平成二年度 御神示 (一)

ザルツブルグでの御神示(平成二年六月)

老化するのは、
冒険心がなくなるのが原因である。

冒険心がなくなると、老化する。
健康と体力は、気力と精神力の結実である。

気力と精神力とは、
冒険心によってこそ生み出されるのだ。

冒険せよ、冒険せよ。
勇猛の自己を失うなかれ。

頭の老化より、霊体が輝きを失い、
御魂が退化する方が問題である。

何のために生まれてきたのかを、
日に実感していたら分かるはずだ。

冒険心とは、
未知のことへのチャレンジであり、
不可能と思えるおじけ心と、
面倒だと感じる心を越える、
御魂の力の発動である。

ミュンヘンでの御神示(平成二年六月)
ちゅうであれば正であり、妙であれば玄通ず。
まず、一切は中を目標にして営むことから、
神人の修業は始まる。

二局の中を得るのである。
一局すなわち、腸の道にして積極発展の道。
いま一つの局は陰の道にして、
反省自覚向上の道である。

陽が過ぎれば、増長魔と尊大さが表れ、
陰が過ぎれば、怠りと意気消沈の弊がおきる

先天の道とは、
陰が先に立ちて陽を調え、
後天の道とは、
陽が先に立ちて陰を調える道である。

先天の道は、
内的な自己を完成させるあり方であり、
後天の道は、
肉体をもって活動する自己を、
社会的に完成させるものである。

また、前者は中年から晩年期、
後者は少年期から青年期 (三十才)
までのあり方である。

老年期には、

老年期の道に適するのがちゅうであり、
若いときには、
若いときの道に適するのが中である。

これは後天の中の解釈である。

先天の中とは、
積極果敢で発展と明るさに満ちて生きる一方で、
絶えず反省と内省を繰り返して、
増長魔と自我、慢心、尊大なる小我のカラを打ち破り、
自己の内的な脱皮を第一として生きる状態である。

またあるときは、内省、研鑽、
自己刷新の学問と信仰的向上覚醒を第一とするも、
机上の学に終わることなく、
絶えず発展と積極と明るさに満ちて、
事業と教化、教導を成し遂げる
結実成就の実行力を発揮し続けることでもある。

ちゅうは、目標であり、体得成就して、
よく柔によく剛に、よく陽によく陰になり切り、
大自在を発揮している人には消えて、
意識になきものである。
簡単に言うと、何でも積極果敢に成せば、
知らぬ間に増長魔となり、自我、慢心の虜になる。

何でも自覚反省をもってむねとすると、
意気が下がり、安住して、怠りという弊害がおきる。

しかし、惟神かんながらの道から申せば、
自我慢心を恐れて消極的になるのが最もよくないのである。

それは、刻々と移り変わっていく大自然の営みのように、
人間は絶えず進歩発展しているのが本当であり、
消極姿勢の後には、何の進歩もなく、
何の得るものも残らないからである。
それでは、人として生まれて来たるかいがない。
無意味な生涯となるからである。