昭和五十二年 御神示(二十二)

気を集め鏡にうつす真光まびかり
受けてぞ神は出でますものなり

気を静める方法のひとつとして、
呼吸を坐禅のようなもので調えられよ。

それは短時間であるべきで十五分が適当である。
坐禅は日本伝来の鎮魂法が
十六皇子が世界に伝えて以来ヨガになり、
静法になり数々の変化をもたらし
日本に再帰したものなり。
太古の坐法は天坐というものであった。

テンとは、である。
ザとは「動く、めぐる」である。

つまり自己のチョン(ス)を動かし
発動させるためのものであった。

しかしそれは、何かを為す前に魂を定め、
輝かし、気を集め、凝らす為のものであり、
悟りは
決して坐してばかりいる人が得るのではなく、
またそれを手段でなく目的と間違えたら
本来の生は全うできるものではない。

天下一という人は
皆大変な苦労と努力を貫いてきた人なり。
苦労を苦労とせず波に逢うては息を凝らし、
雷におうてはどっこいしょと
にらみ返すぐらいでなくば、
この海原をいかで乗り越すことができようぞ。

辛い難しいという気持ちをどう克服するか、
それが神試しなり。

その試しに逢うて
はじめて自分のねむれる能力が芽を出す。
すべからく神の御用をいたそうとする人は、
世間一般にあるような苦労はもとより、
さらにさらに苦労を求めていく気魄きはくがいる。

至誠の道は遠くとも、
先で神の奥所に入る神人たる資格。
それが全てなり。
天を見つめてなみだせよ。
神をもとめて今励め。

己をおきて他に、誰が己を鍛えるか。
神より人か、人より己か。
どれを第一とするのか。
人知れず神を想いて行く人は、
責務に励みて神を胎せり。

卯の花


灰中有火 火中有灰
灰火同一 不二人慮

人の一生は重荷を負いて歩む如し
重荷とは、
人を幸福にし、自ら幸福になることなり。
喜びは即ちすでに神界である。

神界は即ち人の世にあり。
これ中火あり火中あることなり。

人の思慮にて人を幸福にすること可なるは、
天の意と人の意合一したる時なり。
これ灰火同一なり。

即ちその時、
人は神の大愛と無限智と無限力を受くるなり。

そこへの道には四つの無門の門がある。
第一に天至誠道、

次に無虚心道それに通神得妙道、
最後に三大晋化道なり。
(天心体化道、人心転化道、地妙晋化道)

この道を極めた人が神人合一された人である。
このとき人慮と神慮の区別がなくなるゆえに
不二人慮となるなり。
人は本より神に発するものなれば、
神人合一は宇宙の法則であり
神の最も喜ばれるものなり。

太乙老人

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