにせよ、選択して「これだけは自分が・・・・・・」というようにするわけです。
しかし、それができる間は、まだいいのです。もっと切羽詰まって 「責任上、どうしても、やめるにやめられないから、自分以外の人に任せることはできない」
「どうしても責任上、これができなかったら大変なことになっちゃう」「これも、これも、そしてこれもやらなきゃ、駄目になっちゃう」というように、「もうどうしても、やめられないんだ」という立場になった人は、非常に 苦しいでしょうね。
そういう時、その苦しみを解決するために、 どういうふうに精神性を高め、精神力を持ち、自分自身の内面を変えて、前向きに進歩発展的に立ち向かっていくか、これが本日の講義のテーマなのです。
いかがでしょうか、皆さん。こうしたテーマに興味ありますか?
私たちは、仕事はしなければいけないし、御神業もしなければいけないし……。
ここにお集まりの皆さんは、もちろん御神業はしなきゃいけません。
御神業はもちろんですけれど、日常の仕事もしなきゃいけないし、結婚のことも考えねばならないし、家庭のこともあるし……。
「あれもあるし、これもあるし。しかし全部の事はできないし。かと言って、全部の事をキチンとやりたいし…」でしょう?
分かったような分からないような状態になって、フラフラ、フラフラと迷っているという、そんな感じじゃないですか。 いかがでしょうか、皆さんの精神状態は。
自己のパワーレベルは増大できる
では、どうすればいいのか…ということです。
これ、普通の発想では、状況は変わりません。いくら常識的に横配列の思考で考えても、駄目なんです。 ですから、ちょっと考え方を変えてみましょう。
まず、たいがいの人は、自身の実力について、「自分は10である」「自分っていうものはこれだけのものだ」と限定しているのですね。
だから、「こっちに8の力を投入したら、こっちには2しか注げない」 と、決め込んでいるわけです。
一つの事に全精力を打ち込みたいという人だったら、もうこっちは0になってしまう、というわけです。 二方面に責任があるなら、一般的には10の力を、こっちに5、そっちに5で等配分しますね。
三つのことををやらなければいけないなら、3、3、3というふうな配列になります。
これは、本人の意識が「自分のパワーのレベルは10である」というところから、変わらない限り解決されません。やる事が多くなければなるほど力は分散されますから、何かに集中しようと思えば、どこかの部分は捨てなきゃ
いけない。でも問題は解決できない。
ではどうするか。
まず、「私のパワーレベルが10だ」というものを、やる事がもし三つになったら、持っているパワーを30にしたらいいんです。
本人のパワーレベルが30になりますと、それぞれ、 こちらに10、そちらに10、あちらに10と力を注げますから、今まで一つの物事に力を注いでいたのと同じことが、 同時に三つできるわけですね。
この際ですから、さらに発想を変えて、パワーが100だった自分が、三つの事をしなきゃいけない場合、もし60の総合力の自分に引き上げたとしますと、一つの事に20ずつの力を注げて、20の成果が出てくるわけでして、そうすると、これまでやっていたように10の力で一つの事をやったよりも、それぞれが二倍ぐらいの成果が出てくる。
このように、本人の全実力を60ぐらいにすればいいわけですよね。
こういうふうにやっていけば、問題は解決するわけです。仕事が増えたことによって、かえって人間自身のパワーというか、許容力が大きくなるわけです。
そのように、自分の器を大きくすればいいわけです。
そのためには、人間の気持ちを集中せねばなりません。
何はともあれ、一つの事に没頭することを「集中する」と言うわけですから、三つの事に没頭するってなかなかできないわけです。
それをどうしたらできるかという難題を解決しようというわけです。まず基本条件は、一つの事に集中できる自分を作ることからです。
たった一つの事にも集中できない人は、これはお話外の人です。 なにか一つの事を、集中してやっていただかなければ、私のこの話の土台にのらないわけです。 最低限、一つの事に集中できる人が、やる事が増えたので困っていて、ではどうするか、というのがお話のテーマですから。
つまり、一つの事に集中することはできるのだけれども、幾つも幾つもはできないという人の抱える悩みということです。
自分の持つ責任が増え、自分が大きくなってきたとき、実力の頭打ち、人間としての力の頭打ちが往々にして発生する、その状態をどう脱却するかというテーマなのです。
さて、一つの事に向かうための集中力は持っている。そして、10の力が60ぐらいになればいいわけだということも分かった。
でも、そう分かっておりましても、「じゃあ実際、 そのためには、どうやって心をそこに向けていけばいい のか」となりますね。
この問題について、どうすればいいのかと申しますと、この事柄に、その事柄に、あの事柄に……と、集中していくわけですが、この「事柄」ということで考えていますと、やはり気が分散するんです。
例えば、三つの事でしたら、「三つの事を一つとしてやるのが神業なんだ」 と考えます。三つの事に増えたって、その事を、以前のとき以上にやるのが、私たちの神業なのだと考えるのです。あるいは一般の人たちの言葉で申します と、三つの事を全部やるのが自分の修業なのだ、ということになります。
三つの事を一つにまとめまして、 川喜田二郎氏の「KJ法」じゃありませんが、三つの事を一つにまとめて、10の力を前以上に、たとえば20にする。
そうすれば、実力は600になります。 以前にやっていた時よりも人間を大きくすればいいんだというふうに考え、物事を一つまとめにし、そのまとまった一つをやるのが修業なんだと決心する。
そういうふうにして、一つの事に集中していくのです。
三つの事を、一まとめで、前以上に全部やりきる自分を作るのが自分の修業なのだ、と得心する。
四つに増えましたら、四つの事をひっくるめて全部やり通して、しかも前のとき以上に良い結果にするのが自分の神業なんだ、と。
これが五つになりましたら、五つのことを全部やり通すようになるのが自分の修業なのだと、やはり思わねばいけません。
そこにこそ御神業があるわけです。やる事が増えれば増えるほど、やらなきゃならない責任が出てくれば出てくるほど、「それを全て、一つも疎かにせずにやれるような自分になるのが、自分の修業なのだ」「増えるほど一つにまとめて、これを全部やりこなすのが自分の修業なんだ、 神業なんだ」と心得て一つの事に絶えず集中する。
一つの事柄、また一つの事柄というように別々に集中するのではなく「まとめた一つの事をやりこなす自分を作るのだ」という思考に絶えず集中する。
そうしておりますと、全部やりこなすことのできるような人間になってきます。
これを別の言葉で言いますと、本日のパート1のテーマである「情熱力」ということになります。
この情熱が、音楽なら音楽にワーッと燃えるなんていうのも情熱ですし、絵を描くなんていうのも情熱です。
仕事のこととか、あるい は自分の為になさねばならないこととか、幾つもありますね。そういう物事に 情熱を傾けて、グワーッと取り組むわけです。
情熱というものは、人それぞれによりまして、 10の力でやる人もいますし、そうでない人もいて、決まっているものじゃないのですね。
例えば恋愛もそうです。
恋愛というのは一人の人しか愛さないものだという人がいますけれど、何人でも同時に愛せることもある。もちろん、これは恋などというものではありません。ノーベル平和賞のマザー・テレサ、あの人の言うような、いわば人類への愛ですね。
イエス様が考えた人類愛もそうでしょう。こういう人たちにとっては、人類を愛することが自分の仕事なのだという ことです。
「人類を愛するのだ」ということで、こちらで大いに愛し過ぎて、あちらがちょっと枯れちゃった。ヨーロッパ人のほうに愛が行き過ぎて、こっち側の人たちへの愛が枯れちゃった。
今月はどうもアジア人を愛し過ぎちゃったので、 愛の残りが足りなくなっちゃった。
南方の人たちを愛し過ぎたので、北方の人のための愛がちょっと枯れちゃって足りなくなっちゃった…というようなことは、お釈迦様やマザー・テレサにはないでしょう?
人類を愛するという事では、愛すれば愛するほど、愛は出てくるわけです。 どこでどんなに活動をしましても、やればやるほど、愛は続く。 汲めども尽きないものです。
愛というものは、そういうものです。大きな人類愛の精神か 活動へと入っていっていますので、少々やっても枯れないわけでございまして、だからマザー・テレサもあれだけの活動をやれるようになるわけです。
神業もこれと同じでございます。つまり、一言で言いますと、仕事が三つに なったら、情熱を三倍にすればいい。情熱の三倍化です。
仕事が五つになりまして、五つせねばならないときには、「整理がつかなくて、どうにも仕方ない」というような逃げの考え方はやめて、「よーし!」というかたちで情熱を五倍化すればいい。仕事が百個になりましたら、情熱を百倍化すればいいのです。
情熱というものは、今言いました愛と同じように、幾つもの物を想念の中で包含していますので、 「やれるんだ」「やるんだ」と、全部の事に燃えることができるはずなのです。
情熱を燃やしてこそ守護霊も守ってくれる
以上のように、個々の「事柄」ではなく、多くの事を包含しまして、「やれるんだ」と、情熱を絶えず絶えず燃やし続ける。
そういう精神力、前向きな精 神力を自分自身に付けますと、「それでは叶えさせてやろう、それを成就させてやろう」と思う守護霊さんが増えるのです。 守護霊が倍化します。守護霊が倍増化するわけです。
以前、私は、日本文芸社の社長さんの守護霊さんを、彼の名刺を見ただけで見透したことがありました。
そこには、なんと四十何名の守護霊様が器械体操のように肩から肩へと乗りまして、大きな霊の固まりになっていたんです。
まるで観音様のようでした。
そしてその社長さんが演台でお話しされている時にも、後ろにバーンと大きく、守護霊様がいる。要するに合体ロボですよ。青レンジャー、 桃レンジャー、 黄レンジャーが「ほほほ」なんて言いますと、合体してすごく強くなりますね。
そしていろんな働きをしますね。「ピーッ」とロケットで行くとか、ピピピピ と、まぁ、手裏剣は投げないでしょうけれど戦うために非常に腕が強いとか、光線をビビッと出すとか……。
それは普段からバーッと飛んでいて勢いがあるから、そうなるのですね。
いざ、ここ一番となったら、ババーッ、パチュン、パチュンと入って、ピシッと入りまして、「ハ、ポー」っていう形で戦っています。あの合体ロボと、まったく同じです。
あの合体ロボは神霊界の実相をうまく捉えていると思います。ああいうふうに守護霊さんというものは、数がどんどん増えていくのです。
言わば守護霊さんは、最適のお役の守護霊さんを呼ぶのです。加勢してくれる応援部隊を呼ぶわけです。
そして、どんどん守護霊の数が増えていって、合体して、その人が大きく仕事をやりこなせるように導いてくださるのです。
そういうふうに、やがて大きな力が出せるようになります。日本文芸社の社長さんは、もともとは筑摩書房か徳間書店か、どこかをやめて日本文芸社の社長になりました。
社長というのは、数字も上げなきゃいけないし、販売も財務も経理も総務もやらなきゃいけない。 特に彼の場合は、出版業界の中で新参の日本文芸社という会社を育成しなきゃならないわけです。
社長という立場は、銀行工作から系列会社に目を配ることまで、幾つも幾つもしなけりゃいけないことがあるわけですよ。
総務、人事、経理、売上計画と管理、銀行工作つまり資金調達、税金対策、 それから財務管理、労務管理……。
会社経営であるからして、それは社長の仕事とはそういうものだと、しっかり自覚していますから、そのどれ一つとして揺るがせにはしないわけです。
どれか一つでも揺るがせにしたら、会社は駄目になりますからね。財務と労務は大きく関連しておりますし、税金対策と資金調達だって関連があるのです。
どれ一つ取りましても、社長というものは「会社を経営する」という一つのまとまったテーマにおきまして、会社経営に集中する。その集中することに情熱を燃やし続けている。
その事の全部をバランスよくやっているのです。そうでなければ立派な社長とは言えないわけです。会社において社長は一番上に立っているわけで、全部の面で責任がありますから、だから本人は情熱を燃やさざるを得ない。
だからこそ、それだけ数の多い守護霊さんが、しかも立派な守護霊さんが社長さんを守護しているわけです
経理部門の人は経理向けの守護霊さんだけでいいわけです。しかし社長になる人というのは、責任と情熱がすべてに行き渡っている。
守ってもらうべき守護霊さんの数も多いし、その人自身に実力もある。つまりは、それだけ多くの事をこの世の中で顕現・成就することができるわけです。
ところが職人さん的な人は、自分の専門分野である一カ所には集中するけれども、対応しなきゃいけない事が増えてくると、「ああ、こっちもあっちも「できない」となって、右を選ぶか左を選ぶかという選択で苦しんでしまうのです。
「二つともやれる自分を作るためにはどうしたらいいんだ」という前向きな努力というか、そういう精神力に気持ちが向いていかないわけですね。その時には、お話してきましたように、情熱というものを五倍化する。 極端に言うなら、できても、できなくても、せめて情熱だけでも五倍化することです。
「やるぞ、やるぞ」 「前向きな精神力で、やるぞ」「一歩も引けを取らずに、俺はやれるんだぞ」と情熱を燃やしてみてください。
そう思い込みますと、守護霊さんも「よし!」ということで、お仲間を呼んできまして、神様の許可を得まして守護霊さんがどんどん、どんどん倍増化しまして、なぜかしらその人が大きくなっていくわけですね。
なんかすごく大きな人間になった感じがすると、自ずと立派な人物ができてくるものなのです。
そして、やるべき事をやりこなせるようにするためにはどうしたらいいか、という具体的な叡智もしっかり与えてくださる。
「こちらのほうを今すぐやるべきで、こちらはちょっと置いておけ」とか、適切な指示を出してくださるわけです。
一日は二十四時間しかないし、一年は三百六十五日と決まっている。その間に、お風呂も入らなきゃいけないし、散髪もしなきゃいけないし、洋服も買わなきゃいけないし、奥さんへのサービスもしなきゃいけない。
たまには評判の備長炭の焼き鳥も食べなきゃいけない(一同笑い)。そういう様々な、細々した日常事もやっぱりあるわけですよ。そうなのだけれども、「これこれをする」といった場合、押さえるべきポイントということが、やはりある。
人に任せるのだったら「あれは彼に任せて、こうやればいい」という工夫すべきことがある。そうしたことがやりこなせるように、そして成就するように守護霊さんが叡智を与えてくださるわけです。
そうして、三つの事を、10の実力でやっていた時以上に、何倍かにしていって、 10を30にすることもできるようになって、やがて人間の器というものが大きく なっていくわけですね。
そもそも物事というものは一つのことがある程度できましたら、必ずやその人に「責任」ということが発生してくるでしょう?神業をずっとやっていけば、お弟子さんが出てくるでしょうし、活躍の場所が広くなります。
まぁ実際、そうでなきゃいけないわけです。しかし、すると必ずそこで頭打ちの感覚が出てきます。「あっちもやらなきゃいけないし、こっちもやらなきゃいけない……………」と焦りが出てきます。
しかし、そこで諦めればいいのではない。やるべき全部を一つに含めて、まとめて、全部をやるんです。そうやることこそが御神業なのだと思ったときにパッと守護霊さんは出てきます。
その守護霊さんの働きを絶えず絶えず顕現化すれば、五つのものが十個になろうと、十個が二十、三十に増えようと、自分が大きくなっていく。仕事が百倍も忙しくなり、百倍も難しくなったら、自分が二百倍ぐらい大きくなったらいい。
仕事が四百、五百になったら、自分が千倍から二千倍ぐらい大きくなったらいいんです。
なるべく大きく情熱を燃やすことです。そういう前向きな精神力を持ってこそ初めて、神様の守護や守護霊様の大いなる応援と神力が霊力が与えられるものなのです。そうしなければ絶対に御神業なんて成就できないし、神人 合一の道も歩めないし、人間として大成することもできないです。
以上が「情熱力」ということです。
精神力にもいろいろありますが、大変なことを辛抱する、忍耐するというような消極的なものではなくて、もっともっと情熱を燃やし続けるという、自分の情熱を燃やし続けるという心、つまりは荒魂ですね。そういう「情熱力」です。
荒魂もマイナスのほうに行きますと、「隠忍自重」になる。
隠忍自重の力っていうのも荒魂の発動で、これはグーッと忍耐するということです。
一方、勇ましい心、勇猛の心を持ちまして、勇猛の精神で突き進むというような、荒魂が陽に出たのが情熱力です。
荒魂が陰に出た時は忍耐力です。荒魂の働きにも陰と陽があるわけですね。
荒魂とは、すなわち現れ出る御魂です。本当の御魂の力というのは、この荒魂の力ですので、皆様はこの情熱力というものが精神力の一つなんだと、しっかり認識してください。
守護霊様も守護神様もこれで変えられますし、運命もどんどん変えられます。情熱力を絶やさないで燃やし続ける。そういう精神力をお持ちにならない限り、少なくとも御神業とか、霊的な閃きとか、進歩というものはストップしてしまうはずです。 ひとつの限界をクリアすることはできませんよ。
感性を常に敏感にしておかなければ、あるいは除霊だって三日、四日、一週間やらなかったら、これ鈍ってきます。
ですから絶えず燃え続ける。こういうお心を自分自身の中で気をつけて持ち続けて、頑張ってほしいと思います。
以上がパート1の「情熱力」という精神力のお話でした。どうもありがとうございます (一同拍手)。
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深見東州の土曜神業録25(VOL.2)
