けじめとは、ありがたく相手の思いを受け止め、
喜んで物事をすすめるためにある。
それは、自分の心を引き締める時と緩める時を
うまく整えるための、気持ちの調整技術である。
自分の今のだらだらした気持や心を
自分の性質だと思っている。
その自分は、
たちまち次の瞬間に消えてしまうものなのだ。
自己の革命とは、
それを信じなければできるものではない。
いちばんこわいものは、
自分を惜しみ、自分の能力を不信に思い、
自分の愛をうたぐることである。
芸術家であり、宗教家であり、文学者であり、
哲学者である凡人がいい。
世界狭しと活躍する国際人とは、そんな人である。
苦しくないぞ。
神の愛を身にうけておれば、
神の愛は喜びとなり身心をいやし、
ますます情熱を燃やす源となるなり。
年を取って情熱のない人は、信仰をしていても、
神の愛を常に受けている人とは言えぬ。
そわそわしている時は、神霊と共にあるときにあらず。
常に自分の心を良くみつめて、人のあり方を批判せず、
それを師の人を通じて教うる所として学ぶべし。
これ儒の教えの中心であり、
相思返照、普化極真。
道妙即ち覚覚の妙である。
天にあり、また地にひそむ宝、心よりなし。
夢とは、はるかな昔の宝を
天にかけてさがすことなり。
たいへんなことはない。
いつでも楽々と越えて行け。
大切なのは、気を小さく持つか大きく持つかで、
大神霊と感合するか、中小の神霊と感合するかが
決まることである。
取り越し苦労は禁物であり、
おじけづくのが神をとじこめるなり。
それにより地のひろがりの如何が決まる。
おじけとは、なにかの邪霊が憑いているのである。
それは我があるか慢心があるか
いずれかの性格の影にすくうのである。
どこからでもすきのない人とは、
無欲であり無私の人である。
最もこまるのは、自己流に神を理解して、
自己流に我を出し、その分だけ神徳を小さくし、
無限を有限にしていることである。
