昭和五十三年 神戸神業 (二)

妙と申すは、並やたいていの努力では体得できるものではない。
ただ、ありままでとらえ、忍んで工夫し、 体得するよりない。

心がけ次第で達人にもなれば凡夫にもなる。
その心とは、ただ時を惜しんで自分を否定し、打ち消し、
新しいものを使いこなす自分を生み出すことである。

大悟徹底の人とは、一枚また一枚、今の個我の皮を
自分でぬいで行く人のことである。

罪をにくまず人もにくまず。
ただ心が一で誠であるなら、
行き交う人は愛のまなざしを向ける。

よく見る人は、良く多くの物から学ぶ。
先を急ぐな。自ら善とする道に、
ただ自分のあり方をふり返り悟ることで進歩を加える。
これが神の道に生きる人の進歩というものである。

どこにでもあるなり神試し。
いつも忘れぬ神修業。

どんな人でも修業がある。
何でも、これが自分の修業だと思って励む人は、
人生を学びの心で花咲かすことが出来る。

謂く、心を清にすれば体に表われ、
身の回りを清潔にすれば、心は生き生きとする。
ゆめばかり追わず、自分の生活を正されよ。

楽しき宴を催すには、大変な裏方の努力と工夫がいる。
これをやれる人が、本当にかみをぎょうずる人であり、
これをうかがい知る人が、愛のみがけた人である。