昭和五十二年 御神示(五)

日々にいそしむ仕事といい、
ただなんとなく行なっているものごとといい、
すべて人が気を入れてやるときは
全魂ふるいたち、
神界が開かれるものなり。

神の御用というのは、
ただ人の備わったものに
全身全霊を尽くすことなり。
その他に信仰というものはない。

世界中の人が
自分の最も幸福と思えるものごとに、
神気と喜びをもっておこなうとき、
それがみろくの世というものである。

神気とは精神の元を構成しているものなり。
高い志を持ち、
無心になってものに取り組むとき、
おのずから出ずるものなり。

良き時にも、不調の時にも、
人力の限りを尽くさば人は生まれ、
怠るときこそ死せるものなれ。

徳を養うというのは、
自分の分を汲み上げて、
人にうるおいの水をまき、
かわかぬうちに水を汲むことなり。

とぶような飛躍のリズムは、
これをいくむるに案内する
もう一人の厳しい自分を
育てることから始まる。
それにタクトをふらせるのが
名人という人なり。

まかそんじゃ

*註:いくむる=白山菊理姫のご神霊が、長い間埋没神 として閉じこめられていたことを「われはいくむ るにあり」と植松先生に申されたことによる。


暑いときから寒さはあり、
涼しいときから心暖まるものがめばえる。
それはゆかしい人にしかわからぬ
天の観化の妙なり。

真化


当然のことが不可思議の極みであり、
不可思議なことが当然のあやまりなり。

真化