赤ん坊は泣くのが仕事である。
精一杯、無心に泣くのが最も良き赤ん坊であり、
青い顔をしたり、黙っているのは異常である。
神司もまた同じ。
泣きながら失敗を教訓として生かし、
さらに大きく伸びてゆくのが仕事である。
「つかさ」
あてがはずれるというのは我のある証拠である。
何ごともやるだけのことをやったら、
あとは神様におまかせして、
心のままにゆっくりと、
その神様のなさることを見ようか、
という気持ちがいる。
ふらふらになるまで頑張るから立派なのではない。
自分がするのではない、
神様がなさるのだ。
そう思っていれば、常に正しい判断ができる。
神霊は神界にあり。
そこから分れ、肉体に魂を宿すのが人 (霊止(ひと))である。
神人根源は同じ。
太古は一つであったが、
時代が下るごとに自ずから分かれてきたのである。
それで自分ということばができている。
一身の平安と誉を求むるようでは、
大した神の立て役者とは言えぬ。
いつでも自分を捨て、
人間であることもやめることができれば、
偉大なる愛を持つことができる。
そして、神になることさえできるのである。
天は二物を与えずとか、
人は生まれながら
定まった宿命をもつとか言われているが、
本当は、全て前世でつちかった分だけしか
今世に備わらないのである。
人をうらやむな。
前世の貯えが異るだけだ。
今世磨けば、その分だけ功徳が備わり、
来世までも持ち越されるなり。
来世に持ち越しが可能なものは、
信仰、芸術、学問である。
自分の家庭を持とうとしたり、
子どもを持とうとしたり、
世間の人並に、楽な暮らしをしたいと望む。
決して悪いことでも、間違ったことでもない。
しかし、ただそれだけしか
神を行ずることはできず、
それだけの神霊しか降りないだけである。
神が嫌うのは、われよしである。
自分では気が付かないわれよしを、
見逃していることが最も恐ろしい。
自分は善人であると思い込んで、
人をせめるからである。
自然が裁く神違反。
◎神は人をせめることもなく、
裁くこともなし。
段階を経て人間は進歩する。
一段一段登ってゆく神人合一の梯である。
随分磨けたようでも、
大変な修業が多く残っている。
大きな気持ちを持つ修業。
小さなことに気を配る修業。
人の心をつかむ修業。
人の心にとらわれず、
冷静に為さねばならぬ決断をする修業。
右行かば左遠のく神修業
いつまでやっても出来上がることなし
