平成二年度 御神示 (三)

簡単そうで一番難しいものが、
一日も怠らずに神仏に祈念する
朝を迎えることである。

白隱


清々廉々虚心に神来たり。
よきかな、よきかな。

白隱


ザルツブルグホテルでの御神示
悟りとは何か。覚悟である。

死者も生者も道を悟り、
天意を悟ることが出来ぬのは、
覚悟が甘いからである。

覚悟が定まることを決定けつじょうするという。
じょうを決してこそ、人間に府が入り、
気合が入り、限界を越えることができる。

人間が見違えるほど変わらねば、
悟ったといっても、それはまやかしものである。

決定せよ、決定せよ。

覚悟を決めて己を激変させよ。

まずは、なまくらから追い出せ。

小悟に安住している己をたたき出すのじゃ。
悟りなきところ、信仰も神業もなきものぞ。
悟りなきところ、進歩も向上もなきものぞ。
進歩と向上なきところ、
生まれ来たった意味なきものぞ。

さあ、汝は何を悟り、何を覚悟するのじゃ。
言うてみろ、言うてみろ。

白隱


覚悟の最上のものとは何か。
我を捨てることである。

人間は皆小さな我にとらわれて、
慈悲も協調も透徹した精進もできぬのである。

我とは小心と考えてよい。
小心なるが故に、人が許せず、
小心なるが故に、大局より見て必要な時に
自己の主張を没することができぬのである。

大心なれば人を許容し、
これを没するときには見事に没して、
精神と生き様の真価を発揮することができる。

それこそが大我であり、
大悟して人間の器が大きくなっている証拠である。

長たる器、先達せんだつたる器、
神を取り次ぐにふさわしい器である。

さて、この大心は如何にして得んや。

大夢想、大志徹より始め、
大学問にして締めくくる道にこそあり。

磨き切れ、磨き切れ、
もっと大きくなる覚悟を定め、
小心、小我、小器をカチ割るのじゃ

喝一つ。
白隱


増長魔を和らげ、無くするものは、
謙譲の二字よりない。

(荒魂の忠、奇魂の覚)は、
自分のみが正しいのではない、
このことだけが善なのではない、
この考えだけが適切なのではない、
と常に思える心のゆとりである。

(和魂の和、幸魂の優)は、
自分の満足や主張よりは、
他人の満足や気持ちを先に考え、
優先することのできる優しさである。

は学問と修養の成果であり、STO
広い見聞と深い内省や覚悟の賜物であるといえる。

は本来しつけの成果であり、
慈悲や愛という、
宗教的な徳育の賜物であるといえる。

この謙と譲を修養の糧として
常に大切にしていると、
決して増長魔に陥ることはないのである。

神使無記名


[三部作]

知らないことが解るようになった。
それだけで、大いなる御魂の向上である。

日蓮


もっと解るようになりたい。
それだけで、大いなる求道心である。

日蓮


もっと偉大な人物になるように己を磨きたい。
それだけで立派な神人合一の道を歩んでいる。

道真


悪様あくざまの心に見合う
悪様の風土
悪様の風土に見合う
悪様の神と人
全てその心のおもむくところにあり。
全てその心のおもむくところに誘われるなり。

それが縁というものである。
縁は己が呼び、己が創るものである。

人間にあることを知ろうとするならば、
歴史を見よ。
やれば出来るぞ、過去したこと。

人間とは神の化身であり、神の息吹きであり、
神の心である。
善神、悪神ありて、
人間と神のドラマが出来上がっている。

心の中を見よ。人類の歴史を見よ。
いくつものヒントがあり、
いくつもの神の姿と、
顕現の証しをみるであろう。