『感に打たれる』
「感に打たれる」というのは、
自分の内にある神が打たれて発動し、
「しんにふれる」とは神に触れることなり。
この場合にいう神とは、
御魂の最奥部に斎まつれる本神であり、
天地の創造主(天御中主)の分け魂なり。
(しかしこれはあくまで六次元神界の開けていな 段階の神であり、人に対する説明なり ス神)
「すまい」
「す」とは「主」という意味である。
「ま」とは「間」であり、
「い」とは「居」「意」である。
「主が居る間」であり、
「主の意が間に居る」ところである。
これは大変な教えである。
主の意味が人であらば、
雑然としていたり、
よく管理がされていないと、
そこには主がなく
人が住めないことであり、
また、責任をもって家庭を支えたり、 家庭を養う気概や
精神的なバックボーン (主の意)が
なくなってくることを教えている。
そして、
これを主の神の意としてとらえると、
すまいの内には
最も高次元の神の意志や教えがあり、
高度な真理の実践があるということである。
これを体得してはじめて神人合一が為される。
すまいにおける実践がなくば、
人をも神をも生かしてゆくことはできず。
人をも神をも生かさねば、神の心にあらず。
これが生活というものの使命であり、
真義なるべし。
これをよそにして神人合一の妙
得られることなし。
すさのを
澄意
すまいうちすまんとあやまりあらたむる
さだかなり神おろし
人であって人忘れ、
人忘れていて神より妙下るなり。
たすけたしは人にあらず。
いとかぐわしき魂かも。
