昭和五十三年 神戸神業 (九)

心の鏡は知を明らかにす。
良智は即ち玉鏡を台となし、心水を妙となす。
生活の中で行われる身禊ぎは、居ずまい正すこと。
掃くだけでなく、良く水で洗い、空拭きして
清浄感を保つ工夫がいる。
神道のみそぎの道は、
無極にかえる道を生活に取り入れたるものなり。

心配は御無用。
人間はいつでもどこでも勉強する時間をもっています。
場所もあります。
ただそれを見つけられない人が多いだけです。

頑張れるだけ頑張ったら、やっぱり爽快だ。
それが、精一杯生きたという証なんだ。
人を相手に競争しているうちは、
一流であっても超一流ではない。
無限を相手にし、
大いなる未来の自分に立ち向かっていくのが、
大人たいじんというべき人である。

宝は心のもち方なり。
生活指導も良けれども
心の持ち方を良くされよ。
つまらなさそうにする人には、かがやく炎の情熱を与え、
元気にはりきっている人には、自分を精一杯みがくことを示し、 決して厳しいとかやさしいとか、
なになに的とかに決まった型を作ってはならぬ。
自在なる心とは、
とらわれなく、我のない妙智力だと思って良い。

パターンにあてはめると簡単に処理することができるが、
神より見れば大いなる誤りをしていることが多い。
それは人の魂も心も時々刻々移り行き、
新しく生まれ変わっているからである。
決して以前会ったその心ではない。
流れるようにさらさらとして、見方を常に躍動させるのが
具眼の士として世にある要件なり。
これを若柳の心、胎妙不知にして、
健富和相楽をなすと言う。

さげすみてはならん
心がそれだけさもしくなる。
あからさまに言うことなきよう心がけるべし。

つかれているとしんがない
不眠不休で働かねばならぬ時と、
じっくり書に美術に遊ぶ時、
弛急自在にして、いずれも楽しむ心がいる。

くにとこたちのかみは
いかなるひとも、 みのうちにあり。
くにとこしえにたてゆくおごころなり。
そのぎょうけつりょくなり。
りゅうしんじだいにこのちきゅうをつくりかためた、
だいしぜんりきが、
くにとこたちのおおかみなり。
しかし、てんいのてんかんとともに、
りゅうしんがみつかいとなり、
かみのいしとしぐみをおりなしたときはすみ、
ちょくせつしんじんごういつして、
かみとひとつのあたらしいやりかたに
すべてがなるじだいとなりた。
いま、くにとこたちは、たてわけるかみとして、
よのとどめをなせり。
かみのごとくあらねば
かみはわからぬ。

気を付けよ
金で道を誤るぞ。
神の心を損うに、
最も大なるものは、 金の憂慮なり。

神の力は無限なり。
全てがうまく行くよう、
段取りがしてあるぞ。

金が詰まると心が詰るようでは、
神と共にある人とは言えぬ。